2025/05/23 - 2025/05/23
13位(同エリア24件中)
kojikojiさん
- kojikojiさんTOP
- 旅行記1747冊
- クチコミ1204件
- Q&A回答73件
- 3,429,271アクセス
- フォロワー170人
「ロイヤル・エスプラナーデ・ホテル/Royal Esplanade Hotel」に荷物を預けた後は路線バスの案内所に出向いて路線図と時刻表をもらいました。事前に調べたところではこの後に行こうとしている「オズボーン・ハウス/Osborne House」までは乗り換えが必要と考えていましたが、乗り換えなしで30分ほどで行くことが出来ると分かりました。「ライド・エスプレナーデ駅/Ryde Esplanade」が始発なので、ダブルデッカーの2階の最前列の席に座り出発です。バスのチケットは運転手さんに行き先を伝え、クレジットカードでタッチすれば済むので非常に便利です。行き先も伝えるので乗り過ごす心配もありません。バスを降りてカメラをバスに向けると運転手さんが親指を立てて、その後に手を振ってくれました。今回の旅ではイギリスの人の人懐っこさというか何気ない親切に触れることがたくさんあり、旅先にイギリスを選んでよかったなと感じました。妻が行きたがっていた「コッツウォルズ」や「湖水地方」を省いてしまったので、翌年の5月には再び旅行を計画しようと思います。「オズボーン・ハウス/Osborne House」のバス停の前にはゲートがありますが、実際のエンまでは延々と歩き、ようやくチケット売り場とミュージアムショップに到着します。チケットは事前にネットで決済してありましたが、5月はシーズンオフだったようで、当日でも十分に買うことは出来ました。係りのおばさんは遠い所から来たと歓待してくれて、見どころなどを地図で説明してくれます。館まではさらにしばらく歩くことになり、広大な敷地の中にいることを感じます。多分1日いても全てを見学することは出来ないと思います。遥か彼方にプライベートビーチがあるようですが、そこまで歩こうという気にはなれません。館の中に入るとヴィクトリア女王に由来する絵画や彫刻に溢れています。建物は夫であるアルバート公がデザインしているので2人の合作の作品といった感じがします。説明のキャプションなどはほとんど無いので、過去の知識から読み解いていくしかないのですが、それがまた楽しくて歩みがなかなか進みません。妻は呆れて先に行ってしまいましたが見学者はほとんどおらず、1人になってしまうとちょっと心細くなります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「ロイヤル・エスプラナーデ・ホテル/Royal Esplanade Hotel」を出て、まずは駅の横にあるバス会社の案内所に行きました。バスの時刻表の冊子を貰い、バスの乗り方も教えてもらいます。キップの購入については乗車時に行き先を運転手に伝え、後はクレジットカードでタッチすれば簡単に購入できます。
-
バスはダブルデッカーで、「ライド・エスプレナーデ駅/Ryde Esplanade」が始発なので迷わず2階の最前列の席に座ります。
-
バス停はどこもこのような屋根付きの待合所があるので雨が降っても快適に旅行が出来そうです。バスもほぼ時間通りなので日本を旅しているような感覚でした。
-
バスはライドのメインストリートを走りますが、港町にありがちな緩やかな坂道になっています。夕食については何も考えていなかったので、周囲を確認していましたが、レストランの数はあまり多くないようです。
-
坂を上りきるとバスは右折して西に向かって進みますが、ホテルからこの辺りまで歩くのは結構距離があるようです。5月のワイト島は観光シーズン的にはオフだったようです。
-
高台には船のデッキからも見えた57メートルの尖塔を持つ1882年に完成した英国国教会「All Saints’ Church」の前も通過しました。
-
町を抜けると郊外へとバスは進みますが、木々の多い住宅街を通過します。面白いのはダブルデッカーの高さに合わせて街路樹の枝が剪定されていることでした。
-
この日の目的地は「オズボーン・ハウス/Osborne House」で、ライドからは4番「イースト・カウズ/East Cowes」行きのバスに乗って約30分の移動で、料金は1人3ポンドでした。
-
道路標識には鴨などの野鳥が道路を渡ることがあると注意がされていました。
-
海へと続くウートン川の近くにはおしゃれなホテルやレストランが点在しているようでした。一応グーグルマップで周囲を確認しながらバスに乗っていました。
-
前を走るトラックと街路樹の枝との差がダブルデッカーの高さだということです。
-
しばらく走ると住宅街も抜けイギリスのカントリーサイドといった風景の中を走り抜けます。
