2017/07/14 - 2017/07/22
22位(同エリア146件中)
ポポポさん
7月16日(日)旅行4日目コモ観光(前編)
古くはローマ帝国の歴代の皇帝やイタリア君主たち、あるいは欧州各国の王室・王族や大富豪らに愛され続けてきた避暑地で欧州随一とも言われるコモ湖のクルーズとその起源をローマ時代まで遡る絹織物や繊維産業で栄えたコモの町を観光しました。
繊維産業で栄えた街は周辺諸国から狙われ、特にミラノからはしばしば侵略を受けたそうです。
そのため旧市街には堅固な城壁が築かれ、郊外の山の頂上は見張り塔が建てられ、街の防御の様子も垣間見ることができました。
旧市街で印象に残った建物がドゥオーモ(大聖堂)です。繊維で栄えた町に相応しく大変立派な建物でした。
コモ観光及びコモ湖クルーズは前・後編にてお伝えいたします。まずはコモの街歩きとドゥオーモ観光編の旅行記を掲載します。
写真はドゥオーモのバラ窓です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 観光バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
ホテルからバスで20分余りの距離にあるコモ旧市街。コモの町は周囲を城壁で囲まれた城塞都市で、街の南には当時の城壁や塔が残っていました。
コモは絹や織物で栄えた町ですが、それを狙っていたのがコモの南にあるミラノです。
そのため町の南側の城壁は強固に造られ、南西の小高い山の頂上には見張り用の塔が設けられました。この塔はミラノから侵攻する軍勢を発見すると直ちに烽火を揚げて街に知らせるようになっていました。
このように防御態勢を整えていましたがミラノはしばしばコモに侵攻し、ついに全面戦争に突入。戦いは1118年から1127年まで続きましたがコモはミラノに敗北してしまい町は破壊されました。
ミラノの傘下に組み敷かれたコモはガリバルディによってイタリアが統一される1860年代までミラノの支配を受け続けました。
写真は城壁の一部です。城壁はバスの左座席側でないと見れません。生憎右の座席に座っていたため車窓越しに写真を撮ったものの、この程度の城壁しか写真に撮れませんでした。
旧市街の中は車両は進入禁止です。バスは城壁沿いの道をコモ湖に向かって走りドォーモの裏側に駐車、ここでバスを下車して市内観光が始まりました。 -
コモの現地ガイドさんです。非常に詳しい説明をしていただきました。観光している時は「ふむふむ、なるほどそうか。」と理解したつもりになっていましたが、なにせ記憶力が劣る年齢のためあれほど理解したはずの事柄がいざ旅行記を書き起こそうとすると頭から消え失せていました。
ガイドさんの名前さえ忘れてしまいました。このガイドさんは歴史が詳しく大変勉強になりましたが、帰国してみると大部分忘れてしまいました。メモに残した少しの文字と僅かに残った記憶の断片を繋ぎ合わせて旅行記を書き進めていこうと思います。
不十分な部分があると思いますが、お許し下さい。 -
さて、私達はドゥオーモの裏で下車して旧市街に入って行きました。ドゥオーモの裏からプレトリオ通り抜け、グリモルディ・グイード通りにやってきた所です。
ここは通り沿いにある司教の宮殿、内部には教会があるそうです。
壁は全面イエローで塗装され、大変カラフルなお屋敷でした。 -
通りを抜けるとグイード・グリモルディ広場に出てきます。
通りの先に見えてきた建物は正面がドゥオーモ、右の塔がコムーネの塔で塔の下の建物は旧市庁舎です。 -
グイード・グリモルディ広場を進んで行くとドゥオーモのクーポラが見えて来ました。
-
ドゥオーモ広場に通じるカイオ・セコンド・プリニオ通り。
この通りを真っすぐ進むとコモ湖があります。 -
これはドゥオーモ広場に面して建っているブロレット(旧市庁舎)。1215年にロマネスク様式で建てられました。
ピンク・白・灰色の大理石の縞模様が美しい建物です。バルコニーは後世15世紀に取り付けられました。 -
ブロレットに隣接して建てられている塔はコムーネの塔。ブロレットと同じく1215年に建てられましたが、現在の塔は1927年に再建されたものです。
こちらは石造りの塔なのでブロレットよりも地味です。 -
そしてドゥオーモ広場で最も重要な建物がドゥオーモ(大聖堂)です。
ロンバルディア・ルネッサンスでファザードはゴシック様式です。
1396年に着工され18世紀まで工事が続けられました。トリノのフィリッポ・ユヴァーラの設計によりクーポラが据えられ1744年に完成しました。
入り口左右の壁龕にはコモ出身のローマ時代の作家2人の像で、一人は大プリニウス、もう一人は大プリニウスの甥で博物学者の小プリニウスです。
大プリニウスはローマ時代の博物学者、ヴェスビオ火山の噴火によるポンペイ滅亡時の様子を観察していて熱風や火山ガスに巻き込まれて死亡したと言われています。
ドゥオーモはとてつもなく大きな建物で、広場の後ろに下がって写そうとしてもファザードが写真に納まりませんでした。 -
ドゥオーモ広場とドゥオーモ入り口。
但しドォーモには正面入り口からは入れず、横の入り口から入るようになっていました。 -
ファザード正面の様子。正面入り口のファザード上部にはバラ窓があるのでステンドグラスが楽しみです。
