2010/03/19 - 2010/03/23
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kojikojiさん
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西安に到着した翌日の観光は「陜西省歴史博物館」から始まりました。この博物館は北京の「故宮博物院」と台北の「故宮博物院」、北京の「国家博物館」と「南京博物館」「上海博物館」と並び称されるほどの博物館だそうです。個人的には台北の故宮博物院は別格として素晴らしい博物館だと思いました。上海などだと確かに素晴らしい唐三彩はありますが単品としての「点」だけであってそこに行き着くまでの「線」が理解できませんでした。「陜西省歴史博物館」は西安周辺から出土されたものしか展示してませんが、古都長安というバックボーンがあり、そして隋や唐の時代の遺品を見ているとシルクロードを通過して日本の奈良まで繋がっているのもを感じました。今回妻の夢だった兵馬俑を見に来るというのが目的でしたが、事前にこの博物館で数体を間近で見ることが出来てよかったです。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス タクシー
- 航空会社
- 中国国際航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- クラブツーリズム
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西安に到着した翌日は朝から「陜西省歴史博物館」に向かいました。開館のタイミングで見学するようです。
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博物館に向かうと横から兵隊さんが出てきました。この博物館の警備を担当しているそうです。それほどのお宝が収蔵されていると言うことでしょうか。数十万点の収蔵品のうち数千点しか展示していないそうです。
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西安の町では連凧が盛んなようで、広場ではたくさんの大人が凧あげを楽しんでいました。
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博物館の建物も立派です。
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この博物館は入場料が無料ですが、1日の入場者数を制限しているのでそのチケットを入手するために表の集票処は長蛇の列です。団体ツアーの参加者は写真を撮っていればガイドさんが手続きをしてくれます。
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ガイドさんを待っている間に博物館本館の正面で記念写真を撮ったり時間を潰します。
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先ほどの兵隊さんと交代でしょうか?動き方がおもちゃの兵隊さんを連想させます。
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博物館の中に入って記念写真を1枚撮ってもらいました。この神像(狛犬)は則天武后の母の陵墓の神道の脇に向かい合わせで置かれていた鎮墓獣です。一対のもう1体は文化大革命の時に破壊されたそうです。
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古代文明の文字と饕餮文様がたまりません。高校生の頃に読んだ諸星大二郎の「孔子暗黒伝」というコミックで初めて知った模様です。
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こういったジオラマ模型も展示されているので、ガイドさんの説明と合わせて理解がしやすいです。
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これなどはほとんど現代でも使われている形です。陶器製の炊具で、このまま火の中にかけます。雲南省の香格裏拉郊外の納西村(ニシ)でほとんど同じ形の陶器を現在も造っています。
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殷時代の饕餮文の入った酒器の一種です。これもこのまま火にかけて温めたのでしょう。「饕餮」は中国神話の怪物で体は牛か羊で、曲がった角と虎の牙と人の爪、そして人の顔を持ちます。饕餮の「饕」は財産を貪り「餮」は食物を貪るの意味です。何でも食べる猛獣というイメージから転じて魔を喰らうという考えが生まれ、後代には魔除けの意味を持つようになります。
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また食物を貪るということから食べ物や飲み物を入れる器物に用いられる模様です。また「饕餮」は竜生九子(りゅうせいきゅうし)、竜が生んだ九匹の子の1つとされます。
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西周時代の青銅器です。美しいカーブと前面に刻まれた饕餮模様がたまりません。ここでこんな素晴らしい物に出会えるとは思ってもいませんでした。
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殉馬坑がそのまま展示されています。これの巨大な物は山東省の済南の近くでも見ましたが馬に装飾馬具を施した素晴らしさを感じます。何より手が届きそうな近さで見られるのが素晴らしいです。
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蟠?枳文?絲は青銅製の鐘の一種で、吊り下げて胴部を撞木や木槌で打って鳴らしました。古代中国では青銅製の鐘が儀式で重要な役割を果たしました。
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青銅の緑青がいい感じです。模様が深いので消えずに残っています。
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奈良国立博物館の坂本コレクションにも同じようなものがありました。ここで青銅器の逸品に出会うと奈良博の青銅器のレベルの高さを改めて感じました。
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器物の名前は特殊な文字で表されるので、このコメント欄では文字化けしてしまいます。その中の1つに「爵」がありますが、中国語における爵とは中国古代の温酒器を意味します。三本足の青銅器を中国の古代王朝では人物の徳や身分を指す概念として用いるようになったといわれます。
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上野の東京国立博物館の東洋館にも良いものが収蔵されていますが、その多くが個人の方が寄贈されているのでその来歴が気になります。
