2023/10/07 - 2023/10/07
1位(同エリア188件中)
FUKUJIROさん
- FUKUJIROさんTOP
- 旅行記346冊
- クチコミ132件
- Q&A回答95件
- 383,290アクセス
- フォロワー273人
この旅行記スケジュールを元に
伊勢崎の歴史を見ると、「昔は栄えていた」ことがわかります。
群馬県には、3,500余の古墳がありますが、その内の約1,000基は伊勢崎市にあり、また、豪族の屋敷を模した家形埴輪が出土したことからも、昔から力のある豪族が存在していたことが推測されます。
土地は火山灰地で水はけがよく、桑の成長に適していたため、古くから養蚕が盛んでした。
江戸時代には太織の産地として知られており、明治以降は伊勢崎銘仙が全国的に広まって、織物の町として発展しました。
現在、市は市街地再開発を進めていますが、歴史や文化が蔑ろにされているとして「2度目の伊勢崎空襲」だという批判の声も聞かれました。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 私鉄 徒歩
PR
-
かかあ像。
俗に「上州の空っ風とかかあ天下」と言われますが、本当は「上州かかあ天下一」で、働き者の上州女性をリスペクトしているのだそうです。平成4年建立。 -
伊勢崎神社の東鳥居。
健保元年(1213年)9月23日、三浦義澄によって創建されたと伝えられています。三浦義澄は、神奈川県三浦半島付近を領有していた武将ですが、伊勢崎との関係は良くわかりません。
午前中に参拝した同聚院は、義澄の父である三浦義明が創建したと伝わっていますから、何らかの繋がりがあったのでしょう。 -
天岩戸を開けるタヂカラオ。
-
天岩戸の前で踊るウズメ。
-
天孫降臨のウズメと猿田彦の出会い。
-
神社を囲む瑞垣にも十二支の彫刻がはめ込まれていました。
-
狛犬(阿形)。ちょっと面白い顔をしています。
-
狛犬(吽形)。
-
真正面に拝殿があります。
元々は飯福神社と称していましたが、大正15年に市内の神社を合祀して伊勢崎神社と改称しました。
境内地は約700坪、拝殿は昭和10年の造立です。 -
手水舎。
-
手水鉢。接近すると自動でお水が出てきます。
-
水盤には紅葉葉やお花が浮かんでいました。
-
拝殿。
元徳元年(1329年)、国司であった新田義貞が社殿を修復、八坂神・稲荷神・菅原神の3神を祀りました。
現在、主祭神は保食神(うけもちのかみ)、その御神徳は家内安全、商売繁昌、五穀豊穣です。
多くの神社を合併したことから、他にも大日女命(おおひるめのみこと、天照大御神)や素戔嗚命をはじめ27柱の御祭神を祀っています。 -
拝殿右横の狛犬、灯籠。
ちょっと押し込められてる感じです。 -
拝殿左側にも狛犬、灯籠。
-
拝殿向拝の彫刻。
-
拝殿の正面には、扁額とともに木製のプロペラが掲げられています。
これは、大東亜戦争のとき、中島飛行機(ゼロ戦などを製造していた会社)の社員が、戦地からの無事の帰還を願って九〇式三号水上偵察機のプロペラを奉納したものです。
現在は、渡航安全・航空安全を祈願しています。
当時、伊勢崎には中島飛行機に関連する部品工場などが多数あったことから、終戦当日の空襲目標とされてしまいました。 -
扁額は伊勢崎神社。
-
御本殿。
南・西・北の3面には緻密で壮麗な彫刻が施されています。
彫師は、上州花輪石原常八郎 石原常次郎、武州本庄駅 武正常三郎、東都日本橋 後藤三次橘恒徳の3名とわかっています。 -
御本殿の脇にはイチョウの大木。
-
御本殿の彫刻(南面)。
「一枝乃春」。南朝・宋の陸凱が友人の范曄が住む長安に向かう使者に一枝の梅の花を託すという漢詩を元にしています。 -
御本殿の彫刻(西面=背面)。
「養老の瀧」。奈良時代、岐阜県養老山地の滝から、病に効く醴泉が湧き出たという故事に因んでいます。 -
御本殿の彫刻(北面)。
「金龍周の武王を護る」。武王(殷を滅ぼし、周を興した)が、殷の最後の帝辛を滅ぼす戦いで、殷の方相が長槍で武王を突き刺そうとした時に、金龍が現れて武王を護ったという逸話を元にしています。 -
神楽殿。
隣に三光町の稲荷社があります。 -
神楽殿。
-
稲荷社。
-
鳥居の陰からお狐様の顔が見えました。
