2017/07/14 - 2017/07/22
45位(同エリア177件中)
ポポポさん
7月17日 旅行5日目
本日の旅程はドロミテ観光西の玄関口で南チロルの中心都市ボルツァーノを観光後、「ドロミテの原風景、ヨーロッパの美しい村30選」に選ばれているガイスラー山群の麓にあるサンタ・マッダレーナ村を観光します。
その後さらにオーストリアのインスブルックを観光して再びボルツァーノに戻るというかなりハードな一日でした。
この日もまた奇跡のような天候に恵まれ、美しい景色を堪能することができました。サンタ・マッダレーナ村はドロミテの奥地のフネスの谷にある村で山の斜面を切り開いて造られた山村です。
折しも高山植物が満開の時期で、美しい牧草地に彩を添えてくれました。牧歌的な景色をお楽しみください。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
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早朝のホテル前の様子。本日天気は晴れ、絶好の旅行日和です。
向かいの山は雲に隠れていますが、しばらくすれば晴れそうです。 -
ホテルの部屋から眺めた景色。食事を終えた頃には雲は消え去りつつありました。
この様子では快晴になりそう。ワクワク感のメーターはウナギ登りです。 -
今日の天気は快晴、雲一つないコンデションでテンションは最高潮。朝一番の観光はボルツァーノから。ボルツァーノは南チロルの中心都市で現在はボルツァーノ自治県の県都です。
ボルツァーノは元々ハプスブルグ家の支配下に置かれていましたが、ナポレオンにより神聖ローマ帝国が解体されると一時ナポレオンの支配下に入り、ウィーン会議の後はオーストリア帝国の領土(元のオーストリア帝国チロル伯領)に復帰しました。
しかしこの地域はイタリアが領地として求めていた場所であったため、第一次世界大戦の際にはイタリアは三国同盟を破棄し英仏と交わしていた密約に基づき三国協商(英仏側)に加担。
大戦後南チロル地方はイタリア領になりました。そのような経緯でボルツァーノはイタリア領となったものの、地元住民の大多数はドイツ語を話す人々(ドイツ系住民や元オーストリア人)でイタリア語を話す住民は僅かでした。
そのため第一次大戦後政権を握ったムッソリーニは、他地域に居住していたイアリア人を大量に移住させるイタリア化政策を推し進めて、現在のボルツァーノの基礎を造りました。広場の中心にあるのはドイツの詩人の像 by ポポポさんヴァルター広場 広場・公園
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ボルツァーノと言えば有名なのがアイスマン。1991年にイタリアアルプスのエッツ渓谷の氷河で発見された5300年前の男性のミイラです。
このミイラはボルツァーノの考古学博物で見ることができます。ボルツァーノ旧市街の入口にはアイスマンの復元された姿の看板が立っていました。
こんなチャンスはめったに無い。ぜひ見てみたいと思っていましたが、如何せんツアーのため自由時間が少なすぎて見ることがかないませんでした。
朝一番のボルツァーノ観光は短時間の自由行動でしたので、泣く泣く諦めて短時間の町歩きをすることにしました。
ここは町の中心にあるヴァルター広場。広場の中心には広場の名前になったヴァルターさんの像がありました。広場の中心にあるのはドイツの詩人の像 by ポポポさんヴァルター広場 広場・公園
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ヴァルター広場にある中世ドイツの詩人ヴァルターさんの彫像。
イタリアの都市の中心広場に何故ドイツの詩人の彫像があるのか、また何故中心広場にドイツ人の名前が付けられたのか不思議でしたが、元々ボルツァーノは多くのドイツ語圏の住民が住む町だったということが分かると納得がいきました。広場の中心にあるのはドイツの詩人の像 by ポポポさんヴァルター広場 広場・公園
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ヴァルター広場から延びている通り。
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ボルツァーノの観光は自由行動です。ただし時間は僅か30分、今日はガイスラー山群の麓にあるヨーロッパの美しい村30選に選ばれたサンタ・マッダレーナ村を観光した後オーストリアのインスブルックを観光するため、ボルツァーノをゆっくり観光する時間は無いそうです。
アイスマンが収められた考古学博物館を観光できるかもしれないと淡い期待を抱いていましたが、見事に期待倒れになってしまいました。
僅か30分しか時間がありませんのでドゥオーモのみ観光することにしました。
写真の右端の建物がドゥオーモです。大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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ボルツァを代表する建物がドゥオーモです。ロマネスク様式や中世の教会建築の様式を残したカテドラルですが、建物本体は1420年頃にゴシック様式の教会として完成しました。
