2025/05/25 - 2025/05/25
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kojikojiさん
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「ロイヤル・パビリオン/Royal Pavilion」はジョージ4世が摂政皇太子時代に「ブライトン」に海辺の別荘として建てた王室の離宮です。当初は小規模でシンプルな建物でしたが後に大幅に増築され、インド・イスラム風の外観と中国風の内装を持つ宮殿へと変わっていきます。1783年、摂政皇太子時代の1783年にブライトンの浜辺を気に入り、農園の館を別荘として借りたのが「ロイヤル・パビリオン」の始まりです。当時の「ブライトン」は小さな鄙びた村でしたが1750年に「海水浴」を健康法として初めて唱えた医師のリチャード・ラッセルの診療所兼邸宅があり、これをきっかけに上流・中流階級の人々の保養地として人気を集め始めていました。そこに皇太子が別荘を持ったことで高級リゾート地としての地位を確立していきます。1787年に皇太子は建築家のヘンリー・ホランドに改装を命じ、新古典主義の外装にバロック様式の内装を持つ離宮を完成させます。その後に中国製の壁紙を贈られたことから当時流行していたシノワズリーを取り入れたものに全面改装することを決め、ピクチャレスクの代表的建築家であるジョン・ナッシュ の設計で1815年から7年をかけて大改修を行ないます。ピクチャレスクは多様なスタイルを取り入れる折衷主義と意外性を特徴としていたことから、インド、イスラム、中国を混合した独特なデザインのエキセントリックな宮殿が完成しました。モスクワのクレムリン宮殿を模したとも言われたドームと列柱が印象的な外観に対し、内部は竹や龍、蓮や塔といった中国的なシンボルや中国風の絵画や文様が随所に散りばめられ、西洋と東洋が混ざり合った奇妙かつ豪華な装飾で覆われています。材料として当時の最新の鋳鉄が使われたことも特徴的で、構造に使われているだけでなく細く装飾的な柱や、一見すると竹製に見える階段手すりなども鋳鉄製です。公共の建築において鉄がむき出しで使われたのはこの建築が初めてともいわれます。岩倉使節団が「ブライトン」を視察したことで日本でも大磯など海岸リゾート地に別荘を持つことが高官の間でブームとなったとも言われています。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「ロング・ギャラリー」から「バンケットルーム」へと進んでいきます。
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テーブルの上のセッティングは開催されていた「カラー展」に合わせた設えになっているようです。
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キャビネットの上には見事な細工を施した銀器が並んでいます。モスクワのクレムリンの博物館には1点が30キロ以上の銀器が並んでいましたが、これらは装飾品として細工の美しさより重さが重要だったそうです。戦争になると銀器を鋳溶かして銀貨にして戦費として使ったという話を思い出しました。
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壁面は1818年から1820年にかけてロバート・ジョーンズとその助手によって中国の生活を描いた想像画が掛けられています。
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これらの絵画は1847年から48年にかけて撤去されましたが、後に元の場所に戻されています。この花嫁の描写はロバート・ジョーンズが想像上の中国を愛した理由である富と権力と贅沢を表しています。
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中国を旅してもこのような美術品に出会うことは絶対になく、ヨーロッパの宮殿や城館人に残された中国趣味のインテリアや調度品を眺めるのは楽しいものです。
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絵画の中には1864年にフランス人亡命画家のアントワーヌ・デュリーによって描かれたものもあるようです。
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これらはロンドンの装飾会社パンタエニウス&オーウェンのフレデリック・パンタエニウスのデザインに基づいています。
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これらはロバート・ジョーンズのオリジナルの影響を受けていることは明らかです。
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麒麟でも描こうとしたのでしょうか?いろいろな獣や鳥を組み合わせた神獣の下半身はヒッポカムポスのように半魚の姿になっていますが、これは中国では見られない表現です。豪華な台座の付いたランプは1820年にロバート・ジョーンズによってデザインされたもので、真鍮製本体に青いスポード焼きが組み合わされています。龍など中国由来やインドの古典に由来するデザインになっています。同様の物が8台置かれています。
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細長い「バンケットルーム」の左右は同じようなデザインになっています。これだけの部屋をいくつかの暖炉だけで温めることが出来たのでしょうか?
