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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” <br />オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。<br /><br />期間 : 2015年7月14日(火)〜7月28日(火)15日間の旅<br /><br />参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”<br />http://4travel.jp/travelogue/11027937<br /><br />7月23日(木)  朝は小雨、午後徐々に晴れる 17.5〜27.5℃  140km<br />Lichtensteinリヒテンシュタイン=>B28 (Tuebingenテュービンゲン)・(Herrenbergヘレンベルク)=>A81・A8(Pleidelsheimプライデルスハイム)=>L? 91km Marbachマールバッハ=>(Bietigheimビーティックハイム)=>B27・L? 34km Neckarwestheim ネッカーヴェストハイム・Ringhotel Schloss Liebenstein古城ホテル リーベンシュタイン城<br /><br />写真はシラーの生家(中央)

黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅24シラーの町マールバッハの散策

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2015/07/14 - 2015/07/28

30位(同エリア472件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” 
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。

期間 : 2015年7月14日(火)〜7月28日(火)15日間の旅

参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937

7月23日(木)  朝は小雨、午後徐々に晴れる 17.5〜27.5℃  140km
Lichtensteinリヒテンシュタイン=>B28 (Tuebingenテュービンゲン)・(Herrenbergヘレンベルク)=>A81・A8(Pleidelsheimプライデルスハイム)=>L? 91km Marbachマールバッハ=>(Bietigheimビーティックハイム)=>B27・L? 34km Neckarwestheim ネッカーヴェストハイム・Ringhotel Schloss Liebenstein古城ホテル リーベンシュタイン城

写真はシラーの生家(中央)

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • *B28・B27・A81をTuebingenテュービンゲン・Herrenbergヘレンベルク、Stuttgartシュトゥットガルト、Pleidelsheimプライデルスハイムなどの町を経由し、シュトゥットガルトの北20kmにあるMarbachマールバッハに13:10到着。<br /><br />写真はマールバッハの紋章・・・金地に三つの鹿の角、右に赤の屋根に白い塔、葡萄の葉と房がアレンジされている。鹿の角はヴュルテンベルク公国に属した事を示し、塔は町のシンボル、葡萄は地域の産業を示している。

    *B28・B27・A81をTuebingenテュービンゲン・Herrenbergヘレンベルク、Stuttgartシュトゥットガルト、Pleidelsheimプライデルスハイムなどの町を経由し、シュトゥットガルトの北20kmにあるMarbachマールバッハに13:10到着。

    写真はマールバッハの紋章・・・金地に三つの鹿の角、右に赤の屋根に白い塔、葡萄の葉と房がアレンジされている。鹿の角はヴュルテンベルク公国に属した事を示し、塔は町のシンボル、葡萄は地域の産業を示している。

  • ≪Schillerstadt Marbachシラーの町マールバッハ観光≫ <br />13:10〜14:45<br />http://www.schillerstadt-marbach.de/<br /><br />Stuttgartシュトゥットガルトの北20kmにシラーの町マールバッハがある。<br />Marbach am Neckarネッカー川畔のマルバッハが正式名だ。<br />人口15千人の田舎町であるが、ドイツの国民的作家シラー(1759年生まれ)はこの地に誕生している。そして現在もシラーの生家があることで知られている。<br /><br />写真はGrabentorグラーベントアー(かつては掘割があった)という門と日時計

    ≪Schillerstadt Marbachシラーの町マールバッハ観光≫ 
    13:10〜14:45
    http://www.schillerstadt-marbach.de/

    Stuttgartシュトゥットガルトの北20kmにシラーの町マールバッハがある。
    Marbach am Neckarネッカー川畔のマルバッハが正式名だ。
    人口15千人の田舎町であるが、ドイツの国民的作家シラー(1759年生まれ)はこの地に誕生している。そして現在もシラーの生家があることで知られている。

    写真はGrabentorグラーベントアー(かつては掘割があった)という門と日時計

  • 警察傍のパークハウスに車を置き、街中に歩き出す。<br /><br />この町の見どころ:<br />シラーの生家、シラー像、シラー国立博物館、旧市街・市庁舎、市城壁と書いてあるので、まず一番にシラーの生家を訪ねた。<br /><br />グラーベントアー(かつては掘割があった)という門を過ぎて、マルクト広場と思える所はもう旧市街になる。<br /><br />写真はマルクト広場と泉

