2025/05/25 - 2025/05/25
80位(同エリア99件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1756冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,458,483アクセス
- フォロワー169人
「ロイヤル・パビリオン/The Royal Pavirion」の見学を終えた後は隣接する「ブライトン・ミュージアム&アートギャラリー/Brighton Museum & Art Gallery」の向かいます。ここについては元々は立ち寄るつもりは無かったのですが、他に行くところもあまりないので予約だけ入れてありました。ところが入り口には大きく「The In Crowd: Mod Fashion and Style 1958-1966」と書かれてあります。途端に早く見学したくなりました。「ブライトン」というと映画「さらば青春の光(Quadrophenia」の舞台となった地で、1960年代初期のイギリスのユース・カルチャーの2大勢力だったモッズとロッカーズの日常生活や両者の対立を軸として、熱狂的なモッズ青年と彼の仲間達との青春の光と影、彼等が現実世界と理想(モッズワールド)とのギャップによる苦悩などを描いています。原作は「ザ・フー(The Who)」の1973年の「四重人格(Quadrophenia)」というアルバムです。このアルバムの前に1969年の「トミー(Tommy)」というアルバムがあります。このケン・ラッセル監督のロック・オペラ映画のインパクトは強く、出演していた父親役のオリヴァー・リード、母親役のアン・マーグレット、そして息子のトミーがロジャー・ダルトリー、ピンボールの魔術師がエルトン・ジョン、伝道師はエリック・クラプトン、医者にジャック・ニコルソンなんてキャストでした。この映画を中学生の時に見た衝撃は忘れられません。そして続く「さらば青春の光」を観たのは18歳の時でした。偶然でしたが研修旅行で「ブライトン」を訪れたのは感激でしたし、その当時にVespaのクラシックなサドルシートのバイクにミラーを付け、モッズコートを着て乗っていたのも懐かしい思い出です。「モッズ」という言葉は1950年代にビバップなどのモダン・ジャズの演奏者やファンを「モダニスト」と呼んだ用語が短縮されたことに由来します。戦後の好景気により自由になる金銭を得た労働者の若者達から始まったと言われ、「ヴィダル・サスーン」「マリー・クヮント」「ビートルズ」「ローリング・ストーンズ」らが活躍したスウィンギング・ロンドンの時代と全盛期が重なっています。ミニスカートを流行させたファッション・デザイナーの「マリー・クアント」はモッズ・ファッションにも貢献し、「モッズ」の典型的なファッションとしてはスキニー・タイ、ミリタリー・パーカー、ミリタリー・コート、60sジャケット、ローファーなどがあげられます。この時の展示はそんなムーブメントを網羅したもので、この時ばかりは生まれる時代が少し遅かったなと感じました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ロイヤル・パビリオン」の敷地の中にある「ブライトン・ミュージアム&アートギャラリー/Brighton Museum & Art Gallery」へやってきました。旅行前には特に来たいという強い思いは無かったのですが…。
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ここまで来て特別展の案内を見て驚きました。ここでモッズの展示を見ることが出来るとは思いもしませんでした。「The In Crowd: Mod Fashion and Style 1958-1966」なんてたまりません。
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「ブライトン」というイギリス南部の港町を初めて知ったのは「さらば青春の光(Quadrophenia)」というイギリスの映画でした。
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1960年代初期のイギリスのユース・カルチャーの2大勢力だったモッズとロッカーズの日常生活や両者の対立を軸として、熱狂的なモッズ青年と彼の仲間達との青春の光と影、彼等と彼女等が現実世界と理想(モッズワールド)とのギャップによる苦悩などを描いています。
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原作は「ザ・フー(The Who)」の1973年の「四重人格(Quadrophenia)」というアルバムで、このアルバムの前に1969年の「トミー(Tommy)」というアルバムがあります。このケン・ラッセル監督のロック・オペラ映画のインパクトは強く、出演していた父親役のオリヴァー・リード、母親役のアン・マーグレット、そして息子のトミーがロジャー・ダルトリー、ピンボールの魔術師がエルトン・ジョン、伝道師はエリック・クラプトン、医者にジャック・ニコルソンなんてキャストでした。この映画を中学生の時に見た衝撃は忘れられません。
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この映画を中学生の時に見た衝撃は忘れられません。そして続く「さらば青春の光」を観たのは18歳の時でした。偶然でしたが研修旅行で「ブライトン」を訪れたのは感激でしたし、その当時にVespaのクラシックなサドルシートのバイクにミラーを付け、モッズコートを着て乗っていたのも懐かしい思い出です。
