2023/11/23 - 2023/11/23
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結城に戻り、街を歩きました
源頼朝が鎌倉幕府を開く頃、下野南部の豪族小山政光の子、後の初代結城朝光は頼朝から結城地方を与えられ、慶長6年(1601年)に18代結城秀康(徳川家康公の次男)が越前北ノ庄に転封するまでの約400年にわたって結城氏がこの地を治めました。
鎌倉時代に城下町として開かれ、城・侍屋敷・町屋敷・寺町がほぼ東から西に向かって展開され、城と町屋敷は湿地と堀割で囲まれ、また町屋敷の北・南・西の三方が寺町で囲まれています。
また、町内各所には見世蔵や土蔵・町屋といった伝統的建築物が点在し、古の栄華を感じることができます。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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JR水戸線の結城駅、北口ロータリーです。
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1Fに観光案内所(右端)がありましたので、観光マップをもらいました。
奥の観光物産館の店先では地酒の試飲会が行われていました。禁酒中の私は試飲だけで失礼しました。 -
建物脇に幾つかのモニュメントがあります。
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結城市民情報センター前の石像「野の花」。
結城市名誉市民・結城紬大使である詩人の新川和江氏が寄贈しました。
とても癒されるお顔ですね。 -
天皇皇后両陛下行幸啓記念碑。
平成28年10月12日、日本とベルギーの外交樹立150周年にあたり来日されたベルギー国王陛下、妃殿下とともに天皇皇后両陛下がご訪問されました。 -
蕪村句碑。
与謝蕪村は20歳の頃江戸に出て、元文2年(1737年)、野州烏山の早野巴人(はやのはじん)のもとで俳諧を学びました。
寛保2年(1742年)、師の死により、同門の砂岡雁宕のもとに身を寄せ、約10年間結城に滞在しました。
句碑の歌は、
丈羽の別荘で詠んだ
「秋のくれ 仏に化る(ばくる)) 狸かな」
近在の五助新田を偲んだ
「きつね火や 五助新田の 麦の雨」
結城滞在最後の年に詠んだ
「猿どのの 夜寒訪ゆく(よさむとひゆく) 兎かな」 -
下館では食料を調達できなかったので、駅前の中華屋、銀座園さんに入りました。
勤労感謝の日でしたが、地元のサラリーマン3人組が食事をしていました。 -
店頭にランチメニューがありました。
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揚げ豆腐と豚肉のピリ辛煮込みを頼みました。ご飯に合う味付け、美味しくいただきました。
因みに銀座園という店名は、店主(70歳代)が修行していたお店の暖簾分けだそうです。 -
まずは健田須賀神社を目指して北へ向かいます。
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右側に古い旅館の看板かまあります。
営業はしていないみたいですね。 -
健田須賀神社に着きました。
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社号柱。
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健田須賀神社(たけだすがじんじゃ)の大鳥居です。
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戦没者慰霊殿。
日本のために戦われた結城市出身の千二百余柱の英霊を祭祀しています。 -
手水舎。
参道左側にあります。 -
参道の右奥に社殿が見えます。
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二の鳥居。左側には神輿庫があります。
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拝殿。
健田須賀神社は、明治3年に健田神社と須賀神社が合祀した神社です。
健田神社は創建不詳ながらも大変古い歴史を持ち、現在地より2km程東南にありました。霊峰筑波山を遥拝する地にあり、結城の国造竹田臣の祖神武渟川別命を祀ったと云われています。
須賀神社は結城家初代朝光公が仁治3年(1242年)に尾張国津島神社よりご神霊を勧請し、江戸時代までは天王宮と呼ばれてました。御祭神は牛頭天王で、牛頭天王はインドの祇園精舎の守護神です。丑寅すなわち鬼門をにらむ邪気よけの強い神です。
また、牛頭天王は須佐之男命と習合されていたことから、現在の御祭神は須佐之男命です。須賀神社は結城城の鬼門除け、結城家第一の氏神として手厚くお祀りされ、民衆からも結城の産土神として崇敬されました。 -
扁額。皇紀二千六百年の記念に奉納されました。
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神楽殿。
春の例祭(4月15日)では茨城県指定無形文化財の太々御神楽十二座が舞われます。 最後には山の神より福餅が参拝者に撒かれ慣わしがあります。 -
縣社陞格記念(けんしゃしょうかくきねん)の碑。
昭和5年、茨城県県社に昇格しました。 -
御本殿。
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境内内の十二社。
結城家7代直朝公が康永2年(1343年)に定めた結城七社(健田須賀神社を除く六社)の他、香取神社(下総国一の宮)、松尾神社(酒造の神)、羽黒神社、三峯神社(火伏盗賊除の神)、白峯神社(淳仁天皇、崇徳天皇を祀る)、足尾神社(健脚の御利益)をお祀りしてます。 -
甲子稲荷神社。
境内の奥に鎮座しています。
御祭神は大国主命と倉稲魂命ですが、打出の小槌を持った大黒天との習合により福富の神として信仰されています。縁結び、五穀豊穣、商売繁盛、そして倉稲魂命は穀物を司る神です。 -
甲子稲荷神社。
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心を込めて打出の小槌を3回振るとご利益がいただけるとのことなので、しっかりと振りました。
