2015/07/14 - 2015/07/28
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jijidarumaさん
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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937
第四日:7月17日(金) 晴 34~38℃ 188km
Gernsbachゲルンズバッハ=>B462 11km (Forbachフォルバッハ)=>B462 32km Baierbronnバイヤーブロン=>B462 30km Freudenstadtフロイデンシュッタット =>B294 27km Schiltachシルタッハ=>B294 10km Wolfachヴォルファッハ=>B33・294 13km Haslachハスラッハ=>B33 18km Gengenbachゲンゲンバッハ =>B33・(Zellツェル)L?・B28 47km Oberkirchオーバーキルヒ・Romatik Hotel Zur Oberen Lindeロマンチックホテル オーベレ・リンデ
写真はSchiltachシルタッハの町
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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*5:30起床。朝食(7:15〜45)。
写真は朝食の用のレストランにかけられた絵はこの城の起源に絡んだものか? -
写真はGernsbach:Schloss_Eberstein_mittelalterlichem_Jagdzug中世の頃の狩りの絵
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いつものように朝食(7:15〜45)後にホテル周辺を歩く。
朝から上天気で気温も高いようだ。中庭に出て、置いてある馬車、ワインの販売所、昨日のグルメテラスを見て回る。
写真は中庭の馬車、右手がレストラン棟 -
写真は左にワインの販売所、奥にホテル棟
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無人のテラスにやってきました。テラスからの朝の眺望もまた良し。
写真は昨日のグルメテラス:夜露防止に上部はシートで覆われていたが、朝はこんな感じだ。 -
写真はテラスからの朝の眺望
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写真はテラスからの見えるゲルンズバッハの製紙工場
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昨晩は見られなかったブドウ畑に行くと、急斜面に整然と並ぶブドウの木にはブドウの実がいっぱいついている。
写真はブドウ畑とプラタナスのテラスレストラン -
写真はテラス下のブドウ園。
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写真はブドウの木にはブドウの実がいっぱい。
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そして、プラタナスのテラスレストランにも行ってみると、掃除していた小父さんが中に入って良いと言ってくれた。
プラタナスの木の下で写真も撮っていただく。感謝だ。
写真はプラタナスの木の下で -
立ち入り厳禁の天守閣を見上げていると、近くのPimpernussピンペルンヌスの枝に面白い実を見つけた。
(日本語ではミツバウツギ、葉は三出複葉で対生。花は5-6月に枝先に円錐花序をなして咲く。果実は偏平で先の尖った軍配のような形をした?懿果さくか。)
名札があったので、何の木か分かったのだが。
写真は天守閣とピンペルンヌス -
写真はPimpernussピンペルンヌスの枝に面白い実をつけていた。
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写真はPimpernussピンペルンヌスの枝
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写真はPimpernussピンペルンヌスの枝に面白い実
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写真はPimpernussピンペルンヌスの面白い実は秋になるとこうなるらしい。
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写真はPimpernussピンペルンヌスの実を割るとこうなる。
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トアーハウス(城門と建物が連結したもの)の上部に“エーベルシュタインの紋章”つまり“5枚の花弁付きの薔薇とイノシシ”の絵が楯の中に刻まれているのが見える。
写真はトアーハウスをバックに。 -
