2017/07/14 - 2017/07/22
123位(同エリア552件中)
ポポポさん
7月18日 旅行5日目
午後は国境を越えてオーストリアのインスブルックの観光です。
サンタ・マッダレーナ村を後にし、ブレンナー峠を越えてインスブルックに向かいました。インスブルックはチロル州の州都、さらには一国に一つしか無いはずの王宮がオーストリアにはウィーンとインスブルックにあったため「影の首都」と呼ばれていた古都、ここはマリア・テレジアが特にお気に入りの町で、フランツ1世と伴に終の棲家にしようと考えていたそうです。
王宮や大聖堂、宮廷教会などハプスブルグ家の栄光が今に残り、こじんまりした町ではありましたが2時間半の観光では時間が足りなさすぎでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
PR
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サンタ・マッダレーナ村からインスブルックまで約103kmの距離、時間にして1時間50分でした。
バスの車窓からはチロルの風景が眺められます。 -
オーストリアとの国境にあるのがブレンナー峠。
ゲーテやモーツァルトなど北の国の芸術家たちが南に行くために越えたのがこのブレンナー峠です。
バスは峠の手前にあるサービスエリアで停車。ここでトイレ休憩です。サービスエリアには大きな建物があり入口には「PLESSI MUZEUM」と表示されていました。
入り口を入ると広い空間があり、その中に山や川・谷などのジオラマが設置されています。そして周囲の壁には木の小枝や細い幹が展示され、その下にパネル写真と説明文が書かれていました。
ドイツ語だったと思いますが全く理解できないので、どういう趣旨の展示か分かりませんでした。建物の中に他の展示がなかったのでこれが博物館だったのでしょうが、我々が思い浮かべる博物館とは全く別物で何の博物館なのか意味不明でした。
展示コーナーの奥に物産品の販売所があり、地域の物産を販売していました。
主にワイン、チーズ、ハチ蜜、肉、パン、リキュール外の酒、果物、リンゴも確かあったと思います。いわゆる日本の道の駅のような所でした。
写真は商品展示の一部です。
なおここのトイレは清潔で無料でした。トイレ休憩には好都合の場所です。 -
ブレンナー峠を越えるとそこはオーストリア。いつ国境を越えたのかはっきり分かりませんでしたが、オーストリアに入ると下り坂が続きました。
峠を越えて見えてきたのが大きな町シュタイナハ アム・ブレンナーです。
遠くにはノルトケッテの山々が見えて来ましたがあの山の麓にある町がインスブルックです。 -
ノルトケッテの山々が近づいてきましたが、まだインスブルックの町は遠いようです。
道路はずっと下り坂です。 -
高速道路からはチロル地方の牧草地や村が眺められました。
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牧草地のなかに所々小さな集落があり、高速道路沿いに牧歌的風景が延々と続いていました。
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ノルトケッテの山々。
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さらに山が近くなりました。峠をかなり下ってきたのですがインスブルックはまだ見えません。
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再びチロルの風景が見れてきました。
イタリアからブレンナー峠を越えてバスでインスブルックに行く場合は、右座席に座って下さい。
ブレンナー峠の手前からインスブルックに到着するまで断然右側の景色の方がいいです。ちなみに左座席は山の法面ばかりでした。 -
ノルトケッテの山々の上には雲が懸かっています。
イタリアはほぼ快晴だったのに、峠を越えると随分天気も変わるものですね。山の天気は変わり易いすといいますが、この先の天候が少し心配です。 -
車窓からアップで撮ってみました。雲の動きは速いですがこれ以上天候が悪化することはなさそうです。
山には雲が懸かっていないので山の稜線がはっきり見えますね。 -
かなりノルトケッテの山が近くになったような気がするのですが、インスブルックはまだかな?