この教会で一番目を引くのが美しい多色の屋根瓦。そして屋根にそびえ立つ透かし細工が施された62メートルの尖塔は1519年に完成した鐘楼です。大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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美しい屋根瓦をアップで見てください。
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教会正面入り口。
ゴシック様式のため正面ファザードには装飾が全くありません。
入口の左右にある獅子像と柱廊式玄関の柱の装飾、入り口扉の装飾とバラ窓はロマネスク様式です。大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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入口のブロンズの扉はインスブルック出身のデフネー作。
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ブロンズの入口扉の左側にあったフレスコ画はフレデリック・バッシャー作「聖母子像」。
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聖堂内部の様子。これは主祭壇です。主祭壇の手前、アーチ天井の下には14世紀の作「十字に掛けられたキリスト像」が飾られています。
大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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正面入り口側の様子。
小さなパイプオルガンとバラ窓があるのみ。バラ窓にステンドグラスはありません。 -
教会中程の主祭壇よりにある説教壇はハンス・ルッツ・フォン・シュッセンリード作のゴシック様式の説教壇です。
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砂岩を彫って造られているそうですが、緻密な装飾が施されていました。
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聖堂内で一番目を引いたのが古い時代のフレスコ画。左右の身廊の壁に描かれており、主祭壇に向かって右側の壁に多く残っていました。
大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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こちらは左側身廊の壁に残っているフレスコ画。
古い時代のものですが色は鮮やかでした。 -
右側廊壁のフレスコ画。こちらも色鮮やか残っていますが何か不自然。
真ん中に描かれていたであろうと思われるイエス様の絵がそぎ取られています。
異教徒の仕業かな?調べた限りでは他の宗教勢力(当時ではイスラム勢力のオスマントルコ)に攻められた形跡はありません。で、結局理由は不明。 -
右側廊の祭壇とフレスコ画。
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左側廊に飾られた絵画は「受難のキリスト」。
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主祭壇の奥にあるのはバロック様式のグラツィエ礼拝堂。1745年に増設されたもので祭壇の彫像は1200年代のヴェローナ派の手による「授乳のマリア像」です。
この礼拝堂は鍵が掛けられていて中には入れません。鉄格子の間からカメラを差し入れて写しました。
天井にはフレスコ画が描かれていましたが写真には撮りませんでした。あとで調べてみるとカール・ヘンリツィのフレスコ画(1771年)として有名な絵なんだそうです。
写真に撮っていないのでどんなフレスコ画だったのか全く記憶にありません(汗)。写真に撮っておけば良かった。
現地のガイドさんでもいれば説明があったのでしょうが、自由行動なので同道したのは添乗員さんのみ。
添乗員さんも詳しくはご存知なく、結局スルーしてしまいました。大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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これで一通り聖堂内の観光は終了しましたが、私はこの聖堂にずっと違和感を感じていました。
どんな違和感かというと、ドゥオーモと言えばカトリックの司教座聖堂です。通常の教会よりもはるかに絢爛豪華なはずです。
ゴシック様式なのでいくらか差し引いてもあまりにも地味すぎる教会です。コモのドゥオーモはゴシック様式でしたがここよりもはるかに豪華でした。
この写真は教会内部を写したものですが側廊の壁には何も無い。窓にはステンドグラスさえも無い。
私が欧州で見たどドゥオーモで一番質素な教会でした。一時ハプスブルグ家の支配下に置かれたオーストリアの教会だったのでイタリアの教会程派手さはないのかもしれませんが、それにしてもシンプルすぎる。
