2015/07/14 - 2015/07/28
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jijidarumaさん
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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937
7月19日(日) 朝方は小雨、昼頃から晴 21.5~28℃ 123km
*ドイツのBreisachブライザッハを通過し、ラインの橋を渡る。B31・415と走って、42kmでフランス・Colmarコルマールに着いた。
<Elsassアルザス地方・コルマール市内見物へ>
Colmarコルマール:
シュトラースブルクから南に70km、スイスのバーゼルとも程近いコルマールは「アルザスワイン街道」のほぼ中間に位置し、「アルザスワインの首都」と称されている。
町の歴史はイタリアとフランドルを結ぶ街道上にあったので、ワインの交易で栄えたと云う。その富の象徴が今に残り、豪商たちが建てた中世からルネッサンスに至る建物、館が旧市街に見ることが出来る。
現在ホテルとして使用されている、105の顔が建物の表面に付いた「La Maison de Te’teラ・メゾン・デュ・テット」、プティット・ヴェニーズ(小ベニス)と呼ばれる運河沿いに立つ、私共の宿泊先「Hotel Le Mare’chalル・マレシャル」がその代表だ。
写真はアルザス地方のワインの恩人Fontaine Schwendiシュヴァンディの噴水
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
1時間ほど休憩した後、15:30に旧市街見物に出た。
ホテルの美しい前景をまず写してから出発である。初めに目に入るのはホテル ル・マレシャルの前にあるレッセルマンの銅像と泉である。
1)Fontaine Roesselmann (Roesselmann?Brunnen)レッセルマン銅像と泉
ニューヨークの自由の女神の作者として知られるAuguste Bartholdiオーギュスト・バルトルディが1888年に制作したJean Roesselmannジーン・レッセルマンの銅像はコルマールの自由と独立を守って、シュトラースブルク大司教の軍と戦い、1262年に死んだレッセルマンを記念したものである。
写真はJean Roesselmannジーン・レッセルマンの銅像ホテル ル マレシャル ホテル
-
銅像の手には大きな魚を掴み、足元の四方に魚の口から水が噴き出ている。魚の意味があるかと、調べてみたが分からない。
銅像の周りは一時的な駐車場になっていて、私もここに暫時車を停めて、ホテルにチェックインの手続きをした。
写真は2015.07.19.Colmar:Jean_Roesselmann_by Frederic Auguste Bartholdi1898ニューヨークの自由の女神の作者として知られるAuguste Bartholdiオーギュスト・バルトルディの作品・レッセルマン銅像と泉。 -
写真はColmar:ニューヨークの自由の女神の作者として知られるFrederic_Auguste_Bartholdi1898オーギュスト・バルトルディの写真。
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参考;Frédéric-Auguste Bartholdiフレデリック・オーギュスト・バルトルディの美術館:
コルマール生まれの彫刻家でニューヨークの自由の女神の作者として知られ、その生家は現在記念館となっている。
写真は2015.07.19.Colmar:フレデリック・オーギュスト・バルトルディの像 -
アルザス地方は第二次世界大戦中の激戦地のひとつ*であったが、コルマールは奇跡的にも戦禍を免れ、旧市街には木組み(仏語はColombagesコロンバージュ)の家並み、古めかしさを感じる石畳の道が続き、中世からルネサンスにかけての面影が色濃く残っている。アルザス地方を代表する、美しいコルマールの人口は67千人。
http://www.colmar.fr/
*第二次世界大戦中の1945年1月20日から45年2月9日の期間に、連合国軍とドイツ軍との間で起こった「コルマールの戦い」が戦史に残る。
当時コルマールを含むアルザス・ロレーヌ地方はドイツ領であり、ライン川に架かる橋を守る重要拠点であったため、周辺には幅65km、深さ50kmにわたるドイツ軍の橋頭堡が築かれていた。激しい戦いの末、フランス第1軍とアメリカ第11軍団はドイツ第19軍団を敗走させることに成功した。
