2025/05/22 - 2025/05/22
12位(同エリア71件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1760冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,461,819アクセス
- フォロワー169人
潜水艦博物館から渡船で戻った後は「ボートハウス7/Boathouse 7」に移動してまずはフードコートでお昼を食べることにします。フィッシュ&チップスを注文しましたが、博物館だからかアルコール類が置いていないのはちょっと残念でした。チケットは1年有効なので表に出てパブで食事してもいいかなと思いましたが、残っている博物館や艦艇を考えたらゆっくりしている時間はありません。一息ついたところでこの建物の奥にも昨日の「シーシティ博物館」にあったようなアーケードゲームがたくさん並んでいるので素通りは出来ません。昨日は散々な占い結果だったので気を取り直して渡来しましたが、結果はまた妻の方が良いということでさらにガッカリします。「ボートハウス7」の中にも小さな博物館があり、ここの展示はかなり細かい船の建造について知ることが出来て学ぶことが多かったです。何故かここだけ日本語の解説があるのも驚きでした。次は「王立海軍国立博物館/National Museum of the Royal Navy」に移りましたが、ここではトラファルガー海戦やネルソン提督などについての展示から現代にいたるまでの英国海軍の歴史を学ぶことが出来ました。残念なのは船首像と呼ばれるフィギュアヘッド(figurehead)が展示されている2階部分がこの時は閉鎖されていたことです。1階の吹き抜けから一部が見えるのですが余計に無念さが湧き上がってきます。かなり時間が押してきましたが、まだ「ポーツマス・ヒストリック・ドックヤード」のメインの博物館である「メアリーローズ博物館/The Mary Rose Museum」と「HMSビクトリー/HMS Victory」の見学が残っていますが、残り時間は2時間ほどしかありません。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.0
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「ポーツマス・ヒストリック・ドックヤード/Portsmouth Historic Dockyard」に戻って、「ボートハウス7」の中のフードコートで遅いランチにします。それほどお腹は空いていないのでフィッシュ&チップスと飲み物で18.3ポンド、3,700円くらいです。
-
フードコートの奥にまたもや古いアーケードゲームを発見してしまいました。「The Mister's Dream」はお金だけを愛する守銭奴の悲惨な運命を20ペンスで見ることが出来ます。彼はお金を数えるのに忙しく、さらに多くのお金の入った袋を見ています。そこへ看護士がやってきて寄付を持て目ますが彼は無視します。彼に教訓を与えるために地獄の悪魔が訪れ、彼のお金と魂を奪ってしまいます。
-
「American Execution」
イギリスでの死刑は絞首刑でしたが、アメリカの電気椅子が珍しかったのでしょうか。50ペンスで処刑シーンを見ることが出来ます。人形は木製のフィギュアで100年以上前のものです。1553年にはカトリックのメアリー1世の即位を妨げるためジェーン・グレイをイングランド女王に即位させたノーサンバーランド公ジョン・ダドリーらはメアリー1世側の蜂起に敗北して死刑に処されており、イギリスは19世紀まではあまりにも死刑の適用範囲が広すぎたようです。 -
「サウザンプトン」の「シーシティ博物館/Seacity Museum」にあったものと同じクレーンゲームがここにもありました。
-
「Death df a Trailer」はこのポーツマスに関連したアーケードゲームです。
1776年にジェームス・オルケン(通称ジョン・ザ・ペインター)はポーツマス造船所のロープとピッチ(タールや原油の蒸留後に残る黒い粘性物質)の倉庫に放火しました。彼はイギリスから解放を求めていたアメリカの植民地人の救済を求めました。1777年彼はドックヤードの外で放火の罪で逮捕され起訴されました。その処刑場の情景を20ペンスで見ることが出来ます。 -