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「西周」中期は紀元前10世紀中頃から9世紀中頃で、日本の縄文時代に古代中国はこんな酒器を造っていたことになります。
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「上海博物館」や山東省の「斉国博物館」にも素晴らしい物がありましたが、この博物館も凄いと感じました。
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尾羽の形を見ると獣と鳥が合わさった不思議な形です。
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西周の中期の水牛の形をした酒器です。1967年に陜西省七山県から発掘されたこの博物館の宝物の1つです。背中に四角い穴と虎の形をした蓋があり、水牛の尾は取っ手になっています。 誇張されたデザインは非常に人目を引きます。
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蛇のような長い胴体の不思議な造形は「青銅龍」です。楽器を置く台に使われたようです。
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この博物館にも10体ほどの始皇帝陵の兵馬俑が展示されています。実際の兵馬俑博物館では距離も離れているし、近くてもガラスケースに入れられているので、間近で見るにはここが最適でしょう。
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初めて見る本物の兵馬俑の完成度の高さに圧倒されます。
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兵馬俑博物館の数による圧倒的な迫力はありませんが、一体一体の細かいディテールは手に取るように分かります。
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完成時には木製の武器を持っていたようですが、手の握り方のその痕跡を見る事が出来ます。
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髪の毛一本一本髭まで丁寧に再現されています。そして胴体の鎧のディティールの細かさにも驚かされます。
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ここに立っている10体ほどの俑だけでも全て民族が違うように見えます。
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体格もその民族によって特徴が現されているので胴体と首を別々に造ったのでは無く1人1人を忠実に写し取ったのだと思います。
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位によるものなのか甲冑を着けていない人の姿もあります。これらは「戦袍」と呼ばれる戦闘着です。
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ずっと見ているとこれは造り物では無くて呪いか何かで固められた人間のように思えてきます。
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ある意味で秦の始皇帝が望んだ不老不死の1つの形だったように思えます。
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この人は遠い故郷に家族を残して1人で秦の国にいるのでしょうか?俑を造った人はその1人1人の形だけでは無く、その人の心までも写し取ったように思えてなりません。彼は何を見つめていたのでしょうか。
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ここに置かれていた兵馬俑は「武士俑(兵士俑、歩兵俑)」と呼ばれ、一般的な兵士をかたどったもので平均身長は約1.8メートルと実際の人物より大きく造られています。
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始皇帝の軍団の主体を構成しており、兵馬俑坑から出土した数は最も多いそうです。戦袍を着た兵士(戦袍武士俑)と鎧を着た兵士(鎧甲武士俑)に分けられます。
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念願の兵馬俑を目の前に妻も神妙な面持ちです。
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兵の後ろには馬の俑が並んでいます。動物の造詣でありながら人間に通じるような意志の強さを感じます。
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この当時に馬がどれだけ大切な物だったかが感じられます。口が開いているのは別に造られていた馬具があったからでしょうか?
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おそらくは本物の馬具が装着され、口の開き方は銜(はみ)を噛ませてあったのでしょう。鼻息の荒さまでが伝わってきそうです。
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子供のような小さい俑も2体ありました。直裾袍という伝統的な衣装に身を包んでいます。
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髪の分け方など技術の高さを感じます。
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実際の兵馬俑の後ろの壁面は様々な俑の顔がパネルになって飾られています。その多様性にも驚かされ、早く「兵馬俑坑博物館」へ行きたくなってきます。
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「青銅水禽」青銅の水鳥は、秦の始皇帝陵の葬儀場7番から20羽の銅製の白鳥と20羽のガチョウと6羽の鶴の合計46個の像が発掘されました。
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ここでは何らかの水景が表されていたのだと想像されるそうです。
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「彩絵跪射俑」最後はガラスケースに入った兵馬俑が数体陳列されていました。これは弓を射るポーズの兵馬俑です。
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その顔には製作当時に施された彩色が残っていました。
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「箕踞姿俑」始皇帝の兵馬俑坑で北側で発掘された青銅の水鳥に加えて、南側の部屋と壁には異なる姿勢の15の俑が発掘されました。 彼は足を伸ばして地面に座っており、手のひらを上に上げ、左手をわずかに握り締め、右手のひらを下げ、拳は穏やかで顔は穏やかです。 これらの奇妙な形の人形の正体と役目は専門家によってまだ解明されていないそうです。
