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就職してから初めての9連休です。<br />しかし9連休が確定したのはわずか一週間前ということで、いつもの気ままな旅に出ました。ホテルだけ予約して、予約不要のローカル線の旅です。当初、只見線を旅しようかとも思いましたが宿がなく、常磐線を行くことにしました。<br />最初の目的地は、菊池寛実記念高萩炭礦資料館です。東日本大震災の翌年(2012年)5月に開館した高萩市にある私設の資料館です。<br />フラガールで有名になった常磐炭礦の南端に位置する高萩炭礦の歴史を知ることができるということで、ローカル線を乗り継いで向かいました。<br />ただ、資料館は山の中、アクセスが悪いのです。駅から4~5kmとはいえタクシーでは勿体無いし、一日5便のローカルバスを利用することにしました。<br />高萩炭礦は、江戸時代から知られていたものの、実業家の菊池寛実氏が戦後の復興期に創業した高萩炭礦(株)が事業化した炭礦でした。<br />石炭から石油へとエネルギーが移り変わり、昭和47年に閉山しました。<br /><br />1日目<br />埼玉県からローカル線を乗り継いで菊池寛実記念高萩炭礦資料館へ。<br />原ノ町へ移動して宿泊。<br />2日目<br />南相馬市博物館と雲雀ヶ原祭場地を見学、相馬中村神社を参拝。<br />3日目<br />双葉町へ移動し、東日本大震災・原子力災害伝承館を訪問しました。<br />ローカル線を乗り継いで帰宅しました。<br /><br />よろしければ続きの旅行記もご覧ください。<br />https://4travel.jp/travelogue/11801401<br />https://4travel.jp/travelogue/11801405<br />https://4travel.jp/travelogue/11822888<br />

2023GWは9連休だけど、やっぱり安近短(1)高萩炭礦資料館とパワースポットいっぱいの高萩八幡宮

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2023/04/29 - 2023/04/29

1位(同エリア60件中)

旅行記グループ 茨城・栃木・群馬の旅その2

2

151

FUKUJIRO

FUKUJIROさん

この旅行記のスケジュール

2023/04/29

  • 高萩駅に到着

  • 一日5便のバスで移動します

  • 山道を下って行きます

この旅行記スケジュールを元に

就職してから初めての9連休です。
しかし9連休が確定したのはわずか一週間前ということで、いつもの気ままな旅に出ました。ホテルだけ予約して、予約不要のローカル線の旅です。当初、只見線を旅しようかとも思いましたが宿がなく、常磐線を行くことにしました。
最初の目的地は、菊池寛実記念高萩炭礦資料館です。東日本大震災の翌年(2012年)5月に開館した高萩市にある私設の資料館です。
フラガールで有名になった常磐炭礦の南端に位置する高萩炭礦の歴史を知ることができるということで、ローカル線を乗り継いで向かいました。
ただ、資料館は山の中、アクセスが悪いのです。駅から4~5kmとはいえタクシーでは勿体無いし、一日5便のローカルバスを利用することにしました。
高萩炭礦は、江戸時代から知られていたものの、実業家の菊池寛実氏が戦後の復興期に創業した高萩炭礦(株)が事業化した炭礦でした。
石炭から石油へとエネルギーが移り変わり、昭和47年に閉山しました。

1日目
埼玉県からローカル線を乗り継いで菊池寛実記念高萩炭礦資料館へ。
原ノ町へ移動して宿泊。
2日目
南相馬市博物館と雲雀ヶ原祭場地を見学、相馬中村神社を参拝。
3日目
双葉町へ移動し、東日本大震災・原子力災害伝承館を訪問しました。
ローカル線を乗り継いで帰宅しました。

よろしければ続きの旅行記もご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/11801401
https://4travel.jp/travelogue/11801405
https://4travel.jp/travelogue/11822888

旅行の満足度
4.5
観光
4.5
グルメ
4.0
交通
3.5
同行者
一人旅
一人あたり費用
1万円 - 3万円
交通手段
高速・路線バス JRローカル 私鉄 徒歩