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まずは冷静になって「See the Sea」という展示から見学していきます。かつては小さな漁村だったブライトンが活気あふれる都市へと変貌していく過程を垣間見ることが出来ます。
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「ロイヤル・サスペンション・チェーン・ピア(Royal Suspension Chain Pier)」はイングランドのブライトンで最初に建設された主要な桟橋でした。1823年11月25日に開業しましたが1896年12月4日の嵐で破壊されました。
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この桟橋は海峡を渡る乗客が船に乗り込むために使用されていましたが、すぐに社交界の人々が散歩を楽しむお気に入りの場所になりました。
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「ウェスト・ピア(West Pier)」はブライトンの海岸にある廃墟化した桟橋です。ユージェニアス・バーチによってデザインされ、1866年にオープンしました。イングランドの桟橋として初の等級I指定建築物であるにもかかわらず、1975年の閉鎖以後は打ち捨てられました。
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この桟橋は1860年代の娯楽用の桟橋ブームの際にブライトンへの観光誘致のためにデザインされたもので、1823年オープンの「ロイヤル・サスペンション・チェイン・ピア」に次ぐブライトンでは2番目の桟橋でした。1893年に延長されて1916年にはコンサートホールが建てられています。
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1975年にこの桟橋は閉鎖されて徐々に崩壊していくことになります。36年前には一部建物が残っていましたが、2002年の嵐により大部分が海に落下し、現在は足場の支柱しか残っていませんでした。そしてこの後に現在も残る3番目の「パレス・ピア(Place Pier)」が1899年に開設されていきます。
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展示室の片隅には赤と白に塗り分けられたLambrettaが展示されています。これを見た時は自分の中で懐かしさ哀愁が混ざったような感情が溢れてきました。「モッズ」の全盛は1950年代から60年代ですが、1990年代にクラシックタイプのサドルシートのVespaが発売され、それにミラーを取り付けてモッズコートを着て乗り回していました。ガソリンスタンドで給油した後はその分に比例した混合オイルを入れるのですが、このバイクにもCastolのステッカーが貼ってあります。
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「Wham! - Club Tropicana」ワム!の1983年の「クラブ・トロピカーナ」のポスターがありました。作詞作曲はジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーです。1980年代後半から1990年代初頭にかけて特にアシッドハウスの夜で有名な「The Zap」というビーチフロントのナイトクラブ兼パフォーマンスアーツの店のものです。
https://www.youtube.com/watch?v=WYX0sjP6Za8&list=RDWYX0sjP6Za8&start_radio=1 -
この建物も「ロイヤル・パビリオン」と同じくジョン・ナッシュ(John Nash)の手によるものです。彼は19世紀初頭に活躍したロンドンでは唯一人の宮廷都市計画者でサーベイヤーでもあり、この時代のピクチャレスク運動においても活躍しました。
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「水浴びの女性」
グレーのドレスに赤いボンネットをかぶり、右手にくしゃくしゃの布を握りしめている彼女は画家が急いで肖像画を仕上げるのを待ちきれない様子です。教育を受ける機会のない貧しい漁師の家庭に生まれたマーサは優れた起業家精神と活力を持っていました。18世紀半ばに海水浴の熱潮が町に広まったとき、彼女は婦人水浴係(ディッパー)として働き「ディッパーの女王」と呼ばれました。 -
「ヴィーナスとタンホイザー」ローレンス・ユー
ローレンス・ユーはブライトン出身でブライトン美術格好で学んだ後に王立アカデミーに入学しています。19世紀後半の芸術家に人気の高かった聖なる愛と俗なる愛の葛藤を描いたワーグナーのロマンティックなオペラを題材にしています。12月には念願のノイシュヴァンシュタイン城へ行くことが出来るので楽しみです。 -
「ブライトン・チェーン・ピア」ジョージ・D・キャロウ
ブライトンで初めて造られたチャーン・ピアの在りし日の姿が描かれています。現在の支柱だけの姿からは想像も出来ない優雅な姿です。 -
「西桟橋から眺めたブライトン」ジェームズ・ウェップ&ジョージ・アール