「Disappearing Disc」はディスクを投入して遊ぶゲーム機で、アメリカのMagicという会社が製造したものです。1950年代に人気を博したこのゲームはディスクが消える前にディスクをキャッチするというものです。
-
「Haunted House」は名前の通りの幽霊屋敷で、有名なカノ(Cano)というメーカーで造られました。フィギュアの細部まで細かく造られており、10カ所が動くようになっています。
-
「The Burglar」は泥棒という名前の通り、家主が寝ている寝室の中を泥棒が徘徊しています。このタイプのオートマタ(Automata)と呼ばれる自動人形はイギリスの海辺のリゾート地でよく見られました。
-
天后士と書かれた祠の中に道士のような人物が座っています。20ペンスを投入してクリスタルボールを覗くと未来が見えてきます…。
-
「Scientific Automatic Palmistry」がありました。これは素通りできません。昨日は妻の方が良い占いが出たので再度挑戦します。
-
今回も妻が先にトライしました。
-
あなたの手相は支配的な性質で、物事のやり方を指図することを好まないことを示しています。あなたは召使になるよりも主人になることを望みます。非常に率直な性格はトラブルになる可能性があるため細心の注意を払って行動してください。また、あなたは人生の深刻な側面に目を向けすぎてしまう傾向もあります。あなたの独立性と自分で選んだ仲間への愛着は人間関係、特に職場では困難をもたらす可能性があります。読書はあなたの人生において大きな役割を果たしています。
-
あなたの手相は愛する人のためにどんな犠牲もいとわない気質を表しています。愛情深く人付き合いを求めるため少しうぬぼれが強い傾向にあります。恋愛においては理想的なパートナーになります…。やっぱり妻の方が良いことが書いてあって、妻の「主」に対して「従」のようなことが書かれてあります。
-
「Night Watchman」はレンブラント・ファン・レインの描いた「夜警」をモチーフにしたミューズメント機械です。
-
「The Mysterious Hand」がありました。昨日のジプシー浦真央tpは、アタ違ったキャラクターですが仕組みは一緒です。
-
50ペンス硬貨を投入すると水晶玉に手を置いたオートマタが羽ペンで文字を書いていきます。
-
出てきました。
-
郵便配達が間もなく2通の手紙を持って来るでしょう。1通は長年連絡を取っていない親戚からのものです。もう1通はあなたの経済状態に大きな変化をもたらすでしょう。あなたを悩ませていた問題は、あなたが海外旅行へ行く頃には簡単に解決するでしょう。妻の経済状態に変化をもたらすのは私の預貯金のことを指すのでしょうか…。
-
あなたは幸運の星の下に生まれ、愛情深い性格に恵まれています。しかし、いわゆる親友たちはあなたの善良な性質を利用しようとするので用心してください。この「親友」というのが妻のことだということはすぐに分かりました。
-
「The Piledriver」パイルドライバーは杭打機のことです。回転する盤面には12カ所の丸い窓があり、その中には景品の時計が入っています。右のボタンを押すと6時方向の矢印が下に降りて、薄いレバーを上手く押せると景品がもらえます。景品が1つも減っていないのはそれだけ難しいのだと思います。
-
「Dance with the Wombles」はイギリスの児童文学とテレビ番組のキャラクターでもあるウォンブルズ(Wombles)の操り人形です。コインを入れるとダンスを見せてくれるようです。ウォンブルズはロンドンのウィンブルドン・コモンに住み、人間が遺したゴミを再利用して役立つものを作っています。ウォンブルズの物語はエリザベス・ベレスフォードによって書かれ、1970年代にはキャラクターをフューチャー下バンドが結成されました。
https://www.youtube.com/watch?v=XWQMMPFtoG4&list=RDXWQMMPFtoG4&start_radio=1 -
ブライアンズ・ペイラミッド社のペニースロットマシンです。1950年代から60年代にイギリスで製造され、20ペンス硬貨を使用してプレイします。レバーを引いてボールを落とし、特定の場所にボールが入ると商品や追加のプレイ権が得られる仕組みです。
-
「Win a KitKat」は文字通り勝てばキットカットがもらえるゲームです。昔のパチンコのように右下のレバーで金属製のボールを弾き、その球が2周すると景品のマラエるエリアに到達し、うまく乗ればお菓子が貰えるわけです。日本におけるパチンコのおこりは大正時代にヨーロッパから輸入されたこのような「ウォールマシン」に由来するといわれています。