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  • 日暮里駅から常磐線に乗り換えました。

    日暮里駅から常磐線に乗り換えました。

  • 普段はあまり乗らない常磐線なので、旅気分が始まります。

    普段はあまり乗らない常磐線なので、旅気分が始まります。

  • 埼玉から東京・千葉を走り抜け、利根川を渡って茨城県へ入ります。<br />見えているのは常磐自動車道の大利根橋。

    埼玉から東京・千葉を走り抜け、利根川を渡って茨城県へ入ります。
    見えているのは常磐自動車道の大利根橋。

  • 土浦駅の手前で筑波山が見えました。

    土浦駅の手前で筑波山が見えました。

  • 土浦駅に到着。勝田行きに乗り換えです。<br />待ち時間に構内のニューデイズでおにぎりを買いました。<br />しかし、土浦駅までは10両編成だった電車が、ここから5両編成になってしまい、慌ててボックスシートに席を取り、車内でおにぎりを食べました。

    土浦駅に到着。勝田行きに乗り換えです。
    待ち時間に構内のニューデイズでおにぎりを買いました。
    しかし、土浦駅までは10両編成だった電車が、ここから5両編成になってしまい、慌ててボックスシートに席を取り、車内でおにぎりを食べました。

  • 水戸駅まで乗って来た電車。<br />

    水戸駅まで乗って来た電車。

  • 水戸駅で乗り換えます。<br />乗って来た電車は一つ先の勝田駅まで行くのですが、水戸駅で9分間の停車があるため、先発する水戸駅始発の電車に乗り換えました。

    水戸駅で乗り換えます。
    乗って来た電車は一つ先の勝田駅まで行くのですが、水戸駅で9分間の停車があるため、先発する水戸駅始発の電車に乗り換えました。

  • 水戸駅から出発する電車。<br />寒冷地仕様のサハE531-3004でした。

    水戸駅から出発する電車。
    寒冷地仕様のサハE531-3004でした。

  • 先頭車両からの景色。

    先頭車両からの景色。

  • 日立市の海です。

    日立市の海です。

  • 高萩駅に到着。自宅から4時間超。<br />跨線橋から、福島県の方向。

    高萩駅に到着。自宅から4時間超。
    跨線橋から、福島県の方向。

  • 高萩駅前には花壇があります。

    高萩駅前には花壇があります。

  • 高萩駅の駅舎。

    高萩駅の駅舎。

  • 観光案内図。<br />山へ向かって車で10分ほど走ると花貫ダムがあり、その周辺が観光地のようです。

    観光案内図。
    山へ向かって車で10分ほど走ると花貫ダムがあり、その周辺が観光地のようです。

  • 西条八十さんの高萩小唄の碑。

    西条八十さんの高萩小唄の碑。

  • 高萩駅の北口を出て、左手にバス乗り場があります。その手前に銅像がありました。

    高萩駅の北口を出て、左手にバス乗り場があります。その手前に銅像がありました。

  • 長久保赤水(ながくぼ せきすい)像。<br />江戸時代中期(18世紀)、常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身の地理学者、儒学者。

    長久保赤水(ながくぼ せきすい)像。
    江戸時代中期(18世紀)、常陸国多賀郡赤浜村(現在の茨城県高萩市)出身の地理学者、儒学者。

  • 農民の出ながら、明和5年(1768年)、52歳で学問の功により水戸藩の郷士格(武士待遇)に列せられました。<br />享和元年(1801年)、赤浜村で死去、85歳。<br />その10日後に伊能忠敬第2次測量隊が赤浜村を通過しました。

    農民の出ながら、明和5年(1768年)、52歳で学問の功により水戸藩の郷士格(武士待遇)に列せられました。
    享和元年(1801年)、赤浜村で死去、85歳。
    その10日後に伊能忠敬第2次測量隊が赤浜村を通過しました。

  • 改正日本輿地路程全図。<br />実際に測量したのではなく、様々な資料を20年以上考証し、まとめた地図です。<br />江戸幕府により厳重に管理された伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」より42年前に出版され、明治初期までの約100年間広く普及していました。

    改正日本輿地路程全図。
    実際に測量したのではなく、様々な資料を20年以上考証し、まとめた地図です。
    江戸幕府により厳重に管理された伊能忠敬の「大日本沿海輿地全図」より42年前に出版され、明治初期までの約100年間広く普及していました。

