2015/07/14 - 2015/07/28
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jijidarumaさん
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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937
<シュヴァーベン地方を行く>
7月21日(火) 晴 26~33℃ 268km
Colmarコルマール =>415・B31 32km(Breisachブライザッハ)・(Freiburgフライブルク)=>B31(Titiseeティティゼー)(Huefingenヒュフィンゲン)=>B31 101km Immendingenインメンディンゲン =>B31・B311(Tuttlingenトゥットリンゲン)=>B311・L? 53km Beuronボイロン =>L? 16km Burg Wildenstein=>L? (Sigmaringenジグマリンゲン) =>B313(Trochtelfingenトローヒテルフィンゲン)=>L? 66km Sonnenbuehl-Erpfingenゾンネンビュール・エルプフィンゲン・Romatik Hotel & Restaurant Hirschロマンチックホテル ヒルシュ
写真はフュルステンベルク侯爵家の支城の一つBurg Wildensteinビルデンシュタイン城から眺めたドナウの細流
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
*今日は8日目で、これからは東のシュヴァーベンを走り、北に戻って行く行程になる。
ぐっすり寝た翌朝は起床も6:00と早い。
写真は朝日に光り輝くロマンチックホテル ル・マレシャルホテル ル マレシャル ホテル
-
朝食7:30〜8:00は昨夜のテラスレストランで頂く。
フランスの朝食はドイツに比較すると、値段の割に全般に中身がないのが、ちょっと残念である。
写真は朝食を昨夜のテラスレストランで -
朝食後、昨日は見逃していた美しいメインレストランなどを見て回った。
8:40いったんチェックアウトし、トランクを預け、ガレージに向かう。途中、朝日に光り輝くロマンチックホテル ル・マレシャルを今一度写真に撮った。
年齢を考えれば、もうアルザスは来ないかもしれないし・・・。
写真はメインレストラン -
写真はメインレストラン
-
9:00車をガレージから出庫し、ホテルの戻り、ガレージのカギを返却し、ロビーに置いてあったトランクを引き取り、ドイツに向けて出発。
出発の際、レセプションでN先生と友人3人の航空郵便絵葉書を依頼した(チップ込みでEuro10=1,392円)。
さてうまく届くだろうか?(ドイツのホテルで送れば良かったと思ったのだが)・・・日本に帰ると、3人が1週間で届き、1人が例外的に1月かかったが、全て届いた。
写真はグルメレストラン“A l’Echevinアレシェバン” -
写真はグルメレストラン“A l’Echevinアレシェバン”
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写真はグルメレストラン“A l’Echevinアレシェバン”
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この日の予定行程は213kmだから、7月26日(日)にKelkheim (Taunus)ケルクハイム(タウヌス)からデュッセルドルフに向かう315kmに次いで長い距離だ。
フランスのアルザスから、再びライン川を渡り、まずドイツのフライブルクに向かう。相変わらず、工事中の道が多くて、フライブルクの近郊でやや迷い、ここを抜けるとB31を一気にドナウ川沿いに黒い森の南端を東に走った。
写真は部屋から写したホテルの屋根 -
国道31号線は長い山道が続く。コルマールから2時間半133kmを走ると、さすがに疲れるし、トイレタイムも必要になる。
Obere Donauドナウ上流の人口6千人の町ImmendingenインメンディンゲンのMilkanミルカンと言うスーパーに入り、トイレを貸してもらった。
ついでに空のペットボトルを戻し、保証金のEuro5.5を返金してもらった。
同時に新たにStillの水Vioを6本、ドライジンジャー(生姜)などのお土産Euro26.01(3,589円)を購入した。(11:40〜55)
同じ町のShell給油所で2回目の給油を実施した。前回が1Lは@1.319だったから、今日は安い。33.43L X@1.199=Euro40.08(5,526円)その後もさらに安くなったが。
12:05インメンディンゲンを出て、Beuronボイロンを目指す。
Tuttlingenトゥットリンゲンはこのあたりの中心の町でそこそこ大きい、“トゥットリンゲンの戦い”で知られているが、もう昼も過ぎて、先を急いだ。次はボイロンの僧院だ。
写真は2015.07.21.Tuttlingenトゥットリンゲン城と町の図_1643年
参考;Tuttlingenトゥットリンゲン
http://www.tuttlingen.de/
黒い森の東に位置するTuttlingenトゥットリンゲンはシュヴェービッシュ・アルプ街道の左の起点の町になる。ローマ時代には砦が築かれていた。ドナウ川畔に沿って発展した町の人口は現在33千人を数える中規模の都市である。
この町はとりわけ、新旧キリスト教徒で争われた三十年戦争のSchlacht bei Tuttlingenトゥットリンゲンの戦いで知られている。
戦いは1643年11月24日にフランス王国と神聖ローマ帝国・バイエルン・ロレーヌ連合軍との間で行われ、連合軍の奇襲によって冬営していたフランス軍の敗北に終わり、7千人もの捕虜をだした。
この為、フランス軍はヴュルテンベルクでのフランス軍を支えきれず、ライン川の向こうのアルザスへ撤退せざるを得なかった。だが、この撤退作戦も冬期の寒さ、空腹、脱走でフランス軍は多くの兵や武器を失うこととなった。 -
<Die Schwaebische Albstrasseシュヴェービッシュ・アルプ街道>
シュヴェービッシュ・アルプ街道は南ドイツのバーデン・ヴュルテンベルク州にあり、およそ200kmの距離を走る観光街道である。
