2025/05/23 - 2025/05/23
16位(同エリア24件中)
kojikojiさん
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- 旅行記1759冊
- クチコミ1205件
- Q&A回答73件
- 3,459,602アクセス
- フォロワー169人
「オズボーン・ハウス」の見学はさらにプライベートな空間に進んでいきます。「子供部屋」の横には子供たちの寝室でもある「保育室」があります。この部屋も夫妻のプライベートな居室の真上に位置しています。王子たちは7歳まで、王女たちは11歳までここで過ごし、その後はメインウイングのスイートに移りました。3階の見学の後は2階に降りて女王夫妻の居室から寝室へと見学を進めていきます。夫婦が一緒に仕事をしたというテーブルは休暇で来ていながらも仕事をしなければならないと思うと気の毒でもありながら夫婦の役割も垣間見られます。部屋に飾られた絵画を読み解いていくのも面白いのですが、あまり上手ではない絵画もあり全部を見ていくことは出来ないので先を急ぐために何枚かは写真を撮るのを飛ばして先へ進みました。すると係員のおじさんが声を掛けてきます。なにか注意されるのかと思ったら「あなたが写真を撮らないで見なかった写真はアルバート公とヴィクトリア女王自らが描いた絵画ですよ。」と教えてくれました。そして絵の説明と額の下に小さく印字された文字を教えてくれました。その絵画の題材は子供たちを描いたものが多く、彼女の子供たちへの愛情が溢れるものでした。逆にアルバート公の絵画は歌劇の登場人物の傾注していたりとその違いも面白いです。先に亡くなったアルバート公の部屋を40年経ってもそのままに残していたり、女王が亡くなったベッドも印象深く見学を進めます。1階に降りた後は本館からインド・サラセン様式で設計された「ダルバール棟」の内装も圧巻です。ヴィクトリアのインドへの思いが詰まってもいるようで、廊下に並ぶインドの藩王(マハラジャ)などの絵画も印象深いものです。やはり映画「ヴィクトリア女王 最後の秘密(Victoria & Abdul)」で女王との交流が紹介されたアブドゥル・カリムの肖像画は興味深いものでした。これでようやく館の見学を終わりましたが、大英帝国の1つの時代を見ることが出来たような気がしました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 50万円 - 100万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 観光バス 船 タクシー ヒッチハイク 徒歩
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「保育室」
「子供部屋」の横には子供たちの寝室でもある「保育室」があります。この部屋も夫妻のプライベートな居室の真上に位置しています。王子たちは7歳まで、王女たちは11歳までここで過ごし、その後はメインウイングのスイートに移りました。 -
王子たちは7歳まで、王女たちは11歳までここで過ごし、その後はメインウイングのスイートに写りました。
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この部屋は元々は1851年まで王室の子供たちの監督官を務めていたリトルトン夫人の今と寝室でした。
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子供たちを監督する彼女の仕事は多岐にわたりました。彼女は1849年に自身の所雲を記述しています。「帳簿、商人からの手紙、メイドの喧嘩、ドレスのサイズの間違え、ルバーブとマグネシアの好み、フランス語の性別の間違いや掛け算…。」
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3つ並んだ小さいベットがいかにも子だくさんの家族を想像させます。ここで子供たちが育って行ったと思うと微笑ましい気もしますが、その子孫が第1次世界大戦や第2次世界大戦へと続いて行くと思うと恐ろしい気もします。
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「ベルギーのシャーロット王女 」ルイ・ガレー
オーストリアの皇帝フランツ・ヨーゼフ1世と皇后エリーザベトとの確執は前の旅行記でも触れましたが、夫であるマクシミリアンが「トリエステ」の「ミラマーレ城」にてメキシコ皇帝に即位すると狂喜したそうです。皇帝とはいえフランス皇帝ナポレオン3世の傀儡にしか過ぎず、フランス軍が撤退した後は支援を求めてヨーロッパへ戻りますが失敗に終わり、パラノイアの症状を発症した後は「ミラ・マーレ城」に幽閉されます。そして、メキシコに残ったマクシミリアンはフアレスの臨時政府軍に捕えられ、銃殺刑に処されます。 -
「ラ・シャリテ」ジャン・バティスト・ファン・アイケン
「ラ・シャリテ」はフランス語で「慈愛」や「慈善」を意味する言葉で、ここでは「分け隔てなく人を癒す」ということだと思います。ヴィクトリアとアルバートのそんな気持ちも時代の中に呑み込まれていったようです。 -
子供たちの部屋は日本式の3階ににありました。ここから階段を降りて2階の見学に進みます。トップライトと吹き抜けの壁面に飾られたフレスコ画の設えは「コルフ島」のオーストリアの皇后エリザベートの別荘「アヒリオン・パレス」を思い出させます。建設年代を考えるとこの「オズボーン・ハウス」の方がかなり早いので、エリザベートが真似たのではないかと個人的には感じました。