    警察傍のパークハウスに車を置き、街中に歩き出す。

    この町の見どころ:
    シラーの生家、シラー像、シラー国立博物館、旧市街・市庁舎、市城壁と書いてあるので、まず一番にシラーの生家を訪ねた。

    グラーベントアー(かつては掘割があった)という門を過ぎて、マルクト広場と思える所はもう旧市街になる。

    写真はマルクト広場と泉

  • そこの市庁舎傍の道を左に降りる坂道を行くと、木組みの建物が目に付いた。<br /><br />マールバッハの町はDeutsche Fachwerkstrasse ドイツ木組み建築街道、Wuerttemberger Weinstrasseヴュルテンベルクワイン街道、Schwaebische Dichterstrasseシュヴェービッシュ作家街道が交差するのだ。<br /><br />写真は2015.07.23.Marbach:An der Niklastorstrasseニクラストアー通り

    そこの市庁舎傍の道を左に降りる坂道を行くと、木組みの建物が目に付いた。

    マールバッハの町はDeutsche Fachwerkstrasse ドイツ木組み建築街道、Wuerttemberger Weinstrasseヴュルテンベルクワイン街道、Schwaebische Dichterstrasseシュヴェービッシュ作家街道が交差するのだ。

    写真は2015.07.23.Marbach:An der Niklastorstrasseニクラストアー通り

  • 写真は2015.07.23.Marbach:Friedrich_Schillerシラーの人物画

    写真は2015.07.23.Marbach:Friedrich_Schillerシラーの人物画

  • <シラーの生家>:<br />毎日10時〜17時まで開館 、入場料Euro3X2=6(835円)<br /><br />Niklastorstr.31にある変哲もない小さな博物館だが、それと同じように中身のない博物館であった。<br /><br />シラーの母の絵やシラーの像ぐらいで、多分多くの資料はシラー国立博物館にあるのだろう。<br /><br />緑の窓扉が印象的な家にはシラーの生家であると銘板(中央上部)が架けられていた。<br />これが無ければ通過してしまうような家だ。<br /><br />写真はシラーの生家(中央)

    <シラーの生家>:
    毎日10時〜17時まで開館 、入場料Euro3X2=6(835円)

    Niklastorstr.31にある変哲もない小さな博物館だが、それと同じように中身のない博物館であった。

    シラーの母の絵やシラーの像ぐらいで、多分多くの資料はシラー国立博物館にあるのだろう。

    緑の窓扉が印象的な家にはシラーの生家であると銘板(中央上部)が架けられていた。
    これが無ければ通過してしまうような家だ。

    写真はシラーの生家(中央)

    シラーの生家 建造物

    シラーの生家は小さな博物館、同時に中身のない博物館だった。 by jijidarumaさん
  • 写真はシラーの母親の絵

    写真はシラーの母親の絵

  • シラー作品は<br />処女作“Die Raeuber群盗” 1781年作、<br />歴史大作“Wallensteinヴァレンシュタイン三部作”1799年作、<br />スイス独立運動の英雄“Wilhelm Tellウイリアム・テル”1804年作<br />などが代表作である。<br /><br />写真は小さいと思ったシラー像

    シラー作品は
    処女作“Die Raeuber群盗” 1781年作、
    歴史大作“Wallensteinヴァレンシュタイン三部作”1799年作、
    スイス独立運動の英雄“Wilhelm Tellウイリアム・テル”1804年作
    などが代表作である。

    写真は小さいと思ったシラー像

  • 写真はかつてのシラーの家の絵

    写真はかつてのシラーの家の絵

  • 写真はイタリアレストラン傍の泉

    写真はイタリアレストラン傍の泉

  • ≪昼食:マールバッハ・イタリアレストランのAl Formoアル・フォルモで≫<br />14:00〜14:30 、Euro17.9+チップ1.1=19(2,645円)<br /><br />シラーの生家に少々がっかりしたので、空腹を覚え、坂道の途中にあったイタリア料理のレストランに入った。<br />丁度食事中の愛想のよいオーナーシェフに注文を頼んだ。<br /><br />写真は最初に座ったのはこちらのテラス、その後、反対側にある同じ経営者の店のレストランのテラスに移った。