さらにもう一つ不思議なのが古い時代のフレスコ画が教会の真ん中あたりから入り口にかけて一枚も無いことです。
教会の半分が全く別の教会のようでした。 -
窓にはステンドグラスがありません。ステンドグラスの無い教会は初めて見ました。
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入口のバラ窓にもステンドグラスはありません。
主祭壇周辺の感じと比べてあまりに入り口付近がシンプルなのでこの教会にはずっと違和感を感じていたのですが、その理由が分かりました。
この教会は第二次世界大戦中に米英軍の爆撃を受け、教会の中央から入り口に渡って破壊されてしまったのです。
戦後入口から教会中央部まで修復されて現在の姿に生まれ変わりましたが、貴重なフレスコ画は損壊してしまいました。入口ファザードのバラ窓なども戦後ロマネスク様式に復元されました。奇跡的に入り口のライオン像やフレスコ画の「聖母子像」は残ったようです。
ある本には第二次世界大戦中チロル地方は戦禍を受けなかったと書かれていましたが、それは地上軍の侵攻がなかっただけで米英空軍の爆撃を受けていたことをボルツァーノに来ては初めて知りました。
第二次世界大戦中イタリアの有名な歴史的建造物であるモンテ・カッシーノ修道院は、米英軍の戦略爆撃機によって完全に破壊され地上から抹殺されてしまいました。
この地区を占拠していたドイツ軍は、歴史的建造物であるこの修道院に戦禍が及ぶのを避けるために修道院の外に陣地を構え、修道院の建物は使用しませんでした。またわざわざドイツ軍は連合軍の司令部に対し「ドイツ軍はこの修道院が歴史的価値高い建物であることに鑑み、戦時目的ではこれを使用せず陣地は全て建物の外に構築した。よって連合軍は修道院に対して砲爆撃を含む一切の攻撃をすることが無いよう厳にお願いしたい。」と通知していました。
それなのに無残に破壊されてしまいました。理由は修道院内にドイツ軍がいたというものでしたが、実際は修道院内には一人のドイツ兵もいませんでした。
そんな英米軍ですから地方都市を爆撃し教会を破壊することぐらい朝飯前だったのでしょう。 -
教会の北側の外壁と後ろに見えるのは鐘楼。この辺りは爆撃で破壊された部分です。
大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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教会の北側の壁に描かれている「十字架に架けらたキリスト」。ヴェローナ派の画家により描かれたフレスコ画です。この絵は爆撃から免れました。
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教会の北側にある彫像で飾られたこの扉は「ワインの扉」です。
その昔教会がワイン販売の許可を持っていたため、この扉からワインの受け渡しが行われていたことに由来して「ワインの扉」と呼ばれているそうです。このように爆撃を受けていない部分には古いフレスコ画や彫像が残っています。大聖堂なのにシンプル過ぎる教会 by ポポポさんドゥオモ ディ ボルツァーノ 寺院・教会
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ドゥオーモ観光を終えヴァルター広場に再集合。
これからバスに乗車し、ボルツァーノからドロミテ地方の奥地フネスの谷にあるサンタ・マッダレーナ村に向かいます。
サンタ・マッダレーナ村は「ヨーロッパの美しい村30選」に選ばれた村で、山壁と牧草地のコントラストが創り出す風景は「ドロミテの原風景」と呼ばれているようです。 -
ボルツァーノの郊外に出ると辺りはチロルの景色に溢れていました。
緑の草地と星を散りばめたように点在する家屋の景色が美しい。
ここは南チロルと呼ばれている地域です。 -
箱庭のような風景がオーストリアのインスブルックに向かう高速道路沿いの山肌に散りばめられています。
天気が良いので緑が綺麗です。道路沿いにこのような風景が延々と続いているのですが、バスの車窓から眺めても全く飽きがきませんでした。
本当に綺麗です。 -
山の斜面のブドウ畑と民家。
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チロルらしい景色が続いていると山頂に中世の城か館のような建物が見えてきました。
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周囲を塀で囲まれた建物で、中庭らしき部分ではワイン用のブドウ畑が見えました。
この建物は城でも館でもなさそうです。 -
建物の本館が見えて来ましたが、この建物はサビオナ(sabiona)修道院です。オーストリとの国境にあるブレンナー峠を超えるこの道路沿いには中世の古城が右左に見えて来ます。
その中で目を引いたのがこの建物でした。旅行当日は城と思っていましたが帰国後に調べてみると修道院でした。 -
イチオシ
断崖の上にそそり立つこの修道院は絵になる風景でしたよ。
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ブレンナー峠に差し掛かる手前の道を右に折れて渓谷沿いにバスを走らせると、フネスの谷のサンタ・マッダレーナ村に到着しました。
