2024/11/23 - 2024/11/23
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FUKUJIROさん
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この旅行記のスケジュール
2024/11/23
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電車での移動
JR小山駅で乗り換え
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JR足利駅
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電気機関車EF60-123
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東武足利市駅
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この旅行記スケジュールを元に
勤労感謝の日が土曜日と重なり、サラリーマンとしてはちょっと損した気分です。
天気予報では、北風の吹く寒い日になるらしい。
本当に秋が短くなってしまいました。
こんな日には、FUKUJIROの脳内には森高千里さんの「渡良瀬橋」が流れてきます。何度も通ったことのある渡良瀬橋ですが、夕日を見たことはなかったので、ふらっと出かけました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル 私鉄 徒歩
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今日は小山駅から両毛線で足利駅に向かいます。宇都宮線からの乗り換えはかなりの距離を歩きます。
以前から気になっていたのがこの案内表示です。待ち時間があるのでホームを歩いてみます。 -
6番線と8番線の真ん中を歩いて来ると、ここに着きました。
線路は撤去されていますが、昔は7番線があったようです。 -
7番線跡には柵がありますが、隣の8番線は歩けるので、さらに進んでみましたが、何もないです。
後日調べたところ、かつて郵便列車が走っていた時代には7番線を使っていたそうです。
6日前に青森港で見たスユニ50形を思い出しました。その後も荷物輸送で使われたりしたみたいで、数年前までは線路も敷設されていました。
ホームの上の高架は東北新幹線です。本数は少ないですが、東北新幹線の停車駅です。 -
最近のLEDは行き先表示がうまく写りませんが、かろうじて両毛線と読めます。
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JR足利駅です。
明治21年(1888年)5月22日開業。
昭和8年 (1933年)、現駅舎完成。91年経ちました。
平成10年(1998年)、関東の駅百選。
平成27年 (2015年)7月24日から森高千里の「渡良瀬橋」を発車メロディに採用しています。 -
駅前に足利の家紋が付いた「足利の水道水」がありました。
同じものを街中でも見かけました。柔らかな水で、美味しいです。
足利氏の家紋「丸に二つ引き」が目立ちます。因みにFUKUJIROの家も同じ家紋です。 -
駅前ベンチ。両崖山・天狗山の地形データで作られています。
とても座り心地が悪く、横になっみたら一瞬で身体中が痛くなりました。 -
北口に静態保存されているEF60形電気機関車のEF60-123です。
野ざらしのため、痛みが酷いです。 -
昭和35年~39年にかけて、貨物用・寝台特急列車(ブルートレイン)牽引用の計143両が製造されました。かつては両毛線で貨物列車を牽引していました。きっと郵便列車も引っ張っていたことでしょう。
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旧国道50線を歩きます。
群馬・栃木・茨城を繋いでいる片側1車線のこの道路、昔は至るところで渋滞が発生し、とても時間がかかりました。現在は北関東自動車道路があるので移動がとても楽になりました。 -
「子寶は黄金より尊し」の像。
昭和36年、山畑阿利一氏の作品。 -
足利まちなか遊学館(足利のわかりやすい歴史館)がありました。
1階は休憩スペースやいろいろな展示がありました。2階ではレンタル着物を扱っていて、着物で街歩きができるそうです。 -
織機。足利は古くから絹織物で栄え、大正から昭和初期にかけては、「足利銘仙」の生産が盛んだった
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史跡足利学校 大成殿の模型。
現存する大成殿は、寛文8年に造営されたもので、木造の大成殿としては日本で最も古いものです。 -
鑁阿寺(ばんなじ)楼門と太鼓橋の模型。
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足利市のふるさと。