-
御神木。
-
芭蕉句碑。
よくみれば
薺(なずな)花さく
垣ねかな
貞亨3年(1686年)、芭蕉44歳。
全国至る所に松尾芭蕉の句碑がありますが、群馬県には220基もあるそうで、全国2位となっています。それというのも繊維産業、織物産業が盛んで、俳句を嗜む余裕のある人が多かったからとのこと。 -
伊勢崎神社の南側には、呑龍通りを挟んで本光寺があります。
-
本光寺の案内板。
-
鐘楼。
-
本光寺の本堂。
遍明山 接取院 本光寺は、浄土宗のお寺で御本尊は阿弥陀如来です。
貞永元年(1232年)に中道遍上人が開き、元亀元年(1570年)に誓誉祐真上人が現在地に移転しました。 -
扁額は遍明山。
明治13年11月、伊勢崎織物組合の設立に向けて、ここ本光寺で会議を開いたと記録されています。 -
本堂正面の向かって左側には、吞龍上人の扁額が掲げられています。
幕末の安政3年(1856年)、群馬県太田市にある義重山 大光院より吞龍上人の御分身を勧請し、本堂内にお祀りしました。
「火伏せ・子育て呑龍様」として知られ、毎月7日が縁日、12月12日にはお酉様が開かれていたそうです。 -
呑龍様の前には壊れたままの賽銭箱が置かれ、無惨な状態でした。
ここで熊手を購入したら、落ちぶれてしまいそうに思いました。 -
無縁仏の石塔。
-
左は伊勢崎藩第7代酒井培堂の句碑、1865年建立。
右は宗祖明照大師七百回御遠忌記念碑。 -
日露戦没紀念碑。
-
鐘楼の隣には豊川稲荷が勧請されています。
-
寺伝によると、本光寺総代が京都への旅の途中で愛知県豊川市にある妙厳寺(豊川稲荷)に参詣したところ、「本光寺の法灯守護にこちらの稲荷が尽力する」とのお告げがあり、本光寺に荼枳尼天を勧請しました。延亨5年(1748年)よりも前のことだそうです。
-
なんとも寂しい本光寺でしたが、呑龍通りそのものがかなり寂れていて、長いシャッター通りとなっています。通り名を示す看板も傾いたまま。
-
呑龍通りは市街地の東にある新伊勢崎駅まで続いていますが、まともにお店を開いているのは、ベイシアだけでした。
-
新伊勢崎駅の西口です。
新伊勢崎駅は、明治43年(1910年)開業、平成25年7月に現在の新駅舎開業。
すごく立派な駅でビックリしました。 -
新伊勢崎駅の西口前の様子。駅の立派さとは対照的に殺風景です。
-
新伊勢崎駅の東口の様子。
駅前まで従宅地になっています。 -
気を取り直して、本光寺から呑龍通りを西へ向かいます。
突き当たりが西町通りで、呑龍通りの終わりです。 -
呑龍バーガーの看板です。
どんなものか見たかったのですが、お店は閉まっていました。
街全体に活気がないのですが、特に飲食店がダメでした。潰れているのか、単に閉まっているのか不明ですが、観光客が食事をするような場所はありませんでした。 -
「まちなか文化祭」のチラシが貼ってありましたが、雨に晒されてシワシワだし、斜めに貼られているし、侘しさが募りました。
-
西町通りを南へ進むと、目的地の一つ、相川考古館に着きました。
江戸時代初期から金物屋を続け、後に醤油醸造や薬種商などの商売で成功した相川家の建物が残されています。 -
公益財団法人相川考古館の入り口です。
人類学者の相川之賀(あいかわ しが)が収集した歴史資料・民俗資料・考古資料を収蔵・展示している私立の博物館です。
開館時間は午前9時30分~午後4時30分
休館日は月曜日(祝祭日除く)と年末・年始
大人500円。 -
門を潜ると左側にお店があります。
相川考古館敷地内にある公式のお土産屋さん「たけや」です。
店先には菓子パンが並べられています。
店内には、ミニチュアの埴輪やお菓子などが雑然と置かれていました。 -
たけやの店先でボーッとしていると、敷地の奥から中年男性が走ってきて受付しました。
この方が、建物や展示品の説明をしてくれたのですが、館長さんなのかな。
この建物が、母屋です。 -
敷台のある建物で、江戸時代末期に建てられました。幕府の巡検使が休憩所として使ったそうです。
-
入り口は狭いですが、奥は広い敷地です。
建物外観のみ撮影可能ですが、建物内部や展示品は一切撮影禁止でした。 -
江戸時代末期の文久元年(1861年)に建てられた茶室、觴華庵(しょうかあん)。
