2025/05/22 - 2025/05/22
33位(同エリア71件中)
kojikojiさん
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リーガル・プリンセスを下船して「サウザンプトン」の観光も終えたので、次の目的地の「ポーツマス/Portsmouth」へ移動します。2週間ぶりに「スター・ホテル」のダイニングの2人のおばさんと再会した後はフロントでタクシーを呼んでもらい「サウザンプトン駅/Southampton Central」まで移動します。距離はあまりありませんが料金はここでも10ポンドでした。列車のチケットは事前にOmioというサイトで購入していましたが、列車は空いているので事前に購入する必要はありませんでした。定刻に入線してきた列車には大きな荷物置き場があり、トランクもストレスなく置くことが出来ます。こういったところはヨーロッパを旅するのは楽だと思います。約50分の乗車ののちに「ポーツマス・ハーバー駅/Portsmouth Harbour」に到着しました。今回の旅はグレート・イースタン鉄道(Great Eastan Railway)での移動ばかりでしたが、クラシックな車両が現役で使われていて好感が持てました。初めて乗ったのに懐かしいような雰囲気が感じられます。「ポーツマス・ハーバー駅」は終着駅なのでそれも良かったと思います。駅舎を出るとそこはもう港といった感じで、目の前には「ポーツマス・ヒストリック・ドックヤード/Portsmouth Historic Dockyard」の中にある「ウォーリア号/HMS Warrior」という帆船も見えていてテンションが上がってきます。一休みした後はトランクを転がしながら駅前の「ケッペルズ・ヘッド・ホテル/Keppels Head Hotel」に向かいます。荷物を預けて身軽になった後は「ポーツマス・ヒストリック・ドックヤード/Portsmouth Historic Dockyard」に向かいます。今日は終日ここだけの見学に時間を割いています。チケットは事前にネットで購入してありましたが、1年有効でありながら46ポンド、日本円にして9,000円ほどします。結果的には素晴らしい展示や施設なので高いとは思いませんでした。チケットを持って受付前に並ぶと奥のカウンターから声がかかります。クールビューティーといった雰囲気の若い女性でしたが、チケットを確認して施設内の説明をしてくれて、先に潜水艦博物館に行った方がよいなどのアドバイスもくれます。淡々と説明した最後に「どちらの国からですか?」と尋ねられ、「日本からです。」といった途端にそれまでのクールな表情はくしゃくしゃの笑顔に変わり、「私は日本に行くのが夢なの!」と。思わず「日本でお待ちしています。」なんて余計なことを行ってしまいます。潜水艦博物館へ渡る渡船の時間を確認してから一番近くにあるウォーリア―号に向かいます。ウォーリア (HMS Warrior) は鉄製の船殻と装甲を持ったイギリス海軍最初の装甲艦で、1861年8月に就役した時点で世界に存在した装甲艦の中で際立って大きく、また最も高速、重武装、重装甲の軍艦でした。フランス海軍の「ラ・グロワール」に比べても2倍の大きさを持ち、速度や装甲、備砲のいずれも完全に凌駕していました。退役後はウェールズのミルフォード・ヘイヴンで燃料突堤兼作業員詰所となるなど不遇の時代もありましたが、現在はこのポーツマスで博物館船として人気を博しています。巨大な艦内に見学者の数は少なかったですが、所々にいる係員の方々がとても親切で楽しい見学をすることが出来ました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2週間ぶりの「スター・ホテル」のダイニングでの朝食です。久し振りのフル・ブレックファスト(Full breakfast)です。相変わらずおばちゃん2人がダイニングを切り盛りしています。19世紀のヴィクトリア朝時代に一般に知られる「フル・ブレックファスト」が成立しました。ヴィクトリア女王が遅めの夕食を摂ることを好んだために上流階級も女王の習慣に合わせ、本来は昼食だったディナーの時間を夕方にずらし、午前8時から9時の間にボリュームのある朝食を摂るようになったそうです。
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朝食を早くに食べてしまったので少しだけ旧市街を散歩してみました。それくらい「サウザンプトン」は魅力のある町でした。通りに掲げられた旗には「VJ-DAY 80 15August 2025」とあります。日本の敗戦記念日である8月15日は連合国にとっては戦勝記念日であり、今年は80周年に当たります。2週間前にあった対ドイツの戦勝記念の旗は無くなっていました。
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旧市街の顔である「バーゲート/The Bargate」辺りまで散策した後はホテルに戻ることにします。
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チェックアウトした後はフロントの女性にタクシーを呼んでもらいましたが、次のクルーズ船が到着したタイミングなのか全車で払っているとのことです。ハイストリートには2カ所ほどタクシースタンドがあるので、表に出るとちょうどホテルにやってきた老婦人が車を降りたところだったので運転手に待っていてもらいます。フロントの女性は表を見ていてくれたようで「いいタイミングだったわね。」とにっこり。
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「ポーツマス」へ行く際にはかなり歩いたので、トランクを持っての移動はタクシーにしました。チップ込みで10ポンドなので体力を温存します。
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「サウザンプトン・セントラル駅」から「ポーツマス・ハーバー駅」までは普通列車で50分ほどの移動です。クルーズの2週間とサウザンプトンで調子に乗って買い物をして荷物は膨れ上がっています。