丘を登ったところに駐車場があり、そこから写した村の風景です。
フネスの谷に至る渓谷沿いには多くの製材所がありました。この地域やボルツァーノからドロミテ街道のカレッツァ湖に至る途中のエガ谷では針葉樹の森が広がり、林業が盛んです。この地区の木材はイタリア家具や楽器の用材として使用されるそうです。 -
イチオシ
丘の上の駐車場で下車し、坂道を下っていくと目の前にサンタ・マッダレーナ村の景色が広がっていました。素晴らしい景色です。
季節は折しも7月中旬、周囲の牧草地には高山植物が咲き乱れ、高原のハイキングにはドンピシャの時期でした。
写真左の斜面は高山植物の花で溢れていました。 -
広角にして景色をカメラに収めるとこんな感じです。
丘に家が点々と日理がっています。家々は木造家屋で2階以上のベランダは色とりどりの可憐な花々で飾られており、草地の緑に映え大変美しい景色を作り出しています。 -
さらにカメラを右に向けるとこのような景色が眺められました。
こちらでは初夏なので緑の牧草地と森の木々がとても美しいです。自分の目で見た景色のほうがさらに素晴らしい。カメラではこの美しさは到底表現できません。
ツアーの皆さんの口から誰ともなくため息が漏れていました。それほどに美しい場所です。
まさしく「ヨーロッパの美しい村30選」に選ばれただけのことはあります。 -
ここは個人で訪れるには交通が不便な場所ですが、ドロミテやチロルに来たならば万難を排してでも訪れるべき場所です。
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村に向かって坂を下って行くと次々と高山植物が顔を覗けてきます。
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村に近づいてきました。
観光収入は村の大きな収入源のようで、ホテルやペンション風の宿泊所が点在してます。
多くの宿は各部屋のベランダに美しい花を飾り宿泊客を迎え入れていました。 -
写真はそのような宿泊施設の一つ。民家と言ってもいいような小規模なペンションです。
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坂を下りて右曲がり川にかかった橋をわたると村の外れにあるホテルに到着。
手前の建物と奥の建物がそれぞれ独立したホテルですが、我々はここで小休止。
ここのホテルに本日宿泊する訳でもホテルのレストランで昼食を取る訳でもありません。
手前のホテルでトイレ休憩です。サンタ・マッダレーナ村では公衆トイレがありません。そのため観光前にこのホテルのトイレを使用させてもらったのです。
料金は確か無料だったと記憶しています。個人旅行でこのホテルのトイレが利用できるかどうかは分かりませんので確認してください。 -
ホテルで貰ったサンタ・マッダレーナ村のパンフレット。
表紙の写真がガイドブックなどによく掲載されているサンタ・マッダレーナ村の代表的風景です。
今からこの景色が見られる場所に行くと思うとウキウキして心が落ち着きませんでした。まだまだ心は若いようです。
背景の山はガイスラー山群といい、鋸の刃のような山の形はドロミテ山塊の大きな特徴です。
中央の教会はこれから訪れるサンタ・マッダレーナ教会。 -
中央の景色のみ写してみるとまた感じが違って見えます。
写真の色調が変化したのは光の加減だと思います。 -
この写真は同じくサンタ・マッダレーナの代表的風景ザンクト・ヨハン教会とガイスラー山群です。(パンフレットより)
バスの駐車場よりさらに丘を登ったところにあります。 -
ホテルの前の谷川沿いに生えていた(植えてあった?)ブドウのような植物。
ツアーでご一緒したご婦人から「ブドウじゃないと思うけど、ジャムにできそうね。」との感想。
植物の葉はブドウのようですが、実はブドウじゃなさそう。これも高山植物かもしれないので1枚パチリ。
写真撮影が終わると観光開始。ホテルの前を通り丘に上がる道を右折して丘の中腹を目指しました。 -
丘に上る小道を振り返るとサンタ・マッダレーナ村の景色が広がっていました。
7月中旬なのに暑くもなく、本当に爽やかです。
ハイシーズンなのにツアー客に出会いません。ホテルから丘の中腹にある教会まで個人旅行客にも会いませんでした。
今見えている四方すべての景色は我々ツアー客のためだけに存在するかのようでした。
ちょっと言いすぎですが、天気は最高で気分は爽やか、周囲の景色はとにかく美しいし、フッとそんな気になってしまいます。それだけ素晴らしかったということです。 -
坂道の途中にあった水汲み場。花の小鉢がさりげなく置いてあってほっこりします。
周囲の丘陵地は白や黄色のを咲かせた高山植物で埋め尽くされていました。 -
どこもかしこも目に入る景色は皆美しい。
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高山植物は満開、まるで高原のお花畑のよう。
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このような花が一面に咲いています。
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東の方に見えるのはガイスラー山群。
南や西には雲がほとんど雲は無いのに、何故ガイスラーには雲がかかっているの?