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入り口上部のレリーフはイエス様の生誕を祝福する東方の三博士。
-
バラ窓の下のレリーフは聖人像です。
ガイドさんからは聖人の説明があったと思うのですが、誰の像なのかすっかり忘れてしまって思い出せませんでした。 -
聖人像のレリーフをアップしてみました。レリーフは細かなところまで彫り込まれています。
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ファザードのバラ窓。
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大プリニウス、小プリニウスの像の上のレリーフ。これらのレリーフのみが透明なプラスチックケースで保護されていました。
美術的にも価値があるレリーフなんでしょう。大変繊細で秀逸なレリーフでしたがガイドさんからの説明はありませんでした。
こちらは右側のレリーフです。 -
こちらは左側のレリーフ。
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ドゥオーモ内部の様子。正面は主祭壇です。
入り口から見る限りは主祭壇は質素な物でした。 -
ドゥオーモの入り口内部に設置されていたライオン像。左右2体ありましたが写真は入り口右側のライオン像です。
ライオンの背には手水盤があり、これは信者さんが身を清めるために使用したのだとか。
通常ライオン像はファザードの外側に2体設置されているのですが、ここのドゥオーモのライオン像はそういう意味では特殊でした。
なおライオン像はドゥオーモ創建当時の物だそうです。 -
望遠にして写した主祭壇上部の装飾。金の装飾のようです。
-
天井の様子。美しい装飾が施された天井でした。
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入り口から見えたステンドグラス。
下の絵は大天使ガブリエルによる受胎告知。上の絵はどういう場面なのか分かりません。 -
ドゥオーモ右側面の様子。後ろの丸屋根の部分はクーポラです。
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ファザードの横の部分にも聖人たちのレリーフが彫ってありました。
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ドゥオーモの横のマエストリ・コマチーニ通りです。
通りの奥にあるのがテアトロ・ソチャーレ(ソチャーレ歌劇場)です。
歌劇場はミラノのスカラ座が有名ですが、テアトロ・ソチャーレも北イタリアでは有名な歌劇場だそうです。 -
ドゥオーモ広場の様子です。写真の奥がコモ湖です。
ドゥオーモは入場観光すると思っていたのですが、ガイドさんは中には入らずにヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを進んで行きます。
「あれ、ドゥオーモには入らないのかな?それとも後ではいるのかな?」と思いながらガイドさんの後ろに続きました。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りを進んでいます。この通りはコモ旧市街の中央通りで、通りの左右には沢山の店が軒を連ねていました。
コモは絹織物や繊維産業の町ですから、通り沿いの店も繊維関係の商店が多数あります。その中でも特に目を引いたのが絹製品の店でした。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りからドゥオーモ、コモ湖方面を眺めた様子です。
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シルク製品の小売店です。
カラフルな色彩と大胆なデザインがイタリア製品らしいです。
写真は暗く写っているので、ネクタイなどは地味な印象ですが実際はもっと明るくて素敵な色合いでした。 -
こちらの店はカラフルなスカーフとネクタイ、服飾雑貨の店でしたが、艶やかで素敵な色合いでした。
ネクタイの柄はオーソドックスでしたが、色のバリエーションが多くて華やかでした。 -
ヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りからインデペンデンツァ通りに入り、通りを進んで行くとサン・フェデーレ広場に出てきました。
広場に面したこの建物は4階建てですが、各時代の建物が上へ上へと積み上げられて出来た建物だそうです。 -
サン・フェデーレ広場の表示が広場に面した場所にありました。
-
そして「サン・フェデーレ広場」の表示の隣に「デル・メルカト、デル・グラーノ広場」との表示もされていました。メルカトやグラーノ広場とはローマ時代のこの広場の呼称です。
ローマ時代にはここが町の中心広場だったそうです。 -
広場の周囲からはローマ時代の遺跡が出て来たそうですが、多くは広場に面した4階建ての建物のように、ローマ時代の建物を基礎としてその上に各時代の建物が建てられているため、遺跡の多くは土の中にあるんだそうです。