この街道は黒い森近く、トロシンゲン音楽大学で知られたTrossingenトロシンゲンと、トロシンゲンの南東、黒い森の東に位置するTuttlingenトゥットリンゲン(三十年戦争のSchlacht bei Tuttlingenトゥットリンゲンの戦いで有名)から、南西から北東に向かって走り、最終的に二つの町AalenアアレンとNoerdlingenネルトリンゲンの町で終わる。
この街道沿いにはローマの砦のあったRoemersteinレーマーシュタイン、Neresheimネレスハイム、Heidenheim ハイデンハイム等の町がある。
(2012.05.11.編集)
XXX
写真は2015.07.21.KnopfmacherScharfeckボタン職人の岩壁の伝説の挿絵 -
トゥットリンゲンからドナウ川に沿って渓谷を行くと、ドナウ川は帯のように細く、大きく蛇行を繰り返して流れていく。Fridingen an der Donauフリディンゲン(ドナウ) とBeuronボイロンの中間に伝説の崖*があり、そこからの眺望は天下一品と云う。
*番外編:伝説“Knopfmacherfelsenボタン職人の岩壁”を参照。
人々から尊敬されていた実直なボタン職人のFidelis Martinフィデリス・マルティンは森の女性(妖精・魔女?)に案内されて、この崖から墜落した。
≪伝説・ボタン職人は岩壁から真っ暗な深い谷に落ちていきました。≫
http://4travel.jp/travelogue/11026145
写真は2015.07.21.Donautal_vom_Knopfmacherfelsenボタン職人の岩壁から見るドナウ渓谷 -
伝説の崖に気づかぬまま、人口664人の小村Beuronボイロンに着いた。
http://www.beuron.de/
写真は2015.07.21.Klosterkarte_Beuron -
写真は2015.07.21.Schloss Bronnenブロネン城
参考;Schloss Bronnenブロネン城
ドナウ川上流のボイロンの4km南にあり、岩壁上に立つ城からの眺望が良い。
12世紀にHerren von Bronnenブロネンの騎士により築城された。
16世紀の初めにHerren von Enzbergエンツベルクの騎士が所有し、その後、城主は何度か変わったが、現在、再びエンツベルク家の所有に戻り、城郭は見学不可となっている。 -
有名なKloster Beuronボイロン僧院が広大な敷地の中に立っていた。
畑の前方には特徴的な白い肌をした岩壁がむき出ているのが見える。
この景観とボイロン僧院がこの地を有名にした。
写真は2015.07.21.Kloster_Beuronボイロン僧院の俯瞰 -
駐車場から僧院に向かうと、近隣のハイキングの道や名前の付いた洞窟や岸壁、ビューポイント、古城・城址、レストラン、休憩所、駐車場を示している地図がある。
写真はドナウ川が蛇行を繰り返す様子が分かる図。 -
その看板横にはかつての巡礼者であろうか、2mほどの銅像が長い杖を持ち、帽子をかぶり、小さなマントを背に、携行カバンをさげ、厳重な脚づくりをした昔の格好で立っている。
写真はかつての巡礼者と。 -
<Kloster Beuronボイロン僧院>
13:20〜14:15 、駐車料Euro0.5(〜14:45まで)
Erzabtei St. Martin zu Beuron (正式名はボイロン聖マルティン大修道院)
D-88631 Beuron 、Abteistrasse 2
開館:月〜土8時=12時、14時=17時半
http://www.erzabtei-beuron.de/
南ドイツのSigmaringenジグマリンゲンから凡そ30km西にドナウ川をさかのぼると、ベネディクト派の大修道院がある。
海抜610mだと云う。この辺りのドナウ川は帯のように細く、蛇行を繰り返して流れ、大河ドナウの印象はない。
しかも一帯の地形は岩山が碧く、白い肌の岩壁をむき出しにした峡谷の景観が珍しい。ボイロン僧院の近くがやや平野が開け、居住空間がある。
ボイロン僧院の起源は11世紀のアウグスティヌス派の修道参事会にさかのぼるが、ベネディクト会修道院となったのは1863年のことである。
典礼改革に先駆的役割を果したが、宗教美術、数百年も伝えられてきたグレゴリオ聖歌の研究と演奏(ボイロン大修道院修士歌隊)、各種の学術研究で知られ、現在も50名ほどのの修道士が活動している。
写真はAbteikirche僧院教会(1900年)の正面 -
Abteikirche僧院教会(1900年)の正面ファサードには聖母子像の下にザンクト・マルティンの“マントの伝説”が描かれていた。
全体に改装されたのだろう。古びたイメージをもって来たが、新装なったといった感じだ。
写真はザンクト・マルティンの“マントの伝説” -
<Sankt-Martinザンクト・マルティンと“マントの伝説”について>
聖マルティヌスともいい、フランスのToursトゥール第三代司教であったことでのMartin von Toursトゥールのマルティヌス呼ばれる。聖マルティヌスの日(11月11日)。
聖マルティヌスはローマ帝国の属州パンノニア(現在のハンガリー)に生まれ、ローマ帝国での兵役に就いたのち、洗礼を受けた。修道士となったマルティヌスはポワティエ郊外にガリア地方初の修道院を建て、さらにトゥールの司教となった。
兵士の頃、雪の中で凍えていた半裸の物乞いに、自らのマントを半分裂いて与えた話は有名である。(マントの伝説)
その夜、マルティヌスの夢の中に、半分のマントをまとったイエス・キリストが現れ、こう言ったといわれる。
「まだ受洗もしていないローマの兵士マルティヌスが、私にこのマントをくれた」
この物乞いはイエス自身であったと言い伝えられている。
これが受洗のきっかけとなり、その後軍を除隊した。マルティヌスが持っていたほうの半分は、「聖マルティヌスのマント」として、フランク王国の歴代国王の礼拝堂に保管された。
その謙遜と禁欲を重視した生き方は、人々の崇拝の対象となり、偉大な聖人とたたえられた。キリスト教の聖人に殉教をせずに列聖された初めての人物であり、ヨーロッパ初の聖人でもある。フランスやドイツの守護聖人である。(Wikiを編集)
写真は2015.07.21.Der heilige Martin und der Bettler, El Greco (um 1597?1599)聖マルティヌスと物乞い・・エル・グレコの作品 -
教会内は数名の観光客が見学していたが、荘厳な雰囲気に皆静かに回っていた。
天井には壮麗なフラスコ画の宗教画、絢爛たるオルガン、イエスの主聖壇、色鮮やかで美しいGnadenkapelle慈悲の礼拝堂など、