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史跡足利学校の入り口。
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入り口に孔子石像があります。
室町時代、当時の関東管領・上杉憲実は鎌倉円覚寺から僧快元を招いて初代の庠主(しょうしゅ=校長)とし、足利学校の経営にあたらせました。全国の武将や僧侶の子弟が集まり、中国伝来の儒学を学んだと言います。
「日本最古の学校」とされています。 -
参道を進むと、入徳門があります。「入徳」とは「徳に入る」という意味で、道徳心を習得する所、すなわち学校に入るという意味です。
天保2年(1831年)鑁阿寺安養院の火災により類焼しました。天保11年頃に修築しましたが、腐朽したことから、明治42年(1909年)に裏門を移転修築したと伝えられています。
扁額の「入徳」は、紀伊徳川家第11代藩主徳川斉順の書です。
史跡足利学校の参観料は一覧個人480円ですが、勤労感謝の日は無料公開日でした。 -
史跡足利学校の参道にあるマンホール蓋です。
中央の「學」は、徳川家康から足利学校の庠主へ贈られた旗に記されていた「○に學」に由来します。 ただし,この旗は現存しないため、足利学校中興の祖である上杉憲実の字を使っています。
背景には字降松(かなふりまつ)、外周には「易」に使われる「卦」をデザインしています。
字降松は、読めない文字などを紙に書いて枝に結ぶと、ふりがなや注釈が付けられていたという伝説が残る松です。 -
至聖先師孔子像。平成3年建立。
学校門の手前にある高さ約4m(台座を含む)の孔子像です。
足利市の友都市である中国・済室市の人民政府に依頼し、嘉祥県武氏祠にある石彫工芸研究所で、同県産の天青石を用いて造られました。その資金は「ふるさと創生事業」の交付金でした。
儒学の始祖・孔子(紀元前552年~紀元前479年)は、中国の春秋時代・魯国(現在の山東省済寧市曲阜)の人で、歴代の皇帝に尊崇され、後に「至聖先師」の称号を贈られました。
日本人が大好きな「論語」(八佾第三)に、
「子曰く、夷狄の君有るは、諸夏の亡きに如かず」
と孔子の言葉が記されています。
周辺の国々を貶めることによって中国の優位を強調しており、悪名高い「中華思想」の元となっています。中華人民は世界唯一の文明だと宣じ、周辺の民族は中国皇帝に服従しなければならないと説いています。 -
像の前にある龍階石と一対の獅子像も中国で造られました。
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像の前にある龍階石と一対の獅子像も中国で造られました。
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像の前にある龍階石と一対の獅子像も中国で造られました。
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正一位霊験稲荷社の鳥居。
明和7年(1770年)、第十六世庠主千渓元泉が稲荷大明神を改め、正一位霊験稲荷社としました。言い伝えによれば、稲荷社の狐が様々な異変を知らせてくれたとされ、その霊験により江戸時代には足利の町をはじめ多くの人々の信仰をあつめました。 -
正一位霊験稲荷社。
11月には御供小豆飯(おそなえあずきめし)を藁に載せ、狐穴に供えたと云います。
もとは遺蹟図書館付近にありましたが、天神などの諸神を合祀し、明治42年(1909年)に現在地に遷宮しました。現在は、学業成就の神として信仰されています。 -
学校門。
寛文8年(1668)に造営されました。 -
扁額「學校」の文字は、明の書家・蒋竜渓(しょうりゅうけい)が来日した時の書を、当時の江戸国史館助教授の狛高庸(こまたかやす)が縮模したものです。
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ナンバンハゼ(精)。栃木県指定天然記念物。
ナンバンハゼは、元々日本に自生していない木で、林学博士の白澤氏が中国山東省にある孔子の墓上の木の実を拾って持ち帰り、足利学校が孔子に縁が深いことから、大正11年に植樹しました。
高さ約18m、幹周が約3.3mの雌木。 -
旧足利学校遺蹟図書館。足利市重要文化財。
大正4年8月に建設、レンガ積み構造に石材や漆喰で仕上げてあります。和風の屋根、洋風の外壁・内装など和洋折衷の様式です。平成6年改修。 -
キリスト教宣教師と足利学校の関係などについて展示されていました。
戦国時代末期、日本に来た宣教師たちは、日本人の学力に驚き、多くの知識人を輩出していた足利学校に強い関心を寄せました。
宣教師フランシスコ・ザビエルは「日本国中最も大にして、最も有名な坂東の大学」と世界に紹介しました。 -
東インド図の日本。
ベルギーの地図作家オルテリウスが1570年に出版した「世界の舞台」では、日本は楕円形の島として描かれています。