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下り坂はまだまだ続きます。
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右車窓にベルクイーゼルジャンプ台が見えてきました。
インスブルックまであと少し。ベルクイーゼル ジャンプ台 現代・近代建築
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インスブルックです。街並みが見えてきました。
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インスブルックはアルプスの山々に囲まれた町、ウインタースポーツで有名な町でマリア・テレジアがこよなく愛した町だそうです。
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旧市街に入って行くと右車窓に美しい修道院(Stift Wilten)が見えてきました。
左の美しいマリア・テレジアイエローの建物は修道院付属教会(Sankt Laurentius Stiftskirche)です。
建物が大変美しく、教会内部も非常に豪華だそうですがここまで観光する時間はありません。 -
インスブルック中央駅。
インスブルック中央駅 駅
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中央駅前にあるトラム乗り場。
駅前のシュテルツィンガー通りでバスを下車し、歩いて行1本西側の通りアダムガッセ通りに入りました。 -
今日の昼食はアムガッセ通りにあるホテルサイラー(Hotel Sailer)のレストランです。
写真はホテルのフロント。レストランは入り口左側でした。ホテル サイラー ホテル
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こちらがレストランの入口で、通路の左には広い客席、右には小部屋の客席が並んでいました。
我々はレストランに案内されたのですが、ここで事件(?)発生。現地ガイドさんとホテルで待ち合わせをしていたのにまだ来られていないとのこと。
添乗員さんが連絡を取っている間に我々はレストランに案内されました。ホテル サイラー ホテル
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こちらは小部屋の客席。各部屋ともこの規模で小テーブルが4卓程セッティングされていました。
雰囲気は良い部屋でした。ホテル サイラー ホテル
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我々は12名でしたが、それ以上に広い部屋。但しクーラーが無いので入室したばかりの時、部屋は暑く感じました。
インスブルック旧市街に到着した時は天気が回復しほぼ快晴の状態、温度もうなぎ昇りに上がり外はかなり暑くなっていたからです。
室内は日陰のためそのうちそれほど暑さを感じることは無くなりましたが料理が出てきません。
ガイドさんを待つ間の時間調整で料理が遅いのかもしれませんが、そのうちやっと前菜のスープ(フリタッテンズッペ)がやってきました。
今日の昼食はチロル料理、メインが楽しみです。ホテル サイラー ホテル
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暑いので本日は飲み物にビールを注文しました。ピルスナービールです。
ホテル サイラー ホテル
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ビールの銘柄が分かるように手前にグラスを向けて写真を撮り直し。
ドイツ語ですが「ヴェイフェンシュテファン」でしょうか?読みはよく分かりません。
ビールもスープも美味しかったです。ホテル サイラー ホテル
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メインはチローラー・グレーステル。チロルの伝統的じゃがいも料理でチロル風肉じゃがとでもいいましょうか。
茹でたジャガイモにハム・ネギ・玉葱などを炒めその上に目玉焼きがのっている料理です。
味が淡泊なので美味しいとは言い難い料理でしたが、お腹がすいているのでただ無心に口に放り込みました。ホテル サイラー ホテル
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デザートはアップルシュデューデル(?)だったかな。アップルパイのようなお菓子です。
さほど甘くもなくて美味しかったです。
丁度食事中に遅れられていたガイドさんも到着して添乗員さんと打ち合わせ。
長い昼食時間が終わって、やっと市内観光です。
本日のガイドさんは日本人の女性でインスブルックにはもう30年以上お住まいの方でした。
大変町のことには詳しくてガイドブックに載っていないことをあれこれと教えていただきました。
折角有益なことをあれこれと教えていただいたのですが、なにせ記憶力が極端に劣ってきた私ですから旅行記を書く頃には大半のことを忘れてしまいました。
残念ですがいくらか記憶に残っている事柄を忘れないうちに記述しておきます。
さて食事が終わってもすぐには出発しなかったのでホテル内の休憩室でしばらく休むことにしました。その部屋にはインスブルック旧市の地図やパンフレット、山岳ハイキングコースの地図などがありこれから市内観光する我々には重宝しました。
しばらくすると添乗員さんとガイドさんの打ち合わせが終って市内観光に出発です。
このように時間ロスが発生するならばサンタ・マッダレーナ村で少しの自由時間がほしかったと思うのは、私の他に丘の上まで登りたいと主張されたご婦人の2名だけだったでしょうか?