  • バス便は各方面行きがありました。

    バス便は各方面行きがありました。

  • バスターミナル。<br />1番から8番まで横一列です。

    バスターミナル。
    1番から8番まで横一列です。

  • 1番のバスに乗ります。

    1番のバスに乗ります。

  • 一日5便の路線バス。<br />高萩駅から乗ったのは私だけ、途中で数人が乗り降りしました。

    一日5便の路線バス。
    高萩駅から乗ったのは私だけ、途中で数人が乗り降りしました。

  • 駅の周辺を一回りしてから、坂道を上りました。

    駅の周辺を一回りしてから、坂道を上りました。

  • 山の中を進んでいます。

    山の中を進んでいます。

  • 大心苑バス停で降りました。<br />私が降りて、バスは乗客なしで終点へ向かって行きました。

    大心苑バス停で降りました。
    私が降りて、バスは乗客なしで終点へ向かって行きました。

  • 炭礦閉山の後、大心苑という宿泊のできる野外研修施設が作られていました。

    炭礦閉山の後、大心苑という宿泊のできる野外研修施設が作られていました。

  • 大心苑コスモス館の跡。<br />平成16年(2004年)、大心苑は廃業しました。

    大心苑コスモス館の跡。
    平成16年(2004年)、大心苑は廃業しました。

  • 菊池寛実記念高萩歴史民俗資料館の駐車場。<br />どこが資料館なのかわかりません。

    菊池寛実記念高萩歴史民俗資料館の駐車場。
    どこが資料館なのかわかりません。

  • 公園みたいな感じです。

    公園みたいな感じです。

  • やすらぎ。石黒孫七氏作。

    やすらぎ。石黒孫七氏作。

  • 山神社がありました。

    山神社がありました。

  • トロッコが見えました。

    トロッコが見えました。

  • 駐車場を出て、ぐるりと回ると資料館がありました。

    駐車場を出て、ぐるりと回ると資料館がありました。

  • 資料館の敷地も公園のように整備され、たくさんの像が立っています。

    資料館の敷地も公園のように整備され、たくさんの像が立っています。

  • トロッコ。その右手の建物が資料館。

    トロッコ。その右手の建物が資料館。

  • 炭礦の入り口に掲げられていた銘板。<br />菊池寛実翁筆。

    炭礦の入り口に掲げられていた銘板。
    菊池寛実翁筆。

  • 炭礦の入り口に掲げられていた銘板。<br />菊池寛実翁筆。

    炭礦の入り口に掲げられていた銘板。
    菊池寛実翁筆。

  • 斜坑で使われた滑車。

    斜坑で使われた滑車。

  • 木材運搬用の台車とトロッコ。<br />昭和40年頃に使われていたものです。

    木材運搬用の台車とトロッコ。
    昭和40年頃に使われていたものです。

  • トロッコ。軌間610mm。

    トロッコ。軌間610mm。

  • トロッコに積まれた石炭。

    トロッコに積まれた石炭。

  • 資料館の建物。<br />入館は無料です、月曜休館。

    資料館の建物。
    入館は無料です、月曜休館。

  • 入り口ホール。

    入り口ホール。

  • 菊池寛実翁の胸像。<br />晩年の頃と思われる柔和なお顔です。

    菊池寛実翁の胸像。
    晩年の頃と思われる柔和なお顔です。

  • 石炭塊。

    石炭塊。

  • 当時の様子を写した写真。

    当時の様子を写した写真。

  • 高萩炭礦の一つ、櫛形炭礦で採掘された炭の袋。

    高萩炭礦の一つ、櫛形炭礦で採掘された炭の袋。

  • 櫛形炭。

    櫛形炭。

  • 櫛形炭。

    櫛形炭。

  • 石炭の標本を見るとテカテカしているので、そういう物だと思っていましたが、保存用のラッカーを塗っているそうです。<br />何もしないと、ボロボロと崩れてしまうとのこと。<br />写真撮影は入り口ホールだけ、内部の資料は一切撮影禁止でした。5時間以上かけてやって来たのに残念でした。<br />私が見学中に、私と同年輩の男性が老婆を連れて見学に来ました。話の様子では、櫛形炭礦でご主人が働いていたらしく、当時の写真を見て、懐かしそうに話し、時に涙していました。