群馬県内最古の茶室建築ですが、傷みがひどくなり、近年改修されたそうです。
この茶室の奥に小さな土蔵があり、その中に稲荷社があります。
御祭神は相川大明神。この建物のオーナーが神様になって祀られています。 -
蔵。
この中に国重要文化財の人物埴輪4躯が展示されています。詳しい説明をしてくれましたが、爺が記憶できるはずもなく、ボーッとした顔をしていたら、「たけや」で絵葉書を買ってくださいと言われてしまいました。 -
蔵の中では4躯の人物埴輪が横に並んでいました。
左から武装男子立像、琴弾男子倚像(ことはにくん)、武装男子立像、男子立像。
大きさは50~70cm位でした。いずれも群馬県内の古墳から出土したもので、すべて6世紀の作とされています。
記憶力が激しく減退している私は絵葉書(4枚1組400円)を買いました。その絵葉書の写真です。 -
母屋。その後、母屋に入り、またまた建物や展示品の詳しい説明を受けました。すでに記憶はほぼ消えてしまいましたので、絵葉書を購入しておいて良かったです。
-
相川さん家を辞して、西町通りを北へ向かうと伊勢崎郵便局がありました。昭和55年(1980年)7月に竣工。
立派な駅もそうですが、やはり保守王国の群馬県ですから「人(文化や衣食住)より物」の意識が高いみたいです。 -
西町通りを北上すると突き当たりが伊勢崎市立北小学校です。
この辺りは、赤石城(伊勢崎城)の廃城後に置かれた旧伊勢崎陣屋跡で、北小学校は、明治6年に「赤石学校」と称して創立されました。 -
旧時報鐘楼。大正5年(1915年)に完成、市指定重要文化財。
横浜で薬種商を営んでいた小林桂助の寄付で建造された群馬県内最古の鉄筋コンクリート造りの建造物。高さ14.56m。 -
旧時報鐘楼から路地をクネクネと歩いて北西方向へ進み、路地の先にトンネルを見つけました。
-
赤煉瓦トンネルです。
グーグルマップにも出てこないので、普通の観光客はまず来ない場所です。 -
短い赤煉瓦トンネルを抜けると、道は途切れていました。
かつては、この先に徳江製糸所(機械式製糸工場)があり、坂の上にあった従業員寮との通行のために造られた隧道でした。 -
この先には広瀬川の河川敷が広がり、明治12年に徳江八郎氏が12人繰りの徳江製糸場を創業しました。
事業は発展し、富岡製糸場に次ぐ歴史と規模を有する製糸工場でしたが、昭和6年(1931年)、昭和8年の説もありますが、工場閉鎖となりました。
徳江製糸場は、製品のほとんどを米国に輸出していたため、昭和大恐慌(昭和5年)の直撃により経営破綻したようです。 -
「丸窓の製糸場」と呼ばれていた徳江製糸場は6千坪にも及んでいたそうで、大勢の女工さんが働いていたことでしょう。
-
トンネルの中央にしゃがみ、イギリス積みの煉瓦を見ていると、明治、大正、昭和の時代を駆け抜けた女工さんの足音が響いているように感じました。
-
伊勢崎市のマンホール蓋。
中央に市章の「まがたま」、その周りに市の花ツツジをデザインしています。 -
駅の近くまで戻ってきました。善應寺です。
-
施無畏山 鏡泉院 善應寺(ぜんのうじ)。
天台宗のお寺で、御本尊は聖観世音菩薩です。平成19年(2007年)に総檜造りの本堂を再建しました。
善応寺は江戸時代の初期に宗存阿闍梨なよって創建され、守澄法親王より寺号と仏像を下賜されました。
東叡山寛永寺の直末寺院となり、明治維新にあたっては比叡山延暦寺の直末に列せられていますので、かなり格式の高いお寺のようです。
大東亜戦争終戦当日深夜の米軍による伊勢崎空襲により全てを焼失しました。 -
薬師堂。平成3年(1991年)に再建。
薬師瑠璃光如来をお祀りしています。薬師如来は、病気平癒をはじめ、人間の悩みや苦悩を取り除いて癒しを与え合います。
堂内には護摩壇(ごまだん)が設けられており、ここで火を焚いて祈願を行います。 -
墓地の入り口付近の様子。
-
入り口には大師さまの像があります。
-
右に傳教大師さま(最澄)。
-
左に慈恵大師さま(天台宗中興の祖)。
-
六地蔵尊。
-
大師像と六地蔵尊の真ん中に建っているお墓が、国定忠治の墓(情深墳)です。
忠治の戒名である「遊道花楽居士」とあるのですが、ちょっと読めませんね。
国定忠治(本名・長岡忠治郎)は文化7年(1810)に上州国定村で誕生。若くして無道の道を歩み、上州きっての侠客として悪名を知られていました。