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黄金色の鼠。
大国主命は鼠に助けられて火焔から逃れることができたとの神話があり、また、大黒天は子(十二支の鼠)の方向の守り神とされています。 -
次に時宗の常光寺へ来ました。正面に本堂が見えています。
永仁5年(1297年)に他阿(たあ)がこの地方を遊行した折に創建されたと伝わります。 -
常光寺の寺号標と阿弥陀如来坐像です。
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鋳銅阿弥陀如来座像(市指定文化財)は、地元では金仏さんの愛称で親しまれています。
古来、下野国佐野天明(栃木県佐野市)は鋳物の産地として名高く、室町時代に造られた金仏さまは天命(天明)の鋳物師の傑作と評価されています。 -
阿弥陀如来坐像の背中にはたくさんの文字が刻印されています。
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背中の銘文(説明)。
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小さなお堂がありました。
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十九夜観音とあります。
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こちらが十九夜観音(じゅうくやかんのん)。出産と育児の安全を願って女性のみで集まる子安講の一つです。
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金明山 天照院 常光寺は、慶長3年(1598年)に現在地に移築されました。
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本堂前にはソメイヨシノの古木があります。
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大正大震火災死者供養塔。
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常光寺の本堂。
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常光寺の本堂。
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石幢(市指定文化財)。
石幢(せきとう)は石燈籠に似ていますが、仏塔の一種です。国内では石灯籠の火袋(火を灯すところ)に仏像を納めたものが一般的です。 -
南無阿弥陀佛の碑。
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聖観音菩薩像。
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十三重塔。
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六地蔵尊。
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次へ向かいましょう。結城の街には蔵造りの建物が多く残っています。
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結城の街では珍しい洋風の門。
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続いて稱名寺(しょうみょうじ)へ来ました。
この山門は、二條門(高麗門)と呼ばれています。京都の二条家より釋信覚法師を迎えたときに二条家より譲り受けたもので、寛永3年移築、市指定有形文化財。 -
二條門の扁額。
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二條門縁起の碑。
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中門(薬医門)。
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中門は、結城氏の初代朝光から四代時広までの墓所入口の御霊屋の門だったことから御霊屋門(おたまやもん)と呼ばれています。室町時代の建立、市指定文化財。
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御霊屋門の扁額は新居山。
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「美魂無窮」碑。
称名寺檀信徒の太平洋戦争戦没者慰霊碑です。昭和45年建立。 -
鐘楼。寛永元年に再建されました。
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梵鐘。
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親鸞聖人像。
熊野詣の折に女官が出家したことで腹を立てた後鳥羽上皇は、建永2年(承元元年、1207年)に専修念仏を禁じました。承元の法難です。
法然の門弟4人が死罪となり、法然及び親鸞ら門弟7人は流罪、法然は四国へ、親鸞は越後国へ流されました。
親鸞は僧籍を剥奪され、「藤井善信」(ふじいよしざね)の俗名を与えられています。
4年後の建暦元年(1211年)に許されますが、親鸞は東国での布教のため、善光寺から上野国を経て常陸国へ入り、常陸国下妻の三月寺小嶋に3年、稲田郷に10年滞在したとも伝わっています。
また、肉食妻帯を行った親鸞聖人が京に戻った後も、妻の玉日姫はこの地に住んだと伝わり、城址公園にはお墓が残っています。 -
天水桶には結城家と同じ右三つ巴の寺紋がありました。
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浄土真宗本願寺派 新居山 稱名寺の本堂。
初代・結城朝光公は武将として活躍する一方で念仏信仰に篤く、建保2年(1214年)親鸞聖人と出会い、深く帰依しました。