    ≪昼食:マールバッハ・イタリアレストランのAl Formoアル・フォルモで≫
    14:00〜14:30 、Euro17.9+チップ1.1=19(2,645円)

    シラーの生家に少々がっかりしたので、空腹を覚え、坂道の途中にあったイタリア料理のレストランに入った。
    丁度食事中の愛想のよいオーナーシェフに注文を頼んだ。

    写真は最初に座ったのはこちらのテラス、その後、反対側にある同じ経営者の店のレストランのテラスに移った。

  • リゾットFunghi Porcini(直訳だと豚のようなキノコ!)、Apfelstrudelアプフェルシュトゥルーデル、ノンアルコールのビール、Apfellimonadeアッフェルリモナーデ(リンゴジュースとレモネードを混ぜたもの)。<br />空腹も手伝ってか、この店のリゾットは実に美味く感じた。<br /><br />写真は私はノンアルコールのビール、家内はApfellimonadeアッフェルリモナーデ(リンゴジュースとレモネードを混ぜたもの)。

    リゾットFunghi Porcini(直訳だと豚のようなキノコ!)、Apfelstrudelアプフェルシュトゥルーデル、ノンアルコールのビール、Apfellimonadeアッフェルリモナーデ(リンゴジュースとレモネードを混ぜたもの)。
    空腹も手伝ってか、この店のリゾットは実に美味く感じた。

    写真は私はノンアルコールのビール、家内はApfellimonadeアッフェルリモナーデ(リンゴジュースとレモネードを混ぜたもの)。

  • 写真はApfelstrudelアプフェルシュトゥルーデル、

    写真はApfelstrudelアプフェルシュトゥルーデル、

  • 写真は美味しかったリゾットFunghi Porcini(直訳だと豚のようなキノコ!)、

    写真は美味しかったリゾットFunghi Porcini(直訳だと豚のようなキノコ!)、

  • 反対方向にあったシラー像、シラー国立博物館は遠慮し、木組みの家並みが残る旧市街をブラブラして戻る。<br /><br />マルクト通りを少し行くと、Burgplatzブルク広場に堅固そうな12・3世紀の市城壁と、東に面したObere Torturm上の城門塔があり、高さは40mという。<br /><br /><br />写真は城門塔

    反対方向にあったシラー像、シラー国立博物館は遠慮し、木組みの家並みが残る旧市街をブラブラして戻る。

    マルクト通りを少し行くと、Burgplatzブルク広場に堅固そうな12・3世紀の市城壁と、東に面したObere Torturm上の城門塔があり、高さは40mという。


    写真は城門塔

  • 門塔横に第一次大戦の戦死者を悼む二人の兵の像が立つ。これはナチスによって1934年に建てられたものだと銘板にある。<br /><br />ナチスということでなんでも破棄してしまうのかと思っていたが、この町は違うようだ。<br /><br />写真はナチスによって建てられた二人の兵の像

    門塔横に第一次大戦の戦死者を悼む二人の兵の像が立つ。これはナチスによって1934年に建てられたものだと銘板にある。

    ナチスということでなんでも破棄してしまうのかと思っていたが、この町は違うようだ。

    写真はナチスによって建てられた二人の兵の像

  • ドイツの人は歴史に名を遺した人の名を町の名前に冠することが好きなようである。<br />宗教改革の創始者Martin Lutherマルティン・ルターにもLutherstadtルターシュタット・ルターの町と公式に称する町がいくつかあるのを知っているが、シラーの名を冠した町があるのは知らなかった。<br /><br />SchillerシラーとGoetheゲーテは同時代に活躍した誰でも知っているドイツの国民的作家である。ゲーテの処女作・戯曲『Goetz von Berlichingen mit der eisernen Hand鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』1773年、小説『Die Leiden des jungen Werthers若きウエルテルの悩み』1774年、小説『Wilhelm Meisters Lehrjahreヴィルヘルム・マイスターの修行時代』1796年、叙事詩『Hermann und Dorotheaヘルマンとドロテーア』1798年、詩劇『Faustファウスト』〜1831年など、広い分野で重要な作品を残した・・・が、有名なGoethestrasseゲーテ街道を筆頭に、外国人の為のドイツ語学校であるGoethe-Institutゲーテ・インスティトゥート(ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関)、ゲーテ広場、ゲーテ通り、ゲーテカフェ、ゲーテ大学などその名を冠した諸々があるとはいえ、ゲーテの名を冠した町があるのかどうか?よくわからなかった。<br /><br />調べてみるとGoethestadt Bad Lauchstaedtゲーテの町バート・ラウヒシュタットがそれであった。ザクセン・アンハルト州の宗教都市Merseburgメルゼブルク の11 km西にあり、人口は9千人、温泉のある保養地である。ここでは2008年10月9日から、ゲーテの町バート・ラウヒシュタットと公式に称することになった。<br />http://www.goethestadt-bad-lauchstaedt.de/<br /><br />“Schillerstadtシラーの町とGoethestadtゲーテの町”<br />http://4travel.jp/travelogue/11021212<br /><br /><br />・・・・・・・・・・・・<br /><br />写真は城門塔

