2021/11/04 - 2021/11/04
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FUKUJIROさん
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足尾銅山が繁栄する一方で、現地の自然は荒廃し、渡良瀬川の下流域では汚染が広がり続けました。足尾鉱毒事件(あしおこうどくじけん)として知られることになった日本初の公害です。この鉱毒被害の範囲は渡良瀬川流域だけにとどまらず、江戸川を経由し行徳方面、利根川を経由し霞ヶ浦方面まで拡大していました。
渡良瀬川下流域である佐野出身の政治家・田中正造翁は、明治24年(1891年)の第2回帝国議会で鉱毒問題に関する質問を行っています。このときの質問状が東京・永田町の憲政記念館に展示されています。
その後も鉱毒事件の解決に向け、田中正造翁は生涯活動しました。そして、この活動により、後世「義人」と称されることになりました。
あまりも義人・田中正造翁に人気があったので、栃木市にあった県庁をわざわざ遠方の宇都宮市に移転したという話も聞きました。←年代的には無理かな。
私が義人・田中正造翁の義人たる所以を知ったのは、千葉県成田にある義民・佐倉宗吾様の霊堂を参拝したときでした。それが、今回、足尾銅山を見に行く切っ掛けでした。
1日目
普通電車と東武日光線を乗り継いで東武日光駅へ。日光駅から日光市営バスで日光市足尾町赤倉へ移動
足尾銅山の本山精錬所跡から徒歩で間藤駅、足尾駅を経由して通洞駅へ
鉱山跡の足尾銅山観光を見学してから間藤駅へ戻り、わたらせ渓谷鐵道を乗り通して桐生駅へ。桐生に宿泊
2日目
桐生駅から佐野駅へ移動し、バスと徒歩で田中正造生家跡を見学
東武佐野線の終着駅・葛生駅まで移動し、廃線跡などを見学してから帰宅
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 高速・路線バス JRローカル 徒歩
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桐生駅です。
今回の旅、桐生駅から何処へ向かうか決めていませんでした。
幾つかのオプションがある中で、田中正造翁の生家跡(佐野市)を見学することにしました。佐野は藤原秀郷公の領地だった所で、昔から相性が良くないのですが、さてどうなることでしょうか。 -
桐生駅の構内にある桐生観光物産館わたらせ。営業時間は9:30~18:20、まだ開店前でした。
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桐生駅の構内。
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駅の中に線路が描かれていました。中国人向けなのが気になりますが、分かりやすいですね。
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改札口。桐生えびす講の大きな看板が出ています。
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両毛線の列車が来ました。ノンビリと写真を撮っていたら...
アレっ、ホームを間違えてる。ダッシュでなんとか乗れました。 -
佐野駅に着きました。東へ伸びる両毛線の線路。
正面から右へ連なる稜線は三毳山(みかもやま)です。
三毳山を旅した記録もどうぞご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11431337 -
西方向。左側の線路は両毛線、右側は東武鉄道の佐野線です。
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城山公園口(北口)から外に出ます。
9:10発の市営バスまで30分以上あるので、佐野城公園を散策しました。
駅を出た場所が佐野城の三の丸だった跡です。 -
鐘楼。佐野城が築かれる前、この地には惣宗寺があったので、何か関係があるのかもしれません。移転した惣宗寺は今日でも佐野厄除け大師として知られています。
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佐野城公園(佐野城跡)。佐野城は、関ケ原の戦い後に佐野信吉公が唐沢山城を廃して山麓に新たに築いた城です。
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池の先にある広場が二の丸跡。
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本丸へ向かいます。
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空堀跡(東側)。
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空堀跡(西側)。
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本丸跡。慶長7年(1602年)に佐野信吉公が築城しましたが、慶長19年(1614年)に改易となり、廃城しました。標高56mの平山城でした。
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建物跡。この辺りに、本丸の主殿に関わる施設があったようです。
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北出丸へ続く道。
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北出丸へ続く道。佐野城は南北390m、東西110mの規模でした。
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北出丸跡。かつては隅櫓(見張台)があったと推測されています。
現在は、佐野市戦没者霊苑となっています。 -
佐野市戦没者霊苑。日清日露の両大戦から大東亜戦争までの戦いで命を落とした人を追悼しています。
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北出丸から北側の様子。本丸に比べ標高が下がっています。
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佐野駅南口から南方向の様子。正面右側の建物は佐野市役所です。
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南口の噴水。
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佐野駅南口。
