2015/07/14 - 2015/07/28
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jijidarumaさん
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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)〜7月28日(火)15日間の旅
参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937
7月25日(土) 晴時々小雨 25〜26℃ 0km(ホテルに1日滞在した為)
*起床7:00、昨夜の雨で気温も下がり、25℃。
写真は古城ホテル レッタースホーフ城の本棟・レストラン、会議室
- 旅行の満足度
- 3.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
家内を部屋に残し、私だけが朝食(9:00〜30)に行く。
写真は暖炉の間・朝食が用意されていた。 -
写真はメインレストランは朝食用も兼ねていた。
-
一人だと食欲も出ないままに・・・。
写真はいつものような朝食 -
その後、ホテル内を散策する。
この日はホテル内で結婚式・披露宴があるらしく、準備が始まっていた。
写真は暖炉の間の階段を上がって。 -
写真は暖炉の間のシャンデリアを見上げる。
-
予定ではKelkheim (Taunus)ケルクハイム =>L?・B456・A3・A66・B260・B42 60km Rheingauラインガウ =>B42・B260・A66・A3・B456・L? 60km Kelkheim (Taunus)ケルクハイム・Schlosshotel Rettershof 古城ホテル レッタースホーフ城という風に行程を組んでいた。
だが、この日も家内の体調は戻らず、無理をしないことにした。
4度目のホテル2泊だが、暑い夏の旅で疲労もたまった事、スズメ蜂*に刺されたことによる毒の代謝が続いたこと、ゆっくりするのにはちょうど良かった。
2013年にメルヘン街道、ミュンスターラント、ベネルックスと巡った旅で風邪をひいた私はベルギーのアルデンヌの森・古城ホテル シャトー・ダッソンヴィル城で2泊の間、全く観光にも行けず、ベッドで汗をかいていたが、その時と同じようになったわけだ。
ともあれ、タオルの取り換えを依頼し、室内の掃除をひかえてもらった。
写真は古城ホテル レッタースホーフ城の入口 -
写真はレッタースホーフ
-
“ケルクハイム(タウヌス)の宝石”と呼ばれるRettershofレッタースホーフ:
レッタースホーフはケルクハイム(タウヌス)の一地区Fischbachフィシュバッハの北東に位置する。
かつてのベネディクト派修道院で、12世紀から1559年まで女子修道院として活動した。その後は所有者がしばしば変わり、御料地として使用されていた。
今もその名残の牧場がある。
現在、人気のある行楽地になっていると云う。
写真はレッタースホーフの正面 -
写真はレッタースホーフの付属の建物
-
写真はレッタースホーフの門
-
写真はレッタースホーフの門にある紋章・左側
-
私はそれから駐車場に行き、車内に置いてあった蒐集したパンフレットとお土産品を部屋に持ち帰り、昨夜と同様に整理、破棄を行う。
お土産品も明日の出発に備えて、トランクに入れなおした。
この日は一日中、強い風が吹く。
<昼食:部屋で>
持参のお菓子、お煎餅などを食べる。
写真はレッタースホーフの門にある紋章・右側 -
<夕食:古城ホテル レッタースホーフ城・ルームサービス>
18:40〜19:15 Euro46+ミニバー7.3+チップEuro5=58.3(8,218円)
家内の回復が今一だったし、私も一人でレストランへ行く意欲もうせて、午後4時にレセプションに行って、ルームサービスの内容を聞き、オーダーした。
その際にバナナ2本、リンゴ2個を家内の為にもらって帰る。
牛肉のコンソメスープ(Euro10X2=20)、
Wiener Schnitzelヴィンナーシュニッツエルにキュウリのサラダ、茹でたジャガイモ、レモン、イチゴのジャム添えX1(Euro21)、
ミニバーのKoenig-Pilsenerビール0.33Lなど飲み物Euro7.3、
サービス料金Euro5。
写真はルームサービス! -
写真は牛肉のコンソメスープ
-
写真はヴィンナーシュニッツエル
-
この時、食事を運んできたルームサービスのスタッフにトイレットペーパーの予備を2ロール、ティッシュペーパー1箱を予備に持ってきてもらった。