-
「ボートハウス7」には造船関係のミニ博物館のような施設もありました。何故かこの博物館のキャプションは英語とフランス語とドイツ語とスペイン語と日本語でした。
-
この「ボートハウス7/Boathouse 7」は元々造船工によって1790年代に建てられた建物があったそうです。マスト材とボートを補完するための池の中に杭を打ってその上に建っていることからボートハウスと呼ばれたようです。その後、木製の杭が劣化したことで鋳鉄製の杭に交換されています。
-
まずはその造船工たちの道具箱が並んでいます。その当時は各人がこんな大きな道具箱を持っていたようです。
-
その道具箱の間には何体かの蝋人形が置かれているのですが、そのリアルな造りに驚いてしまいます。蝋によるデスマスク等は古代から作られていたようですが、教会への蝋人形の奉納としての蝋模型の制作の慣習は中世を通じて行われていました。
-
ルネサンス期にフィレンツェで最初に実用されたムラージュでの実習または人体解剖学や様々な疾患の表現手段として蝋は主要な素材として利用されました。フィレンツェの「スペーコラ美術館」は多数の人体解剖蝋人形やムラージュを所蔵している個人的には好きな美術館です。
スペーコラ美術館:https://4travel.jp/travelogue/10361715 -
左側には木造船における木材の隙間をコーキングすることの重要性が説明され、その作業に使われる工具が展示してあります。右側には北欧や北米から輸入された丸太を乾燥させて、先細りの丸太に加工し、金具は赤く焼けた状態の物を取り付けると冷却するにつれて収縮してサイズが合うと説明しています。
-
地元の友人は東京都のマイスターで神輿や神棚などを作っています。その工場へ行くと同じような道具が並んでいます。
-
親方と見習いなのか息子なのか、2人で古いボートの修理を行っているようです。こうやって修理を行うことで何十年と使いまわすことが出来たのでしょう。
-
友人の工場でも何十年前にお父さんが仕入れた木材を息子である友人がいまだに使うことが出来ています。国は違っても職人の気質みたいなものは変わらないのだろうなと思います。
-
銅釘(Copper Nail)のサイズ表です。銅釘は耐食性があるので造船では鉄釘よりも適した材料だったのでしょう。それにしてもそのサイズの多さには驚きます。
-
これは懐かしい木材のサンプルです。メープル材の一種のシカモアの文字が読めます。これは以前のエルメスの店舗でよく使われていた材料なのでいろいろ思い入れがあります。ほとんど木目が無いのですが、昔から店舗の内装についてもクオリティの高いブランドでした。
-
木材造船工から鉄材造船工へ返還していく過程ではかなりの時間がかかりました。1830年代には造船工は鉄製の船は一時的な流行とみなしていましたが、1860年代になると最初の造船所で造船工が鉄材の技術を覚えることに納得しました。新しい技術の1つがリベット法でした。
-
産業革命の時代とも重なり、動力を使った加工機械も導入されていきました。このような機械が導入されても最終的な仕上げは造船工が行う必要はありました。
-
それまで手で加工されていた艤装ブロックなども機械で加工されています。戦艦ヴィクトリ―号のような船には900個以上もの滑車が必要とされ、ナポレオン戦争時には1年に10万個の滑車が必要とされました。
-
こうやって図面上に描かれると、船体を眺めるよりも細かく必要な部材が目に見えてきます。若い頃は店舗の細かいパネルの組み合わせや小サイズを手描きで図面化していましたが、この歳になるとそんな根気も湧いて来なくなります。この30年ほどで製図もCADというソフトで簡単に描けるようになりましたが、手描きの時代は大変でした。
-
金属製のロープもこのような作業台の上で撚り継ぎされたようです。
-
あらゆる種類のロープが海上や造船所で使用され、見習いは各種のロープやその用途ごとの結び方を熟知しなければなりませんでした。
-
ロープワーク( ropework)はロープの基本的知識(素材、強度、構造)、ロープの選定法、ロープの管理法、ロープの結び方など、取扱いの全てを含む技法並びにその体系のことで、すべての結びは掛け(バイト)と巻き(ターン)、しばりの三要素からなります。
-