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エリザベートは1889年にマイヤーリング事件以後、一人息子であるルドルフ皇太子を悲劇的に失ったことに深い悲しみを感じ、1年後にはこの夏の宮殿を避難所として建てています。建築様式は神話上のファイアシアの古代宮殿を示唆するように設計され、モチーフは彼女の愛したギリシャ神話の英雄アキレウスで、宮殿の名前の由来となっています。
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「オズボーン・ハウス」のフレスコ画のモチーフは「海の帝国をブリタニアに明け渡すネプチューン」という寓意です。ブリタニアは名前の通りイギリスを表すので、イギリスが世界大国として海の覇権を手にしたという意味です。
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3頭立てのヒッポカムポス(海馬)の牽く貝殻の戦車の上に立つネプチューンは翼の生えた帽子ペタソスを被ったメルクリウス(ギリシア神話の神々の伝令使ヘルメス)を介して、三叉の矛を持ったブリタニアに冠を渡しています。ブリタニアは左手をイングランドのライオンの頭に乗せています。ブリタニアの後ろの人物は産業と貿易と航海を表しています。
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この3階の階段ホールにはもう1つ見逃せないものがあります。
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一見何の変哲もない古代ローマ兵士の大理石像ですが、これはヴィクトリア女王の夫であるアルバート公が古代ローマの将軍に扮したものです。鎧の胸のレリーフは勝利の女神「ニケ」の姿があります。ギリシャ神話上の勝利の女神「ニケ」はローマ神話では「ヴィクトリア」と同一視されます。つまり胸に妻のヴィクトリアを抱いているという意味だと思います。
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ようやく追いついた妻に自分の発見を伝えようと思いましたが、これだけ階段を降りてしまっては戻ってくるわけがありません。説明しても大理石像は作ってくれないだろうし諦めます。
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2階に降りるとたくさんの絵画が展示してあります。ここにもいろいろな秘密が隠されているような気がします。この作品は「フィレンツェ」の「ウフィッツィ美術館」に収蔵されているフラ・フィリッポ・リップの4連の作品のうちの2枚でした。
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処女マリアに天使のガブリエルが降り、マリアが聖霊によってキリストを妊娠したことを告げ、またマリアがそれを受け入れることを告げる「受胎告知」を表す2枚です。それ以外に大アントニオと洗礼者ヨハネの2枚があるのですが、女王の好みでは無かったのでしょうか。
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「死を見つめる隠者」とタイトルされた絵画です。これは一見しただけで誰が描かれているのかが分かります。4世紀の聖職者であり神学者である聖ヒエロニムスは伝説によるとシリアの砂漠で隠者として暮らし、厳しい禁欲的生活を送りました。さらによく知られている伝説では、傷ついて足を引きずっているライオンと出会い、彼がライオンの足から棘を取り除いて傷の手当てをすると、ライオンは聖人の親しい友人となり、聖人とともに暮らしたと言われます。この絵画にライオンの姿はありませんが、彼のアトリビュートは聖書と頭蓋骨です。
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「瀕死の巡礼者と騎士」カール・シュミット
カール・シュミット(Carl Schmidt)という画家を気に入られていたのか何枚か展示してあります。ヴィクトリアにはイギリスよりドイツの血の方がはるかに濃く流れていて、計算上ヴィクトリアに流れるステュアート家の血は256分の1に過ぎず、残りはほとんどドイツ人の血です。そのためかヴィクトリアは日ごろから親独派で、ドイツから来た夫のアルバートも同様であったので女王夫妻はドイツ語を日常会話にすることが多かったそうです。 -
「ヴェネツィアの女性のポートレート」カール・シュミット
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第3王女のヘレナと第4王女のルイーズ、第3皇子のアーサーを描いたポートレートです。
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「プリンセス・ロイヤル」ウィリアム・チャールズ・ロス卿
1850年に描かれたトルコの衣装を着た第1王女のヴィクトリア(ヴィッキー)です。彼女は1840年生まれなのでちょうど10歳の可愛い盛りですね。 -
