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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” <br />オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。<br /><br />期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅<br /><br />参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”<br />http://4travel.jp/travelogue/11027937<br /><br />第二日:7月15日(水) 晴 22.5~29℃、午前中は涼しい 176km<br />Eberbachエーベルバッハ=>B45 ・B37 (Hirschhornヒルシュホルン)・(Neckarsteinachネッカーシュタイナッハ)=>30km Neckargemuendネッカーゲミュント・Dilsbergディルスベルク<br /><br />写真はディルスベルク要塞・マントの壁

黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅④伝説・ディルスベルクの薔薇の舞台、ディルスベルク要塞を訪ねた。

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2015/07/14 - 2015/07/28

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jijidaruma

jijidarumaさん

“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅” 
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。

期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅

参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937

第二日:7月15日(水) 晴 22.5~29℃、午前中は涼しい 176km
Eberbachエーベルバッハ=>B45 ・B37 (Hirschhornヒルシュホルン)・(Neckarsteinachネッカーシュタイナッハ)=>30km Neckargemuendネッカーゲミュント・Dilsbergディルスベルク

写真はディルスベルク要塞・マントの壁

旅行の満足度
4.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
一人あたり費用
30万円 - 50万円
交通手段
レンタカー
航空会社
ルフトハンザドイツ航空 ANA
旅行の手配内容
個別手配

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  • *15:30、エーベルバッハを出て、古城街道を行く。<br /><br />B45 ・B37で17kmに古城ホテルのあるHirschhornヒルシュホルンがあり、古城ホテル ヒルシュホルン城の見えるネッカー川の対岸に車を一時停めて、写真を撮った。<br /><br /><br />写真はヒルシュホルンと古城ホテル ヒルシュホルン城の遠望

    *15:30、エーベルバッハを出て、古城街道を行く。

    B45 ・B37で17kmに古城ホテルのあるHirschhornヒルシュホルンがあり、古城ホテル ヒルシュホルン城の見えるネッカー川の対岸に車を一時停めて、写真を撮った。


    写真はヒルシュホルンと古城ホテル ヒルシュホルン城の遠望

  • ネッカー川の流れは水量も多く、きれいだ。<br /><br />更に4つの古城の町Neckarsteinachネッカーシュタイナッハに至る。ここの4つの城はVorderburgフォアデアブルグ・Mittelburgミッテルブルグ(1170年男爵家の所有)・Hinterburgヒンターブルグ・Burg Schadeckシャーデックである。前の二つは個人所有で残る二つは城跡のみがある。ブリッガー家により12世紀頃から築城された。これらの城はかつて山腹まで登ってみたことがある。<br /><br />写真はネッカー川の流れ

    ネッカー川の流れは水量も多く、きれいだ。

    更に4つの古城の町Neckarsteinachネッカーシュタイナッハに至る。ここの4つの城はVorderburgフォアデアブルグ・Mittelburgミッテルブルグ(1170年男爵家の所有)・Hinterburgヒンターブルグ・Burg Schadeckシャーデックである。前の二つは個人所有で残る二つは城跡のみがある。ブリッガー家により12世紀頃から築城された。これらの城はかつて山腹まで登ってみたことがある。

    写真はネッカー川の流れ

  • 今日はNeckargemuendネッカーゲミュントまで行って、Burgfeste Dilsbergディルスベルク要塞をみたい。この間、17kmである。<br /><br />写真はディルスベルク要塞の現在の案内図

    今日はNeckargemuendネッカーゲミュントまで行って、Burgfeste Dilsbergディルスベルク要塞をみたい。この間、17kmである。

    写真はディルスベルク要塞の現在の案内図

  • Neckargemuendネッカーゲミュント・Dilsbergディルスベルク:<br /><br />森林地帯を流れ出るElsenzエルゼンツ川がNeckarネッカー川に注ぐ河口に位置し、人口14千人の町ネッカーゲミュントには古城街道の古城群の一つに数えられるBurgfeste Dilsbergディルスベルク要塞がある。<br /><br />以前、Die Rose vom Dilsberg「ディルスベルクの薔薇」の伝説を書いた。また、これに因んだFestpiel :Die Rose von Dilsberg「ディルスベルクの薔薇」の祝祭劇の事も書いたのだが、この要塞には行った事が無い。<br />今回、その宿題を済ませたいのである。<br /><br />写真は要塞のある一帯は緑、遠くにネッカー川が見える。

    Neckargemuendネッカーゲミュント・Dilsbergディルスベルク:

    森林地帯を流れ出るElsenzエルゼンツ川がNeckarネッカー川に注ぐ河口に位置し、人口14千人の町ネッカーゲミュントには古城街道の古城群の一つに数えられるBurgfeste Dilsbergディルスベルク要塞がある。