ともかく街歩き開始です。ホテル サイラー ホテル
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ホテルを出て、サルールナー通りを進み旧市街の南にある凱旋門に向かいました。
通りから目に付いたのがヒルトン・インスブルック。このホテルにはカジノが併設されているんですね。
「カジノ」の文字が目立つ場所にありました。なおこのホテルの左側に現在の州庁舎があります(写真はありません)。インスブルック ホテル
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ヒルトンホテルを通り過ぎたところにあるのが凱旋門です。旧市街の南口に位置しメインストリートのマリア・テレジア通りの基点となっています。
この凱旋門は1765年にマリア・テレジアが息子レオポルド2世(トスカーナ大公)とスペイン王女ルドヴィガとの婚礼を祝して造らせたました。ところが建築の最中に最愛の夫(2人はこの当時としては珍しく恋愛結婚で結ばれています。)である神聖ローマ皇帝フランツ1世が観劇後にインスブルックの王宮で急逝してしまいました。最愛の夫を失ったマリア・テレジアは悲しみに打ちひしがれて泣き崩れたそうです。
本来は喜びの門になるはずだった凱旋門、南側の「生と幸福」を象徴するレリーフフに対し、マリアテレジアは夫の死を悼み門の裏側(北側)の上部に「死と悲しみ」を象徴するレリーフを施しました。
それ以降結婚の祝賀をテーマとした門の南側は喜びの門、北側は悲しみの門と呼ばれるようになったそうです。
なお南側の門柱の左には後の神聖リーマ皇帝レオポルド2世(結婚当時はトスカーナ大公)、右には妻のスペイン王女マリア・ルドヴィガのレリーフが飾られています。凱旋門 モニュメント・記念碑
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北側の「悲しみの門」の右には女帝マリアテレジア、左にはフランツ1世の後に神聖ローマ皇帝となったヨーゼフ2世のレリーフが飾られています。
凱旋門 モニュメント・記念碑
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凱旋門からはベルクイーゼルジャンプ台の正面を見ることができました。
写真は凱旋門のアーチの中にジャンプ台を写したものです。
このジャンプ台は2002年にイラクの女性建築家ザハ・ハディド氏の設計により建てられました。そのため2度の冬季オリンピックで使用されたジャンプ台はこのジャンプ台では無く、建て替えられる前の古いジャンプ台が使用されたのです。ベルクイーゼル ジャンプ台 現代・近代建築
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マリアテレジア通り、インスブルックのっメインストリートです。
左に見えるのがゼルヴィーテン教会の鐘楼です。右奥には旧州庁舎も右手奥に見えています。
この通りにはトラムも通っていました。マリア テレジア通り 散歩・街歩き
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マリアテレジア通りを進むとはっきり見えてきたのが旧州庁舎です。
マリア テレジア通り 散歩・街歩き
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旧州庁舎のファザード。旧州庁舎は1728年にゲオルク・アントン・グンプによって建てられたバロック様式の建物です。
現在州庁舎はカジノの横にあるので、現在はチロル州の会議場として使われているそうです。 -
マリアテレジア通りと聖アンナ記念柱。左に見える塔はシュピタール教会の鐘楼です。
ここからマリアテレジア通りは歩行者天国になっています。インスブルックを代表する景色がここから眺める旧市街と背景のノルトケッテ連山の風景なんですが、写真の中心になぜか細い鉄の棒を入れてしまいました。写真が台無しです。(涙)
もっと前に進んで撮れば良かったのに。今深く後悔しています。
確かにガイドさんから寄り道しないでさっさと歩いてと言われてはいたんですが・・。
アンナ記念柱も近寄って撮っていない。アンナ記念柱は近寄りすぎてカメラに収まらなかった記憶があるんですが、何故にここではこの写真1枚しかないのか分からないし、記憶がない。
たぶんかなり暑かったので熱中症ぎみだったのかも。
インスブルックなんてそう何度も来れるところじゃないですよね。今にして思うと残念至極。
あ、思い出した。ここからみた黄金の小屋根、太陽の光を受けてピカピカに光っているのがここからは良く見えた。これだけは良く覚えています。
聖アンナ記念柱は1703年スペイン継承戦争の時、町を攻めてきたドイツのバイエルン軍を撃退した記念として1706年に建てられました。名前の由来はバイエルン軍を撃退したその日が聖アンア(聖母マリアの母親)の日であったからだそうです。
大理石の柱の上には聖母マリア、真ん中には天使、下には4人の聖人像が配置されていました。