連合軍は死傷者21,000、ドイツ軍は38,000の損害(捕虜と戦死者を含む)を出した。これにより連合軍はライン川を渡ることに成功し、ドイツ領への本格侵攻を開始した。(Wiki)
写真は旧市街に -
ここからGrand’rue通りを歩いていくと、旧税関が右手にある。
ウンターリンデン美術館の方からやってきたメルヘンチックで可愛いトラムに出会う。満員の観光客が乗っている。効率的に旧市街を回っているようだが、やはり自分の足で歩きたい。
写真は可愛いトラム -
2)Koifhus (Ancienne douane ) 旧税関
15世紀の旧税関は1480年建設のゴシック様式、1575年建築のルネサンス様式の2つの異なる時代の建築様式が一緒になっている建物だ。
Grand’rue とRue des Marchandsの二つの通りが合流する場所にあり、かつてコルマールの行政・経済の中心地として、交易品にかかる税金を徴収した場所であった。 今も1階部分は休憩所や、イベントスペースとして活用されている。
カラフルな色彩、きれいなモザイク模様の独特の屋根が見られる建物で、小さな尖塔のある庇の付いた外部階段が目に付く。
写真は旧税関 -
左右に木組みの家並みを見ながら、石畳の道を進む。
写真は旧市街の家並み -
写真は巡礼者または旅の者泊めた旅籠の看板らしい。
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写真はFontaine Schwendiシュヴァンディの噴水・・・後述を参照。
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3)Eglise Protestante Saint-Matthieuサンマルタン教会
コルマールの旧市街の中心にあるゴシック建築のサンマルタン教会は黄色い壁とモザイクの屋根、高い塔が印象的でした。
シュトラースブルク大聖堂と同様にヴォージュ山脈から産出された赤色砂岩をつかった教会は1234年に建立が始められ、100年にわたり建設が続けられ、1365年に完成した。アルザス地方で最も美しいゴシック建築の一つに数えられている。
また尖塔にはコウノトリの巣があることで知られている。
教会内部も木彫りのピエタ像(十字架 から降ろされたキリストを抱く聖母マリア)、聖母子像、ステンドグラスと見事である。
写真は2015.07.19.Colmar:サンマルタン教会 -
写真は教会内部。
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写真は聖母子像。
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写真は木彫りのピエタ像(十字架 から降ろされたキリストを抱く聖母マリア)
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写真はサンマルタン教会傍の建物
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写真はウンターリンデン美術館近くの道
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4)Unterlinden-Museumウンターリンデン美術館
16:15〜45 65歳以上はEuro6X2=12(1,671円)
フランスで最も訪れる人が多い美術館のひとつにウンターリンデン美術館がある。ゴシック建築様式の美しい回廊と中庭を持ち、美術館には中世末期からルネサンス期の絵画や彫刻を中心とした展示がある。
1232年に創設されたライン神秘主義(14世紀からキリスト教内で顕著に見られるようになった観想と神秘体験に特徴をもつ宗教思想。またそれを著した説教や神学書をもいう。ライン川流域で大きな影響をもったが、ゲルマン言語圏全体に広く影響を与えた。Wiki)の本拠地であり、アルザス地方で最も大きな修道院であったドミニコ派修道院を19世紀に改修して美術館とした。
写真はウンターリンデン美術館・・イーゼンハイム祭壇画(第1面)
最も有名な作品で、聖セバスチャン(左)、キリストの磔刑(中央)、聖アントニウス(右)、下にキリスト埋葬(プレデッラ) -
数あるコレクションのなかでも中でも、後期ゴシックの巨匠と称される16世紀の代表的なドイツ人画家Matthias Gruenewaldマティアス・グリューネヴァルトの傑作「Isenheimer Altarイーゼンハイムの祭壇画」は見逃せない。
「イーゼンハイムの祭壇画」は元々コルマールの南にあるIsenheimイーゼンハイムの修道院にあったもので、衝立や開閉式の翼などに描かれた10枚から構成されている。とりわけ第1面のキリストの磔の場面が見事で、迫力のある印象が残る。
