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足尾銅山で採掘された鉱石を運ぶために敷設された鉄道は、足尾鉄道から国鉄足尾線・JR足尾線を経て、わたらせ渓谷鐵道と変遷してきました。 <br />開業当初に建設された鉄道施設が現在も数多く活躍しており、その文化財的価値が認められ、駅舎・橋梁・トンネルなど38の鉄道施設が登録有形文化財となりました。 内、足尾地区には12施設があります。栃木県と群馬県の2つの県にまたがる鉄道施設の登録は、全国でも初めてです。<br />わたらせ渓谷鐵道では、トロッコわたらせ渓谷号を運行しています。<br />ディーゼル機関車が4両の客車を引っ張る昔ながらのスタイルです。客車は窓ガラスのないオープンタイプのトロッコ車両2両を、窓ガラス付きの普通車両2両で挟み込んだ格好で連結します。<br /><br />当初はトロッコわたらせ渓谷号に乗車することを考えたのですが、1日1往復のため、現地での行動が大きく制約されてしまいます。今回は乗り鉄を諦めて、現地での行動を優先することにしました。<br /><br />1日目<br />普通電車と東武日光線を乗り継いで東武日光駅へ。日光駅から日光市営バスで日光市足尾町赤倉へ移動<br />足尾銅山の本山精錬所跡から徒歩で間藤駅、足尾駅を経由して通洞駅へ<br />鉱山跡の足尾銅山観光を見学してから間藤駅へ戻り、わたらせ渓谷鐵道を乗り通して桐生駅へ。桐生に宿泊<br />2日目<br />桐生駅から佐野駅へ移動し、バスと徒歩で田中正造生家跡を見学<br />東武佐野線の終着駅・葛生駅まで移動し、廃線跡などを見学してから帰宅

わたらせ渓谷鐵道(間藤駅~足尾駅~通洞駅)に沿って下って、歩きました

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2021/11/03 - 2021/11/03

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FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

2021/11/03

この旅行記スケジュールを元に

足尾銅山で採掘された鉱石を運ぶために敷設された鉄道は、足尾鉄道から国鉄足尾線・JR足尾線を経て、わたらせ渓谷鐵道と変遷してきました。
開業当初に建設された鉄道施設が現在も数多く活躍しており、その文化財的価値が認められ、駅舎・橋梁・トンネルなど38の鉄道施設が登録有形文化財となりました。 内、足尾地区には12施設があります。栃木県と群馬県の2つの県にまたがる鉄道施設の登録は、全国でも初めてです。
わたらせ渓谷鐵道では、トロッコわたらせ渓谷号を運行しています。
ディーゼル機関車が4両の客車を引っ張る昔ながらのスタイルです。客車は窓ガラスのないオープンタイプのトロッコ車両2両を、窓ガラス付きの普通車両2両で挟み込んだ格好で連結します。

当初はトロッコわたらせ渓谷号に乗車することを考えたのですが、1日1往復のため、現地での行動が大きく制約されてしまいます。今回は乗り鉄を諦めて、現地での行動を優先することにしました。

1日目
普通電車と東武日光線を乗り継いで東武日光駅へ。日光駅から日光市営バスで日光市足尾町赤倉へ移動
足尾銅山の本山精錬所跡から徒歩で間藤駅、足尾駅を経由して通洞駅へ
鉱山跡の足尾銅山観光を見学してから間藤駅へ戻り、わたらせ渓谷鐵道を乗り通して桐生駅へ。桐生に宿泊
2日目
桐生駅から佐野駅へ移動し、バスと徒歩で田中正造生家跡を見学
東武佐野線の終着駅・葛生駅まで移動し、廃線跡などを見学してから帰宅

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
徒歩
  • 大正3年に開業した間藤駅です。足尾鉄道から旧国鉄を経てJR東日本に変わり、平成元年(1989年)3月29日に第3セクターわたらせ渓谷鐵道となりました。間藤駅はわたらせ渓谷鐵道の終着駅です。