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駅前から市バスに乗って田中正造翁に所縁の堀米地蔵堂へ向かいます。
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市バスは距離に関係なく1回310円なので、2回乗れば元が取れる1日乗車券(620円)を購入しました。
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バス車内。
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堀米地蔵堂停留所で降りました。昭和40年代に堀米地蔵堂は廃され、菊川町公民館が新築されました。
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右の建物は菊川町公民館。
田中正造翁は幕末から村民らと領主である高家六角家に対して政治的要求を行い、そのため慶応4年(1868年)に投獄、明治2年に釈放されましたが領内追放となりました。 -
明治39年(1906年)、田中正造翁が木下尚江氏と石川三四郎氏を案内した当時の写真です。現地の看板を複写しました。
右の建物が茅葺きの地蔵堂。領内追放となった田中正造翁は隣村に移り、この地蔵堂で手習い塾を開いていました。 -
大榎。田中正造翁が手習い塾を開いていた頃は小さな木でしたが、明治39年に立ち寄った時はすでに大木となっていて、たいそう懐かしがったと伝わっています。
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堀米地蔵堂(子育延命地蔵堂)。
菊川町公民館の新築に当たり、家屋内の地蔵様はこの小さな元愛宕神社の祠に納められて、子育地蔵として信仰されています。 -
子育延命地蔵尊。
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子育延命地蔵尊。
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百観音の板碑、馬頭観音、庚申塔。
市営バスの本数が少ないので、田中正造旧宅を目指して歩きます。
ちなみに昔の堀米地区はかなり栄えていて、遊郭もありました。 -
一本道とはいうものの、田中正造旧宅の案内看板を見つけてホッとしました。
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生コン工場。佐野市と合併した旧葛生町は、かつて全国有数の石灰岩産地でした。
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グーグルマップでは徒歩1.6km/20分と出ましたが、田舎の道は単調で長いです。
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この辺りから人家が出てきました。
朝からたくさんの車が駐まっていました。 -
田中正造旧宅はまだ開いていないので、田中正造翁生誕地墓所を観ました。大正2年(1913年)に田中正造翁が没すると、遺骨は所縁のある5か所に分骨埋葬されました。その一つが生家の南側にある生誕地墓所です。
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同じ敷地内のこちらの立派な建物は公民館(集落センター)。
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大正2年9月4日、73歳で没した田中正造翁の遺骨とともに、カツ夫人の遺骨が合祀されています。
生誕地墓所には鞘堂に守られて石碑が建っています。
「義人 田中正造君碑」と書かれており、石碑の表面には同郷の小堀鞆音(ともと)の描いた蓑笠姿の田中正造翁が彫られています。 -
彫りが浅く、かろうじて人の姿が判別できる程度でした。
田中正造筆による和歌も彫られています。
冬ながら
啼かねバならぬ
ほととぎす
雲井の月の
さだめなけれバ -
北側の田中正造旧宅。
2階の窓が開きましたから、旧宅を訪問しましょう。 -
旧宅となっていますが、父母の隠居所として正造翁が建てたもので、西側の表門と便所も同時期に、明治の初めごろの建造と推定されています。
隠居所の1階は間口と奥行きが4間半で、2階は間口と奥行きが4間の瓦葺屋根の建物です。現在、田中正造旧宅の維持管理は「小中農教倶楽部」が行っており、一般公開もしています。毎週火・木・土・日曜日の10時~16時に公開、入場料は300円。 -
隠居所の裏に正造が生まれ育った母屋が建っています。母家と土蔵は昭和32年、平成5年には全敷地が栃木県の史跡となっています。
この石碑は昭和32年時のものです。 -
栃木県内から100も選ばれているのですね。
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田中正造翁自身は渡良瀬川流域の汚染地域に居住しており、隠居所には正造の父と正造夫人のカツが住んでいました。
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隠居所は、東側が土間、西側に3部屋あります。
隠居所については、昭和24年から公民館として使用された時期もありました。 -
たくさんの資料が展示されていますが、そのほとんどが複製品だそうです。こちらの看板は数少ない本物とのことでした。
隠居所ですが、建設当初は父富造が正造と共に雑貨品の商いをしていたそうで、その当時のものです。 -
土間には井戸の跡があり、梁には滑車が吊るされています。
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急な階段で2階に上ることもできます。
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2階は5部屋に区切られ、天井はかなり低く造られています。178cmの私は頭が当たってしまいました。
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2階から見た生誕地墓所。
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床の間のある座敷。
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床の間には「義人 田中正造君碑」の拓本が展示されています。この蓑笠姿は明治43年以降(晩年)の正造翁をモデルにしており、本人も大変気に入っていたそうです。