家内は食べるとお腹が痛くなり、相当数トイレに通う。下痢のみで小用が出ない。夜中になってようやく小用が出た。
就寝22:15、翌朝の起床まで家内はトイレに9回行ったと言う。
下痢からの回復には出すだけ出さねばならないものの、さすがに疲れたようだ。
・・・・・・・・・・・・・・・・
写真はKelkheim-Wappenケルクハイムの紋章 -
昨日は長距離の走行になったが、もし時間的余裕と気がのれば訪ねたい町がいくつかあった。
いずれも家内の体調不良で次回?に見送った。
参考;
Bad Homburgバート・ホンブルク:
https://www.bad-homburg.de/
フランクフルト空港から凡そ25kmにある保養地であり、フランクフルト通勤者の住宅地でもある。人口52千人。
<Heinrich von Kleist劇作家ハインリッヒ・クライスト作・戯曲>
“Prinz Friedrich von Homburgフリードリヒ・ホンブルク王子(in der Schlacht von Fehrbellin 1675スウェーデン軍とブランデンブルク辺境伯軍の間で戦われたもので後者が勝利した。)”(1809/1810初演)、
“Das Kaethchen von Heilbronnハイルブロンのケートちゃん”(1810年初演)など。
写真はHeinrich_von_Kleist:劇作家ハインリッヒ・クライスト -
<Landgraf Friedrich II.von Hessen-Homburgヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ2世と宮殿の宝物“銀の脚”の話>
(参照;池内 紀著 ドイツ 町から町へ・中公新書)
剣の名手で、豪胆であったフリードリヒ2世は1659年、スウェーデンとの戦いに加わりコペンハーゲンに出征し、大怪我を負った。
右脚を大砲に吹き飛ばされたのだが、脚は太もものところから腱一本でぶらさがっていた。
フリードリヒ2世は従者からナイフを借りて、自ら脚を切り落としたと云う。
宮殿の宝物の一つに“銀の脚”が展示されている。
勇気のあるフリードリヒ2世のために、ホンブルクの町の職人が美しい脚を作った。やや細身で、太ももにピタリと収まり、革のバンドでとめる。
足首と指先に精巧なバネが使ってあって、自由に動く。
その部分が銀で作られているので“銀の脚”の名前が付いた。
写真は“銀の脚” -
写真はバート・ホンブルク:ヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ2世の記念像
-
Landgrafenschloss方伯の宮殿:
ヘッセン・ホンブルク方伯の宮殿であり、1866年以降はプロイセン王、ドイツ皇帝の夏の離宮となった。
写真はBad Homburg:ヘッセン・ホンブルク方伯の宮殿 -
Weisse Turm“白の塔”と称する天守閣があるが、これを除いて、古い城郭を壊し、新たにヘッセン・ホンブルク方伯フリードリヒ2世が1680年から5年をかけて宮殿を建てた。
写真はヘッセン・ホンブルク方伯の宮殿・Weisse Turm“白の塔”(緊急避難用にも使用されたと思われる) -
写真はフリードリヒ2世の棺
-
<Schlosshotel Kronberg 古城ホテル クロンベルク城>
D- 61476 Kronberg 、Hainstrasse 25
120号室(2階) Euro205(20,896円)
http://www.schlosshotel-kronberg.de/
http://www.kronberg.de/
Schloss Kronbergクロンベルク城には2012年5月27日(日)に1泊した。
フランクフルトの北西にTaunusタウヌスと呼ばれる丘陵地帯が続く。この辺りはフランクフルトの高級住宅街になっているので、クロンベルクの町は小さいながらも、瀟洒な店が多いと云う。
その町外れに古城ホテル クロンベルク城がある。
美しいタウヌスの森に位置する5星古城ホテルは全部で58室と規模も大きい。
写真はSchlosshotel Kronberg 古城ホテル クロンベルク城・表 -
ホテル前に18ホール(パー68)のゴルフ場もある。
写真は古城ホテル クロンベルク城に併設されたゴルフ場 -
城の歴史;
元々はFriedrich III.ドイツ皇帝フリードリヒ3世(1831〜1888年)の皇妃Victoria Adelaide Mary Louiseヴィクトリア・アデレイド・メアリ・ルイーズ(1840〜1901年)が、その余生を過ごした所である。