    石炭の標本を見るとテカテカしているので、そういう物だと思っていましたが、保存用のラッカーを塗っているそうです。
    何もしないと、ボロボロと崩れてしまうとのこと。
    写真撮影は入り口ホールだけ、内部の資料は一切撮影禁止でした。5時間以上かけてやって来たのに残念でした。
    私が見学中に、私と同年輩の男性が老婆を連れて見学に来ました。話の様子では、櫛形炭礦でご主人が働いていたらしく、当時の写真を見て、懐かしそうに話し、時に涙していました。

  • 早くも展示内容は忘れつつありますが、屋外は自由に撮影できました。<br />結局、私がいた間には、老婆と息子の2人連れと私の3人だけでした。<br />場所が辺鄙なだけに、折角の資料が埋もれてしまうのではないかと危惧します。せめて写真撮影を認めて、色々なところで拡散したらいいのにと思いました。

    早くも展示内容は忘れつつありますが、屋外は自由に撮影できました。
    結局、私がいた間には、老婆と息子の2人連れと私の3人だけでした。
    場所が辺鄙なだけに、折角の資料が埋もれてしまうのではないかと危惧します。せめて写真撮影を認めて、色々なところで拡散したらいいのにと思いました。

  • 建物のすぐ脇にある記念碑。

    建物のすぐ脇にある記念碑。

  • 高萩炭礦創業者の菊池寛実翁のレリーフです。

    高萩炭礦創業者の菊池寛実翁のレリーフです。

  • 威厳のあるお顔です。

    威厳のあるお顔です。

  • 「大心苑のいわれ」が記されていました。

    「大心苑のいわれ」が記されていました。

  • 平成24年に植樹された智桜。

    平成24年に植樹された智桜。

  • 敷地内の像を見ましょう。<br />創造。日野宏紀氏作。

    敷地内の像を見ましょう。
    創造。日野宏紀氏作。

  • 愛の道。

    愛の道。

  • 燦。増山俊春氏作。

    燦。増山俊春氏作。

  • 掌に鳩を載せています。

    掌に鳩を載せています。

  • 水の精。山崎猛氏作、1973年。

    水の精。山崎猛氏作、1973年。

  • 憩。山崎猛氏作、1960年。

    憩。山崎猛氏作、1960年。

  • 昴。遠藤幹彦氏作。

    昴。遠藤幹彦氏作。

  • 昴。遠藤幹彦氏作。<br />同名の作品です。連作かも知れません。<br />着衣なのに艶めかしいです。

    昴。遠藤幹彦氏作。
    同名の作品です。連作かも知れません。
    着衣なのに艶めかしいです。

  • 春風。大崎敏光氏作。

    春風。大崎敏光氏作。

  • 空へ。瀬戸剛氏作。<br />翼を外したイカロスのようです。

    空へ。瀬戸剛氏作。
    翼を外したイカロスのようです。

  • ケンタウロス。作者不詳。

    ケンタウロス。作者不詳。

  • 歓喜。南安廣氏作。<br />これらの作品が置かれている理由は説明ありませんが、菊池寛実翁の収蔵品なのでしょうか。<br />背景の建物も大心苑の校舎みたいです。

    歓喜。南安廣氏作。
    これらの作品が置かれている理由は説明ありませんが、菊池寛実翁の収蔵品なのでしょうか。
    背景の建物も大心苑の校舎みたいです。

  • 菊池寛実記念高萩歴史民俗資料館を出て、帰りはバスもないので、八幡宮に立ち寄ってから高萩駅まで歩くことにしました。<br />坂道を少し下ったところに古いバス停跡がありました。

    菊池寛実記念高萩歴史民俗資料館を出て、帰りはバスもないので、八幡宮に立ち寄ってから高萩駅まで歩くことにしました。
    坂道を少し下ったところに古いバス停跡がありました。