    ドイツの人は歴史に名を遺した人の名を町の名前に冠することが好きなようである。
    宗教改革の創始者Martin Lutherマルティン・ルターにもLutherstadtルターシュタット・ルターの町と公式に称する町がいくつかあるのを知っているが、シラーの名を冠した町があるのは知らなかった。

    SchillerシラーとGoetheゲーテは同時代に活躍した誰でも知っているドイツの国民的作家である。ゲーテの処女作・戯曲『Goetz von Berlichingen mit der eisernen Hand鉄の手のゲッツ・フォン・ベルリヒンゲン』1773年、小説『Die Leiden des jungen Werthers若きウエルテルの悩み』1774年、小説『Wilhelm Meisters Lehrjahreヴィルヘルム・マイスターの修行時代』1796年、叙事詩『Hermann und Dorotheaヘルマンとドロテーア』1798年、詩劇『Faustファウスト』〜1831年など、広い分野で重要な作品を残した・・・が、有名なGoethestrasseゲーテ街道を筆頭に、外国人の為のドイツ語学校であるGoethe-Institutゲーテ・インスティトゥート(ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関)、ゲーテ広場、ゲーテ通り、ゲーテカフェ、ゲーテ大学などその名を冠した諸々があるとはいえ、ゲーテの名を冠した町があるのかどうか?よくわからなかった。

    調べてみるとGoethestadt Bad Lauchstaedtゲーテの町バート・ラウヒシュタットがそれであった。ザクセン・アンハルト州の宗教都市Merseburgメルゼブルク の11 km西にあり、人口は9千人、温泉のある保養地である。ここでは2008年10月9日から、ゲーテの町バート・ラウヒシュタットと公式に称することになった。
    http://www.goethestadt-bad-lauchstaedt.de/

    “Schillerstadtシラーの町とGoethestadtゲーテの町”
    http://4travel.jp/travelogue/11021212


    ・・・・・・・・・・・・

    写真は城門塔

  • ≪シラーシュタット!・・・シラーとゲーテの身長≫<br /><br />シラーシュタット、ゲーテシュタット、ルターシュタットとドイツの誇る歴史上の人物の名を冠する町・・・残念ながら日本には無くてドイツにある。<br />素晴らしいことです。<br /><br />さて、マールバッハの生家にあったシラーの像との写真(前の写真参照)、小さくてやはり疑問を持たれたようです。<br />結論が出る話ではありませんが、再度調べてみました。<br /><br />実際、町にある国立シラー博物館近くのシラー銅像はフランクフルト、ワイマールなどの各地に建てられた大きな銅像よりは小さめに思います。<br /><br />写真はFriedrich-Schiller-Denkmal_Marbachマールバッハのシラー記念像

    ≪シラーシュタット!・・・シラーとゲーテの身長≫

    シラーシュタット、ゲーテシュタット、ルターシュタットとドイツの誇る歴史上の人物の名を冠する町・・・残念ながら日本には無くてドイツにある。
    素晴らしいことです。

    さて、マールバッハの生家にあったシラーの像との写真(前の写真参照)、小さくてやはり疑問を持たれたようです。
    結論が出る話ではありませんが、再度調べてみました。