また、紋章の内壁内に中世の城郭における防備で必須だったPechnaseペチナーゼの穴が下に開いている。攻城軍の兵士に熱いピッチ(タール)や熱湯を浴びせたという穴である。
写真は“エーベルシュタインの紋章”とPechnaseペチナーゼの穴 -
写真はSchloss_Ebersteinエーベルシュタイン城を象徴するEberイノシシの像が城門側に鎮座していた。
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8:50ホテルを出発。昨日の九十九折の道を下り、ムルグ川にかかる橋に至る。
ここからのエーベルシュタイン城を見上げた光景が最も素晴らしいと知っていたので、信号が変わるまでの短い時間にシャッターをきった。
写真はムルグ川にかかる橋から見るエーベルシュタイン城 -
写真はGernsbach:Grafensprung伯爵の跳躍・断崖の展望台にあるPavillonパビリオン
Graf Wolf von Eberstein ヴォルフ・エーベルシュタイン伯爵(1340〜1396)のDie Sage vom ?Grafensprung伯爵の跳躍“という伝説(番外編参照):
エーベルシュタイン城からオーベルスロット通りをゲルンズバッハに向かうK3700という県道の真上に伯爵が跳躍した岩壁が見えるそうだが、分からないまま通り過ぎた。
多分、対岸から見れば見えたのだろうが、岩壁上には展望台用のPavillonパビリオンが立っていると云う。 -
黒い森・Taelerstrasse峡谷街道の登り坂を走り、9:50 Baierbronnバイヤーブロンの町に着いた。
写真はドイツ観光街道の一つ、Fantastische Strasseファンタスティック街道の図 -
写真はDR_1935_593_Winterhilfswerk_Trachten_Schwarzwald1935年の切手・黒い森のボンボン帽子=ボレン帽で着飾った女性。
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写真はDBP_1981_1096_Europa_Folklore_Schwarzwald黒い森の民族衣装1981年のドイツの切手
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Baiersbronnバイヤーズブロン:
http://www.baiersbronn.de/
Murgムルグ川の渓谷沿いにある町で海抜が450mだと云う。
黒い森には保養地が多いが、ここもFreudenstadtフロイデンシュッタットの北西5kmにある保養地。人口14千人。
グルメレストランが集中しているので”Sternedorf“ Baiersbronn星付きの村バイヤーズブロンの異名がある。
記憶に残るHotel Sackmannザックマンを探したが、見過ごして通り過ぎたようだ。アラルの給油所で給油して、ホテルの場所を聞くと、B462の道を12kmほど戻った所だと云う。
Aralアラルの給油所で第1回目の給油。23.6L、@1.319/L、Euro31.15(4,277円)
普通は支払う際にカード読み取り機に暗証番号を入れて承認すると支払完了だが、Aralのガソリンスタンドでは最初に1Germany、2England・・・と画面に出て、当地の場合は1Germanyを押さないと、暗証番号を受け入れないタイプに出くわした。このケースは今のところアラルの給油所だけである。
従業員の説明もなかったので、これを無視して暗証番号を入れたが、不可となった。度々繰り返すも同じなので、VISAカードの問題かと考え、Masterにかえてみた。これもダメ。すると従業員は見かねて、私がやると言いだした。
こちらが見ていると、まず1Germanyをクリックし、それから暗証番号を打つ段になると、自分は見ないで、私に入れさせた。それで支払がOKとなったのだが、結果からみると、何のことはない。
毎年ドイツを走っていてもこんなことがある。
ディーゼル車は給油単価が安くて、そこそこ燃費も良いので有難い。ドイツは日本よりもディーゼル車が多い。(尤も最近発覚したVWの事件には驚いた。)
写真はHotel Sackmannホテル ザックマン -
10:10に引き返す。
戻ってみると、Baiersbronn-Schwarzenbergバイヤーズブロン-シュヴァルツェンベルグ地区は道路の工事中で、さっきは工事に気を取られ、左にあったザックマンの特徴ある建物が目に付かなかったようだ。
折角の見栄えの良いホテルも今日は残念にも砂埃を浴びている。
だが、ここでお茶をしたいと考えていたので、テラスレトランに入った。
ついでにレセプションに寄って、ホテルのパンフレットを入手。
傍の席でミシュラン2星のシェフが部下と協議中だった。Joerg Sackmannヨルク・ザックマン氏は50歳。8年前に比べて、私共も歳とったが、シェフは一段と歳とったナーと思った。
写真は道路工事中で気の毒な様子のHotel Sackmannザックマン -
写真はHotel Sackmann Gartenterrasse:ホテルのガルテンテラス
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お茶:Hotel Sackmannホテル ザックマン・テラスレトランにて
