シュヴァルツヴァルト旅行記(ブログ) 一覧に戻る
“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” <br />オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。<br /><br />期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅<br /><br /><br />参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”<br />http://4travel.jp/travelogue/11027937<br /><br />第四日:7月17日(金)  晴 34~38℃ 188km<br />Schiltachシルタッハ=>B294 10km Wolfachヴォルファッハ=>B33・294 13km Haslachハスラッハ=>B33 18km Gengenbachゲンゲンバッハ =>B33・(Zellツェル)L?・B28 47km  Oberkirchオーバーキルヒ・Romatik Hotel Zur Oberen Lindeロマンチックホテル オーベレ・リンデ<br /><br />写真はハスラッハの黒い森民族衣装博物館で

黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅⑩さらにドイツ木組みの町々ヴォルファッハ、ハスラッハ、ゲンゲンバッハへ走る。

60いいね!

2015/07/14 - 2015/07/28

4位(同エリア130件中)

jijidaruma

jijidarumaさん

“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” 
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。

期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅


参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937

第四日:7月17日(金)  晴 34~38℃ 188km
Schiltachシルタッハ=>B294 10km Wolfachヴォルファッハ=>B33・294 13km Haslachハスラッハ=>B33 18km Gengenbachゲンゲンバッハ =>B33・(Zellツェル)L?・B28 47km  Oberkirchオーバーキルヒ・Romatik Hotel Zur Oberen Lindeロマンチックホテル オーベレ・リンデ

写真はハスラッハの黒い森民族衣装博物館で

旅行の満足度
4.5
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配
  • B294をSchiltachシルタッハから更にKinzigキンツィヒ川沿いに走ると、10kmの距離にWolfachヴォルファッハの町がある。<br /><br />8年前の2007年にはヴォルファッハの町の手前で南に向かうB33(E531)にのり、更に数kmを行き、Gutachグータッハ黒い森野外民家博物館を見学する道を取ったのです。<br /><br />Wolfachヴォルファッハ: <br />13:40〜14:05<br />http://www.wolfach.de/<br /><br />ヴォルファッハは黒い森の中央にある人口5800人の町。<br />キンツィヒ川とその支流ヴォルフ川(オオカミ川・全長30.8km)の合流点にあり、キンツィヒ川の両岸に町が発展した。<br /><br />主な見どころはHauptstrasseメイン通りにある。<br /><br />写真はHauptstrasseメイン通り

    B294をSchiltachシルタッハから更にKinzigキンツィヒ川沿いに走ると、10kmの距離にWolfachヴォルファッハの町がある。

    8年前の2007年にはヴォルファッハの町の手前で南に向かうB33(E531)にのり、更に数kmを行き、Gutachグータッハ黒い森野外民家博物館を見学する道を取ったのです。

    Wolfachヴォルファッハ: 
    13:40〜14:05
    http://www.wolfach.de/

    ヴォルファッハは黒い森の中央にある人口5800人の町。
    キンツィヒ川とその支流ヴォルフ川(オオカミ川・全長30.8km)の合流点にあり、キンツィヒ川の両岸に町が発展した。

    主な見どころはHauptstrasseメイン通りにある。

    写真はHauptstrasseメイン通り

  • ローマ皇帝Vespasianus ウェスパシアヌスが紀元73〜74年に、この地を通るOffenburgオッフェンブルクとRottweilロートバイル間に軍事道路を敷設したことで知られている。<br /><br />ヴォルファッハの名前は1084年に初めて歴史書に言及されている。<br />Herren von Wolvaヴォルヴァという騎士領主が町を作り、発展させた。特にKinzigfloessereiキンツィヒ川の木材筏流し業の拠点とした。しかし、町は1892年の最後の火事までに、度々の大火事にみまわれ、その度に再興した。今日のHauptstrasseメイン通りと横丁に挟まれた町の家並みは当時の姿を保っていると云う。<br /><br />写真は市庁舎<br /><br />Rathaus市庁舎:<br /><br />1893年の大火事の後、メイン通りの中央に新しく建てられたものである。市庁舎は中央の天辺に鐘楼があり、その下にきれいに彩られた時計、印象的な砂岩でできたファザードには地元の画家Eduard Trautweinエードアルト・トラウトヴァインのフレスコ画で、時計の左右に森の恵みを抱えた男女、3階の壁面にBollenhutボレン帽子を付けた民族衣装姿の男女3組・左右に樵と工人の男性が描かれている。<br /><br />2階のバルコニーに、花々と共に城門の壁と同じ三つの紋章が目に付く。<br />ただ、1990年〜91年にかけて、建物内部は全面的に改装されて、モダンな事務所になり、かつての1階のMarkthalleマルクト広間にはツーリスト・インフォメーションがある。<br /><br />

    ローマ皇帝Vespasianus ウェスパシアヌスが紀元73〜74年に、この地を通るOffenburgオッフェンブルクとRottweilロートバイル間に軍事道路を敷設したことで知られている。

    ヴォルファッハの名前は1084年に初めて歴史書に言及されている。
    Herren von Wolvaヴォルヴァという騎士領主が町を作り、発展させた。特にKinzigfloessereiキンツィヒ川の木材筏流し業の拠点とした。しかし、町は1892年の最後の火事までに、度々の大火事にみまわれ、その度に再興した。今日のHauptstrasseメイン通りと横丁に挟まれた町の家並みは当時の姿を保っていると云う。

    写真は市庁舎

    Rathaus市庁舎:

    1893年の大火事の後、メイン通りの中央に新しく建てられたものである。市庁舎は中央の天辺に鐘楼があり、その下にきれいに彩られた時計、印象的な砂岩でできたファザードには地元の画家Eduard Trautweinエードアルト・トラウトヴァインのフレスコ画で、時計の左右に森の恵みを抱えた男女、3階の壁面にBollenhutボレン帽子を付けた民族衣装姿の男女3組・左右に樵と工人の男性が描かれている。

    2階のバルコニーに、花々と共に城門の壁と同じ三つの紋章が目に付く。
    ただ、1990年〜91年にかけて、建物内部は全面的に改装されて、モダンな事務所になり、かつての1階のMarkthalleマルクト広間にはツーリスト・インフォメーションがある。

  • 堂々とした市民の家や市庁舎、ヴォルヴァという騎士領主の居城(ヴォルヴァはSchloessle小城と称した)は一見の価値があるとされる。<br /><br /><br />市庁舎傍の店で紙ナプキン2つを購入Euro7.5(1,044円)。<br /><br />≪Hauptstrasseメイン通りと“旗の海”≫<br /><br />Sommerschmuck - das Wolfacher Fahnenmeerヴォルファッハの旗の海は夏の宝石と形容している。ヴォルファッハメイン通りは“Fahnenmeer旗の海”になると云う。<br /><br />2000年に初めて催された夏のお祭りだそうだ。この日は市庁舎前のメイン通りを横切るような旗(右から筏流し・三つの紋章・Bollenhutボレン帽子を付けた民族衣装の姿・ヴォルファッハ城を描いた旗など:例えば運動会で見るような格好で)が何列か見られたが、とても“旗の海”とは思えなかったが・・・。<br /><br />写真は様々な旗が面白い。<br /><br />右から二つ目中央に町の紋章がある。”In Blau eine goldene Wolfsangel“青地に金のZ字・・・これはオオカミを狩る際の道具だと云う。