ここに書かれた地名は、ザビエルの情報が強く反映されています。
東インド図の中の地名
・ IAPAN=日本
・ Miaco=都=京都
・ Bandu=坂東=足利学校
・ Homi=近江=園城寺
・Negru=根来=根来寺 -
宥座之器(ゆうざのき)模型。
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孔子廟(聖廟)の杏壇門です。
寛文8年(1668年)造営ですが、明治25年(1892年)に学校西方の火災により屋根、門扉が焼け、その後再建したものです。柱等に、この時の焼けた跡が残っています。
「入徳門」「学校門」「杏壇門」「孔子廟」は国の史跡指定に含まれています。 -
扁額「杏壇」は紀伊徳川家第10代藩主大納言徳川治宝の書です。
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大成殿。聖廟又は孔子廟とも言われます。
内部には、正面に孔子坐像、右側には学校創建説の一人、小野篁(おののたかむら)公の像を祀っています。
大成殿は、寛文8年(1668年)足利学校第13世庠主伝英元教の時に造営されたもので、中国明代の聖廟を模したものと伝えられています。木造の大成殿としては日本で最も古いものです。
間口12.7m 奥行10.9m 建坪138.6平方メートルです。 -
扁額「大成殿」は有栖川宮織仁親王の王子で、後に京都知恩院門跡となった尊超法親王(そんちょうほっしんのう)の書です。
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南庭園。足利学校には、方丈の北と南それぞれに池のある築山泉水庭があります。
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足利学校の主屋は、左の方丈と玄関、その右に車理があります。玄関の奥には書院があります(宝暦年間の姿に復原)。
寄棟造りで屋根は茅葺き、禅宗寺院の方丈形式であるのが特徴です。梁間11m、桁行17m、軒桁までの高さ5m、外側の柱から茅の先(軒先)までが2.8m。地上から大棟までの高さは13.8mです。 -
玄関。本瓦葺きで唐破風。鬼瓦には「學」の字があり、足利学校を中興した上杉憲実の筆跡を模写したものです(マンホール蓋と同じ)。その奥に書院があります。
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庫裡は、かまどのある土間、板敷の台所、畳敷の四部屋からなり、日常の生活空間でした。
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宥座之器(ゆうざのき)。
史跡足利学校所蔵の「歓器図(うきよし)」を参考にして、群馬県館林市在住の針生清司氏(現代の名工)が制作し、足利市に寄贈しました。
銅製の器に水を入れ、入れすぎると器が反転して水がこぼれてしまいます。何事にも適当があること、「満ちて覆らない者はいない」の教訓となります。 -
母屋内にはいろいろな展示がありました。
扁額「學校」。寛文8年(1668年)蒋竜渓筆。
孔子廟とともに現存する最も古いものです。当時足利学校には蒋竜渓による「學校」の書があったのですが、門に掛けるには大きすきたため、書家の上左兵衛尉狛高庸(うえさひょうえのじょうこまたかやす)が縮模したものです。
学校門の扁額は、これを元に再度複製されたものです。ということで、オリジナルは現存していないようです。 -
「杏壇」とは杏の木の多く生えている高台という意味で、孔子が弟子に教えを説いた場所をさすようになり、さらには広く学間・研究をする所を意味するようになったそうです。
扁額「杏壇」の文字は紀伊和歌山藩・徳川治宝の筆で、天保14年5月24日に足利町の小林彦右衛門らによって寄進されました。明治25年、足利町の大火で黒く焦げてしまいました。 -
木造上杉憲実(のりざね)像。
新潟県南魚沼市の雲洞庵が所蔵する像を元に大久保弘成氏が模刻しました。
よろしければ、雲洞庵を訪ねた旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11779548 -
足利学校孔子像。
足利学校の大成殿に安置される孔子坐像を描いたもの。絹本墨画淡彩、横37.0cm、縦 104.2cm。昭和時代の作。 -
聖像図。
「一意斎豊臣可為(いっけいさいとよとみよしため)画」の落款があります。
浮田一意は、江戸時代末期の絵師。絹本著色、縦 110.6cm、横37.4cm。嘉永元年(1848年)。 -
孔子坐像。
台座には「昌平内聖堂所子夫子尊像」と刻まれ、湯島聖堂内にあった孔子像を模して明治43年(1910年)に新海竹太郎氏が制作しました。銅造、像高22.5cm。
湯島聖堂は大正12年の関東大震災で焼失しており、当時の孔子坐像の姿を遺す貴重な作品です。 -
方丈から見た南庭園。三つの峰をもつ築山が池に調和しています。発掘調査の結果と江戸時代の絵図によって、江戸時代中期の姿に復元しました。