    以前、Die Rose vom Dilsberg「ディルスベルクの薔薇」の伝説を書いた。また、これに因んだFestpiel :Die Rose von Dilsberg「ディルスベルクの薔薇」の祝祭劇の事も書いたのだが、この要塞には行った事が無い。
    今回、その宿題を済ませたいのである。

    写真は要塞のある一帯は緑、遠くにネッカー川が見える。

  • ネッカーゲミュントの町中からディルスベルクの道は、片側が工事中で規制されていた。<br /><br />ここで不快なことがあった。前に工事用の小型ブルドーザー1台と3台の乗用車が並び、信号が青になると共に2台の乗用車が順にブルドーザーを追い越して前に進んだ。続いて私も追い越しのサインを出してから追い越しにかかった。<br /><br />突然、ブルドーザーがサインを出して、工事用の作業場所に左折した。こちらは慌てて急ブレーキをかけ、追突を免れた。<br /><br />明らかに私よりも遅れてサインを出したはずだったが、車上で運転手がわめく。こういう時は日本語でこちらま負けずに怒鳴り返すのが一番。<br /><br />事故ったわけでもなく、後ろの車も来ていたので、そのまま車を進めたが、それでも後味の悪いもの。運転注意!だと反省。<br /><br />写真はディルスベルク要塞の市城門前・バラの広場と名がついていた。

    ネッカーゲミュントの町中からディルスベルクの道は、片側が工事中で規制されていた。

    ここで不快なことがあった。前に工事用の小型ブルドーザー1台と3台の乗用車が並び、信号が青になると共に2台の乗用車が順にブルドーザーを追い越して前に進んだ。続いて私も追い越しのサインを出してから追い越しにかかった。

    突然、ブルドーザーがサインを出して、工事用の作業場所に左折した。こちらは慌てて急ブレーキをかけ、追突を免れた。

    明らかに私よりも遅れてサインを出したはずだったが、車上で運転手がわめく。こういう時は日本語でこちらま負けずに怒鳴り返すのが一番。

    事故ったわけでもなく、後ろの車も来ていたので、そのまま車を進めたが、それでも後味の悪いもの。運転注意!だと反省。

    写真はディルスベルク要塞の市城門前・バラの広場と名がついていた。

  • 写真は飲み水にはならないが、町の水飲み場

    写真は飲み水にはならないが、町の水飲み場

  • ≪Burgfeste Dilsbergディルスベルク要塞≫ ④ <br /><br />16:30~17:10入場料Euro4(557円)<br />http://www.burg-dilsberg.de/<br /><br />要塞の案内が出てきて、急坂を上る。<br /><br />城塞都市の城門左手に無料駐車場があり、そこに車を置いた。ここからは徒歩でテクテク小さな町の通りを進み、城塞に至る。<br /><br />12世紀後半、Graf von Lauffenラウフェン伯により、ネッカー川の蛇行を見下ろす、標高333mという高さに冠をかぶせたような城塞都市が建設された。<br /><br />13世紀にGraf von Dilsbergディルスベルク伯爵の領地となり、以来その名が町名になった。<br />14世紀以降はプファルツ選帝侯領に組み込まれている。<br /><br />写真は要塞前の広場

    ≪Burgfeste Dilsbergディルスベルク要塞≫ ④ 

    16:30~17:10入場料Euro4(557円)
    http://www.burg-dilsberg.de/

    要塞の案内が出てきて、急坂を上る。

    城塞都市の城門左手に無料駐車場があり、そこに車を置いた。ここからは徒歩でテクテク小さな町の通りを進み、城塞に至る。

    12世紀後半、Graf von Lauffenラウフェン伯により、ネッカー川の蛇行を見下ろす、標高333mという高さに冠をかぶせたような城塞都市が建設された。

    13世紀にGraf von Dilsbergディルスベルク伯爵の領地となり、以来その名が町名になった。
    14世紀以降はプファルツ選帝侯領に組み込まれている。

    写真は要塞前の広場

  • 三十年戦争では、Tillyティリー将軍が率いる帝国軍(旧教派)は1621年の秋にネッカーシュタイナッハを占領すると、1622年4月に対岸のディルスベルク城の包囲戦を行った。<br /><br />この戦いにも持ちこたえた城塞都市であったが、17世紀後半、プファルツ継承戦争、18世紀後半のフランス革命などで仏軍の侵攻を受け、ディルスベルク要塞は軍事的な機能を失った。<br /><br />写真はマントの壁と称されている。中央下に井戸、右手に塔がある。城壁にはこの塔から上がる。

    三十年戦争では、Tillyティリー将軍が率いる帝国軍(旧教派)は1621年の秋にネッカーシュタイナッハを占領すると、1622年4月に対岸のディルスベルク城の包囲戦を行った。

    この戦いにも持ちこたえた城塞都市であったが、17世紀後半、プファルツ継承戦争、18世紀後半のフランス革命などで仏軍の侵攻を受け、ディルスベルク要塞は軍事的な機能を失った。