ノット (Knot)はロープが1本あれば完結し、役割を果たせる結びのことです。ベンド (Bend)はロープの末端同士を結ぶもので、2本のロープをつないで1本にする場合、1本のロープの両端を結ぶ場合もあります。もともとBendは曲げるの意味があります。ヒッチ (Hitch)はカラビナや木などの物に固定する結びで、つなぐや結びつけるの意味があります。。
-
この機械は木材に穴を開けるために設計されたもので、直径1.2センチ、深さ90センチまでの穴が開けることが出来ました。
-
HMSシリウスの名前が書かれたパネルです。過去200年の間にこの名前を持つ英国海軍の船は7隻ありました。シリウス(Sirius)は、おおいぬ座で最も明るい恒星で、全天21の1等星の1つであり、太陽を除けば地球上から見える最も明るい恒星です。シリウスはギリシャ語で「光り輝く者」や、「焼き焦がす者」を意味するセイリオスに由来しています。
-
1966年の年号からポーツマスで建造された最後から2番目のフリゲート艦のシリウスの物のようです。この艦がシリウスの名前を冠した7番目の艦艇です。
-
鉄のしようが増加するにつれて鉄砲工、鎖工、いかり工、トロール船工など様々な分野に発展しました。後には船のための鉄製備品も造られるようになり、暖炉や料理に使うオーブンを造る職人もいました。
-
錬鉄は様々な形で船舶に使われました。これは鉄製の船舶の建造と共に拡張し、技術も向上しました。
-
溶けた鉄から鋳物を造る前に鋳造する物の正確な複製を作る必要があります。型職人は図面に基づいてイエローパイン(シカモア)材を彫刻しました。
-
上の写真の木製の型を元に鋳造されるとこの写真のような艦艇バッジが出来上がるのだと分かりました。
-
金属は青銅器時代からずっと砂を使って鋳造されてきました。造船所での最初の鋳造はおそらく1700年代初頭の頃になってからです。最初の鋳造所は銅を精錬するためのもので、それは薄い板状に伸ばされた銅板でした。それは海中の生物が繁殖するのを防ぐために船の底に取り付けられました。
-
造船所では170年代に最初の蒸気機関が使用されましたが、それが船上で用いられたのはさらに何年も後のことでした。これはエンジン整備工、ボイラーメーカー、配管工など新しい技術者を雇うことが必要となりました。
-
英国海軍ペーターレルの船首像です。船首像またはフィギュアヘッド(figurehead)は、船首に取り付けられた木彫りの装飾品であり、一般に船の名前や役割に関連したデザインのものが取り付けられました。
-
HMSポーツマスの救命浮環です。H.M.Sは「Her/Her Majesty's Ship」の略で、Apprenticesは実習生や見習いを意味します。
-
通常は木綿の旗布が用いられましたが、時には絹が使われることもありました。ここではミシンが重要な道具でした。旗に加えて職人はいろいろな種類の布製バックやオーバーオールなども作りました。
-
ビクトリア時代より旗作りは例外として女性によって行われました。彼女たちは乗組員や造船所の従業員の妻や未亡人でした。旗は司令官の階級や戦場においては敵味方を見分けるのにたいへん重要な方法でした。ローマ軍の軍機の例にもあるように本来の「旗」は帆柱に刻まれたシンボルでした。
-
セイルメーカーは造船所の中の最も古い技術の1つでした。縫帆手は船の中で帆布からできるもの全てを作ります。帆船では帆、ハンモック、日除け、ベットカバーも含まれます。現代の軍艦ではしぶき除けの隔障、バッグや武器カバーも含まれます。
-
何も説明がありませんでしたが、船内の祭壇に飾られたであろう祭壇彫刻も造船工によって造られたのでしょうか。
-
1988年のオーストラリア建国100周年を記念して、ロンドンのホワイトホールで開催された見習工展に出品されたカンガルーの「スキッピ―(Skipy)」です。船舶の換気装置のダクトで用いられる1.6ミリのアルミ材で作られています。
-
「ボートハウス7」を出て奥に並ぶ「王立海軍国立博物館/National Museum of the Royal Navy」に向かいます。HMSベンボウはロザハイスのブレントによって建造され、1813年2月3日に進水した74門の砲を持つイギリス海軍の艦艇でした。船首像は1895年に船が解体されたときに保存されて王立博物館のコレクションとなりました。
-
「王立海軍国立博物館」は展示があまりにも多岐にわたっていて、詳しい歴史を知らないとどこから手を付けていいのか体系を把握することも難しいです。だいぶ時間も押してきてしまったので興味を持った物だけ見ていくことにします。