それに山が東にあるので午前中は逆光。これ最悪。デイシンクロさせてやっとこの状態です。
皆さん、サンタ・マッダレーナ村を観光する場合は午後の方がいいですよ。午後なら逆光になりませんから。 -
とは言いつつ、ガイスラー山群は見たかった山なので写真をもう1枚、パチリ。
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写真右奥にサンタ・マッダレーナ教会が見えてきました。
正面の建物は農家で左に厩舎がありました。この農家の前の道を進むと教会に行けます。 -
さらに坂道を上って教会に到着しました。
シルバーの方が多いツアーなのでホテルからここまでゆっくり登ってきて30分。
普通に登れば20分でこれると思います。
ここを左にまわると教会入り口です。 -
サンタ・マッダレーナ教会です。
ファザードが2枚のフレスコ画があるのみで非常にシンプルでした。
教会の目の前に墓地がありましたが、周囲の壁や敷地が工事中でしたので写真には撮りませんでした。 -
入口には「HMM」の文字。
わざわざ写真に撮ったこの文字の説明は添乗員さんからあったのですが、もう忘れてしまいました。
僅かに記憶に残っているのは「M」はマリア様の事だということ。「H」ともう一つの「M」が何だったか思い出せません。
どなたかご存知の方は教えてください。 -
教会入り口の右下にはこのような祠の礼拝堂がありました。
聖母子の絵の下に一人の男性が横たわっています。イエス様でしょうか?像の下に小さなプレートがあるので拡大して見ましたが文字は判別できませんでした。 -
内部の主祭壇。
教会の外部は質素でしたが内部の装飾は豪華。外の様子からはとても想像できません。
一同皆ビックリ。 -
中央に主祭壇、左右に礼拝堂が設けられていました。
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左側は聖母マリア様の礼拝堂。マリア様は凛としたお顔立ちでした。
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右側には説教壇。色がカラフルな説教壇ですが、新しい時代のもののように感じました。
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説教壇をアップで。壇を飾る聖人たち。それぞれの絵には聖人を表すお印が描かれていて誰の絵かすぐに分かるのでしょうが、信者ではない私には判別がつきません。
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教会の観光が終わった人から順次駐車場に戻るようにと添乗員さんから指示がありました。
私ともう一人女性の人が「教会とガイスラー山群が眺められる丘に行きたい。急いでいくのでお願いしたい。」と添乗員さんに申し出たのですが認めてもらえません。
「パンフレットにある場所の景色が見たいんでしょう。絶景ポイントですがここから往復1時間もかかるのでバスに間に合いません。無理です。」と断られました。
私が「そこでは無く、すぐ隣の丘までです。そんなに時間はかからないと思います。急いで行って来ますのでお願いします。」と再度懇願。
私が行きたかったのは教会のすぐ隣にある丘です。そこからでも教会とガイスラー山群両方の景色を見ることができると事前に調査済みの場所でした。
それでも「ダメです。ここまで来るのに片道30分かかりました。これから駐車場に戻るまで30分かかります。午後はインスブルックの観光があるので出発が遅れる訳には行きません。」とのこと。
さらに二人で「パンフレットに載っているような遠くではありません。すぐ側の丘までです。帰りは下りだから駐車場まで30分もかからないと思います。」と申し入れ。
結局二人の申し出は認めてもらえませんでした。添乗員さんにすれば午後の観光をスムースに進めるために午前中の観光はできるだけ前よりに進めておきたかったのでしょう。
添乗員さんの気持ちも分かりますがわざわざサンタ・マッダレーナ村まで来たんですから、この際に手の届くところにあるプチ絶景ポイントに行きたいというのは誰しもが思うこと。でもダメでした。
添乗員の融通が一番効かないのは阪急トラピックスです。いままで幾度ものツアーで同じような経験をしました。すぐ近くだからあそこに行きたい。ダメです。ここを見たいんだけど。ダメです。などなど。
クロアチアのプリトビッツェで離団届を出して自由行動したときは「面倒な事をいいやがって」的な表情がありありと添乗員の顔に現れて、その後私への対応が変わり不快な思いをしたことがあります。他社のツアーではこのような対応をされたことはありません。