D-72270 Baiersbronn-Schwarzenberg、Murgtalstr. 602
10:30〜11:00 Euro12(1,671円)
当地御自慢のSchwarzwaelder Kirschtorteシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテX2 、Earl Greyアールグレイの紅茶、コーヒーを頂いた。
写真はシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを頂く。 -
参考までにオーソドックスなシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ/黒い森の さくらんぼトルテとは:
1930年代頃から、ドイツの各地で作られるようになり、ドイツを代表するトルテとして世界に知られている。所謂、チョコレートケーキの一種で、シュヴァルツヴァルト地方の黒い森と特産品であるKirschキルシュ(サクランボ=桜桃)をイメージして作られたトルテ=ケーキとされる。フランスでも作られるが、ガトー・ド・フォレノワールと称する。
チョコレート味のスポンジ生地にKirschwasserキルシュヴァッサー(サクランボから造った蒸留酒・度数40%と高い)を香り付けにしみこませ、サクランボ入りザーネクレームと桜桃を組み合わせたトルテである。トルテの周りには森に積もった雪を見立てたサクランボ入りザーネクレームを塗り、雪の上の落ち葉に見立てて削ったチョコレートやサクランボでトルテの上を飾っている。
だが、このトルテが何処で最初に生まれたのかは諸説があり、一つはノルトライン・ヴェストファーレン州のBad Godesbergバート・ゴーデスベルク(Bonnボンの近郊)の菓子職人Josef Kellerヨセフ・ケラーが最初に考案した“Erfinder発明者・考案者”という説であり、これに反論するのがテュービンゲン起源の黒い森説である。
こちらはTuebingenテュービンゲンの菓子職人Erwin Hildenbrandエルヴィン・ヒルデンブラントが“Erfinder発明者・考案者”であるという説である。
Kombination Kirschen、Sahne und Kirschwasserサクランボ、ザーネクレーム、サクランボの蒸留酒という三つの組み合わせが可能であることは、19世紀の頃に黒い森の南部地域において、既に良く知られていたと云う。それはトルテの形になっていたのではないそうで、単に煮込んでジャム状にしたサクランボにザーネクリームを加え、サクランボの蒸留酒をかけたデザートといったものであったようです。
どちらにせよ、トルテの名前からして、黒い森説を採りたいところである。
シュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテの名前の由来についても諸説(Wiki)あるとのことで、
①このトルテに欠かせないキルシュヴァッサー(サクランボの蒸留酒)がシュヴァルツヴァルトの特産品であることに由来する。
②あるいは、削ってトルテ上にのせたチョコレートの色が、黒い森を連想させることに由来する。
③昔からあったとされるSchwarzwaldtorte(シュヴァルツヴァルト・トルテ)が進化したことに由来する。このトルテはスポンジ生地、サクランボ、クルミ、ザーネクレームで作り、サクランボの蒸留酒はまだ使用されていなかったと云う。
④Trachten im Schwarzwald黒い森の民族衣装、つまり、黒いスカート、白いブラウス、赤いボンボンがのった帽子(Bollenhutボレンフート=ボレン帽)の様子がトルテの形に似ていることに由来する。
話としては、見栄えのある黒い森の民族衣装説に賛成したい。
写真は代表的なSchwarzwaelder Kirschtorteシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ -
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2007年4月22日にホテル ザックマンに1泊し、グルメレストランを楽しんだ。
Hotel Sackmannホテル ザックマン(バイヤーズブロン-シュヴァルツェンベルグ)
D-72270 Baiersbronn-Schwarzenberg、Murgtalstr. 602
Romantik Hotel Euro 118 ;4星S、全49室、102号室(2F)
レストラン Schlossbergシュロスベルクは2007年ミシュラン1星(2015年は2星)、ゴーミョー18点
Tel:49(0)7447-2890
http://www.hotel-sackmann.de
黒い森のムルグ谷にある滞在型ホテル。グルメレストランのSchlossbergシュロスベルクは評価も高い。黒い森にふさわしく、がっちりした木の梁の天井や力強い色調のエレガントなレストランは印象深い。
Feinschmeckerの月刊雑誌で紹介されたシェフ・Joerg Sackmannヨルク・ザックマンは42歳。