その聖人とは、聖アンナ、チロルの守護聖人の一人聖ジョージ、聖カシオン、聖ヴィジウスの4人です。そして聖アンナはドイツの方向を向き、進入を手で制しています。アンナ記念柱 モニュメント・記念碑
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暑いので左側の日陰を歩いていきます。
途中で目に付いたチョコレートのお店、ここはチロル産のチョコレートを売っているお店なんですって。
ショーウインドーは写しているけど店の看板を撮っていないので店名が分からない。 -
こちらもチロルチョコレートのお店です。
チロルチョコレートと言っても日本のチロルチョコとは違いますよ。日本のチロルチョコは九州福岡の田川にある松尾製菓(株)が作っているチョコレートで、チョコを包む包装紙が人気なんだとか。レア物もあるそうですよ。
脱線してしまいましたので元に話を戻しましょう。 -
光輝く黄金の小屋根をアップにしてみました。中央の建物が黄金の小屋根がある建物です。
小屋根が光っているのが分かりますか?ヘルツォーク フリードリヒ通り 散歩・街歩き
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マリアテレジア通りからヘルツォーク・フリードリヒ通りの手前までやって来ました。ここからが旧市街中心部です。
ヘルツォーク フリードリヒ通り 散歩・街歩き
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ヘルツォーク・フリードリヒ通りには入らずに右に折れて進みました。通りを右折すると角に観光案内所があります。
すでにホテルで市内地図もパンフレットもゲット済みですので今日は観光案内所に寄る必要は無いでしょう。インスブルック観光案内所 散歩・街歩き
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観光案内所入口です。
インスブルック観光案内所 散歩・街歩き
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ブルクグラーベンに面したカフェレストラン。この界隈はアイスクリームの店が多いそうです。
今日は暑いのでアイスクリームよりはビールのお客さんが多いようです。 -
アーチを潜った先に見えたのがホーフブルグ(王宮)です
富裕公と呼ばれたジークムント大公により、1460年から後期ゴシック様式で建築され、マクシミリアン1世やフェルディナンド1世らが拡張、さらに1754年にマリア・テレジアの指示で改修工事が行われ豪華な大広間やサロン、礼拝室が加えられて1773年に華麗なロココ様式の宮殿になりました。この宮殿でマリア・テレジアの息子レオポルド2世とスペイン王女ルドヴィガの結婚式が行われました。
ガイドさんの説明では大広間リーゼンザールやマリアテレジア謁見の間の玉座、皇后エリザベート使用のピンクの間などが見所だそうです。
さて、インスブルックは「影の首都」と呼ばれていました。
それは一国に一つしか存在しない王宮がオーストリアに限ってはウィーンとインスブルックの2か所にあったからです。インズブルックはハプスブルク家の栄華を今に伝えるもう一つの王都なのです。王宮 城・宮殿
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ハプスブルク家の紋章双頭の鷲。
王宮 城・宮殿
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ガイドさんが説明の途中に見せてくださった王宮のリーゼンザール(大広間)の写真。
大広間の壁にはフランツ1世とマリア・テレジアの子供達16名の肖像画が飾られているそうです。
残念ながらビニールに光が反射して見にくい写真になってしまいました。 -
ホーフブルグ(王宮)の側に建っているのが宮廷教会とチロル民族博物館(写真左の建物)です。
宮廷教会は神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世の遺志を継いだ皇帝フェルディナント1世が1563年にマクシミリアン1世の霊廟として建てたゴシック様式の教会です。
中央には24のレリーフが施された黒い棺がありここにマクシミリアン1世は葬られる予定でしたが、遺体はこの棺の中にはありません。王が抱えていた2万4千グルデンもの借金を理由にインスブルックの滞在を拒否されていたのです。結局当時の市民の反対によりこの棺には葬られず、遺言によって遺体は母エレオノーレが眠るウィーンの南にある町ヴィーナーノイシュタットの聖ゲオルク教会に埋葬され、心臓はブルッヘの聖母教会(ノートルダム教会)にある最初の妻マリーの墓に一緒に埋葬されています。
最初の妻ブルゴーニュ公国女公マリーとは政略結婚で結ばれたものの2人は常に乗馬や狩猟、スポーツなどを一緒に楽しみ大変仲睦まじい夫婦だったそうです。
なお霊廟の両側には28体の「黒い男たち」と呼ばれる等身大の青銅像が置かれています。
この像はハプスブルク家と婚姻先の人物ですが中にはマクシミリアン1世が尊敬していたアーサー王の銅像もあるんだそうです。宮廷教会 寺院・教会