ヴィクトリアは1840年に英国女王ヴィクトリアの長女に生まれ、18歳でプロイセン皇太子フリードリヒ3世に嫁いだ。義父であったドイツ皇帝ヴィルヘルム1世が91歳まで長生きした事もあり、夫フリードリヒ3世は皇位にたった99日間就いただけであったと云う。
1888年、ドイツ皇帝フリードリヒ3世は1世の死後3ヶ月で急逝した。
ヴィクトリアが48歳の時でしたが、その為3ヶ月間しか皇后の座に就くことができなかったことになる。
急遽、息子のヴィルヘルム2世(ドイツ最後の皇帝;1859〜1941年)が後を継いだ。
皇帝の死後、皇妃ヴィクトリアの為に建てられたテューダー様式の城館は1889~94年に建設され、広々とした英国風庭園、バラ園が周囲を囲み、城内の家具、調度品、絵画などの芸術品も彼女の愛したものばかりが飾られた。
1901年、61歳の皇妃ヴィクトリアはこの城で死去した。
城館は“Das kaiserliche Schloss皇帝の城”に相応しく、1954年にオープンした古城ホテルのロビー、廊下、レストラン、客室に、現在も彼女の愛したものが見事に残されている。最大のロイヤルスイート114号は皇帝ヴィルヘルム2世が滞在したことで知られる。
XXX
写真はSchlosshotel Kronberg 古城ホテル クロンベルク城・裏表面
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この旅行記へのコメント (9)
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- Norikoroさん 2024/03/19 09:57:37
- レッタースホーフ城
- 初めてコメントさせていただきます。
10年近く前のまさにこの日、レッタースホーフ城に宿泊しておりまして、jijidaruma様にお会いしたかもしれないと思いましてコメントさせていただきました。
この日、私達がフロントでチェックアウトする時にお声掛けいただき、駐在で昔ドイツにいらしたことや、毎年ドイツを旅されてること、この日は奥様が朝食に来られなかったことなどを伺いました。ハチに刺されていたとは存じ上げませんでしたが大変だったのですね…
当時、私は日本からの旅行でしたが、その後の夫の駐在にて現在はデュッセルドルフに住んでおります。ドイツ国内のことを検索する機会が増える中でjijidaruma様の旅行記をよく拝見するようになり、あの時いらした方かしら、とは思っていたのですが、本日こちらの記事に気づいて確信が深まり、大変嬉しくなりました。
この日、朝食会場でもお見かけし、日本のかたのようにお見受けしたものの、とても慣れていらして言語も堪能なご様子だったため、大変印象的でした。その後フロント前で「日本からの方ですか。この辺りで珍しいですね。」とお声がけくださり、少しお話する機会をいただいたので更に印象的な思い出となっております。
有り難くも私自身まだまだドイツ生活が続きますので、今後ともjiiidaruma様の旅行記を楽しく拝見させていただきます。
昔の記事へのコメントに、一方的に思い出を綴ってしまい、大変失礼致しました。
- jijidarumaさん からの返信 2024/03/19 23:49:54
- RE: レッタースホーフ城
- Norikoroさん、
今晩は。ドイツもそろそろ春めいてくる頃ですね。
私はドイツの春が好きで、この時期に車を走らせるのが楽しみでした。
ドイツ生活は私共にとって、いろいろと学び、その後の人生でも大いに影響を受けた国でしたから、言わば第二の故郷のようなデュッセルドルフです。
デュッセルドルフの春景色に今思いをはせています。
さて、お立ち寄りとコメントを頂き、拝読してエッと驚きました。
あの日の日本人はハイ私です!!!・・・このような事があるのかと思いましたよ。
わざわざコメントをして頂くとは、実に嬉しく、又感謝です。
もうあれから9年弱でしょうか?!記憶の断片を辿って、あの日の場面を思い出しました。お二方の写真を撮っていたら、場面も明快なのですが、新婚旅行のような雰囲気のNorikoroさんたちを邪魔してはと思ったようで、多分、「ドイツ感傷旅行」や古城ホテルのことなどを含めて、簡単なドイツ駐在時の御話しをしたようですね。
その時の事も家内に話しておりましたから、お昼を食べながら、実は・・・と説明した所、家内もたいへん驚いておりました。
(以前日本で庭木に巣を作ったスズメバチに2度刺され、ドイツの古城ホテルで今回キツイひと刺しを受けた家内ですが、幸い大事に至らず、いまだ元気です!)