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足尾銅山の鉱滓(からみ)。
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足尾銅山の銅鉱石。
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足尾銅山全図。大正2年1月に出版されていますから、田中正造翁も見たかもしれません。龍蔵寺や古河橋は記載されていますが、まだ間藤駅は開設していませんでした。足尾駅から通洞駅の様子は今とほとんど変わっていません。
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足尾銅山を開発した古川市兵衛氏。
足尾では、田中正造翁の写真を見ることがありませんでした。 -
階段上から見ると、恐いです。
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旧宅の裏にある田中正造翁の生家です。
平成2年(1990年)に南側を通る県道の拡幅工事に伴って、敷地を北へ広げ、母屋や土蔵等の建物を動かしました。 -
復元された母屋。宅地518㎡が栃木県指定史跡となっています。
建築の構造・手法から19世紀の初めごろの建築と考えられており、約200年が経過しています。平成2年の保存修理工事では、屋根は防災と維持管理上の見地から茅葺屋根を型どった銅板葺として整備されました。 -
この百日紅は、隠居所の建設と同時期に植えられ、現在も夏に花を咲かせています。
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旧宅が隠居所だったころ、母屋には永く医師が住んでおり、父の看病と地域住民の診療所として使われました。
土間から上がる部屋は、囲炉裏のある「ヒロマ」。 -
解体復元工事の際に傷んだ部分の補修も行われました。
母屋の柱を修復した痕。 -
当時の食事の様子。
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「ヒロマ」から見た畳敷きの「ザシキ」と左端に見える部屋は板張りの「ネドコ」。母屋は3部屋でした。
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田中正造翁の肖像写真。
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田中正造翁の直筆(複製)。川俣事件で負傷した川崎銈次郎氏に送った書簡に同封した書。
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愛用の文机。
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富士講の掛け軸。田中正造翁は熱心な信者でした。
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田中正造翁の日記帳(複製)。
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田中正造翁の遺品。
真人無為而多事。 -
田中正造翁の遺品。
虐げのあとは毒よりはげしけり
馬にくはする民草もなし
壬寅(明治35年)・・・今から120年前です。 -
田中正造蓑笠立像。
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愛用のたばこ入れ。
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籐椅子、田中正造翁の遺品。
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明治十三年一月の直筆文字があります。
翌2月に県議会議員に当選しました。 -
田中正造翁は明治7年~9年(32歳~34歳)の時に、隣の石塚村(佐野市石塚町)の造り酒屋「蛭子屋」の番頭をしていました。この時、馬の世話を怠った馬子に酒を売らず説教をしたことから、商売に向かないと辞めさせられました。
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ザシキから見た庭と隠居所。
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土蔵。移設の際に向きが変わってしまったようです。
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見学を終えて、敷地の外から見た母屋。
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敷地の外から見た隠居所。
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旧宅から歩いて数分で田中正造翁の菩提寺、清龍山浄蓮寺龍谷院に着きました。
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浄蓮寺は真言宗豊山派。
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浄蓮寺の扁額。約540年の歴史があるようですから、創建は室町時代の中頃でしょうか。
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入り口のガラス戸が開けられていました。
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鐘楼堂。
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お地蔵様。
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弘法大師像。
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正造生家東停留所から市バスで佐野駅に戻ります。
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バスの本数はあるものの、日中は2時間待ちです。
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佐野駅前にあったマンホール蓋。さのまるが主役です。
15分待って次の市バスに乗り、葛生に移動します。
ここまでお読みいただきましてありがとうございました。
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