    実際、町にある国立シラー博物館近くのシラー銅像はフランクフルト、ワイマールなどの各地に建てられた大きな銅像よりは小さめに思います。

    写真はFriedrich-Schiller-Denkmal_Marbachマールバッハのシラー記念像

  • ワイマールの劇場広場の有名なゲーテ(左)とシラー(右)の像について、手元にある小塩先生が書かれた“ゲーテ街道を行く(とんぼの本)の中で先生はこの事に言及しています。いわく、”よくみるとゲーテはハイヒールの靴をはいている。シラーよりほんの二.三センチ低かったので外出するときは特製の靴をはいたという。相当に自意識と対抗意識もあったらしい。”<br /><br />確かに銅像はシラーの方が10歳若いだけに美丈夫に見えます。二人のいずれもマールバッハ、ワイマールの国立博物館にその名を冠されているのを見れば、他の歴史上の人物に比較すれば別格扱いなのでしょう。<br /><br />「二人のドイツ文学上の功績は全く同等である」といった、二人の優劣を付け難い国民の気持ちもあって、銅像は両方とも同じ大きさに作られているように思われます。<br /><br />実の所、二人の身長についてはよく分かりません。そうしたドイツの記録に出会っていないのです。<br /><br />写真はワイマールの国民劇場前に立つゲーテとシラーの記念像・・・同じ身長!

    ワイマールの劇場広場の有名なゲーテ(左)とシラー(右)の像について、手元にある小塩先生が書かれた“ゲーテ街道を行く(とんぼの本)の中で先生はこの事に言及しています。いわく、”よくみるとゲーテはハイヒールの靴をはいている。シラーよりほんの二.三センチ低かったので外出するときは特製の靴をはいたという。相当に自意識と対抗意識もあったらしい。”

    確かに銅像はシラーの方が10歳若いだけに美丈夫に見えます。二人のいずれもマールバッハ、ワイマールの国立博物館にその名を冠されているのを見れば、他の歴史上の人物に比較すれば別格扱いなのでしょう。

    「二人のドイツ文学上の功績は全く同等である」といった、二人の優劣を付け難い国民の気持ちもあって、銅像は両方とも同じ大きさに作られているように思われます。

    実の所、二人の身長についてはよく分かりません。そうしたドイツの記録に出会っていないのです。

    写真はワイマールの国民劇場前に立つゲーテとシラーの記念像・・・同じ身長!

  • ただ、フランクフルトのゲーテハウスに残る立ち机から推測すると、ゲーテは大きかったように思われます。<br />70歳の時の肖像画や、37歳でイタリアに出かけ、ローマ近郊におけるゲーテと称する肖像画も体格がとても立派であった様子が見えます。<br /><br />かたやシラーの方の写真は青白い、華奢な体つき、結核特有かと思われる病的な感じの人物画が多く残ります。<br />旅行記に載せた写真は多分一番良い人物画で、これが銅像の元になっているような感じがします。<br /><br />音楽の神童・モーツアルトも身長は163センチだったとか、が、建っている銅像はそこそこ大きい。<br /><br />写真はFriedrich-Schiller-Denkmal_Marbachマールバッハのシラー記念像の拡大

    ただ、フランクフルトのゲーテハウスに残る立ち机から推測すると、ゲーテは大きかったように思われます。
    70歳の時の肖像画や、37歳でイタリアに出かけ、ローマ近郊におけるゲーテと称する肖像画も体格がとても立派であった様子が見えます。

    かたやシラーの方の写真は青白い、華奢な体つき、結核特有かと思われる病的な感じの人物画が多く残ります。
    旅行記に載せた写真は多分一番良い人物画で、これが銅像の元になっているような感じがします。

    音楽の神童・モーツアルトも身長は163センチだったとか、が、建っている銅像はそこそこ大きい。

    写真はFriedrich-Schiller-Denkmal_Marbachマールバッハのシラー記念像の拡大

  • 当時の王侯・貴族階級と市民階級の体格を比較すると、断然、前者の体格は良かったようで、それを勘案すれば、生まれの良く生活面でも恵まれていたゲーテの方が、30代半ばから病気がちだったシラー(結核のため、45歳で死去)に比べれば、健康で体格も優れていたと、推測している次第です。<br /><br />(ゲーテあるいはドイツ古典主義:平野 篤司氏の論文中にあるワイマール市の銅像についての解説では“現実の二人の背丈はかなり違うのに、同じ高さにそろえてある。”と書かれており、<br />・・・どちらが大きいとは書いていないものの・・・<br />銅像の創建当時から、この一対の銅像は不思議な印象を与えていたのだろう。・・・つまり理想像として作られたのである。)<br /><br />隔靴掻痒の感じがありますが、以上のような感慨を持ちました。<br /><br />写真はFriedrich-Schiller-Denkmal_Marbachマールバッハのシラー記念像を見上げた写真・・・縮まって見えてきます!