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「My Neighrour TOTORO」のポスターがありました。久石譲とロイヤル・シェイクスピア・カンパニーの「となりのトトロ」のミュージカルです。ちょっと観たい気もします。
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延々と続く貨物列車が通過すると次に「ポーツマス・ハーバー駅」行きの普通列車が入線してきました。
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乗降口の脇には自転車を置くスペースまでありました。一度トランクを置きましたが、中にも荷物スペースがあったので移動します。
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やはり横に荷物が見えた方が安心なので移動しました。といっても車両には我々以外に2人の乗客がいるだけですが。日本の東海道新幹線にもこれくらいの荷物置き場を作ってもらいたいものです。
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拍子抜けするほどガラガラな列車です。車両は少し前のデザインのようで、初めて乗ったのに懐かしい雰囲気です。
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列車はもっと海岸線を走るのかと思っていましたが、イッチェン川(River Itchen)の河口辺りが少し見えただけでした。旅の初めに行った「ウインチェスター」の町の中を流れていた川です。
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ヨーロッパ各国を列車で移動したことはたくさんありますが、車内放送はほとんど無いし、あっても英語ではないので分かりにくいです。列車は時間通りに運行しないので心配になることがありましたが、イギリスはほぼ時間どおりに運行して頻繁に車内放送もあり、このような案内板もあるので安心していられました。
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普通列車なので途中の駅には1つ1つ停車していきますが、鄙びた雰囲気が初めてなのに懐かしい感じがします。
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行き先も「ポーツマス・ハーバー駅」なので終点ということもありさらに安心して乗っていられます。新幹線の電光表示板を見慣れた身には新鮮な車内表示です。
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トイレは駅まで待ってね。
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GWRはグレート・ウェスタン・レールウェイ (Great Western Railway) の略で、イギリスの列車運行会社です。イギリス国鉄民営化直後の1996年2月からイングランド西部と南西部およびウェールズ南部の路線を運営しています。
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ジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナーが1844年に描いた「雨、蒸気、速度-グレート・ウェスタン鉄道(Rain, Steam and Speed ? The Great Western Railway)」という絵を思い出します。長年観たかった絵をロンドンの「ナショナル・ギャラリー」で出会えた時は感激しました。この絵に描かれた「メンデンヘッド/Maidenhead」はヒースロー空港の少し西にあります。
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「ポーツマス・ハーバー駅/Portsmouth Harbour」は終着駅ですが、降りる人も少なく閑散とした雰囲気です。
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この駅の建設はビクトリア朝時代中期に旅客蒸気船に使用されたアルバート桟橋と呼ばれる敷地内の桟橋の上にあったため、最初の駅舎は木造の桟橋の上にあったそうです。その後鉄骨の上に建て替えられましたが、第2次世界大戦中にドイツの爆撃による火災でほぼ完全に破壊されています。
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駅前には「The Hard Dock Cafe」なんてコーヒースタンドがありましたが、名前だけが洒落ていても営業していませんでした。こんなものに気が付きながら肝心なものを見落としていたのに気が付くのは翌日のことでした。
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クラシックな鉄道駅の前には近代的なバスターミナルがあります。「ハード・インターチェンジ/The Hard Interchange」というターミナルは市内のバスと長距離バスが発着していました。
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そのバスターミナルの目の前にある「ケッペルズ・ヘッド・ホテル/Keppels Head Hotel」がこの日の宿泊先です。名前のケッペルズ・ヘッドはイギリス海軍の軍人であるオーガスタス・ケッペル提督に由来するようです。オーガスタス・ケッペル提督(Augustus Keppel): 18世紀のイギリス海軍の提督で、アメリカ独立戦争などで活躍しました。実にポーツマスらしい名前のホテルです。