写真はウンターリンデン美術館・イーゼンハイム祭壇画(第2面)
「天使の奏楽」パネルと「キリストの降誕」 -
また、美術館にはルネサンス期のドイツ人画家の絵画、Martin Schongauerマルティン・ショーンガウアー(1448〜1491年:コルマール生まれ)の作品「Orlier Altarオルリアック祭壇画(1470年代後半)」、同作品「Altar von Martin Schongauer Maria im Rosenhag マルティン・ショーンガウアーの聖壇・バラの生垣の聖母子(1473年:この美術館で最後に見た絵画だった)や、
Lucas Cranach der Aeltereルーカス・クラナッハ(父)(1472〜1553年)の作品「Die Melancholieメランコリー (1532年)」が見られる(この美術館で最初に見た絵画だった)。
陶器や錫製品、鉄細工、家具、金銀細工などの装飾工芸品、印象派から20世紀に至る前衛的な潮流の作品も展示されていると云うが、「イーゼンハイムの祭壇画」だけで十分な気分になった。
写真はウンターリンデン美術館・イーゼンハイム祭壇画(第3面)
左から右に「聖アウグスティヌスの立像」「聖アントニウスの座像」「聖ヒエロニムスの立像」の木像 -
“イーゼンハイム祭壇画”を見たのは若い頃の1984年(前述)で、更に古い時期に1回見ている。今回は3度目になるが、もう若い頃の感興は覚えていない。
多分当時は観光に来て子供たちと一緒に見た宗教画に独特の暗さを感じただけでしょう。
今回の旅にあたり、検索してみた“イーゼンハイム祭壇画”があまりに美しく撮れていたので、こんな感じだったかなー?と思ってしまうほどでした。
写真はウンターリンデン美術館・イーゼンハイム祭壇画(第3面)
「聖アントニウスの誘惑」と「隠者パウルスを訪れる聖アントニウス」 -
写真はウンターリンデン美術館
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写真はウンターリンデン美術館
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写真はウンターリンデン美術館
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写真はウンターリンデン美術館
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写真はウンターリンデン美術館
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写真はウンターリンデン美術館
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写真はウンターリンデン美術館・ルーカス・クラナッハ(父)(1472〜1553年)の作品「Die Melancholieメランコリー(1532年)」
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写真はウンターリンデン美術館・ドイツ人画家の絵画、Martin Schongauerマルティン・ショーンガウアー(1448〜1491年:コルマール生まれ)の作品「Altar von Martin Schongauer Maria im Rosenhag マルティン・ショーンガウアーの聖壇・バラの生垣の聖母子(1473年:この美術館で最後に見た絵画だったのですが、見事なものです。)
参考:
The Isenheim Altarpiece by Matthias GRUENEWALD
https://www.youtube.com/watch?v=t1thIs7utPs
Art & Bell by Tora「イーゼンハイムの祭壇画」の説明が詳しいので作品の詳細を知りたい方は是非こちらをご参照ください。
http://cardiac.exblog.jp/19930854 -
美術館を出て、道を戻る。
写真はウンターリンデン美術館の近くの広場 -
写真はウンターリンデン美術館の近くの広場で楯?のようなもので奇妙な音楽を奏でる人。
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写真は旧税関を前方にした通り。
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5)Fontaine Schwendiシュヴァンディの噴水