写真はAbteikirche僧院教会・フラスコ画の宗教画 -
写真はAbteikirche僧院教会・絢爛たるオルガン
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写真はAbteikirche僧院教会・イエスの主聖壇
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写真は写真はAbteikirche僧院教会・Gnadenkapelle慈悲の礼拝堂
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僧院の購買部のような立派な店があって、宗教関係の書籍を中心に様々な商品が置かれていた。
孫娘に絵物語、来年用のカレンダー、紙ナプキンEuro56.58(7,808円)、僧院の絵葉書Euro4(557円)などを購入。
Kloster Beuron im Oberen Donautal
https://www.youtube.com/watch?v=DL6rDgO8OFs
XXX
写真は写真はAbteikirche僧院教会・Gnadenkapelle慈悲の礼拝堂 -
さて、訪問したBaden-Wuerttembergバーデン・ヴュルテンベルク州のKloster Beuronボイロン僧院と、似通っていて間違いやすいBayernバイエルン州Benediktbeuernベネディクトボイエルン修道院がある。
それで思い出したのは以下の2008年の旅で、Benediktbeuernベネディクトボイエルン:ベネディクト派僧院を訪ねている。
ついでに言うと、最近TVなどで聞く曲に『おお、運命の女神よ O Fortuna(オー・フォルトゥーナ)』は13世紀の中頃の詩歌集“Carmina Buranaカルミナ・ブラーナ”を参考にして、ドイツ人作曲家が作った世俗カンタータである。
ドイツ バイエルン州;バイエルン王国の周遊
:アルペン街道・キーム湖・ドナウ、イザール、イン川を巡る:
期間 : 2008年4月17日(木)〜5月1日(木)15日間の旅
目的地: 今春の旅はドイツ南部、バイエルン州のOberbayern高地バイエルンと呼ばれるアルプス地方とOstbayern東バイエルン地方を巡る旅である。
4.21(月) 曇り 9.5℃ 寒い1日 、 85km
*朝食後、Mittenwaldを8:30に発つ。42km走ると、二つの尖塔を持つベネディクト僧院に着いた。
Benediktbeuernベネディクトボイエルン:ベネディクト派僧院 はガイド付きで見学ができる。ドイツ人団体が出発しようとしていた時に来合せたので、切符売場の親切な女性がガイドさんに声をかけてくれて、一緒に見学することとなった。
僧院の歴史:
この修道院はバイエルン地方で最古のベネディクト派僧院として有名である。元々は725〜8年フランク王国の軍事拠点として築かれたものが起源であり、その後、739年に聖ボニファティウス(英人・ドイツのキリスト教化に努めた事から“ドイツ人の使徒”と呼ばれる。754年オランダで反キリスト教徒により殺害された。;2001年ゲーテ街道Fulda)によって、この地の院長にフランク王国の臣ラントフリートが任命され、正式に修道院が発足した。カロリンガー王朝の保護の下で、僧院は布教と農地開墾、文化育成の中心地として発展する。さらに、カール大帝(742〜814年)の仲介で入手した、聖ベネディクトの右腕を聖遺物としたことで、僧院への巡礼者が増大したという。
13世紀以降はベネディクトボイエルンと称されることとなった。955年マジャール人の侵攻、1490年の大火事、30年戦争(1618〜48年)、ペストなどで、僧院はしばしば破壊・被害をこうむったが、その都度再建され、1803年に強制的に修道院が解体されるまで、宗教・教育の中心であった。
修道院解体後は国家所有となり、軍の宿舎、刑務所、軍の療養所等に使用された。
1930年イタリアのサレジオ修道会の買収により、哲学・神学大学などを持つ、新たな宗教活動の拠点になっている。
バロック様式の修道院見学:現在の各施設は1669年の再建時のバロック様式の建物である。Wiesヴィース巡礼教会(1983年世界遺産登録)の見事な天井画でも名高いヨハン・ツィンマーマンなどが、ここでも活躍したと云う。
カルミナ・ブラーナの模写判(本物はミュンヘン国立文書館蔵)の表題部分が掲示されていた僧院の一室に行く。
1803年の修道院解体時に発見されたもので、“Carmina Buranaカルミナ・ブラーナ”は13世紀の中頃の詩歌集である。遍歴学生間で成立したと云われる、ヨーロッパ中世の世俗的な歌謡と聖歌を集めたものだそうだ。
ラテン語、中・高地ドイツ語、フランス語などで表現されており、道徳・恋愛・飲酒や遊び・宗教劇などの4部編となっていて、文化的価値がたいへん高いといわれる。
写真は2015.07.21.CarminaBuranaカルミナ・ブラーナ -
世界の民謡・童謡 HP
<Carl Orffカール・オルフ - O Fortuna ~ Carmina Buranaカルミナ・ブラーナ>
下の動画は『カルミナ・ブラーナ』の第1曲「おお、運命の女神よ」
ドイツのバイエルン州Benediktbeuernベネディクトボイエルンの修道院で発見された13世紀の写本をテキストにしています。
http://www.worldfolksong.com/classical/famous/carmina-burana.html
オルフはこの詩歌集から24曲を選んで(内1曲はオルフの自作)曲を付け、1937年7月8日にフランクフルト歌劇場で初演された。
『カルミナ・ブラーナ』の編成は、混声合唱、少年合唱、ソプラノ・テノール・バリトンのソリスト、オーケストラという大規模なもので、シンプルな和音及び強烈なリズムで聴く者を圧倒する。
楽曲中の合唱『おお、運命の女神よ O Fortuna(オー・フォルトゥーナ)』が最も有名。歌詞はラテン語で日本人にも発音しやすく歌いやすい。
日本語訳(意訳):
おお運命の女神よ
移ろう月の如く
汝は常に満ち欠けを繰り返す
情け容赦無い忌むべき世界
感情のおもむくがままに
競争 貧困 権力
氷の如く溶けていく
破滅 粗暴 虚無
揺れ動き 定まることなし
恩恵なきままに消え行くのみ
影に潜みベールに覆われ
重く圧し掛かり来る
汝の邪(よこしま)なる戯れに
今や顕わなる背後を晒すのみ
繁栄と美徳は我が身には遠く
運命の為せる業にただ従うのみ
今こそ弦を鳴らせ!