1988年より両親の経営するこのホテルにシェフとして入り、以後、伝統と革新をテーマに、アジア的、地中海的、且つフランス的な要素を一つにした、洗練されたスタイルを確立してきたという。黒い森の典型的な建物をイメージして建てられたと思われる、5階建てのHotel Sackmannホテル・ザックマンがMurgムルグ川の川畔に立つ。
ホテルのレセプションのこぼれんばかりの笑顔に迎えられて、二階の102号室に案内される。ベッド、家具、バスルームはモダンであるが、全体の印象は落ち着いた洗練されたもの。
写真は102号室(2F) -
壁には絵画も飾られている。立派な長椅子の前にあるテーブルには、オーナーからの私共を歓迎すると言うメッセージが置かれ、果物、チョコレートが用意されていたのは大変嬉しいものでした。
窓の外にはムルグ川が見える。
写真は102号室(2F)の室内 -
写真はホテル・ザックマンの勲章:ホテル・レストランの各種ランク表示。
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このBaiersbronnの谷間の各地にはTonbachトンバッハ・Restaurant Schwarwaldstubeが、ミシュラン3星、ゴーミョー20点、全独第一位に格付けされている。
MitteltalミッテルタルにはHotel Bareiss ミシュラン2星、ゴーミョー18点、全独第7位といったグルメレストランが集中している。
J・Sackmannヨルク・ザックマンの修行時代は上記の二つの店のシェフにも学んだそうである。彼は星付きシェフとして、アジア的、地中海的、且つフランス的な要素を一つにした、洗練されたスタイルを確立してきた事が評価されているそうです。
前菜に見た如く、大変意欲的で、味も上品な美味しさで、充分その魅力を楽しませてもらった。2006年に楽しんだ“Zur Traube”(ミシュラン2星)にも十分匹敵する思いがしました。
これも、保養地にある滞在型ホテルとして、黒い森の豊かな食材に恵まれていることもあって、発展したものなのでしょう。
写真はHotel Sackmann:ホテル・グルメレストランSchlossberg -
Hotel Sackmann のRestaurant Schlossbergレストラン シュロスベルグで:
グルメ・レストラン・Schlossbergシュロスベルク(24席に対し、10人の従業員の配置とか:メニューはEuro85〜105。)はミシュラン1星(16点)、ゴーミョー18点、全独21位である。
これは同地域のミシュラン2星(現3星)のHotel BareissのメインレストランRestaurant Bareiss(30席に対し、16人の従業員の配置とさすがに手厚い。)も18点同じである。Sackmannはミシュランも限りなく2星に近いのか?!
因みにドイツにおける、2006年版ではミシュラン3星は7店で全て20点の最高得点、2星は15店(19点)、1星は168店(16点)。
また、ゴーミョー最高の19.5点は3店、19点は6店、18点は21店、ミシュランの1星に相当する17点は79店となっている。
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テーブルには白いテーブルクロスを敷き、その上には白いカスミソウの花を入れたラッパ状の花瓶と、紫のリボンを横に伸ばして飾りとするなど、レストランの上品さを演出している。
白を基調にした皿に色合いも鮮やかな料理がアレンジされて、さすがに素晴らしい。
写真は食事のスタート。 -
Hotel Sackmann のRestaurant Schlossbergシュロスベルグ
夕食:19時、Restaurant Schlossbergシュロスベルグで。
早めのホテル到着で、夕食までゆっくりできたのでお腹も空き、夕食が楽しみである。宿泊客の為のレストラン“Silberbergジルバーべルク”や軽食やコーヒータイムに利用する“Anita-Stubeアニータ・シュツーベ”もいずれも素晴らしいレストランだが、やはり飛び切りはグルメレストランのSchlossbergシュロスベルクである。黄色を基調としたカーテン、チェアーは贅沢な空間になっている。
案内されたのはテラスレストランの見える奥の席でした。もう、9割の席はうまっている。
写真は分厚いワインリストを驚きながら見る。 -
早速、給仕長が注文を聞きにやって来る。
まず、アペリティーフをSandemannザンダーマンのドライシェリーをお願いする。そして、いつものように炭酸ガス抜きの水、Apollinarisアポリナリス 0.75Lを。
Menueメニューは“Fuer Geniesser(美食家の為に)”が4品コースで85Euro、“Entdeckungsreise(探検旅行・シェフお任せ)”は特別コースで125Euro、“Schlossberg(城山)”が6品で105Euroの三つがそれぞれ面白い名前で提示されている。
給仕長に料理の量や、ア・ラ・カルトの事も聞いてみるを、『量はそれほど多くありませんし、メニューの方がお値段的にも宜しいかと、思います。』とアドバイスがあり、二人とも美食を楽しむという“Fuer Geniesser”にする。
次はワインのオーダーです。給仕長が持ってきたワインリストは縦40cm、横30cm、幅は数cmもあるものでした!!
