画家たちが愛した光景を見たければ、アルザス地方のカイゼルスベルク(フランス語はケゼルスベール)に行こう。
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- 旅行時期:2015/07(約10年前)
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by jijidarumaさん(男性)
ケゼルスベール クチコミ:2件
“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間
<“ Route des Vins d'Alsace ”(アルザスワイン街道)を走る。>
7月20日(月) 曇りのち晴れ 25~30.5℃ 129km;前半合計899km
<Kaisersbergカイゼルスベルク(フランス語はケゼルスベール)>
http://www.kaysersberg.com/
13:55~14:40 30℃
シュヴァイツァー博士の生誕地として知られるカイゼルスベルクは戦火を免れた村でコルマールから約 11kmにある。人口2705人。
<カイゼルスベルクの歴史>
中世の頃、ヴァイス川流域沿いの道はライン川方面とロレーヌ地方を結ぶ交易の道として利用された。
この村のカイゼルスベルク城砦について記述されたのは1227年が最初の事で、Stauferkaiser Friedrich II.シュタウフェン王朝のフリードリヒ2世が交易の道を守る城砦を建てた(あるいは改築した)ものとみられる。
1293年、神聖ローマ帝国により、カイゼルスベルクは帝国都市として認められ、栄えた。
1353年には“アルザスZehnstaedtebund 10自由都市同盟”の一員として、さまざまな特権を与えられ、コルマールの項で書いた神聖ローマ帝国の将軍、Lazare de Schwendiラザール・ド・シュヴァンディ男爵(1522 から1583年)がもたらしたブドウのPinot Grisピノ・グリ種から育てたワインの交易で一層の繁栄を得たと云う。
1848年、ヴェストファーレン条約により三十年戦争も終結し、村はフランスに帰属した。
1871年、普仏戦争の結果、逆にフランスは東部のドイツ系住民居住地域であるアルザス・ロレーヌ地方3県を失い、1919年までドイツ帝国直轄領エルザス・ロートリンゲン州となった。
<カイゼルスベルクの見どころ>
空堀傍の駐車場から歩きだし、路地から大通りに入ると、そこはもう古めかしい木組みの家が続き、洒落たブドウの図柄の看板が有り、花をきれいに飾る窓辺が目に入ってきた。
カイゼルスベルク城址の見えてくると、ヴァイス川にかかる石橋に至り、中央には小さな礼拝堂がある。
橋の左右を見れば、ヴァイス川が流れる領域に木組みの家が並ぶ。これぞ画家たちが愛した光景だと、納得したものだ。
1)中世の雰囲気を伝える木組みの家々とLa Weissヴァイス川
15から17世紀に建てられた古い木組み建築の家々が今も残り、赤、紫、ピンク、白の花々が窓辺に置かれている。村の中心には小川ラ・ヴァイス川(全長24km、ラインの支流)のせせらぎが見られ、画家たちが愛した素晴らしい景色になっている。
2)Kirche Sainte-Croix (Heilig Kreuz)サン・クロワ教会とFontaine Constantinコンスタンティヌスの泉
1230年に建築が始まったロマネスク様式の教会。中央入口部は13世紀、側廊は15から16世紀建築のもの。中にはHans Bongartジャン・ボンガルト作の見事なイエス・キリストの祭壇画(16 世紀)が掲げられている。教会正面にはコンスタンティヌスの噴水がある。
3)カイゼルスベルク城址
ぶどう畑の小高い丘の中腹に残る13世紀建築の城址、見晴らしの利く見張り塔には登れる。
4)Chapelle de l’Oberhofロベロフ礼拝堂
14世紀末に建築された。18から19世紀の多彩な像を内蔵します。
5)村の庁舎
1604年に建築されたルネサンス様式の庁舎で、現在は観光案内所としても使われている。
6)Musee d'Histoire Locale歴史郷土博物館
14から18 世紀の宗教芸術を集めた博物館。
7)クリスマスマーケット
小ぢんまりした村のクリスマスも人気が高い。
8)Centre Culturel Albert Schweizerシュヴァイツァー文化センター
シュヴァイツァー博士の生まれ故郷として、生家は博士の活動を紹介する。
ZZZZZ
(2025年11月10日改定)
- 施設の満足度
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5.0
- 利用した際の同行者:
- カップル・夫婦(シニア)
- 観光の所要時間:
- 1-2時間
- アクセス:
- 3.5
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
クチコミ投稿日:2016/01/09
いいね!:5票
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