2015/07/14 - 2015/07/28
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jijidarumaさん
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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937
7月19日(日) 朝方は小雨、昼頃から晴 21.5~28℃ 123km
Vogtsburg-Oberbergenフォーグツブルク・オーバーベルゲン =>L? 6km V-Burgheimブルクハイム =>L?(Breisachブライザッハ)=>B31・415 42km フランス・Colmarコルマール・Romatik Hotel Le Mare’chalロマンチックホテル ル・マレシャル
*オーバーベルゲンからもう緑豊かな農村地帯である。道も狭く、曲がりくねってくる。6kmでVogtsburg-Burgheimフォーグツブルク・ブルクハイムという小さな村に着く。
写真はブルクハイムの古城跡はブドウ畑に囲まれている。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
カイザーシュトゥールの西に位置するブルクハイムの城山には紀元前2000年の頃に既に城塞があったと云う。西を流れるラインのお蔭で温暖な地域を形成しているという、この地域は古くから人間の住居に適していたのであろう。
この小さな村は歴史好きに好ましい城址と旧市街があり、同時に優良なワインを産出することで知られている。
ブルクハイムの紋章は五つの塔がある城を表現しているようだが、ブドウのデザインは使用していない。かつてはそれなりに隆盛を誇った中世都市のように見える。
写真はVogtsburg-Burgheimブルクハイムの紋章 -
ブルクハイムのことを“バーデン地方のローテンブルク”とも称する人もあるが、両者を比べてみれば、こちらは少々?規模も中身も物足りないのだが・・・。
ブルクハイムの土地の総面積は573ヘクタールあり、うち果物と農業が232ヘクタール、森が184ヘクタール、そしてブドウ畑が157ヘクタールの構成になっていると云う。
写真はブルクハイムの俯瞰 -
Bercherベルヒャーという、バーデンワインのトップワイナリーもこの町にあるそうだ。
Weingut Bercher OHG
D-79235 Vogtsburg ? Burkheim 、Mittelstadt 13
http://www.weingutbercher.de/
ベルヒャー所有の有名なブドウ畑には村の北西に位置するSchlossbergシュロスベルク、北に Feuerbergフォイヤーベルクのブドウ畑がある。
写真は2007年春の訪問時、ブドウ畑 -
歴史を読むと、1330年にはオーストリア・ハプスブルク公爵Herzog Otto IV.オットーIVがRudolf II.von Hachbergハッハベルク家のルドルフ2世からブルクハイムと、カイザーシュトゥールの西の所有地を獲得している。
その後の時代もハプスブルク家の支配下で、ブルクハイムは度々、スイス、アルザス、ブライスガウの様々な騎士に貸し与えられていたようだ。
写真は2015.07.19.Vogtsburg-Burgheim:ブルクハイム城址 -
この村には外壁のみのBurgruine Burgheimブルクハイム城址⑩が海抜200mの小高い丘の上にある。
<ブルクハイム城の歴史>
ブルクハイム城は1231年1月13日、Markgrafen von Hachbergハッハベルク辺境伯の居城となったことが歴史書に書かれている。
1316年にはHerren von Uesenbergイーゼンベルクの騎士、
1561年、Lazarus von Schwendi und die Familie Bastianラザラス・シュベンディとバスティアン家が所有した。この時期が隆盛を誇ったようだが。
その後は何度か、破壊と再建を繰り返したが、1672~1676年のオランダ侵略戦争(ルイ14世の仏王国と、オランダ・神聖ローマ帝国・スペイン帝国との戦い)に絡んで、城は完全に破壊された。
今はかつての城郭と城壁の一部が残っているだけで、所有者はワイン醸造家である。
2007年当時に、高台の駐車場に車を停めて、周りがブドウ畑で囲まれた城址に行ってみた。私有地の為か、中に入る道が見つからず、諦めて小さな村を歩いた記憶がある。