旧税関を通り抜けると、周囲をカラフルな木組みの家々に囲まれた広場の中心に、神聖ローマ帝国の将軍、Lazare de Schwendiラザール・ド・シュヴァンディ男爵(1522 〜1583年)の銅像と噴水がある。
コルマールには銅像は多いが、こちらも自由の女神像を手がけたバルトルディの作品(1898 年)である。第二次世界大戦中に銅像は完全に破壊され、今は再建されたものだ。
写真はシュヴァンディの噴水と木組みの家並み -
<シュヴァンディとピノ・グリの伝来伝説>
シュヴァンディが右手に掲げるのはぶどうの苗木で、男爵はアルザスにブドウのPinot Grisピノ・グリ種をもたらした功績者と云われている。
きれいな黄金色、スモーキーなニュアンスやアプリコット、ハチミツを感じるアルザスのピノ・グリの伝来伝説がある。
このピノ・グリは1565年頃、トルコ軍との戦いでオーストリア軍に従軍していたラザール・ド・シュヴァンディ男爵がハンガリーのトカイの村から持ち込んだという有名な伝説が伝えられているのだ。
バーデン地方とアルザス(カイゼルベルグ近くのKientzheimキエンツハイムの村に男爵の城Chateau de Schwendiシュヴァンディ城があった。)に所有地があった男爵は、キエンツハイムにピノ・グリ種のぶどうを植えて増やすように命じたと云われている。
写真はColmar:Lazarus_von_Schwendiシュヴァンディの噴水、シュヴァンディが右手に掲げるのはぶどうの苗木 -
<シュベンディ家とシュヴァンディ男爵の栄誉>
シュベンディ家はOberschwaben上シュヴァーベン地方の出で、12世紀初めに騎士領主として名が歴史に登場している。
バーデン地方カイザーシュトゥールにあるブルクハイム城の歴史で1561年、Reichsfreiherr von Hohenlandsberg神聖ローマ帝国ホーエンラントベルク男爵のLazarus von Schwendiラザラス・シュベンディ(仏語でLazare de Schwendiラザール・ド・シュヴァンディのこと)が所有した時期が隆盛を誇ったようだと前述したが、シュヴァンディ男爵はKaiser Karl V.皇帝カール5世、Maximilian II.マクシミリアン2世、 そして Ferdinand I.フェルディナント1世に仕えて功のあった外交官、政治家、かつ陸軍大将・司令官でした。
1863年2月、オーストリア・ハンガリー帝国の皇帝Franz Joseph Iフランツ・ヨーゼフ1世の決裁にて、「世評に高い、後世の模範ともなるオーストリアの名誉ある指揮官、将軍」のリストにシュヴァンディ将軍が推戴された。
更に、この栄誉を称え、Heeresgeschichtliches Museumウィーン軍事史博物館の“Feldherrenhalle将軍たちのホール”にかつての将軍の身長と同じ大きさの像が納められた。像はカララ大理石を利用し、彫刻家ピーター・ルッツ(1828〜1907年)により、1867年に完成し、その像は皇帝ヨーゼフ1世自身によってホールに捧げられたと云う。
http://www.hgm.at/
写真はColmar:Lazarus_von_Schwendiシュヴァンディの絵 -
<Lazarus-von-Schwendi-Staedtebundラザラス・シュベンディ都市同盟と紋章>
ラザラス・シュベンディ都市同盟(1986年創設)の紋章はEhrenkirchenエーレンキルヒェン(フライブルクの南13kmにある人口7千人の町)の市庁舎に掲げられている。
ドイツ、フランス、ベルギーのラザラス・シュベンディと関係のある都市の同盟である。
シュベンディ男爵の居城Chateau de Schwendiシュヴァンディ城があったKientzheimキエンツハイムの村に1986年に各都市の代表が参集して、友好都市としての同盟を創立した。
都市同盟に参加する17都市は以下の通り。
ドイツ:Kirchhofen (Ehrenkirchen)、Burkheim, Triberg、Mittelbiberach und Schwendi、 alle in Baden-Wuerttemberg。
フランス:Kientzheim、Ingersheim、Logelheim、Sigolsheim、Wintzenheim、Turckheim、 Munster、Ammerschwihr、Niedermorschwihr、Katzenthal、Kaysersberg、
alle im Oberelsass。“上アルザス地方”の自治体メンバーはアルザスワイン街道を走ると、目に入る町や村である。
ベルギー: Philippeville(Festung)、in Wallonien(Provinz Namur).