    堂々とした市民の家や市庁舎、ヴォルヴァという騎士領主の居城(ヴォルヴァはSchloessle小城と称した)は一見の価値があるとされる。


    市庁舎傍の店で紙ナプキン2つを購入Euro7.5(1,044円)。

    ≪Hauptstrasseメイン通りと“旗の海”≫

    Sommerschmuck - das Wolfacher Fahnenmeerヴォルファッハの旗の海は夏の宝石と形容している。ヴォルファッハメイン通りは“Fahnenmeer旗の海”になると云う。

    2000年に初めて催された夏のお祭りだそうだ。この日は市庁舎前のメイン通りを横切るような旗(右から筏流し・三つの紋章・Bollenhutボレン帽子を付けた民族衣装の姿・ヴォルファッハ城を描いた旗など:例えば運動会で見るような格好で)が何列か見られたが、とても“旗の海”とは思えなかったが・・・。

    写真は様々な旗が面白い。

    右から二つ目中央に町の紋章がある。”In Blau eine goldene Wolfsangel“青地に金のZ字・・・これはオオカミを狩る際の道具だと云う。

  • 写真はメイン通り・木組みの家並み

    写真はメイン通り・木組みの家並み

  • 写真はメイン通り・町の美しい家並み

    写真はメイン通り・町の美しい家並み

  • 写真はメイン通り・町の美しい家並み

    写真はメイン通り・町の美しい家並み

  • また、200年の長い歴史を誇るSchwaebisch-Alemannische Fastnachtシュヴェービッシュ・アレマニッシェ・ファスナハト(カーニバル)で有名だと云う。<br />尚、ドイツ語では地域により、Karnevalカーネヴァル、Faschingファシング、Fastnachtファストナハトと言う。<br /><br />写真はWolfach_Fastnachtファストナハト

    また、200年の長い歴史を誇るSchwaebisch-Alemannische Fastnachtシュヴェービッシュ・アレマニッシェ・ファスナハト(カーニバル)で有名だと云う。
    尚、ドイツ語では地域により、Karnevalカーネヴァル、Faschingファシング、Fastnachtファストナハトと言う。

    写真はWolfach_Fastnachtファストナハト

  • 写真はキンツィヒ川の木材筏流し業

    写真はキンツィヒ川の木材筏流し業

  • Unteres Tor下の門:<br />ヴォルファッハ大通りへの入口である、この門は昔の強固な堡塁の名残である。<br /><br />≪Fuerstenberger Schlossフュルステンベルク侯爵家の城≫ ⑨<br /><br />Schloss Wolfachヴォルファッハ城の城主・フュルステンベルク侯爵家は1806年まで600年もの間、この町の支配者であった。<br /><br />Landgraf Maximilian Franz von Fuerstenbergマキシミリアン・フランツ・フュルステンベルク方伯が1671年から10年をかけて、長さ110mという巨大な堅固な城郭を建てた。バーデン中央地区の城の中でも最も大きな城の一つであると云われている。<br /><br />城門の壁には1084年、1305年、1806年の年号と、其々に3つの紋章が描かれていた。即ち、1084年はヴォルファッハが初めて歴史書に言及されている年であり、1305年はフュルステンベルク家が町に自由都市権を与えた年であり、1806年はフュルステンベルク侯爵からバーデン大公に支配者が変わった年である。<br />いずれも町にとっては記念すべき、重要な年と言って良いのだろう。<br /><br />今日、建物は地方区・州の支所に利用され、城内教会も見られ、北翼一階には1964年以来、郷土博物館がある。1995年以来、かつての城の台所の場を利用して筏師と筏博物館が開館した。<br /><br />写真は現在のFuerstenberger Schlossフュルステンベルク侯爵家の城

    Unteres Tor下の門:
    ヴォルファッハ大通りへの入口である、この門は昔の強固な堡塁の名残である。

    ≪Fuerstenberger Schlossフュルステンベルク侯爵家の城≫ ⑨

    Schloss Wolfachヴォルファッハ城の城主・フュルステンベルク侯爵家は1806年まで600年もの間、この町の支配者であった。

    Landgraf Maximilian Franz von Fuerstenbergマキシミリアン・フランツ・フュルステンベルク方伯が1671年から10年をかけて、長さ110mという巨大な堅固な城郭を建てた。バーデン中央地区の城の中でも最も大きな城の一つであると云われている。

    城門の壁には1084年、1305年、1806年の年号と、其々に3つの紋章が描かれていた。即ち、1084年はヴォルファッハが初めて歴史書に言及されている年であり、1305年はフュルステンベルク家が町に自由都市権を与えた年であり、1806年はフュルステンベルク侯爵からバーデン大公に支配者が変わった年である。
    いずれも町にとっては記念すべき、重要な年と言って良いのだろう。

    今日、建物は地方区・州の支所に利用され、城内教会も見られ、北翼一階には1964年以来、郷土博物館がある。1995年以来、かつての城の台所の場を利用して筏師と筏博物館が開館した。

    写真は現在のFuerstenberger Schlossフュルステンベルク侯爵家の城

  • 黒い森、高ライン、ボーデン湖一帯、シュヴェービッシュ-アルプ地方を支配した南ドイツ(南西部)のフュルステンベルク家(Fuerstenhaus侯爵家)は当地、黒い森のSchloss Wolfachヴォルファッハ城 を始め、<br />Schloss Heiligenbergハイリゲンベルク城、<br />Schloss Donaueschingenドナウエッシンゲン城、<br />Schloss Neufraノイフラ城、<br />Schloss Trochtelfingen (Werdenberg)トローヒテルフィンゲン(ベルデンベルク)城、<br />Burg Wildenstein ビルデンシュタイン城、<br />Schloss Messkirchメスキルヒ城、<br />Schloss Hohenlupfenホーエンルプフェン城、 <br />Schloss Weitraバイトラ城(オーストリア)、<br />Burg Puerglitzピュルグリッツ(チェコ)、<br />Schloss Lahnラーン城(チェコ)、<br />Palais Fuerstenbergパレス フュルステンベルク(ウィーン)、<br />Palais Fuerstenbergパレス フュルステンベルク(プラハ)など、<br />数々の城や宮殿の主であった。<br /><br />写真はWolfach_1836年

    黒い森、高ライン、ボーデン湖一帯、シュヴェービッシュ-アルプ地方を支配した南ドイツ(南西部)のフュルステンベルク家(Fuerstenhaus侯爵家)は当地、黒い森のSchloss Wolfachヴォルファッハ城 を始め、
    Schloss Heiligenbergハイリゲンベルク城、
    Schloss Donaueschingenドナウエッシンゲン城、
    Schloss Neufraノイフラ城、
    Schloss Trochtelfingen (Werdenberg)トローヒテルフィンゲン(ベルデンベルク)城、
    Burg Wildenstein ビルデンシュタイン城、
    Schloss Messkirchメスキルヒ城、
    Schloss Hohenlupfenホーエンルプフェン城、
    Schloss Weitraバイトラ城(オーストリア)、
    Burg Puerglitzピュルグリッツ(チェコ)、
    Schloss Lahnラーン城(チェコ)、
    Palais Fuerstenbergパレス フュルステンベルク(ウィーン)、
    Palais Fuerstenbergパレス フュルステンベルク(プラハ)など、
    数々の城や宮殿の主であった。