写真は2015.07.19.Schlossruine Burgheimブルクハイム城址1 -
その時と同じように高台の駐車場に車を停め、村のマルクト広場にむかって歩いて行く。
小さな村(海抜212m、人口920人)の中心地はStadttor村の門を入った所にある。
この村は村を囲む防衛壁、ブルクハイム城址を含め、村全体が文化財保護の対象になっている。
写真は前方にStadttor村の門 -
かつての旧市街は現在もまだ部分的に残っているSchwendiシュベンディ(16世紀の領主)によって建設された防衛壁に囲まれていました。
村門もかつては3つあったが、今は中心地に入る門Rotweiler Torロットバイルの門のみが残っている。他のSchultorシュール門は村の西に、Rheintorライン門は東にあったそうだ。
写真はRotweiler Torロットバイルの門 -
写真は旧市街の通りをマルクト広場に
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マルクト広場にはルネッサンス風の赤い色をした庁舎(1604年)、大きな菩提樹の下に泉(井戸)が見られた。
写真はマルクト広場の周辺 -
写真は2015.07.19.Burgheim:Rathaus庁舎(1604年)
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写真はRathaus_(Burkheim_Kaiserstuhl)_ブルクハイムの庁舎の入口
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写真は2007年春、藤が咲いていました。大きな菩提樹の下に泉(井戸)。
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木組みの家も通りの左右に散見される。
中でも、最も有名な木組の家はかつての旅籠であり、特徴的なデザインの壁面が見える。
写真はかつての旅籠 -
写真は2015.07.19.BurgheimHaus_zu_den_fuenf_Tuermenかつての旅籠
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写真は中心地に入る門Rotweiler Torロットバイルの門からマルクト広場方面を見る。
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写真はRuine_(Burkheim_Kaiserstuhl)_ブルクハイム城址への入口・・2007年当時は見つけられなかった。
-
参考;Korkenziehermuseumワインのコルク栓抜き博物館
D-79235 Vogtsburg-Burkheim 、Mittelstadt 18
開館:3月〜10月 、水〜土の11時から18時
ドイツでも唯一と云われる珍しい博物館で、蒐集された400のコルクの栓抜きが展示され、およそ350年の歴史を語る、古いものから新しいものまでワインとワインに関係したアクセサリーなど、1200の数が展示されている。(2003年開館された。本日は休館日!)
写真は2015.07.19.Burgheim:Korkenziehermuseumワインのコルク栓抜き博物館を旧市街の通りから -
写真は2015.07.19.Burgheim:Korkenziehermuseumワインのコルク栓抜き博物館の入口
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歩き疲れて、庁舎近くにあった小さなカフェの女主人に私共がトイレの場所を聞くと気軽に教えてくれた。(Euro0.5X2=1)
お茶:Lillis Schatzruheリリーの大切な休息所(直訳だと、宝休み!だが)で
(11:35〜12:30、Euro11=1,532円)
D-79235 Vogtburg-Burkheim、Mittelstadt 16
Tel:07662−1608
営業時間は月〜土 7:00〜10:00、日 8:00〜10:00 、金〜日14:00〜18:00
写真はお手製のシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森の さくらんぼケーキ) -