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まだ午前10時なのでチェックイン出来るわけもなく、フロントで名前を伝えて荷物を預かってもらいます。翌日は「ワイト島」へ渡って1泊してからまた「ポーツマス」に戻るので、その際にも荷物を一晩預かってもらうのでこの立地は重要でした。
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フロントの奥には雰囲気の良いバーがあり、ビールの1杯でも飲みたいところですが、この後の予定もあるので我慢しておきます。
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表通り側にはクラシックなダイニングがあり、ここで朝食を食べられるようです。実際にまだ食事をしている方の姿もありました。「Captain’s table」までは良いのですが、その上に「umai @ sushi」とあります。
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なんとこの店は和食の料理も提供しています。これでこの日の夕食はほぼここに決まったようなものです。
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駅舎の脇には通路があり、「Portsmouth Harbour Station Pier」から対岸の「Gosport Ferry」へ渡る渡船が行き来しています。
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そして一番目に付くのが「ウォーリア号/HMS Warrior」という帆船です。これは「ポーツマス・ヒストリック・ドックヤード/Portsmouth Historic Dockyard」という海軍の基地に併設されたイギリス海軍の歴史を学ぶ施設の中にあり、今回はこの施設を見に来たわけです。
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干潮になったせいなのか小さな木製の漁船が傾いたままになっています。ユーミンの歌った「水平線にグレナディン」の情景はこんなだろうかと思ってしまいます。
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「マッドラーク記念碑/The Mudlarks Memorial」
マッドラーク(Mudlark)とは川岸や海岸で価値のある物を探し回る人のことを指します。港の駅とゴスポートフェリーへの橋の下の泥に投げ込んだコインを回収して旅行者を楽しませました。男の子も女の子も投げ捨てられたお金を見つけようと奔走し、時には泥に飛び込んだり、逆立ちをしたり、頭を泥に浸したりしました。ポートシーの多くの家族は貧困の中で暮らしていたため、そのコインは母親に渡されて生活費の足しにされたようです。 -
1711年12月13日に完成した古い煉瓦造りの壁のゲートから「ポーツマス・ヒストリック・ドックヤード」の中に入ります。観光のための施設というよりは「ポーツマス海軍基地/Portsmouth Historic Dockyard」の一部といった雰囲気を感じます。
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まずは係員の方に促されて左手の建物に入ります。ここがチケット売り場になっています。チケットはネットで購入していて、プリントアウトしたものも追ってきていましたが、ここで手続きは必要です。1年有効でありながら46ポンド、日本円にして9,000円ほどします。結果的には素晴らしい展示や施設なので高いとは思いませんでした。
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チケットを持って受付前に並ぶと奥のカウンターから声がかかります。クールビューティーといった雰囲気の若い女性でしたが、チケットを確認して施設内の説明をしてくれて、先に潜水艦博物館に行った方がよいなどのアドバイスもくれます。淡々と説明した最後に「どちらの国からですか?」と尋ねられ、「日本からです。」といった途端にそれまでのクールな表情はくしゃくしゃの笑顔に変わり、「私は日本に行くのが夢なの!」
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受付を終えて「潜水艦博物館/The Royal Navy Submarine Museum」へ渡るボートの時間を確認して予定を組み替えます。「ボートハウス4/Boathouse 4」の建屋は絵に描いたような工場の建物のデザインです。写真の右側が北であろうことが想像されます。
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まずは駅前からも見えた「ウォーリア号/HMS Warrior」の見学からスタートします。この船は鉄製の船殻と装甲を持ったイギリス海軍最初の装甲艦で、1860年に進水し1861年に竣工しています。その前年に進水したフランスの装甲艦「ラ・グロワール/La Gloire」に対抗して建造されました。
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「ラ・グロワール」に比べても2倍の大きさを持ち、速度や装甲、備えた砲のいずれも完全に凌駕していました。「ウォーリア」は革命的な技術を採用したわけではありませんが、新型の小型蒸気機関、ライフリング付き後装砲、装甲配置と装甲の新素材、それにスクリュー推進などのアイディアを初めて1隻の船に統合しています。
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3代目になる現在の船首像は1981年から1983年にかけてハートルプールで行われていた船の再建のため、ワイト島のウートンでジャック・ホワイトヘッドとノーマン・ガチェスによって彫られました。