2番目に造られたウエピアの上には上には着飾った紳士淑女の人々が散策する姿が描かれています。 -
「ブライトン、ブラックロック」ジャック=エミール・ブランシュ
ブラックロックは現在の「ブライトン・マリーナ」の辺りの地名です。翌日にはバスに乗って「セブン・シスターズ」へ向かいますが、その際に近くを通過しました。 -
「ホテル・メトロポールから見た嵐の海」ベンジャミン・コンスタント
ホテルには丸窓があったのでしょうか?嵐の海からは少し離れた安心感が感じられます。 -
「ブライトンビーチ」ラスキン・スピア
ブライトンの海岸は砂浜ではなく小さな小石の浜になっています。非常に歩きにくいのですが、こういったビーチチェアの上に坐れば快適に過ごせます。 -
「ブライトン、チェーン桟橋」ジョン・フレイザー
ブライトンの最初の桟橋は貨物船と旅客船の船着き場でした。 -
「ブライトン沖の漁船」ウォルタジェナーナー
うみでの長い漁の後に夕日の中での帰港の様子です。現在のブライトンでは漁船の姿を見ることはありません。沖合いを眺めると遠くに海上の風力発電の風車が見えるだけでした。 -
「ブライトン、パレス桟橋」ジュリア・モーリー
約75年前のパレス・ピアの晴れた日を楽しんでいる人たちの姿が描かれています。この風景は現在もほとんど変わらないようです。 -
「ブライトンの浮き防波堤」
浮き防波堤は強い波が海岸へ押し寄せる前にその衝撃を吸収するように設計された人工物です。この絵画はポンツーン防波堤と呼ばれるタイプの物のようです。 -
「ポートスレードから見たサウスウィックとフィッシャーズゲート」ジェームス・S・キニア
翌日バスで海岸線を走ると近衛と同じような風景に出会うことが出来ました。 -
「ブライトン沖の海峡横断汽船ベルファスト号」リチャード・ヘンリー・二プス
石炭を燃料とする蒸気船で外輪船だったことが分かります。 -
「ブライトン海岸」チャールズ・ヘンリー・ハリソン・バーレイ
約100年前のブライトンの海岸線の風景は現在とあまり変わらないように思えます。到着したこの日は日曜日だということもありとても賑わっていました。 -
「雨のブライトン」エイドリアン・ヒル
雨の降るブライトンの海岸線には人影もありません。今回の3週間の旅では1回も傘を差さなかったことに気が付きました。イギリスらしい気候を味わえなかったと思っていたら翌々日の帰国日に少しだけ雨が降りました。その時は両手にトランクを持っていたので傘は差せませんでした。 -
The In Crowd: Mod Fashion and Style 1958-1966
Brighton Museum & Art Gallery
いよいよ企画展の「モッズファッション&スタイル1958-1966」を見学します。 -
モッズは1960年代の若者のサブカルチャーとして素晴らしい存在でした。モッズライフは年配の世代に反抗し、若者が新たに見つけた経済的および創造的な自立を利用して音楽やファッション、ドラッグに基づくアイデンティティに逃避する機会を提供しました。
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さまざまな情報源から外観を取り入れていますがモッズは典型的な英国のスタイルと断固として現代的でした。モッズルックは男性と女性の両方のファッションの世界で定番であり続けています。
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このファッション展では1958年から1966年に焦点を当て、モッズルックへの影響、若者文化への影響、モッズスタイルの永続的な魅力を考察します。この展覧会には完全な衣装、衣類、アクセサリーに加えて、現代写真、映画、モッズの起源、発展、永続的な魅力をたどります。
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元モッズでありコンテンポラリーワードローブコレクションの創設者である故ロジャー・K・バートンは「ブライトン&ホーブ美術館」のテキスタイル&コスチュームのキュレーターであるマーティンペルと共同で展覧会をキュレーションしました。
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この展覧会はブライトンのオリジナルのモッズブランドである「Ben Sherman」によってサポートされており、モッズ文化の代名詞であるブランドとしての伝統を再確認しています。ブライトンの新しい旗艦店では5月に展示会に敬意を表したウィンドウディスプレイを展示し、ブランド、都市、モッズ運動のつながりを紹介していきます。
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1963年にブライトンで設立された「Ben Sherman」はシャープな英国スタイルの象徴となり、そのテーラード デザインと現代的な美学でモッズ ムーブメントに好まれています。ブライトンに最初の店舗をオープンしたこのブランドはブライトンとの強いつながりを維持してきました。
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「大学生風の滑らかな短髪の髪に分け目を入れ、きちんとした白いイタリア製の丸襟シャツ、仕立ての良い短いローマ風のジャケットには小さなベントが2つ、身頃には3つボタン、裾の折り返しの無い細身のズボンは最大17インチ、つま先の尖った靴toiuteigigaarimasita.