小さなカフェはFrau Elli Probstエリー・プロブスト夫人(52歳)が経営する店だった。
もう午前の営業時間は終わっていたはずだが、近郊の村Jechdingenイエヒディンゲンから常連客で友人のFrau Annette Kromerクロマー夫人(45歳)が、母親のお気に入りのケーキSchwarzwaelder Kirschtorteシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテを買いに来ていたので、私共も“コーヒーとケーキでしばし休憩したい。”と言うと、歓迎してくれた。
二人がこのクロマー夫人お手製のシュヴァルツヴェルダー・キルシュトルテ(黒い森の さくらんぼケーキ)を美味しいからと勧めてくれた。勧めるだけあって、ケーキは実に美味しく、楽しい時間を過ごせた。
例によって、「どこから来たのか?どんな旅をしているのか?年金生活だと言うと、幾つなのか?二人とも72歳ですって!これは驚いた!日本人(家内)は何でそう若いのだという事になった。」
お茶をそっちのけで、20歳と27歳離れた典型的なドイツ夫人と健康談義となった。曰く、「私共は毎日のストレッチ(私が学生時代にやっていた少林寺拳法部流のストレッチにいくつか我流のものを加えて、毎朝15分程度行うものだ)を欠かさずやっていてと、その説明をしながら、特に重要なのは片足立ちだと、両方の足で実演して見せた。
二人とも片足立ちはできずにすぐに足をつき、大笑いである。クロマー夫人は自転車こぎをしているが、とても貴女のようにスリムになれない、降参だとなった。」
話が経済談義にもなって、「中国と日本の貢献にも及んだ。例えとして、国連分担金は日本の負担率(2013〜2015年)は11%で、米国の22%に次ぐ世界2位になっている。
これは長年の貢献であるし、ドイツ(7%)や中国(5%)を大きく上回っていると、大いに日本の為に講釈してしまった。」
写真は大柄なドイツ夫人たちに挟まれて -
≪Badische Weinstrasseバーデンワイン街道≫
1954年に創設された観光街道のバーデンワイン街道はラインの最上流部ボーデン湖周辺スイス国境のバーゼルから、ハイデルベルクに至る南北500kmにわたる長細い産地でドイツワイン産地では最も温暖な地域である。
地域的には広大な面積*栽培面積:15761(ha)をもつが、ブドウ畑は点在している為、ヴュルテンベルク地域に次いだ赤ワイン生産量国内第二位となっている。
造られるワインは酸が少なく、他の地域とくらべて辛口でアルコール分に富んだやや重いタイプが中心で、ドイツワインというよりもフランスワインに近い性格を持っている。
この地域の特徴はコクのある白ワインと、柔らかなタイプから気性の激しいタイプの赤ワインである。
写真は2015.07.19.Bercher・Burkheimer Schlossgartenベルヒャー所有の有名なブドウ畑は村の北西に位置するSchlossbergシュロスベルク -
【トップワイナリー】
Dr.Heger (ヘーガー);Ihringen
Bercher(ベルヒャー);Burkheim
Bernhard Huber(ベルンハルト・フーバー);Malterdingen
バラエティに富んだ地域だが大きくは三地区である。
北部:Ortenau(オルテナウ)地区・・・バーデン・バーデンからエンディンゲンまでの地区、
中央部:Kaiserstuhl(カイザーシュトゥール)地区、Breisgau(ブライスガウ)地区、Tuniberg(トゥニベルク)地区
南部:Markgraflerland (マルクグレーフラーラント)地区・・・ボーデン湖北岸
上記の三つのトップワイナリーはカイザーシュトゥール地区と近辺にある。
観光客や地元の人間により消費される点から、フランスのプロヴァンスのワインに似ている。
写真は2015.07.19.Bercher・Burkheimer Feuerberg
ベルヒャー所有の有名なブドウ畑は村の北に Feuerbergフォイヤーベルクのブドウ畑がある。 -
さて、まだ旅の先がある。これからBreisach ブライザッハを経由して、フランスのアルザス・コルマールを訪れる予定だと、楽しいお二人に別れを告げた。
写真は独仏国境の町ブライザッハ・俯瞰・・・中央に大聖堂、川はラインである。左上に丸く新ブライザッハの町が見える。 -