幸運により刺客は滅ぼされん
皆で哀歌を歌い上げるのだ!
(注)Carl Orffカール・オルフ(1895〜1982年)は、ドイツの作曲家。ミュンヘンに生まれ、同地で没した。
カール・オルフは作曲家としてジャンルを特定させない特異性を持っていた。彼の作風は独自のジャンルを作り出しているからである。オルフ自身は、自分の音楽劇を、しばしば『世界劇』(?Welttheater“又は ?Theatrum Mundi“) と呼んでいた。
ドイツ南部、バイエルン選帝侯領にあるBenediktbeuernベネディクトボイエルン修道院で、1803年の修道院解体時に“ラテン語:Carmina Burana”カルミナ・ブラーナが発見され、その詩歌集が基にカール・オルフが作曲した同名の世俗カンタータがある。
1937年6月8日、フランクフルト・アム・マインの市立劇場で初演された「Carmina Buranaカルミナ・ブラーナ」は大成功を修めドイツ各都市で上演された。
BGMとしての使用例:
殆どが「おお、運命の女神よ(合唱)」O Fortuna (Chorus) 部分の抜粋、例えば
ドラマ
『相棒 season5』第11話(元日SP)「バベルの塔」の冒頭にて使用。
『SP 警視庁警備部警護課第四係』第8話 (Episode0) のラストで使用。
映画
『忠臣蔵外伝 四谷怪談』1994年の松竹映画、深作欣二監督作品。オープニングテーマ、エンディングテーマとして使用されている。
『イーオン・フラックス』の予告編にて使用。
『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』にて人身御供の人から心臓を抉り出すシーンで使用。
などに使用された。(Wikiなど)
XXX
写真は緑の中に白い肌の岩壁 -
さて先に進む。ボイロン近くにはいくつかの城があり、独特の形をしたFuerstenhausフュルステンベルク侯爵家*の支城の一つBurg Wildensteinビルデンシュタイン城には是非行きたい。31℃と暑くなったボイロンを14:15にスタートした。
写真は白い岩壁。
*注記:
ボーデン湖近くのSchloss Heiligenbergハイリゲンベルク城などの十数を数える城主で、黒い森、高ライン、ボーデン湖一帯、シュヴェービッシュ-アルプ地方を支配した南ドイツ(南西部)のFuerstenhaus(Fuerstentum Fuerstenberg)フュルステンベルク侯爵家。
これと異なるが同じ名を名乗るのはBurg Schnellenbergシュネレンブルク城(Sauerland)を居城としたFreiherr von Fuerstenberg フュルステンベルク男爵家でライン・ヴェストファーレン地方の騎士貴族である。
アルンスベルク行政管区・ザワーラント地方の北部に位置するKreis Soest ゾースト地方から出た有力貴族であり、後にケルン大司教、ケルン選帝侯等を輩出している。
ドイツ最後の夜に1泊するSchloss Hugenpoetフーゲンポエト城や、Schloss Loersfeldレルスフェルト城(ケルン近郊Kerpenケルペン、ミシュラン1星のレストランがある。)など、15余の古城の所有者になっていた。 -
ジグマリンゲンに向って流れるドナウ川沿いの道を東に走る。
緑の中に白い肌の岩壁が乗り出したような景色の中を走る道はさすがドイツらしく、道も立派だ。時折、対向車と高速で追い抜いていく後続車がある。
十字架の立つ岩壁(それぞれ岩壁には名前があるようだが)が見え、15分も走ると左手の岩壁上に、高々と見上げる赤い屋根瓦のBurg Werenwagヴェレンヴァーク城が見えてきた。
写真は十字架の立つ岩壁 -
≪Burg Werenwagヴェレンヴァーク城≫ :⑬
“Perle des Oberen Donautalsドナウ川上流の真珠”と称されるヴェレンヴァーク城はドナウ川を見下ろす岩壁上に立っている。
trotziger Raubritter傲慢な(喧嘩好きな)盗賊騎士と呼ばれた当時の城主は、敵対する連中に“Wer wagt’s、an mich heran zu gehen?”「大胆にも誰が、私にあえて近づこうとしようか?」と吠えたと云う。
この伝説が城の名となっったそうだが。
Fuerstenhausフュルステンベルク侯爵家の支城の一つでり、現在も所有しているため、見学はできない。
写真は左岩壁上のBurg Werenwagヴェレンヴァーク城 -
写真はBurg Werenwagヴェレンヴァーク城の俯瞰
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ヴェレンヴァーク城の歴史:
1100年に築城され、Burg Firstフィルスト城の城主であったEdelfreien von Firstエーデルフライエンが所有した。当時の天守閣は現在も残っている。
Herren von Werenwagヴェレンヴァークの騎士領主は中世後半の頃、ホーエンツォレルン家の一族であるシュヴェービッシュのGrafen von Hohenbergホーエンベルク伯やハプスブルク家に仕えている。
1629年、Grafen von Fuerstenbergフュルステンベルク伯が取得したが、1721年には Freiherren von Ulm zu Erbachウルム・エルバッハ男爵に売却。
1830年より再びFuerstenhausフュルステンベルク侯爵家のものとなった。
写真は帰途に撮った岩壁上のBurg Werenwagヴェレンヴァーク城 -
写真はドナウ川と岩壁上のBurg Werenwagヴェレンヴァーク城
【ついでにフュルステンベルク侯爵家の城として知られるSchloss Donaueschingenドナウエッシンゲン城とドナウの源流、歌人・斎藤茂吉の歌碑について】
1723年にフュルステンベルク侯に依って建設されたドナウエッシンゲン宮殿の左手にDonauquelleドナウの泉(本家)があって、泉の傍に歌人・斎藤茂吉*(“ドナウ源流行”を著した。)の碑が立っている。
泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。
この泉から流れ出る水はBrigachブリガッハ川に注ぎ、町外れで、フルトヴァンゲンから流れ出てくるBregquelleブレーク川と合流し、此処から正式なDonauドナウ川となる。
地勢的には48km先のブレーク川源泉が正式なドナウ川源泉(元祖)と思うが、どちらの地元とも、自らの正当性を主張して譲らないそうだ。
