2015/07/14 - 2015/07/28
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jijidarumaさん
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“ドイツ 黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)・シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌス・懐かしのデュッセルドルフ。
期間 : 2015年7月14日(火)~7月28日(火)15日間の旅
目的地 :
今回の旅の目的地はまずフランクフルトに降り立ち、その日のうちに走り出し、順次、オーデンの森・黒い森・バーデンワイン街道(カイザーシュトゥール)・仏アルザス地方(コルマール・シュトラースブルク・アルザスワイン街道)と南下します。
その後、黒い森の南端を東に向かい、シュヴァーベン地方の古城群・フランクフルト近郊のタウヌスと、最後にルール地方の中心である懐かしのデュッセルドルフを訪問して、成田に帰るルートにしました。
古城めぐりや古城ホテルの滞在もいつものように入れ、グルメレストランでの食事や、ワインの産地の町々を再訪する旅を企画しました。
写真はシュペッサートの森の真珠・メスペルブルン城
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- ルフトハンザドイツ航空 ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
<使用レンタカー>
VW Skoda Rapid フォルクスワーゲン・シュコーダ(スコーダ)・ラピッド
1600ccディーゼル車 黒 5T オートマチック・エアコン(ナビなし)。
VWのディーゼル車は2年続きで、運転しやすかったが、事前に駐車場に常駐の空港メカに仕様を聞き、詳しく教えてもらって、スタートした。
DE WI?AV1885がその番号でした。借りた車はWiesbadenのものでした。
(1974年12月10日、ドイツで生まれて初めての運転免許を取得。ドイツ等の旅行でレンタカー使用の際には、現在も有効な、この免許証を使っている。)
この旅は古くはゲルマニア・スペリオル(ラテン語:Germania Superior、日本語は「高地ゲルマニア」)というかつてのローマ帝国の属州を巡ることとなる。
その領域は現在のスイス西部、フランスのジュラ山脈やアルザス地域、およびドイツ南西部にあたる。州都はモングンティアクム(Moguntiacum、現在のマインツ)に置かれた。ライン川の中流域が「高地ゲルマニア」にあたり、北部の国境にはローマ軍団の防衛線・長城(リーメス)が築かれていたから、ゲルマンというより、ローマの支配地を走るのだ。
参考:2015年”黒い森とアルザス・シュヴァーベン地方の旅”
http://4travel.jp/travelogue/11027937
写真は第三日に行ったジンスハイムの城址で:VWフォルクスワーゲン・シュコーダ(スコーダ) -
7月平均値は:日の出5:13、日の入り21:44(昼が16時間31分と一番長い)、気温15℃〜25℃、日本との時差7時間、7月の最終月曜日はバーゲンセール。
XXX
<フランクフルトからシュペッサートの森のメスペルブルンへ>
第一日:7月14日(火) 成田は晴れ、フランクフルトは 薄曇り 24.0〜27.5℃ 76km
成田=>Frankfurt LH−711 09:55 LV 〜 14:35 AR ;
Frankfurtフランクフルト空港A3・46km=>(Aschaffenburg)A3・16km=>Weibersbrunnヴァイバースブルン(女の泉)L?6km=>HessenthalヘッセンタールL?8km=>Mespelbrunn ・Schlosshotel Mespelbrunn 古城ホテル メスペルブルン城
*成田空港に7:44着。直ちにチェックインする。8:00に通関する。
<朝食:Avionアビオンにて> 8:05〜8:35 1,640円
いつもの場所で、オレンジ・ジュース、コーヒー、ピザパイ。
フランクフルトまで凡そ11時間の飛行時間で、30分早い到着となった。
LH−711(B747-400) 09:55 LV 〜 14:05 AR
Avisエイビスレンタカーで14:45には早々と手続を完了し、予約のグループKのメルセデス Aクラス オートマチック車ではなかったが、15:15には飛行場をスタートできた。
VW Skoda Rapidフォルクスワーゲン・シュコーダ(スコーダ)・ラピッド 1600ccディーゼル車 黒 5T オートマチック・エアコン(ナビなし)。
レンタカー・シュコーダ(スコーダ)は2015年6月10日に走行開始したとあり、この日のスタート時の距離が新車同然の6,109kmだから予想通りに走ると、最終日には8,000kmになる計算だ。(車の書類を見ると、Max.29,000kmとあり、レンタカーの走行距離(自主)制限を示していた。)
VWのディーゼル車は2年続きで、運転しやすかったが、事前に駐車場に常駐の空港メカに仕様を聞き、詳しく教えてもらってから、スタートした。こうしたことはやはり大事だ。
写真はヘッセンタール -