    写真はWolfach_1836年

  • 以下に代表的な城の写真を載せた。<br /><br />写真はDonaueschingen_Schlossドナウエッシンゲン城<br /><br />1723年にフュルステンベルク侯に依って建設された宮殿の左手にDonauquelleドナウの泉(本家)があって、泉の傍に歌人・斎藤茂吉*(“ドナウ源流行”を著した。)の碑が立っている。<br /><br />泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。この泉から流れ出る水はBrigachブリガッハ川に注ぎ、町外れで、フルトヴァンゲンから流れ出てくるBregquelleブレーク川と合流し、此処から正式なDonauドナウ川となる。<br /><br />地勢的には48km先のブレーク川源泉が正式なドナウ川源泉(元祖)と思うが、どちらの地元とも、自らの正当性を主張して譲らないそうだ。<br /><br />従って、全長2840kmなのか、2888kmがドナウ川の距離なのかは、地元では決着のつかない大きな問題なのだと云う。

    以下に代表的な城の写真を載せた。

    写真はDonaueschingen_Schlossドナウエッシンゲン城

    1723年にフュルステンベルク侯に依って建設された宮殿の左手にDonauquelleドナウの泉(本家)があって、泉の傍に歌人・斎藤茂吉*(“ドナウ源流行”を著した。)の碑が立っている。

    泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。この泉から流れ出る水はBrigachブリガッハ川に注ぎ、町外れで、フルトヴァンゲンから流れ出てくるBregquelleブレーク川と合流し、此処から正式なDonauドナウ川となる。

    地勢的には48km先のブレーク川源泉が正式なドナウ川源泉(元祖)と思うが、どちらの地元とも、自らの正当性を主張して譲らないそうだ。

    従って、全長2840kmなのか、2888kmがドナウ川の距離なのかは、地元では決着のつかない大きな問題なのだと云う。

  • *山形県上山市のHPに下記のように出ていました。<br />上山市で生まれ育った歌人・斎藤茂吉は、大正11年から13年までヨーロッパに留学しました。はじめに留学したオーストリアのウィーンで見たドナウ川に、彼がこよなく愛したふるさとの母なる川「最上川」に通じる強い印象を受け、いつかドナウ川の源流を訪ねてみようと心に誓うのでした。<br />その後、ドイツのミュンヘン大学へ移った茂吉は大正13年4月、休暇を利用してかねて強く望んでいたドナウ川源流の地を求めて川をさか上りました。そして、源流の地「ドナウエッシンゲン市」にたどり着いた茂吉は、同地に滞在して歌を詠み、後日、「ドナウ源流行」を綴ったのでした。<br /><br />この斎藤茂吉の紀行を縁として、平成7年(1995年)3月21日、友好都市の盟約を締結しました。さらに、ドナウエッシンゲン市は、ドナウ川源流の地として知られているばかりでなく、世界的な保養地として有名な西ヨーロッパ最大の湖「ボーデン湖」や温泉保養地バーデン・バーデンに近く、数多くの観光客が訪れること。<br />さらに、世界的に権威のある国際馬術競技会や国際音楽祭が開催されるなど、スポーツや文化活動が盛んで、古くから温泉観光地としてにぎわってきた上山市と共通点が多いことも理由のひとつとなっています。<br /><br />上山市とドナウエッシンゲン市との友好都市盟約締結5周年を記念して、2000年(平成12年)10月6日、ドナウエッシンゲン市内にある大河ドナウの源泉「ドナウの泉」に斎藤茂吉の歌碑が建立されました。<br />これは、両市の交流が始まるきっかけとなった斎藤茂吉の業績を顕彰し、両市の末永い友好を誓い、ドナウエッシンゲン市の協力を得て上山日独友好協会と上山市が建立したもので、茂吉の歌碑は日本全国に数多くありますが、海外では初めてのものです。日本人観光客はもちろん、世界中からの観光客が「ドナウの泉」を訪れた際、興味深く歌碑を見ていきます。<br /><br />写真はDonauquelleドナウの泉(本家)

    *山形県上山市のHPに下記のように出ていました。
    上山市で生まれ育った歌人・斎藤茂吉は、大正11年から13年までヨーロッパに留学しました。はじめに留学したオーストリアのウィーンで見たドナウ川に、彼がこよなく愛したふるさとの母なる川「最上川」に通じる強い印象を受け、いつかドナウ川の源流を訪ねてみようと心に誓うのでした。
    その後、ドイツのミュンヘン大学へ移った茂吉は大正13年4月、休暇を利用してかねて強く望んでいたドナウ川源流の地を求めて川をさか上りました。そして、源流の地「ドナウエッシンゲン市」にたどり着いた茂吉は、同地に滞在して歌を詠み、後日、「ドナウ源流行」を綴ったのでした。

    この斎藤茂吉の紀行を縁として、平成7年(1995年)3月21日、友好都市の盟約を締結しました。さらに、ドナウエッシンゲン市は、ドナウ川源流の地として知られているばかりでなく、世界的な保養地として有名な西ヨーロッパ最大の湖「ボーデン湖」や温泉保養地バーデン・バーデンに近く、数多くの観光客が訪れること。
    さらに、世界的に権威のある国際馬術競技会や国際音楽祭が開催されるなど、スポーツや文化活動が盛んで、古くから温泉観光地としてにぎわってきた上山市と共通点が多いことも理由のひとつとなっています。

    上山市とドナウエッシンゲン市との友好都市盟約締結5周年を記念して、2000年(平成12年)10月6日、ドナウエッシンゲン市内にある大河ドナウの源泉「ドナウの泉」に斎藤茂吉の歌碑が建立されました。
    これは、両市の交流が始まるきっかけとなった斎藤茂吉の業績を顕彰し、両市の末永い友好を誓い、ドナウエッシンゲン市の協力を得て上山日独友好協会と上山市が建立したもので、茂吉の歌碑は日本全国に数多くありますが、海外では初めてのものです。日本人観光客はもちろん、世界中からの観光客が「ドナウの泉」を訪れた際、興味深く歌碑を見ていきます。

    写真はDonauquelleドナウの泉(本家)

  • ※歌碑に刻まれている歌(茂吉が大正13年4月にドナウ川源流で詠んだもの)<br /><br />「大き河 ドナウの遠きみなもとを 尋(と)めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」<br />選歌と書体の指定は、ご子息の斎藤茂太氏によるものです。<br /><br />なお、歌碑には歌のドイツ語訳と茂吉の業績(左下)、盟約締結5周年を記念して建立する旨(右下)のドイツ語が刻まれています。<br /><br />XXX<br /><br />写真は歌人・斎藤茂吉の碑

    ※歌碑に刻まれている歌(茂吉が大正13年4月にドナウ川源流で詠んだもの)

    「大き河 ドナウの遠きみなもとを 尋(と)めつつぞ来て 谷のゆふぐれ」
    選歌と書体の指定は、ご子息の斎藤茂太氏によるものです。

    なお、歌碑には歌のドイツ語訳と茂吉の業績(左下)、盟約締結5周年を記念して建立する旨(右下)のドイツ語が刻まれています。

    XXX

    写真は歌人・斎藤茂吉の碑

  • 写真はDonauquelleドナウの泉(本家)<br /><br />泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。<br />

    写真はDonauquelleドナウの泉(本家)

    泉の水はきれいなもので、藻が生えているが、いろんな場所から水を噴出しているのが良く分かる。

  • 写真はSchloss Heiligenbergハイリゲンベルク城と遠くに見えるボーデン湖<br /><br />2007年に“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”でシュヴァーベン地方の城巡りをしたが、ボーデン湖近くのSalemザレムから11km走ると、最初の城ハイリゲンベルグ城が緑の丘の上に堂々とした姿で立っていた。<br />“ルネッサンスの宝石”と謳われる、素晴らしい城のようだったが、残念ながら城の前を通過するだけになった。狭い登りの山道が城まで長く続き、大変であった。<br />