一期一会という言葉がありますが、旅の機会の出会いは心に残るもので、旅行記にまで記述してしまったものです。名乗りあったわけではないので、御名前も知らないままに、失礼なコメントをしてしまったかと、慌てて当時の旅行記を読み返しました。失礼になっていましたらご容赦ください。
ドイツ各地を十数回走って、古城ホテルに泊まっていると、日本の方にたまにお会いする事がありました。多くは旦那様がドイツ人、奥様は日本人のカップルでした。それでNorikoroさんたちが珍しかったのです。
古城ホテル好きでしたから、若い同好の方が居られたと、嬉しかったのでしょう。
それにしても、その後、御主人共々、長いドイツ駐在生活を順調に過ごされているとの事、素晴らしいことです。
私共は30代、40代の初めに2度の駐在で9年弱を体験し、定年の60歳と共に「ドイツ感傷旅行」と称して、ドイツ各地をレンタカーで巡ってきました。
2019年を最後にコロナ禍でドイツの旅は計画(南ドイツ、Salzkammergutオーストリアのザルツカンマーグートあたり)のままとなっています。その後はロシアのウクライナ侵略もあって、行きそびれてしまい、二人とももう<80歳>となってしまいました。
2013年11月10日に4Traに登録して、今は御読み頂いたような旅日記・口コミ(伝説、旅日記、駐在時代のセピア色の思い出、失敗談など)を書き連ねております。
その内の一文がお目にとまったのは、ほんとに確率からしたら大変なものになるのでしょう。嬉しいですね。
4Traのそちらにお伺いしましたら、まだ登録して間もなく、投稿も無いようですね。今回のやり取りが初めての記録となるわけです。<ドイツ国内のことを検索する機会が増える>とのこと、伝説好き、古城好き、古城ホテルやグルメ探訪好きと少々変わり者!?ですが、御読み頂ければ、古い情報ながら少しはお役に立つこともあるかと思います。
フォローさせて頂きますので、ドイツの春の写真でも投稿して頂ければ嬉しいです。
ご主人様にも宜しくお伝え下さい。
嬉しさにツイ、長文となりました。
それではまた。
jijidaruma
- Norikoroさん からの返信 2024/03/20 18:49:46
- Re: レッタースホーフ城
- お返事ありがとうございます。やはりjijidaruma様だったんですね!ご記憶くださってきたこと、またこうしてご縁が繋がることが出来てとても嬉しく思います。
奥様も大事に至らなかったとのことで、本当に良かったです。
4トラベルに登録したのは、jojidaruma様の記事を見てどうしてもコメントしたくなったためです。故にごく最近の登録となっておりました。
お返事をいただくまで、私達が記事に登場してることに気づいておりませんでした。改めて見直して発見しました!光栄です。
少しだけ訂正すると当時はまだ付き合ってるだけでした(^^)私は日本からドイツに向かい、ドイツ駐在中だった彼と空港で待ち合わせ、夏休みの旅行が始まったところでした。
その2年後に結婚し、同時に東南アジアへ異動となったので、そこから私も合流してしばらく2人でアジアに住んでおりましたが、先一昨年に夫にとっては2回目のドイツ駐在となったため、デュッセルドルフに引越して参りました。
引越してからドイツを調べるようになり、その中でjijidaruma様の記事に辿り着くことが多々あり、その頃からぼんやり「もしかして…」とは思ってたのですが、2人ともホテル名を忘れておりそれ以上調べませんでした。
しかし今回、一時帰国で自宅の片付けをしておりましたら、2015年の旅行時の日程表が出てきて、具体的な日程と宿泊していた古城ホテルの名前を思い出したので、あらためて記事を確認したところ、確信が深まりコメントさせていただくに至った次第です。
ヨーロッパは車で旅が出来るのでいろいろ訪れることが出来ますね。地域ごと特徴を持ちながらも、歴史や文化を共有・影響しあっている箇所を発見しながら旅をすることで旅が深まると感じております。
jijidaruma様はドイツ語も堪能でいらっしゃるんですよね。記事は全て目を通せているわけではないのですが、日本語だけでは知り得ないと思われる情報も豊富で、歴史や背景に対する造詣が大変深くとても勉強になっております。