それなら阪急トラピックスのツアーを利用しなければいいのにと思われるでしょうが、中にはいいツアーがあるので今でも時々利用してしまいます。
さて結果論ですが、午後イスブルックの観光ではあることで30分近く時間ロスが発生しました。
それなら十分サンタ・マッダレーナ村の観光ができたのですが、これはあくまで結果論。
交通が不便ですがこの村は個人旅行で一日かけてゆっくり観光したい場所ですね。
仕方ないので2人とも諦めて駐車場に戻ることにしました。 -
フネスの谷の風景。
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フネスの谷のサンタ・マッダレーナ村の風景。
手前の牧草地は高山植物が咲き誇っていました。 -
帰り道で眺めたガイスラー山群。
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小道の脇にはマリア様。
このマリア様の表情、気高く清楚でいらっしゃいました。 -
イチオシ
正面から眺めると背景にはガイスラー山群がシルエットのように佇んでいます。
このマリアさま、本当お顔立ちが美しい。 -
雲が移動し、先ほどよりは山の姿がはっきり見えるようになりました。
南や西方面はさほとんど雲が無いのに、東の空に限って雲が湧いていました。
これが心無し残念ではありましたが、大自然の景色はやはり素晴らしかったです。 -
帰りは坂道を下って行きます。
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坂道の右側はフネスの谷の景色を眺め、左はガイスラー山群を眺めながら歩を進めていきました。
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フネスの谷とサンタ・マッダレーナ村の景色。上の写真よりやや右側の景色です。
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さらに右側の村の様子。山の斜面を切り開いた牧草地の中に家屋が点在しています。
牧歌的な景色には心が癒されます。 -
イチオシ
のどかな景色が続きます。
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風景を少しアップにしました。
いい天気です。こんな日は草原で寝っ転がっていたいですね。 -
こうして見ると山の斜面は結構勾配があります。
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丘の上の教会からかなり下りてきました。
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ホテルの前を通って再び駐車場に向かいました。
今度も駐車場を下った時と同じ景色が広がります。 -
この高山植物が沢山繫茂していました。
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道端にはこのような高山植物も咲いていました。ミツバチが蜜を採取中。
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こんなのもありました。
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高山植物を眺めながら駐車場に向かいました。
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美しいサンタマッダレーナ村の景色を目に焼き付けておきましょう。
美しい景色ですが山の木を切り倒して人の手によって人工的に造られた景色でもあります。
その点では日本の里山の景色の方がより自然に近いのですが、これはこれで確かに美しいです。 -
村の景色の一部を切り取るとこんな感じになりました。
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バスに乗車してフネスぼ谷を下り、一路オーストリアのインスブルックに向かいます。
車窓からは先ほど訪れたサンタ・マッダレーナ村教会が見えました。 -
サンタ・マッダレーナ村よさようなら、ありがとう。
ボルツァーノとサンタ・マッダレーナ村の旅行記を終わります。次はインスブルックの旅行記です。公開までしばらくお待ちください。
今回も旅行記をお読みいただき有難うございました。
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旅行記グループ イタリア湖水地方、ドロミテ山塊、アルプス・チロルを巡る旅
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