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曲面に膨らんだ茶色に金彩の壁に中には鳳凰や空想上の獣や星や惑星が絵かが手ています。さらにその中にはフリーメイソンの万物を見通す目が隠されています。ジョージ4世は皇太子時代からフリーメイソンのロッジのグランドマスターを務めていました。
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中央に置かれたテーブルの中心にはドーム天井があり、エキゾチックなヤシの葉が描かれています。吊り下げられたシャンデリアは約9メートルの高さがあり、重さは1トンにも及びます。
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鏡面の星を通って降り注ぐカットガラスからは6匹の龍が蓮の形をしたシェードを通して光を放ちます。
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このシャンデリアはロバート・ジョーンズによってデザインされ、1819年頃にウィリアム・ペリー社によって製作され1829年に設置されました。
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映画「エイリアン」のクリーチャーデザイナーとしても有名なハンス・リューディ・ギーガー(Hans Ruedi Giger)を思い出すようなリアルなドラゴンです。
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ドームの周囲には鳳凰をデザインのモチーフとした少し小さいシャンデリアも設けられています。まさにピクチャレスク(Picturesque)的な美の極致ともいえるホールです。
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18世紀初期から主流となっていた新古典主義建築に対する反発もあって18世紀後期から19世紀初期にかけて、ピクチャレスクな建築や造園が流行りました。ピクチャレスクを得意とした建築家や造園家にウィリアム・ケント、ジョン・ナッシュらがいます。
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ピクチャレスクはある特定の建築様式を示す言葉ではありませんが、一般に自由な構成、不規則性、荒々しさ、想像性、幻想性、多様性、折衷主義などを特徴とするものを指します。
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「バンケットルーム」の隣にはテーブル・デッカーズ(Table Deckers)の部屋があります。テーブル・デッカーズとは王室特有の食卓の各料理や装飾の置き場所を指定する役割を担う召使いのことです。
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その奥には「グレート・キッチン」と呼ばれる厨房があります。「キングス・キッチン」とも呼ばれ、1816年にジョン・ナッシュの設計で建てられました。調理器具は1817年にロンドンの金物屋ウィリアム・スラークによって提供されました。
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調理器具の用途はロースト、蒸し、そして国王の好んだ濃厚なソースを作るために使われました。ここに並ぶ550の調理器具はロンドンにあるウェリントン侯爵の邸宅アプスレーハウスにあったものです。
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トップライトの天井は明るさと開放感の他に換気の面でも実用的でした。写真にはありませんが中央のテーブルの脇には4本のヤシの木の装飾が置かれています。これはジョージ4世がキッチンを宴会場の延長と考え、来賓をここへ案内したそうです。
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スモークジャックと呼ばれるオーブンには蝋細工の食材が並べられ、その当時の調理の情景が分かりやすく展示されています。日本の精巧な蝋細工に比べると稚拙な感じは否めません。スモークジャックは煙突の中を昇る熱の上昇によって羽が回転し、その動力で肉を回転させていました。
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フランスのロワール渓谷の城を十数カ所見学した時は、晩秋ということもあり暖炉には火が入れられ、キッチンの野菜などは本物が置かれてあり驚いたことを思い出します。
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当時銅製の厨房器具は貴重品で非常に珍重されました。しかし、銅は内部を頻繁に錫メッキしないと緑青による中毒など健康被害を起こす可能性がありました。ヨーク侯爵はここで調理されたパテによって食中毒にかかりました。
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再び「バンケットルーム」へ戻りました。
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衣服や人物の顔は中国風ですが、人物の仕草などは西洋絵画としか思えません。清朝の時代にジュゼッベ・カスティリオーネという最盛期に3代の皇帝に仕えた耶蘇会士のイタリア人画家がいます。
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彼の作品の中では「乾隆帝朝服像」という肖像画が有名ですが、彼の描く中国人とここに並ぶ人物像は全く違うように思えます。実際にその風俗を見ていないので仕方ないのかもしれませんが、逆にその想像の世界に魅力も感じます。