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仏殿の間(方丈)。
2本の来迎柱の前に黒と朱の本漆塗りの須弥壇(しゅみだん)があり、高欄(こうらん)にはわらび手がついています。 -
脇仏壇には東照宮大権現(徳川家康)の位牌を安置しています。
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尊牌の間(そんぱいのま)(方丈)。
反対側の脇仏壇には徳川家歴代将軍の位牌が安置されています。 -
「小野篁公と論語の素読を体験しましょう」というVRコーナーもありました。
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行幸啓の御写真。
平成8年10月24日に上皇ご夫妻が、国賓のベルギー国国王・王妃の両陛下と皇太子殿下(当時)を足利市へご案内されました。 -
衆寮。
僧房または学生寮です。学生が寄宿し、あるいは遠くから通う学生が写本をするために泊まりました。折行八間、深間二間半、外壁は上が土壁の漆喰仕上、下が板張です。内部は、六畳間が四部屋続く長屋になっています。(宝暦年間の姿に復元)。 -
土蔵。周囲は漆喰仕上げで、屋根は栗板の柿葺きの耐火建築です。
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大日大門通りを北へ歩きます。
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足利導氏公像。
足利市出身の(彫刻家・中村宏氏の作品です。「ふるさと創生事業」の交付金で製作されました。 -
足利導氏公像。
台座の説明によれば、八幡太郎源義家の流れをくむ源姓足利氏は、永く足利の領主として、また鎌倉幕府にあっては、将軍に次ぐ武家の名門としての地位を得ていました。足利ゆかりの足利氏を顕彰し、室町幕府の創設者として最も名声の高い尊氏公の束帯姿の像を建立しました。 -
鑁阿寺(ばんなじ)の楼門。
鑁阿寺は、足利氏2代目の足利義兼が、建久7年(1196年)、邸内に持仏堂を建て、守り本尊として大日如来を祀ったのが始まりといわれています。
3代目の足利義氏が堂塔伽藍を建立し、足利一門の氏寺としました。
周囲に土塁と堀をめぐらし、鎌倉時代の武家の館を伝えています。
楼門の手前には屋根付の「太鼓橋」が架かっています。桁行約7.8m 梁間約3.4m、安政2年(1855年)11月に再建されました。 -
今も鑁阿寺の周囲には堀が巡らされています。
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山門(楼門)は、左右に仁王尊(金剛力士像)が祀られています。
足利幕府13代将軍足利義輝の再建と伝わっています。
この地は平安時代後期から、八幡太郎源義家の子義国とその子足利義康(足利氏祖)の2代にわたって堀と土手を築いて邸宅としました。 -
仁王像(阿像)。
寺伝では鎌倉時代の名匠運慶の作といわれていましたが、調査により桃山時代の作とわかりました。 -
仁王像(吽像)。
とても目の細かい金網に覆われています。 -
扁額は金剛山。
大正11年、境内地(お堀の中全域と土手及び外側の堀のまわりの歩道全体)が足利氏宅跡として国の史跡に指定されました。 -
鑁阿寺の境内。
足利義康(足利氏祖)の子・義兼は、保元・平治乱で多くの人命が失われたことを嘆いて出家し、義称(ぎしょう)と称していました。鑁阿寺では義兼の出家後の名前を「鑁阿」と説明していますが、「鑁阿」という僧と義兼が同一かどうかは不確定です。
寺域は長方形で、境内地1万2,300坪(40,467㎡)。東京ドームの約86%の面積です。 -
鑁阿寺本堂(大御堂)。国宝。
足利尊氏公の父・貞氏が、1299年、再建したとされます。
唐様と和様を折衷して禅宗様式を取り入れた建築で、当時の技術を示していることが評価され、平成25年(2013年)8月に国宝指定されました。かつて明治41年に国宝指定されましたが、戦後、重要文化財となっており、改めて国宝に指定されました。 -
地元住民からは、「大日様」と呼ばれ、親しまれています。
真言宗豊山派で、御本尊は大日如来、脇本尊として護摩壇に薬師如来、また聖観世音菩薩と聖天様が祀られています。後方壇には、弘法大師、興教大師、鑁阿上人像が安置されています。檀家はありません。 -
本堂の鬼瓦は迫力満点です。スマホで撮ってもスゴいです。
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鐘楼。
建久7年(1196年)、足利義兼が本堂に次いで造営しました。
和風と唐様折衷、鎌倉時代の禅宗様式の代表的な建築物とされ、明治41年に国宝指定されましたが、昭和26年に国重要文化財指定に変わりました。桁行三間、梁間
二間、袴腰付、入母屋造本瓦葺。
梵鐘は元緑時代の再鋳造で、戦時供出を免れました。 -
多宝塔。
