
2021/11/13 - 2021/11/13
441位(同エリア10053件中)
琉球熱さん
この旅行記スケジュールを元に
新年初投稿です・・・
今年もよろしくお願いします。
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横浜には「日本初」「発祥」がとても多いと感じてから、「横浜発(初)」をちょっと調べてみよう、なんて思いついた。
思いついただけで、そのままずるずる時間だけが過ぎ、気が付いたら数年経っていた。
構想もこりゃさすがに温め過ぎ、というわけでようやく重い腰を上げたのが11月。
訪問するポイントだけでも相当な数になるので、効率よく周るためにポイントを地図上にプロットしてルートをシミュレーション。
ここまではよかったが、いざまとめる段階になると、ポイントの数もさることながら、史跡なので適当なことを書くわけにもいかず調べ直したり、その文章を適当な長さにカットする作業がこれまた手強くて、たびたび中断。
なので、カテゴリーごとに分類した方が読みやすいことは承知しながらも、そこまで手が回らず、結局周った順番にした(笑)
結局年を越してしまったが、「初」モノってことで新年向きだ、、、というのはこじつけ
今回も各ポイントの詳細はクチコミ参照という姑息な手段で臨む
まずは横浜駅からスタート
※自分としてはかなり周到に準備したものだが、出来上がりを見てみれば、固いし面白味に欠ける内容になってしまった・・・ ご容赦!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
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【ガソリンスタンド発祥の地】
最初に狙うのは『日本ガソリンスタンド発祥の地碑』
横浜駅東口「ヨコハマプラザホテル」の前という情報で訪問してみたが、ない!
そもそも「ヨコハマプラザホテル」自体が廃業して、今は駐車場。周辺をウロウロと探し回ったがどうしても見つけられず。
移転したのか撤去されてしまったのか?
碑にはエッソの社長の名が記されていたそうだが、日本初のガソリンスタンドは東京にあり、この記念碑が何をもって「ガソリンスタンド発祥」と言っているのか(笑) 経緯は全く不明という、のっけから怪しげな「発祥の地碑」巡り。
これで数十分、ロスをする。
※y_0236さんから「当該記念碑はホテル解体とともに撤去された」との情報をいただきました日本ガソリンスタンド発祥の地碑 名所・史跡
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お次は桜木町駅、、、とくれば鉄道発祥に決まっているが、ちょっと寄り道。
「シアル桜木町」アネックス。
ここには「旧横ギャラリー」と呼ばれる展示コーナー(旧横濱鉄道歴史展示)がある。シァル桜木町 ショッピングモール
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鉄道開業の地らしく実際に走っていた蒸気機関車と客車が常設されている。
ちょっと嬉しい(笑) -
【鉄道発祥の地】
さていよいよ『鉄道発祥記念碑』
横浜が発祥というと真っ先に思い浮かぶのが「鉄道」だろう。
1872年10月14日、横浜―新橋間で鉄道が開通、これが日本初の鉄道。
「汽笛一声 新橋を はや我が汽車は離れたり~♪」 の歌いだしで有名な『鉄道唱歌』、ここで謳われている「新橋」「横浜」はそれぞれ現在の汐留、桜木町であることも皆さん良くご存知。
ところが、横浜側の「発祥の地」碑は意外に冷遇されている。駅舎の裏手(市役所側)の高架下にひっそり…。
この記念碑、当時の時刻表や運賃, 創業当時の横浜駅が描かれていたり、碑の台座は鉄道の車輪を、碑の柱はレールをイメージ・・・となかなか凝っている。なのに!、、、なのだ(涙)鉄道発祥記念碑 名所・史跡
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今回のアシはこれ!