    当時の王侯・貴族階級と市民階級の体格を比較すると、断然、前者の体格は良かったようで、それを勘案すれば、生まれの良く生活面でも恵まれていたゲーテの方が、30代半ばから病気がちだったシラー(結核のため、45歳で死去)に比べれば、健康で体格も優れていたと、推測している次第です。

    (ゲーテあるいはドイツ古典主義:平野 篤司氏の論文中にあるワイマール市の銅像についての解説では“現実の二人の背丈はかなり違うのに、同じ高さにそろえてある。”と書かれており、
    ・・・どちらが大きいとは書いていないものの・・・
    銅像の創建当時から、この一対の銅像は不思議な印象を与えていたのだろう。・・・つまり理想像として作られたのである。)

    隔靴掻痒の感じがありますが、以上のような感慨を持ちました。

    写真はFriedrich-Schiller-Denkmal_Marbachマールバッハのシラー記念像を見上げた写真・・・縮まって見えてきます!

  • ゲーテとシラーの関係に奇妙な話(Wiki)が残る。<br /><br />1805年5月9日、シラーは結核のため、ワイマールの自宅で死去した。45歳であった。1805年8月10日にシラー葬送祭がおこなわれた。遺骨はHerzogin Anna Amalia Bibliothekアンナ・アマーリア図書館に保存された。<br />1826年、ゲーテは秘密裏にシラーの骸骨をアンナ・アマーリア図書館から借り出し、それを眺めながら『シラーの骸骨に寄す』という詩を詠んだ。<br />1827年12月16日にはシラーの遺骨がアマーリア図書館からワイマールの王家のWeimarer Fuerstengruft地下墓地に移されたと言われている。(シラーが埋葬されたのはワイマール市のヤコブスにある集団墓地という話もあるが)<br /><br />2008年5月3日、シラーのものと伝来がある2つの頭蓋骨のDNA検査の結果、この2つの頭蓋骨のどちらもシラーのものではない可能性が高いことが、この頭蓋骨を保管してきたWeimar Foundationドイツ古典主義財団から発表された。<br /><br />調査が実施された2つの頭蓋骨とは、1つが1826年にシラーが埋葬されたワイマール市のヤコブスにある集団墓地で発見されたもので、ゲーテが所有していたことでも知られているもの。もう1つの方は1911年にシラー研究家であるアウグスト・フロリエプが同じ集団墓地から発見したものだ。<br /><br />しかし、シラーのデスマスクと頭蓋骨が真実のものであると、現在も信じられていて、今も2つの頭蓋骨ともワイマールの古典主義財団が保管しているという。<br /><br />・・・・・・・・・・・・<br /><br />写真はワイマールの王家のWeimarer Fuerstengruft地下墓地にゲーテとシラーの棺がある。<br /><br />XXX<br /><br />DNA鑑定をしたと云う聖女の話を以下に;<br /><br />キームゼー・女島:聖イルメンガルドの聖人承認と現代のDNA鑑定<br />http://4travel.jp/travelogue/10836111<br /><br />

    ゲーテとシラーの関係に奇妙な話(Wiki)が残る。

    1805年5月9日、シラーは結核のため、ワイマールの自宅で死去した。45歳であった。1805年8月10日にシラー葬送祭がおこなわれた。遺骨はHerzogin Anna Amalia Bibliothekアンナ・アマーリア図書館に保存された。
    1826年、ゲーテは秘密裏にシラーの骸骨をアンナ・アマーリア図書館から借り出し、それを眺めながら『シラーの骸骨に寄す』という詩を詠んだ。
    1827年12月16日にはシラーの遺骨がアマーリア図書館からワイマールの王家のWeimarer Fuerstengruft地下墓地に移されたと言われている。(シラーが埋葬されたのはワイマール市のヤコブスにある集団墓地という話もあるが)