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「Absolute Beginners」の文字に思い出が蘇ります。1986年に公開された映画はその当時のガールフレンドと観に行きました。当時25歳で池袋のサンシャイン通りの映画館でした。バンド「エイス・ワンダー」のボーカルとしてデビューしたばかりのパッツィ・ケンジットがスゼット役で、デビッド・ボウイ、シャーデーなど1980年代イギリスを代表するアーティストたちが出演していました。主題曲はもちろんデビッド・ボウイです。彼女にはホテルに帰ってからメールしました。
https://www.youtube.com/watch?v=iCJLOXqnT2I&list=RDiCJLOXqnT2I&start_radio=1 -
ロンドンのピカデリー・サーカスの写真も展示してありました。1988年に初めてロンドンへ行った時はマクセルなど日本企業の看板が壁面を占めていました。
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2015年に行った際にはコカ・コーラやヒュンダイなどの広告に代わり、現在はChatGPTになっているようです。マクセルの広告の時代はスタイル・カウンシルがマクセルのカセットテープのCMを歌っていました。CMロケ地は翌日行く「セブンシスターズ」で、ようやくあのCMの地へ行けます。https://www.youtube.com/watch?v=B_tGubyvXrk&list=RDB_tGubyvXrk&start_radio=1
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SABRE Magazineはブリティッシュ・エアウェイズ(British Airways)がかつて発行していた機内誌です。男性ファッションの雰囲気が40年くらい前のMEN'S CLUBというファッション誌を思い出させます。
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イギリスの俳優マイケル・ケインがプロデュースとプレゼンターを務めた「マイ・ジェネレーション ロンドンをぶっとばせ!(My Generation)」も思い出します。世界中に影響を与え続けるイギリスの1960年代カルチャー「スウィンギング・ロンドン」を描いたドキュメンタリーで、ビートルズ、ローリング・ストーンズ、ザ・フーといった大物ミュージシャンをはじめ、モデルのツイッギー、ファッションデザイナーのマリー・クワントなどを6年がかりで50以上のインタビュー撮影を行い、さらにジョン・レノンやデビッド・ボウイなど伝説的パイオニアたちの貴重なアーカイブ映像も盛り込まれた作品でした。
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ザ・フー(The Who)の「マイ・ジェネレーション(My Generation)」という曲も頭の中にリフレインしてきます。
https://www.youtube.com/watch?v=qN5zw04WxCc&list=RDqN5zw04WxCc&start_radio=1 -
イギリスのポール・テイラー社製のチケットポケット付きイタリアンスタイルのスーツに、コールブルックス社のアメリカンピンクのコットンボタンダウンシャツを合わせています。ブラウンとブラックのシャドーチェックのネクタイ、バーントオレンジのポケットチーフ、黒のブローグアーモンドトゥシューズ。
ミンクス・モード社製の4つのパッチポケットとベルトの付いた茶色と黒のミドル丈ウールドレス。ポリン・パオタテダス社製のピーターパンカラーのマスタード色のジャケットに黒のビニール製の尖ったスティレットブーツを合わせています。 -
ゴールドのツイル織りの生地を使用したイタリアンスタイルのスーツはイギリスのD&Gテイラー製です。「パムフリーザー」ジャケットは5インチのサイドベンツ、スリムラインのパンツはノッチカフスになっています。二ノ・トラックス社の白いコットンシャツにゴールドカラーのトープのシルクネクタイ、サドルステッチが施されたタンスゥエードのアーモンドトゥサイドバックるシューズでコーディネートしています。
イギリス製のベルベットのリボンが着いたシースドレスにイタリアのファルコ社製のスゥエードのアーモンドトゥキトゥンヒールのシューズを合わせています。 -
このオリーブグリーンのポップサック織りの3つボタン上2つ掛けのスーツはアイビーリーグスタイルの典型です。この場合袖のボタンは2つが決まりですね。帰路のポケットチーフ。チェック柄のボタンダウンシャツにバスのダークブラウンのローファーを合わせています。20歳の成人式のスーツは原宿のVANで買い求め、その後も横田基地のゲート前の伝説のコンポラテーラー「K.ブラザーズ」でスーツも作ったりしていました。22歳の時には青山のブルックス・ブラザースでオウン・メイクの紺のブレザーも買い求めました。40年前で96,000円という値段は忘れられません。