私達はドイツ語が出来ないので、訪れた場所であっても、ここまでの知識を得られずjijidaruma様の記事頼りです。
今後とも勉強させていただきながら、楽しく拝読致します。
私もついつい長文になってしまい、大変失礼致しました。
- jijidarumaさん からの返信 2024/03/21 01:50:30
- RE: Re: レッタースホーフ城
- Norikoroさん、
今晩は。再度のコメントありがとうございました。
当時の事から、現在のご事情まで詳しくお伝え頂き有り難うございます。
ご主人様は海外要員として優秀なのでしょうね。2回目のドイツ駐在ゆえ、業務上も新人として勤務した最初の時と違って、多分余裕をもって公私ともご活躍されておられることでしょう。
私のjijidarumaジジダルマという名前は、大学時代の格闘技の部で主将(4年時)を務めた時、後輩達から陰で呼ばれていた名前を使用しています(苦笑)。若い頃から爺むさい=年寄りっぽい(正論ばかりの)言動をしたようで、また厳しかったからこんな名前を付けられたようです。本人としては妙に気に入っていますけどね。
何処かで書いているかもしれませんが、
ドイツ語を第二外国語でとりましたが、出席を強要される教養課程2年間のドイツ語成績は可、可でした。社内の海外要員試験では、英検2級を辛うじて取り、常識・業務上科目の数字が良かったので、合わせた点数で要員に合格し、ドイツ勤務になりました。
3ヶ月間、南ドイツのプリーンにあるゲーテ語学校に入り、どうせ難しいからと一番下のクラスに入って学んだ次第です。研修が終わって、会社で実際の業務に入ると、まず電話恐怖症になったものです。何しろ電話では会社名、氏名が何を言っているか分からない。要件の内容など とてもとても・・・でした。従って、夫婦そろってドイツ生活をするうえで、デユッセルドルフ大学の学生を家庭教師に頼んでドイツ語を学ぶこととなりました。
それで世間がちょっと広くなったようです。駐在中はいろいろ(daruma外伝!)ありましたが、幸いドイツを嫌いになることなく、定年後、ドイツ感傷旅行までするようになった次第です。因みにもう50代となった娘達2人とも新婚旅行はドイツでした。長女はデュッセルドルフ日本人学校の同期生と結婚しています。
尚、ドイツ駐在とは別に50代で香港に単身で3年3ヶ月駐在しました。香港は近いのでいろいろと助かりましたね。
4トラベルの投稿分は結構量もありますゆえ、ごゆっくりお暇な節にお立ち寄りください。そしてドイツ生活を充実されるようにご利用ください。
私には新しい読者が増えるのは、とても嬉しいことです。
デュッセルドルフ近郊にもドライブを兼ねて、立ち寄る素敵な古城ホテル、レストラン、観光地もあります。
是非、駐在生活を楽しまれますように祈っています。
jijidaruma
- Norikoroさん からの返信 2024/03/21 11:01:37
- RE: RE: Re: レッタースホーフ城
- いろいろお聞かせ下さいましてありがとうございます。
jijidaruma様のお名前は、時事通信社などにお勤めだったのかなと勝手に想像しておりましたが、全く違っていましたね。学生時代からでしたか。知ることができてなんだかすっきりしました。
ドイツ語は、ご努力、ご苦労、ご経験を通じて取得されたんですね。頭が下がります。それをお聞きすると、日々コミュニケーションに四苦八苦してはおりますが、それでもドイツ語をきちんと学ばないまま生活できてしまっているのは、jijidaruma様がいらした頃より甘えられる環境になっているということかもしれません。Duolingoですが細々と学ぶことは続けたいと思います。
ご家族の皆様もふくめて帰国されてからもドイツにご縁が深いようで、特別な場所ですね。
今は物価高騰や賃上げなどなど大きな課題を抱えているドイツですが、堅実でプラクティカルなこの国はきっと、苦しみ試行錯誤しつつも、着実に活路を見出し解決していくものと思います。そんな現代の空気も注視しつつ、jijidaruma様の思いが込められた記事の数々を大事に少しずつ読ませていただき、ドイツへの理解を深められればと思っています。