サン・フェデーレ広場はコモ発祥の地です。コモの町はローマ時代にここに広場と建物が建てられ発展していきました。
ここはコモで是非訪れるべき場所だと感じました。 -
ガイドさんがサン・フェデーレ広場と共に皆さんに紹介したいと勧められたのが広場に面して建っているサン・フェデーレ教会です。
この教会は12世紀後半に建てられた典型的なロマネスク様式の教会で、当時の様式がそのまま現在まで残っている貴重な建物だそうです。
ファザードはとてもシンプルでレリーフなどの装飾も一切ありません。
入り口の上部にあるバラ窓がとても目立っていました。 -
入り口上部のアーチ部分にはイエス様とおぼしきお姿の絵が・・・。
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教会の中に入るとミサの最中でした。
これでは主祭壇にも、側廊の礼拝堂にも近づけません。ガイドさんからは「ミサ中ですので右端に寄って静かに教会を出ましょう。ロマネスク様式の特徴である天井の高さと窓が無い事を確認して出てくださいね。」と説明がありました。
ゆっくり教会内を見るわけではなくすぐに帰り支度になってしまったため、この時はバラ窓を振り返って見ることをすっかり忘れてしまいました。そのため残念ながらバラ窓の写真がありません。
写真は教会内部の様子。クーポラ部分に窓が見えますが、これはだまし絵で窓ではありません。 -
内部は教会の外観からは想像できないほど荘厳な印象でした。
主祭壇上部の絵画も見事です。ここには古い時代のフレスコ画が残されているそうですが、ミサが行われていたため見ることができませんでした。 -
天井には天使たちの絵が・・。
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可愛い天使たちの絵と天井の装飾は派手さはありませんが、中々綺麗でした。
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側廊の礼拝堂です。遠くから眺めただけでしたが、綺麗な礼拝堂でした。
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教会内の一番右側の通路。側廊と呼ぶには天井が低く、幅も狭い通路でした。こちらの通路にも礼拝堂がありましたが規模は小さいものでした。私達は静かにこの通路を通って外に出ました。
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教会のクーポラ部分と奥に見えるのが鐘楼です。
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教会の外側の様子です。
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ここは鐘楼の入り口です。この入り口の側に創建当時の古いレリーフが残っています。
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入り口横のレリーフです。
年月を経て風雨に晒されてきたので表面が風化していますが、いかにも古そうなレリーフでした。 -
サン・フェデーレ教会からヴィットリオ・エマヌエーレ2世通りに出て、もと来た道をドゥオーモまで戻って来ました。
-
ドゥオーモからマエストリ・コマチーニ通りをとってテアトロ・ソチャーレ(ソチャーレ歌劇場)前にやってきました。
そこには沢山の小中学生たちが集まっています。夏休み期間中ですがここで何かの行事でもあるんでしょうか。
劇場前は子供たちの甲高い笑い声が満ちていました。
さて、テアトロ・ソチャーレ(ソチャーレ歌劇場)は1813年に完成し、初演が同年8月に行われました。
北イタリアでも有名な歌劇場のひとつでパガニーニやリストなどもこの劇場で演奏しています。またコモ湖にヴィラ(別荘)を所有していたムッソリーニがしばしば訪れた劇場としても知られているそうです。
第二次境大戦中にミラノのスカラ座が連合軍の爆撃で大損害を被ったため、スカラ座が再開されるまでは、オペラの演目がこの劇場で上演されました。
なお、毎年12月には劇場の外壁を利用してプロジェクションマッピングが行われるそうですよ。これがなかなか人気なんだとか。 -
テアトロ・ソシャーレから朝来た道を通って再びグイードグリモルディ広場にやってきました。
丁度司教の館の前の広場です。 -
この広場で目を引いたのがこの建物です。
ファザードは全面だまし絵でカラフルに描かれておりとても明るい色調の建物です。
必ずと言っていいほど通りを行き交う観光客はここで足を止め、この建物を写真に収めて立ち去って行きます。
私はこの建物が何の建物なのか凄く気になりました。でもここではガイドさんの説明は無く、流れるようにツアーの一行は先を進んで行きます。
結局帰国後にこの建物の事を調べました。
この建物は「San Giacomo教会」です。11世紀に建てられた古いロマネスク様式の教会でしたが、その後改修されバロック様式の教会になり現在に至っているそうです。 -
朝歩いた道と同じルートをたどり、再びブロレットやドゥオーモの側までやってきました。