    写真はSchloss Heiligenbergハイリゲンベルク城と遠くに見えるボーデン湖

    2007年に“ドイツ 南西部・黒い森とボーデン湖・シュヴァーベン地方の旅”でシュヴァーベン地方の城巡りをしたが、ボーデン湖近くのSalemザレムから11km走ると、最初の城ハイリゲンベルグ城が緑の丘の上に堂々とした姿で立っていた。
    “ルネッサンスの宝石”と謳われる、素晴らしい城のようだったが、残念ながら城の前を通過するだけになった。狭い登りの山道が城まで長く続き、大変であった。

  • 写真はWolfach:Schloss Messkirchメスキルヒ城

    写真はWolfach:Schloss Messkirchメスキルヒ城

  • ドナウの泉から流れ出た細流は黒い森の南端を東に流れ、TuttlingenトゥットリンゲンからKloster Beuronボイロン修道院を経て、ドナウ川沿いに見える断崖上のBurg Wildensteinビルデンシュタイン城に至るのだ。(この城は<br /><br />写真はWolfach:Burg Wildensteinビルデンシュタイン城<br /><br />ボイロンから東に6km 。古くは11世紀の築城。16世紀の領主Gottfried Werner Graf von Zimmernゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯が知られている。<br /><br />現在はYHになっている。城内にレストランBurgschenke Wildensteinがあり、海抜810m、ドナウ川から200mの高さの岩壁上に立ち、そこからの眺望が良い。<br />フュルステンベルク家(Fuerstenhaus侯爵家)の支城の一つであった。<br />

    ドナウの泉から流れ出た細流は黒い森の南端を東に流れ、TuttlingenトゥットリンゲンからKloster Beuronボイロン修道院を経て、ドナウ川沿いに見える断崖上のBurg Wildensteinビルデンシュタイン城に至るのだ。(この城は

    写真はWolfach:Burg Wildensteinビルデンシュタイン城

    ボイロンから東に6km 。古くは11世紀の築城。16世紀の領主Gottfried Werner Graf von Zimmernゴットフリード・ベルナー・チンメリン伯が知られている。

    現在はYHになっている。城内にレストランBurgschenke Wildensteinがあり、海抜810m、ドナウ川から200mの高さの岩壁上に立ち、そこからの眺望が良い。
    フュルステンベルク家(Fuerstenhaus侯爵家)の支城の一つであった。

  • 写真はWolfach:Schloss Lahnラーン城(チェコ)

    写真はWolfach:Schloss Lahnラーン城(チェコ)

  • 写真はWolfach:Schloss Weitraバイトラ城(オーストリア)<br /><br />ついでに言えば、<br />フュルステンベルク家(Fuerstenhaus侯爵家)とは異なる家系に、 Freiherr von Fuerstenberg フュルステンベルク男爵家がある。<br /><br />ドイツ最後の宿泊をする古城ホテル フーゲンポエト城の現在のオーナーであるMaximilian Freiherr von Fuerstenberg マキシミリアン・フュルステンベルク男爵の男爵家はライン・ヴェストファーレン地方の騎士貴族である。<br /><br />1295年に初めて歴史書で言及されるが、ノルトライン・ヴェストファーレン州のアルンスベルク行政管区・ザワーラント地方の北部に位置するKreis Soest ゾースト地方から出た有力貴族であり、後にケルン大司教、ケルン選帝侯等を輩出している。<br />

    写真はWolfach:Schloss Weitraバイトラ城(オーストリア)

    ついでに言えば、
    フュルステンベルク家(Fuerstenhaus侯爵家)とは異なる家系に、 Freiherr von Fuerstenberg フュルステンベルク男爵家がある。

    ドイツ最後の宿泊をする古城ホテル フーゲンポエト城の現在のオーナーであるMaximilian Freiherr von Fuerstenberg マキシミリアン・フュルステンベルク男爵の男爵家はライン・ヴェストファーレン地方の騎士貴族である。

    1295年に初めて歴史書で言及されるが、ノルトライン・ヴェストファーレン州のアルンスベルク行政管区・ザワーラント地方の北部に位置するKreis Soest ゾースト地方から出た有力貴族であり、後にケルン大司教、ケルン選帝侯等を輩出している。

  • この日はB294をさらに西へ走る。順にHausachハウスァッハ、Haslachハスラッハとなる。二つは似たような名で間違いやすい名前だが、距離13kmで黒い森民族衣装博物館の町・ハスラッハに到着した。<br /><br />Haslach im Kinzigtalハスラッハ(キンツィヒ川): <br />14:35〜15:15<br />http://www.haslach.de/<br /><br />キンツィヒ川に沿ったローマ時代からの古い町は人口7千人の小さな町。<br />この町も木組み建築街道に属し、フライブルクの町から南に38kmの距離にある。<br />1278年に帝国都市権を与えられ、特に銀鉱山の採掘で町はうるおい、17世紀にはさらに商業が発展し、地域の中心になっていった。<br /><br />当時のマルクト通りの住居・手工業横丁などの様子は今も残り、バロック風の木組み建築の家並みが美しい、絵画的な旧市街である。<br /><br />特徴的なボレン帽子を付けた黒い森の民族衣装を展示した博物館が今日一番の目的だ。<br /><br />写真は黒い森と上ライン川地域の民族衣装の分布図

    この日はB294をさらに西へ走る。順にHausachハウスァッハ、Haslachハスラッハとなる。二つは似たような名で間違いやすい名前だが、距離13kmで黒い森民族衣装博物館の町・ハスラッハに到着した。

    Haslach im Kinzigtalハスラッハ(キンツィヒ川): 
    14:35〜15:15
    http://www.haslach.de/

    キンツィヒ川に沿ったローマ時代からの古い町は人口7千人の小さな町。
    この町も木組み建築街道に属し、フライブルクの町から南に38kmの距離にある。
    1278年に帝国都市権を与えられ、特に銀鉱山の採掘で町はうるおい、17世紀にはさらに商業が発展し、地域の中心になっていった。

    当時のマルクト通りの住居・手工業横丁などの様子は今も残り、バロック風の木組み建築の家並みが美しい、絵画的な旧市街である。

    特徴的なボレン帽子を付けた黒い森の民族衣装を展示した博物館が今日一番の目的だ。

    写真は黒い森と上ライン川地域の民族衣装の分布図

  • Kapuzinerkloster Haslachハスラッハ・カプチン修道院:<br /> D-77716 Haslach 、Klosterstrasse1<br />Graf Christoph II. von Fuerstenbergクリストフ2世・フュルステンベルク伯の建設指示により1630〜32年に完成した。<br />http://www.kloester-bw.de/kloster1.php?nr=396<br /><br />写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    Kapuzinerkloster Haslachハスラッハ・カプチン修道院:
    D-77716 Haslach 、Klosterstrasse1
    Graf Christoph II. von Fuerstenbergクリストフ2世・フュルステンベルク伯の建設指示により1630〜32年に完成した。
    http://www.kloester-bw.de/kloster1.php?nr=396