横浜コミュニティサイクルbaybike
関内・元町エリアをうろうろ周るには、チャリが最も機動的。
ポイントが集中するエリアまではチャリ。そこから徒歩。次のポイントまで離れているなら、またチャリ・・・この繰り返しできょうは動く。横浜コミュニティサイクル baybike (ベイバイク) 乗り物
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【ガス事業発祥の地】
桜木町から関内方面にすぐには向かわず、ちょっと戻る。
目的地は 市立本町小学校だ。
1872年9月26日、神奈川県庁付近および大江橋から馬車道・本町通りまでの間にガス燈十数基を点灯、これが日本のガス事業の発祥と言われている。
そのガス工場は、1875年に町内会に譲渡され「横浜市瓦斯局」となり、現在の東京ガスの前身となった。日本ガス事業発祥の地 名所・史跡
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・・・となかなか壮大ないきさつなのだが、小学校とあって立ち止まる人はいない。もっとも、このご時世、下手に校門をくぐろうものなら不審者扱いされかねない。写真を撮って早々に立ち去る。
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【日刊新聞発祥の地】
馬車道に向かう途中、新しい横浜市庁舎の前を通る。
ここにあるのが日本初の日本語日刊紙「横浜毎日新聞」の創刊(1871年1月28日)を顕彰する記念碑。
新市庁舎落成に伴い、現在の場所に再建したものらしいが、正直「ふ~~ん」。日刊新聞発祥の地 名所・史跡
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【写真の開祖】
さて馬車道だ。ここは記念碑がかたまっている。
最初に向かったのは『初の写真館』。
日本における写真業は、幕末の1860年にアメリカ人が横浜に写真館を開いたのが始まりだとか。その後、初の日本人写真師とされる下岡蓮杖が1862年に横浜に写真館を開業。写真の開祖 下岡蓮杖顕彰碑 名所・史跡
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当時は魂が抜かれるなんて迷信が信じられていた時代、商売は順調とは言えなかったようだ。外人相手だけではうまくいかず、いったん店をたたむという苦労もしたらしい。
世間の迷信が消え、再度開業したというから、ど根性の持ち主だったのだろう。
この碑は彼の写真館が弁天町にあったことから設置されたもの。 -
【ガス燈発祥の地】
関内ホールの前に2本のガス燈と「日本で最初のガス燈」という碑が設置されている。
『ガス事業発祥の地』の項でも触れたガス事業で、この辺一帯にガス燈がともったのが1872年9月。(東京は2年後)
現在も馬車道通りには約60基のガス燈が設置されていて、これらは「ガス燈風の電気灯」ではなく、実際にガスを燃やす正真正銘の「ガス燈」なんだそうだ。 なんかロマンがあるね~日本で最初のガス灯 名所・史跡
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ガス事業及びガス燈点灯については、実は大阪や鹿児島の方が早く成功している。ただ、実験で終わったり、官庁内の利用で終わったりと、広く民間で利用されるまでには至らなかった。
このことから、民間での実用に漕ぎ着けた横浜が「発祥」とうたっているわけだ。
「民間の都市ガス事業として初めてのガス燈」とした方が正確だろう。 -
【アイスクリーム発祥の地】
1869年「あいすくりん」登場!これが日本初のアイスクリーム。
かなり繁盛したらしい。
1976年日本アイスクリーム協会より、発祥の地記念として寄贈されたのがこの「太陽の母子像」らしいんだが、[ミルク=母乳=母子]って連想はかなり無理があるんじゃなかろうか?
ちなみに、あいすくりんの店があったのはこの向かい側。
※写真館、ガス燈、このアイスクリームと、同じ通りのわずか100mくらい(かな?)の距離に並んでいる。アイスクリーム発祥の地 (太陽の母子像) 名所・史跡
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余談だが、この母子象の前にあるビル
ここ、メリーさんが寝泊まりしていたビルじゃないかな?
自信はないが・・・
※メリーさんが寝泊まりしていたのは福富町のビルでした(nichiさんより)
このアートビルは彼女が頻繁に出没していたという場所です -
【街灯点火の地】
あいすくりんの像から1ブロック、桜木町側に進むと、あの勝烈庵の本店がある。
その玄関先にあるのがこれ。
碑文には「明治23年10月1日、初めて横浜市内700の電灯と街灯が一斉につきました。この街灯は山下公園の門灯でした。同公園に埋もれていたのを、電力の産みの親、横浜共同電灯株式会社跡の常盤町に復活させました。古きよき時代をしのんで頂けたら・・・・・・と存じます。 勝烈庵主 昭和40年6月」とある。
勝烈庵の店主が個人的に建てたもののようだ。ハマの街灯点火の地 名所・史跡