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茶色の地に金彩で描いた鳳凰やナーガと呼ばれる蛇王、マカラという怪物などは中国というよりもカンボジアを強く感じます。ようやくフリーメイソンのシンボルを見つけることが出来ました。
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ようやく「宴会場」の見学が終わりました。実際は家具などのディティールの写真も撮っているのですが、旅行記が終わらなくなりそうなので先に進みます。
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「サロン」の途中にある「音楽室」のギャラリーにはギリシャ風のイルカの脚部にエジプトを思わせるスフィンクスが支える中国風の絵画が施された照明カバーがあります。絵画はシノワズリーでもシルエットはギリシャ風でイルカが支えています。ピクチャレスクの極みのようなデザインです。
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この部屋では小規模なコンサートやリサイタルが開かれ、国王自身もピアノを弾くことがあったそうです。ダンスに使用される際は床のカーペットを剥がす必要があったようです。
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「サロン」の入り口までやってきました。円形のこの部屋はパビリオンの中央の巨大なドームの真下に位置します。ヘンリー・ホランドの設計による宮殿の中でも一番古い部分になります。
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床の絨毯は部屋の形に合わせてデザインされて織り上げた鳳凰の姿があります。このデザインは「宴会場」の壁面と同じようです。
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この部屋のインテリアはここまでの部屋とはまた違った印象を受けます。元々はヘンリー・ホランドの指揮のもとにピアジオ・レベッカがフランス風の新古典主義様式で装飾しました。
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パリの「ルーブル美術館」の中にあるナポレオン3世の居室を思い出したのは間違いではなかったようです。6年間の修復を経て2018年に再オープンしたこの部屋はジョージ4世が当初構想した当時の部屋の姿になっているそうです。
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所々にインドのモチーフが組み込まれています。
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シルク製の壁面パネルやカーテンは半フリーズ・ウィービング社によって織られました。パターンはナポレオンお気に入りの装飾家ペルシエとフォンテーヌのデザインを彷彿させます。
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国王が夕食前に客を迎える正式な応接室であるサロンはこのパビリオンで最も壮大な部屋といえます。太陽やヒマワリを主なモチーフにし、深紅や金という王室の色で装飾された空間は正式な儀式にふさわしい荘厳さを感じます。
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もう1つの「音楽室」ギャラリーは1821年にフレデリック・グレイスによってデザインされました。壁面は繊細なフレークホワイトで装飾されています。これは鉛を主成分とする白色塗料で空気に触れると酸化して微妙なシルバーグレーに変色します。さらにその上に金箔の模様のある縁取りが施されています。
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その奥は「音楽室」へと続く赤い扉へと続いています。
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「音楽室」のインテリアにも圧倒されます。音楽はジョージ4世にとって大きな関心事の1つでした。
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ここでは国王専用の管楽器と打楽器の楽団がヘンデルやイタリア・オペラの編曲で客を楽しませました。イタリア人の作曲家ジョアキーノ・ロッシーニも1823年にここを訪れて国王のために演奏しています。
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ジョージ4世自身もピアノの伴奏を交えて美しい低音で人気のエア、グリー、キャッチを歌いました。
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「バンケットルーム」に似た「音楽室」は国王の主任装飾家の1人であるフレデリック・グレイスの傑作といえます。グレイスの下で働いていたヘンリー・ランベットと34人の助手たちは深紅の背景に金色の中国の風景描きました。
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部屋全体は巨大な漆塗りの箱の内側にいるような気分にさせます。モチーフはウィリアム・アレクサンダー(William Alexander)の描いた「中国の衣装(Costume of China)」の48葉のイメージからアレンジされました。このパゴダもその中に描かれている物に似ています。