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • Schwarzwaelder Trachtenmuseum黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内):<br />D-77716 Haslach 、Im Alten Kapuzinerkloster<br /><br />1980年開館。火〜土10時〜12時半、13時半〜17時、入場料Euro3(418円)<br />http://www.trachtenmuseum-haslach.de.vu/<br />http://www.zum.de/Faecher/G/BW/Landeskunde/rhein/volkskunde/trachten/haslachfr.htm<br /><br />この博物館は1630〜32年に建設されたハスラッハ・カプチン修道院を改装した建物を利用して、1980年に開館したものである。<br />博物館には黒い森と上ライン川地域から集められたもので、最も貴重な民族衣装の100以上が地域別に個室(かつての修道士の部屋と思われる小さな部屋)に展示されていた。<br /><br />写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    Schwarzwaelder Trachtenmuseum黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内):
    D-77716 Haslach 、Im Alten Kapuzinerkloster

    1980年開館。火〜土10時〜12時半、13時半〜17時、入場料Euro3(418円)
    http://www.trachtenmuseum-haslach.de.vu/
    http://www.zum.de/Faecher/G/BW/Landeskunde/rhein/volkskunde/trachten/haslachfr.htm

    この博物館は1630〜32年に建設されたハスラッハ・カプチン修道院を改装した建物を利用して、1980年に開館したものである。
    博物館には黒い森と上ライン川地域から集められたもので、最も貴重な民族衣装の100以上が地域別に個室(かつての修道士の部屋と思われる小さな部屋)に展示されていた。

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハト

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハト

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハト

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハト

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハト

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハト

  • 写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハトあるいは森の小人?

    写真は黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示・Fastnachtファストナハトあるいは森の小人?

  • 写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Goller婦人用のショールのように広い襟<br />黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Goller婦人用のショールのように広い襟
    黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • また、Brautkronen婚礼の冠、Haubenボンネット(夫人・子供の帽子)とHueten帽子(男性用)の貴重なオリジナルコレクションもすごい。<br /><br />写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Haubenボンネット(夫人・子供の帽子)とHueten帽子(男性用)の帽子<br />黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    また、Brautkronen婚礼の冠、Haubenボンネット(夫人・子供の帽子)とHueten帽子(男性用)の貴重なオリジナルコレクションもすごい。

    写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Haubenボンネット(夫人・子供の帽子)とHueten帽子(男性用)の帽子
    黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Kappenヘリの無い帽子<br />黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Kappenヘリの無い帽子
    黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Schaeppel若い婦人用の髪飾り<br />黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum:Schaeppel若い婦人用の髪飾り
    黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 民族衣装は独特のもので、鮮やかな赤い玉(未婚の女性は赤・既婚者は黒)を十数個帽子上に飾り(独語でBollenhutボレン帽子と言う。英語ではPompon Hat玉房で飾った帽子)、真っ白のブラウスに、小花模様のビロードのベスト、黒の前掛けを付けたスカートの民族衣装は素晴らしいもので、とりわけ若い娘さんたちはチャーミングである。<br /><br />今もって、結婚式や、毎年秋口の収穫祭に行われる祭りで、この民族衣装で着飾った老若男女たちを見られるようだ。<br /><br />写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

    民族衣装は独特のもので、鮮やかな赤い玉(未婚の女性は赤・既婚者は黒)を十数個帽子上に飾り(独語でBollenhutボレン帽子と言う。英語ではPompon Hat玉房で飾った帽子)、真っ白のブラウスに、小花模様のビロードのベスト、黒の前掛けを付けたスカートの民族衣装は素晴らしいもので、とりわけ若い娘さんたちはチャーミングである。

    今もって、結婚式や、毎年秋口の収穫祭に行われる祭りで、この民族衣装で着飾った老若男女たちを見られるようだ。

    写真はSchwarzwaelder Trachtenmuseum黒い森民族衣装博物館(ハスラッハ修道院内)の展示

  • 以下は参考までに:<br />Haslacher Fasentハスラッハー・ファセント:<br /> <br />ハスラッハー・ファセントはSchwaebisch-Alemannische Fastnachtシュヴェービッシュ・アレマニッシェ・ファスナハトの一つ。<br />起源は中世に遡るものだが、歴史書に残ってはいない。<br /><br />1543年、時の支配者であったGraf Wilhelm von Fuerstenbergヴィルヘルム・フュルステンベルク伯により開催を禁止されていたが、18世紀に定期的開催が再開されたという。<br /><br />写真はHaslacher Fasentハスラッハー・ファセントの泉(Ranzengardist背のうを背負った近衛兵のファスナハト噴水)<br />

    以下は参考までに:
    Haslacher Fasentハスラッハー・ファセント:

    ハスラッハー・ファセントはSchwaebisch-Alemannische Fastnachtシュヴェービッシュ・アレマニッシェ・ファスナハトの一つ。
    起源は中世に遡るものだが、歴史書に残ってはいない。

    1543年、時の支配者であったGraf Wilhelm von Fuerstenbergヴィルヘルム・フュルステンベルク伯により開催を禁止されていたが、18世紀に定期的開催が再開されたという。

    写真はHaslacher Fasentハスラッハー・ファセントの泉(Ranzengardist背のうを背負った近衛兵のファスナハト噴水)

  • Storchentagコウノトリの日:<br /><br />毎年2月22日にハスラッハの町ではコウノトリの日が催される。<br />この日、町中を児童・幼児たちの一群が黒いシルクハットを被りボール紙で作った2つのコウノトリを頭に載せたStorchenvaterコウノトリののパパの後ろに続きます。<br />”Heraus, Heraus!“へラウス(出てこい!・・投げて投げて!)と家々に向かって大声で叫び、町の人たちからお菓子や、果物、プレッツェルなどを、窓やバルコニーから投げてもらうのです。<br /><br />(伝承されてきたコウノトリの日の催しは17世紀の半ばに始まったと云う。ドイツのカーニバルや聖ニコラスス祭の時に、子供たちがお菓子や飴を頂くのに似ている。)<br /><br />写真はHaslach_Wandbild_Storchentag壁絵コウノトリの日

    Storchentagコウノトリの日:

    毎年2月22日にハスラッハの町ではコウノトリの日が催される。
    この日、町中を児童・幼児たちの一群が黒いシルクハットを被りボール紙で作った2つのコウノトリを頭に載せたStorchenvaterコウノトリののパパの後ろに続きます。
    ”Heraus, Heraus!“へラウス(出てこい!・・投げて投げて!)と家々に向かって大声で叫び、町の人たちからお菓子や、果物、プレッツェルなどを、窓やバルコニーから投げてもらうのです。

    (伝承されてきたコウノトリの日の催しは17世紀の半ばに始まったと云う。ドイツのカーニバルや聖ニコラスス祭の時に、子供たちがお菓子や飴を頂くのに似ている。)

    写真はHaslach_Wandbild_Storchentag壁絵コウノトリの日

  • Bergwerk “Segen Gottes” “神の祝福”・銀鉱山見学:<br />Silberbergweg<br /><br />“神の祝福”と称されている銀の鉱山は13世紀に初めて、歴史書に言及されているが、多分もっと古くからのものと思われる。<br /><br />鉱山は18世紀に閉山していたが、1997年、ハスラッハの町は中世の銀鉱山見学ができるようにトンネル等の整備をして再開した。<br /><br />写真はHalslach :Der Freihof in Haslach, Hansjakobmuseumフライホフ博物館