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ギャングウェイから甲板に上がりました。歴史ある艦船が保存されていることは少ないですが、旅先でそんな船を見学するのが好きなので「ポーツマス」へ来るのを楽しみにしていました。
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昨日「サウザンプトン」の散策で知ったウォルター・テイラー(Walter Taylor)の開発した海軍艦艇用の木製の艤装ブロック(rigging blocks)のことを思い出しました。
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レプリカですがアームストロング110ポンド砲が設置されています。武装はもともと滑腔砲40門、銃口装填型68ポンド砲、主甲板に両側19門、上甲板に追撃砲として前後各1門ずつ計画され、7.9インチ(201ミリ)の68ポンド砲は、3,200ヤード(2,900メートル)の射程を持っていました。建設中に武装は10門のアームストロング110ポンド砲、初期のライフル後装装填装置、26門の68ポンド砲、4.75インチ(121ミリ)、最大射程3,800ヤード(3,500メートル)の4門のRBLアームストロング40ポンド砲を含むように変更されました。
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妻はあまり興味がないだろうと思っていたのですが、意外にもパンフレットを手に持って興味津々のようです。そう言えば横浜の「日本丸」総帆展帆を観に行ったときも楽しそうでした。この船も総帆展帆したら迫力あるだろうなと思います。
日本丸総帆展帆:https://4travel.jp/travelogue/10726585 -
「ウォーリア」は就役中に実戦を経験することは無く、姉妹艦の「ブラック・プリンス/HMS Black Prince)」は進水当時には世界最大最強の軍艦でした。ただ当時の海軍技術の進歩は著しく、両艦とも10年後には第一線から退かざるを得なかったようです。
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1875年に「ウォーリア」は予備艦隊に編入され、さらに1883年には時代遅れとなったことを理由に退役し、武装とマストを取り外されてしまいます。その後は浮き倉庫(ハルク)として使用され、1902年から1904年にかけては、駆逐艦戦隊の倉庫船となります。
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イギリス海軍は1924年に「ウォーリア」を売りに出しますが、幸運なことに折りしも第1次世界大戦の終了により良質な鋼鉄を使用した近代軍艦が数多く解体されていたために屑鉄需要が低下しており、商業的な関心を呼び起こすことなく、それから5年間ポーツマスに留め置かれ、スクラップとして売却する計画は1929年3月に放棄されます。
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「ウォーリア」は非営利団体「マリタイム・トラスト (Maritime Trust) 」の力によって廃棄の運命から救われ、世界初の鉄製装甲軍艦としてイギリス海軍の歴史的に最も重要な軍艦のうちの1隻と認められました。1968年にフィリップ王配は復元するための会議を主催し、この年老いた装甲艦とその他の歴史的な船を保存するための非営利団体が設立されます。
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回復作業は燃料突堤への転換の際に上甲板に流し込まれた分厚いコンクリートを含む80トンものゴミを除去することから始められ、8年の歳月と800万ポンドの資金をかけて、甲板や内部区画、主機や木工品、什器類が復元され、マストや索具、煙突なども再現され、1960年代に破壊された船首像もオリジナルの写真を手本に新たに制作されました。1987年にほぼ完全に復元された状態で現在の場所であるポーツマスに到着しました。
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甲板の見学を終えた後は船内の見学に移ります。まず出会ったのがこの「手旗信号」です。「手旗信号」は手旗を使い、望遠鏡・双眼鏡で見える可視範囲で遠方への通信を行う手段で、その成り立ちから主に海上で用いられます。その起源は18世紀にフランスで考案された「腕木通信」とされています。
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それでは実演していただきましょう。自分の名前を6文字と一覧表をLineで友人たちに送って解読してもらいました。
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各コーナーには係員の方がいらして、見学者を歓待してくれます。妻の写真を撮ろうとしたら係りのおじさんが「2人で座りなさい。」といって写真を撮ってくれました。
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次のコーナーでは館内に多数展示してあるエンフィールド銃(Enfield Rifle Musket)を持たせてもらいました。あまりの重さに妻はのけぞってしまいました。係りのお兄さんも楽しそうに笑っています。
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正直この重さの銃に銃剣を付けて戦うなんて考えられないほどの重さです。今までたくさんの映画で当時の戦闘シーンを見ていますがあんなに機敏には動けなかったのではないだろうかと思います。クルーズ最初の寄港地の「ポートランド」で行った「Dデイ&WW2ミュージアム」で持たせてもらったドイツ軍のシュマイザーMP40の重さを思い出しました。