  • 中には古い住宅地図が貼ったままでした。

    中には古い住宅地図が貼ったままでした。

  • 住宅地。

    住宅地。

  • 坂道を下って行きます。

    坂道を下って行きます。

  • 貯水タンク。

    貯水タンク。

  • はぎまろ球場(高萩市民球場)。<br />昭和47年に建設、もう50年を過ぎました。

    はぎまろ球場(高萩市民球場)。
    昭和47年に建設、もう50年を過ぎました。

  • 野球場入り口のツツジ。

    野球場入り口のツツジ。

  • 日立市・高萩市・旧十王町の広域下水道組合のマンホール蓋。

    日立市・高萩市・旧十王町の広域下水道組合のマンホール蓋。

  • 山藤。

    山藤。

  • 私有地の林に咲いていました。

    私有地の林に咲いていました。

  • 高萩市立秋山中学校のツツジ。

    高萩市立秋山中学校のツツジ。

  • 高萩市立秋山中学校卒業生の記念碑がありました。

    高萩市立秋山中学校卒業生の記念碑がありました。

  • まだまだ森林の中を歩いています。<br />それにしても、まったく人を見ません。<br />時折り車は通りますが、人がいませんでした。

    まだまだ森林の中を歩いています。
    それにしても、まったく人を見ません。
    時折り車は通りますが、人がいませんでした。

  • 森の中を抜ける近道らしいのですが、ちょっと恐いです。遠回りして舗装路を歩きました。

    森の中を抜ける近道らしいのですが、ちょっと恐いです。遠回りして舗装路を歩きました。

  • 高萩八幡宮の駐車場に着きました。

    高萩八幡宮の駐車場に着きました。

  • 参道の入り口までまわりました。<br />左の鳥居が高萩八幡宮の入り口で、右手前の鳥居は稲荷神社の鳥居です。<br />菊池寛実記念高萩歴史民俗資料館から約3.5kmでした。<br />

    参道の入り口までまわりました。
    左の鳥居が高萩八幡宮の入り口で、右手前の鳥居は稲荷神社の鳥居です。
    菊池寛実記念高萩歴史民俗資料館から約3.5kmでした。

  • 八幡宮の大鳥居です。昭和60年(1985年)に御鎮座1000年を記念して建立されました。<br />その先にいる人の大きさと比べてください。

    八幡宮の大鳥居です。昭和60年(1985年)に御鎮座1000年を記念して建立されました。
    その先にいる人の大きさと比べてください。

  • 総鎮守 八幡宮の社号碑。<br />平成18年(2006年)に建立。<br />正式な名称は八幡宮ですが、通称、高萩八幡宮あるいは安良川(あらかわ)八幡宮です。