蓋付きのバスタブの横にはアルバート公の撮った子供たちの写真が飾ってありました。1854年のヴィクトリアの日記には「子供たちが素敵なサプライズを用意してくれました…。」王室の子供たちは特別な機械に両親のためにタブロー・ヴィヴァン(Tableau Vivant)や演劇やダンスを頻繁に上演しました。その1つである「四季のタブロー」は1854年の両輪の結婚14年を祝って上演されました。
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アルバート公のバスルームには19世紀半ばにしては珍しく拝観付きのバスタブ、洗面所、シャワーが備わっていました。この二はアルバート公の死後に取り付けられたのかもしれないと思いました。
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「アルバート公のドレッシングルーム兼書斎」
19世紀にはアルバート公の最も貴重な初期ルネッサンス絵画が飾られていたようです。そのほとんどが宗教画で、マンティーニャ、ベリーニ、フラ・アンジェリコの作品が含まれていて、その一部はロンドンの「ナショナル・ギャラリー」に収蔵されています。 -
「エリザベートを訪問するマリア」
イエスを妊娠していたマリアが洗礼者ヨハネを妊娠していたエリザベスへの訪問を描いた作品です。このコーナーにはラファエロの描いた作品の模写が飾られています。 -
ミラーの上には第1皇子のアルバート・エドワードと弟のアーネストの二重肖像画が飾られています。アルバート公の浴室と着替え室は未亡人となった女王にとって生前と可能な限り同じ状態に保たれました。女王の牧師を務めたランドール・デイビットソンは「彼の死後40年を経っても着替えの時間にはお湯が運ばれていた。」と述べています。
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「快活の人、沈思の人」ジョン・コールコット・ホーズリー
ジョン・ミルトンの詩の初期の傑作の1つで、2つの詩は対照的な内容を持ちます。前者では憂鬱を追いはらい、田園風景と音楽や酒宴の喜びを描き、また都市の人々の歓楽を描きます。後者は喜悦をまやかしとして退け、修道女やギリシア悲劇をたたえ、夜や学問の世界を快楽としています。 -
「ヴィうとリア女王の居間」
館の2階にあるこの部屋は窓からソレント海まで見渡すことが出来ます。夫妻は当時ここでロンドンから女王の使者によって絶えず届く書簡の作業に取り組んでいました。 -
ヴィクトリアは左側のテーブルに座り、テーブルには3つのベルがあったそうです。その1つは女王の主要な衣装係で腹心だったスケレット嬢、コーブルガー出身の小姓のアルバート、そして女王の個人的な付き添いとなったルドルフ・レーラインを呼び出していたようです。
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右側にあるアルバート公の机は脚が長いために抽斗が浅くなっている以外は同じものです。アルバートはここで女王の私設秘書として仕事をしていました。
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仕事が無いときは子供たちがここへ下りてくることもあったようです。アルバートと2人きりの時は訪れた場所の半が矢スケッチをアルバムに貼ったり、アルバートのプロジェクトの1つであるラファエロ全集の写真記録について話し合ったりしたようです。この糸車はスコットランドのアソールで造られ、アソール侯爵夫人から贈られたものです。
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壁面の官能的な絵画はウィンター・ハルタ―の「フロリンダ」です。これはアルバート公の誕生日に女王が1000ポンドで購入したものです。2011年に「オズボーン・ハウス」に返還されて元あった場所に掛けられました。
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こんな可愛らしい部屋で大英帝国の1つの時代が動かされていたのだと思うと不思議な気がします。これまで見てきたハプスブルグ家の宮殿や別荘とはまた違った驚きを感じさせる「オズボーン・ハウス」です。
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円形の絵画には生まれて間もない第3王子アーサーが描かれています。
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各国の宮殿が博物館になってしまって、人の生きた証のようなものはあまり感じませんが、この館には主であったヴィクトリア女王のいろいろな想いが残されているような気がします。
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「ヴィクトリア女王とプリンス・アーサー1850」ウィンター・ハルタ―
フランツ・クサーヴァー・ヴィンターハルターはドイツの画家で版画家で、19世紀中葉の王侯貴族の肖像画で知られます。派手やかなウジェニー皇后やエリーザベト皇后の肖像画などが有名です。パリを拠点にヨーロッパ中の貴族の肖像画を描き、ヴィクトリア女王のお気に入りの画家でもありました。 -
子供たちをこのようなガラスドームに閉じ込めていたら第1次世界大戦や第2次世界大戦は起こらなかったかもしれないなんて考えてしまいました。
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下の絵画はドン・カルロの一場面「ロドリーゴ(ポーザ侯爵)の死」の場面だと分かりました。稚拙な絵だと思いましたが、よく見ると描いたのはアルバート公でした。