    大正3年に開業した間藤駅です。足尾鉄道から旧国鉄を経てJR東日本に変わり、平成元年(1989年)3月29日に第3セクターわたらせ渓谷鐵道となりました。間藤駅はわたらせ渓谷鐵道の終着駅です。

  • 標高661mにある間藤駅は、山小屋風の駅舎です。<br />足尾銅山の全盛期も、旅客駅としては間藤駅が終着駅で、界隈はたいそう賑わっていたようです。2018年の1日当たりの乗降人員は158人ということで、意外に多い感じがします。

    標高661mにある間藤駅は、山小屋風の駅舎です。
    足尾銅山の全盛期も、旅客駅としては間藤駅が終着駅で、界隈はたいそう賑わっていたようです。2018年の1日当たりの乗降人員は158人ということで、意外に多い感じがします。

  • 年季の入った観光案内板。

    年季の入った観光案内板。

  • 待合室。ニホンカモシカが見られる駅ということで、壁にはニホンカモシカの絵がありました。

    待合室。ニホンカモシカが見られる駅ということで、壁にはニホンカモシカの絵がありました。

  • 間藤駅はただの終着駅ではありません。<br />乗り鉄の大々先輩・宮脇俊三氏が昭和52年(1977年)5月28日に国鉄完乗を達成した記念の駅です。ぜひ銅像を建ててほしいものです。

    間藤駅はただの終着駅ではありません。
    乗り鉄の大々先輩・宮脇俊三氏が昭和52年(1977年)5月28日に国鉄完乗を達成した記念の駅です。ぜひ銅像を建ててほしいものです。

  • 現在は無人駅です。陶芸教室が開かれたりするようです。

    現在は無人駅です。陶芸教室が開かれたりするようです。

  • わたらせ渓谷鐵道。後ほど、私も桐生駅までの完乗を目指します。

    わたらせ渓谷鐵道。後ほど、私も桐生駅までの完乗を目指します。

  • 渡良瀬取水堰。松木川をせき止め、足尾発電所に水を取り入れるための施設です。

    渡良瀬取水堰。松木川をせき止め、足尾発電所に水を取り入れるための施設です。

  • 足尾発電所は、足尾銅山の閉山に伴う旧足尾町の振興策として、栃木県が実施したものです。

    足尾発電所は、足尾銅山の閉山に伴う旧足尾町の振興策として、栃木県が実施したものです。

  • 銅街道(あかがねかいどう)、田元橋バス停付近。

    銅街道(あかがねかいどう)、田元橋バス停付近。

  • 松木川。渡良瀬取水堰で取水されてしまい、水量が少ないです。

    松木川。渡良瀬取水堰で取水されてしまい、水量が少ないです。

  • 第一松木川橋梁。大正3年(1914) 8月、足尾鉄道が足尾駅~足尾本山駅まで延伸した際に架けられました。鋼製3連桁橋、橋長56m、登録有形文化財です。

    第一松木川橋梁。大正3年(1914) 8月、足尾鉄道が足尾駅~足尾本山駅まで延伸した際に架けられました。鋼製3連桁橋、橋長56m、登録有形文化財です。

  • 第一松木川橋梁に平行し、昭和2年(1927年)に架けられた田元橋。<br />ピン結合プラットトラス型の歩道専用橋、橋長46.0m、幅員4.0m。

    第一松木川橋梁に平行し、昭和2年(1927年)に架けられた田元橋。
    ピン結合プラットトラス型の歩道専用橋、橋長46.0m、幅員4.0m。

  • 田元橋を渡ると、銅街道から外れた道でした。

    田元橋を渡ると、銅街道から外れた道でした。

  • 川の向こうが銅街道。この先で松木川と神子内川が合流して渡良瀬川になるのですが、現在は少し遡ったこの辺りから渡良瀬川になるらしい。<br />しかも松木川を渡良瀬川とする資料もあり、良くわかりません。