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【牛馬飲水(乗合馬車発祥の地)】
勝烈庵からほど近い「馬車道十番館」、その前に置かれた石造りの盥みたいなモノ。
これ、「牛馬飲水槽」と言って、その名の通り牛やら馬やらの水飲み桶。十番館のレトロな建物と妙にマッチしてるのが面白い。
横浜の陸上交通の主力であった牛馬のために磯子の方に設置したものなんだとか。
これをもって「乗合馬車発祥の地」と言っちゃうてのも、なかなかのものだ。牛馬飲水 名所・史跡
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【電信創業の地】
馬車道からてくてく日本大通りへ。横浜地裁の入口という、一風変わった場所に埋め込まれたプレート。
1869年同12月25日に、横浜と東京の間で業務を開始。これが、我が国における公衆電気通信の事始め。
当時は何かの魔法ではないかと、石を投げつける輩とか、電信線を切る輩も多かったらしい(笑)電信創業の地 名所・史跡
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ちょっと一呼吸・・・
この日は天気も良く、うろうろと動き回るには最適な日 -
【日本初の鉄筋コンクリートビル】
横浜地裁の向かい、このビルは三井物産横浜ビル。そして日本で最初に建てられたコンクリートビル。
1911年に竣工、この時代のビルはどれも重厚だ~
この界隈のビルとは趣向が違う。他がルネサンス調が多いんだが、三井ビルはモダン・・・と言われても正直よくわからん。
でも、関東大震災にも耐えたというから、重厚な外見は見てくれだけじゃないんだな。KN日本大通ビル 名所・史跡
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【国内最古のガス管】
横浜情報文化センター・横浜ユーラシア文化館・横浜都市発展記念館の中庭、「近代横浜の土木遺構」として展示されているのが、最古のガス管。
正直なところ、鉄の塊がゴロンところがってる感じだし、目を引くのは卵型の下水管なんだが(笑) 近代土木の面では貴重なものなんだろう。国内最古のガス管 名所・史跡
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この中庭にはほかにもガスタンクの土台部分や、ガス灯(復元モデルだが、実際にガスで点灯している)、卵型下水管、旧居留地消防隊地下貯水槽などもあり、「近代国家へと歩み始めた日本」を感じることができる・・・はずだ、いや感じなきゃいけない(笑)
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【消防救急発祥之地】
なんと、消防隊まで横浜発祥!
前記の土木遺構群のすぐそば。『旧居留地消防隊地下貯水槽』の遺構とともに、『消防救急発祥之地』の碑がある。
ここは1994年まで日本初の消防署、中消防署日本大通り消防出張所があった場所で、今でも貯水池跡が残されている。消防救急発祥之地 名所・史跡
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この貯水槽は湧き水で普段は冷蔵庫代わりだったとか(笑) なんとも長閑なほほえましい話。
貯水槽はガラス越しに見えるようになっているんだが、実際は曇っていてはっきり見えない。 -
【ホテル発祥の地】
日本大通りの1本隣、通称「大桟橋通り」に建つ蔦に覆われた古いビル。
ここが『ホテル発祥の地』であり、現在は洋菓子の老舗「横浜かをり」の本店。ホテル発祥の地 名所・史跡
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1F店舗入口の脇に「ホテル発祥の地」と書かれたプレート。
1860年2月、オランダ人によって開業された「ヨコハマ・ホテル」は、レストランやビリヤード、バーを備え、医師のシーボルトや画家のハイネ、そしてローマ字の生みの親、ヘボン博士も投宿したという。
さらにここのバーも「日本初」と言われており、チェリーブロッサム、ミリオンダラー、バンブー等は、横浜から発信されたカクテルなんだそうだ。 -
【外国郵便創業】
横浜情報文化センターの向かい、横浜港郵便局。
郵便事業がスタートした明治初期は、海外との郵便物は各国の領事館などがとりまとめて送受するという形がとられていた。
これが直接郵便という形式に変わった際、その業務にあたったのが、ここ。
それをあらわすプレートが壁に埋め込まれているが、やや地味。外国郵便創業の局 名所・史跡
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【運上所(日本初の税関)】
県庁の敷地内に記念碑(石柱)が立っていて、歩道側からも見ることができる。
開港に伴い設置された「神奈川運上所」は、関税と外交事務を扱っていた。
その後、横浜税関と改称・改組されるのだが、名実ともに横浜税関の前身だったわけだ。神奈川運上所跡 名所・史跡
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閑話休題-------
この辺をウロウロしていると、遭遇するよね