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68ポンド砲は19世紀半ばにイギリス軍によって設計され使用された大砲です。この砲は滑腔砲で、68ポンド(31kg)の砲弾を発射することができます。
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68ポンド砲は球形弾または爆発砲弾のいずれかを発射することができました。艦内にある2つのボイラーの間の炉で溶かした溶鉄の砲弾を発射することができました。
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球形弾はソリッドショット(Solid shot)、ラウンドショット(Round shot)やホールショット(Whole shot)とも呼ばれ、榴弾が登場前はもっとも一般的な砲弾でした。艦内で球形弾を造っていたというのも驚きですが、砲弾の両方が使えたというのも驚きです。
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砲手の作業手順も書かれてあります。大友克洋が製作総指揮と総監督を務めた「MEMORIES(メモリーズ)」というオムニバス映画の中に「大砲の街」を思い出しました。
https://www.youtube.com/watch?v=V-OQFslDKiI -
「サウザンプトン」の「シーシティ博物館/Seacity Museum」で見たタイタニック号のアンカーチェーンを思い出すとともにシェーヌダンクルのブレスレットの修理はいつ上がってくるのだろうと思います。簡単に継足しできるのかと思ったらパリに送ってといわれ、いくらかかるのだろうと心配しましたが思ったより安くて一安心です。
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砲手の生活エリアの厨房は船体の中央にあるのが面白いです。左舷と右舷の作業導線を考えてのことと砲を置くスペースを妨げないためなのだと思います。
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砲と砲の間に細長いテーブルが設えられ、簡素な食器でテーブルセッティングもされています。スープ用なのか液体の料理は天井から吊られたフックに掛けられ、こぼれない工夫がされています。
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睡眠も天井のフックに掛けられたハンモックの上で過ごしたのだと分かります。緊急事態にもすぐに対応できそうです。
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一見ボーリング場を思い出しますが、球形弾が整然と並べてありました。
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エンフィールド銃の下には砲弾も並べられています。
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ウェブリー中折れ式リボルバー(Webley Break-Top Revolver)らしい拳銃もこのようにセッティングされています。クルーズで立ち寄った「カルゼアン城/Culzean Castle」の邸宅の拳銃のディスプレイを考えた気持ちが少し分かったような気がします。
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航海士などの士官になるとこのような個室が与えられたようです。砲兵や水兵たちにはプライベートなんて言葉は無かったことでしょう。
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会議も行われたであろうダイニングスペースも明るく清潔で快適なスペースだったようです。
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煙突のついたダルマストーブまでありました。子供の頃には冬になると幼稚園の教室にこのようなストーブが設置されました。周りには金網のフェンスが設置されるのですが、その網の上にお弁当を置いて温めたことを思い出しました。
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船長室に至ってはこのようなゆりかごタイプのベットがありました。これであれば船が左右に揺れても緩和されそうです。ただ乗り降りは難しそうです。
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洗面台もあり快適な生活が営めそうな気がします。階級社会の一部を覗き見たような気がします。
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これだけのスペースを1人で使えたのだと考えると船長の地位の高さを感じます。
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最低でもこれくらいのスペースは欲しいような気がします。
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上級士官のダイニングルームでは係員の方が説明もしてくれました。以前に横須賀で「旗艦三笠」を見学したことがありますが、ここまで豪華では無かったような気がします。
三笠:https://4travel.jp/travelogue/10810185 -
この当時の豪華客船にも負けないようなインテリアです。
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ダイニングルームの横にはパントリーの部屋もあり、カトラリーや調味料やアルコール類も並べられています。