    総鎮守 八幡宮の社号碑。
    平成18年(2006年)に建立。
    正式な名称は八幡宮ですが、通称、高萩八幡宮あるいは安良川(あらかわ)八幡宮です。

  • 御鎮座壱阡年祭記念碑。<br />八幡宮は寛和元年(985年)の創建です。

    御鎮座壱阡年祭記念碑。
    八幡宮は寛和元年(985年)の創建です。

  • 参道の杉並木。<br />約200mの長い参道です。

    参道の杉並木。
    約200mの長い参道です。

  • 参道の途中で左へ進む道があり、朱色の鳥居が立っています。

    参道の途中で左へ進む道があり、朱色の鳥居が立っています。

  • 市杵島(いちきしま)神社の鳥居です。

    市杵島(いちきしま)神社の鳥居です。

  • 市杵島神社。<br />御祭神は宗像三女神。弁財天と習合したことから「弁天様」とも呼ばれています。

    市杵島神社。
    御祭神は宗像三女神。弁財天と習合したことから「弁天様」とも呼ばれています。

  • 河童伝説が残る河童池。

    河童伝説が残る河童池。

  • 金色の錦鯉と目が合うと、金運上昇するという話です。

    金色の錦鯉と目が合うと、金運上昇するという話です。

  • 杉並木の先に二の鳥居が見えてきました。

    杉並木の先に二の鳥居が見えてきました。

  • 二の鳥居。平成23年の東日本大震災で倒壊しましたが、再建されました。

    二の鳥居。平成23年の東日本大震災で倒壊しましたが、再建されました。

  • 大きな口の狛犬(阿形)。

    大きな口の狛犬(阿形)。

  • 歯を食いしばる狛犬(吽形)。

    歯を食いしばる狛犬(吽形)。

  • 婆杉石。<br />御神木の爺杉とともに夫婦杉として祀られていましたが、昭和34年の伊勢湾台風で倒れてしまいました。

    婆杉石。
    御神木の爺杉とともに夫婦杉として祀られていましたが、昭和34年の伊勢湾台風で倒れてしまいました。

  • 新しい狛犬の先に拝殿があります。

    新しい狛犬の先に拝殿があります。

  • 尾を高く上げた狛犬。<br />出雲地方に多い「かまえ型」。

    尾を高く上げた狛犬。
    出雲地方に多い「かまえ型」。

  • 狛犬。平成18年の建立。

    狛犬。平成18年の建立。

  • 境内図。<br />右手、少し離れたところに手水舎があります。

    境内図。
    右手、少し離れたところに手水舎があります。

  • 緑子くぐり石。<br />この穴に赤ちゃんをくぐらせると丈夫に育つと云われます。

    緑子くぐり石。
    この穴に赤ちゃんをくぐらせると丈夫に育つと云われます。

  • 県社昇格記念碑。昭和13年(1938年)の建立。茨城北部では唯一の県社でした。

    県社昇格記念碑。昭和13年(1938年)の建立。茨城北部では唯一の県社でした。

  • 手水舎。境内の右手、ちょっと離れています。

    手水舎。境内の右手、ちょっと離れています。

  • 手水舎の手前には一対の親子カエル。

    手水舎の手前には一対の親子カエル。

  • たくさんの子カエルを乗せた親子カエル。

    たくさんの子カエルを乗せた親子カエル。

  • 手水鉢から顔を出す龍。

    手水鉢から顔を出す龍。

  • 手水鉢の縁には一対の猫。

    手水鉢の縁には一対の猫。

  • 手水鉢の縁には猫。

    手水鉢の縁には猫。

  • 足下にも一対の猫がいました。

    足下にも一対の猫がいました。

  • 足下にも一対の猫がいました。

    足下にも一対の猫がいました。

  • 八幡宮の拝殿。<br />花山天皇の命により、藤原左京太夫が石清水八幡宮より分霊を勧請して、寛和元年(985年)に創建されました。<br />前九年の役の際には、源頼義・義家が戦勝祈願したと伝わり、その後も佐竹氏をはじめとする近隣領主の崇敬を受けていました。

    八幡宮の拝殿。
    花山天皇の命により、藤原左京太夫が石清水八幡宮より分霊を勧請して、寛和元年(985年)に創建されました。
    前九年の役の際には、源頼義・義家が戦勝祈願したと伝わり、その後も佐竹氏をはじめとする近隣領主の崇敬を受けていました。

  • 拝殿。平成17年(2005年)に新築しました。<br />元禄10年(1697年)には八幡宮嫌いの水戸光圀公が自ら足を運び参拝しました。

    拝殿。平成17年(2005年)に新築しました。
    元禄10年(1697年)には八幡宮嫌いの水戸光圀公が自ら足を運び参拝しました。

  • 拝殿の前には龍の飾り物が置かれていました。<br />茨城県北部の日立市、高萩市、北茨城市にある十の神社が参加している「神玉巡拝」という企画です。<br />

    拝殿の前には龍の飾り物が置かれていました。
    茨城県北部の日立市、高萩市、北茨城市にある十の神社が参加している「神玉巡拝」という企画です。

  • 御祭神は、誉田別命(応神天皇)、神功皇后(息長帯比売命)、日女大神の三柱です。

    御祭神は、誉田別命(応神天皇)、神功皇后(息長帯比売命)、日女大神の三柱です。

  • 御本殿。<br />平成18年(2006年)に新築造営されました。

    御本殿。
    平成18年(2006年)に新築造営されました。

  • 御神木の爺杉(右)です。御本殿の奥にありました。<br />樹齢千年と云われる茨城県で最大級の巨樹で、高さ約42m、幹周りは10mもあります。大正13年(1924年)に国の天然記念物に指定されました。

    御神木の爺杉(右)です。御本殿の奥にありました。
    樹齢千年と云われる茨城県で最大級の巨樹で、高さ約42m、幹周りは10mもあります。大正13年(1924年)に国の天然記念物に指定されました。