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ガイドさんの手持ち資料の写真から・・・。
こちらが宮廷教会の内部で中央に置かれているのがマクシミリアン1世が葬られる予定だった棺です。
棺の両側には28体の黒い青銅象が置かれています。
宮廷教会に入るには隣のチロル民族博物館から入るんだそうですよ。
王宮も宮廷教会も内部観光をしないので、ガイドさんの説明だけで終了し次の観光に移動しました。 -
ここはホーフガッセ。王宮の隣にある通りで通りには古い建物が並んでいます。
インスブルックにある建物の特徴は写真のような出窓で、これはエルカーと呼ばれています。
この建物、フレスコ画が描かれているくすんだ壁からは歴史を感じさせられますね。
ちなみに王宮入口はこの建物の真向かいにあります。 -
通り沿いに並ぶエルカー付きの建物。
隣の建物の1階には何やら大男のパネルがあるぞ。 -
大男の等身大パネルがありますがこの人は実在の男性だそうです。
隣の男性に比べてもかなり背が高いですね、2メートルは優に超えているようです。下の説明パネルにも「インスブルックの巨人」と書かれています。
この男性が住んでいたのが後ろの建物の2階、プレートが掲げてある部屋です。
この建物はこの男性が住んでいたことで有名になったそうですがこの男性、背が高いだけでなくもう一つ何か彼が成したことがあったと思うんですが、どうしても思い出せません。説明パネルを写真に撮っておけばよかったと今になって後悔しています。 -
目印は「城塞の巨人」と書かれたこの看板。それと大男のパネル。
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大男が住んでいたのはこの建物の2階、壁に取り付けられてプレートの上の窓の部屋。中はどのくらいの広さなんでしょう。大男が住むにしては狭いんじゃないでしょうか。中が見れないので想像するしかありません。
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次に向かったのは王宮の中庭。何かイベントがあるみたいです。
さらに左の出口から王宮を出ると・・・。王宮 城・宮殿
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教会にやって来ました。ガイドさんは教会の側をドンドン進んでいきます。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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教会の正面までやってきてそこで小休止。
ここは大聖堂(聖ヤコブ教会)、スケールの大きな教会です。同じ司教座聖堂でもボルツァーノのドォーモとは規模が大違いです。
この大聖堂は1724年ヨハン・ゲオルク・フィッシャーとヤコブ・ヘルコマーによって改築されたバロック教会でカトリックのチロル地方の大本山だそうです。
ここでガイドさんから問題が出されました。「この教会の窓には一か所だけだまし絵で描かれた窓がありますがそれほどこでしょうか?」
皆さん何処か分かりますか?左の写真をみればすぐ分かると思います。一か所だけほかの窓と違う窓があるんですよ。肉眼では分かり難かったのですが、写真にしてみると良く分かります。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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正解は下から三段目、左から二つ目の窓です。左の写真では一番左の窓がだまし絵で描かれた窓です。
この窓だけが光を反射しておらず、窓ガラスが無いためほかの窓と色合いが違います。
なぜわざわざこの窓だけだまし絵にしたのか、その理由は不明です。たぶん制作者の遊び心だったのでしょう。
では中に入りましょう。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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内部の観光は無料ですが写真を撮る場合は1ユーロ必要です。入場してすぐ左にある自動券売機に1ユーロ支払い、撮影券を購入しました。
大聖堂の内部はチロルの総本山というだけあって大変豪華です。
バロック様式の豪華な装飾は息を飲むほどに素晴らしい。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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主祭壇です。煌びやかな装飾、周囲のフレスコ画や漆喰装飾がこれまた素晴らしい。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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主祭壇を飾る祭壇画は金銀細工で飾られています。