フランクフルト空港をレンタカーで出る時が一番緊張する。Avisの駐車場から出る際に、横木が降りているが、まずポールの緑の突起を押すと、駐車券が出てくる。同時に横木が上がり、外への道に向かう。最終的に駐車場を出る際に、先ほどの無料駐車券を指定場所に差し入れると、ここでも横木が上がって、完全に外の道路に出ていく。このあたりでは左右の運転の違いを認識しながらの走行になるので、ゆっくりと走る。
Airportring空港周辺路をWuerzburgヴュルツブルク 方面(アウトバーンA3)に慎重に走りだす
Weibersbrunnヴァイバースブルン(女の泉・・・このWeiberヴァイバーの言葉は辞書によると、現在は軽蔑の意味で使用するという。・・が、さすがに地名までは変えようがないのだろう。)のインターから西に、Spessartシュペッサートの山中に入って行く。
今まで旅の初日はヴァイバースブルンのインター出口から反対側のHochspessart高地シュペッサートにある古城ホテルSchloss Rothenbuchローテンブーフ城に宿泊していたが、残念ながら営業をやめてしまっていた。
この為、今回はまだ宿泊したことが無かった古城ホテル メスペルブルン城にしたわけだ。
写真はPfarrkirche Hessenthalヘッセンタール巡礼教会・聖母礼拝堂のバロック祭壇・聖母像 -
さて、久しぶりにリーメンシュナイダー作品があるPfarrkirche Hessenthalヘッセンタール巡礼教会に着いた(16:11)。
写真は聖母礼拝堂のバロック祭壇・聖母像 -
<Tilman Riemenschneiderティルマン・リーメンシュナイダー>
リーメンシュナイダー(1460年頃 - 1531年)は、中世ドイツの彫刻家である。
北ドイツのLandkreis Osterode am Harzのオステンブルク(Ostenburg)に生まれる。後に家族と共にヴュルツブルクに移住し、工房をかまえ、祭壇や墓碑の彫刻を数多く手がけたと云う。その追随を許さぬ技術で評価を高めた。特に女性の彫像はその顔の表情が豊かで、独特の作品が多く、印象強い作品である。
一方、1520年から1521年まで、ヴュルツブルクの市長を務めている。
ドイツ農民戦争(1524年〜25年、主にドイツ南部・中部の農民が起こした大規模な反乱。)の際、元市長として戦争に加担したとされ、反乱の鎮圧後に逮捕され、大事な利き腕を折られ、再び彫刻家として活躍ができなくなった。その死後、歴史から忘れ去られた。
その作品はフランケン地方一帯の教会、修道院などに、作者はティル親方とか、ディルとかいった名前だけが伝えられて、残っていたそうだ。1822年に漸く彼の墓碑が発見され、再びその作品群と共に、歴史上にその名が復活することになったと云う。(2013.03.24)
写真はPfarrkirche Hessenthalヘッセンタール巡礼教会のピエタ祭壇 -
13世紀の頃に建てられたヘッセンタール巡礼教会は小さな村の中心にあり、Beweinung Christiピエタ祭壇(嘆きの群像・1485年頃の作品)を拝む事が出来る。
リーメンシュナイダーによる、新しい様式のピエタの最初の試みの作品だそうだ。教会の小母さんは弟子の作品(工房)と言っていましたが・・・。
(16:15〜16:40)
写真はBeweinung Christiピエタ祭壇(嘆きの群像・1485年頃の作品) -
写真はヘッセンタール巡礼教会・Kreuzigungsgruppe十字架にかけられた人々
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写真はヘッセンタール巡礼教会・Kreuzigungsgruppe十字架にかけられた人々
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この教会から、さらに数キロ走ると、Mespelbrunnメスペルブルンだ。ここも変哲もない、小さな山村だが、村の通りを東に入る道を行くと、“シュペッサートの森の真珠”と謳われるSchloss Mespelbrunnメスペルブルン城(水城)という、小さな、美しい古城がある。
そのメスペルブルン城の手前左に、今夜のホテルSchlosshotel Mespelbrunn古城ホテル メスペルブルン城があるのだ。
写真はヘッセンタール巡礼教会・Familiengrabstaette der Echter von Mespelbrunnメスペルブルン城主エヒター・メスペルブルン家の墓碑 -
写真はヘッセンタール巡礼教会・メスペルブルン城主エヒター・メスペルブルン家の墓碑
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2009年の“フランケン地方とオーバープファルツ地方を巡る旅”の最終日の4月30日(木)にメスペルブルン城を見学した。その帰り際に古城ホテルのレセプションに行って、パンフレットを頂いた。
昔の記憶にはない古城ホテルだが、この事を覚えていて、古城ホテルSchloss Rothenbuchローテンブーフ城の閉鎖を知り、急きょ古城ホテル メスペルブルン城を選んでみたのだ。
古城ホテル メスペルブルン城の駐車場は、ホテルの前を100mほど直進すると、左側の裏手に広い敷地があった。到着は17時、予定通りである。