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こちらはブロレットの裏側です。アーチの奥がドゥオーモ広場。
4連アーチの一番右はインフォメーションセンターです。朝ここを歩いた時はここにインフォメーションセンターがあることなど全く気付きませんでしたが、周囲に目が配れるようになると新たな発見があるものですね。 -
ドゥオーモの横の入り口です。正式には入り口は反対側でここは出口ですが、こちらから入るのが便利なため多くの観光客はこちらから入場していました。この門のレリーフはとても緻密で秀逸です。
さらに左の柱の中程にはコモで有名なレリーフがありました。 -
それは「カエル」のレリーフです。
写真中央のレリーフがカエルなのですが、頭が無いためカエルだと指摘されないと全く何のレリーフか分かりません。
さらに私の写真がピンボケでさらに判別しにくい状態になってしまいました。
コンデジがマクロに対応できていませんでした。やはりどこか故障しているようで時々調子が悪くなります。
で、上の方に2本の足があり、下に頭があるカエルだと思って見てください。
このカエルは「幸運のカエル」として絶大な人気があるカエルなんです。信者さんや観光客が幸運にあやかりたいと撫でまわすので黒光りしていました。カエルの頭はそのように撫でられ触られているうちにもげたのでしょうか?
さてなぜ柱のレリーフ幸運のカエルと言われるようになったのでしょうか?
ある時大雨によりコモ湖が増水し、旧市街は水害に見舞われました。増水した水は大挙してドゥオーモにも押し寄せ、みるみる水嵩が益していったそうです。
ドゥオーモを始め付近の建物は残らず浸水し、水嵩はいつ収まるとも知れず水位は上昇して行ったそうです。
そんな時突然嵩を増し続けていた水の勢いが止み、もはやそれ以上推移が上がることはなくなりました。
水量が止まった最高水位の場所こそ、カエルのレリーフがある場所でした。人々はレリーフのカエルが水位が上昇するのを止めてくれたのだと思い込み、このカエルに深く感謝の思いを捧げたそうです。
その後この逸話が転じて何時の頃からか、このカエルは幸福をもたらすカエルとして人々に親しまれるようになり、幸福にあやかりたいとレリーフのカエルは撫でまわされるようになったそうです。 -
幸福のカエルは彫像と彫像の間、黒く陰になっているところに彫られています。
水害の時はここまで水位が上がった訳ですから、大水害だったという事が分かります。
門全体の写真を見て頂ければ、いかに水位が高かったか容易に理解できます。
さて、この後はコモ湖のクルージングが約1時間、その後自由行動がありドゥオーモを観光したのですが、クルージングは別の旅行記として掲載することとしここでは自由行動で観光したドゥオーモの記事を続けたいと思います。 -
ドゥオーモの内部の様子です。横の入り口から中に入ると一番最初に目に飛び込んできたのがパイプオルガンでした。このパイプオルガンは右側廊部分に取り付けられた物です。
パイプオルガンは身廊の左右に取り付けられていました。まず右側廊から見て行くことにしましょう。 -
ここは右側廊の礼拝堂です。祭壇には聖母子像が祀られています。
祭壇を支える柱はバチカンにあるサンピエトロ大聖堂のバルダッキーノのように螺旋状の歪みのある柱でした。祭壇中央の聖母子像に光が当たり、金の装飾が輝くように計算され造られた物でした。
神々しい聖母子の姿の前では頭を垂れて拝礼することがまるで当然のことのように自然に行えました。 -
礼拝堂の天井です。
金で装飾された天井が殊の外美しかったです。 -
天井をアップにしてみました。
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右側廊の礼拝堂と天井の様子。
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聖母子の祭壇です。
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聖母子像をアップにしてみると、聖母子像やその上の天使達の像、さらに足元の天使達の像が繊細に彫り込んであることが分かります。
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主祭壇です。カトリックの大聖堂の主祭壇にしては余りにもシンプルな祭壇でした。豪華な金キラキンの装飾も祭壇画もありません。先程街歩きの際に訪れたサン・フェデーレ教会の方が余程豪華でした。
主祭壇の祭壇画はイエス様の生涯のうち重要な5つの場面がステンドグラスで描かれています。
この様式によく似た主祭壇の大聖堂があります。それはドイツのベルリン大聖堂です。あちらはプロテスタントの教会ですが、主祭壇が非常によく似ています。但しあちらの祭壇画は3つのステンドグラスでした。
コモのドゥオーモを手本にして建てられたのでしょうか。 -
主祭壇正面のステンドグラスは最後の晩餐のシーンでした。
ステンドグラスとは思えないような色のぼかしや陰影の表現が素晴らしいです。本当にステンドグラスなのか、絵ではないのかと疑いたくなります。 -