    2008年5月3日、シラーのものと伝来がある2つの頭蓋骨のDNA検査の結果、この2つの頭蓋骨のどちらもシラーのものではない可能性が高いことが、この頭蓋骨を保管してきたWeimar Foundationドイツ古典主義財団から発表された。

    調査が実施された2つの頭蓋骨とは、1つが1826年にシラーが埋葬されたワイマール市のヤコブスにある集団墓地で発見されたもので、ゲーテが所有していたことでも知られているもの。もう1つの方は1911年にシラー研究家であるアウグスト・フロリエプが同じ集団墓地から発見したものだ。

    しかし、シラーのデスマスクと頭蓋骨が真実のものであると、現在も信じられていて、今も2つの頭蓋骨ともワイマールの古典主義財団が保管しているという。

    ・・・・・・・・・・・・

    写真はワイマールの王家のWeimarer Fuerstengruft地下墓地にゲーテとシラーの棺がある。

    XXX

    DNA鑑定をしたと云う聖女の話を以下に;

    キームゼー・女島:聖イルメンガルドの聖人承認と現代のDNA鑑定
    http://4travel.jp/travelogue/10836111

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  • とんちゃん健康一番さん 2018/01/29 13:36:47
    お邪魔します♪
    jijidarumaさん!!!
    こんにちは(*^_^*)
    MarbachとBietigheimの街♪
    すごく♪すごく♪素敵ですねぇ☆
    旅行記を拝見させて頂き、絶対に行きたい!!!
    絶対に行く!!!っと決めました♪
    5月に行く予定なので、MarbachとBietigheimのプランを立てました。
    もう☆もう☆今からとても楽しみですぅ☆
    素敵な旅行記をありがとうございます!(^^)!

    ※ちなみにTuebingenとHerrenbergはどちらか行こうかと思っております。
    また、ゆっくりお邪魔させて頂きます☆

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2018/01/29 14:39:01
    Re: お邪魔します♪
    とんちゃんさん、こんにちは。コメントありがとうございます。

    相変わらず、ドイツ巡りを楽しまれているようですね。
    5月、良い時期にお出かけの由、私もこの時期に行く予定ですが、方向はフランケン地方の古城群の再訪です。

    Marbachではシラーの生家や・旧市街の反対方向にあったシラー像、シラー国立博物館を時間不足で遠慮してしまいましたが、博物館はできればご訪問になるのが宜しいかと。
    又、通過したBietigheimビーティッヒハイムの町は以下の通りです。
    Enzエンツ川(全長112kmのネッカー川左岸の支流)に発展し、Stuttgartシュトゥットガルトの北20kmにあり、1200年を超える歴史を持った町である。人口42千人。日本医学の父ベルク博士の生家、ベルツ博物館(Hornmoldhausホルンモルドハウス・・日本庭園と石碑)、市庁舎、城門(下の門)、お好きな木組みの家並みなどがあります。

    Tuebingenテュービンゲン方向にも行かれるなら、シュヴァーベン地方の素晴らしい名城群でSchloss Sigmaringenジクマリンゲン城、Burg Hohenzollernホーエンツォレルン城(プロイセン王家)と共に、Schloss Lichtensteinリヒテンシュタイン城も良いですよ。
    それではまた。
    jijidaruma

    とんちゃん健康一番

    とんちゃん健康一番さん からの返信 2018/01/30 13:17:44
    RE: Re: お邪魔します♪
    jijidarumaさんへ(*^_^*)

    再びお邪魔しますぅ☆

    >私もこの時期に行く予定ですが、方向はフランケン地方の古城群の再訪です。
    わぁ〜♪フランケン地方のご予定なんですねぇ!(^^)!良いですねぇ☆
    美味しいフランケンワインをぐびぐびされるご予定とかあるのでしょうか?