足利義兼の創建と伝えられていますが、現在の建物は、相輪の宝珠から寛永6年(1629年)の再建とわかりました。
御本尊は、金剛界大日如来と勢至菩薩で、両側に十六羅漢が安置されています。
多宝塔としては日本一大きい建物です。栃木県指定文化財。 -
天然記念物の大銀杏。
江戸時代には既に大木となり、往古より避雷針の役目を果していました。
樹高31.8m、目通り周囲8.3mの大木で、樹齢は550年前後と推定されています。
地上3mのところから2本に分かれており、地上12m付近で枝が伸び、壮大な樹形をなしています。かつては樹下で青年男女の見合いが行われ、縁結びの御神木とも言われていました。栃木県指定文化財。
言い伝えによると「息をつかづに大銀杏の根本を3回まわると、樹上から白蛇が落ちてくる」そうです。今年は巳年、もう一度行こうかな。 -
徒然草の碑。
徒然草(第216段)に、足利の染物の話があります。
鎌倉幕府執権の北条時頼が、鎌倉の御家人・足利義氏の屋敷を訪ねたとき、時頼が「毎年いただく足利の染物が、待ち遠しいですね」と言うので、義氏が着物を献上したという話です。
足利義氏の所領は下野国足利にあり、晩年は足利に住んで鑁阿寺を完成させたということが刻まれています。 -
足和樂市 樂座。この日、B級グルメやフリーマーケット、音楽ショーなどのイベントが行われていました。
アイドル歌手の七瀬美菜さんのショーを立ち聴きしてから渡良瀬橋へ向かいました。 -
八雲神社。
渡良瀬橋の歌詞を作るとき、森高千里さんは足利市の八雲神社は3つだと思っていたそうです。足利市役所によれば「最低でも8つは存在する」ということですが、森高さんはどれかに特定するものではないと言っています。 -
こちらの八雲神社には、平成4年(1992年)に森高千里さんが参拝しました。
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森高千里さんが参拝したときの様子が張り出されていました。
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中橋は工事中でした。堤防よりも橋脚が低くなってしまったことから、10m下流に造った新しい橋脚に移設する工事が始まっていました。完成するのは2028年春ごろとされています。
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中橋は昭和11年(1936年)に完成した3連アーチ橋で、橋長296.08m、幅員11.00m。全国でも珍しい橋です。
移設後は、歩行者と自転車の専用橋となる予定。 -
上流へ向かうと、渡良瀬橋があります。
逆光で橋が見えませんね。 -
渡良瀬橋の夕日。
渡良瀬橋は、栃木県足利市のほぼ中央を流れる渡良瀬川に架かる自動車専用の県道5号線の橋です。特別な橋ではないのですが、森高さんの歌で観光名所となりました。 -
渡良瀬橋の歌碑もあります。森高さんの歌も流れます。
この日も10人以上の人が来ていました。皆さん無口で、日が沈むのをじっと待っています。 -
渡良瀬橋の夕日です。
でも、歌詞をよく見たら、「渡良瀬橋で見る夕日を♪」とあり、エ~っ橋の上から夕日を見るのか、と思った次第です。 -
渡良瀬川は両毛地域を東南東へ流れ、渡良瀬遊水地に流入します。その後、茨城県と埼玉県の県境を南へ流れ、栃木県・群馬県・埼玉県の三県境側を流れ、茨城県古河市と埼玉県加須市の境界で利根川に合流しています。
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渡良瀬橋は、6連ワーレントラス橋。橋長243.27m、幅員5.5m。自動車専用道路で、歩行者および自転車の通行は禁止されています。
歴史を見ると、明治35年(1902年)7月に木橋が架けられました。大正6年(1917年)に架け替えられ、昭和9年(1934年)9月に現在の鉄橋が竣工しました。渡良瀬川(松木川部分を除く)に架かる現存する永久橋としては、最古の橋です。 -
渡良瀬橋の上流側(西側)には歩行者・自転車専用の橋があり、橋の上から夕日を見ることができます。
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渡良瀬川(上流)。日が落ちてしまいました。
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足利市駅へ向かいます。
高架は東武伊勢崎線です。 -
足利市駅(北口)に着きました。
明治40年 (1907年)8月27日、足利町駅として開業。大正13年に足利市駅に改称。
昭和56年 (1981年)12月、高架下に新駅舎が完成しました。
駅前は暗いのですが、南口はもっと真っ暗でした。 -
最初にこれを見ても意味がわからなかったですね。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
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