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30年ほど前にベトナムを1カ月ほどかけて縦断したことがありますが、フエの町を歩いていて、盆栽や水槽用品を扱っている店の前を通りがかったことがありました。その店の中には10センチほどの陶器製のミニチュアの建物がいくつも並んでいました。その出来栄えがとても良いので全部の種類を買ってきたことがありますが、釉薬がクリーンと黄色の俗にいう安南の「交趾釉」でした。そんな陶器のことも思い出します。
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中国趣味の平面的なモチーフの壁面の上部には立体的な西洋のドラゴンが描かれています。
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その組み合わせの妙に心惹かれます。
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壁に組み込まれたパイプオルガンのパイプも1本1本が違ったデザインで装飾されています。
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天井から吊られたシャンデリアもフレデリック・グレースによるデザインで、1820年頃にウィリアム・ペリー&カンパニーが製作しました。シャンデリアは蓮や睡蓮の形を模しています。中国の神話では蓮は汚れた水の中から美しく咲き誇ることから清浄の象徴として考えられています。
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そんな蓮の花にもたくさんの龍の姿が見えます。
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ジョン・ナッシュが設計したドーム型でテントのような天井はイギリス建築では前例がなく、形状は音の反響を減らす効果があったようです。26,000個の小さな金箔を施したホタテの貝殻は高さを錯覚させることを考えてサイズが決められています。
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一寸の隙も無く埋め尽くされた装飾を眺めていくと息が詰まりそうになってきます。
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暖炉の上に置かれたロック・クロック越しに部屋を俯瞰することが出来ます。オリジナルのオルモルクロック(置時計)はバッキンガム宮殿に移されているようです。
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壁面に描かれたドラゴンとカーテン上部のドラゴンの彫刻と下がるカーテンに巻き付く蛇の姿など見逃せない装飾で埋め尽くされています。
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1階の見学を終えて「王の間」へと進んでいきます。
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ジョージ4世の摂政時期とその治世下では19世紀に確立された「パクス・ブリタニカ」の基礎が築かれていましたが、彼の行動は無責任で利己的かつ常に取り巻きの寵臣の影響下にあると見做されていました。ジョージ4世は贅沢な生活を送り、新しい形のレジャーやスタイル、趣味のパトロンになり、ジョージ・ブランメルやジョン・ナッシュを支援して摂政時代の流行に貢献しました。
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ジョージ4世は魅力と教養により「イングランド一の紳士」と呼ばれましたが、その放蕩な生活やさらに妻のキャロラインとの関係の悪さに当時の人々は不満を持ちました。ジョージ4世は快楽王や放蕩王と呼ばれるほど遊びと浪費が好きで、この離宮建設にも莫大な経費が使われました。それによって建築や工芸、あるいはファッションや音楽といった芸術面に多大な貢献をしましたが英国王室に大きな経済的損害を与えることになります。
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2階にあると思っていた「王の間」も1階にあるのだと思いましたが、これには理由があったようです。一連の部屋は書斎の控室、書斎、寝室、浴室で構成されています。1819年からジョン・ナッシュによって設計されました。
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この当時ジョージ4世は60歳近くで肥満体で通風と浮腫を患っていました。そのために階段の上り下りの必要のない1階の北端に設けられました。摂生期様式の家具の中には収集家だったトーマス・ホープのデザインを模倣したものもあります。
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壁は緑色の壁紙で覆われ、その上に龍や鳥、イルカや花のデザインが手描きされています。
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ブライトンの医師サー・マシュー・ティアニーはジョージ4世の専属石の人で、国王の診察のために寝室に入ることが出来ました。王が熱病に罹ったときは瀉血をすすめ、激しい運動をしないように警告しました。
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ベッドの置かれたアルコーブの中には上階へ繋がる隠し扉があるようで、その扉は晩年の腹心だったコニンガム夫人の部屋に続いていました。