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「ゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン」アルバート公
鉄の手のゲッツとしても知られ、ドイツ(フランケン)帝国騎士の傭兵で、詩人でもありました。彼は貴族の家に生まれ1498年から47年間、ドイツ農民戦争を含む数多くの軍事作戦に積極的に参加しました。彼と彼の傭兵軍はバイエルン公アルベル4世のために戦い、ランツフート市の包囲戦中に大砲の砲撃で右手首を失いました。その後数年間で彼は2つの機械式義肢鉄の代替品を作りました。絵画の中でも確認することが出来ます。 -
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「ポーザ侯爵」アルバート公
アルバート公はよほどヴェルディの「ドン・カルロ」、その登場人物の中でもポーザ侯爵(ロドリーゴ)が好きだったようです。 -
「キリストの誕生を告げる天使たち」チャールズ・ロック・イーストレイク
イーストレイクはロンドンのナショナル・ギャラリーの館長を務めたことでも知られています。展示されている絵画の全部は写真に撮れないので何枚かは飛ばしていると係員の方に声を掛けられました。なにか注意されるのかと思うと「あなたが写真を撮っていない絵画を良くごらんなさい。下の文字をよく読んで。」といわれます。 -
あまり貴重ではないだろうと写真を撮らないで飛ばしていたのはヴィクトリア女王が描いた絵画だったのです。
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1852年1月に6人の子供たちはアウグスト・フォン・コッツェブエの1803年の喜劇「Der Hahnenschlag」の公演に出演しました。特別な祭りの日にドイツの小さな村を舞台にしており、木に吊るされた花輪はその典型的な装飾です。アルフレッド王子は茶色のコートと黒い三角帽子をかぶった裕福な農民のピーター・ローチを演じ、妻のマルガレーテ(ヴィクトリア王女)と娘のハンチェン(アリス王女)の前を歩きます。前方には、さらに2人の農夫の子供、ヴィルヘルム(ヘレナ王女)とリーシェン(ルイーズ王女)がいます。アルバート皇太子はお腹を空かせた母親に食べ物を持ち帰るために、唯一の所有物であるコックバードを売らなければならない貧しい農民の少年フリッツを演じています。登場人物は全員バイエルンの伝統的なトラハトの衣装を着ています。
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「アタリ―からの情景」ヴィクトリア女王
アタリーは17世紀のフランスの劇作家ジャン・ラシーヌによって書かれた最後の悲劇であり、ユダヤ教を放棄し残りの王室を排除しようとしたが最終的に打倒されたユダ王の未亡人の物語を描いています。王室の子供たちはフランスの家庭教師ロランド夫人に助けられ、1852年2月10日の女王の結婚記念日の夜にウィンザーで劇の一部を上演しました。出演者は左からアブナー役のエドワード皇太子。アタリーの使用人としてヘレナ王女、アタリーは長女のヴィクトリアです。アルフレッド王子は最終的にアタリーを処刑した故王の孫ジョアス、アリス王女は殺人的なアタリーから幼いジョアスを救った大祭司の妻ジョザベス役、ルイーズ王女はジョザベスの息子ザカリー役を演じています。 -
女王のドレッシングルームには当時の慣習に従い、使用していないときは全身鏡付きのワードローブに見えるバスルームがあり、その横には巧妙に隠されたシャワールームもあります。通路には洗面所がありますが、寝室からはマホガニー性のワードローブの一部のように隠されていました。
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女王は1日のうちに何度も着替えなければなりませんでした。朝起きたとき、散歩に出かけるとき、大臣に会うとき、夜に食事をするとき、そして就寝する時です。衣装係とドレッサーは女王のその日のニーズを事前に把握し、適切な衣装とアクセサリーを準備する必要がありました。
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ドレッシングテーブルの上には1853年にアルバート公がヴィクトリア女王へのクリスマスプレゼントとして発注したミントン磁器のドレッシングテーブルセットがあります。
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窓の外の庭園を眺めることで自分が館の中のどの辺りにいるのかが何となく把握できます。
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「ヴィクトリア女王のベットルーム」
ヴィクトリア女王は1901年1月22日火曜日の午後6時30分に親族に囲まれてこの部屋で亡くなりました。葬儀の後に子供たちはベッドの上に名盤を置き、この部屋は家族の聖域として扱われました。 -
碑文の上部には「救世主があなたを家に呼ばれた。あなたの仕事は終わった。あなたは永遠の父の家で安らかに眠っている。」
下段には「悲しみに暮れる子供たち、孫たち、曾孫たち、愛する母であり女王である彼女へ、哀悼を込めた追悼の意を捧げる」とあります。 -