    写真はマントの壁と称されている。中央下に井戸、右手に塔がある。城壁にはこの塔から上がる。

  • 現在、城址は見学することができる。小山の頂に築かれた城塞都市には唯一の入口である城門があり、城址には66段の階段を上る塔があり、そこから防御壁に一本の橋が架かり、16mの高さの壁はマントを広げたような形になっており、“マントの壁”と呼ばれている。<br /><br />塔は上ったものの高所恐怖症の私は橋を渡る気力が無く、家内が平気で渡るのを見守るだけだ。<br /><br />写真は塔とマントの壁を繋ぐ橋。

    現在、城址は見学することができる。小山の頂に築かれた城塞都市には唯一の入口である城門があり、城址には66段の階段を上る塔があり、そこから防御壁に一本の橋が架かり、16mの高さの壁はマントを広げたような形になっており、“マントの壁”と呼ばれている。

    塔は上ったものの高所恐怖症の私は橋を渡る気力が無く、家内が平気で渡るのを見守るだけだ。

    写真は塔とマントの壁を繋ぐ橋。

  • 家内は“マントの壁”を先にまで行き、ネッカーを望む周辺の眺望を楽しむことが出来たそうだ。小休止を取る。絵葉書3枚Euro1.8(250円。<br /><br />写真はマントの壁の上はこのようになっているようだ。

    家内は“マントの壁”を先にまで行き、ネッカーを望む周辺の眺望を楽しむことが出来たそうだ。小休止を取る。絵葉書3枚Euro1.8(250円。

    写真はマントの壁の上はこのようになっているようだ。

  • 写真は塔からちょっと身を乗り出して、辛うじて私が撮ったネッカー川の向こう側Neckarsteinachネッカーシュタイナッハの景観。

    写真は塔からちょっと身を乗り出して、辛うじて私が撮ったネッカー川の向こう側Neckarsteinachネッカーシュタイナッハの景観。

  • 写真は山上の要塞。

    写真は山上の要塞。

  • 中庭に深さ46mの井戸があり、その底にネッカー川近くまで80m程の坑道が造られている。非常時には城主が井戸からネッカー川に逃げ、船で脱出することができたとか・・・。<br /><br />写真は深さ46mの井戸

    中庭に深さ46mの井戸があり、その底にネッカー川近くまで80m程の坑道が造られている。非常時には城主が井戸からネッカー川に逃げ、船で脱出することができたとか・・・。

    写真は深さ46mの井戸

  • 写真は井戸の下の坑道はこんな感じらしい。

    写真は井戸の下の坑道はこんな感じらしい。

  • 尚、以下の番外編3つを参照。<br /><br />≪伝説:ディルスベルクの薔薇Die Rose vom Dilsberg≫<br />ディルスベルクの薔薇の伝説は悲しい運命に翻弄されたGraf Heinrich von Dueren伯爵ハインリッヒ・フォン・デューレンの“美しきバラ”と呼ばれたRosamundロザムント姫を思い起こさせる。<br />http://4travel.jp/travelogue/10986881<br /><br />≪Festpiel : Die Rose von Dilsberg「ディルスベルクの薔薇」の祝祭劇≫<br />この城に云い伝えられてきたDie Rose vom Dilsbergディルスベルクの薔薇の伝説をテーマにして、詩人・俳優であったBruno Hermann Hottenroth (1874〜1933年)ブルーノ・ヘルマン・ホッテンロートが、音楽と踊りに彩られた舞台劇脚本を書いた。<br /><br />≪Die Sage :Die Bienen von Dilsberg 伝説・ディルスベルク城の蜂≫<br />敵兵の侵攻を防いだ蜂の話。<br /><br />http://4travel.jp/travelogue/10988136<br /><br /><br />XXX<br /><br />写真はおまけです。要塞の秋の景観・俯瞰

    尚、以下の番外編3つを参照。

    ≪伝説:ディルスベルクの薔薇Die Rose vom Dilsberg≫
    ディルスベルクの薔薇の伝説は悲しい運命に翻弄されたGraf Heinrich von Dueren伯爵ハインリッヒ・フォン・デューレンの“美しきバラ”と呼ばれたRosamundロザムント姫を思い起こさせる。
    http://4travel.jp/travelogue/10986881

    ≪Festpiel : Die Rose von Dilsberg「ディルスベルクの薔薇」の祝祭劇≫
    この城に云い伝えられてきたDie Rose vom Dilsbergディルスベルクの薔薇の伝説をテーマにして、詩人・俳優であったBruno Hermann Hottenroth (1874〜1933年)ブルーノ・ヘルマン・ホッテンロートが、音楽と踊りに彩られた舞台劇脚本を書いた。

    ≪Die Sage :Die Bienen von Dilsberg 伝説・ディルスベルク城の蜂≫
    敵兵の侵攻を防いだ蜂の話。

    http://4travel.jp/travelogue/10988136


    XXX

    写真はおまけです。要塞の秋の景観・俯瞰

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