女性はマーシャル・フィールド写生のクリーム色のバンドディティールが施されたブラウンのウール半袖ニットトップス。バーントオレンジとブラウンとブラックのシャドーチェックのモヘアスカート、ブラウンのパール仕上げのチゼルシューズを合わせています。幼稚園の頃に母が同じようなモヘアのスカートを履いていたのを思い出します。 -
左から茶色と青とグリーンのチェック柄のジャケットはアイビーリーグスタイルの3つボタンです。ライトグリーンのポケットチーフにイタリアのトラヴォ―ナ社製のクリーム色のニットのポロシャツを合わせています。
中央は青とオリーブ色のチェック柄の3坪ランのブレザーに、紅白の水玉模様のポケットチーフに赤のニットポロシャツを合わせています。
右は赤と白のチェック柄の3つボタンのジャケットにペイズリー柄のポケットチーフとバーガンディ色のタートルネックを合わせています。 -
ニューヨーク・ヘラルド・トリビューンのロゴがプリントされているのは1960年の映画「気まぐれな私」でジーン・セバーグが着用していたもののレプリカです。若々しい服装と短いクロップヘアで、背バーグは60年代のモッズのアイコンになりました。
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ウールの裏地の付いた黒いレザーの七分丈コートにバーガンディのタートルネックとビーズネックレスを合わせています。赤と黒のブラシストロークチェックのパンツには赤いレザーのポインテッドトゥアップフラットシューズを合わせています。
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クロのPVCトリムが施された白黒の度にゴールツイードのジャケットには丸みのあるピンスルーカラーのホワイトコットンシャツに黒のニットタイ、黒のウールスリムスラックス、レザーアンクルブーツを合わせています。
クロのレインコートにクリーム色のニットトップスに紅白のダイヤモンドチェックのスカート、黒のパテントレザーのポインテッドトゥパンプスを合わせています。 -
青い理念のノーカラージャケットはロンドンのフォックス社製で、ウェンブレックス社の青い水玉模様のタブカラーシャツ、黒いテーパードのパンツと黒いレザーのアーモンドトゥのレースアップシューズと合わせています。
茶色のレザージャケットにマロテッドトップを合わせたコーディネートはヴィンズ・マンズ・ショップで販売されていた典型的なスタイルです。ビル・グリーンによってロンドンのソーホーにオープンしたこの店は主にゲイの顧客を対象としていました。 -
イタリアンスタイルの黒のレザーに―カラージャケットにウィンブレックスの白いジラフネックシャツとボトルグリーンのニットタイを合わせました。セシル・ジーによるこのイタリアンルックは1950年代後半のロンドンで「モダニスト」と呼ばれる若い男性グループに取り入れられました。1956年にイタリアを休暇旅行で乙ズレていたロンドンのテーラーのセシル・ジーはローマのブリオーニなど大手のテーラーからイタリアンルックやローマスタイルが生まれていることに気づきました。
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「服を買う」
1962年までにロンドンのカーナビ―・ストリートには数多くの紳士服店がオープンしました。小売業者はl菰活気に満ちた若者のムーブメントに気づき、若者たちに最新のスタイルを手ごろな値段で提供しました。より高価な服を求めるモッズたちはハイストリートのテーラーへ行き、型破りなデザインのディティールと珍しい記事でオーダーメードのスーツを仕立てました。C&Aたウールランズ21はハイストリートの少女たちに手頃な価格のモッズファッションを提供しました。マリー・クワントやキキ・ブライン、フォール&タフィンなどのデザイナーの服は手に届かないものだったので、ティーンエイジャーはシンプリシティの型紙を買って自分なりの服を縫い上げました。 -
イタリア製のストライプのニットのトップスはこうやって並ぶとカッコいいと思いますが、何十年か前には日本のおじさんも着ていました。そこにはモッズというフィルターがかかっていたのかは謎です。
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1960年代に両親が着ていた服や父の会社の同僚が家に遊びに来た時に時の服などが懐かしく思い出されます。それは自分の記憶と共に父が遺した膨大な写真のネガをスキャンした時の記憶でもあるようです。