ベイサイドブルー
やっぱり、目を引くわベイサイドブルー 乗り物
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【電話交換創始の地】
1890年横浜電話交換局において、横浜-東京間にわが国で初めて電話交換業務が開始された。これを記念して石碑とプレートが設置されているのだが・・・
現在、そのアーバンネット横浜ビルが改築中で、見学不可。なので以前撮影したものを掲載。どっちみち、地味なんだが・・・電話交換創始の地 名所・史跡
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【パン発祥の地】
「電話交換創始の地」碑があるビルの前の歩道に設置されている。
日本で初めてパンを作ったのは内海兵吉という人物で、1860年のこと。その後1865年、イギリス人ロバートクラークが「横浜ベイカリー」を開業、これを打木彦太郎が継承して、現在の『ウチキパン』に至る(諸説あり)。
この記念碑は、横浜市綜合パン協同組合と全日本パン協同組合連合会が2016年に設置したもの。新しいのでありがたみが薄い(笑) 宣伝用かな? -
【近代道路発祥の地】
横浜スタジアムから象の鼻パーク開港波止場まで、ズドンと貫く直線道路。
かつては旧外国人居留地と日本人街を区分する街路で、現在は官庁街、銀杏並木が有名な場所。
1866年に「豚屋火事」とばれる大火のあと、防火帯を兼ねて計画・整備されたもので、これが日本における近代街路の事始めとなった。
設計者プラントンは、横浜公園や旧居留地地下水道など横浜の都市基盤整備に大きく貢献したイギリス人技術者。
ただし、通りには記念碑らしきものはなく、「マカダム式舗装」という工法で造られたことから、これに関する記述があるのみ。日本大通り 名所・史跡
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【日米和親条約締結の地】
開港広場に記念碑。
この条約が締結されたのは1854年。そこで函館と下田の開港が決まり、日本の開国がスタートしたわけだが、その締結の地となった横浜も、これを契機に文明開化の先端を行く街に生まれ変わっていく。日米和親条約締結の碑 名所・史跡
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その様子を見守り続けたのは『たまくすの木』
開港資料館の中庭に象徴的に立っている樹だ。本当は「タブノキ」なんだが、通称『たまくす』と呼ばれている。
ペリーに随行してきたハイネが描いた「横濱上陸」の中にも描かれていることから、1854年のペリー来航時にもこの地にあったと考えられている。
和親条約の締結、大火、関東大震災、空襲と正に波乱万丈、激動の人生だったわけだ。
この木のおかげで、中庭が静かで落ち着いた印象となっている。たまくすの木 自然・景勝地
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【近代下水道発祥の地】(旧横浜居留地煉瓦造下水道マンホール)
再度、開港広場に戻って、見渡すと・・・
なにやら地下をのぞくような窓・・・ -
これね、これ
下水道の遺構は、市内の数ヶ所でみることができるが、それらの多くは外国人技師の指導により整備されたもの。
開港広場にあるものは、その次の世代、日本人が設計した我が国最初の近代下水道、、、の遺構で、『土木遺構群』の項で紹介した「卵形管」なのだね。旧横浜居留地煉瓦造下水道マンホール 名所・史跡
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ただ内部は良く見えぬ(笑)
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なので、横浜情報文化センター・横浜ユーラシア文化館・横浜都市発展記念館の中庭に展示されていたものを。
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近代下水道の記念碑は山手公園にもある。
山手公園の記念碑がコレ。
ちょっと横道にそれるが、山手公園の話が出たので、遺構の多いこの公園について少々・・・ -
【テニス発祥の地】
名前の通り「山の手」にあるこの公園で有名なのが何と言っても「テニス発祥」だろう。
イギリスで始まったローンテニスが1876年に横浜に伝わり、山手公園の中にテニスコートが2面つくられ、ここからテニスが全国に広まることになる。
現在もテニスクラブと市営テニスコートがあり、旧山手68番館の建物はクラブハウスとして使われている。なんとも風雅で贅沢な話。横浜山手 テニス発祥記念館 美術館・博物館
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【西洋式公園発祥の地】
山手公園は、外国人居留地住民の要望で日本政府が貸与した約6千坪の土地に、居留地住民が1870年に造成した公園。これが『日本最初の洋式公園』となった。以来、80年間も外国人専用だったというから驚き。
公園内に『日本最初の洋式公園』の碑が立っている。なんか複雑だ…