今回は通過してしまったが、ブライザッハはとても記憶に残る町で、2007年春に訪れた際、初めて知った双子の都市:ドイツのBreisachブライザッハとフランス領にあるNuef Brisach新ブライザッハについてここで書いてみたい。
≪ドイツのブライザッハとフランス領にある新ブライザッハ≫
(2007年4月24日 15:35〜15:55)
Breisach ブライザッハは人口12千人の町だが、4000年の歴史をもつ町である。Freiburgフライブルク(独)、Strassburgシュトラースブルク(仏)、Baselバーゼル(スイス)の大都市とも車で1時間の距離にあり、また、黒い森やバーデンワインの産地にも近い。
St.Stephans-Muenster聖シュテファン大聖堂の建っている高台はその昔、ケルト人の砦が設けられた地でもある。
市内散策にとSt.Stephans-Muenster聖シュテファン大聖堂のある高台に登っていく。高台からは町の中心部、フライブルグの方向に黒い森がみえる。
そして意外に川幅が狭く見えるライン川の流れや、ライン橋の向こうにはフランスも見える。
写真は旧市街の城門から大聖堂の道を上がる -
その後はローマ軍団の根拠地にもなり、古くから、ライン川の要衝として、軍事・交易の中心であった。12世紀にシュタウフェン王朝によって町が建設され、17〜8世紀にはハプスブルグ帝国とフランスとの領地争いもあって、町の重要さが増し、強大な要塞都市になる。
1793年には仏革命軍の砲撃により、町は壊滅する。第二次大戦末期の1945年にも連合軍によって、町の85%が破壊されてしまうが、1950年には早くも町は再建されたと云う。
写真はSt.Stephans-Muenster聖シュテファン大聖堂のある高台から旧市街と、遠く黒い森を望む -
写真は大聖堂のある高台からライン川方面を望む
-
大聖堂は12〜5世紀の創建で、ロマネスク、ゴシック様式の建物。第二次大戦ではひどく破壊されたが、内部は被害から免れ、戦後に再建された。
現在も修理作業中である。
写真はSt.Stephans-Muenster聖シュテファン大聖堂 -
写真はスポットライトで照らされた大聖堂
-
ホテルの前はライン川に繋がる港になっていて、小さなボートなどが繋留されている。その先はライン川の観光船の船着場もあり、二、三隻の観光船が停泊している。
写真はRheinuferライン川畔の朝 -
Rheinuferライン川畔から今見る、朝日を浴びた大聖堂も、昨夜の食事帰りに見た、スポットライトで照らされた大聖堂もいずれも美しい。
写真は修理中であるのが分かる大聖堂 -
フランス領にある新ブライザッハ(仏語ではヌフ・ブリザック)はB31の延長線にあり、12kmの距離である。
ほんのちょっと走ると言う感じで、ライン橋を渡った先にある。ECになって、国境が無くなり、お互いが簡単に行き来できる。
写真は2007.04.24.仏領Neuef Brisach:Luftbild俯瞰・・・8角形(ヒトデ形)の旧市街 -
フランス側に行くと、道路沿いに昔の国境事務所跡やバリケードも見られる。ブライザッハからアッという感じで、新ブライザッハの町の門をくぐる。函館五稜郭のような防塁に囲まれた町は、今も星のような8角形(ヒトデ形)の旧市街を残している。
中心に泉があるマルクト広場には何かの催しが予定されているのか、幾つものテントが張られ、作業員が忙しく働いている。
小さな町を防塁に登る為、歩いてみたが、やはりフランスは貧しい。
家々が汚く、人々も貧しそうな格好をしていて、教育も今ひとつのようだ。
ラインの対岸にある町なのに若い人は完全にドイツ語が通じない。
写真は2007.04.24.仏領Neuef Brisach:マルクト広場 -
1753年建設の石造の庁舎だけがいやにきれいで、立派なのがフランス(権力的)らしくて、おかしい。
数メートルの高さの防塁上から見る空掘りは草々が生い茂っているが、明確に形を残し、防塁が長々と伸び、町を囲んでいるようだ。車で入ってきたBasler Torバスラーの門も見える。
こんな所を歩く人もいないし、町には観光客の姿も見えない。
写真は立派な庁舎 -
<双子のような二つの町:ブライザッハと新ブライザッハについて>
この独仏にある双子のような二つの町は17世紀の中頃まで、共有の歴史を見ることができる。2000年の昔、上ライン川の両岸はケルト人一族の植民地として、支配されていた。
紀元1世紀、ローマ軍がこの地を侵略し、ゲルマンに備えて、ローマ軍の砦がライン川に沿って作られる。4世紀にはブライザッハの丘(現在の大聖堂の建つ場所)の重要性を知ったローマ軍により、砦が建設される。