ベッドボードにはアルバート公の亡くなった時の肖像も飾られています。アルバートは結婚から21年後の1861年12月14日に腸チフスを患い42歳で薨去しました。持病の胃痛などの症状とアルバートの母親も30歳で癌に倒れていた事を見れば、彼はもともと胃癌であった可能性が高いと言われるそうです。
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クッションには「バンドが私たちを起こし、愛するアルバートは愛情で私を圧倒しました。ヴィクトリア、1860年」とあります。これは誕生日の朝に楽団が窓の外で起こした時の日記だと思います。
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ヴィクトリア女王が亡くなった後に作られたであろうベットカバーの刺繍には「萬」の文字が。
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「慶」の文字も読めますが反対側へは周れないのでそこの書かれているであろう漢字も気になります。
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「聖母子」ウィリアム・ダイス
スコットランドの画家で英国の公芸術教育の形成とサウスケンジントン学校に貢献しました。ダイスはラファエル前派と最も関連し影響を与えた人物です。 -
この絵画については何の情報もありませんでしたが、行ったことがある「マジョーレ湖」の「イゾラ・ベッラ」だと分かりました。澁澤龍彦の「ヨーロッパの乳房」に収録された短編を読んで、30歳の時に絶対に行きたいと思い2カ月のイタリアとスイスの旅の途中で立ち寄りました。
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こちらは何度も行った「フィレンツェ」の「ミケランジェロの丘」からの眺めです。妻と行ったフィレンツェは楽しい思い出として残っていますが、その前にガールフレンドと行った1カ月のイタリア旅行はつらい思い出もあり、映画「冷静と情熱のあいだ」はいまだにちゃんと観られません。
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再び1階まで戻ってきました。ちょうどお昼時間になったので他の見学者の姿も全くなくなりました。もちろん妻とも離れ離れになったままです。
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第4王女のルイーズの肖像画です。彼女は家庭教師によって教育を受け、20歳の時には国立の芸術学校に通っています。この肖像画はオーストリアの肖像画家ハインリヒ・フォン・アンゲリによって描かれました。彼の後援者の中にはドイツ皇后ヴィクトリアやその母親であるイギリスのヴィクトリア女王がいました。
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「角(つの)の部屋」
ここは来客用の居間でした。家具のほぼすべてが鹿の角で作られています。シャンデリアはともかく、椅子の背はお客に帰れと言っているように思えます。 -
壁にはヴィクトリア女王の愛馬や愛犬の絵画や写真が飾られています。
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長いすの上にはランドシーアによる有名な「オズボーンのヴィクトリア女王」の肖像画が飾られています。
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これまで乙ズレた各国の宮殿や離宮に必ず納められているスノーボールです。18世紀のロココ様式最盛の時代にマイセンの有名な造形作家ケンドラーによって創作されました。1739年にアウグスト強王の息子であるアウグスト3世がその妃のマリア・ヨゼファへ「永遠に枯れぬ花を」と贈ったセットコレクションが始まりです。
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孔雀が描かれた薩摩焼の大きな花瓶が一対納められています。
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「ヴィクトリア女王のエレベーター」
このエレベーターは衰弱していく女王が2階の居室へ安易にアクセスできるように1893年にOTIS社によって設置されました。現在も世界中でエレベーターを設置している会社せいだということに驚きましたが、手動だったと知って皿の泥来ます。 -
「ロクスバラ侯爵夫人スザンナの肖像」
スザンナはヴィクトリア女王の女官を務め、女王の最も親しい友人の1人でした。肖像画は豪華な額縁に収められ、上部には王冠の装飾が施されています。 -
インドのハイデラバード藩王国の第7代藩王でるミール・オスマン・アリ・ハーンの肖像のようです。アサフ・ジャー朝最後の藩王で当時は世界で最も裕福な人物の1人といわれました。
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ジョードブル藩王国の藩王(マハラジャ)のウマイド・シンのようです。彼はイギリス領インド帝国時代の藩王で、1947年にインドが独立するまで統治しました。