受胎告知です。左に聖母マリア様、右には大天使ガブリエル。画面上段は祝福する天上界の天使たち、そして画面中央には予言により生誕するはずのメシアを捜し求める東方の三博士。
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山上の垂訓(山上の説教)の場面と思われます。
山上の垂訓とはイエス様が山上で弟子たちや群衆に語られた教えの事で、非常に有名な場面です。ここでは私達がよく耳にするイエス様の有名な言葉の大部分が発せられました。 -
ヨルダン川のほとりで洗礼者ヨハネから洗礼を受けるイエス様。
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有名な「復活」の場面です。
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左側廊はキリストの礼拝堂です。祀られているのは磔刑のキリスト像と悲しむマリアやマグダラのマリアら婦人達。
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礼拝堂の天井部分です。ここも金で装飾された美しい天井でした。
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天井に装飾された天使達の像。
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礼拝堂のアップです。
磔刑のキリスト像と最期を見守った聖母マリアとマグダラのマリアら4人の婦人達。 -
礼拝堂の左右にはステンドグラスがありました。左側には「ピエタ」が・・・。
悲しげな表情のマリア様はまるで絵で描かれたかのようでした。 -
右側にはイエス様が。イエス様の生涯で有名な場面なんでしょうが、私はキリスト教信者ではないのでこの絵がどんな場面なのか知りません。
でもコモ大聖堂のステンドグラスはとても素晴らしいものでした。 -
礼拝堂と天井の様子です。
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大聖堂の説教壇。ここの説教壇は大きかったのでちょっと驚きました。
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パイプオルガンです。この真向かいにもう一つパイプオルガンがあって対になっているようです。
それとこの大聖堂には聖歌隊席がないんです。聖歌隊はどこで讃美歌を歌うんでしょうか?
結局私が見た限りでは聖歌隊席は分かりませんでした。 -
パイプオルガンをアップで。
クーポラからは太陽の光が差し込んでいます。主祭壇からパイプオルガンのあたりまではとても明るかったです。
写真でも分かるように側廊に明るい光が差し込んでいます。反面入り口付近は光の取り込みが少ないため薄暗かったです。 -
パイプオルガン越に見えていた宗教画。
気になって近寄って見ました。
ルイーニ作「聖人たちを従えた聖母子像」です。 -
こちらは左側廊側のパイプオルガン。先程のパイプオルガンの真向かいにあります。パイプオルガンはともに身廊内にあり、ともに向かい合う形で取り付けられていました。
こういう形のパイプオルガンは初めて目にしました。 -
直前のパイプオルガンを方向を変えて写している所ですが、奥に主祭壇があります。
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こちらは右側廊側のパイプオルガンです。
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ドゥオーモの天井とクーポラ。
天井の模様も綺麗です。ドゥオーモの名を冠した教会に相違なく大変立派な教会でした。 -
主祭壇と右に礼拝堂の入り口、クーポラがある聖堂内部の様子です。
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イチオシ
とても美しかったバラ窓。右に寄ってしまったのが失敗ですが、一番美しいバラ窓です。
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入り口ファザード側のバラ窓とステンドグラス。
壁には絵画があったのですが薄暗くてはっきり見えませんでした。 -
イチオシ
ファザードのバラ窓です。このバラ窓も美しかったのですが、私はブルーのバラ窓の方が好きでした。
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小さめに写してみましたが鮮やかに撮れていました。
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バラ窓の下のステンドグラスです。
コモのドゥオーモは本当にステンドグラスが美しい。 -
同じくバラ窓下のステンドグラス。
こちらも鮮やかな配色で綺麗でした。
これでコモ前編終わりです。後編ではドゥオーモの豪華なタペストリーとコモ湖クルーズをお送りします。
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