  • 爺杉の前にもいろいろとありました。

    爺杉の前にもいろいろとありました。

  • 梟の像。縁起が良いとされている梟(フクロウ)が鎮座しています。

    梟の像。縁起が良いとされている梟(フクロウ)が鎮座しています。

  • 小さな梟もありました。

    小さな梟もありました。

  • 中央には白蛇と刻まれた石碑があります。

    中央には白蛇と刻まれた石碑があります。

  • 白蛇の像。<br />白蛇は弁財天の使いともいわれ、弁財天と習合した市杵島神社と何か関係があるのかも。

    白蛇の像。
    白蛇は弁財天の使いともいわれ、弁財天と習合した市杵島神社と何か関係があるのかも。

  • 梟は「不苦労」とも、「福来郎」、「福老」、「福路」などが当てられることもあり、縁起が良いとされています。

    梟は「不苦労」とも、「福来郎」、「福老」、「福路」などが当てられることもあり、縁起が良いとされています。

  • 流心鉢。境内の左端にありました。<br />身体の不安や忘れたい出来事、悩み事を流水紙に書いて流すと、紙がだんだん溶けて、悩みとともになくなります。

    流心鉢。境内の左端にありました。
    身体の不安や忘れたい出来事、悩み事を流水紙に書いて流すと、紙がだんだん溶けて、悩みとともになくなります。

  • 天満宮。境内の右奥にありました。

    天満宮。境内の右奥にありました。

  • 御祭神は菅原道真公。

    御祭神は菅原道真公。

  • 結び石。<br />結び札に願い事を書いて、右のポストに入れ、結びの石をお参りします。特に男女のご縁にご利益があります。

    結び石。
    結び札に願い事を書いて、右のポストに入れ、結びの石をお参りします。特に男女のご縁にご利益があります。

  • 御本殿。

    御本殿。

  • 戌亥碑(いぬいひ)。<br />八幡宮は、戌年・亥年生まれの守り神とされるそうです。

    戌亥碑(いぬいひ)。
    八幡宮は、戌年・亥年生まれの守り神とされるそうです。

  • 八幡神の本地仏が阿弥陀如来であり、阿弥陀如来が戌亥の守り本尊とされていることから、八幡宮が守り神となっているようです。

    八幡神の本地仏が阿弥陀如来であり、阿弥陀如来が戌亥の守り本尊とされていることから、八幡宮が守り神となっているようです。

  • 戌は子授安産のご利益があるとされ、頭を撫でると良いそうです。

    戌は子授安産のご利益があるとされ、頭を撫でると良いそうです。

  • 亥は足腰堅固のご利益があり、やはり頭を撫でましょう。

    亥は足腰堅固のご利益があり、やはり頭を撫でましょう。

  • 境内社。<br />高良神社、大杉神社、恵美須神社、淡島神社、熊野神社、素鷲神社、障神社、鷺森神社、山神社、多賀神社の十社が鎮座しています。

    境内社。
    高良神社、大杉神社、恵美須神社、淡島神社、熊野神社、素鷲神社、障神社、鷺森神社、山神社、多賀神社の十社が鎮座しています。

  • 秋葉神社。<br />火防・火伏せの神として信仰された秋葉大権現をお祀りしています。<br />遠州秋葉山秋葉神社と越後栃尾の秋葉三尺坊大権現が元とされています。<br />栃尾の秋葉神社を参拝したときの旅行記です。<br />https://4travel.jp/travelogue/11688780

    秋葉神社。
    火防・火伏せの神として信仰された秋葉大権現をお祀りしています。
    遠州秋葉山秋葉神社と越後栃尾の秋葉三尺坊大権現が元とされています。
    栃尾の秋葉神社を参拝したときの旅行記です。
    https://4travel.jp/travelogue/11688780