また、ここは日本初のヒマラヤスギ植樹の地だとか。まあこれはどうでもいいや(笑)山手公園 公園・植物園
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【近代水道発祥の地】
再度、開港広場&開港資料館に戻る。
広場には下水道の遺構があるが、資料館の中庭には上水道の遺構がある。
近代水道の始まりは、神奈川県の依頼を受けたイギリス人技師が道志川を水源とした野毛山貯水池までの工事を1887年に完成させたことから。
その記念碑や遺構は野毛山公園に多いが、ここには『獅子頭共用栓』と『ブラフ溝』が展示されている。
この共用栓は、水道創設時に市内各所に配置されていたという。当時はまだ各家庭に水道を引くことが稀だったそうだが、街頭にこんな洒落た水道があるなんて素敵だ・・・(単なる郷愁だろうけど)
後で気付いたが、この獅子頭共用栓、山手資料館の庭にあるものと全く同じ。獅子頭共用栓とブラフ溝 名所・史跡
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【日本初の公衆トイレ】
開港広場には公衆トイレがあるんだが、これが「日本初の公衆便所」との情報がある。
居留地の外国人達からの日本人の立ち小便に対して苦情が殺到(当たり前だ)
その対策として、1871年に町の83箇所に板囲いの簡単なものを設置したのが始まりとされている。
ただ、この情報も100%じゃないらしい。
日本初の公衆トイレは一体どこ?開港広場 公園・植物園
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【西洋理髪発祥の地】
開港広場からてくてく歩いて山下公園。ここには、『ザンギリ頭をたたいてみれば文明開化の音がする』の「ザンギリ」の像がある。これが『西洋理髪発祥の地』碑である。
1869年に横浜で開業した「西洋理髪店」が事始めだとか。山下公園にその店があったということじゃないらしい。
「碑」というより「像」、モアイ像のような石像なのだが、場所は内陸側の園路。山下公園に入ると、ついつい岸壁側に行ってしまうので、なかなか気づかない。
これがもっと目立つ場所にあれば、現代の理髪業が横浜発ということをもっと認知してもらえるだろうに。西洋理髪発祥の地 名所・史跡
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目が「ZANGIRI」、口が「YOKOHAMA」という、なかなか斬新な(笑)デザイン。岸壁側に置けば、人目を引くこと間違いなし! ただ建立は1989年というから、ありがたみはあまりないかも。
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ちょっと一息・・・
山下公園通りのイチョウ、まさにピーク
真っ黄っ黄のイチョウ越しのマリンタワー
カメラ向ける人、多し -
【日本最初の和英辞典】
山下公園から再びてくてく、、、合同庁舎の前まで行くと『ヘボン博士邸跡』の記念碑がある。
「ヘボン」て誰よ?
あの「ヘボン式」のヘボン氏です
というわけで、「和英語林集成(美国平文)」という日本で最初の和英辞典を編纂したヘボン氏の屋敷跡にちなんで。ヘボン博士邸跡 名所・史跡
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【洋裁業発祥の碑】
中華街方面に行く前にちょっと寄り道。
今回見て歩いた記念碑・遺構の中で、一番気の毒な記念碑がこれ。日本洋裁業発祥顕彰碑 名所・史跡
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元々ホテルがあった場所、その時はこんな扱いじゃなかったと思うんだが、現在はマンションで玄関前は自転車置き場と化している。そのチャリチャリに埋もれるように、クラシカルな洋装のご婦人が立っておられる。
これが『日本洋裁業発祥顕彰碑』で、1863年に居留地にドレス・メーカーを開業したことにちなんだもの。なかなかよくできた像なんだがなぁ・・・
隣にみなとみらい線「元町・中華街駅」3番出入口があるんだが、この壁面もちょっと凝った模様・・・と思ったら、裁縫所「の外観を再現したものなんだそうだ。 -
【新聞発祥の地】
『日本国新聞発祥の地』、ちょっとわかりにくいが要は日本初の新聞。
その名も「海外新聞」、月刊で最初は手書き! 後に活版印刷となった。
(序盤でご紹介した「日刊新聞発祥の地」は、その名の通り日刊)
横浜中華街の關帝廟通りにある。
現在(2021年11月時点)、關帝廟の隣のビルが大規模な工事中で、歩道も通行規制がかかっていて、この記念碑も見学しにくい。日本国新聞発祥の地 名所・史跡
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【機械製氷発祥の地】
元町の入口に立つ「山手迎賓館」の角にひっそりとプレートが埋め込まれている。
私のように、記念碑の類がないかとキョロキョロしない限り、気づく人は皆無だろう。
この地で設立された『ジャパン・アイス・カンパニー』が日本初の機械製氷業。
この工場はその後なんと100年以上も続き、1999年に神奈川日冷の工場として幕を閉じた。