-
ラッシントン・ヒルという通りを進んでいます。まっすぐ進むと翌日行く予定の「ニューポート/Newport」です。
-
ロータリーを右折してウィッピンガムロードに入ります。
-
「オズボーンハウス/Osborne House」の停留所でバスを降り、写真を撮ろうとカメラを向けると運転手さんが親指を立てて、その後は手を振ってくれました。今回の旅では出会う人がみな親切で、旅先にイギリスを選んでよかったなと思います。
-
「オズボーン・ハウス」の敷地に入ります。チケットは事前にネットで予約してありました。
-
バス停近くのゲートから延々と街路樹のある小道を進み、大きな駐車場の先に大きなミュージアムショップとチケット売り場のある建物がありました。受付でチケットを見せると係りの年配の女性は遠い所からと歓待してくれました。同じヨーロッパでもイギリス人の歓迎の微笑はちょっと違うなと感じます。
-
庭園側に出るとガーデニングのショップがあり、たくさんの苗木が売られています。ガーデニング好きの友人ンが喜びそうなものが並んでいますが、買って帰るわけにはいかないのが残念です。
-
庭園をぶらぶらと進むと1本のコルク樫の木がありました。そう言えば昨年は1カ月もポルトガルを旅しながらコルクの木を1本も見た記憶が無いことに気が付きます。
-
この木は1847年12月にヴィクトリア女王の王配アルバート公が第3子のアリス王女と植えた一対の木のうちの1本だそうです。当時4歳だった王女が植えた木はこれだけの巨木になっています。
-
庭園を抜けると巨大な館が姿を現します。この館は1845年から1851年にかけて、ヴィクトリア女王とアルバート公のために夏の別荘と田舎の隠れ家として建てられました。
-
アルバートはイタリアのルネッサンス宮殿のスタイルで家を設計しました。建設者は1847年に王室夫妻のためにバッキンガム宮殿のメインファサードを建設したロンドンの建築家兼建築家であるトーマス・キュービット(Thomas Cubitt )でした。
-
車寄せのある正面入り口ではなく、右手の小さな扉から内部の見学に移ります。その入り口にはイノシシの彫刻が置かれてありました。
-
そのイノシシは1634年にバロック様式の巨匠ピエトロ・タッカ(Pietro Tacca)によって彫刻され、現在はフィレンツェの「ウフィツィ美術館」に収蔵されている物のレプリカだと気が付きました。
-
その隣に置かれているのは「大英博物館」に収蔵されているローマ時代の彫刻「ジェニングス・ドック」を真似たものだと気が付きます。名前の由来でもあるヘンリー・コンスタンティン・ジェニングスが1753年から1756年にかけてローマのカヴァチェッピの工房で瓦礫の山の中でそれを見て、400スクードで購入してイギリスに持ち帰りました。
-
この時はまだ気が付きませんでしたが、広い館の中には世界各地の著名な彫刻や絵画を真似た美術品を次から次に見ることが出来ました。
-
シーズンオフということもあって見学者の姿はほとんどなく、貸し切りのような状態で見ることが出来ました。ヴィクトリア女王については2016年に日本でも放映されたテレビドラマ「女王ヴィクトリア 愛に生きる(Victoria)」を見てからとても興味深く感じていました。主演のジェナ・ルイーズ・コールマンが可愛らしかったこともありますが、アルバート公との愛情について心打たれるものもありました。
-
屋敷に入った最初の部屋はヴィクトリアとアルバートの「オズボーン・ハウス」での最初の誕生日の再現でした。
-
ヴィクトリア女王がこの館で祝った最初の誕生日は1848年5月24日の29歳の誕生日でした。彼女は窓の下で演奏する英国海兵隊の楽団の演奏で目を覚まし、着替えた後にアルバートと子供たちと一緒にプレゼントを見に行きました。ここを訪れたのが5月23日で、ヴィクトリアの誕生日の1日前でした。
-
女王は誕生日の2日前にアルバートと子供たちとバッキンガム宮殿からオズボーンへと旅立ちました。彼らはここで4日間滞在し、5月25日の娘ヘレナの誕生日を祝った後にロンドンへ戻りました。
-
国王エドワード7世の肖像画です。母であるヴィクトリア女王の在位が長期にわたったため、チャールズ3世に次いで長くプリンス・オブ・ウェールズ(皇太子)の立場にあり、在位は10年ほどでした。
-
この花瓶は1851年にセーブル工房で造られたナポリ王室コレクションの模写です。彩色された人物像はジャン・ルイーズ・アモンのデザインに基づ着たもので、ヴィクトリア女王が購入し、アルバート公の誕生日に贈られたものです。
-