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1964年までにメディアはティーンエイジャーのファッションを表す「モッズ」という言葉を作り出しました。初期の「モダニスト」たちはこのレッテルに抵抗しました。モッズの中にはTシャツにプリントされた数字に因んで「ナンバーズ」や「セブンズ」「シックスズ」というニックネームで呼ばれる人たちもいました。彼らはウールワースなどで廉価なTシャツを買い求めていました。「ステイツ」や「トイタウンズ」と呼ばれる人はアメリカの余剰パーカーやリーバイスの501にデザートブーツというようないで立ちだったようです。
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1960年代後半のレナウンの服ってこんなではなかったでしょうか。そんなことを思い出しました。日本にもモッズのムーブメントは伝わっていたのだと改めて感じます。この当時のレナウンのCM「ワンサカ娘」なんかもカッコ良かったです。
https://www.youtube.com/watch?v=E6onW36sOv8 -
オリーブグリーンの米軍のパーカーM-64に白いタオル地のTシャツにリーバイスのベルジデニムの501、ボクシングブーツを合わせています。同じような米軍のパーカーは40年前のアメ横の「中田商店」や那覇の放出品の店でいろいろ買い求めました。MA-1フライトジャケットが流行っていた80年代が懐かしいです。そんな中で長年欲しかったAVIREXのB-3は昨年買うことが出来ました。
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女性は赤いレザージャケットにグレーのジャージーポロネックのセーターと白黒チェックのウールスカートと紅白と黒のボウリングシューズ。
男性はクリーム色のコットンのバラクーダのジャケットに水色のサイクリングシャツ、白いリーバイス501、マルーンレザーのボウリングシューズを合わせています。紺色のバラクーダのジャケットに白い501は自分でも着ていたので懐かしいです。 -
ジョン・マイケル・ロンドンのストライプ柄のシアサッカー時のブレザー、ペイズリー柄のポケットチーフ、クリーム色とブラウンのストライプのイタリアンニットのシャツ、リーのクリーム色のジーンズ、スウェードのチャッカ―ブーツを合わせています。
右側はクリーム色のストライプ柄のリネンブレザー、ジョン・スメドレーの間んどコットンのシャツ、クリーム色のリーバイスのジーンズ、ブラウンのハッシュパピーのブーツを合わせています。やはり20代の頃に同じような服を着ていたので笑ってしまいます。何の知識も無いままにアイビーの延長で自分なりにセレクトしていたようです。ジョン・スメドレーの海島綿のポロシャツは当時の池袋西武で色違いで買い求めていました。そのうちにターンブル&アッサーでシャツを仕立てるようになって…。どれだけお金を使ったのでしょう。 -
男性はハウス・オブ・シアーズのタン色のスウェードの3つボタンのジャケットにジョン・スメドレーの海島綿のポロシャツ、ブルーのリーバイス501の裾は折り返して、バスケットウィーブのシューズに合わせています。
女性はクリーム色のピッグスキンのジャケットにバランタイン製の黄色いウールセーター、黒とグレーのストライプのスカートはサンローラン製で、レザーアンクルブーツはハー・グレース製です。 -
ジョン・スティーブンのストライプ柄の3つボタンのジャケットにナイロンコートを羽織っています。リーバイスの501にクラークスのスウェードのデザートブーツを合わせています。
女性はボトルググリーンのスウェードのレザーコートにマルーン色のリブ編みのコットンポロネックセーター、黒とグレーのチェック柄のウールのパンツにバス社のマルーン色のレザーのペニー・ローファーを合わせています。このタイプのローファーを見ると自動車教習所に通い出した初日に出会って、卒業まで一緒に通った1歳年上の女性のことを思い出します。23歳で妻に出会うまで20年の人生で一番美しいと思った女性でした。 -
5月10日に始まったこの展示会は2週間ほど過ぎた日曜日のも関わらずとても空いていました。お陰げでじっくり見学することも出来ましたし、写真を撮ることも出来ました。
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数少ない見学者を見ても自分より10歳から15歳くらい年上のまさにこの時代を生きたイギリス人の女性が多かったです。その方たちの眼差しはティーンエイジャーの頃のように輝いていました。
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クリーム色と茶色と白のストライプ柄のスーツはシアサッカー地で作られ、ジョン・スティーブン製のコットンチェックのボタンダウンでコーディネートされ、タン色のアーモンドトゥシューズを合わせています。