    川の向こうが銅街道。この先で松木川と神子内川が合流して渡良瀬川になるのですが、現在は少し遡ったこの辺りから渡良瀬川になるらしい。
    しかも松木川を渡良瀬川とする資料もあり、良くわかりません。

  • 合流した辺りが、渡良瀬橋バス停付近。<br />奥の大きな建物は旧国鉄時代の官舎らしい。

    合流した辺りが、渡良瀬橋バス停付近。
    奥の大きな建物は旧国鉄時代の官舎らしい。

  • この先にわたらせ渓谷鐵道・足尾駅がありそうです。

    この先にわたらせ渓谷鐵道・足尾駅がありそうです。

  • 新渡良瀬橋。平成9年に架橋。

    新渡良瀬橋。平成9年に架橋。

  • 通洞坑へ水を送るための水路橋です。

    通洞坑へ水を送るための水路橋です。

  • 馬頭尊の碑。

    馬頭尊の碑。

  • 花のわたらせ公園。<br />春の頃はきれいらしいです。

    花のわたらせ公園。
    春の頃はきれいらしいです。

  • 紅葉の時季でもないようで、春に訪れた方が良いのかな。

    紅葉の時季でもないようで、春に訪れた方が良いのかな。

  • 渡良瀬橋。明治時代後期に架橋され、昭和10年(1935年)に鉄製橋からコンクリート橋に改造されました。新渡良瀬橋の完成に伴い、歩行者専用橋となりました。<br />

    渡良瀬橋。明治時代後期に架橋され、昭和10年(1935年)に鉄製橋からコンクリート橋に改造されました。新渡良瀬橋の完成に伴い、歩行者専用橋となりました。

  • 渡良瀬橋。長さ52.5m、幅員5.4m、表面は煉瓦貼りです。<br />横から見ると、側面の支柱が半円形で美しいそうです。

    渡良瀬橋。長さ52.5m、幅員5.4m、表面は煉瓦貼りです。
    横から見ると、側面の支柱が半円形で美しいそうです。

  • 渡良瀬川発祥の地。

    渡良瀬川発祥の地。

  • 渡良瀬川(下流方向)。

    渡良瀬川(下流方向)。

  • 古河掛水倶楽部。古河鉱業の貴紳客の接待と宿泊施設として、明治32年に建築された和洋折衷の迎賓館です。内部は撮影禁止のため、入っていません。

    古河掛水倶楽部。古河鉱業の貴紳客の接待と宿泊施設として、明治32年に建築された和洋折衷の迎賓館です。内部は撮影禁止のため、入っていません。

  • 旧足尾銅山鉱業事務所付属書庫。

    旧足尾銅山鉱業事務所付属書庫。

  • お待たせしました。やっと足尾駅です。<br />保存車両が見えてきました。

    お待たせしました。やっと足尾駅です。
    保存車両が見えてきました。

  • 協三工業製15tディーゼル機関車 D805。<br />最高速度は15km/hながら、160tの貨車が牽引できます。<br />805号機は太平洋セメント(秩父セメント)安積永盛サービスステーションで使われ、平成20年に足尾歴史館に来ました。

    協三工業製15tディーゼル機関車 D805。
    最高速度は15km/hながら、160tの貨車が牽引できます。
    805号機は太平洋セメント(秩父セメント)安積永盛サービスステーションで使われ、平成20年に足尾歴史館に来ました。