ヴィクトリアとアルバートの結婚を積極的に推進したのは双方の叔父に当たるベルギー初代国王レオポルド1世でした。1836年5月にアルブレヒト(アルバート)は家族とともにロンドンを訪問し、ケンジントン宮殿で叔母(父の妹)のヴィクトリア・オブ・サクス=コバーグ=ザールフィールドとケント公エドワード・オーガスタスの娘であるヴィクトリア王女と対面しました。しかしヴィクトリアの伯父である当時の国王ウィリアム4世はこの縁組に賛成せず、ヴィクトリアの相手としてオランダ王ウィレム2世の息子であるオラニエ=ナッサウ家のアレクサンダー王子を考えていました。
-
ヴィクトリアはレオポルド1世の計画を知っていましたが、自身はアルブレヒトとの結婚を望んでいました。ヴィクトリアは金髪に青い瞳をしたハンサムなアルブレヒトに一目惚れしたのでした。ヴィクトリアがレオポルド1世に宛てて、アルブレヒトを紹介してくれた礼を述べる書簡が残っています。
-
「グレンゲルダ―・シール」アンドリュー・マッカラム
シールとはスコットランドで羊飼いが使用する小屋のことです。グレンゲルダー・シールはバラモラル城の殻3.2キロの距離にあり、ハイランドでの召使であるジョン・ブラウはヴィクトリアと皇后ウジェニーに同行して新鮮なマスを調理しました。この絵画は1876年にヴィクトリアのために描かれました。 -
「レニー峠のハイランド牛」ゴーレイ・スティール
レニー峠はバースシャーの絡んだ―近郊にあり、1868年にヴィクトリア女王はインバート路サックスで10日間過ごしました。日記には「レニー峠を登っていくとほとんど野生のような毛むくじゃらのハイランド牛に出会った」と書かれているそうです。この絵画も1876年にヴィクトリアのために描かれました。 -
「アントワープの記念」チャールズ・グスタフ・ワッパーズ
アントワープのメール広場を見下ろすバルコニーから3人の女性が「民衆の行列」を見守っています。鎧を着た巨人の像が群衆の間を進んでいます。1843年にヴィクトリアとアルバートはアントワープを訪れ、この行列は2人のために特別に準備されました。この絵画は画家から女王へ寄贈されました。 -
「ユングフラウの眺め」アウグスト・ベッカー
懐かしいベルナー・オーバーランドのユングフラウの風景です。アウグスト・ベッカーはヴィクトリア女王のためにいくつかの風景画をえがき、定期的にバラモラル城に招かれ、彼女の娘たちにデッサン路風景画を指導していました。この絵画はアルバートが購入して、ヴィクトリアに贈ったものです。 -
淡い水色の壁面に埋め込まれたレリーフはクルーズ中に「カルゼアン城/Culzean Castle」で見たものを思い出させます。モチーフはアテネのパルテノン神殿のフリーズをモチーフにしたものだと分かります。中央に置かれたブロンズ像はルーブル美術館に収蔵されている大理石彫刻の「サンダルの紐を結ぶヘルメス」のコピーです。この館に隠された秘密を解いているようで、調度品の1つ1つから目が離せなくなりました。
-
そして所々に施されたヴィクトリアとアルバートの「V」と「A」を組み合わせたモノグラムが2人の愛情の深さを感じさせます。
-
アルバートの父エルンスト1世は根っからの女好きで、母のルイーゼを裏切り続けていました。そのためルイーゼ自身も傭兵隊長のアレクサンダー・フォン・ハンシュタインと浮気をするようになり、エルンストから離婚を言い渡されます。これによりルイーゼは自身の息子であるエルンスト2世とアルバートに会うことも禁じられます。
-
こうした不幸な家庭環境によりアルバートは両親を反面教師として、とても誠実な夫となったと言われます。アルバートとヴィクトリアの夫婦仲は非常に良く、多くの子供達に恵まれ、2人の間には4男5女の9人の子女が授かりました。
-
この大理石像はヴィクトリア女王が戴冠式で着用した王冠を被り、右手には月桂冠の冠を持っています。この像は女王の治世と権威を象徴しているようです。
-
そして像の前の床には国章と「Dieu et mon droit(神と我が権利)」に訳されるフランス語のモットーが書かれてあります。イングランド君主であるということを意味し、君主が神の与えた支配権を持っていることを暗示するために使用されています。展示されている絵画以外には説明文などは無いので、自分で読み解かなければならないところが帰って面白いです。
-
廊下にはおそらく18世紀のフランスのセーブルで造られた陶器製のポプリ入れがありました。金色のバスケットは透かし細工が施され、その周囲には精緻な花があしらわれています。
-
この大理石の子供の像の由来は分かりませんが、いたるところにキューピッドをあしらった彫刻があり、ヴィクトリアが子供好きだったであろうことが想像できます。
-
誰もいない回廊を1人で歩きます。妻の姿はすでにありません。
-
「エドワード7世の胸像」ピエトロ・カノニカ
ヴィクトリアの息子であるエドワード7世は近衛擲弾兵連帯大佐の制服にヴィクトリア女王の副官の記章、ロイヤル・ヴィクトリアン・チェーンの襟章とバッチ、ガーター勲章のサッシュとバッチ、シスル勲章、聖パトリック勲章、バス勲章の星を身につけています。 -