  • 参道を戻り、大鳥居の脇に鎮座する稲荷神社に参拝します。

    参道を戻り、大鳥居の脇に鎮座する稲荷神社に参拝します。

  • 稲荷神社。御祭神は保食命(うけもちのみこと)です。五穀豊穣、産業興隆、芸能上達の御神徳があります。<br />狛犬の代わりにお狐様が見ています。

    稲荷神社。御祭神は保食命(うけもちのみこと)です。五穀豊穣、産業興隆、芸能上達の御神徳があります。
    狛犬の代わりにお狐様が見ています。

  • 大鳥居のそばには高萩市立高萩小学校があります。

    大鳥居のそばには高萩市立高萩小学校があります。

  • 校庭の隅に簡易型電子線量計が設置されていました。

    校庭の隅に簡易型電子線量計が設置されていました。

  • この先もまだまだ坂道を下っています。

    この先もまだまだ坂道を下っています。

  • 庚申塔。<br />栃木県日光市から茨城県高萩市に至る国道461号に出ました。

    庚申塔。
    栃木県日光市から茨城県高萩市に至る国道461号に出ました。

  • 高萩駅前の通りに戻りました。<br />ここまでに数軒の飲食店があったのですが、いずれも準備中の札が出ていました。

    高萩駅前の通りに戻りました。
    ここまでに数軒の飲食店があったのですが、いずれも準備中の札が出ていました。

  • 土曜日の午後3時、営業しているお蕎麦屋さんをやっと発見しました。

    土曜日の午後3時、営業しているお蕎麦屋さんをやっと発見しました。

  • 「そば処うらじ」さん。<br />カレー南蛮蕎麦が人気のようです。

    「そば処うらじ」さん。
    カレー南蛮蕎麦が人気のようです。

  • 店内のポスター。

    店内のポスター。

  • 店内のイラスト。

    店内のイラスト。

  • 蕎麦の専門店です。<br />一番早いと言われましたので、もりそばを注文、美味しくいただきました。

    蕎麦の専門店です。
    一番早いと言われましたので、もりそばを注文、美味しくいただきました。

  • 八幡宮から約1.5km歩いて高萩駅にもどりました。<br />いわき行きの普通電車に乗ります。

    八幡宮から約1.5km歩いて高萩駅にもどりました。
    いわき行きの普通電車に乗ります。

  • 北茨城市の海。北茨城市は、昭和31年(1956年)3月31日に市制施行した際、茨城市を名乗ったものの、県内他市町村から「県名を使うとは生意気」との批判が集中炎上し、同日付で北茨城市に改称した黒歴史があります。

    北茨城市の海。北茨城市は、昭和31年(1956年)3月31日に市制施行した際、茨城市を名乗ったものの、県内他市町村から「県名を使うとは生意気」との批判が集中炎上し、同日付で北茨城市に改称した黒歴史があります。

  • 茨城県から福島県に越境するトンネルを抜けた直後、勿来の関跡へ向かう山道が見えました。<br />今夜は原ノ町泊まりです。<br />ここまでお読みいただきましてありがとうございました。<br />

    茨城県から福島県に越境するトンネルを抜けた直後、勿来の関跡へ向かう山道が見えました。
    今夜は原ノ町泊まりです。
    ここまでお読みいただきましてありがとうございました。

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この旅行記へのコメント (2)

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  • Decoさん 2023/06/21 15:06:30
    高萩炭礦資料館
    FUKUJIROさん、はじめまして。

    私も炭鉱には興味がありますが、恥ずかしながら高萩炭礦のことはまったく知りませんでした。
    資料館は無料とのことですが、私設なのですよね。維持費など大変だと思いますが(敷地も広そうだし)。FUKUJIROさんの旅行記で興味を持って、検索して調べてみましたが、資料館そのものは立派なようで、展示もしっかりしたもののようですね。
    ただ、交通は…車がないと厳しそうな感じではあります。また、おっしゃるように、館内展示も撮影してネットで広めた方が人が来るのでは、と思います。
    良い資料館のようなので、頑張って続けてもらいたいです。

    炭鉱が閉山になり、観光に活路を見出した大心苑。その後バブルの崩壊で…。炭鉱そのものも日本の歴史を反映していますが、大心苑もその後の歴史を反映しているように思いました。調べてみたら、宿泊だけでなくリゾートみたいな感じだっとか。旧産炭地のその後、新たな産業を興すことの難しさを感じました。

    八幡宮も立派で…猫、梟、戌、猪と動物の像が可愛いのが印象的です。
    バスに乗って、結構長い距離を歩かれたようで、お疲れ様でした。
    勉強になり、とても興味深い旅行記でした。
                                  Deco

    FUKUJIRO

    FUKUJIROさん からの返信 2023/06/22 05:29:07
    Re: 高萩炭礦資料館
    Decoさん、こんにちは。
    いつもお読みいただきましてありがとうございます。
    私も常磐炭鉱のことを調べていて、その南端に高萩炭礦があることを知った次第です。
    たまたまでしたが、訪問時に、昔炭礦で働いていた方のご家族の話を伺うことができたのも何かのご縁だと思っています。
    交通の便は悪いのですが、行って良かったと思っています。
    Decoさんの筑豊の旅行記も良いですね。私も20年位前に筑豊の炭鉱を調べたことがあり、現地も回りました。とても懐かしいです。
    お互いこれからも元気に旅を続けられたらと思います。
    どうぞよろしくお願いします。

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