  • 日本車輌製造製 ヨ8000型 ヨ8928。<br />旧国鉄時代から車掌車として運用されていました。ヨ8928号機は関西方面で使われていました。

    日本車輌製造製 ヨ8000型 ヨ8928。
    旧国鉄時代から車掌車として運用されていました。ヨ8928号機は関西方面で使われていました。

  • 日本輸送機械株式会社製8tディーゼル機関車 。<br />残念ながら保存状態は悪いです。

    日本輸送機械株式会社製8tディーゼル機関車 。
    残念ながら保存状態は悪いです。

  • 日本車輌製造製 キハ30-70。<br />高崎第一機関区に配置され、足尾線や八高線で走った車両です。通称タラコ色に塗装されていますが、保存状態は悪いです。

    日本車輌製造製 キハ30-70。
    高崎第一機関区に配置され、足尾線や八高線で走った車両です。通称タラコ色に塗装されていますが、保存状態は悪いです。

  • 足尾駅の駅舎と上下線ホームそして貨物上屋等は登録有形文化財に指定されていますが、このバスが長時間停車していて、せっかくの風景が台無しでした。

    足尾駅の駅舎と上下線ホームそして貨物上屋等は登録有形文化財に指定されていますが、このバスが長時間停車していて、せっかくの風景が台無しでした。

  • 足尾駅は大正元年(1912年)12月31日に開業しました。<br />間藤駅で見たWKT-511が停車しています。

    足尾駅は大正元年(1912年)12月31日に開業しました。
    間藤駅で見たWKT-511が停車しています。

  • ほどなくトロッコわたらせ渓谷号がやって来ました。<br />この日は、銅色をしたDE10-1537が引っ張っています。

    ほどなくトロッコわたらせ渓谷号がやって来ました。
    この日は、銅色をしたDE10-1537が引っ張っています。

  • ディーゼル機関車は銅色に金帯のDE10-1537。<br />この日は6分遅れて足尾駅に到着しました。

    ディーゼル機関車は銅色に金帯のDE10-1537。
    この日は6分遅れて足尾駅に到着しました。

  • トロッコわたらせ渓谷号の最後尾客車と桐生駅に向けて動き出したWKT-511。

    トロッコわたらせ渓谷号の最後尾客車と桐生駅に向けて動き出したWKT-511。

  • WKT-511が目の前を通過します。<br />このポジションは迫力ありました。

    WKT-511が目の前を通過します。
    このポジションは迫力ありました。

  • トロッコわたらせ渓谷号。客車は、窓ガラスのないトロッコ車両2両の前後に窓ガラス付きの普通車両が連結されています。

    トロッコわたらせ渓谷号。客車は、窓ガラスのないトロッコ車両2両の前後に窓ガラス付きの普通車両が連結されています。

  • DE10-1537。昭和46年(1971年)川崎重工業の製造。<br />旧国鉄からJR東日本を経て、平成10年からトロッコわたらせ渓谷号。

    DE10-1537。昭和46年(1971年)川崎重工業の製造。
    旧国鉄からJR東日本を経て、平成10年からトロッコわたらせ渓谷号。

  • 足尾駅の駅舎内。

    足尾駅の駅舎内。

  • 駅のホームに海抜640mの看板がありました。<br />間藤駅から21m下ってきました。

    駅のホームに海抜640mの看板がありました。
    間藤駅から21m下ってきました。

  • オープンタイプのトロッコ客車。

    オープンタイプのトロッコ客車。

  • オープンタイプのトロッコ客車(内部)。<br />トロッコわたらせ渓谷号は団体優先です。「個人のお客様は、団体席以外のお席にお座りください。 なお、団体のお客様が多い場合、個人のお客様のお席が少なくなることもございます。」とのこと。

    オープンタイプのトロッコ客車(内部)。
    トロッコわたらせ渓谷号は団体優先です。「個人のお客様は、団体席以外のお席にお座りください。 なお、団体のお客様が多い場合、個人のお客様のお席が少なくなることもございます。」とのこと。

  • 駅名標。

    駅名標。

  • 足尾駅危険品庫。<br />大正3年(1914)、灯油等の危険品を収納するために造られた倉庫です。間口2.7m、奥行1.8mの煉瓦造。わたらせ渓谷鐵道で数少ない煉瓦造建築物で、こちらも有形文化財です。

    足尾駅危険品庫。
    大正3年(1914)、灯油等の危険品を収納するために造られた倉庫です。間口2.7m、奥行1.8mの煉瓦造。わたらせ渓谷鐵道で数少ない煉瓦造建築物で、こちらも有形文化財です。