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最後は石の板を繋いだ鎧です。これ1体分でどれだけの労力が費やされたのでしょう。そして誰がこれを着て戦場に向かったのでしょう。雑兵まで支給されたとは思えない造りです。でも重たかったでしょうね。ああ素晴らしかったとロビーに出ると1楼が終わっただけで2楼が残っていました。嬉しい誤算です。
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2楼は陶器が多く展示されていました。兵馬俑から始まり唐三彩で昇華する人形の流れが非常に分かりやすく展示されています。
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素晴らしい古瓦です。
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「裸体俑」漢時代に埋葬された陶器の人型の俑は裸体型と衣服型の2種類に分類されます。裸体型の俑は葬儀の時に本物の絹や綿や麻、または鎧を着ますが、 衣服は腐って炭化してしまうので今日見られる裸の俑になりました。
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馬に跨らせた俑のようです。この顔ってどこかで見たような気がします。岳敏君(ユエ・ミンジュン)の作品の原点がここにあるような気がします。
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「彩絵?兵俑」
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端正な顔立ちに教養の深さを感じます。
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黄金の細工物も数多くありました。「渡金銀竹?薫炉」は国宝的な収蔵品です。 炉の蓋の外側の銘は、この炉が西漢時代の未央陽宮殿の器具であることを示しています。香を焚くと緑の煙が上がり、炉の周りに残り、かすんだ山の景色はまるで海の伝説的な「博山」のように見えました。 西漢時代には不死の技術を得るために、ほとんどの人が錬金術師のことわざを信じていました。
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これって本当に数百年とか千年くらい前に造られたのと思ってしまいます。こいつの弟なのか良く似た白い犬が上野の国立博物館の東洋館にいました。
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「東羅馬金貨」文字通り東ローマの金貨はシラクーリオ王朝(610 AD-711 AD)のもので、当時の東西の貿易や交流を窺い知るものです。
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「緑釉孔雀陶灯」下から上に3層に分かれていますが、同時に点灯できる燭台は9つあるため「9つの連続した燭台」とも呼ばれます。
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この種の燭台は戦国時代の早い時期に登場した後に漢代に発展し高さは一般に約1メートルほどでした。
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「彩絵百劇俑」歌と踊りの3つの陶器の置物で構成されているうちの1体です。 この男は上半身は裸で腕は前に伸ばし、下半身は広口のズボンを着用し、体は少し右に傾いており、口は舌を出した変な姿をしています。
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「金怪?」金で出来たこの奇妙な動物は、羊のような体に鷹のようなくちばしに鹿のような角、サソリの形をした尾など、複数の動物の集まりであるため、怪物と呼ばれます。よく見ると怪物の2つの角は16羽の鳥で構成されており、それらの背中は互いに向かい合っており、サソリ型の尾も鳥のようです。この小さな怪物は17羽の鳥を体内に隠していることになります。
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「安伽墓石榻」安伽の墓は西安の北部郊外の威陽区の大明郷にあり、中国で発見された貴族の最古の墓であり、現在までに北周王朝で発掘された唯一の墓でもあります。榻は牛車の乗り降りに使われた踏み台ですが、その豪華さに驚きます。
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「彩絵胡人武士俑」
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「武官俑」
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おめかしした可愛らしい女の子がお父さんに連れられていました。子供の頃上野の国立博物館に連れて行かれるのにベルベットの上下に革靴を履かされたのを思い出しました。
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素朴で温かみのある俑もたくさんあります。
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これも不思議な人面獣です。
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「独角?」西洋ではユニコーンですが古代中国では「?貌豸(かいち)」と呼ばれ、麒麟に似ています。水辺に住むのを好み人の紛争が起きると、角を使って理が通っていない一方を突き倒すと言われます。正義や公正を象徴する祥獣とされます。
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最近造られた模型のようですが唐時代に造られた本物の三彩です。精緻な造型が見事です。ベトナムの熱帯魚やに行くと水槽に入れるこのような交趾の置物がたくさん売られています。
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鬼瓦。
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蓮紋の陶板は正倉院の御物にも同じデザインがあったように思います。
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「彩絵駱駝」唐時代の中国と外国の貿易は頻繁に行われ、シルクロードの西側では勤勉なラクダが当時最も有効な輸送手段でした。
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唐時代の職人の芸術的センスで造られたラクダの像は軽い表情で表されています。釉薬のかかっていない動物の俑も素朴ですが力強さを感じます。
