2025/05/25 - 2025/05/25
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kojikojiさん
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2泊だけでしたがアットホームな「ケッペルズ・ヘッド・ホテル/Keppels Head Hotel」の滞在も終わり、「ポーツマス・ハーバー駅/Portsmouth Harbour」に向かいます。ここから「ブライトン」へが最後の移動になります。3週間の旅も最後の訪問地となります。日曜日ということもあり、小さな町々から「ブライトン」へ向かう人たちが列車に乗り込み、かなり混雑しています。11時過ぎに36年振りの「ブライトン」に到着しました。旅の最後にこの町を選んだのは「ロンドン」が近いということもありますが、妻にこの町を見せたかったのでした。その1つは海岸線から伸びる「ブライトン・パレス・ピア/Brighton Palace Pier」、そして「ロイヤル・パビリオン/The Royal Pavirion」というジョージ4世の狂喜の宮殿です。鉄道駅からは海岸線のホテル「オールドシップ・ホテル/The Oldship Hotel」までは30分ほどかかって歩きました。ブライトンで1番古いホテルは旅の終わりにふさわしいものでした。荷物を預けて身軽になった後は海岸へ下りて、「Sea Haze」というシーフードの屋台でエビやカニや牡蠣を買い求めて美しい海と空の下でランチをいただきます。その後は空港行きのバス停を確認し、「ロイヤル・パビリオン/The Royal Pavirion」の見学に移ります。36年前は少しくたびれた宮殿でしたが、全面修復されていることもあり、建物全体が輝いています。若かりし頃を思い出しながらの宮殿の見学は感慨深いものがありました。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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2度目の「ケッペルズ・ヘッド・ホテル/Keppels Head Hotel」の朝食です。顔見知りになったおばさんが今朝もサービスしてくれました。
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フル・ブレックファストは飽きてくるかと思いましたが、もうベイクドビーンズの虜になっています。おばさんに「あなたたちはもう戻ってこないのよね。」なんて言われると寂しい気分になってしまいます。
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この数日で重たくなったトランクは数も増えてしまいました。両手に持ってガラガラ押しながら鉄道駅に向かいます。
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「ポーツマス・ハーバー駅/Portsmouth Harbour」で「ブライトン」行きの列車を待ちます。
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真ん中の黒いサムソナイトが新たに仲間になりました。
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グレート・ウェスタン・レールウェイ (Great Western Railway)の旅もこの日が最後で、「ブライトン」からは「ヒースロー空港」までバスで移動になります。
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「ポーツマス・ハーバー駅」から乗り込んだお客さんは少なかったです。午前10時1分に出発し、11時33分に「ブライトン」に着く予定です。
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次の「ポーツマス・アンド・サウスシー駅(Portsmouth & Southsea)」からはほぼ満席の状態です。この日は日曜日なので、「ブライトン」へ遊びに行く人が多いように思えました。1866年に建設された駅舎は少し小さめの「東京駅」のような姿です。
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今回の旅はずっと天気が良くイギリスの旅をしているような気がしません。
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次々に流れていく美しい景色に車窓から目が離せません。
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「ブライトン」まで残り30分の辺りで「アランデル聖堂/Arundel Cathedral of Our Lady & St Philip Howard」の近くを通過しました。1868年に第15代ノーフォーク公ヘンリー・フィッツァラン・ハワードは建築家ジョセフ・ハンサムにアランデル城にふさわしい新しいカトリック聖域の設計を依頼しました。大聖堂の建築様式はイギリス国内のフレンチ・ゴシック様式のゴシック・リバイバル建築の最も優れた例の1つと見なされています。
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「アランデル城/Arundel Castle」は1067年にロジャー・ド・モンゴメリーによって建てられました。彼はウィリアム征服王によって初代アランデル伯爵となり、その後17世紀のイングランド内戦によって被害を受けましたが、18世紀と19世紀に第11代ノーフォーク公爵によって修理されました。建造された11世紀からアランデル伯爵の居城であり、さらに400年以上にわたってノーフォーク公爵の居城となっています。
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ロンドンは美術館に行くために行ったことがありましたが、これまで何でイギリスを旅しなかったのだろうかと自問自答してみます。
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列車は定刻に「ブライトン駅」に到着しました。大きなトレイン・シェッド(Train Shed)が出迎えてくれているようです。