従って、全長2840kmなのか、2888kmがドナウ川の距離なのかは、地元では決着のつかない大きな問題なのだと云う。 -
*歌人・斎藤茂吉の碑については山形県上山市のHPに下記のように出ていました。
上山市で生まれ育った歌人・斎藤茂吉は、大正11年から13年までヨーロッパに留学しました。はじめに留学したオーストリアのウィーンで見たドナウ川に、彼がこよなく愛したふるさとの母なる川「最上川」に通じる強い印象を受け、いつかドナウ川の源流を訪ねてみようと心に誓うのでした。
その後、ドイツのミュンヘン大学へ移った茂吉は大正13年4月、休暇を利用してかねて強く望んでいたドナウ川源流の地を求めて川をさか上りました。
そして、源流の地「ドナウエッシンゲン市」にたどり着いた茂吉は、同地に滞在して歌を詠み、後日、「ドナウ源流行」を綴ったのでした。
この斎藤茂吉の紀行を縁として、平成7年(1995年)3月21日、友好都市の盟約を締結しました。さらに、ドナウエッシンゲン市は、ドナウ川源流の地として知られているばかりでなく、世界的な保養地として有名な西ヨーロッパ最大の湖「ボーデン湖」や温泉保養地バーデン・バーデンに近く、数多くの観光客が訪れること。
さらに、世界的に権威のある国際馬術競技会や国際音楽祭が開催されるなど、スポーツや文化活動が盛んで、古くから温泉観光地としてにぎわってきた上山市と共通点が多いことも理由のひとつとなっています。
上山市とドナウエッシンゲン市との友好都市盟約締結5周年を記念して、2000年(平成12年)10月6日、ドナウエッシンゲン市内にある大河ドナウの源泉「ドナウの泉」に斎藤茂吉の歌碑が建立されました。
これは、両市の交流が始まるきっかけとなった斎藤茂吉の業績を顕彰し、両市の末永い友好を誓い、ドナウエッシンゲン市の協力を得て上山日独友好協会と上山市が建立したもので、茂吉の歌碑は日本全国に数多くありますが、海外では初めてのものです。日本人観光客はもちろん、世界中からの観光客が「ドナウの泉」を訪れた際、興味深く歌碑を見ていきます。
写真は2007年ドナウエッシンゲン宮殿の左手にあるDonauquelleドナウの泉(本家)。ドナウエッシンゲン:歌人・斎藤茂吉の歌碑があるドナウの泉(本家)と48km先のドナウの源泉(元祖)の争い by jijidarumaさんドナウの泉 滝・河川・湖
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写真は2007年Donauquelleドナウの泉(本家):泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。
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※歌碑に刻まれている歌(茂吉が大正13年4月にドナウ川源流で詠んだもの)
「大き河 ドナウの遠きみなもとを 尋(と)めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」
選歌と書体の指定は、ご子息の斎藤茂太氏によるものです。
なお、歌碑には歌のドイツ語訳と茂吉の業績(左下)、盟約締結5周年を記念して建立する旨(右下)のドイツ語が刻まれています
XXX
写真は2007年歌人・斎藤茂吉の碑。 -
写真は2007年ドナウ源泉(元祖)のある町Furtwangenフルトヴァンゲンの小高い丘の上にある教会。源泉はさらに3km遡る所だ。
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ここから少し行った所でドナウ川を渡り、山中に上がっていく。
すると上った先はもう平場で農村地帯になっていた。
更に迂回して、ドナウ川を眼下に望む岩壁上に立つビルデンシュタイン城に着いたのは14:45を過ぎた頃だった。
写真は独特の形をしたビルデンシュタイン城-Merian1643年の絵 -
≪Burg Wildensteinビルデンシュタイン城≫ :⑭
ビルデンシュタイン城はボイロンから東に6kmにある古城、現在はYHに使用されている。
城はドナウ川から200mの高さ、海抜810mの岩壁上に立ち、そこからの眺望はすこぶる良いとして知られている。Fuerstenhausフュルステンベルク侯爵家の支城の一つでした。
この城の城主ゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯は1536年作のWildensteiner Altarビルデンシュタイナー祭壇画で良く知られている。
この祭壇画の左にはゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯、右にGraefin Apollonia von Henneberg妻のアポロニア・ヘンネベルク伯爵夫人が、Messkirchメスキルヒェの画家(Oberschwaben上シュヴァーベン地方の町、ビルデンシュタイン城の南東15kmにある。画家の名は分かっていないが、メスキルヒェの画家としてたくさんの作品がベルリン、ロンドン、モスクワなどの美術館に展示されている。)によって見事な色彩で描かれている。
また、作者は不明だが、1538~1540年頃、城内に描かれた大きなルネサンス風壁画は花の巻きひげ(つる)と鳥をモチーフにしたものだそうだ。
写真はビルデンシュタイン城の俯瞰・・左に駐車場、右手が本丸 -
ビルデンシュタイン城の歴史:
古くは11世紀に砦があったと、ボイロン僧院の文書に残っていると云う。
ビルデンシュタイン城がHerren von Wildensteinビルデンシュタインの騎士により築城されたのは13世紀のことで、城の周辺には首飾りのように連携した、岩壁に立ついくつもの小さな城砦があったと云う。
古い名でいうと、Altwildensteinアルトビルデンシュタイン城、Unterwildensteinウンタービルデンシュタイン城、 Wildensteiner Burg Hexenturmビルデンシュタイナー・魔女の塔城、Wildensteiner Burg Hahnenkammビルデンシュタイナー・ハーネンカム城がそれらである。
城主Gottfried Werner Graf von Zimmernゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯(1484〜1554年)は1514年以来、城の強化を図り、要塞化した。