こんなものを見るのは初めての経験で驚きました。ワインリストは記念に写真を撮った程です。
分厚いリストから選んだのはバーデンワイン最高の赤、“Dr.Hegerへーガー博士” 2004年 Ihringer Winklerwerg Spaetburgunder 、Kaisestuhlでした。(事前学習で、バーデンワインではDr.Hegerがトップワイナリーと知っていたので、リストから選びました。このワインは大変気に入り、その後の旅でも良く注文しました。お値段もリーズナブルなEuro51=8.5千円。)
写真のワインリストは縦40cm、横30cm、幅は数cmです。
手前の料理はシェフのご挨拶・『ガラスの皿にのせた小さなカップに卵のスープ?』 -
“Fuer Geniesser(美食家の為に)”は
シェフのご挨拶:
待ち時間にお客を飽きさせぬ目的で、調理場から出される小品。勿論、メニューにも掲載されず、お値段には加算されないものですが、それが2品、いっせいに厨房が忙しくなった様で、食事の間を取る為に適時、運ばれてくる。
その一つ目は『ガラスの皿にのせた小さなカップに卵のスープ?』です。
二つめは『煮込んだ小さな玉葱?に茸添え。』いずれも小ぶりな、上品な味だ。
食事に入る前にはオーナーシェフ・Joerg Sackmannヨルク・ザックマン氏がテーブルに来て、挨拶をした。勿論全てのテーブルに!
写真はシェフのご挨拶・『煮込んだ小さな玉葱?に茸添え。』 -
前菜は実に面白い事に日本的なアレンジで、『貝の海苔巻天ぷらにキャヴィアのせ。ハマチの両面焼き、ワサビゼリーを添え。ライスペーパーにパッションフルーツのせ。』
さすがに給仕長もこの料理は日本の方に説明は不要ですねと言っていたが。
写真は日本的なアレンジをした前菜 -
2品目はメインの魚料理;『鯛にグレープフルーツ添え、豚腹肉のマリネにクルミ・ジャガイモのクリーム添え。』
写真はメインの魚料理 -
メインの肉料理は『子牛肉に玉ねぎ、葱を添え。赤ワインソースで味付け。』
たいへん上品な造りです。
写真はメインの肉料理 -
更にシェフから3つ目のご挨拶が。
説明を受けたがもう記憶に残っていない。写真はあるのだが、白いカップにムース状のものが入っていて、ポテトを網状にしてパリッと揚げたものがのっていた。美味しかっただけが記憶に残る。
(通常の料理はメニューを頂いてくるので後からでも分かるのですが、シェフのご挨拶はその時の状況に応じて、厨房より出てくるので、当然メニューには載っていない。給仕の説明を都度、ノートしておくのも、なかなか難しいのだ。)
写真はシェフから3つ目のご挨拶 -
デザートは『ラヴァーヴァにバニラ・アイス、ヨーグルト-ジンジャークリーム、バナナとチョコレートでした。』
ここの従業員は珍しいことに、料理をさげる際に“お味はお気に召したでしょうか?!”とは聞かない。美味しくて当然と思うのでしょう!!