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「ブライトンは今もとても陽気で、舞踏会でいっぱいだ/Brighton is still very gay and full of balls」
このおどけた言葉は詩人サミュエル・ロジャースが1829年にブライトンの活気あふれる社交界を描写するために書いたものです。当時「ゲイ」は喜びを意味し「舞踏会」は華やかなダンスを意味していましたが、そのエネルギーは時代を超えて受け継がれています。 -
「COLOUR展」の一部であるこのサインは言語やアイデンティティ、文化が時代とともにどのように変化し、ブライトンがどのように受け入れ続けているのかを考察する機会を与えています。
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「市場の祭り」
1820年頃に中国の広州で描かれたこの絵画は以前んは「龍の饗宴」と呼ばれていました。 -
画中には獅子舞の一団の姿が描かれています。現在中国獅子舞は北方獅子舞と南方獅子舞の2つに大きく分けられます。北方獅子舞は揚子江以北の華北を中心に広まり、今では民間以外にも雑技の演目として有名です。金色の頭と長い毛を付けた着ぐるみをまとい、年を取った温厚で賢い聖獣として表されます。
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女児4世のイギリス人装飾家たちはこのような作品からインスピレーションを得て、ロイヤル・パビリオンの内装に反映していきました。
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「ブライトンの海岸風景」ロバート・ハヴァル・ジュニア
このパノラマ画は1824年にリージェンシー時代の海岸線を描いたものです。ビーチに停泊すr漁船の間にはロンドンから海水浴にやってきた観光客の使う海水浴機も見えます。 -
並んだ海水浴機は旅の前半のリーガル・プリンセスのクルーズで立ち寄った「ウェーマス/Weymouth」の海岸で見たジョージ3世の海水浴機に似ています。
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竹を模した形状と塗装が施されたマホガニー製の手摺を備えた鋳鉄製の階段は1815年にウィリアム・スラークによって製作されました。設計はジョン・ナッシュによって行われました。
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階段の踊り場の窓には1917年にロイ・ブラッドリーによって中国の人物像が描かれました。
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トップライトからの明かりが差し込み艦内でも一番自然光を感じられるのがこの「北階段」です。薄いピンク色の壁には薄いブルーグレーの塗料で描かれた植物のデザインが優しい雰囲気を醸し出しています。
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天井のガラスにも鳳凰が描かれています。
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2階の一室を利用した展示室には1815年に王室の壁紙職人ロブソン&ヘイル社で納められ、1822年にかけて貼られた壁紙が展示されています。
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広州の専門工房で作られたこの種の壁紙は輸出用に着く別に誂えられたものでした。ここには竜頭船で溺死した詩人を探す象徴的な場面が描かれています。
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もう1つは狩猟の場面で、8人の道教の神々の姿なども描かれています。残念ながらガラス面に照明が反射してきれいに全体を写せませんでした。
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同じタイプの壁紙がオランダのユトレヒト郊外のアウド・アメリスウェールドい完全な形で残されています。
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「イエロー・ボウ・ルーム」は1821年にロバート・ジョーンズによって改装された当時の姿を公開されています。長い修復機関の末に1994年に一般公開されているので最初にここを訪れた1988年には見ることのなかった部屋です。
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完成当時はジョージ4世の兄弟であるヨーク侯爵とクラレンス侯爵の寝室でした。イギリス陸軍の最高司令官で童謡にも出てくる「偉大なるヨーク侯爵(The Grand Old Duke of York)」、ヨーク侯爵フレデリック・オーガスタスがここに滞在したわけです。
https://www.youtube.com/watch?v=QYjkzMi-f3c -
1837年10月4日にヴィクトリア女王が初めてブライトンを訪問された際のに凱旋門の下を通過する様子を描いた絵画がありました。ヴィクトリア女王はこのロイヤル・パビリオンを何度も訪れていますが、彼女の趣味に合わなかったことからよりプライベート性の強い「オズボーン・ハウス」をワイト島に建設します。今回ここを訪れてヴィクトリア女王とアルバートを再発見する旅も終わった気がします。
