2025/05/23 - 2025/05/23
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kojikojiさん
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「オズボーン・ハウス/Osborne House」の成り立ちについて調べてみるとアルバートの力によることが大きいことが分かります。王室の改革の手始めとして1841年にアルバートはヴィクトリアの教育係だったルイーゼ・レーツェンの解任を考えます。レーツェンは当時ヴィクトリアの秘書も務めており、王室の予算も諸々の人事権も握っていましたが、王室は無秩序状態になっていて、その理由はレーツェンが他人の言いなりで、また年をとるにつれて全体への配慮が行き届かなくなっていたようです。ヴィクトリアは母親同然に慕っているレーツェンの解任に猛反対しましたが、アルバートに説得されてレーツェンの解任に同意します。当時のイギリス王室では個人が目先の利益ばかりを考え、好き勝手な振る舞いをしていたようで、ウィンザー城では窓の内側と外側をそれぞれ別の部署が管理したり、王族の人々が全員外出中のときでも城では豪華な食事を用意するのが習わしで、その食事は召使達が食べてしまったようです。アルバートはこのような数々の無駄遣いや召使たちの無秩序ぶりを見て、ドイツ人らしい徹底した方法で王室全体を改革することにします。彼は職員の大半を入れ替え、王室の部署を大幅に削減しました。そのために改革前から勤めていた者も新しく入った者も真剣に働かざるを得なくなりました。当然ですがアルバートに彼らの憎悪や反発が向けられますが、特に彼らの最大の不満は職員が副業にしていた格好の収入源をアルバートが潰してしまったことでした。アルバートによるこうした数々の改革によって王室内部の混乱が一掃され、王室費は全体として2万5,000ポンドもの節減になり、さらにコーンウォール公領とランカスター公領からの収入もわずか1年の間に大幅に増加させています。やがて彼はワイト島に広大な土地を購入し、この「オズボーン・ハウス」を建て、毎年家族と過ごすようになります。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「テーブル・デッカー・ルーム」
行事がより壮大でフォーマルであるほどテーブルのセンターピースは精巧なものになりました。センターピースの製作とテーブルのセッティングは王室において芸術となって行きました。 -
「サービングリー」
食事の時間になるとこのサービングリーは家の中で最も忙しい部屋になりました。テーブルデッカーは階段を上がったダイニングルームに料理を運ぶ前に全てが完璧であるか確認しました。オズボーンハウスではフラワーアレンジメントと食器洗いは男性の仕事でした。テーブル・デッカーはイートン出身のフレデリック・ヘンリー・コックスでした。 -
並べられているさらには金年彩の縁取りが施され、中央にはロイヤル・サイファ(Royal Cypher)が描かれています。
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英連邦の領域での王室のモノグラムの使用は少なくともチューダー朝初期から公的使用が行われ、ヘンリー8世の治世後にラテン語で王や女王を意味する「レックス」または「レジーナ」の文字「R」が追加された主権者のイニシャルでした。「インペラトリックス」の文字「I」は1877年にビクトリア女王がインドの皇后になった後にモノグラムに追加されました。そこからもこの皿が造られた年代が特定できます。
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裏側には製造したトーマス・グッド社のモノグラムが対抗しているようです。トーマス・グッドは1875年にメイフェアで創業し、トーマス・グッドの息子のウィリアム・グッドによってロンドン有数の食器店に生まれ変わり、最高級の磁器やボーンチャイナを製造しました。
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「ダイニングルーム」
この絵画はドイツの画家フランツ・ヴィンターハルターが1846年に描いた「ヴィクトリア女王とアルバート公、そして5人の子供たち」です。この絵画はヴィクトリア朝の家族の理想を象徴する肖像画として知られています。左から次男アルフレッド、長男エドワード、ヴィクトリア女王、アルバート、次女アリス、三女ヘレナ、長女ヴィクトリアが描かれています。 -
ヴィクトリア女王が崩御された際にはウインザー城へ運ばれる前にこの部屋に安置されました。その時の情景を描いた絵画も置かれてありました。
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この肖像画は「プロイセン王太子フリードリッヒ・ヴィルヘルムの家族」を描いたものです。後のドイツ皇帝フリードリヒ3世となるプロイセン王太子フリードリッヒ・ヴィルヘルムとヴィクトリア女王の長女のヴィクトリアとその子供たちです。子供の1人は後のドイツ皇帝ヴィルヘルム2世となります。