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インドの田舎で人々が列車の通過を眺めに来ている様子を描いています。インド人画家の画家アムリタ・シェールギルによる作品です。彼女はインドのモダニズム絵画の先駆者の1人といわれています。
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「マハラミ・バンバ・ミュラー」
彼女はパンジャーブ州最後の王であるマハラジャ・ドゥリーブ・シングの妻でした。エチオピア系ドイツ人の銀行家の娘で、海路のアメリカ人宣教師学校で教育を受けました。 -
インドのコダグ王国最後の支配者チッカ・ヴィーララージェンドラの娘であるヴィクトリア・ゴウランマ王女を描いたものです。彼女は父と共にイギリスへ渡り、ヴィクトリア女王の庇護を受け、洗礼を受けてキリスト教に改宗しました。聖書に左手を置いているところに改宗を暗示しているようです。
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インドでの反乱鎮圧後の1858年8月2日にヴィクトリアはインドを自らの直接統治下に置く法律に署名しました。これによりインド統治は東インド会社ではなくイギリス政府が行うこととなります。実質的にはとっくに滅んでいたムガル帝国は形式的にも崩壊し、以降ヴィクトリアは「インド女帝(Empress of India)」と俗称されるようになります。
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ディズレーリ時代にヴィクトリアはインドに強い興味を示すようになり、インド人侍従を側近くに置くようになりました。とりわけアブドゥル・カリームをペルシア語で「先生、師」を意味する「ムンシー」と呼んで寵愛し、彼はジョン・ブラウンの死後にブラウンに取って代わったと言っても過言ではない存在となりました。
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「スバダル・ムハンマド・べー」ルドルフ・スヴォボダ
彼は1857年のインド大反乱の功績によりインド人として初めてヴィクトリア十字勲章を授与されました。 -
「アグラの陶工ルクシラム」ルドルフ・スヴォボダ
この作品は1886年にロンドンで開催された植民地博覧会に出品されました。描かれているルクシラムは当時102歳でした。 -
「ラダ・ブッラブ・ミストリーの肖像」ルドルフ・スヴォボダ
この作品も1886年にロンドンで開催された植民地博覧会に出品されました。彼は当時38歳の大理石と石の彫刻家でした。 -
「カンブール出身の8歳のカーペット職人ラムラリ」ルドルフ・スヴォボダ
この作品も1886年にロンドンで開催された植民地博覧会に出品されました。 -
「サイード・アフマド・フセインの肖像」
彼はハイドラバード出身の貴族で、伝統的なターバンと白い衣装を身に纏っています。 -
「9枚のインド人の肖像」ルドルフ・スヴォボダ
この肖像画は1886年にヴィクトリア女王がゴールデンジュビリーの一環としてインドから招いた職人を描かせたものです。女王は彼らの旅費を支払い、ウインザー城で彼らに会う機会を提供しました。 -
「インド総督親衛隊のジェマダール・アブドゥル・カリム・カーンの肖像」ルドルフ・スヴォボダ
彼はインド人の軍人でジェマダールはイギリス領インド陸軍における下級士官の階級です。 -
「リサルダール・マジャールアリ・・ムハンマド・ハーンの肖像」ルドルフ・スヴォボダ
インド第2ベンガル槍騎兵連隊に所属していたアリ・ムハンマド・ハーンを描いたもので、1886年にウインザー城で制作されました。 -
「?ッサイダー・アンド・ワーディー・メジャー・アフマド・カーンの肖像」ルドルフ・スヴォボダ
この肖像画は1886年から1888年にインドを訪れた際に描かれました。アフマド・カーンはイギリス領インド陸軍の騎兵連隊、第11ベンガル槍騎兵隊の将校でした。 -
ヴィクトリア女王の個人秘書を務めたムンシー・アブドゥル・カリムの肖像画で、1889年にドイツ人の画家ハインリッヒ・フォン・アンゲリによって描かれました。アブドゥル・カリムは1887年にヴィクトリア女王の即位50周年を記念してインドから派遣された際に女王の目に留まり、その後女王にウルドゥー語を教えるなど厚い信頼を寄せられました。この肖像画はウインザー城に飾られていました。
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アブドゥル・カリムは2017年の映画「ヴィクトリア女王 最後の秘密(Victoria & Abdul)」で女王との交流が描かれています。この肖像画は1888年にルドルフ・スヴォボダによって描かれました。
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この絵も強く印象に残った1枚です。これはインドでで描かれたものですが、同じような商売はネパールでもありました。綿弓という道具を使って硬くなってしまった綿をほぐして、布団を打ち直す仕事です。
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彼はパンジャーブ州出身の著名な建築家バイ・ラム・シンという人物で、19世紀後半から20世紀初頭にかけてインド・サラセン様式の建築で活躍しました。彼はこのオズボーン・ハウスのダルバール・ルームの装飾を設計しました。