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ブライトンは1841年に鉄道でロンドン市民にアクセス可能となり、大衆からの人気が高まりました。さらに、ヴィクトリアの家族が増えるにあたってパビリオンは家族にとって狭くなっていきました。ヴィクトリア女王はブライトンで絶え間ない注目を集めることを嫌い、「ここの人々はとても無分別で厄介だ」と言っています。
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1845年に最後にブライトンを訪れた後、政府は建物と敷地の売却を計画し、1850年に53,000ポンドで町に売却します。この売却はオズボーン・ハウスの家具購入の資金となりました。
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第1次世界大戦中のパビリオンはブライトンの他の施設とともに軍病院に改装されました。1914年12月から1916年1月にかけてインド軍の病気や負傷した兵士たちがここで治療を受けました。
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パビリオン病院は2つの手術室と720床以上の床を備えており、インド陸軍の2,300人以上の兵士がこの病院で治療を受けました。患者の多様な宗教的・文化的ニーズに対応するために綿密な手配がなされました。病院の敷地内には9つの異なる厨房が設置され、兵士たちのカースト同胞や同じ宗教の信者たちが料理を作れるようになっていました。
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ムスリム兵士は東側の芝生でメッカを向いて祈るスペースを与えられ、シーク兵士には敷地内にテント状のグルドワラが設けられました。
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インド兵のための軍病院は1916年1月末に閉鎖されました。これはイギリス領インド軍の大部分がフランス西部戦線から撤退し中東へ再展開された後のことでした。1921年にはパティアラのマハラジャによって、戦争中の負傷したインド兵の治療に役立ったパビリオンの役割を記念して、インド様式の新しい門が公開されました。
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「ヴィクトリア女王の寝室」
再現されたヴィクトリア女王の寝室です。ワイト島の「オズボーン・ハウス」で彼女の亡くなったベッドを見てきたばかりなので感慨深いものがあります。 -
「サウス・ギャラリー」は1815年にナッシュがこの建物を回収した際に建設され、両側への寝室へアクセスするために使用されました。寝室の1つはウィリアム4世の寝室だったもので、ゲスト用の寝室に使われました。もう1つは1821年までジョージ4世が使用していました。
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現在はギャラリーとして使用されています。開口部の欄間に描かれた妙な感じに目が留まってしまいます。
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漢字としての意味は失われ、デザインの一部となっているようです。
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展示されていたのは修復時の史料や写真などでしたが、とても興味深く見ることが出来ました。これは円形の「サロン」に敷かれた絨毯の中央部のヒマワリのデザインです。どのような素材でどうやって織られたかが分かります。
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手描きの壁紙の作業工程や調色など自分が40年関わってきた仕事に共通する部分もあるのでとても面白いです。
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祖父や母の生まれ育った京都の「二条陣屋」は2009年1月から3年9カ月をかけ、京都府教育委員会が委託を受けて保存修理工事を行いました。そんなこともあり文化財の保存や修復には強い興味があります。
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金箔をはる手法などは国が違えども同じような作業工程なのだと分かります。
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「音楽室」のドラゴンの姿もここでは間近に見ることが出来ました。
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妻に見せたいと思っていた「ロイヤル・パビリオン」でしたが、途中からは自分が魅了されてしまい、妻の姿はとっくにありませんでした。ミュージアムショップで壁外のデザインを模したティー・タオルやガイドブックを買い求めて大満足の見学を終えました。
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ブライトンでやらなければならないと思っていたミッションの1つが終わりました。
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以外に「ブライトン」は美術館や博物館の数が少なく、特に思いも無かった同じ地所内にある「ブライトン・ミュージアム&アートギャラリー」に向かいましたが、ここで思いがけない展示と出会いました。
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