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ヴィクトリア女王は9人の子供たちがヨーロッパ各国の王室や帝室と結婚したので、「ヨーロッパの祖母」と呼ばれた所以です。長女ヴィクトリアに続く長男のアルバート・エドワードは後のエドワード7世ですが、大変な問題児であったために父のアルバートはいつもこの息子のことに頭を悩ませていました。次女のアリスはヘッセン大公ルートヴィヒ4世妃となります。彼女の四女はロシア皇帝ニコライ2世妃アレクサンドラ王妃となります。
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次男のアルフレッドはザクセン=コーブルク=ゴータ公、エディンバラ公爵となり、三女のヘレナはシュレースヴィヒ=ホルシュタイン公子クリスティアン夫人となります。父のアルバートが大好きで崇拝し、頭もよくヴィクトリア女王の補佐的仕事を担いました。
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四女のルイーズはアーガイル公爵ジョン・ダグラス・サザーランド・キャンベル夫人となり、三男のアーサーはコノート公爵で、明治天皇にガーター勲章を授与するために来日しています。四男のレオポルドはオールバニ公爵となりますが、早くに亡くなります。五女のベアトリスはバッテンベルク公子ハインリヒ・モーリッツ夫人となります。
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1850年代には夕食は午後8時に提供されました。その後午後8時45分に変更されましたが、女王が到着して食事を始められるのは午後9時15分になりました。カトラリーはテーブルセッティング係が定規を使って完璧にセッティングしました。
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次女のアリスと結婚したヘッセン大公ルートヴィヒ4世の肖像画で、1861年にフランツ・ヴィンターハルターによって描かれました。
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次女のアリス・モード・メアリーはドイツ語名アリーツェ・フォン・グロスブリタンニエン・ウント・イルラントとなります。兄はイギリス国王エドワード7世となり、姉はドイツ皇后ヴィクトリア、アリスは最後のロシア皇后アレクサンドラの母となります。その後のドイツとロシアとイギリスの関係を考えると複雑な家族だということが分かります。
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ライオンの脚を持ったサイドテーブルは1847年頃にヘンリー・ウィティカ―によってデザインされました。
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豪華に装飾された天井は1857年にグルーなーによってデザインされました。後にイングリッシュ・ヘリテージによって修復されています。
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「応接室」
ヴィクトリア女王は1846年の応接室について「黄色のダマスクサテンのカーテンとそれに合う家具があり、非常に美しかった。」と表現しています。 -
この部屋は2003年に1890年当時の外観を反映するように修復されました。家具に合わせて複雑な模様のオービュッソンカーペットも造り直されました。
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インフィニティ・ミラー(合わせ鏡)は2つ以上の平行または角度の付いたミラーの構成で、無限大に空間が連続しているように配置されています。オスラー社のシャンデリアはオリジナルですが、1893年に電気配線が敷かれ電球に変わっています。
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日本では大抵が造花が使われていますが、ヨーロッパを旅していると城館のほとんどが生花を使っていることが嬉しく思います。それだけで建物が生き生きとしてくると思います。
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応接室に置かれてあるクッションカバーにはヴィクトリア女王の日記の一節が刺繍されています。「私たちは応接室に入った。そこでは子供たちがいくつかの楽器をとても上手に演奏した。」とあります。上部にはヴィクトリア女王とアルバート公の横顔がシルエットになったロゴが描かれています。
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砲門ちゅうの外国の王族はこの応接室で迎えられ、女王は夕食後この部屋でトランプをしたり、えらーるのピアノスゥ建ったり、家族と演奏を楽しみました。