1554年当時の城郭は今も当時の姿を見せている。
写真はビルデンシュタイン城の縄張り -
ビルデンシュタイン城は実に珍しい城郭で、本丸と出城が人的に切りはなした岩の上に立っていて、橋梁で行き来できるように2つが連結している。
城郭の広さは十分にあり、幅20m、深さ20mの空堀は見事なほどに防衛上の利点を持っている。
17世紀の高名な版画家Matthaeus Merianマテウス・メーリアン(1593〜1650年)が1643年に作成したビルデンシュタイン城の版画は、このあたりの特長を実に印象付けるものになっている。
1627年、Grafen Wratislaus I. von Fuerstenbergヴラチスラウス1世・フュルステンベルク伯が所有。
1971年、フュルステンベルク侯爵家の王女TheresテレサはシュヴァーベンのYH当局に、城を150,000DMで売却した。
現在はYHになっている。城内にレストランBurgschenke Wildensteinがある。
http://www.badischewanderungen.de/Burg-Wildenstein.htm
YH Jugendherberge Burg Wildenstein
写真はBurg_Wildenstein_ca1920・Postkarteビルデンシュタイン城の郵便葉書1920年頃 -
駐車場近くには子供たちが遊ぶ草原があり、城外の角には納屋がある。駐車場からはすぐ空堀(外堀)をまたぐ第一の橋があり、そこは城門につながる。
写真はビルデンシュタイン城の入口と第一の橋 -
中に入ると長方形のWehrgangベールガング(城壁上の銃眼がある通路)があり、左に東塔、右に西塔が立っている。
写真はビルデンシュタイン城のWehrgangベールガング左 -
写真はビルデンシュタイン城のWehrgangベールガングの右側
-
写真はビルデンシュタイン城の縄張り図
-
更に第二の橋がある。ここは20mの深さという空堀(内堀)だろう。これを渡ると、Hauptbastion主たる稜堡となる。
写真はビルデンシュタイン城の第二の橋と20mの空堀 -
写真はビルデンシュタイン城の本丸への橋
-
稜堡の狭い通路を先に進むと、急に明るくなり、そこはBurghof城内で、中庭があり、周囲に赤い屋根の建物が城郭を作っている。
それらは日除けの下にテーブルや長椅子を置いたBurgschenkeブルグシェンケ、礼拝堂、YH用食堂、レセプション、WC、YHの施設などとなっている。
この時期は建物内の見学はできず、9月にならないと許可されないのだと云う。
中身は殆どないのはYHとなった古城の一般的な姿だが、仕方がないのだろう。
ともあれ、空腹を満たすことにした。
写真はビルデンシュタイン城の本丸・中庭 -
城内の見学はできなかったが、壁画や礼拝堂の聖壇画が世に知られているらしい。
作者は不明だが、1538〜1540年頃、城内に描かれた大きなルネサンス風壁画は花の巻きひげ(つる)と鳥をモチーフにしたものだそうだ。
写真はWildenstein_Wandmalereien_3ビルデンシュタイン城の壁画 -
この城の城主ゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯は1536年作のWildensteiner Altarビルデンシュタイナー祭壇画で良く知られている。
この祭壇画の左にはゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯、
右にGraefin Apollonia von Henneberg妻のアポロニア・ヘンネベルク伯爵夫人が、Messkirchメスキルヒェの画家によって見事な色彩で描かれている。
(メスキルヒェはOberschwaben上シュヴァーベン地方の町、ビルデンシュタイン城の南東15kmにある。画家の名は分かっていないが、メスキルヒェの画家としてたくさんの作品がベルリン、ロンドン、モスクワなどの美術館に展示されている。)
写真はWildenstein_Kapelle_Altarビルデンシュタイン城の礼拝堂の聖壇 -
写真はWildensteiner_Altar_linksビルデンシュタイン城の礼拝堂の聖壇の左の絵:ゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯の甲冑姿で祈る姿
-
写真はWildensteiner_Altar-rechtsビルデンシュタイン城の礼拝堂の聖壇の右の絵:Graefin Apollonia von Henneberg妻のアポロニア・ヘンネベルク伯爵夫人
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夏季シーズンで小学生たちがYH活動にやって来たらしく、中庭は騒がしい。
日除けの下で小学生たち十数人がゲームや、工作をして遊んでいた。
一人の子が蜂Wespeヴェスペ(スズメバチ)に刺されて泣きだし、付き添いの先生が慌てていた。
写真はビルデンシュタイン城の中庭で・YH活動の子供たち -
<昼食:ビルデンシュタイン城・Burgschenkeブルグシェンケで>
15:00〜15:30
レセプションと城内案内版にはあったが、要するに酒類、ジュース類、軽食、菓子類を販売する小さな場所だった。メニューを確認すると太った生きの良いおばちゃんが、ソーセージならあると言う。ビールもアルコール無しがあると言うので頼んだ。
私共も傍の長椅子に座って、昼食にした。確かに蜂が多い。食べ物やアルコールの匂いに誘われて飛んでくるので、少々落ちつかない。
そうこうしている内に蜂がビールの瓶中に落ちて、半分飲みかけを放棄することになった。バイエルンの有名なPaulanerビール0.33lX2本、パンにはさんだソーセージ2、ポテトサラダ1でEuro12(1,671円)でした。
写真はビルデンシュタイン城の中庭で昼食 -
写真はビルデンシュタイン城から見る眺望
-
写真はビルデンシュタイン城から見る眺望
-
川沿いからのビルデンシュタイン城の立ち姿を撮れずじまいだったが、ビルデンシュタイン城から細いドナウ川の眺望は眺められた。
15:50に城を出発した。
写真はビルデンシュタイン城から見る眺望 -
Sigmaringenジグマリンゲン、Trochtelfingenトローヒテルフィンゲンなどの町を経由し、田舎道を走った。途中の暑さも33℃を記録した。