祭壇画をアップにしてみましょう。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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祭壇画はクラナッハ作「救いの聖母」。
ラファエロの聖母子を思い起こさせるような柔らかで繊細なタッチで仕上げられています。小さな絵ですが引き込まれそう。
祭壇画の周囲には金銀細工の天使が飛び交っています。インスブルックは中世時代に金銀が豊富に産出したそうですから、この教会でもそれを沢山使用しているのでしょうね。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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主祭壇上部のフレスコ画。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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主祭壇の上にはドームがあります。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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ドームの内側にはどこぞの戦のフレスコ画が描かれていて、さらにその上の円の中に何かが描かれています。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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そこには地上を見つめる「神の目」が描かれているんです。
カメラの角度を変えれば三角形の中に描かれている「神の目」を写真に撮ることができるのですが私は敢えて写真に撮りませんでした。
なぜなら私にはその目が不気味に見えたからです。少々気味が悪かったです。
他の人には何とも思えない「目の絵」なのかもしれませんが・・・。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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教会の天井画と漆喰装飾です。
天井画と漆喰装飾は南ドイツ・バロックの巨匠アザム兄弟の手によるもので、兄コソモス・ダミアンがフレスコ画を描き、弟エギト・クヴィリンが化粧漆喰を施しました。
聖ヤコブの天井画。なぜこの絵が聖ヤコブを描いた絵かお分かりになりますか?
それは十字架の右の男性の左肩下に「聖ヤコブ」のお印、「ホタテ貝」が描かれているからです。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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ではこの絵は誰を描いた絵でしょうか?
お印が描かれている人物がいないので不明です。キリスト教の信者さんならお分かりだと思いますが、信者では無い私にはちと難しい。
天にハトが描かれていますが、これは聖霊でしょう。とすると中間に描かれているのは天使たちの楽団。つまり天国を表しているようです。
下に描かれた聖母子と思しき2人は聖母マリア様とイエス様でしょうか?
左の写真が小さくて見辛いのですが、この写真を拡大するとマリア様と思った人物は男性で、イエス様と思しき人は大人びた顔をしておりイエス様ではありません。
ライオンのようにも見えてしまいます。
ガイドさんの説明が無いのではっきりとは分かりませんが天国(神の国)を表現した絵なのでしょう。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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説教壇、これもバロック様式だそうです。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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主祭壇の左側にあるのが大公マクシミリアン3世の墓碑です。この墓碑は1620年カスパール・グラスの手によって作成されました。
墓碑は4本の支柱で囲まれ、その上には2体のブロンズがありました。
4本のブロンズの支柱はバチカンのサンピエトロ大聖堂にある大天蓋(バルダッキーノ)のようにねじって作られいて、ブドウの装飾が施されていました。そしてその装飾は大変繊細なものでした。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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跪いて祈りを捧げているのがマクシミリアン3世・フォン・エスターライヒ。
最初槍を持つ人物がマクシミリアン3世かと思っていましたが違っていました。では槍を持って立っているのは誰でしょうか?