  • 下りホームから見た駅舎。

    下りホームから見た駅舎。

  • これから向かう通洞駅方向。

    これから向かう通洞駅方向。

  • 足尾駅。駅前を占領していた無粋な観光バスが移動して、やっとローカル駅の風情を感じることができました。丸い赤ポストも写りました。<br />さあ、通洞駅へ歩きましょう。

    足尾駅。駅前を占領していた無粋な観光バスが移動して、やっとローカル駅の風情を感じることができました。丸い赤ポストも写りました。
    さあ、通洞駅へ歩きましょう。

  • 呑龍寺(どんりゅうじ)。<br />足尾駅から徒歩2分、浄土宗のお寺です。

    呑龍寺(どんりゅうじ)。
    足尾駅から徒歩2分、浄土宗のお寺です。

  • 浄土宗開宗850年のポスターがありました。<br />比叡山で学んだ法然上人が承安5年(1175年)に浄土宗を開かれてから、令和6年に開宗850年を迎えます。

    浄土宗開宗850年のポスターがありました。
    比叡山で学んだ法然上人が承安5年(1175年)に浄土宗を開かれてから、令和6年に開宗850年を迎えます。

  • 呑龍寺は、明治22年(1889年)に呑龍上人への篤い信仰心をもつ町の有志が、太田市大光院から上人の分身を受け足尾別当所として呑龍祠堂を創建したのが始まりです。本堂には阿弥陀如来をご本尊に、上人像を護持仏として安置されています。

    呑龍寺は、明治22年(1889年)に呑龍上人への篤い信仰心をもつ町の有志が、太田市大光院から上人の分身を受け足尾別当所として呑龍祠堂を創建したのが始まりです。本堂には阿弥陀如来をご本尊に、上人像を護持仏として安置されています。

  • 首のない石仏は何を物語っているのでしょう。

    首のない石仏は何を物語っているのでしょう。

  • 聖徳皇太子の碑。

    聖徳皇太子の碑。

  • このお堂は分かりませんでした。

    このお堂は分かりませんでした。

  • 足尾橋。渡良瀬川の向かい側は、足尾向原。

    足尾橋。渡良瀬川の向かい側は、足尾向原。

  • 宝増寺が見えました。

    宝増寺が見えました。

  • 宝増寺(ほうぞうじ)は、延暦7年(788年)に伝教大師最澄が創建したと伝わる天台宗のお寺で、日光輪王寺の末寺です。

    宝増寺(ほうぞうじ)は、延暦7年(788年)に伝教大師最澄が創建したと伝わる天台宗のお寺で、日光輪王寺の末寺です。

  • 明治元年、僧茂海(もかい)がここに寺基を移して本堂を建立しました。<br />

    明治元年、僧茂海(もかい)がここに寺基を移して本堂を建立しました。

  • 本堂には「足尾」の地名の由来となった勝道上人作の波之利大黒天(はしりだいこくてん)の木像や、藤原秀郷の陣旗が納められています。

    本堂には「足尾」の地名の由来となった勝道上人作の波之利大黒天(はしりだいこくてん)の木像や、藤原秀郷の陣旗が納められています。

  • 本堂正面には、奉納された一対の大釜がありました。

    本堂正面には、奉納された一対の大釜がありました。

  • 本堂内に掲げられている宝増寺の扁額。

    本堂内に掲げられている宝増寺の扁額。

  • 本堂内部。御本尊は木彫りの阿弥陀如来像です。

    本堂内部。御本尊は木彫りの阿弥陀如来像です。

  • 波之利大黒天(はしりだいこくてん)。写真を複写しました。<br />日光を開山した勝道上人が、男体山を極めようと難行苦行していたところ、中禅寺湖の波の上に大黒天が現れ、上人を励ましたと言われます。

    波之利大黒天(はしりだいこくてん)。写真を複写しました。
    日光を開山した勝道上人が、男体山を極めようと難行苦行していたところ、中禅寺湖の波の上に大黒天が現れ、上人を励ましたと言われます。