木製の扉には陶器製のハンドルと同じデザインの陶器の押手が取り付けられ、パネルには金彩の装飾の中央にロイヤルブルー地に「V」「A」のモノグラムが嵌め込まれています。
-
「カウンシル・ルーム(Council Room)」は女王の滞在中、枢密院はこの部屋で時折会合を開いていました。この部屋は第2のダイニングルームと舞踏室としても使われました。
-
アルバート公の美術顧問であったルートヴィヒ・グルーなーが設計した精巧に装飾された天井が特徴です。
-
シャンデリアには陶器製の女神やキューピッドがあしらわれています。想像するに女神は彼の母親であるヴィーナスなのではないだろうかと思います。
-
壁付けタイプのシャンデリアもブロンズと陶器が絶妙に組み合わされて、そのクオリティの高さに言葉が出ません。
-
2つの大きなセーブル時期のパネルにはヴィンターハルターによる女王とアルバート公の肖像画の複製画が飾られています。
-
オリジナルは1846年にフランス国王のルイ・フィリップからヴィクトリア女王へ贈られました。
-
扉の框の上に置かれた彫刻はアルバート公のメダリオンとその左右には太陽の神アポロン(Apollon)と双子の妹のディアナ(Diana)の姿があります。ディアナはアトリビュートでもある矢筒を背中に背負っています。そうすると一緒にいるのは兄のアポロンだということが分かります。
-
「謁見室(Audience Room)」
国家元首としてのヴィクトリア女王はここで政治家やその他の公式来賓を迎えました。 -
アルバート公が好きだったとされるヒルガオの花をモチーフにしたシャンデリアが優雅な姿を見せてくれています。
-
テーブルの上に置かれたガラスドームの中にも天使の姿が見えます。ガラスドームを被せておかないと天使には羽があるので飛んで逃げてしまうのでしょう。ベルギーのブルージュのアンティークショップにこのような古いガラスドームが意外な値段で売っているのに出会ったことがあります。陶器製の「悲しみの聖母(マーテル・ドローローサ)」を買い求めたのですが、店の主人が梱包が下手で自分で梱包しました。ガラスドームは店にあった梱包材では日本に持ち帰れないと思い泣く泣く諦めました。次に行った時には商品が全く変わってしまっていて、ダブルでショックでした。
-
ここにもヴィーナスとキューピッドのモチーフの燭台が並んでいました。ヴィクトリアは自分の子供たちをキューピッドにたとえ、自らはヴィーナスと思ったのでしょうか。
-
サテンウッドの家具は1891年にホランド&サンズ社によってこの部屋のために造られました。サテンウッド材とはスリランカやインドなどで産出する木材のことで、オークやマホガニーよりも重量があります。
-
この陶器製の置時計も見事でした。
-
ラッパを吹く天使は内にあるナポリで買い求めたプレゼビオの天使を思い出しました。一度は予約で造られたものだと売ってもらえなかったのですが、翌日ローマから再びナポリまで戻って、その熱意で譲ってもらえたものでした。
-
先程のヴィクトリアの肖像画と対になるアルバート公の肖像画です。残念ながら部屋の奥にあるので正面から写真が撮れません。
-
「ツツジ」キャサリン・M・ウッド
キャサリン・M・ウッドはロンドンの女子美術学校で学び、奨学金を授与されました。この学校はヴィクトリア女王と王室のメンバーによって後援されていました。1880年にヴィクトリアは近衛を15ギニーで購入しました。 -
優雅な階段がありますが、まだ2階の見学には進めません。
-
前方にも振り返った後方の廊下にも見学者の姿はありません。係員の姿もないので、だんだん心細くなってきます。妻は1人の腰てどこまで行ってしまったのでしょう。
-
壁龕の中に納まるようにヴィーナスの大理石像があります。金色の帆立貝がアトリビュートになっているのだと思います。
-
ネメス頭巾を被ったファラオの姿で、左足が一歩出ている姿は生きている証です。そこまでは読み取れますが、現代的な容姿のこの像についてはそれ以上分かりません。
-
頭上のレリーフはアテネの「ハドリアヌスの凱旋門」に施されたレリーフに似ているように思いました。
-
この辺りまで彫刻を見てきて、ロンドンの「ヴィクトリア&アルバート博物館」のカスト・コートのことを思い出しました。イタリアやスペインやドイツの遺物を模りして再現されたものが陳列されていますが、その規模の大きさには驚かされました。夫婦の収集の情熱はこの館にも残っていました。
ヴィクトリア&アルバート博物館:https://4travel.jp/travelogue/11049004 -
クリスティアン・ダニエル・ラウフの「花輪を投げるヴィクトリア」です。ローマ神話の勝利に女神ヴィクトリアはギリシャ神話のニケに当たります。勝利の寓意でもありますが、ヴィクトリアの名前の方が気になります。