写真はデザート -
食後のコーヒーを頼むと杯の上に、チョコレートが一杯のって出てきた。もう充分。
今夜のディナーは3時間を越え、18:50〜22:00 合計Euro247=4万円でした。
写真は食後のコーヒーとチョコレート -
写真は食後“Anita-Stubeアニータ・シュツーベ”で
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写真はホテル・ザックマンの夜景
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写真はホテル・ザックマンの翌朝
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写真はホテル・ザックマンとムルグ川
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以上は2007年当時を想い出して、掲載した。
私共にとっては懐かしい写真です。 -
バイヤーズブロン-シュヴァルツェンベルグ=>バイヤーズブロンとB462をフロイデンシュッタットの町に向かう。
フロイデンシュッタットの町は何度か来たので、今日は通過点に過ぎない。
写真はWappen_Freudenstadtフロイデンシュッタットの紋章 -
Freudenstadtフロイデンシュッタット(喜びの町):
11:30〜12:10 Euro0.5(70円)
http://www.freudenstadt.de/
http://www.ferien-in-freudenstadt.de/de/Sehenswertes/Unsere-Stadt
Stuttgartシュトゥットガルトから凡そ南西65km、Karlsruheカールスルーエからも60kmの距離にある人口22千人の町である。
黒い森の北部の東に位置した海抜591〜968mの高地(台地)に町は発展した。
フロイデンシュッタットの町は1599年、Herzog von Wuerttemberg Friedrich I. (1557?1608) ヴュルテンベルク大公フリードリヒ1世が新教徒の為に信仰の町を造った。
30年戦争のさなか、1632年の大火で町は大きな損害を受けた。さらに、全ドイツを巻き込んだ30年戦争の余波が大きく、戦後の1652年には、この町の人口はたった72人になっていたという記録が残っている。
Marktplatzマルクト広場:219 x 216mのほぼ真四角の広場は4.5Hektarの面積で建築家Heinrich Schickhardt ハインリヒ・シックハルトの建築計画により1599年に完成した。
Rathaus市庁舎:マルクト広場の北隅に立つ。第二次大戦後に再建された。
Museum im Stadthaus郷土博物館:
開館:火〜日 10時〜17時
2007年4月に再訪した。
町の中央に大きな広場をもち、町筋は碁盤の目のようになっている。
今は保養地として名高い。そのクアーハウスの地下駐車場に車を停めて、町を見物にでる。300mも行くと大きな広場があり、市庁舎、教会があり、周りをArkadenアーケードのある商店街が囲んでいる。
片隅に古い泉があり、中央には以前は無かった噴水広場があって、今も十数箇所から10mの高さに水を吹き上げている。
町の景観上、二階建て以上は認めぬそうで、白壁が赤茶色の屋根の色に映えて家並みはすこぶる美しい。
写真はFreudenstadt:Marktplatzフロイデンシュッタットのマルクト広場・俯瞰 -
写真はFreudenstadtフロイデンシュッタット・右が市庁舎
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Marktplatzマルクト広場の駐車場には11:30到着。
もう33℃と暑い日中、マルクト広場にある噴水広場では子供たちが水遊びに興じている。
マルクト広場近くのインフォーメーションによって、案内書をもらい、広場を囲む商店街で紙ナプキンを土産に購入・・・4つでEuro14.24(1,983円)した。
写真はマルクト広場にある噴水広場 -
写真はマルクト広場とバックに町の教会、郷土博物館
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写真はマルクト広場にある噴水広場
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写真はフロイデンシュッタットのマルクト広場
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30年戦争(1618〜48年):
100年前のマルティン・ルターの宗教改革に始まった、新旧キリスト教徒の対立が17世紀に入るとドイツ国内では争いが先鋭化した。新旧キリスト教徒の宗教戦争は1618年パプスブルグ家がボヘミア(現チェコ)の新教徒を弾圧した事に端を発する。旧教派のオーストリー/スペイン・パプスブルグ家と新教派のフランス・ブルボン王家が政治的・現実的観点から、ドイツ国内の其々に荷担し、更に新教派にスウェーデン王が介入するなど、国際紛争になる。この戦争は新教派優勢で終わり、1648年北ドイツのMuenster・Osnabrueckで66カ国によりヴェストファリア条約が調印された。この間に全ドイツの人口は3分の2に減少し、国土は荒廃したという。この事でドイツは300もの小国家が分立する。ドイツはフランスなどに200年の遅れを生じたとされているが、反面では全ドイツの国民文化の均等な広がりを育み、今私共が旅を楽しむ町々にその事の有りがたさを見ることができる。