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「彩絵陶馬」唐時代の農業と畜産は非常に発達しており、特に馬の繁殖産業は最も繁栄していました。高宗麟?・年間に記録されたデータによると、公式の馬の繁殖は700,600頭に達し、これは古代の国で最も多い数です。
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唐王朝の馬は非常に用途が広く、戦闘や輸送や狩猟から切り離せませんでした。
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唐の人々は馬を愛しており、動物のイメージの中で最もうまく形作られていて、職人は馬の表情を把握してその内なる力の生き生きとした表情を表現ています。
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「彩絵駱駝」
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立姿の多い唐三彩ですが、座った姿の物は初めて見ました。
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「渡金鉄芯銅龍」1975年に西安の郊外の草が茂った斜面で発掘されたこの銅でメッキされたは鉄製で、細長く地面に延ばされた2本の強い前足があり、龍頭と上半身はS字型をしています。
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歯と湾曲した龍の舌とまっすぐ前を向いた2つの開いた目が印象的です。龍の尾は後肢の高さから頭部にまで伸びています。
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「鴛鴦蓮弁紋金碗」純金で出来た碗は蓮弁の衣装で覆われ、上段のモチーフはアナグマや野生のアヒル、オウムやキツネが描かれ 下段はスイカズラの花の装飾になっています。
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駱駝の鳴き声が聞こえてきそうなほどの出来栄えです。
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三彩の虎でしょうか?迫力のある表情です。
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「三彩天王俑」四天王の置物は唐時代に登場した新しい葬儀の置物であり、則天武后の時代に初めて登場しました。 四天王の置物は墓の扉に対称的に配置されています。
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干支の置物と一緒に「四神と十二時」と呼ばれ、悪を追い払い墓室を守り、墓の主人の平穏を護ります。 この3色の天王の置物のイメージは、伝説の天の神に応じて形作られています。
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ディズニーのアニメの「トイストーリー」のバズ・ライトイヤーを思い出しました。
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写真を撮っている反対側に立たないでください。
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ガラス越しに見たら妻の頭にも角が生えていました。
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唐時代の「三彩西瓜」この三彩が納められた墓の主はよほど西瓜が好きだったのでしょう。1400年前のスイカの形を知る事が出来るのですからすごいですね。お皿まで揃っているのがいいです。
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三彩の陶箱。
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「三彩三花馬」三花は3本のたてがみを形成するために慎重にトリミングされた馬の毛を意味し、馬を美しく飾ることは唐王朝の宮廷や貴族の間で人気のあるファッションであり、それはまた良い馬とランクの反映でもあったそうです。 唐王朝の太宗天皇の前にある「六駿馬」は馬の毛が3つの花に変更されました。 唐時代の絵画や彫刻では三化馬もよく見られます。 花で馬の毛を切る習慣は唐王朝の馬の主な源であったトルコ人の影響を受けている可能性があり、セルチュルク朝と唐王朝は密接に関連しており、貿易や贈り物などを通じて、高級馬と馬の毛の切り花の習慣が唐王朝に導入されました。
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龍が水を飲んでいるような取っ手の瓶です。
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「赤金盆」考古学的に発掘された唯一の赤金の盆だそうです。
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妻の目の色が変わりました。結婚した後に生命保険の受取人を両親から妻に変えたときもこんな表情をしていました。
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「三彩女立俑」 優雅な立位姿勢と優雅な姿を持ち、床までの長さの薄いドレス、ふっくらとした体を身にまとい、自然なシルクの質感と美しい曲線は唐時代の女性の柔らかさと尊厳を完全に反映しています。
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エレガントで高貴なこのタイプの女性の俑が好きです。何とも言えない表情です。
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「彩絵胡装女立俑」 このフフ族の女性の置物は耳当てが巻かれた帽子に襟付きの袖のシャツ、小さな緑のズボンに赤いブロケードブーツを着ています。 かわいくてシックなドレスは、唐王朝時代にフフを擁護した女性たちの姿を現しています。
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この時代と比べて現代は良くなったのでしょうか?この時代のほうがはるかに豊かな生活が繰り広げられていたのではないかと感じます。もちろん庶民の生活は大変だったのかもしれませんが。
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「三彩男装女俑」婦人服と紳士服は唐時代の人気ファッションの大きな特徴であり、王室や貴族の女性の中には、男性の服を婦人服として人前で着て登場する人もいたそうです。 この女性の人形が着ていたローブは、当時の政府の男性が着ていた普通の服で、小さな目と小さな唇、赤い唇と眉の美しさと相まって、彼女の自由な意思を感じさせます。