-
1734年の船員の1週間の配給が書かれてあります。毎日パンまたはビスケット、週3回はオートミール、週2回の漬け豚肉、週4回の乾燥エンドウ豆、週2回の漬け牛肉、週3回のチーズとバター、週56パイントのビールが食べられたようです。ビールは1日8パイントというと0.5リットルのジョッキ8杯分になります。もっとも航行中の帆船の中では真水よりも保存のきいたビールの方が都合が良かったのではないでしょうか。
-
当時の艦載砲の威力では船体を完全破壊する事は不可能だったようですが、自立航行が不可能になるまで損傷を負わせる事や白兵戦の前段階として敵艦の兵を死傷させる事は可能でした。16世紀の西地中海においてオスマン帝国が常に制海権を握り続けたのは船舶の性能差もありますが、それよりも大砲の性能差による部分が大きかったようです。また1571年のレパントの海戦においてもスペインを中心とした連合軍による地中海の覇者オスマン帝国の撃破には大砲の火力が大きく貢献していました。
-
HMSランス(HMS Lance, G87) はイギリス海軍の駆逐艦で、3門のQF4インチMk IV砲を備えていました。この砲は第1次世界大戦でイギリス軍が最初に砲弾を発射したものとして知られています。
-
ヒア・マイ・ストーリー(HMS)ギャラリーは大きな変化の時期にイギリス海軍に仕えた男女の個人的な物語を語っています。第1次世界大戦からフォークランド諸島、イラク、そしてその先の生きた記憶までが展示されています。
-
展示されていたダッフルコート(duffle coat)を見て、これが本物かと思ってしまいました。起源は16世紀頃にトルコからハンガリー経由でポーランド・リトアニア共和国に入ったツァマラ(Czamara)という民族衣装です。19世紀頃にはポーランドの民族衣装として一般化して1850年代にはヨーロッパ中で流行しました。第2次世界大戦時にイギリス海軍で防寒着として広く使用され、その余剰在庫品が大戦後に市場に出回ったことで一般化しました。
-
中央のモニターの画面にはナチスドイツの国旗と日本の日の丸が半分づつデザインされています。
-
ロイヤル・ネービーはブランド化され、ネイビーカットタバコはノッティンガムにあるジョン・プレイヤー&サンズ(JP&S)によって製造されたタバコ製品のブランドで、パッケージには、「ネイビーカット」の帽子をかぶった船員の特徴的なロゴが描かれていました。1970年代のF1のロータス 78 (Lotus 78) の黒いボディのJP&Sのロゴがカッコよかったことを思い出します。
-
江蘇臨海ヤマハモーターのエンジンを積んだ古いバイクが展示されていました。
-
ボーフォス砲Mark1(Borfors Gun Mark1)は第2次世界大戦中に航空機による攻撃から艦艇を守るために使用された最も効果的な軽機関砲でした。様々な官邸に搭載され、護衛空母には14門も搭載されました。
-
毎分120発の砲弾を発射し、高度3800メートルまで効果を発揮しました。第2次世界大戦中には航空機の攻撃によりイギリス海軍の艦艇84隻が沈没しました。
-
その横には様々なサイズの砲弾が展示してあります。今回の旅ではいろいろな場所で砲や砲弾を見てきました。
-
イギリスの国立海洋学センターが開発した自律型無人潜水機Autosub Long Rangedesu.最大航続距離は6,000キロ、最大浅水深度は6,000メートルでした。主に南極海の深海を調査するために設計されました。
-
イギリス海軍師団は第1次世界大戦時にイギリス海軍が編成した陸上戦闘部隊です。正式名称は王室海軍師団(Royal Naval Division, RND)で、ガリポリの戦いに参加しました。1916年に陸軍省に移管されて第63師団へ改編され、その後は西部戦線で戦い、当時の海軍大臣だったウィンストン・チャーチルが創設を主導したため、ウィンストンの小陸軍(Winston's Little Army)と俗称されました。
-
イスタンブールからエーゲ海を経由してアドリア海をトリエステまで往復するクルーズでは船上のバルコニーからダーダネルス海峡を眺め、ガリポリ半島の先端では「ヘレス岬記念碑」を望むことが出来ました。ガリポリの海に水葬された20,763人の人々を追悼するために建てられたものでした。ウィンストン・チャーチルはこの作戦の立案者であったため失脚しています。
-