  • 本堂に安置されていました。

    本堂に安置されていました。

  • 普賢延命菩薩の仏面。龍蔵寺と同じく金子繁夫先生の作です。

    普賢延命菩薩の仏面。龍蔵寺と同じく金子繁夫先生の作です。

  • 鐘楼堂。

    鐘楼堂。

  • 鐘。

    鐘。

  • 線路沿いの道を歩きます。

    線路沿いの道を歩きます。

  • 足尾キリスト教会(国登録有形文化財)。<br />宝増寺の西側墓地に隣接して明治41年(1908年)に建てられた教会です。

    足尾キリスト教会(国登録有形文化財)。
    宝増寺の西側墓地に隣接して明治41年(1908年)に建てられた教会です。

  • イギリスの鉱山で成功した創始者グリン・ビビアンは、失明を機に世界各国の首位鉱山所在地に教会を建てる計画を持ち、日本では2,500円の資金を投じて足尾に建てました。

    イギリスの鉱山で成功した創始者グリン・ビビアンは、失明を機に世界各国の首位鉱山所在地に教会を建てる計画を持ち、日本では2,500円の資金を投じて足尾に建てました。

  • 線路の向こう側に金龍山蓮慶寺がありました。

    線路の向こう側に金龍山蓮慶寺がありました。

  • 蓮慶寺(れんけいじ)は、神護景雲元年(676年)に勝道上人がこの地に一宇を建立したと伝わります。しかし、勝道上人がお生まれになる以前ですね。

    蓮慶寺(れんけいじ)は、神護景雲元年(676年)に勝道上人がこの地に一宇を建立したと伝わります。しかし、勝道上人がお生まれになる以前ですね。

  • 明治10年(1877年)越後国長福寺縁故の暁了(きょうりょう)師が親鸞聖人の教えを流布するため念仏開法道場を開きました。

    明治10年(1877年)越後国長福寺縁故の暁了(きょうりょう)師が親鸞聖人の教えを流布するため念仏開法道場を開きました。

  • 五輪塔。

    五輪塔。

  • 親鸞聖人の像。

    親鸞聖人の像。

  • 親鸞聖人ご幼少の像。利発なお顔をされています。<br />9歳で出家したときの御歌。<br />明日ありと<br />思う心の<br />あだ桜<br />夜半(よわ)の嵐の<br />吹かぬものかは

    親鸞聖人ご幼少の像。利発なお顔をされています。
    9歳で出家したときの御歌。
    明日ありと
    思う心の
    あだ桜
    夜半(よわ)の嵐の
    吹かぬものかは

  • 浄華霊堂。

    浄華霊堂。

  • 簀の子橋鳥居(すのこばしとりい)。江戸時代、最初に銅床が見つかったのが、蓮慶寺の上流でした。渋川沿いの崖を通り、簀の子を張った橋を渡ったことから、明治になり簀子橋という通名が付いたそうです。<br />そこには金山社や山神社が建てられ、簀子橋の入り口に鳥居が建っていました。後に水害で倒壊しましたが、昭和62年に蓮慶寺境内に移設復元したとありました。

    簀の子橋鳥居(すのこばしとりい)。江戸時代、最初に銅床が見つかったのが、蓮慶寺の上流でした。渋川沿いの崖を通り、簀の子を張った橋を渡ったことから、明治になり簀子橋という通名が付いたそうです。
    そこには金山社や山神社が建てられ、簀子橋の入り口に鳥居が建っていました。後に水害で倒壊しましたが、昭和62年に蓮慶寺境内に移設復元したとありました。