その後、この地域一帯ははゲルマン人が支配し、中世になると、神聖ローマ帝国(ヒットラーのドイツ第三帝国にたいし、第一帝国とも云われる。)の領地になる。
写真は2007.04.24.仏領Neuef Brisach:城壁からの展望 -
そしてElsassアルザス・Breisgauブライスガウ(カイザーシュトゥール地方から、ラインに沿った南部の地方の総称で、中心はBreisachブライザッハやFreiburgフライブルク)はオーストリア帝国・ハプスブルグ家の支配下となる。
1618〜48年の30年戦争後はアルザス・ブライザッハがフランス・ブルボン王家に支配が移る。
1697年ブライザッハはオーストリアに譲渡され、このとき初めて、ライン川がフランス王国とオーストリア帝国との国境線になる。
写真は2007.04.24.仏領Neuef Brisach:城壁 -
この為、仏・太陽王ルイ14世はブライザッハに代わる新ブライザッハ要塞をライン川の反対側に建設する事とした。
その後も1870〜1年の普仏戦争、第一次、二次大戦と歴史はめまぐるしく、この地域の支配を変遷させた。
現在、二つの町はラインの両側の町として、国境を越えた友好都市となっている。観光案内所で頂いたパンフレットの両面を読んでみると、歴史・文化などこの両都市を等しく説明している。この事でも、その友好度が理解できる。
XXX
写真は2007.04.24.仏領Neuef Brisach:城壁 -
2007年4月当時のブライザッハの観光局のパンフレットは次の“Fortifications de Vaubanヴォーバンの防衛施設群”については、書かれていない。
2008年に新ブライザッハ(ヌフ・ブリザック)要塞は“ヴォーバンの防衛施設群”の一つとして、世界遺産に登録されたのが背景にある。フランスのBesanconブザンソン市が主導権を握り、世界遺産を検討した事もあってか、パンフレットにその記載が無かったのだろう。
<星形要塞(伊fortezza、 仏Fort、Citadelle、独 Festung 、Zitadelle)>は火砲に対応するため15世紀半ば以降のイタリアで発生した築城方式。あるいはイタリア式築城術、稜堡式城郭、ヴォーバン様式という名で分類される。最終的に考案したヴォーバン式星型要塞は死角が無い星型で、攻め寄せる敵に十字砲火を浴びせ、防御力を高めた。
・・・私の中では日本の函館・五稜郭のイメージが強く、それもオランダがこの様式を作り、オランダから日本はその知識を得たと思っていたのだが・・・
ルイ14世に仕えた軍人で築城の名手と云われたSebastien Le Prestre, Seigneur de Vaubanセバスティアン・ル・プレストル・ド・ヴォーバン(1633〜1707年)が築いた稜堡式要塞など、要塞や都市の城壁を対象とするものであり、ブザンソンをはじめとするフランスの12ヶ箇所(以下参照)に残るものがまとめて登録された。
それらは防衛上の必要性から、いずれもフランスの国境に沿って、円を描くように存在する。
写真はCarte_des_sites_majeurs_de_Vaubanヴォ―バンの防衛施設群・世界遺産2008年 -
Arrasアラス、
Besanconブザンソン、
Blaye/Cussac-Fort-Medocブライとキュサック・フォール・メドック、
Brianconブリアンソン、
Camaret-sur-Merカマレ・シュル・メール、
Longwyロンウィ、Mont-Dauphinモン・ドーファン、
Mont-Louisモン・ルイ、
Neuf-Brisachヌフ・ブリザック(ドイツのBreisachブライザッハも含む)、
Saint-Martin-de-Reサン・マルタン・ド・レ、
Saint-Vaast-la-Hougueサン・ヴァースト・ラ・ウーグ、
Villefranche-de-Conflentヴィルフランシュ・ド・コンフラン
写真はBesancon_-_Citadelleブザンソン要塞 -
ヴォーバンは生涯で、新たに基礎から築いた要塞が37ヶ所、改修に携わった要塞が300ヶ所、攻略した要塞が53ヶ所とされている。
手がけた要塞のうちでもっとも有名なのは、ベルギー国境にある二つの要塞
La Citadelle de Lilleリール要塞(1668〜1674年、「城塞の女王」という別名もある)、