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衣装や髪型やお化粧にまで現代では失われてしまった余裕を感じます。
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表情も豊かです。
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「彩絵釉陶戴帽騎馬女俑」女性の顔は丸く広い眉毛に赤い唇をしています。彼女は大きなつばの付いた帽子を被り、ファッショナブルな乳白色のトップコートはレースの黄色の半袖と淡黄色の縞模様のスカートを着ています。 尖った靴を履き、リラックスした表情で赤い胸の黄色い馬に乗っています。高貴でエレガントな唐時代の女性の旅行の姿を描写しています。
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唐時代の寛容さや開放性、自由の時代に女性は規制と宗教の足かせを取り除き、表に出かけたり、顔を見せたり、田舎に遊びに行ったりすることがよくあったそうです。
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子供を抱いているものは初めて見ました。
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当時の役人の衣装でしょうか?この像の表情も素晴らしいです。
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この馬の意匠はギリシャ彫刻に通じそうな気がします。アテネの博物館かアクロポリスの博物館に似たような鬣の馬を見たような気がします。
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「彩絵双?望仙髻女舞俑」1985年にSha西省長武県蔵園郷郭村から発掘された唐時代の見事な俑です。唐の時代にこのような髪形や衣服や装飾品が実際にあったのでしょうか。ほとんどスターウォーズの映画に出てくる登場人物のようです。
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「彩絵胡人騎馬斗豹俑」西域の人が襲ってきた豹と戦っています。ここを西に進めばヨーロッパまで続いているのだと実感します。
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獣面の鎧などの意匠が東大寺戒壇院の四天王像などを思い出させます。長安と平城京がつながっていたのだなと感じさせます。
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こちらの像は目をギョロっとさせていますが日本の神像は細い鋭い目線が凄みを感じさせます。やはり日本人には日本の物の方が良いように思えます。
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十二支を象った像の顔はどこかで見たことがあります。
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「円明園十二生肖獣首銅像」を思い出させる姿です。
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ジャッキー・チェンの「ライジング・ドラゴン」という映画の題材にもなった中国の国宝的な像です。
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鎮墓獣とは墓門を守る辟邪の獣で、肩に翼をもち足先は偶蹄で、岩状の台座に座した姿にあらわされます。猛々しい形相ばかりだけでなく、たてがみを奮い立たせ、全身から怒気を発散しており、鎮墓の獣にふさわしい嚇怒の相をみせています。
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諸星大二郎のコミックに出てきそうな鎮墓獣です。上海博物館にも同じようなものがありました。
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この砂漠を行く隊商のラクダの像はその当時の情景を留めたままです。
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「三彩載楽駱駝俑」ラクダは長方形の台を背中に乗せ、カラフルな毛布で覆われた舞台の上で7人の胡人の男性楽団は漢服に身を包み、さまざまな楽器を持ってあぐらをかいて演奏しています。
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全員が落ち着いて音楽に没頭し、無私無欲の領域に達したようです。特に歌を歌う女性は、唐時代の女性の典型的な髪型を結い、長いウエストのドレスの流れるようなライン、頭を上げて右腕の優雅な動きで彼女は楽団の真ん中に立って、穏やかに歌います。
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この博物館に収蔵された唐三彩の置物の中でこれが一番秀逸なものと思えました。
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イチオシ
「明彩絵儀仗俑群」300を超える儀式用の人形があります。 墓の所有者は明の太祖である朱元璋の次男秦?王朱?です。 この俑の軍団は儀仗兵を表しており、元々は旗やシンバル、楽器やランタンなどを持ってしていました。 幸いなことに、それぞれの位置と職務は足の裏側に墨で書かれているため儀式図の分業を理解するのに非常に便利だったそうです。 明王朝の儀式用の人形の発掘は、この期間の?西の陶器の人形を知るうえで重要だったそうです。
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小さな兵馬俑は始皇帝の兵馬俑のスケールとは比べ物になりませんが迫力はあります。
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数えるのも忘れて見入ってしまいましたが、何体位あったのでしょうか?翌日に見る兵馬俑に期待を持たせるには充分な博物館の見学でした。
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「陜西省歴史博物館」のホームページには収蔵品について詳しく説明がされています。http://www.sxhm.com/
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この博物館の見学だけでも西安に来た甲斐がありました。
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とても有意義な2時間の見学でしたが、欲を言えばあと1時間くらい自由に見学したいところでした。
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この陶器の慈母観音像も見事でした。
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