写真はシュヴァンディの都市同盟(1986年創設)の紋章 -
コルマールの町で一番興味のあったウンターリンデン美術館に満足して、ブラブラと旧市街を散策しながら帰ってくると、タナー通りにあるブラッスリーつまりレストランが目に付いた。
奇妙なことに椅子や、コウノトリ、薬缶のような食器、ハートマックの飾り、極め付きは中古の自転車まで建物の壁面にぶら下がっているのだ。
店の入口に貼られたメニューを見ると、イタリア料理もある。ブルクハイムでケーキを食べただけで、ちょっと空腹を感じていたから、即、面白そうなここで食べることにした。
写真はタナー通りにあるレストラン タナーのブラッスリー -
<夕食:Brasserie des Tanneurタナーのブラッスリーで>
F-68000 Colmar 、Rue des Tanneuer 12 、
17:15〜18:15 Euro37.1+チップ2.9=40(5,569円)
店内は木組の家らしい雰囲気で、目に付くものは木だ。
少し離れた所にテラスレストランもあってか、この店内は誰もいない。
さて、ブラッスリー、当方の理解では見ての通りのレストランだが、Wikiで調べると、ドイツとの背景が浮かんできた。ブラッスリーとはフランスにおける飲食店の業態、種別で、本来の意味ではビアホールのように酒と食事を提供する店をさすと云う。
1870年からの普仏戦争(ヴィルヘルム1世のプロイセン王国とナポレオン3世のフランス帝国の戦いでプロイセンの勝利)を契機にアルザス・ロレーヌ地方からパリに移住した人々が始めた、ザワークラウトとビールを提供する店がその起源であり、もともとはパリ在住のドイツ人向けであった。
第一次大戦までは、文人や政治家など知識層が集って議論をする場といった、フランス革命期におけるカフェと同じ役割も果たしたと云う。
タナーの意味はよく分からないが、ここでは単にタナー通りにあるレストランと考えた。
写真は -
まずはビール0.5L、0.25Lをジョッキで飲む。(Euro9.7)
ビールの項がblonde de baseと請求書に書かれていたので、ビールのジョッキを意味するのかと思って翻訳にかけた。なんと“基本的な金髪の女性”と妙な訳になった。
何が美味しいか?よく分からぬままに観光客には好まれるのだろうスパゲッティ・メニューのひとつである、仏語でボロネーズsauce bolognaise(ボロネーゼ若しくはミートソース)を二人とも選んで食べた。
幸い今日の疲れが癒されるように実に美味しいものだった。(Euro9.9X2=19.8)
写真はボロネーズ -
デザートはバニラとレモンの2つ玉のアイス。(Euro7.6)
安上がりの夕食になったが、満腹、満足した。
写真はデザートはバニラとレモンの2つ玉のアイス。 -
Petite Vineseプチット・ヴニーズ:
花を飾ったバルコニーや出窓がとても美しい一角で、アルザス風の木組の家々が並ぶこの一帯は洒落た家並みが、側を流れる運河の水に映え、イタリアのヴェニスを思い浮かばせることから「プチット・ヴニーズ(小ヴェニス)」と呼ばれているそうである。
古くから、陽光きらめくイタリアへの憧れがあった所為か、ドイツにはいろんな観光地で“小ヴェニス”と言った表現がある。私には何とも奇妙なものなのだが。
運河にかかる橋からは水路を行き交うボートが見え、小さな電動モーターのついたボートは水面を滑るように進む様子は実に風情がある。
そして、ひときわ目立つのは宿泊先のホテル ル・マレシャルで、運河にかかる橋からカメラを向ける人が多い。
写真は中央のホテル ル・マレシャルをバックに。 -
18時半にホテルに帰った。入浴、資料の整理をして、明日に備えた。
旅の中間点でもあり、友人たち4名にコルマールの絵葉書を使って、旅の便りを書いた。
就寝は23時半。
写真:早いご帰還です。ほんとに狭い廊下だ。
...............................