工場と言っても製氷だから街中に居られたんだろうね。機械製氷発祥の地 名所・史跡
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【横浜ボウリング場発祥の碑】
港の見える丘公園 フランス山入口から入る。広めの園地の片隅。
神奈川県ボウリング場協会など5団体が1995年に設置したもの。
「発祥の碑」ではなく、『横浜での』ボウリング『場』発祥の地という、なんともややこしい記念碑(笑)
そこまでして、記念碑作る必要ある?なんてことは思っていても言っちゃダメ・・・
ちなみにボウリング自体の「日本初」は長崎の出島(1861年)で、横浜は2番目(1864年)横浜ボウリング発祥の碑 名所・史跡
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【クリーニング発祥の地】
谷戸坂をほんの少し上って丘公園の敷地沿いのフェンスが左に折れた所に設置されている。その気にならなければ見つけられないかも。
これもやはり外国人居留地があったからこその発祥。
碑文には、1859年に青木屋忠七が横浜本町1丁目で開業したのが初めとされている、とある。
なかなかの繁盛ぶりで、その後、同業が相次いで開業したらしい。 -
【日本最初の西洋式劇場】
丘公園と外国人墓地の間、小ぶりな洋館。古くは「ゲーテ座」、今は「岩崎博物館」。
これが日本初の本格的演劇場。
こちらも居留地の外国人対象に使われていたそうだ。のちに滝廉太郎や坪内逍遥、芥川龍之介、大仏次郎など文化人が足繁く通ったそう。
なお、「ゲーテ座」の「ゲーテ」は、詩人のゲーテではなく、英語の「陽気・愉快・快活」という言葉が由来となっているんだそうだ。知らなかった!岩崎博物館(ゲーテ座記念) 美術館・博物館
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【日本最初の西洋瓦製造工場/日本最初の給水業】
外国人墓地から元町公園に下る。『ジェラールの瓦工場と水屋敷跡』がある。
今の元町公園周辺の水質の良さに目を付けたフランス人アルフレッド・ジェラールは、横浜港に入る船に水を供給して大いに儲かったらしい。悔しいことに、これが日本で最初の船舶給水業となった。ジェラールの瓦工場と水屋敷跡 名所・史跡
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彼はそれ以外にも西洋瓦やレンガ工場、軍用日用品供給業、肉屋と、手広く商売をして成功した。
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給水業のための施設のことを人々は「水屋敷」と呼んだそうだが、その貯水槽は元町公園を出たところ、住宅の中に突然現れる。きれいに整備されていて、現在も水が湧き出ているが飲用不可。以前の元町プールは湧水だったそうで、水温が低く「冷たいプール」と有名だったとか。
この眺めはちょっと不思議な感覚にとらわれる。ジェラールの瓦工場と水屋敷跡 名所・史跡
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【塗装業発祥の地】
元町公園のプールのそば、妙な塔がが立っている。
これ、『塗装業発祥の地碑』、今回調べた中で、一番人を食った記念碑。
ペリー2度目の来航まで遡るというから、歴史はそれなりだ。
でも、塗装業と元町公園とは全く無関係で、この記念碑がなぜここにあるのか、未だ不明だって!?おいおい
そもそも「塗装業の発祥」を気にする人、いる?(笑) しかも「なぜここにあるかわからん」て・・・
たいがいにせーよって記念碑だ。 -
【余禄:近代映画製作発祥の地】大正活映撮影所跡
元町公園の「塗装業発祥の地碑」のそばにひっそりと立つ記念碑。正直、なんじゃこりゃ?的な石碑だが・・・
「大正活映」という映画制作会社の撮影所があった場所。
その大正活映とは、あの浅野総一郎氏の子息良三氏が創設した会社で、当時としては初めて映画界に財界の資本が投入されたこと、また、ハリウッドで修業した栗原トーマスを監督に招聘したこと、新進作家であった谷崎潤一郎を脚本顧問として迎えたことなど、近代的な映画製作を開始した画期的企業だったそうだ。
位置的に全く目立たないので、これを目当てに来た人以外は気づかないだろう。 -
なんだか、最初の気合いの割に最後のスポットが冴えないんだが、時間的にも気温的にも上がりの頃合い。
それでもまだ書き切れないものに次のようなものがある
ショートケーキ(不二家)
ハムとソーセージ(大木精肉)
シーフードドリア、ナポリタン、プリン・ア・ラモード(ホテルニューグランド)
ビール(キリン)
トマトケチャップ(清水屋)
街路樹・・・山手資料館 美術館・博物館
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これにて「初モノ巡り」は終了
歩数計によれば、歩行距離 17km
まだまだ横濱徘徊は続く・・・横浜外国人墓地 寺・神社・教会
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