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1830年に開業した世界初の旅客鉄道であるリヴァプール・マンチェスター鉄道のリヴァプール側の起点駅であるクラウン・ストリート駅では、駅舎に接するプラットホームと3本の線路が木造の屋根で覆われていいました。これが世界初のトレイン・シェッドとされています。
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1851年のロンドン万国博覧会の会場として建てられた「水晶宮」は鉄骨とガラスを多用し、建築界に大きな衝撃を与えました。1850年代のトレイン・シェッドにもその影響は現れ、万国博委員であったイザムバード・キングダム・ブルネルはロンドン・パディントン駅のトレイン・シェッドを設計しています。
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鉄道で来たのは初めてですが、「ブライトン」へ来たのは36年振りのことです。28歳で来た「ブライトン」はとても強いインパクトを感じ、今回どうしても妻を連れてきたかった場所でもあります。
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駅前でタクシー乗り場が見つけられず、緩やかな下り坂を歩いて20分ほどで海岸線に建つ「オールドシップ・ホテル/The Oldship Hotel」に到着しました。
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歴史あるジョージアン様式のホテルは1559年に建てられたと考えられ、ブライトンで最も古いホテルで、最初の記録は1665年に遡るようです。旅行会社のツアーと同じく旅の最後のホテルは少し上等にしました。
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まだ昼前なので部屋には入れませんが大きな荷物はフロントで預かってもらいました。預かり票を4枚貰いましたがちょっと恥ずかしいです。
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40年くらい前のポール・スミスかミッソーニのようなカラーリングのファブリックのソファに座ってしばらく休憩します。3週間前の「サウザンプトン」の「ZARA」で買ったストライプのパンツも気に入ったようです。
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幾つにも分かれたロビースペースも昔の「ラルフローレン」のインテリアを思い出させます。「ラルフローレン」のショップの図面は若い頃に何年も描いたことがあるので細かい納まりが気になります。
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明るいガラス窓の外はテラス席があり、通りの先は海岸が広がっています。シーズンオフの一番落ち着いた良い季節だと感じます。
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ダイニングルームの手前にはバーコーナーがありましたが、お客もいないのでスタッフもいない時間帯のようです。
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景色を眺めるにつれて36年前の思い出がどんどん蘇ってきます。その旅は実際はヨーロッパのウォーターフロントを視察するという目的のものでした。その当時釧路の再開発で「フィッシャーマンズワーフ」を計画している最中で、設計は毛綱 毅曠(もづな きこう)によるポストモダンのデザインです。
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その中にキーテナントで入るのが西武百貨店で、西武の内装のデザインをするデザイナーが集められた視察でした。最初に入った「ロンドン」ではテムズ川の再開発も始まる前で、「ブライトン」に数日滞在し、その後は「マルセイユ」から「モンペリエ」までのリゾートを巡るというコースでした。
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その当時はイギリスの音楽に傾注していたり、MTVが開局して数年後だったり、懐かしい時代のことも思い出します。「カルチャー・クラブ」「スタイル・カウンシル」「ペットショップ・ボーイズ」「ピーター・ガブリエル」「ロキシー・ミュージック」「ケート・ブッシュ」「ポリス」「クイーン」「イエス」…。当時のミュージックビデオがYouTubeで見られる良い時代になりました。
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お昼をどこで食べるかは事前にグーグルマップで検索していました。ホテルの近くで簡単に食べられるところ探してありました。
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ブライトンと日本の海水浴場とは歴史的に深い関係があり、それは明治政府による富国強兵政策において、英国の例にならって兵士の健康管理に海水浴の効果を生かそうしました。全国で海水浴場が開設されるようになりますが、当時の海水浴(Sea Bathing)は最先端の医療行為でした。ブライトンを海洋リゾートとして宣伝した立役者はウェールズ王子(のちのジョージ4世)で、この当時のイギリスは産業革命の真っただ中にあり、ロンドンはスモッグ(霧)の都として名を馳せていました。
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目指していたのはこの屋台「Sea Haze」です。名前は海の霧やもやを指す言葉のようです。トリップ・アドバイザーでも評価高かったです。
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折角美しい海岸線に来ているのですから美味しいシーフードが食べたいと思っていました。
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アルコール類は置いていなく、ハイネケン0で我慢します。海岸線は公共の場所とみなされて飲酒が禁止されているのかもしれません。