-
- sanaboさん 2016/04/12 15:45:42
- いつもありがとうござます。
- jijidarumaさん、こんにちは
蜂に刺された奥様は、本当にお気の毒でしたね。 詳細な病状やトイレに通った回数まで公開されてしまい、なおさらお気の毒な気がしました(笑)。
ご体調のすぐれない奥様を独り部屋に残していらした朝食は、お一人では食欲も出ず・・・とは、なんとも微笑ましいエピソードでした^^
お夕食も、お一人でレストランで召し上がる気分にはなれませんね。
ご夫婦愛を随所に感じられる今回の旅行記でした。
sanabo
- jijidarumaさん からの返信 2016/04/13 00:15:18
- RE: いつもありがとうござます。
- sanaboさん
いつもご投票とコメントありがとうございます。
蜂に刺された、しかもスズメバチ!家内も暑い夏の旅で疲労も重なっていたようで、余計にしんどかったようです。
以前、自宅の庭で2度やられた時はこんな風にひどくなりませんでした。
夫婦はお互いさまで、ベルギーのアルデンヌの森で私が風邪をひいた時は家内が面倒を見てくれました。2泊の古城ホテルは食事も朝・夕食こみの値段でしたが、この時は家内が一人で食事に行きました。家内も同じセリフを言っていましたが(笑)。・・・ここの食事は美味しかったと家内が言いますので、ぜひ再訪したいものです。
2泊後、まだ少し熱があった身で車を運転し(家内は運転ができない)、ルクセンブルクを経由し、ドイツに入りました。国境沿いにあった、予約していた古城ホテルに着くと、ホッとしたものです。
ともあれ、私共ももう無理がきかない年齢だということでしょうね。
jijidaruma
-
- merumoさん 2016/03/13 08:38:30
- 懐かしい!でも知らないところも…
- jijidarumaさん
おはようございます。懐かしさにまた書き込みしました…
私もバート・ホンブルグには行きました、あの宮殿のお庭にも。
でも詳しいことは知らず町をぶらぶらしただけです。
丁度黄葉がすごくきれいな頃でした。
クロンベルグ城にも行きませんでした。(泊まってないから仕方ないけど)
とても懐かしく拝見しました。
奥様のインプラントの手術の日程はもう決まったんですか?
私は怖くて静脈注射をしましたが普通の麻酔で良かったかなって思っています。
体調管理をなさって、元気にご旅行できますように…
merumo
- jijidarumaさん からの返信 2016/03/13 13:18:22
- RE: 懐かしい!でも知らないところも…、そしてインプラントの事
- merumoさん
こんにちは。早速のご投票と書き込み、ありがとうございました。
走行距離0kmの一日でしたので、行けなかった場所のバート・ホンブルグ、クロンベルグ城を追加しましたが、懐かしく思っていただいた御様子、ありがとうございました。
フランクフルトはドイツの金融大都市なので、仕事で相当数訪ねていますが、デュッセルドルフからだと日帰り出張が多く、近郊の魅力を知らずに過ぎてきました。
意外に木組みの家並みの小さな魅力的な町が多いですね。
中でも上述した二つの町は素敵ですので、黄葉の時期に再訪したいものです。
merumoさんもインプラントをされた由、私も小さい頃から唯一歯が悪くて、左上、左下、右下と3か所、6本を入れています。
3度の手術でしたが、先生は数千件の手術をしてきたとのことで、安心して任せました。ドイツの硬いパンが好物ですから、今は大変助かっています(笑)。
家内のインプラントも同じ先生ですが、まだ前段階である骨の健康度をチェック中で、手術は未定です。私と違って1か所なので、6月ぐらいにできればと考えています。何とか、秋の旅に間に合うと良いのですが・・・。
それではまた、ありがとうございました。
jijidaruma
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