La Citadelle de Maubeugeモブージュ要塞(1683〜1905年)であり、
そしてドイツとの国境・ライン川沿いにあるヌフ・ブリサック要塞(1697〜1708年)である。
とりわけベルギー・ルクセンブルクの国境にあるロンウィ要塞(1678年建造)は1914〜1918年の第一次大戦に至るまで軍事的な要塞機能を十分に発揮した。
:Wikiを参考に編集した。
XXX
写真はLa Citadelle de Lilleリール要塞 -
写真はCitadelle_Maubeugeモブージュ要塞の縄張り
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写真はFortbourtange1750年の状況に復元されたブルタング要塞(グローニンゲン、オランダ)
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写真はCitadelle_de_Strasbourg_-_plan_relief_1863シュトラースブルクの要塞
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写真はDBP_1994_400_Jahre_Zitadelle_Spandauベルリン・シュパンダウ要塞切手
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写真はベルギー・Chateau de Namur城塞(Citadelシタデル)跡
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写真は日本を代表する稜堡式城郭である函館五稜郭
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ドイツワイン街道とRheinland-Pfalzラインラント・プファルツ州 & Saarlandザールラント州 を巡る旅
期間 : 2010年10月18日(月)〜11月01日(月)
10月26日(火)57km 、今朝も霜が降りた寒い−0.5℃、快晴 、10℃
秋も深まりつつあるSaarlouisザールルイの市内観光に出かけた。
≪Saarlouisザールルイ≫
9日目となるSaarlouisザールルイの町はフランスの名高い太陽王ルイ 14世によって建設されたFestungstadt要塞都市である。
町の名前を“ザール川のルイ”と称しているだけに、ブルボン王家の家紋のアヤメ(アイリス)の花が目立つ町だ。本日は石造りの建造物、要塞などを見てまわる予定にしている。人口38,000人。
<Festungstadt要塞都市>:
1679年にロレーヌ地方がフランスに帰属し、ルイ14世はザール川右岸の防御を固めるために要塞を設けることを命じた。
ルイ14世が1680~86年にかけて、当時の著名な要塞建築家ヴォーバンに造らせた星型(1866年の函館の五稜郭も似た星型)にかたどった要塞は有名である。後にプロイセンにより丸天井に作り変えられ、装甲防弾室が作られたと云う。
現在も要塞の一部が残り、市民の憩いの公園になっている。要塞の一部もいろいろなレストランが入って、利用されている。
写真は2010.10.26.Saarlouis:要塞の星型 -
1683年、ルイ14世は建設中の要塞都市を訪れ、紋章を授けた。紋章には王冠の下に朝日と、3つのアヤメ(アイリス)の花が描かれている。そして、この町のモットーであるDissipat Atque Fovet(太陽は雲と大地の熱を四散させる)がその上に書かれている。これほどの関係であったが、仏革命当時はルイの名をつけることを嫌った革命政府がSarre-Libreサール・リーブルと改名させたと云う事もあった。
1810年には元に戻っている。
また、かつて1697年にはロレーヌ地方の大部分がフランスの支配をのがれ再独立をした時も、この町と周辺はフランスの”飛び地領”として残った事もある、
あるいはナチス政権下の1936年〜45年の間、Saarlauternザールラウテルンと、ドイツ語的に改名していたこともある。
ザールルイは第一次、第二次大戦後、いずれもフランスの治下から、ザール地方の諸都市同様に住民投票でドイツに帰属することになった。
こうした歴史経緯があるにもかかわらず、この町は“ザール川のルイ”であり、“ルイ14世の町”であった事を誇りにしているようだ。