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6つあるキャビネットにはカール・シュミットが描いたイタリアの古典絵画のミニチュア模写の陶板が嵌め込まれています。その精巧さと本物のような出来栄えには驚きました。
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少しふくよかなモナリザの姿もありました。
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こちらのキャビネットにはラファエロ・サンティの「小椅子の聖母」があります。フィレンツェの「ピッティ宮殿パラティーナ美術館」で初めて見た時の感動が蘇ります。
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どれも中央に聖母子像のパネルが嵌め込まれています。ヴィクトリアの子供たちへの愛情がうかがえる家具です。
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「ビリヤードルーム」
応接室とは直角に曲がった場所にあったために、男性は女王の視覚に入らずにビリヤードを楽しめました。慣例により男性たちは座る許可がない限り立っていなければなりませんでした。マグナス社製のビリや土台の上の照明器具もアルバートのデザインです。 -
ヴィクトリア女王はこのオズボーン・ハウスでビリヤードを覚え、女性たちと遊んだという記録が日記に残っているそうです。
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ベンチシートの上にはチャールズ・ウエスト・コーブの描いた「レスター修道院の門にいるウルジー枢機卿」の絵が掛けられています。トマス・ウルジー は国王ヘンリー8世の治世初期に寵臣として抜擢され、信任を得て内政や外交に辣腕を振るいました。王と王妃キャサリン・オブ・アラゴンの離婚問題に対するクレメンス7世の拒否返答により王の激怒を受け、アン・プーリンはウルジーが悪意で妨害していると思いこみ裁判所に告発します。
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ヘンリー8世の重臣に対する断罪がほとんど死罪であった中でウルジーは死罪を逃れ、大赦でヨーク大司教の地位だけは認められます。引退するどころか政治活動を再開したことから王の猜疑心を呼び起こし、教皇庁私通の容疑で逮捕されます。シェフィールド南のスクルービー城、ノッティンガムを経てロンドンへ護送される途中にレスター修道院で病死しますが絵画はそ描いています。います。
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ようやく1階の見学が終わり、エントランスホールまで戻ってきました。
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エントランスホールの正面には階段室のホールがあります。
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ホールに置かれた大理石の彫刻はドイツの彫刻家ヨーゼフ・エンゲルによる「アマゾネスとアルゴナウタイ」です。これは1846年にアルバート公のために制作され、1851年のロンドン万博博覧会で展示されました。
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アルバートは1841年に長男のエドワードが誕生した前後から枢密院のメンバーに加わり、ヴィクトリアの秘書や顧問を務めました。アルバートは1851年のロンドン万国博覧会を大成功させました。この万博の最大の呼び物は「クリスタル・パレス(水晶宮)」と名付けられた鉄とガラスでできた宮殿でした。
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彼はこの万博開催においては中心になって準備を進めており、最大の出資者も彼でした。700万人がこの万博を訪れ、収益は経費の倍以上にのぼりました。新聞各紙もこの万博の成果を絶賛し、アルバートがイギリス国民の人気を集めたのは、後にも先にもこの時だけだったそうです。
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階段室の2階はトップライトが採用され、とても明るい印象を受けます。壁面の装飾は古代ギリシャのフレスコ画を彷彿させ、「コルフ島」の「アヒリオン・パレス」の階段室のことを思い出させました。
アヒリオン・パレス:https://4travel.jp/travelogue/10373619 -
「子供部屋」
子供部屋はヴィクトリアとアルバートと幼い家族の関係を垣間見ることが出来ます。夫妻が子供部屋に簡単にアクセス出来るように彼らのプライベートな居室の真上にありました。 -
置かれている椅子は子供用のサイズの割には最高級の設えになっています。八角形のテーブルの周囲に置かれた椅子を眺めていると、この椅子に座った子供たちの家族はロシアとドイツとイギリスに分かれ、後の第1次世界大戦や第2次世界大戦へ繋がっていくと思うと恐ろしさも感じます。