そんな事実を知っているとここに並んでいる新兵募集のポスターを見ていても複雑な気分になります。「英国海軍に入隊して世界を旅しよう!」なんて嘘くさいです。
-
「覚えておけ!」「イングランドは期待している。今日必要としている。」「あなたは15歳から40歳ですか?もしそうなら海軍は栄光ある奉仕のためにあなたを必要としている。」「熟練した職人、船員、そして少年たち、経入隊せよ!」
-
「英国海軍への入隊方法」「知的で教養があり、品行方正な少年や青年を募集」「世界に貢献する素晴らしい機会」「良好な丘陵と将来性、充実した年金」「15歳以上18歳未満募集」
-
最期はネルソン提督についての部屋がありました。初代ネルソン子爵ホレイショウ・ネルソン(Horatio Nelson, 1st Viscount Nelson)はアメリカ独立戦争やナポレオン戦争などで活躍したイギリス海軍の提督です。
-
1793年のフランス革命戦争の勃発により、戦列艦アガメムノンの艦長に任ぜられ、地中海方面に展開します。10月にフランス艦との戦闘を初めて経験し、1794年にコルシカ島で陸上戦闘を指揮し、カルヴィ攻略戦で右目の視力を失います。1797年にサン・ビセンテ岬の海戦に参加して功績をあげますが、カナリア諸島のテネリフェ島の攻略に失敗し、戦闘で右腕を負傷し切断します。初めて隻眼で隻腕の提督となった経緯を知りました。
-
10年前に妻とロンドン市内をかなり細かく旅したことがありました、トラファルガー広場で見たネルソン記念柱の模型が置かれてありました。
トラファルガー広場とナショナル・ギャラリー:https://4travel.jp/travelogue/11048482 -
1840年から1843年にかけてホレーショ・ネルソン提督の業績を記念するために建造され、高さ5.5メートルのネルソン像が頂上に据えられており、その台座としては高さ46メートルの大理石の柱が用いられています。
-
「ネルソン提督」E・ブルック・ヒッチ
1951年にポーツマスのサウスシー・コモンもネルソン像が建てられました。1805年9月14日にトラファルガーの海戦に向かうネルソンが船に乗り込んだ場所の近くに立っています。この像が原型で彫刻家からこの博物館に寄贈されました。 -
「ネルソン胸像」ジョン・フラックスマン
1818年にセント・ポール大聖堂にネルソンの公式記念碑が建てられました。ジョン・フラックスマンは1805年に造られたこの胸像を元に像を作りました。 -
トラファルガー海戦150周年を記念して作られたロイヤル・ドルトン社製の水差しです。会社勤めを初めてすぐに行ったシンガポールの旅で、何を思ったのかロイヤル・ドルトンのカーライルの6客揃えのフルセットを買ってしまったことを思い出しました。
-
「スタッフォードシャー陶器」
これらはネルソン提督記念陶器の中でも一般的なものです。非常に安価に作られ、着色工程はかなり単純だったために熟練工を必要とせずに大量生産することが出来ました。当時は数シリングで販売されていましたが、現在はコレクターズアイテムになっています。 -
これは長年デスマスクと信じられていましたが、現代の研究により1800年にウイーンでネルソンの顔から模られたものだと分かっているそうです。
-
ジョサイア・ウエッジウッドは1759年にバースラムで有名な陶器工場を創業しました。1800年までにウエッジウッドは確固たる地位を築き、通常はクラシックな高質陶器を製造していました。もっとも人気のある製品の1つは当時の著名人の肖像画メダリオンでした。ジョン・デ・ヴァールによるネルソンのメダリオンはナイルの英雄の肖像画を求める需要に応えるため1798年に制作されました。
-
「トラファルガー海戦」トーマス・ルニー
この絵は1805年10月21日午後2時30分頃の光景で、イギリス艦隊はフランスとスペインの隊列を突破し、戦闘は混乱した歓待のもつれあいになっています。中央の集団にはHMSヴィクトリーがあり、ネルソンの最後の信号「敵にもっと接近せよ。」の旗を掲げています。右側にはフランスのルドゥータブルの姿があり、この船から放たれた狙撃手の銃弾をネルソンは受けます。 -
射撃を受けて勝利の報告を受けながら死に行くネルソンはハーディ艦長に「私を祝福してほしい(私のほほにキスしてほしい)」と喜んだそうです。臨終の間際にあってネルソンは「神よ感謝します、私は義務を果たしました」とささやき、最後の言葉は「神よ祖国よ」でした。
-