それはチロルの守護聖人の一人聖ゲオルギウスです。この写真からはどうして聖ゲオルギウスなのか分かりませんが、写す方向を変えてみると分かります。 -
横に回って墓碑を見ると聖ゲオルギウスだということが分かります。
それは聖ゲオルギウスの後ろにいるのがドラゴンだからです。聖ゲオルギウスはドラゴン退治で有名ですよね。
聖ゲオルギウス像はドラゴンとセットになっていますから。 -
入口の2階に備え付けられているのはチロルで最も美しいと言われるパイプオルガン。
ニコラス・モルにより作られました。大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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方向を変えて見たパイプオルガン。
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聖堂内の祭壇。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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マクシミリアン3世の墓碑の後ろの祭壇。
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聖堂内壁際の祭壇。
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祭壇脇の彫像。
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小祭壇。
大聖堂(聖ヤコプ教会) 寺院・教会
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大聖堂の次に訪れたのが黄金の小屋根。
このエルカーの屋根が太陽の光を浴びてビカビカに光っていたんですね。
黄金の小屋根はインスブルックのシンボル。フリードリヒ4世によってチロルの領主の住宅として建てられました。後にチロル領主となったマクシミリアン1世が広場で行われる馬上槍試合や舞踏会を見学するために観覧席を付け加えました。
完成したのは1500年、このバルコニーの屋根は金箔を施した2657枚の銅板瓦で覆われ、観覧席の前は6枚のレリーフがはめ込まれています。
さらに2階部分には6枚の紋章が飾られていました。現在この建物の3階は「黄金の小屋根博物館」になっています。マクシミリアン1世ゆかりの品々が展示してあるそうですがツアーでは観光しませんでした。黄金の小屋根(マクシミリアン博物館) モニュメント・記念碑
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3階観覧席の様子、アップで撮りました。
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観覧席前の6枚のレリーフ。
黄金の小屋根(マクシミリアン博物館) モニュメント・記念碑
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6枚の紋章。
左からオーストリア、ハンガリー、双頭の鷲ハプスブルグ家(マクシミリアン1世)の紋章、神聖ローマ帝国単頭の鷲の紋章、ブルゴーニュ公国、ミラノ公国です。 -
観覧席前の6枚のレリーフのうち左から3枚目のレリーフに注目。
一番左はマクシミリアン1世、真ん中は最初の妻マリー・ド・ブルゴーニュ(ブルゴーニュ公国最後の君主、ブルゴーニュ女公)。この婚姻によってマクシミリアン1世はブルゴーニュやその後はフランドルの領土をも手に入れることになりました。
最初の妻マリーとは政略結婚でありながら、夫婦仲は大変良かったと言われています。懐妊中に狩猟に同伴し、落馬したことが原因で亡くなりました。
その隣は2番目の妻ミラノ公国スフォルツァ家の公女ビアンカ・マリア・スフォルツァです。皇帝はビアンカと再婚し、ミラノを事実上の支配下に置きました。
「戦争は他家にまかせておけ。幸いなオーストリアよ、汝は結婚せよ。」は政略結婚で勢力を伸ばしたハプスブルク家の外交政策ですが、何もマリア・テレジアの時代に始まった事では無くマクシミリアン1世の時代から始まったのでした。
マリーが胸に抱えている金の球は騎馬試合の勝者にあたえる褒美です。また2番目の妻ビアンカはこの場所で挙式をあげたそうです。
右隣にはマクシミリアン1世と左右には宰相と宮廷道化師のレリーフが施されています。 -
中央2枚のレリーフの左右2枚に施されたのはムーア人の舞曲を取り入れた当時ダンスの様子です。
こちらは左側の2枚。 -
こちらは右の2枚です。
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再び黄金の小屋根の全景。
黄金の小屋根(マクシミリアン博物館) モニュメント・記念碑
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1階には博物館の入口がありました。
黄金の小屋根(マクシミリアン博物館) モニュメント・記念碑
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黄金の小屋根の斜め前にあるのが、ヘルプリングハウスです。
漆喰装飾がとても華やかで綺麗でした。
ヘルプリングハウスは1560年に貴族の館として建てられ、後にはカトリックの集会所として利用されました。後期バロックの傑作だそうです。
1730年ヴェソブルンナー派の芸術家たちにより、ファザードに後期バロックの豪華な漆喰装飾が施されました。
ヘルプリングハウスがあるヘルツォーク・フリードリヒ通りは後期ゴシック様式の建物が立ち並んでいますが、ロココ風のモチーフは一際目を引きます。ヘルプリングハウス 現代・近代建築
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ヘルツォーク・フリードリヒ通りの建物。
ヘルツォーク フリードリヒ通り 散歩・街歩き
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同じくヘルツォーク・フリードリヒ通りの建物。
エルカーの建物が印象的です。ヘルツォーク フリードリヒ通り 散歩・街歩き
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同じくヘルツォーク・フリードリヒ通りのヘルプリングハウスの向かい側の建物。