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このネイビーのスーツは1960年代に流行ったトレビラという記事で作られており、9インチのセンターベントが付けられています。スーツはロンドンのグリーンライン製で、トゥータル・ラディアック社製のグレーのコートれるポロシャツ、黒のレザーのアーモンドトゥシューズを合わせています。
女性はチェリー・オブ・ロンドンのサンディートーブ色のスウェードコート、キャメル色のドロップウエストウールドレスとブラウンのパテントレザーシューズを合わせています。 -
スーツはバートン・テーラリングのトレビラ生地で仕立てられ、ミッドナイトブルーのレインコートを持ち、グレーのヘリンボーン柄のボタンダウンシャツ、黒い川のフリンジ付きのイートン・シューズを合わせています。
女性はブラックとクリーム色のチョークストライプのウールドレス、に白と黒のストラップシューズを合わせています。マリー・クワントは「ミニスカートを発明した人はいません。必然だったのです。」と言っています。 -
ジョン・コリア―によるジンジャーとグリーンのヘリンボーン織りのスーツにはチケットポケットと11インチのサイドベントがあり、ピンクのボタンダウンシャツ、栗色のニットタイ、タン色のローファーを合わせています。スーツのポケットは最小限に抑えられ、櫛やクラブの会員証、紙幣くらいしか入れられなかったようです。自分の場合は仕立て糸を抜かずに絶対にサイドポケットには物を入れられないようにしていました。
女性はピーターパンカラーのボトルグリーンのスカートスーツで、ダークブラウンのストラップシューズを合わせています。 -
モヘアサルトはモッズアイドルだったテンプテーションズ、マーヴィン・ゲイ、スモーキー・ロビンソンなど多くのソウルシンガーが着用していたためモッズに好まれた生地でした。コードバンのウイングチップも懐かしいです。実家を潰したときにオールデンなどのシューズも捨ててしまいましたが、古着屋へ持っていったら誰かに浸かってもらえたかもしれないと思うと悔やまれます。
女性は黒いクレープのキーホールドレスにシルバーの円形のバックルの付いたパテントシューズを合わせています。 -
パリのモデル・ジュネス社製のグレーストライプ柄のウールスーツは体にぴったり合フィットするようです。ジョン・スメドレーのチャコールグレーのウールポロシャツを合わせるというカッコ良さです。赤いスウェードのコートは現代の物のようです。
女性は千鳥格子の牡丹の付いたグレーのノースリーブのシフトドレスに黒のレザーコートを合わせています。白と黒のキトンヒールのシューズもカッコいいです。 -
背広の語源とも言われるサビル・ローのオールソップ・プリンドル&ボイル社製のサンドカラーのモヘアスーツはボタニー者のキャメルカラーのウールポロネックシャツとヴィップ社製のレザードライビングシューズを合わせています。
女性はメイフェアのトム・ジョーンズ社製のキャメルカラーのパイピングが施された黒のジャージーシフトドレスにマルーン色のレザーコートを合わせています。 -
音楽はモッズのライフスタイルに欠かせないものでした。ザ・シーン・クラブは1963年にソーホーにオープンし、すぐにモッズ・シーンの中心地となりました。ほとんどのモッズはお酒を飲まずコーヒーやコーラを興奮剤として好んでいました。ザ・シーンのようなクラブはすぐに催眠薬の売人のマーケットとなり、当時はアンフェタミンなどの睡眠薬は違法ではなかったようです。
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1986年に初めてロンドンに着いた晩にソーホーにあった「ウィスキー・ア・ゴー・ゴー」というクラブに行きました。ロンドンに1泊した後はブライトンへ移動するのでチャンスはこの日しかありませんでした。店名はその後「WAG CLUB」となります。残念ながら2001年に閉店していますが、いい時代に行けたと当時の自分をほめてやりたいです。
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左上から「Scene’65」というコンピレーションアルバム。アニマルズとかヤードバーズが収録されています。その右は「16 TAMLA MOTOWN BIG HITS」でシュープリームス、マーヴィン・ゲイ、ミラクルズ、スティービー・ワンダーなどなど。左下は「British Motown Chartbusters」、右下は「The Who /My Generation」です。
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キャシー・マクガワンはイギリスの放送者兼ジャーナリストで、1960年代のポップミュージックテレビ番組「Ready Steady Go!」の司会者として知られています。1965年にRSG出演をきっかけに知られたドノヴァンは、マクゴーワンを「若きマリー・クアント風のホステス」として回想しています。クアントはミニスカートをデザインし、マクガワンが普及に貢献しました。