    Bergwerk “Segen Gottes” “神の祝福”・銀鉱山見学:
    Silberbergweg

    “神の祝福”と称されている銀の鉱山は13世紀に初めて、歴史書に言及されているが、多分もっと古くからのものと思われる。

    鉱山は18世紀に閉山していたが、1997年、ハスラッハの町は中世の銀鉱山見学ができるようにトンネル等の整備をして再開した。

    写真はHalslach :Der Freihof in Haslach, Hansjakobmuseumフライホフ博物館

  • Museum Freihofフライホフ博物館:<br />Hansjakobstrasse 17<br /><br />フライホフ博物館はDr. Heinrich Hansjakob ハインリヒ・ハンスヤーコプ博士(1837〜1916年)の事績を紹介する博物館です。彼はこの町のパン屋の息子に生まれ、聖職者、バーデン地方の郷土作家、郷土史家、政治家として活躍した。<br /><br />彼は1869年、Hagnauハグナウ(ボーデン湖)のカトリック聖職者となり、1881年には初のバーデンワインのHagnauer Winzervereinハグナウ醸造協同組合(現在、60の醸造所が加盟し、加盟者が栽培するブドウ畑は広大な150haに及んでいる。)を設立した企業人であり、カールスルーエのバーデン国会で10年も活躍した政治家であったが、作家としても様々な分野で70冊以上の著作を出している。<br /><br />写真はHaslach_Heinrich_Hansjakob_1907ハインリヒ・ハンスヤーコプ博士1907年の写真

    Museum Freihofフライホフ博物館:
    Hansjakobstrasse 17

    フライホフ博物館はDr. Heinrich Hansjakob ハインリヒ・ハンスヤーコプ博士(1837〜1916年)の事績を紹介する博物館です。彼はこの町のパン屋の息子に生まれ、聖職者、バーデン地方の郷土作家、郷土史家、政治家として活躍した。

    彼は1869年、Hagnauハグナウ(ボーデン湖)のカトリック聖職者となり、1881年には初のバーデンワインのHagnauer Winzervereinハグナウ醸造協同組合(現在、60の醸造所が加盟し、加盟者が栽培するブドウ畑は広大な150haに及んでいる。)を設立した企業人であり、カールスルーエのバーデン国会で10年も活躍した政治家であったが、作家としても様々な分野で70冊以上の著作を出している。

    写真はHaslach_Heinrich_Hansjakob_1907ハインリヒ・ハンスヤーコプ博士1907年の写真

  • 写真はHaslach_(Kinzigtal)_Rathaus市庁舎周辺

    写真はHaslach_(Kinzigtal)_Rathaus市庁舎周辺

  • ハスラッハの町から向かうのは18km先のGengenbachゲンゲンバッハである。<br /><br />この町の事は以前から気になっていた。2009年にドイツのクリスマスを見に行ったが、その際、ニュルンベルクの北40kmにあるForchheimフォルヒハイムを訪れたが、その時以来の宿題だったゲンゲンバッハの訪問である。<br /><br />尤も今はクリスマス時期ではない。。<br /><br />写真はゲンゲンバッハの市庁舎

    ハスラッハの町から向かうのは18km先のGengenbachゲンゲンバッハである。

    この町の事は以前から気になっていた。2009年にドイツのクリスマスを見に行ったが、その際、ニュルンベルクの北40kmにあるForchheimフォルヒハイムを訪れたが、その時以来の宿題だったゲンゲンバッハの訪問である。

    尤も今はクリスマス時期ではない。。

    写真はゲンゲンバッハの市庁舎

  • 2009年にドイツのクリスマスを見に行ったが、その際、ニュルンベルクの北40kmにあるForchheimフォルヒハイムを訪れた。残念だったのはまだ明るい時間だったことだ。<br />http://www.forchheim.de/<br /><br />フォルヒハイムの市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』を是非見たいと思ったからで、それも春の旅でたまたまフォルヒハイムのHPを読んで、分かったものでした。<br /><br />ドイツの小さな町で行われているクリスマスに、こうした姿のアドベントカレンダーがあるのは、あまり知られていない。これを最初に考え、始めた人・町はスゴイことで、世の中には知恵者がいるものだ。<br />調べてみると、フォルヒハイム以外に3つの町があった。<br /><br />写真はフォルヒハイムの市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』

    2009年にドイツのクリスマスを見に行ったが、その際、ニュルンベルクの北40kmにあるForchheimフォルヒハイムを訪れた。残念だったのはまだ明るい時間だったことだ。
    http://www.forchheim.de/

    フォルヒハイムの市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』を是非見たいと思ったからで、それも春の旅でたまたまフォルヒハイムのHPを読んで、分かったものでした。

    ドイツの小さな町で行われているクリスマスに、こうした姿のアドベントカレンダーがあるのは、あまり知られていない。これを最初に考え、始めた人・町はスゴイことで、世の中には知恵者がいるものだ。
    調べてみると、フォルヒハイム以外に3つの町があった。

    写真はフォルヒハイムの市庁舎に掲げられる『世界で最も美しいアドベントカレンダー』

  • 写真はForchheimフォルヒハイムのアドベントカレンダー

    写真はForchheimフォルヒハイムのアドベントカレンダー

  • 写真はForchheimフォルヒハイムのアドベントカレンダー

    写真はForchheimフォルヒハイムのアドベントカレンダー

  • Gengenbach・Rathaus市庁舎のアドベントカレンダー;<br />http://www.stadt-gengenbach.de/<br /><br />ゲンゲンバッハの町は黒い森の西に位置し、Offenburgオッフェンブルクの町から約20km南東の山間にある。<br /><br />黒い森には何度か出かけているが、この町を訪れた事は無い。かつての帝国自由都市の名残のある、木組み建築の家並みやマルクト広場を中心に立つ市庁舎など、たいへん魅力的な町のようだ。<br /><br />写真はゲンゲンバッハ市庁舎のアドベントカレンダー<br />

    Gengenbach・Rathaus市庁舎のアドベントカレンダー;
    http://www.stadt-gengenbach.de/

    ゲンゲンバッハの町は黒い森の西に位置し、Offenburgオッフェンブルクの町から約20km南東の山間にある。

    黒い森には何度か出かけているが、この町を訪れた事は無い。かつての帝国自由都市の名残のある、木組み建築の家並みやマルクト広場を中心に立つ市庁舎など、たいへん魅力的な町のようだ。

    写真はゲンゲンバッハ市庁舎のアドベントカレンダー

  • Huenfeld ・Rathaus市庁舎のアドベントカレンダー ;<br /><br />フェンフェルトの町は調べてみると、ドイツ・ゲーテ街道と言う観光街道にそった宗教都市Fuldaフルダの町から、北に凡そ20kmにある。ドイツの観光案内書にも出てこない町です。<br /><br />写真は番外:Adventskalender・Rathaus Huenfeld

    Huenfeld ・Rathaus市庁舎のアドベントカレンダー ;

    フェンフェルトの町は調べてみると、ドイツ・ゲーテ街道と言う観光街道にそった宗教都市Fuldaフルダの町から、北に凡そ20kmにある。ドイツの観光案内書にも出てこない町です。

    写真は番外:Adventskalender・Rathaus Huenfeld

  • Giessen・Wallenfels’schen Hausのアドベントカレンダー; <br />http://www.giessen.de/<br /><br />ギーセンの町はフランクフルトの北70kmにある木組み建築や大学のある町です。かつてレントゲン教授が教鞭もとったとか・・・。2005年に一度訪ねた事がある。<br /><br />写真は番外:Adventskalender・Wallenfels’schen Haus in Giessen