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ダルバール棟は1890年から1891年にかけて建設され、1階にはヘンリーオブバッテンバーグ夫妻が住んでいました。妻はヴィクトリア女王の末娘のベアトリス王女でした。
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女王は後年ベアトリス王女に非常に依存していたため、1883年にベアトリスが非公式に婚約を発表した時は6カ月口をききませんでした。
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1885年になってベアトリスは女王と共に暮らすということを条件に結婚を許可されました。「ダルバール」は公式の歓迎とそれを開催するホールの両方を意味するインドの言葉に由来しています。
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この部屋は19世紀末に一時的に流行ったインド・サラセン様式でデザインされました。北インドの伝統建築に触発され、イスラム様式とヒンドゥー様式とジャイナ寺院のディティールを融合しています。
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肖像画にあった建築家バイ・ラム・シンはロンドンの左官業者に使用する木製の型を制作させました。白い表面は漆喰とコルトン・ピエールと呼ばれる張り子の一種で造られました。
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1890年にルイーズ王女は暖炉の上に孔雀のレリーフを設けることを提案しました。
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これには26人の職人を暖炉とマントルピースの製作のために雇い、孔雀だけで500時間以上を費やしました。これは1人の職人が10週間休みなく働くことに相当します。
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深い格天井はムーム・アブ・ラタンのジャイな教などの中世の寺院建築にみられる天井装飾に由来しています。
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よく見ていくと1カ所だけガネーシャが埋め込まれている場所がありました。動物のモチーフは孔雀とこのガネーシャだけでした。
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昨年は2回インドを旅していて、特にアジャンタとエローラの石窟では美しい彫刻を見ることが出来ました。来年あたりにはまたインドの旅を再開したいと思います。
アジャンタ:https://4travel.jp/travelogue/11909858
エローラ:https://4travel.jp/travelogue/11915580 -
壁面と天井ばかりを眺めがちですが、長いテーブルのセッティングも素晴らしいです。
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1897年のある日の女王陛下の晩餐会のメニューが置かれてありました。
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ワイト島の「オズボーン・ハウス」を堪能した後の旅の最後はブライトンへ移動します。36年前に見た「ロイヤル・パビリオン」の再訪と妻を連れて行くのも今回の旅のテーマの1つです。残念ながらヴィクトリア女王はジョージ4世の造ったこの中国趣味の利休があまり好きではなかったようです。
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さすがに扉を全部白漆喰で作ることは出来なかったようです。それでも金メッキされたフェニックスなどセンスの良さを感じます。
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インドからもたらされた工芸品を見た後は館の見学を終えて庭園の見学に移ります。庭園にはレストランやカフェがあるのでそろそろ休憩しないと妻のご機嫌が斜めになってしまいます。
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2025/05/23~
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リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(48)早朝のブライトンの街歩きで36年前の旅のことを思...
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リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(49)セブンシスターズの断崖を歩き、英仏海峡の上を飛ぶ...
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リーガル・プリンセス英国周遊とイギリス南部3週間の旅(50)旅の終わりのブライトンで若い頃に観た映画「さらば...
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