その反面、地元民衆には飢饉の折に援助を施すなどして人気があったようです。
嘉永3年(1850年)に大戸の関所(群馬県吾妻郡東吾妻町大戸)で磔刑に処されましたが、彼の愛妾であった菊池徳が刑場より忠治の遺体の一部を盗み出し、善応寺に埋葬したそうです。 -
台座には、かなり薄くなっていますが、「情深墳」と彫られています。
-
側面には、国定忠治が磔刑に処された嘉永3年(1850年)12月21日、長岡徳と彫られています。
-
背面には、念佛百万遍供養。
伊勢崎空襲前は、忠次の片腕が保管されていたということです。 -
駅方向に敷地が広がっています。米国軍に焼かれる前は、ここにも堂宇があったのでしょうか。
この後、国定忠次のお墓で有名な養寿寺に行こうと考えていたのですが、歩き疲れてしまい断念しました。 -
ベイシア スーパーマーケット伊勢崎駅前店。
駅前の一等地に建っています。
駅前で唯一の飲食店、ぎょうざの満洲 伊勢崎駅前店が入っています。 -
見どころ満載だった伊勢崎さんぱを終えて、東武伊勢崎線の普通電車で帰りました。
昼食を食べるような店がないので、食料持参がポイントです。どうも伊勢崎の飲食店は夕方から営業する店が多いようです。
最後までお読みいただきましてありがとうございました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
旅行記グループ
茨城・栃木・群馬の旅その2
-
前の旅行記
昔は栄えていた伊勢崎の盛衰を偲びながら街歩きしました(午前の部)
2023/10/07~
伊勢崎
-
次の旅行記
古峯神社に参拝して、古峯園の紅葉を見ました(前編)
2023/11/02~
鹿沼
-
日本一の産出量を誇った足尾銅山跡を歩きました
2021/11/03~
足尾
-
わたらせ渓谷鐵道(間藤駅~足尾駅~通洞駅)に沿って下って、歩きました
2021/11/03~
足尾
-
足尾銅山観光を観光してから、わたらせ渓谷鐵道を完乗しました
2021/11/03~
足尾
-
佐野に義人・田中正造翁の生家を訪ねました
2021/11/04~
佐野
-
東武佐野線の終着駅、葛生駅まで行って廃線跡を歩きました
2021/11/04~
佐野
-
SLもおか号に乗って真岡線の終着駅・茂木駅を目指しました
2021/11/20~
益子・茂木
-
真岡駅とSLキューロク館、そして門前エリアを散策しました。
2021/11/20~
真岡
-
那須烏山市の山あげ会館と龍門の滝を観光して、蓄電池駆動電車で帰りました
2021/11/21~
那須烏山
-
チーバーと孫の3人で初お泊まり旅
2021/12/19~
佐野
-
2023GWは9連休だけど、やっぱり安近短(1)高萩炭礦資料館とパワースポットいっぱいの高萩八幡宮
2023/04/29~
高萩
-
昔は栄えていた伊勢崎の盛衰を偲びながら街歩きしました(午前の部)
2023/10/07~
伊勢崎
-
昔は栄えていた伊勢崎の盛衰を偲びながら街歩きしました(午後の部)
2023/10/07~
伊勢崎
-
古峯神社に参拝して、古峯園の紅葉を見ました(前編)
2023/11/02~
鹿沼
-
古峯神社に参拝して、古峯園の紅葉を見ました(後編)
2023/11/03~
鹿沼
-
オータニサンにも見てほしい世界で唯一の大谷資料館
2023/11/08~
宇都宮
-
大宝八幡宮を参拝して、結城の街を歩きました(前編)
2023/11/22~
結城・下妻
-
大宝八幡宮を参拝して、結城の街を歩きました(中編)
2023/11/23~
結城・下妻
-
大宝八幡宮を参拝して、結城の街を歩きました(後編)
2023/11/23~
結城・下妻
-
辰(龍)年の記念に、かつては日本一の長さを誇った竜神大吊橋を渡ってみました
2024/01/14~
常陸太田・東海村
旅行記グループをもっと見る
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
伊勢崎(群馬) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
旅行記グループ 茨城・栃木・群馬の旅その2
0
84