    >博物館はできればご訪問になるのが宜しいかと。
    アドバイスありがとうございます。
    極力時間を取れるようプランを立てたいと思います。
    ※ここのところ、博物館、資料館などに足を運ぶと
    どーーーーっと疲れが出てしまうので、体力温存してから
    博物館へ行きたいと思います☆

    Bietigheimの情報!
    ありがとうございます。
    5月まで色々下調べして楽しいドイツ旅にしたいと思います。

    また、お邪魔させて頂きますので宜しくお願いします!(^^)!
  • frau.himmelさん 2016/02/20 19:54:31
    シラーシュタット!
    jijidarumaさん、こんばんは。

    マールバッハ、シラーの生まれた地なのですね。
    私もルターシュタットがあるのは知っていましたが、シラーシュタットって知りませんでした。

    シラー像の横でお写真に入っていらっしゃいましたが、あれはシラーの等身大なのでしょうか?
    ワイマールの劇場広場の有名なゲーテとシラーの像ですが、本当はゲーテはもっと背が低かったけど、シラーと合わせるために嵩上げしたと聞きました。
    それが事実ならば、ゲーテってどんだけ背が低かったの〜となりますね(笑)。

    いつもjijdarumaさんの旅行記は地図を横に置いて拝見しています。
    前回のリヒテンシュタインも面白かったです。
    数年前、東京にリヒテンシュタイン展がやってきた時見に行きましたが、なるほどあれは「Liechtenstein」なのですね。
    いろいろ勉強になります。
    ありがとうございました。

    himmel

    jijidaruma

    jijidarumaさん からの返信 2016/02/21 17:34:53
    RE: シラーシュタット!・・・シラーとゲーテの身長
    Himmelさん

    こんにちは。いつもご投票とコメントありがとうございました。

    ルターシュタット、シラーシュタット、ゲーテシュタットとドイツの誇る歴史上の人物の名を冠する町・・・残念ながら日本には無くてドイツにある。素晴らしいことです。

    さて、遅くなりましたが、マールバッハの生家にあったシラーの像との写真、小さくてやはり疑問を持たれたようですね。
    結論が出る話ではありませんが、再度調べてみました。

    実際、町にある国立シラー博物館近くのシラー銅像はフランクフルト、ワイマールなどの各地に建てられた大きな銅像よりは小さめに思います。

    ワイマールの劇場広場の有名なゲーテ(左)とシラー(右)の像について、手元にある小塩先生が書かれた“ゲーテ街道を行く(とんぼの本)の中で先生はこの事に言及しています。いわく、”よくみるとゲーテはハイヒールの靴をはいている。シラーよりほんの二.三センチ低かったので外出するときは特製の靴をはいたという。相当に自意識と対抗意識もあったらしい。”
    確かに銅像はシラーの方が10歳若いだけに美丈夫に見えます。二人のいずれもマールバッハ、ワイマールの国立博物館にその名を冠されているのを見れば、他の歴史上の人物に比較すれば別格扱いなのでしょう。
    「二人のドイツ文学上の功績は全く同等である」といった、二人の優劣を付け難い国民の気持ちもあって、銅像は両方とも同じ大きさに作られているように思われます。

    実の所、二人の身長についてはよく分かりません。そうしたドイツの記録に出会っていないのです。

    ただ、フランクフルトのゲーテハウスに残る立ち机から推測すると、ゲーテは大きかったように思われます。70歳の時の肖像画や、37歳でイタリアに出かけ、ローマ近郊におけるゲーテと称する肖像画も体格がとても立派であった様子が見えます。
    かたやシラーの方の写真は青白い、華奢な体つき、結核特有かと思われる病的な感じの人物画が多く残ります。旅行記に載せた写真は多分一番良い人物画で、これが銅像の元になっているような感じがします。
    音楽の神童・モーツアルトも身長は163センチだったとか、が、建っている銅像はそこそこ大きい。

    当時の王侯・貴族階級と市民階級の体格を比較すると、断然、前者の体格は良かったようで、それを勘案すれば、生まれの良く生活面でも恵まれていたゲーテの方が、30代半ばから病気がちだったシラー(結核のため、45歳で死去)に比べれば、健康で体格も優れていたと、推測している次第です。

    (ゲーテあるいはドイツ古典主義:平野 篤司氏の論文中にあるワイマール市の銅像についての解説では“現実の二人の背丈はかなり違うのに、同じ高さにそろえてある。”と書かれており、
    ・・・どちらが大きいとは書いていないものの・・・
    銅像の創建当時からこの一対の銅像は不思議な印象を与えていたのだろう。・・・つまり理想像として作られたのである。)

    隔靴掻痒の感じがありますが、以上のような感慨を持ちました。

    旅行記にも追記しておきます。

    いつも刺激を与えて頂き感謝です。

    jijidaruma

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