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掛けられた絵画はベルギー国王レオポルド1世の娘であるシャルロッテ・フォン・ベルギエンの肖像画です。後にオーストリア大公・メキシコ皇帝マクシミリアンと結婚しますが、皇帝フランツ・ヨーゼフ1世とマクシミリアン兄弟の不和やバイエルン王家の傍流に過ぎない皇后エリーザベトに対して激しい嫉妬心もあったようです。彼らは当時のオーストリア領だった「トリエステ」に「ミラ・マーレ城」の建築に精力を注ぎます。
ミラ・マーレ城:https://4travel.jp/travelogue/11861879 -
子供部屋には家族の肖像写真も飾られていました。ヴィクトリアは母として祖母として拡大する各国王室との関係を築く役割に多くの時間とエネルギーを費やしました。
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写真は左からアルフレッド王子、アルバート王配、ヘレナ王女、アリス王女、アーサー王子、ベアトリス王女、ヴィクトリア女王、プリンセス・ロイヤル、ルイーズ王女、レオポルド王子、アルバート・エドワード(ウェールズ皇太子)です。
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「プリンス・エドワードの肖像」
現在のイギリスとノルウェーの王室はヴィクトリア女王の次男であるアルバート・エドワード王子の子孫になります。1863年に彼はデンマークのアレクサンドラ王女と結婚します。現在のイギリス王室のチャールズ3世はジョージ5世の曾孫で、ヴィクトリア女王の玄孫になります。また、現在のルウィー王室の当主であるハラール5世国王はヴィクトリア女王の玄孫になります。 -
1890年にコノート侯爵夫妻とその子供たちであるアーサー王子とマーガレット王女がタブロー・ヴィヴァンのために日本の衣装をまとった写真も飾ってあります。タブロー・ヴィヴァン(Tableau Vivant)とはテーマに沿った衣装を身につけた役者や芸術家の集団が、注意深くポーズをとって絵画のような情景を作ることです。こんなところにもジャポニスムの影響があったのだと感心します。
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右側の写真はロシア皇帝ニコライ2世とヘッセン公女ヴィクトリア・アリス(ヘッセン大公ルートヴィヒ4世の妃)で、ニコライ2世と結婚して最後のロシア皇后となるアレクサンドラの母です。左の写真はニコライ2世の娘のタチアナ大公妃とマリー大公妃、オリガ大公妃の写真です。
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ロシア皇帝ニコライ2世の軍服を着た肖像写真です。ヴィクトリア女王はたくさんの子供を授かりましたが、それぞれのその後の人生を考えると複雑な思いもあります。
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エリザベス2世女王の夫のエディンバラ公爵フィリップ王配の写真もありました。
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そして現国王チャールズ3世の写真もあります。
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この部屋からは庭園を含めた景色がとてもきれいでした。「オズボーン・ハウス」は1845年から1851年の間にヴィクトリア女王と王配アルバートのために建てられました。設計はアルバート公自身が行い、建築家はバッキンガム宮殿のメイン・ファサードを設計したトーマス・キュビットでした。
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イタリア・ルネッサンス様式の館の前には庭園が広がり、そこから伸びる1本の道は海岸線まで続いています。「オズボーン・ハウス」はヴィクトリアの気に入りの離宮で、毎夏の数か月をここで過ごしました。彼女の子供たちにとっても慣れ親しんだ場所で、海水浴も楽しんだようです。
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1861年のアルバート公の病死後は思い出のある「オズボーン・ハウス」はヴィクトリアの気に入りの家であり続けました。未亡人となってからのヴィクトリアはクリスマスをオズボーンで過ごしました。
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チケット売り場のおばさんは海岸まで行ってみてねと言っていましたが、館内の見学はまだまだ半分くらいです。とてもじゃないですが、半日では見学を終えることは出来ません。
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