  • 蓮慶寺の脇を流れる渋川。<br />大正元年に架けられた渋川鉄橋(登録有形文化財)は、全長14m、上路式プレートガーダー形式の橋です。

    蓮慶寺の脇を流れる渋川。
    大正元年に架けられた渋川鉄橋(登録有形文化財)は、全長14m、上路式プレートガーダー形式の橋です。

  • 蓮慶寺と通洞駅の中間にある踏切です。<br />警笛が聞こえてきたので、トロッコ列車を待ちました。

    蓮慶寺と通洞駅の中間にある踏切です。
    警笛が聞こえてきたので、トロッコ列車を待ちました。

  • トロッコわたらせ渓谷号。

    トロッコわたらせ渓谷号。

  • トロッコわたらせ渓谷号。

    トロッコわたらせ渓谷号。

  • トロッコわたらせ渓谷号。<br />ピンボケしてますがお許しください。

    トロッコわたらせ渓谷号。
    ピンボケしてますがお許しください。

  • トロッコわたらせ渓谷号の機関車後部。

    トロッコわたらせ渓谷号の機関車後部。

  • トロッコわたらせ渓谷号の窓ガラス付き普通列車。

    トロッコわたらせ渓谷号の窓ガラス付き普通列車。

  • トロッコわたらせ渓谷号のトロッコ列車。

    トロッコわたらせ渓谷号のトロッコ列車。

  • トロッコわたらせ渓谷号のトロッコ列車。

    トロッコわたらせ渓谷号のトロッコ列車。

  • トロッコわたらせ渓谷号の窓ガラス付き普通列車。

    トロッコわたらせ渓谷号の窓ガラス付き普通列車。

  • 間藤駅から足尾駅を過ぎ、通洞駅の近くまで歩きましたが、お昼を食べるところも、食料を調達できそうなところも全くありませんでした。<br />やっと探し当てたコンビニも廃業していました。

    間藤駅から足尾駅を過ぎ、通洞駅の近くまで歩きましたが、お昼を食べるところも、食料を調達できそうなところも全くありませんでした。
    やっと探し当てたコンビニも廃業していました。

  • 通洞駅。海抜636m。<br />鉱山用語の「通洞」が駅名に使われている珍しい駅です。

    通洞駅。海抜636m。
    鉱山用語の「通洞」が駅名に使われている珍しい駅です。

  • 通洞駅は大正元年(1912年)12月31日、足尾駅と同時に開業しました。登録有形文化財。

    通洞駅は大正元年(1912年)12月31日、足尾駅と同時に開業しました。登録有形文化財。

  • 「足尾の四季」が掲示されています。作詞・作曲は青山勇氏。<br />青山家は山相学(地質採鉱学)をもって南部藩に仕えた家柄で、足尾銅山に入った青山勇氏は大正15年頃にこの歌を作りました。 <br />春晴千里水清く 霞とまごう桜花 いま酣の渡良瀬や<br />夏庚申の滝の音 緑滴る満山に 雲紅の夕日影<br />薄戦く山の峰 脱硫塔の影黒く 月中天に秋深し<br />男体颪吹き荒れて 白皚々の備前楯 幌馬車急ぐ暮れの町

    「足尾の四季」が掲示されています。作詞・作曲は青山勇氏。
    青山家は山相学(地質採鉱学)をもって南部藩に仕えた家柄で、足尾銅山に入った青山勇氏は大正15年頃にこの歌を作りました。
    春晴千里水清く 霞とまごう桜花 いま酣の渡良瀬や
    夏庚申の滝の音 緑滴る満山に 雲紅の夕日影
    薄戦く山の峰 脱硫塔の影黒く 月中天に秋深し
    男体颪吹き荒れて 白皚々の備前楯 幌馬車急ぐ暮れの町

  • 春から秋の昼間だけは駅員さんがいますが、乗車券は販売していません。<br />この駅員さんも、私が帰りに乗った列車で帰りました。<br />

    春から秋の昼間だけは駅員さんがいますが、乗車券は販売していません。
    この駅員さんも、私が帰りに乗った列車で帰りました。

  • 改札口。

    改札口。

  • 鉄道唱歌って334番まであるそうです。

    鉄道唱歌って334番まであるそうです。

  • 駅前にあったタイル絵、よく見たら地図でした。<br />次は足尾銅山観光を見学します。<br />ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

    駅前にあったタイル絵、よく見たら地図でした。
    次は足尾銅山観光を見学します。
    ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

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