-
ルーブル美術館に収蔵されている「ヴェルサイユのディアナ」を縮小してブロンズ像にしたものだと分かります。もっともルーブルの作品も紀元前325年頃にギリシャの彫刻家レオカレスの失われたオリジナルのローマ時代の模倣です。
-
こちらもギリシャ時代の彫刻をローマ時代に複製した「負傷したアマゾン」を後にブロンズ像で模倣したものです。槍で負傷して右手を頭上にあげて苦痛を表現しているアマゾネスの女性を描いています。オリジナルはトルコのエフェソスのアルテミス寝殿のために制作されました。
-
ギリシャ神話の女神ポリュムニア―のブロンズ像です。ポリュムニア―はゼウスとムネーモシュネーの娘で、9人いるムーサ(芸術を司る女神)の1人です。讃歌と雄弁を司る彼女は頭にベールを被り長いローブを纏った姿で描かれます。
-
1506年にローマで発掘され「ヴァチカン美術館」のピオ・クレメンティーノに収蔵されている「ラオコーン」です。トロイア戦争の際に神官ラオコーンとその2人の息子が海蛇に襲われる様子を描いた大理石像です。パリ郊外の「ヴェルサイユ宮殿」の庭園にもコピーが置かれていたのを思い出します。
-
有名な「ミロのヴィーナス」です。小型のブロンズ像にするとオリジナルより痩せて見えるような気がします。前からよりも背後の腰から臀部にかけてのラインが美しいと思うので、「ルーブル美術館」へ行った際は必ず後ろをから眺めています。
-
「ヴァチカン美術館」に収蔵されている「ベルヴェデーレのアポロン」のレプリカです。紀元前4世紀頃に古代ギリシャ彫刻家レオカレスのブロンズ像をローマ時代に大理石で摸刻したものです。
-
この像については何の情報も無かったのですが、係員のおじいさんがヴィクトリア女王が飼っていたコリーのノーブルの像だと教えてくれました。
-
サー・ジョセフ・エドガーベーム(Joseph Edgar Boehm)はオーストリア生まれのイギリスのメダリストおよび彫刻家であり、ヴィクトリア女王の「ジュビリーヘッド」の硬貨をデザインしています。ベームの作品はビクトリア女王の注目を集め、彼は急速に宮廷の支持を得ました。彼は「ウィンザー城」の大理石でヴィクトリアの像を制作し、「ウィンザー城」のセントジョージ礼拝堂にあるエドワード王子の記念碑とともに彼の最も重要な作品と見なされています。
-
ギリシャ時代のモザイクの幾何学模様とイギリスらしいタイルの組み合わせの床がセンスの良さを感じます。ギリシャの「コルフ島」にはオーストリアの皇后エリザベートの別荘「アヒリオンパレス」を思い出させます。エリザベートはアキレスを愛し、別荘にアヒリオンという名前まで付けましたが、この時代はギリシャ文明や美術への憧憬のようなものを感じます。
-
18世紀半ばに古代ギリシャや古代ローマの神話への関心が高まると「クピードとプシューケ」の物語を描く作品が数多く制作されるようになります。王女として生まれたプシューケはその美しさで男たちから慕われるようになりますが、クピード(キューピッド)の母で美の女神であるウェヌス(ギリシャ神話のアフロディーテ)の怒りを買ってしまいます。ウェヌスはクピードを送り込み、その矢でプシューケを射抜いて、何か醜い怪物に恋をさせようと仕向けます。ところがクピードは自身を矢で傷つけてしまい、プシューケとの道ならぬ恋に落ちてしまいます。
-
ようやく最初に建物の外観で見た車寄せのある正面エントランスまでやってきました。床一面にギリシャ時代を模した見事なモザイクで埋め尽くされています。
-
中央にはヴィクトリア女王の紋章が据え付けられています。この館の主はあくまでヴィクトリア女王なのだということが分かります。アルバートは出産と育児に追われる女王に代わり、公式行事の出席などもこなし、実質上は君主の役割を果たしました。しかしイギリスでの公的地位は結婚17年後に「王配殿下(プリンス・コンソート)」の地位が正式に与えられるまで何一つ持っていませんでした。
-
ここにも「V」と「A」のモノグラム。
-
ヴィクトリアンスタイルの重厚な椅子の背にもモノグラムが彫られています。あまりにも面白い「オズボーン・ハウス」なのでとことん細かく見ていきたいと思います。それにしてもうちのヴィクトリアはどこへ行ってしまったのでしょう。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
2025英国クルーズの旅1
-
前の旅行記
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(37)鉄道駅の中に船乗り場を見つけて無事にワイト島のラ...
2025/05/23~
ワイト島
-
次の旅行記