写真は2010.10.26.Saarlouis:町の中心地のマンフォールの蓋 -
さて、町の観光局は市庁舎にあり、観光案内書を貰いに行った。親切な担当者から、この町を観光するにはアヤメ(アイリス)の花の紋章が道路に埋められて、その標を辿っていくと、市内観光の主たるところが見られると、教えてもらった。
早速、市役所前のマルクト広場から、一時間コースの道をスタートした。広場はかつての練兵場で、今は10,000?の大きな駐車場になっている。観光局に行く為に、先ほどそこに停めていた。時間は2時間としていたが、サー回れるだろうか。
マルクト広場の周囲はカトリックの巡礼教会のSt. Ludwigskirche(1685年)とバロック様式の司令官邸が向き合い、左に市庁舎(1954年、17世紀のゴブラン織りを掲げた広間があると云う。)がある。市庁舎の右手の路地を矢印に沿って行くと、堡塁・砲郭が高さ10m、幅20m? 長さはずっと先まであるがよく分からない。今はその壕をレストラン、飲み屋等が使っているのだ。
写真は2010.10.26.Saarlouis:現在の要塞は公園 -
ドイツ通りにドイツの門があり、右にプロイセン時代を思い出させる王冠、左にプロイセン(ドイツ帝国)の紋章を見ることができる。ルイ14世に対抗するように、左右にドイツを示しているのが面白い。
そこから旧市街をまわるRingの道を横切って、公園に向かった。
35haの広い公園はザール川の水を引き込んだ水濠に囲まれていて、時には洪水の備えにもなっていると云われる。
公園には噴水、Vauban-Inselヴォーバン島があって、ミシェル・ネイ(1769?〜1815)の 立像が立っていた。ナポレオン皇帝当時の陸軍元帥だが、当地の出身者であることを記念したものだ。兵隊の像も立っていたが、さて、独仏どちらのものか。
写真はドイツ通りにドイツの門 -
町の地図を見ると、いまだに6角形をした市街地・要塞都市の歴史が良く分かる。
ヴォーバン島から市街地に戻ると、突然、声をかけられた。ドイツ人ではない人のようで2人ずれだ。何やら住所のメモを示して、そこに行きたいらしい。手元の地図で、この通りの右手にあると教えてあげた。ほんの少し先だったが分からなかったようだ・・・観光者の私どもに聞くのも妙なものだが・・・。
写真はかつての要塞の跡も秋めいて
以上の5枚は“ヴォーバンの防衛施設群”からヴォーバンの名前でザールルイという、ドイツの町を思い出した。ドイツの町でありながら”ルイ14世の町”を称するのが面白い。
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この旅行記へのコメント (4)
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- のまどさん 2015/12/29 23:38:05
- 星形城塞
- jijidarumaさん、こんにちは。
ブルクハイムは本当にフランスとの国境近くなんですね。両国の対比がなかなか面白く思います。この地方は独領になったり仏領になったりと複雑な歴史を経ているのが分かります。アルザス出身のフランス人は他の地方と比べてゲルマン系の特徴が見受けられる人が多いです。
辛口で濃厚なワイン、とても興味あります。コルク抜き博物館というこだわりのある博物館があるのはドイツならではかもしれません。
jijidarumaさんは少林寺拳法をされていたんですね、ご夫婦ともに毎朝15分のストレッチとは頭が下がります。
星形要塞はやはり死角を消すために入り組んだ線になっているんですね。五稜郭の設計にはフランス人が深く関与していたと思います。最近、ふらっと寄ったフランスとベルギーの村も名前は失念してしまいましたが、星形城塞の中にありました。
早いもので日本滞在も終盤に差し掛かっています。ひたすら物と情報の多さに圧倒されています。今夜は鳴子温泉でゆっくりしています。
今年もご家族ともによいお年をお迎え下さい。来年もよろしくお願いします。
- jijidarumaさん からの返信 2015/12/30 15:28:53
- 星形城塞と年の瀬
- のまどさん
日本滞在も終盤に差し掛かっている時期、ご多用のところ、コメントやご投票ありがとうございます。
ブルクハイムからアルザス地方、ひょんなことで星形要塞の事も書きました。とかく寄り道の多い旅日記で、今年中に手元の日記10日目を終了させたいものです。
日本に帰ると、鳴子温泉・・・やはり温泉が懐かしいのでしょうか!