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さすがにバルコニー付きの部屋はありません。クルーズの後にこの博物館に来て良かったと思います。
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乾物類を貯蔵する部屋もありました。それぞれ品名が書かれてあり、お茶や豆や小麦粉やオートミールの文字が読み取れます。
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秤などもありかなり厳密に管理されていたのだと思います。
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ロール状の包帯か何かにはネズミまでリアルに再現されています。確認していませんが係留するためのロープなどにはネズミ返しなども取り付けてあったのだと思います。
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征服なども支給されたようで、シャツやブルージーンズなんて表示も見えます。
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セーラー服は帆船の船乗り(セーラー)の甲板衣が原型で、もともとの意味は水兵ではなく「帆船に乗る人」または「船乗り」を意味します。一般的には水兵服がセーラー服の原型と認識されていますが、実際にはセーラー服の一種が水兵服に採用されたとされています。1857年にイギリス海軍でセーラー服が正式に採用され、各国海軍もこれに倣って導入しました。
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1767年以前はチャタム、プリマス、ポーツマスの海軍造船所基地などで王立海兵隊師団バンドが結成され、海兵隊のバンドとそれぞれのドラム軍団がナポレオン戦争の前と戦闘中に船上で音楽を提供しました。
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王立海兵隊バンドはイギリス海軍の音楽部門であり、イギリス海兵隊の独立した要素です。現在5つのバンドと訓練棟(HMSネルソンの王立海兵隊音楽学校)で構成されており、本部はこの「ポーツマス」のホエール島にあるHMSエクセレントにあります。
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日本では「ズタ袋」とよばれますが、「ダッフルバッグ(Duffel Bag)」がきれいに並べられています。個室などの無い水兵は私物をここに入れて保管したのでしょう。ダッフルバッグの起源は17世紀にベルギーのダッフルという町にさかのぼります。「ダッフル」という名前は町で織られていた厚手のウール生地「ダッフルクロス」に由来しています。この丈夫な生地は水夫たちが個人の持ち物を入れるためのバッグを作るのに使われました。
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シャワーではなくこのような風呂桶で入浴していたようです。多分毎日入ることは出来ないだろうし、真水は貴重なので海水とかが使われたのではないでしょうか?
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巨大な洗濯機がいくつも並んでいますが、内部の構造までは分かりません。懐かしいのは上部の脱水機で、我が家にあった洗濯機にもこのような脱水装置が付いていました。ハンドルを回して手動だったのを覚えています。
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ランドリールームはたくさんのシーツが山のようです。1つの町が移動しているように見えるのは現代のクルーズ船も変わりません。
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カットラス(Cutlass)は湾曲した刃を持つ、片手で扱う刀身が短い刀のことで、舶刀(はくとう)とも呼びます。狭く障害物の多い帆船の甲板上での戦闘の取り回しに優れ、かつての帆船時代の海上戦闘や海賊の斬り込みに好んで使用されました。その刀の扱い方をここでは学ぶことが出来ました。刃の無い模擬刀が置かれてあったので練習してみました。
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「ウォリアー」の装甲は厚さ4.5インチ(114ミリ)の錬鉄と18インチ(457ミリ)のチーク材で構成されていました。鉄の装甲はさねはぎ法で連動した3x12フィート (0.91 x 3.66メートル) のプレートで構成されていました。「ウォリアー」は当時使用されていた兵器に対して事実上無敵だったようです。
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再現されたボイラー室も見学できます。昨日行った「シーシティ博物館」のタイタニック号のボイラーを思い出すとともに、こんな具合だったのだろうかと映画の「タイタニック」も思い出してみます。
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こんなシーンがあったのを記憶していますが、帰国したら急いで観てみようと思います。妻が自分で買った唯一の映画のDVDが「タイタニック」でした。
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ようやく1つの博物館の見学が終わりました。この時点でこの「ポーツマス・ヒストリック・ドックヤード/Portsmouth Historic Dockyard」の見学だけで1日抑えておいて良かったと思います。
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