嘉禄元年(1225年)、親鸞の高弟であった高田の真仏(しんぶつ)を開基に招き、稱名寺を創建しました。
御本尊は阿弥陀如来像。親鸞聖人自筆の往生要集が茨城県文化財に指定されています。
親鸞聖人の妻・玉日姫の坐像が祀られています。 -
扁額は大聖無上尊。
真仏の子・信証は、朝光の娘と結婚し稱名寺二世を継承し、その法統と血脈が受け継がれています。
称名寺の寺運は隆盛し、江戸時代は浄土真宗関東七大寺(常敬寺・勝願寺・善福寺・万福寺・称名寺・永勝寺・光明寺)に数えられました。 -
初代・結城朝光(ともみつ)公の墓です。
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大きな銀杏の木が背後にあります。
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この五輪塔は結城家の供養塔で、実際の墓所はかつて福聚山慈眼院(結城市、廃寺)のあった場所に残されています。
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結城七郎上野介朝光公記。
稱名寺境内には朝光・朝広・広綱・時広と四代までの結城氏の墓があります。 -
大将塚。
鎌倉幕府で源頼朝に近かった結城朝光公が、頼朝の死後にその遺髪と歯骨を奉授したとされています。
「大将」とはもちろん源頼朝のことです。 -
本堂の裏手に出ました。
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稱名寺の裏門から、すぐ近くに孝顕寺の東門がありました。
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参道を進むと、孝顕寺の山門です。
泰陽院 孝顕寺は曹洞宗の寺院です。
3600坪の境内地ですが、明治維新までは3万坪あったそうです。 -
孝顕寺の朱塗三門(市指定文化財)。
江戸時代中期に建立された楼門で、市指定有形文化財。 -
三門の扁額は、天女山。
鳥害防止の金網が残念です。 -
龍の彫刻。
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花手水がありました。
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坐禅堂、昭和60年建立。
檀家の鶴岡光男氏が寄進。 -
お稲荷様もあります。
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泰陽稲荷です。
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孝顕寺にはかつて3つの稲荷社がありました。永正稲荷を西町へ、雪光稲荷を白銀町へ、そして境内の泰陽稲荷社を復元建築御真体として笠間稲荷より御分霊を奉祀することにし、鎮守としました。
その御神徳は五穀豊穣、万民富楽、家業清栄、商売繁昌、身体健全、災難消滅、心願成就、諸縁如意。 -
鐘楼。
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梵鐘。
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未開敷蓮華を持つ観音菩薩像。
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「人間の値打ち」と題された碑。
お釈迦さまのお教え。 -
曹洞宗の天女山 永正禅林 泰陽院 孝顕寺。
創建は永正12年(1515年)、結城家十五代政朝が独放禅師を招いて開山しました。
当初は永正寺として創建されましたが、慶長4年(1599年)十八代秀康は現在地に移して孝顕寺に改称し、七堂伽藍を造営したそうです。 -
本堂内の御本尊の手より五色の綱が繋がっている角塔婆です。令和3年5月、本堂の落慶法要の記念に建立されました。
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孝顕寺本堂。
十八代秀康公が越前へ移封後も藩主・水野家の菩提寺として宗門格地に昇進し、関東有数の名刹と目されました。
直末寺院及び門葉百八十余寺を擁して、開山以来三十九世の董するに至り、仏祖単伝の正法の教えは脈々と受け継がれてきました。
平成27年3月、当寺三十八世彬道恵文大和尚(平成29年7月遷化)の発願による当寺開創五百年記念事業として本堂(1803年建立)大改修が始まり、先代の遺志を継いだ三十九世恵真住職が檀信徒と共に大改修に尽力し、令和2年5月に無事完成しました。
令和3年5月には、本堂落慶法要並びに三十九世晋山結制を修行されました。 -
本堂は100坪。
御本尊は、釈迦牟尼仏(本堂正面に安置)。
向かって右に文殊菩薩、左に普賢菩薩を安置しています。 -
次の浄土宗 弘經寺へ向かう途中です。
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辻のお堂(地蔵尊)がありました。
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山門がありました。
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毘沙門天の扁額。
ここは結城七福神めぐりコースの毘沙門天です。 -
毘沙門堂です。
享保19年(1735年)の絵図によれば、多聞寺という寺の毘沙門堂だったようですが、詳細は不明。多聞寺は明治初年に廃寺となっています。
毘沙門天は、四天王の一人である多聞天であり、元々は鎧兜を身につけ,左手に宝塔、右手に三叉矛を持ったインドの神でした。
お堂の毘沙門天立像は市指定文化財です。 -
毘沙門堂を中興した専戒上人の墓です。
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専戒上人の御像でしょうか。地蔵尊でしょうか。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。結城市内の街歩きが続きます。
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