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写真はフロイデンシュッタットの町 -
フロイデンシュッタットの町から、早々に次の町に向かった。
ただ、Gutachグータッハ(Schwarzwaelder Freilichtmuseum Vogtsbauernhof黒い森野外博物館 http://www.vogtsbauernhof.de/ )やTribergトリベルクの163mの滝など以前何度か訪れているので、南下せずに、途中右折して黒い森の中央にあたる地域の町をいくつかを初めて訪れることにしたのだ。
それらはSchiltachシルタッハ、Wolfachヴォルファッハ、Halslachハルスラッハ、Gengenbachゲンゲンバッハである。
写真はフロイデンシュッタット・フクシャの花 -
写真はFreudenstadtフロイデンシュッタットの町-1643年
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写真はFreudenstadtフロイデンシュッタット:Festung要塞図
1674年、要塞の建設が完工しないうちに、計画を立てた公爵エーベルハルト3世が死去した為、その建設はすぐに中止になったと云う。 -
≪Deutsche Fachwerkstrasseドイツ木組み建築街道≫
ドイツ観光街道の一つ。木組み建築がよく保存された町々をめぐる観光街道で1990年に創立された。全長は2000kmにも及び、ドイツ各地を9つのコースに分けている。
今回の旅行の中では、其の一つがヘッセン州・ライン川近くのツレベルからドライアイヒを経由し、マインツ川流域に沿って南に下り、ハーナウ、Miltenbergミルテンベルグを通り、そして西に向い、オーデンの森・ライヒスハイムに至るというものです。
もう一つはバーデン-ヴュルテンベルグ州ルート(赤のルート:全長 560km)で、ドイツ南部のネッカー川沿いのMosbachモースバッハの町から(西ルート)Schwarzwaldシュヴァルツヴァルトと、(東ルート)Bodenseeボーデン湖に向かう2つのルートがあり、シルタッハの町を通るのは(西ルート)である。
(西ルート)はBad Urachバート・ウラッハ 、Trochtelfingenトローヒテルフィンゲン、 Herrenbergヘレンベルク、Calwカルフ、 Altensteigアルテンシュタイク、Dornstettenドルンシュテッテン、Schiltachシルタッハ、Haslach im Kinzigtalハスラッハ・イム・キンツィヒタール、Gengenbachゲンゲンバッハ、Sasbachwaldenザスバッハヴァルデンを通る道になる。
因みに(東ルート)はBad Urachバート・ウラッハ、Blaubeurenブラウボイレン、Riedlingenリートリンゲン、Biberach an der Rissビーベラハ・アン・デア・リス、Pfullendorfプフレンドルフ、ボーデン湖畔のMeersburgメーアスブルクである。
写真は木組み建築街道①Fachwerk Strasse:Vom Neckar zum Schwarzwald und Bodensee -
写真はSchiltach_Uferシルタッハの町の川沿いの景色
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フロイデンシュッタット(海抜800m)からの道はB294、27kmの下り道をキンツィヒ川に沿ってLossburgロースブルク、Alpirsbachアルピルスバッハの小さな村々を走り、Schiltachシルタッハの町(海抜330m)に入った。
キンツィヒ川にかかる橋を渡り、駐車場に車を入れる。もう34℃と気温が上がり、町歩きもしんどくなる。
写真はキンツィヒ川にかかる橋から見る光景 -
Schiltachシルタッハ:
12:45〜13:30
http://www.schiltach.de/
シルタッハはラインの支流であるキンツィヒ川(全長93km)とシルタッハ川(全長30km)の合流点沿いに発展した町である。人口3800人の小さな町はFachwerkstrasse木組み建築街道に属している。
木組みの家並みが美しい旧市街は駐車場とは反対側にあり、B294沿いからマルクト広場のある高台に広がっていた。もちろんB294沿いの両側にも、川沿いにも素晴らしい木組みの家並みがある。
写真はマルクト広場のある高台を望んで -
写真はSchiltach_Martkplatz_Schlossbergstrasseマルクト広場とお城通り
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シルタッハの旧市街の木組みの家並みが予想以上に美しい町であった。
中央に15世紀の泉があり、左手奥に市庁舎、広場一帯に16〜19世紀の木組みの家並みが見事である。ハインリヒ・シックハルトの建築計画により完成したと云う。
何故か不思議なのは、マルクト広場は斜めなことだ。無理やり坂道の中途に広場をあつらえたように見える。
この町は文化財保護(歴史的建物の保存)の対象になっていて、見どころは花々が咲き、キンツィヒ川の清流が流れ、様々な色合いも美しい木組みの家並みである。
写真は旧市街のマルクト広場にある泉、木組みの家並み、市庁舎 -