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朝ご飯をしっかり食べていたので軽く食べられるものを選びました。これ全部で5,500円ほどです。美味しいのでそれほど高いという印象は受けませんでした。
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ボイルした海老にはレモンを搾っていただきます。カニの甲羅には1匹分の身が詰められています。こちらもレモンとビネガーを搾っていただきます。
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そしてオイスターも1皿。やはり80年代にインパクトのあったバンド「フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッド(Frankie Goes To Hollywood)」の「The World Is My Oyster」という曲を思い出しました。
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プロムナードには漁船の倉庫を博物館にしていましたが、ここの見学は後日にします。この日は予約してある博物館や美術館を巡らなければなりません。
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メリーゴーランドはトークンを買って乗るようで、1階3ポンドまたは4トークンを10ポンドで売っています。1階500円から600円ですね。
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その先を進むと小石の海岸に出ます。ここの海岸は「砂浜」ではなく「礫浜(れきはま)」というものです。砂に比べてとても歩きにくいです。
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「ドーナツ・グロイン/Doughnut Groyne」という突堤で少し休憩です。その奥には「ブライトン・パレス・ピア/Brighton Palace Pier」が見えています。妻を「ブライトン」に連れて来たかった理由の1つはここを見せたいということでした。
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旅の終わりは「ブライトン」から「ヒースロー空港」へ直接向かうので初日に乗った「ナショナル・エクスプレス」のバスを予約してありました。町中にターミナルは無く、分かりにくいので事前に停留所を確認しておきます。
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ちょうどバスが来たので運転手さんと話が出来ました。チケットを買う際には荷物は1人1個までで追加する際は追加料金を支払わなければならないと書かれてありました。ここは停留所だけなので事前に追加料金を支払えるか当日ドライバーさんに払えるかを尋ねましたが、「当日の運転手に聞いてみて。」という答えでした。結果的にいうと2人で4個預けても追加料金など求められませんでした。
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妻を連れて来たかったもう1つの理由が「ロイヤル・パビリオン/The Royal Pavirion」を見せたかったということでした。
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1783年に摂政皇太子(のちのジョージ4世)がブライトンの浜辺を気に入り、農園の館を別荘として借りたのが「ロイヤル・パビリオン」の始まりです。「ブライトン」は当時まだ小さな鄙びた村でしたが、1750年に「海水浴」を健康法として初めて唱えた英国人医師リチャード・ラッセルの診療所兼邸宅があり、これをきっかけに上流から中流階級の人々の保養地として人気を集め始めていました。
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1787年に皇太子はヘンリー・ホランドに改装を命じ、新古典主義の外装にバロック様式の内装を持つ離宮を完成させました。その後に中国製の壁紙を贈られたことを契機に当時流行していたシノワズリーを取り入れたものに全面改装することを決め、「ピクチャレスク(Picturesque)」の代表的建築家であるジョン・ナッシュの設計で1815年から7年をかけて大改修を行ないます。
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「ピクチャレスク(Picturesque)」は「絵のような」とか「絵の主題としてふさわしい」といった意味の言葉で、語源としてはオランダ語の「絵画に値する(schilderachtig)」が最初で、イタリア語の「ピットレスコ(pittoresco)」やフランス語の「ピトレスク(pittoresque)」が使われだしました。イギリス人たちは、こうした絵画に見出した特徴を現実の風景にも求めるようになり、「イギリス式庭園」が誕生した。これらの風景の特徴は、不規則さ(アシンメトリー性)、過去への連想、異国的なものへの憧れである。
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受付を済ませて日本語のパンフレットを買い求め、係のおばさんに写真撮影について尋ねてみました。昔は撮影禁止だったのでダメだろうと諦めていましたらがフラッシュを使わなければ大丈夫だということでした。見学をスタートする前に地下のトイレに行くとここだけがオットー・ワーグナーがデザインしたのではないだろうかと思えるような「ウィーン分離派」のような美しいタイルで構成されていました。
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ジョージ4世は快楽王とか放蕩王と呼ばれるほど遊びと浪費が好きで、離宮建設にも完成後の社交にも莫大な経費が使われました。それによって建築や工芸、ファッションや音楽といった芸術面に多大な貢献をした一方で英国王室に大きな経済的損害を与えました。
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パビリオンの展示の中には「Colour展」というイベントが組み込まれているようでした。ここではジョージ4世のトルソがピンク色にライティングされています。