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(39)オズボーンハウスにビクトリア女王とアルバート公の...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(31)テューダー朝の家と街歩きを終え、デューク・オブ・...
2025/05/21~
サウサンプトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(32)サウザンプトンからポーツマスへ移り、ポーツマス海...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(33)ポーツマス海軍基地のボートハウス4からボートに乗...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(34)ポーツマス海軍基地のボートハウス7と王立海軍国立...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(35)ポーツマス海軍基地のネルソン提督の旗艦ヴィクトリ...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(36)ポーツマス海軍基地の驚異の沈没船、メアリー・ロー...
2025/05/22~
ポーツマス
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(37)鉄道駅の中に船乗り場を見つけて無事にワイト島のラ...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(38)ダブルデッカーの路線バスに乗ってオズボーンハウス...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(39)オズボーンハウスにビクトリア女王とアルバート公の...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(40)ビクトリアの描いた絵画に驚き、終を迎えたベットに...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(41)オズボーン・ハウスの庭園を散策してライドの町へ戻...
2025/05/23~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(42)ライドからニューポートへ向かい、最後はヒッチハイ...
2025/05/24~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(43)ポーツマスへ戻る前にクオーアーアビーで修道院ビー...
2025/05/24~
ワイト島
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(44)ポーツマスから36年振りのブライトンに到着。まず...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(45)36年の時を経て、ようやく妻を連れてロイヤル・パ...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(46)ブライトン・ミュージアム&アートギャラリーでモッ...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(47)ブライトンの街歩きと夜のパレス・ピアでアーケード...
2025/05/25~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(48)早朝のブライトンの街歩きで36年前の旅のことを思...
2025/05/26~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(49)セブンシスターズの断崖を歩き、英仏海峡の上を飛ぶ...
2025/05/26~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(50)旅の終わりのブライトンで若い頃に観た映画「さらば...
2025/05/26~
ブライトン
-
リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(51)旅の最後にようやく雨のイギリスを体験し、ヒースロ...
2025/05/27~
ロンドン
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 2025英国クルーズの旅1
0
86