トラファルガー海戦はネルソン提督指揮のイギリス海軍がナポレオンの派遣したフランス・スペイン連合艦隊をスペインのトラファルガー岬沖合で破った海戦のことです。ナポレオン戦争における最大の海戦で、イギリスはこの海戦の勝利によってナポレオンの英本土上陸の野望を粉砕しました。
-
「エマ・ハミルトン婦人」
ネルソンと暮らしていたマートン・プレイスの一室を再現しています。肖像画は2歳当時の娘のホラティアで、マートンにあった椅子も置かれてあります。彼女のドレスはレプリカですが、1799年のシチリア島のパレルモでのネルソン41歳の誕生日を祝うパーティーのために作られたものでした。 -
「HMS VICTORY Museum of Panorama」に移ります。この建物の2階は船首像のコレクションがあるので見学を楽しみにしていましたが、施設の都合なのか見学できるのは1階だけでした。1階は吹き抜けになっているので、2階に並ぶ船首像が見えるのが恨めしいです。
-
国章はイングランド、スコットランド、ウエールズ、北アイルランドからなる連合王国を象徴しています。紋章の左には金色の獅子、右側にはユニコーンが描かれています。下のリボンには「Dieu et mon droit(神と我が権利)」とフランス語のモットーが書かれています。このモットーは12世紀後半のリチャード1世が船上で使った雄叫びに由来すると言われています。
-
1階にも1つだけ船首像が飾られてありました。HMSイラストリアスの物で美しく化粧直しされています。1801年2月にキールが置かれたロザハイスでランドール&ブレントによって建造され、1810年にイル・ド・フランスを占領した艦隊にも参加し、その後は1811年のインドネシアのジャワ侵攻にも参加しました。
-
木材の適材適所の展示も面白いものでした。木材の育った場所によりその剛性を利用して、木造船の部材として使ったということが良く分かります。東洋の木造建築にも通じるものを感じます。
-
戦艦ヴィクトリ―号の初代の船首像の職掌模型が展示してあり、その美しさには目を奪われます。
-
国王ジョージ3世の胸像を翼のある勝利に女神と平和の女神が造を支えています。
-
キャプションの最後には「1803年以降のデザインはこのギャラリーの2階でご覧になれます。」とありました。係員のおばさんに見せてもらえないかお願いしようかと本気で考えました。
-
「クラレンス・ヤードのヴィクトリ―号」作者不明
19世紀後半にポーツマス港に停泊するヴィクトリ―号です。この後この船の中に入れるわけなのでテンション上がります。背後には海軍の食品補給の施設である対岸のゴスボートのロイヤル・クラレンス・ヤードが見えます。 -
「ヴィクトリ―号」作者不明
ポーツマス港のヴィクトリ―号を描いています。 -
「1928年、メインヤードのHMSヴィクトリ―号」ウィリアム・ライオネル・ワイリー
ポーツマス造船所のドライドックに停泊中のHMSヴィクトリ―号とメインヤードで作業する作業員が見えます。ワイリーはヴィクトリー号の修復に携わり、その過程を描いた絵画やデッサンを数多く残しました。 -
「ワイト島沖に停泊中のヴィクトリ―号」ジョン・ウィルソン・カーマイケル
1805年12月4日、ワイト島沖に停泊中のヴィクトリー号。ネルソン提督の遺体が乗せられていました。 -
「トラファルガー海戦」ニコラス・ポーコック
1905年10月21日正午頃にヴィクトリー号が敵戦線を突破した瞬間を描いています。 -
背景の左側にはコリングウッド中将の師団が敵と交戦している様子が描かれています。オランダを旅しているときに美術館でも同じような絵画をたくさん見ました。中には爆破されて空中を飛んでいる乗組員の姿まで描かれていました。
-
「ヴィクトリ―号」スティーブン・ボーン
20世紀半ばのポーツマスのドライドックに停泊するヴィクトリ―号の船尾の姿です。 -
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2025英国クルーズの旅1
-
前の旅行記
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(33)ポーツマス海軍基地のボートハウス4からボートに乗...
2025/05/22~
ポーツマス
-
次の旅行記
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(35)ポーツマス海軍基地のネルソン提督の旗艦ヴィクトリ...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(31)テューダー朝の家と街歩きを終え、デューク・オブ・...