今年は2015年の旅を掲載してきましたが、道半ばで来年に持ち越しになりました。
お立ち寄りの皆さん、ご投票、コメントを頂いた皆さん、ありがとうございました。明年も宜しくお願い致します。
良いお年をお迎えください。
jijidaruma
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この旅行記へのコメント (4)
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- frau.himmelさん 2017/12/16 21:18:33
- コルマールの戦い
- jijidarumaさん、ご無沙汰しています。
最近はjijidarumaさんの新作がないので、ちょっと寂しく感じております。
でもでもさすがのjijidarumaさんですね。
実は私の次回の旅行記はコルマールなのですが、ひよんなことから「コルマールの戦い」の痕跡を見つけまして、旅行記に挿入するためにネットで情報収集している最中でした。
そうしたら偶然ヒットしたのがjijidarumaさんのコルマール編。
やはりさすがjijidarusaさんだなーと思いました。
私この旅行記まだ拝見していなかったのですね。
コルマールの戦いだけでなく、その他のいろんなコルマールの情報を詳しく書いていらっしゃいまして、感激しております。
私の旅行記作成に参考にさせていただきたいと思っていますが、よろしいでしょうか。
いよいよ今年も残すところあと少々ですね。
明日は毎年恒例の、銀座で孫にクリスマスプレゼントを買ってあげて(強制的に)その後息子家族と食事会です。
お正月準備もありますし、主婦にとっては忙しい日が続きます。
jijidarumaさんご夫妻もお孫さんのプレゼントには悩んでいらっしゃるでしょうね。
どうかお身体に気を付けて、よいお年をお迎えください。
himmel
- jijidarumaさん からの返信 2017/12/17 18:14:44
- Re: コルマールの戦い
- himmelさん、
こんばんは。いつもありがとうございます。
コルマールの戦い等についてはご参考になれば、嬉しいですね。
アルザスは何時訪ねても素晴らしく、次回の旅行記を楽しみにしていますよ。
コルマールではトルコ軍との戦いでオーストリア軍に従軍していたシュヴァンディ男爵の事が面白かったです。
ドイツのカイザーシュトゥールの西に位置するブルクハイムの城の城主であった事、アルザスのワインの品種であるピノ・グリの伝来伝説の主人公であった事、フランツ・ヨーゼフ1世の決裁にて、「世評に高い、後世の模範ともなるオーストリアの名誉ある指揮官、将軍」のリストにシュヴァンディ将軍が推戴され、ウィーン軍事史博物館の“将軍たちのホール”にその像があるといった話、様々に繋がったのには驚きました。
2017年は結局ドイツの旅を諦めたので、ここでの旅日記掲載は一寸休業です。今は亡くなった母が残した多くの日記(十代半ばから二十代半ばまで)、手紙などに向き合っています。昭和世代の私は、明治・大正・昭和に生きた母が書いたものをスラスラと読めないのが悔しいですね。
今日は小五の孫が出場した極真空手の千葉大会(各支部対抗の団体戦)があり、応援に行ってきました。残念ながら、午前中で負けてしまったので、ドイツの駐在から帰国して入った社宅跡を訪ねてみました。
もう四十年近い昔ゆえ、住宅地に様変わりした社宅跡は全く分かりませんでしたね。
暮からお正月、何かと大変ですね。
我が家は近くの次女宅の孫3人にはチョコレート入りの日めくりカレンダーをあげ、取り寄せたシュトレン、レープクーヘンを我が家と半分にして配分しました。
気の毒なのはソウル駐在中の長女宅の孫2人です。来3月には一時帰国の予定なので、多分違った形であげることになるでしょう。
今冬は寒い様ですね。お風邪を召しませんように。
よいお年をお迎えください。
jijidaruma
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- rinnmamaさん 2016/02/12 17:51:23