結構走った気がしたものの城からの距離は66kmと少なく 、一時間半後にSonnenbuehl-Erpfingenゾンネンビュール・エルプフィンゲンの中心にあるRomatik Hotel & Restaurant Hirschロマンチックホテル ヒルシュ(鹿)には17:15に到着した。
写真はゾンネンビュールの紋章 -
鄙には稀なミシュランの1星付きレストラン、オーナーシェフが経営するホテルに2泊するのは楽しみである。
⑧⑨7月21日(火)&7月22日(水)(2泊)
Romatik Hotel & Restaurant Hirschロマンチックホテル ヒルシュ
D-72820 Sonnenbuehl-Erpfingen 、Im Dorf 12
Tel:+49(0)7128. 92 91-0 Fax:+49(0)7128. 31 21
http://www.restaurant-hotel-hirsch.de/
4星・全15室。3階の奥の部屋No.23はホテルの表側にあたり、窓から見ると道路や農家などが見えた。たいへん良くできた広い部屋で、浴室も満足なもの。
水0.5Lが2本X2日間、果物、浴用ガウン、スリッパを備え、グルメレストラン目当てのお客にだと思うが、レセプションやレストラン、それに客室も見栄えのあるもので、センスの良さを感じた。
2泊の宿泊料金はEuro272+Kurtax2=274(37,997円)
利用したArrangement“Kennenlernお試し”プランの価格は Euro225x2人=450。
写真はRomatik Hotel & Restaurant Hirschロマンチックホテル ヒルシュ(鹿) -
Reutlingenロイトリンゲンの南、人口7千人の町ゾンネンビュールの一地区Erpfingenエルプフィンゲン(海抜731m)にある4星ホテル。
静かなロケーションにあり、Familie Windhoeselヴィントヘーゼル家の家族経営のホテルである。
20年以上もミシュランの1星を維持しているFeinschmeckerrestaurantグルメレストランはゴーミョーが13点で意外と低く、ドイツランクは235位になっている。
19世紀からの歴史あるDorfstubeドルフシュツーベも魅力的である。ドルフシュツーベでは地元産のオーガニック食材を使ったシュヴァーベン料理を楽しめる。
それに朝食や夏場の夕食、昼間のカフェや軽食用にWintergartenヴィンターガルテン(温室)がある。
ホテル ヒルシュの周辺はSchwaebischen Albシュヴェービッシェ・アルプ(シュヴァーベン山脈)の北端に位置する丘陵が続き、田園地帯はハイキング、ノルディックウォーキング、サイクリングに最適だと云う。近くに鍾乳洞も見ることが出来る。
Baerenhoehleベーレンヘーレ鍾乳洞(Erpfingen)は1949年に初めて発見される。 271mの鍾乳洞には年間9万人の観光客が訪れると云う。
Nebelhoehleネーベルヘーレ鍾乳洞(Genkingen)の発見は1486年と古く、海抜780mの地に、813mの長さの内、18世紀に見学可となっている450mの鍾乳洞がある。年間45千人の観光客が訪れると云う。
Sauerlandザワーラント(Nordrhein-Westfalenノルトライン・ヴェストファーレン州)にあるハンザ都市Attendornアッテンドルンのドイツ最大級の鍾乳洞Atta-Hoehleアッタヘーレの長さ6,670mに比べると二つとも短い洞窟である。
写真はロマンチックホテル ヒルシュ(鹿)の鹿の看板 -
【ホテルのArrangement“Kennenlernお試しプラン“】
Die Leistungenサービス内容:
Die Preise値段・im DZ pro Person・? 225,00X2=450
2x Uebernachtung im Komfort-Doppelzimmer2泊、コンフォートな部屋 朝食付き
mit reichhaltigem Fruehstuecksbueffet.
1) Am Anreistag第一日:
Eine Maultaschensuppe & eine Brotzeit スープ入りマウルタッシェ(シュヴァーベン料理の名物:パスタ生地の中にひき肉・ほうれん草・パン粉・たまねぎを詰め、パセリやナツメグでフレーバーを加えている。)と軽食、
oder ein warmes Gericht aus der Stubenkarte nach Wahl in unserer "Dorfstube".
又はドルフシュツーベでの温かい料理
2) Am 2. Tag第二日:
Ein exklusives 4-Gang-Gourmet-Menue inklusive Aperitif in unserem Feinschmeckerrestaurantグルメレストランでの夕食はアペリティフ付、4品のグルメメニュー。
3) kostenlose Nutzung der "Albwiesen-Schwitzstuben"無料サウナ使用
4)Tipps und Anregungen zur Freizeitgestaltung in Sonnenbuehlレジャーのご案内
XXX
写真はロマンチックホテル ヒルシュの部屋:3階の奥の部屋No.23はホテルの表側にあたる。 -
写真はロマンチックホテル ヒルシュの部屋
-
写真はロマンチックホテル ヒルシュの浴室
-
朝食や夏場の夕食、昼間のカフェや軽食用にWintergartenヴィンターガルテン(温室)がある。
≪夕食:ロマンチックホテル ヒルシュ・Wintergartenヴィンターガルテンにて≫
19:00〜21:00 Euro139.2(19,303円)
Arrangement“Kennenlernお試し“の予約では:第一日の夕食がスープ入りマウルタッシェ(シュヴァーベン料理の名物:パスタ生地の中にひき肉・ほうれん草・パン粉・たまねぎを詰め、パセリやナツメグでフレーバーを加えている。)と軽食、
又は"Dorfstubeドルフシュツーベ"での温かい料理という事になっていた。
写真はロマンチックホテル ヒルシュのレストランWintergarten温室 -
私共の好みで、ドルフシュツーベの温かい料理を選んだ。
もっとも暑い日でもあり、庭園に向いた戸を開け放した、風通しの良いレストラン“温室!”で夕食をとった。
ホテルの客ではない、近くの滞在客らしい人たちが何組か、食事中だ。
飲み物:
Sherry Dry Euro6.2X2=12.4、0.75LのStillガスなしの水Euro6.5、そして今日のワインは無しにした。合計Euro18.9(2,621円)