2025/05/21~
サウサンプトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(32)サウザンプトンからポーツマスへ移り、ポーツマス海...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(33)ポーツマス海軍基地のボートハウス4からボートに乗...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(34)ポーツマス海軍基地のボートハウス7と王立海軍国立...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(35)ポーツマス海軍基地のネルソン提督の旗艦ヴィクトリ...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(36)ポーツマス海軍基地の驚異の沈没船、メアリー・ロー...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(37)鉄道駅の中に船乗り場を見つけて無事にワイト島のラ...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(38)ダブルデッカーの路線バスに乗ってオズボーンハウス...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(39)オズボーンハウスにビクトリア女王とアルバート公の...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(40)ビクトリアの描いた絵画に驚き、終を迎えたベットに...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(41)オズボーン・ハウスの庭園を散策してライドの町へ戻...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(42)ライドからニューポートへ向かい、最後はヒッチハイ...
2025/05/24~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(43)ポーツマスへ戻る前にクオーアーアビーで修道院ビー...
2025/05/24~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(44)ポーツマスから36年振りのブライトンに到着。まず...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(45)36年の時を経て、ようやく妻を連れてロイヤル・パ...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(46)ブライトン・ミュージアム&アートギャラリーでモッ...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(47)ブライトンの街歩きと夜のパレス・ピアでアーケード...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(48)早朝のブライトンの街歩きで36年前の旅のことを思...
2025/05/26~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(49)セブンシスターズの断崖を歩き、英仏海峡の上を飛ぶ...
2025/05/26~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(50)旅の終わりのブライトンで若い頃に観た映画「さらば...
2025/05/26~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(51)旅の最後にようやく雨のイギリスを体験し、ヒースロ...
2025/05/27~
ロンドン
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2025英国クルーズの旅1
0
106