日本でのご家族との楽しいひと時、それをエネルギーにまた頑張りましょう。
さて、昨日29日は“苦を去る”の意味もあって、今年最後の掃除に励みました。少林寺拳法(4代主将を務めた大学時代の部も、先年にもう50周年を過ぎました)で鍛えた体も古稀を過ぎるとただの老人!で、今日起きてみると、少々体の節々に痛みがあります。・・が、門扉や、玄関ドアなどをきれいにしてみると、いよいよ新年を迎える気分になります。
家内は正月のお節料理作りに集中し始めました。
正月は世田谷の長女一家が1日から来訪、2日には台北生まれの孫娘(次女)も9歳の誕生祝、3日に近所の次女一家が来訪、中一の孫娘から6歳の孫娘まで5人の孫たちが全員そろって11名、年の始めの祝宴になります。
ベルギーでのお勤めも4日からのスタートでしょうね。
こちらこそ、明年も宜しくお願いします。良い年をお迎えください。
jijidaruma
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- frau.himmelさん 2015/12/16 10:56:57
- カイザーシュトゥールとヌフ・ブリザッハ
- jijidaruaさん、こんにちは。
いつもありがとうございます。
さて、前号から度々名前がでて参りますバーデンワイン「カイザーシュトゥール」ちょと気になりまして、私の今回の写真をひっくり返してみました。
やはり、ありました。
今回ブライザッハに行きましたが、そこでいただいたワインがまさに「カイザーシュトゥール」でした。
ブライザッハはワインで有名なところだと聞いておりましたので、なるほどねーと思いました。
また、ヌフブリザック、あそこにはヴォーバンが造った要塞がありますね。
あそこにもいかれたのですね。
私も、4,5年前になりますか、フライブルクから列車でブライザッハに出て、そこから路線バスでコルマールに行きましたが、途中、要塞のところを通りました。
後からあそこがブライザッハと双子都市のヌフブリザックで、ヴォーヴァンの要塞群として世界遺産になっていることを知りました。
現地の方しか乗らないのどかなバスでしたが、あのコースをまた機会があれば乗りたいなと思っています。
思い出させてくださいましてありがとうございました。
himmel
- jijidarumaさん からの返信 2015/12/17 02:45:59
- カイザーシュトゥールとヌフ・ブリザッハ
- himmelさん
いつもコメントの書き込みありがとうございます。
同地域を訪れることが多いですね。
いろいろと気づかされてありがたいですよ。
バーデンワイン「カイザーシュトゥール」のワイン、特にDr.Heger (ヘーガー);Ihringenのワインは気に入って、その後も旅先のレストランで馬鹿の一つ覚えのようによく飲み、いつも満足しています。
そういえば、私も“ヴォーバン”の名前でザールルイという、ドイツの町を思い出しました。2010年10月26日に訪れた町ですが、1679年にロレーヌ地方がフランスに帰属し、ルイ14世はザール川右岸の防御を固めるためにこの町に要塞を設けることを彼に命じました。(ヌフ・ブリザックと同じパターン!)
1680〜86年にかけて、ヴォーバンに造らせた星型にかたどった要塞は有名で、ヴォーバン島と称する場所もありました。
ドイツの町でありながら”ルイ14世の町”を称するのがとても面白く感じたのでした。
実はこの時も事前学習で、世界遺産・ヴォーバンの要塞群が引っかからなかったようです。
ブライザッハと双子都市のヌフ・ブリザックの事を知ったのは2007年の旅でしたが、当時の書き留めたものを今回載せたものです。
不確かな記憶では観光局の資料を訳した時はヴォーバンの要塞群の言及がなかったか、あっても訳をはしょったようです。(まだ世界遺産ではなかったですが)
ともあれ、お蔭さまで、古城好きとしては新しい知識も増え、先ほど要塞群を調べて、旅行記にも写真と共に追加しておきました。
ありがとうございました。
jijidaruma
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