    Giessen・Wallenfels’schen Hausのアドベントカレンダー; 
    http://www.giessen.de/

    ギーセンの町はフランクフルトの北70kmにある木組み建築や大学のある町です。かつてレントゲン教授が教鞭もとったとか・・・。2005年に一度訪ねた事がある。

    写真は番外:Adventskalender・Wallenfels’schen Haus in Giessen

  • ・・・と2009年冬の旅行記に書いてある。<br /><br />勿論、今は7月ですからクリスマスの時期ではないが、木組み建築街道に属している町であるから、訪れる価値があろう。<br /><br />写真は番外:Adventskalender・Gengenbach<br /><br />ゲンゲンバッハの町の中央、旧市街のマルクト広場に美しい市庁舎がある。<br />1784年に建築家Viktor Kretzヴィクトール・クレッツによって建てられ、ファサード以外の装飾はゲンゲンバッハの彫刻家Peter Schwabペーター・シュバープによるものである。<br /><br />アーチ型の華麗なファサードはRokokoロココ様式と、初期Klassizismus古典様式を兼ね備え、三角形の切り妻屋根の上に立っている三体の像は中央にAdler鷲が市の紋章(黒い鷲の心臓のあたりに、心臓を象徴する赤色の楯を配し、その真ん中に銀色のホワイトフィッシュがデザインされている)を抱えているように見える。もっとも撮った写真を拡大して見たのだが。<br /><br />鷲の左右の像はJustitia正義の神とPrudentia知恵の神だと云う。切り妻屋根の下には時計台があり、バルコニーの柱頭はヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの四大陸を象徴したものだそうだ。<br /><br />クリスマスの時期に市庁舎の窓が世界最大?のアドベントカレンダーとなり、その景観は観光客に人気が高い。毎年違った芸術家がカレンダーのモチーフを決め、窓をカレンダーに替える。市庁舎の24個の窓にはMarc Chagallマルク・シャガール(フランス人画家)、Jean-Thomas &quot;Tomi&quot; Ungererトミー・ウンゲラー(フランス人児童文学作家、イラストレーター)、Jan Peter Trippヤン・ペーター・トリップ(ドイツ人画家)といった芸術家の作品や絵本のイラストが登場したと云う。<br /><br />毎日18時に窓が一つずつ開かれるのだ。<br /><br />

    ・・・と2009年冬の旅行記に書いてある。

    勿論、今は7月ですからクリスマスの時期ではないが、木組み建築街道に属している町であるから、訪れる価値があろう。

    写真は番外:Adventskalender・Gengenbach

    ゲンゲンバッハの町の中央、旧市街のマルクト広場に美しい市庁舎がある。
    1784年に建築家Viktor Kretzヴィクトール・クレッツによって建てられ、ファサード以外の装飾はゲンゲンバッハの彫刻家Peter Schwabペーター・シュバープによるものである。

    アーチ型の華麗なファサードはRokokoロココ様式と、初期Klassizismus古典様式を兼ね備え、三角形の切り妻屋根の上に立っている三体の像は中央にAdler鷲が市の紋章(黒い鷲の心臓のあたりに、心臓を象徴する赤色の楯を配し、その真ん中に銀色のホワイトフィッシュがデザインされている)を抱えているように見える。もっとも撮った写真を拡大して見たのだが。

    鷲の左右の像はJustitia正義の神とPrudentia知恵の神だと云う。切り妻屋根の下には時計台があり、バルコニーの柱頭はヨーロッパ、アジア、アフリカ、アメリカの四大陸を象徴したものだそうだ。

    クリスマスの時期に市庁舎の窓が世界最大?のアドベントカレンダーとなり、その景観は観光客に人気が高い。毎年違った芸術家がカレンダーのモチーフを決め、窓をカレンダーに替える。市庁舎の24個の窓にはMarc Chagallマルク・シャガール(フランス人画家)、Jean-Thomas "Tomi" Ungererトミー・ウンゲラー(フランス人児童文学作家、イラストレーター)、Jan Peter Trippヤン・ペーター・トリップ(ドイツ人画家)といった芸術家の作品や絵本のイラストが登場したと云う。

    毎日18時に窓が一つずつ開かれるのだ。

  • 写真は市の紋章:黒い鷲の心臓のあたりに、心臓を象徴する赤色の楯を配し、その真ん中に銀色のホワイトフィッシュがデザインされている。<br /><br />見どころのいくつかを参考に下記した。<br /><br />

    写真は市の紋章:黒い鷲の心臓のあたりに、心臓を象徴する赤色の楯を配し、その真ん中に銀色のホワイトフィッシュがデザインされている。

    見どころのいくつかを参考に下記した。

  • Gengenbachゲンゲンバッハ:  <br /><br />15:35〜16:20<br />http://www.gengenbach.info/<br />http://www.regio360.com/360/gemeinde_gengenbach_11_hd/flash/uw2000_gengenbach_hd_60.html<br /><br />ゲンゲンバッハはラインの支流であるKinzig (Rhein) キンツィヒ川(全長93km)沿いに発展した町である。<br />黒い森の中北部自然公園の中に位置し、バーデンワイン街道沿いにある。町中に花が溢れ、中世の雰囲気漂う旧市街や木組建築の家並みが並ぶ町は人口11千人、「ロマンチックな宝石のような町」とか、「バーデン地方のニース」と称されている。<br /><br />市外の駐車場(駐車料金はEuro0.6=83円)に車を停めた。<br />3時半を過ぎても相変わらず38℃の高温で、冷房した車から出ると一気に汗がふき出てくるから困ったものだ。<br />さて、路地の案内を目安にマルクト広場に出る。<br /><br />写真はRoehrbrunnenレールの泉<br /><br />Roehrbrunnenレールの泉:<br /><br />市庁舎の前にある泉をレールの泉と呼んでいる。<br />泉に立つ騎士の銅像はゲンゲンバッハの人々に「Schwendシュヴェント」と呼ばれ親しまれている。(町の英雄シュヴェント・・と書かれたものもあったが、何故こう呼ばれているのか?調べてみたがよく分からない。)<br /><br />騎士の左手には町の紋章が描かれた楯を、右手には帝国都市特権状を持ち、約500年の間、誇らしげにこの場所に立ち続けている。<br /><br />オリジナルの騎士像は1582年にシュトラースブルクのMax Sprangerマックス・シュプランガーによって作られ、ルネサンス様式の台座にのせられて、現在はMuseum Haus Loewenbergハウス・レーベンブルク博物館(Hauptstraße 13 、Am Marktplatz)に展示されている。 <br />http://www.museum-haus-loewenberg.de/informationen/<br /><br />レールの泉は1796年に破損のため修復された。<br />

    Gengenbachゲンゲンバッハ:  

    15:35〜16:20
    http://www.gengenbach.info/
    http://www.regio360.com/360/gemeinde_gengenbach_11_hd/flash/uw2000_gengenbach_hd_60.html

    ゲンゲンバッハはラインの支流であるKinzig (Rhein) キンツィヒ川(全長93km)沿いに発展した町である。
    黒い森の中北部自然公園の中に位置し、バーデンワイン街道沿いにある。町中に花が溢れ、中世の雰囲気漂う旧市街や木組建築の家並みが並ぶ町は人口11千人、「ロマンチックな宝石のような町」とか、「バーデン地方のニース」と称されている。

    市外の駐車場(駐車料金はEuro0.6=83円)に車を停めた。
    3時半を過ぎても相変わらず38℃の高温で、冷房した車から出ると一気に汗がふき出てくるから困ったものだ。
    さて、路地の案内を目安にマルクト広場に出る。

    写真はRoehrbrunnenレールの泉

    Roehrbrunnenレールの泉:

    市庁舎の前にある泉をレールの泉と呼んでいる。
    泉に立つ騎士の銅像はゲンゲンバッハの人々に「Schwendシュヴェント」と呼ばれ親しまれている。(町の英雄シュヴェント・・と書かれたものもあったが、何故こう呼ばれているのか?調べてみたがよく分からない。)

    騎士の左手には町の紋章が描かれた楯を、右手には帝国都市特権状を持ち、約500年の間、誇らしげにこの場所に立ち続けている。

    オリジナルの騎士像は1582年にシュトラースブルクのMax Sprangerマックス・シュプランガーによって作られ、ルネサンス様式の台座にのせられて、現在はMuseum Haus Loewenbergハウス・レーベンブルク博物館(Hauptstraße 13 、Am Marktplatz)に展示されている。 
    http://www.museum-haus-loewenberg.de/informationen/

    レールの泉は1796年に破損のため修復された。

  • さすがに暑さで、アイスクリームを食べたくなる=Euro3.6(501円)。イタリア人のアイスクリーム屋は観光客で大繁盛である。<br /><br />結局、この日は行程が遅れ気味になり、昼食(予定ではゲンゲンバッハだったが)を摂ることなく、夕食を迎えることになった。<br /><br />XXX<br /><br />写真はアイスクリーム屋のあるレストラン

    さすがに暑さで、アイスクリームを食べたくなる=Euro3.6(501円)。イタリア人のアイスクリーム屋は観光客で大繁盛である。

    結局、この日は行程が遅れ気味になり、昼食(予定ではゲンゲンバッハだったが)を摂ることなく、夕食を迎えることになった。

    XXX

    写真はアイスクリーム屋のあるレストラン

  • 写真は洒落た木組みの家・お花屋さん

    写真は洒落た木組みの家・お花屋さん

  • 写真はObertorturm (Haigeracher Tor)上の門塔

    写真はObertorturm (Haigeracher Tor)上の門塔

  • 写真は珍しい色のレストランも木組みの家

    写真は珍しい色のレストランも木組みの家

  • 写真は木組みの家

    写真は木組みの家

  • 写真は独特な色合いの木組みの家並み

    写真は独特な色合いの木組みの家並み

  • 写真はハウプト通りの木組みの家並み

    写真はハウプト通りの木組みの家並み

  • 写真はハウプト通りの木組みの家並み

    写真はハウプト通りの木組みの家並み

  • Kinzigtorturmキンツィヒ門塔: <br /><br />ハウプト通りの一番端にあるキンツィヒ門塔はゲンゲンバッハで一番高い塔であり、最も強固な市門である。古くからStadtmauer市城壁に連携して繋がり、城壁上には銃眼をもつ通路を備え、帝国都市の防衛に重要な役割を果たした。<br /><br />かつては塔内に住む住人が24時間の見張りを行っていたと云う。現在は町の内側にのみ塔があるが、かつては外側にも塔があり、その間を通路によって結ばれていた。この二重構造は各地に残る城塞都市に多くみられる。<br /><br />高い門塔だけに、火事の見張り、キンツィヒ川の河川交通の監視、来訪する商人たちからの税金の徴収するZoll税関業務も行い、住民には塔上から時刻を知らせた。<br /><br />写真はキンツィヒ門塔と木組みの家並み

    Kinzigtorturmキンツィヒ門塔: 

    ハウプト通りの一番端にあるキンツィヒ門塔はゲンゲンバッハで一番高い塔であり、最も強固な市門である。古くからStadtmauer市城壁に連携して繋がり、城壁上には銃眼をもつ通路を備え、帝国都市の防衛に重要な役割を果たした。

    かつては塔内に住む住人が24時間の見張りを行っていたと云う。現在は町の内側にのみ塔があるが、かつては外側にも塔があり、その間を通路によって結ばれていた。この二重構造は各地に残る城塞都市に多くみられる。

    高い門塔だけに、火事の見張り、キンツィヒ川の河川交通の監視、来訪する商人たちからの税金の徴収するZoll税関業務も行い、住民には塔上から時刻を知らせた。

    写真はキンツィヒ門塔と木組みの家並み

  • 1991年、キンツィヒ門塔の改装を行い、塔内にWehrgeschichtliches Museum軍事史博物館を開設した。 <br /><br />門塔の壁に帝国都市ゲンゲンバッハとあり、その上に<br />左から1803年(バーデン大公領となった年)、<br />725年(ベネディクト派のゲンゲンバッハ修道院が創立された年)、<br />1230年(帝国都市特権を授与された年で、町はこれにより発展した)の三つの年号が書かれ、<br /><br />その下に左からバーデン大公の紋章、神聖ローマ帝国Doppeladler双頭の鷲と錫杖、川を挟んで2つの銀色のホワイトフィッシュの紋章、赤色の楯の真ん中に銀色のホワイトフィッシュの紋章がある。<br /><br />つまり、ゲンゲンバッハの発展に寄与した、歴史上重要な年だという事だ。<br />この他にヴィクトーア・クレッツ通りの端にあるObertorturm (Haigeracher Tor)上の門塔、Schwedenturmスウエーデン塔、 Praelatenturmプレラアーテン塔、Niggelturmニゲルの塔(Narrenmuseumカーニバル博物館)・・14〜16世紀・・がある。<br /><br />写真はキンツィヒ門塔

    1991年、キンツィヒ門塔の改装を行い、塔内にWehrgeschichtliches Museum軍事史博物館を開設した。 

    門塔の壁に帝国都市ゲンゲンバッハとあり、その上に
    左から1803年(バーデン大公領となった年)、
    725年(ベネディクト派のゲンゲンバッハ修道院が創立された年)、
    1230年(帝国都市特権を授与された年で、町はこれにより発展した)の三つの年号が書かれ、

    その下に左からバーデン大公の紋章、神聖ローマ帝国Doppeladler双頭の鷲と錫杖、川を挟んで2つの銀色のホワイトフィッシュの紋章、赤色の楯の真ん中に銀色のホワイトフィッシュの紋章がある。

    つまり、ゲンゲンバッハの発展に寄与した、歴史上重要な年だという事だ。
    この他にヴィクトーア・クレッツ通りの端にあるObertorturm (Haigeracher Tor)上の門塔、Schwedenturmスウエーデン塔、 Praelatenturmプレラアーテン塔、Niggelturmニゲルの塔(Narrenmuseumカーニバル博物館)・・14〜16世紀・・がある。

    写真はキンツィヒ門塔

  • 写真はGengenbach:Fastnachtファストナハト

    写真はGengenbach:Fastnachtファストナハト

  • 写真はGengenbach:Fastnachtファストナハト<br /><br /><br />XXX

    写真はGengenbach:Fastnachtファストナハト


    XXX

この旅行記のタグ

60いいね!

利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。 問題のある投稿を連絡する

コメントを投稿する前に

十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?

サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)

報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。

旅の計画・記録

マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?

ドイツで使うWi-Fiはレンタルしましたか?

フォートラベル GLOBAL WiFiなら
ドイツ最安 294円/日~

  • 空港で受取・返却可能
  • お得なポイントがたまる

ドイツの料金プランを見る

フォートラベル公式LINE@

おすすめの旅行記や旬な旅行情報、お得なキャンペーン情報をお届けします!
QRコードが読み取れない場合はID「@4travel」で検索してください。

\その他の公式SNSはこちら/

この旅行記の地図

拡大する

PAGE TOP