ベランダの装飾が美しいです。ヘルツォーク フリードリヒ通り 散歩・街歩き
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その隣の建物はスワロフスキーの本店です。
残念ながら観光の時間が少なくて店には立ち寄れませんでした。スワロフスキー 専門店
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ヘルツォーク・フリードリヒ通りから眺めた黄金の小屋根。
ここはインスブルックのメインストリートで人通りが多い場所。
先程まで晴れていていい天気だったのに急に雲が増えてきました。ちょっと嫌な予感がしてきました。
インスブルック観光前編はこれにて終わりです。
後編はインスブルック観光の続きと再びボルツァーノ観光です。アップまで暫くお待ちください。黄金の小屋根(マクシミリアン博物館) モニュメント・記念碑
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旅行記グループ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑮ ブレンナー峠を越えてインスブルックへ(後編)
2017/07/14~
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2017/07/14~
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2017/07/14~
コモ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑥ 欧州随一の避暑地コモ湖クルージングと繊維産業...
2017/07/14~
コモ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑦ マッジョーレ湖の真珠ボッロメオ宮殿(前編)
2017/07/14~
マジョーレ湖周辺
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑧ マッジョーレ湖の真珠ボッロメオ宮殿(後編)
2017/07/14~
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⓽ ボッロメオ宮殿の庭園は素晴らしか...
2017/07/14~
ストレーザ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑩ 世界遺産レーティッシュ鉄道ベルニナ線(前編)
2017/07/14~
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑪ 世界遺産レーティッシュ鉄道ベルニナ線(後編)
2017/07/14~
ベルニナ急行
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑫ スイスの山村ミュスタイアにある世界遺産聖ヨハネ...
2017/07/14~
ミュスタイア
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑬ ドロミテ観光西の玄関口ボルツァーノ
2017/07/14~
ボルツァーノ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑭ ブレンナー峠を越えてインスブルックへ 前編
2017/07/14~
インスブルック
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑮ ブレンナー峠を越えてインスブルックへ(後編)
2017/07/14~
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑯ 絶景のドロミテ(カレッツァ湖からポルドイ峠ま...
2017/07/14~
ボルツァーノ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑰ ドロミテ街道(ポルドイ峠とセッラ山群)
2017/07/14~
トレンティーノ・アルト アディジェ州
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑱ ドロミテ街道(ポルドイ峠からフェルツァレーゴ峠...
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ⑲ ドロミテ街道(フェルツァレーゴ峠からコルティナ...
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コルチナダンペッツオ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 20 絶景のトレ・チーメハイキング
2017/07/14~
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 21 絶景のトレ・チーメハイキング2
2017/07/14~
トレンティーノ・アルト アディジェ州
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 22 雨に降られたミズリーナ湖・ドッビアーコ湖観光
2017/07/14~
トレンティーノ・アルト アディジェ州
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 23 コルティナダンペッツォの散策
2017/07/14~
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 24 コルチナダンペッツォからシルミオーネへ
2017/07/14~
シルミオーネ
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 25 シルミオーネの散策そして帰国
2017/07/14~
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イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅 ④ アオスタ渓谷と湖畔の町コモ
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