料理は郷土料理の3品:Euro120.3(16,682円)
①シェフのご挨拶
生ラデッシュ。クワークやオリーブオイルをお供に。
写真はレストラン“温室!”で・シェフのご挨拶。 -
②スープ
子羊肉とネギの小口切りに挽き割麦粒入りのスープ。
写真はスープ。 -
ピンクペッパー(ベ・ローズ)の甘煮と思われる口直しが出た。大変珍しい。
写真は口直し。 -
③メイン
私がセイヨウワサビで料理された牛肉、茹でたジャガイモに白ソースかけ。
写真はメインの肉料理。 -
③メイン
家内はノロジカのラグー(煮込み)にキノコのブラウンソースかけ、パンとジャガイモのクネーデル(団子)添え。
写真はメインの肉料理。 -
④デザート
私はバニラアイスに杏の甘煮、
写真はデザート。 -
④デザート
家内はライスミルクにサクランボの甘煮。
上記の内、“Kennenlernお試し“プランは③のみが無料で②と④が有料だった。
写真はデザート。
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この旅行記へのコメント (4)
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- sanaboさん 2016/03/07 18:28:48
- "ル マレシャル" とドナウの源泉
- jijidarumaさん、こんにちは
"オテル ル マレシャル" は是非とも泊まってみたいホテルでしたが、旧市街の中心部へは車では極力入らないようにしている我が家としては、諦めざるを得ませんでした。 川沿いのレストランも素敵ですね^^
離れた場所にある駐車場の件も、jijidarumaさんだからこそ対処可能だったのだと思いました。 (このようなケースで、主人がイライラするのが目に見えています。笑)
オー・クニグスブルク城には2009年も2010年も2年連続で行けませんでしたので、拝見できて良かったです。 (フランス人にも人気のあるお城だと聞いていましたが、街歩き優先で時間が足りませんでした。)
ドナウエッシンゲンに2010年に立ち寄った際、齊藤茂吉の碑がなぜあるのかわかりませんでしたが、調べもせずに現在に至っておりました。
jijidarumaさんの旅行記を拝読し、初めて納得いたしました。
ブリガッハ川からブレーク川への合流地点が散策にも良いとのことで、行ってみたかった(←ドナウ川の始まりということで、ロマンを感じ・・・)のですが、時間が無くなり心残りとなっています。
この年はFIFAワールドカップイヤーで、ちょうどランチに入ったレストランで見られないと諦めていた日本vsカメルーン戦をやっており、食後も粘って後半戦まで見届けたためで、それはそれでよかったのですが・・・
ところで、jijidarumaさんの旅行記で拝見するお食事がいつも繊細なお料理ばかりで、ドイツ料理というとお肉の塊が出てくるというイメージが払拭されました(笑)。 選ばれるホテルやレストランの格はもちろんのこと、ドイツ料理の知識と堪能な語学力がおありになるからこそと思いつつ、拝見しています^^
今週は気温が乱高下するようですので、くれぐれもお気をつけ下さいませ。
sanabo
- jijidarumaさん からの返信 2016/03/08 12:25:58
- RE: "ル マレシャル" とドナウの源泉
- sanaboさん
こんにちは。旅行記を纏めてお読みいただきありがとうございました。
いつもながらご投票とコメントも感謝しています。
"オテル ル マレシャル"は確かに泊まる価値がありました。
狭い部屋(安いのを選んだからですが)、水のトラブルもありましたが、運河沿いの景観とテラスレストランの食事は納得しました。
駐車場の件は私もイライラしましたよ(苦笑)。慣れれば何ということも無いのですが。
アルザスは見どころも満載で、一度では見切れません。
久しぶりに行くと、既視感で走り、ナビが無いこともあって、近いはずなのに遠回りをして、時間がかかりました。
それでもオー・クニグスブルク城、ベルクハイムの面白い碑「LACK'MI」と称する浅浮き彫りは歴史探訪の好奇心を満してくれました。
また、訪れたドナウ細流沿いのフュルステンベルク侯爵家の古城群から、ドナウエッシンゲンに飛び、書き進みましたが、齊藤茂吉の碑、ドナウの源流にご興味を持っていただいて良かったです。
それと、ドイツ料理のイメージの払拭に少々貢献したようで、当方も嬉しいです(笑)。
年一回のドイツの旅(所謂、ドイツ感傷旅行)、行程を作る上でも宿泊ホテルとレストランは重要な選択肢になっています。
私共にとっては2000kmを走り、古城ホテルの泊まり、美味しい食事も楽しむのは健康であることを確認している旅なのかもしれませんね。
毎年、インフルエンザにはかかりませんが、花粉症には往生します。
朝の挨拶は大きなくしゃみが日課になっています^^。
sanaboさんは大丈夫そうですね。
それではまた。
jijidaruma
-
- Rolleiguyさん 2016/01/21 15:41:42
- ガイドブックのようです
- 素晴らしい旅行記ですね。ガイドブックとしても使いたくなるほどです。
機会があれば、私もこのルートを旅してみたいと思います。
市販のガイドブックにはない、詳細な記述と美しい写真が印象的です。
大昔にこのルートの一部だけ訪ねたことがありますが、もう一度行ってみたくなりました。
- jijidarumaさん からの返信 2016/01/21 17:55:29
- ガイドブックのようです:レンタカーでフルカ峠越え
- Rolleiguyさん
お立ち寄りとご投票、そして過分なコメントまで頂きありがとうございました。
偶々、Q&A”レンタカーで峠越え”に的確なご回答されたコメントを拝見したので、フルカ峠の旅行記に立ち寄らせてもらいました。
もうスイスは無理でしょうが、私の若い頃の旅を思い出させて頂きました。
私はドイツの古城好き、古城ホテル滞在が大好きという事で、退職後毎年訪れているのです。そして娘たちや孫たちに参考になるような旅行記を書いて楽しんでいます。
昨年はアルザスに少し足を踏み入れ、黒い森、古城街道、木組みの街道などをまた走ったのです。
ご投票いただいたドナウの細流辺りは初めてで、まだまだドイツも未知な場所があると再認識したものです。
どうぞ宜しくお願い致します。
jijidaruma
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