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その前にはこのインド・サラセン様式のパビリオンの模型が置かれ、血赤サンゴのような色で染め上げられています。
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ロシアの「クレムリン宮殿」を模したとも言われたドームと列柱が印象的な外観に対し、内部は一転して「竹」「龍」「蓮」「塔」といった中国的なシンボルや中国風の絵画や文様が随所に散りばめられ、西洋と東洋が混ざり合った奇妙かつ豪華な装飾で見る者を飽きさせません。
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インフィニティ・ミラーの前で記念写真を撮りました。壁面は翡翠を思わせるような薄いグリーンで塗られ、暖炉やなどは建設当時のオリジナルの物が残されています。燭台のデザインは18世紀イタリアの画家で建築家であるジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージに由来し、彼の細密な版画は新古典主義建築の展開に大きな影響を与えました。
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壁には白い顔料で描かれたドラゴンと蛇の戦いが描かれています。「ドラゴン(dragon)」という言葉は、古代ギリシャ語の「ドラコン(drakon)」に由来し、これは「ヘビ」や「巨大な海の魚」を意味していました。ラテン語の「draco」も巨大なサーペント(ヘビ)を指し、ヘブライ語の旧約聖書でも「ヘビ」を訳す際に用いられました。
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中国神話ではヘビが「小さな龍」と呼ばれ、500年で「蛟(みずち)」になり、1000年で「龍」に、さらに2000年経つと「神聖な龍」に変身すると言われています。また海に千年、山に千年棲んだ大蛇が龍になるという伝説もあります。
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「エントランスホール」から「ロング・ギャラリー」へと進みます。ここは「チャイニーズ・ギャラリー」とも呼ばれました。50メートルを超える通路は「宴会場」へと続いています。
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「ロング・ギャラリー」はゲストが服を披露する、ファッションショーのランウェイのような役目もあったようです。当時は服装に多額の費用をかけて、できるだけ目立つように考えられました。
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「宴会場」へのアプローチの横には階段が設けられ、2階へと上がることが出来ます。
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「ギャラリー」に置かれた調度品1つ1つが気になってしまいます。獅子は通常子供をあやす雌の獅子が左側で、玉を持つ雄が右側になります。獅子の顔を正面にするために左右を逆にしているのが分かります。
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トップライトになっているガラス面にエナメルで描かれた絵画は不思議なデザインです。さらに何度も修復され、オリジナルから手が加えられています。
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シャンデリアは1815年にフレデリック・クレイスによってロンドンのベリー社で作られました。時計の人物も銅鑼のように時計を下げた中国の少年のデザインになっています。
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壁面は桃色に塗られた壁にグレー色で花鳥が描かれています。前に置かれた像は道教の「天官、地官、水官」の三官大帝だと思います。このうち天官は福を授け、地官は罪を赦し、水官は厄を解くとされています。天官大帝は毎年旧暦の1月15日に人界に降りて福を授けるため「天官賜福」と呼ばれます。
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三官大帝の信仰は古代中国の天、地、水に対する自然崇拝に由来します。東漢時代に張道陵が「三官手書」という儀式を導入し、信者の懺悔文を天、地、水に捧げることで災厄を解消しました。この信仰は魏晋南北朝時代に「三元」と結びつき、現在の三官大帝の形になりました。
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これら中国の宮廷官僚や女官の彩色された像は輸出用に作られ、中国南部で作られて18世紀後半から19世紀前半にもたらされました。これらはヨーロッパの宮廷で好まれジョージ4世は最大規模のコレクションを持っていました。人形の頭部はカウンターウェイトが付いているので、マイセンのパゴダ人形のように首を振るようです。
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模造品や本物の竹を使った家具や椅子やテーブルは1800年頃に中国の広州で造られました。
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この女性の人形が一番良く出来ていると思いました。衣装の細部までが良く再現されています。そして首振りというところにも惹かれます。マイセンのパゴダ人形は17世紀にヨハン・ヨアヒム・ケンドラーが作ったものですが、これはいったいいくらぐらいの価値があるのでしょう。
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宴会場の入り口まで来ました。両脇に分かれた階段の手摺のディティールの細かさに驚かされます。36年前に来た時はそこまで細かいところまで見ていなかったことに気が付きます。
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いよいよ「バンケットルーム」に入ります。ここからが「ロイヤル・パビリオン」の脅威の世界が始まります。
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