写真は旧市街のマルクト広場は斜面にあるのが珍しい
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写真は旧市街のマルクト広場にある木組みの家並み
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写真はWappen_Schiltachシルタッハの紋章は白地に赤の3つの楯
この町と城の支配者であったHerzog zu Urslingenウルズリンゲン公の紋章を使用している。
アルザスのRappoltstein in Ribeauvilleの町も全く同じ紋章を利用している。
ウルズリンゲン公の一族の一人がこの地で結婚し、その子孫がHerren zu Rappoltsteinと名のり、同じ紋章を使ったのだと云う。 -
旧市街のマルクト広場と市庁舎:
2006年に改装された市庁舎のファザード壁面には左右に、1510年、1533年、1590年に町にとっては大事であったろう火事がしばしばあった事を描いた壁画も見られ、14〜19世紀に町の主力産業であった木材を筏にして流す様子の壁画がある。
中央に15世紀、この町と城の支配者であったHerzog zu Urslingen・Reinold VI. ウルズリンゲン公・レイノルト6世が甲冑を付け、シルタッハの紋章の付いた楯を持った騎士姿で描かれている。(本拠はRottweilロットバイルの北部に居城があったシュヴェービッシュの貴族)
その左右に支配者の紋章と説明がある。町の歴史、1275年以前(13世紀の半ばと云われる)に町が創立され、1952年以来、バーデン・ヴュルテンベルク州に属する町であると書かれている。
最上部に1593(市庁舎が建てられた年)、1942(?)の数字と時計があり、旗を持った二人が握手をしている。左に車輪とハンマーを持つ工人、右に絨毯?をまいたものを持つ古人(商人)が立つ。
“いかなる立場であれ、すばらしい名誉がある。”との文字と共に。
写真は改装された市庁舎 -
写真は改装された市庁舎の拡大版
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写真はSchiltach_Armenhaus救貧院の建物(貧しい人のための施設)・お城通り2番地・・・1822年と書かれていたが、この建物の建築年だろう。
この小さな町で救貧院があったことに驚いたが、実際の仕組みはもっと早かったのかもしれない。調べてみたが、よく分からなかった。 -
写真はSchiltach_Armenhaus救貧院の建物・お城通り2番地
救貧院の言葉からアウクスブルクのフッゲライ博物館を思い出した。
フッガー長屋とでもいうべきか、世界で最も古い2階建ての福祉施設が並ぶ地域は、1519年、アウクスブルクの財閥フッガー兄弟により貧しいアウクスブルク市民の救済の為につくられたもので、当初250の家があったと云う。
16世紀にこの福祉思想があったとすれば、南ドイツ地域の各地にこの思潮が広まっていたのは確実であろう。 -
Apothekenmuseum薬局博物館:
Marktplatz5
旧市街のマルクト広場にある。1837年に建てられた薬局には木目材でできたBiedermeier-Stilビーダーマイヤー様式の工房が見られる。
1985年に営業をやめて、1989年に薬局博物館を開いた。
開館:10:30〜12:00、14:30〜16:30(月曜日休み)
・・丁度、昼休み中で入館せず。
写真は薬局博物館 -
写真は旧市街のマルクト広場にある木組みの家並み
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写真は旧市街のマルクト広場にある木組みの家並み
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Gashof Adlerガストホフ アドラー:
1604年、身分の高い人のホテルとして作られた。これは雪景色のアドラーだが、残念ながら、この日訪れた建物は改装中で、良く見えなかった。
写真はGashof Adler,Haus von 1604 -
B294沿いの両側にも、川沿いにも素晴らしい木組みの家並みがある。
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写真はSchiltach:キンツィヒ川との合流点
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川沿いにあった銀行の建物は新しいものだが、町の景観に合わせたもので全く違和感がない。
その他にSchuettesaege-Museum製材博物館がある。
Hauptstrasse1 製材、筏博物館。開館:11:00〜17:00(毎日)
写真は右が銀行の建物 -
B294沿いの両側にも、川沿いにも素晴らしい木組みの家並みがある。
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写真はSchiltach_im_Jahr_1596年のシルタッハの村、高台に古城が立つ。
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写真はおまけ!
グータッハの民族衣装であるBollenhut-Gutachボレン帽子(赤は未婚の女性)
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