- コルマール散策
- jijidarumaさん、はじめまして
コルマールの旅行記に、ご投票有難うございました。
古希との表記にびっくりの行動範囲・・私も頑張りたいと思いました(^-^)
ドイツのベテラン・トラベラーさんは、沢山いらっしゃいますがjijidarumaさんも、そのお一人なんですね〜〜
私は70歳までは、欧州を転々と旅する事にしておりまして、王道の旅ですが健康で過ごせるようでしたら、気に入った場所を再訪の予定です。
アルザスは夫も気に入ったようですので、次回はのんびりとjijidarumaさんの訪問なさった地方へも、足を伸ばしてみたいです。
ドイツも不穏な状況になってまいりましたね。
治安の心配もせずに旅が出来た時代に戻ってほしいと思います。
また、ゆっくり旅行記を拝見させて頂きたく思います。
孫がインフルエンザに罹患中です。
巷に保菌者がウロウロしているみたいですね〜〜
どうぞ、お気をつけて下さいませ。
rinnmama
- jijidarumaさん からの返信 2016/02/12 19:52:55
- コルマール散策
- rinnmamaさん
初めまして、こんばんは。
ご投票と、コメントをありがとうございました。
久しぶりにアルザス巡りをしました余韻が残り、コルマールの旅行記は気になりました。又クリスマス時期の旅ということで、更に興味深く拝見した次第です。木組みの家並みはドイツ木組み街道もあるほど、ドイツにも多いのですが、気持ちがとても落ち着き、見て回るのが楽しいですね。
お元気に街歩きをされ、視点の良い写真を多く撮られておられるので、楽しめましたよ。
61歳でロンドンに2カ月留学された由、少々驚きました。
私のドイツ語もどんどん退化していますので、旅の行程を作っていく途中で資料や見つけた伝説などをできるだけ訳すようにしています。
4Travelではドイツの伝説・民話からスタートし、様々なことを書いてきました。
ドイツの旅で始めから終わりまで掲載したのは2009年のドイツのクリスマス、そして2015年黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅です。(2015年の後述分はまだ掲載中ですが。)
その他は伝説・民話、レストラン、ケーキ、古城ホテル、ロマンチックホテルなどなどテーマは(口コミも含めて)色々です。
ドイツの旅では、バラの奇蹟で知られる聖女エリザベート、美貌で名高いオーストリア・ハンガリー帝国の皇妃エリザベート、あるいはザクセン王アウグスト強王の愛妾であったコーゼル伯爵夫人(49年間、85歳で死ぬまで幽囚された)といった女性たちに加えて、
ナチス・ドイツ抵抗運動のシンボルとなったシュタウフェンベルク伯爵についても興味を持って、その事跡を巡る事が多かったのです。今回の旅でようやく念願の地を訪れることが出来ました。
私共は72歳の夫婦で毎年レンタカーでドイツの古城めぐりをしています。
ドイツは広く、それも東西ドイツが統一されて更に広くなりました。いつまで経っても終わりそうのないものですが、私共には年一回の楽しい行事になっています。
実のところ、定年退職後65歳まで走ろうと考えていたのですが、何やら元気!なので、それが70歳になり、又又延長して75歳までなどと言い始めています(笑)。
旅はこだわってこそ、楽しみが増えますから、古城めぐりと伝説好きはまだ続くことでしょう。
ドイツも田舎はややこしいことはないものと思っています。私共はあまり大きな都市観光は好んでいないのです。
コメントありがとうございました。どうぞよろしくお願いします。
jijidaruma
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旅行記グループ 2015年ドイツの夏:黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅
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