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左上はビーチボーイズの「Little Deuce Coupe」、右上はジャマイカの歌手でプロデューサーのプリンス・バスターの「She Was a Rough Rider」で、スカやロックステディのレジェンドによる1968年のアルバムです。左下は1966年にリリースされたジョン・メイオール&ザ・ブルースプレイカーズのアルバムです。エリック・クラプトンがヤードバーズを脱退後に参加した名盤で「ビーノ・アルバム」とも呼ばれます。右下はオーティス・レディングとカーラ・トーマスのデュエット・アルバム「King&Queen」です。懐かしい。
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彼らが愛聴した音楽はアメリカから来たブラック・ミュージックであるR&B、ソウル・ミュージックといった当時の最新ダンス・ミュージックでした。他にはジャマイカのスカやブルースやモダン・ジャズを好む者たちも多くいたようです。
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イギリスの音楽も人気があり、ザ・フー、スモール・フェイセスをはじめ、キンクス、スペンサー・ディヴィス・グループ、ジョージィ・フェイムなどでが聴かれました。ビートルズのファッションもデビュー前には労働者的で不良っぽいロカビリー・ファッションでしたが、レコード・デビューに際してはマネージャーのブライアン・エプスタインの指示により、スーツ姿でデビューしステージでは深々とお辞儀をしました。この辺りはANAの機内で観た「MIDAS MAN」に詳しいです。
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最近シュープリーム?を聴いていないなと思います。昔池袋の北口の地下にある「ZAPP」という店に通った時期がありましたが、すっかり足が遠のいてしまいました。
https://www.youtube.com/watch?v=9_y6nFjoVp4&list=RD9_y6nFjoVp4&start_radio=1 -
Ben Sherman: The Decades
Brighton Museum & Art Gallery
別室ではベン・シャーマン(Ben Sherman)の展示がありました。 -
「ベン・シャーマン:ザ・ディケイド」ではブランドのシグネチャーシャツやハリントンジャケットなどの主要なアーカイブ作品や、何十年にもわたって伝説的なミュージシャン、文化人、ファッションの瞬間にインスピレーションを与えてきた時代を超越した作品を特集しています。
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ベン・シャーマン(Ben Sherman)というブランドについてはほとんど知識はありませんでしたが、ブライトンが発祥のブランドだということが分かりました。店はホテルの裏側にあるので時間を見て行ってみようと思いました。
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並んでいるシャツのデザインを見て80年代中頃によく買い求めていた「ポール・スミス」を思い出しました。その当時はまだ日本にショップ展開されておらず、池袋西武の4階に紳士売り場があった頃にセレクトショップのような形で少量が販売されていました。40年前でペイズリーのネルのシャツが28,000円というような値段でした。それを原宿にしかなかった頃のビームスで買ったハリスツイードのジャケットに合わせて着ていたことを思い出します。
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その頃はアイビーから少し背伸びをしてイギリスのブランド、ジョン・スメドレーやターンブル&アッサーのシャツを誂えたり、直輸入のDAKSのツイードジャケットを買ったり。どれも池袋西武にしかないショップで買っていました。当時の西武のブランド力はすごいものがありました。
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思いがけずに凄い展覧会に出会えて本当にラッキーでした。しかもブライトンでモッズについて学ぶことが出来ました。エキセントリックなブライトンの旅はまだまだ続きます。
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