レセプションでチェックインして、部屋で軽い休憩を取ってから、メスペルブルン城(水城)に行ってみた。
17時には閉門で、もう人の姿はない。まだ明るい周辺を散策し、鉄柵越しに写真を撮ってみたが、前回のようにはいかないものの、水城の景観が撮れた。
猟師や農民が信仰したのだろうか、山道の一角に“路傍の女神”像が立っていた。
写真は鉄柵越しのメスペルブルン城 -
写真は鉄柵越しのメスペルブルン城には誰も見当たらない。
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写真は横の方から鉄柵越しのメスペルブルン城を写す。このあたりになると池が見える。
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写真はメスペルブルン城・騎士像が小さく見える。
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写真は山道の一角に“路傍の女神”像
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2009年4月30日(木)の訪問時の事を下記のように書いている:
シュペッサートの森の真珠と謳われるメスペルブルン城は周辺の緑の森に囲まれ、塔を中心に左右に城館があり、手前には城を取り巻く池がある。
2羽の白鳥が池で泳ぎ、池の中にも鯉?か、鱒のような淡水魚が群れているのが水面下に見える。
古城は曇天で、暗く、陰鬱に見えてしまい、ちょっと寂しい。
ここはガイド付きのみの見学でガイドさんが若いドイツ人の女の子とオランダ人と思われる男の子のカップルと私どもを12時半から30分、城内ガイドをしてくれた。
写真は2009年4月30日(木)のメスペルブルン城 -
写真は2009年4月30日(木)のメスペルブルン城
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写真は2009年4月30日(木)のメスペルブルン城・騎士像と
-
一階のRittersaal騎士の間は甲冑などが展示されて、狩猟の獲物も飾られている。ステンドグラスは一族の系譜を紋章で描いている。
残念なことに雨漏りが見られて、大変な様子が窺がわれた。
2階は城主一家のかつての住まいであったとか、暖炉や絵画、武具などが見られた。2階では写真が禁止だったのは残念。
写真は2009年4月30日(木)のメスペルブルン城内・一階の騎士の間 -
写真は2009年4月30日(木)のメスペルブルン城・騎士の間から池やレストランを見て。
-
写真は2009年4月30日(木)のメスペルブルン城・騎士の間のステンドグラスは一族の系譜を紋章で描いている。
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外に出ると1564年に結婚した城主・花嫁の姿が玄関の一角に彫られている。
面白かったのはこの城を造った親方?の彫像が、軒下に髭をはやした裸の座像として彫られていた事だ。
20mほどの塔には(昔の緊急時の避難塔だが)、中間の所に入口が付き、今はそこへの階段もあって、塔内に登れるようになっている。
写真は20mほどの塔。 -
この城の歴史:
1412年にマインツの大司教が騎士のHermann Echterヘルマン・エヒターに自らの所有地の山林の監督を命じたことに始まる。
1427年には城壁、塔などを備えた城郭ができたが、長い間の平和の期間を経て、ルネッサンス風の水城に改築された。
現在見る城の大部分は1564年に結婚した城主・花嫁である、Peter Echter von MespelbrunnとGetraud von Adelsheimペーター・エヒター、アデルハイム家のゲトラウト夫妻に負う所が多い。1569年から18年をかけて現在の姿にしたと云う。
この一族で最も有名なのはJulius Echter von Mespelbrunnユリウス・エヒター・メスペルブルン侯でWuerzburgヴュルツブルクの領主司教となり、大学を創設し、マリエン大要塞を強固なものにした事で知られている。
また、1576年、彼によって、Juliusspitalユリウスシュピタール施療院も設立されている。現在、その名を冠したワイン醸造所(下記参照)がある。
写真は1564年に結婚した城主・花嫁の姿。 -
Weingut Juliusspital Wuerzburg (ヴュルツブルク・ユリウスシュピタール醸造所):
1576年、時の司教、ユリウス・エヒター・メスペルブルン侯によって設立された施療院。当時は孤児院や貧民院などを兼ねた施設で、院の財源としてワイン作りが始められた。
現在も病院・養老院として運営されており、醸造所も敷地内に併設されている。
同醸造所が所有する畑は168ヘクタール。
その中には、Wuerzburger Stein(地名:ヴュルツブルク 畑名:シュタイン)、Wuerzburger Innere Leiste(地名:ヴュルツブルク 畑名:イネレ・ライステ)、Roedelseer Kuechenmeister(地名:レーデルゼー 畑名:クーヒェンマイスター)、Iphoefer Julius-Echter-Berg(地名:イプホーフェン 畑名:ユリウス・エヒター・ベルク)、Volkacher Karthaeuser(地名:フォルクアッハ 畑名:カルトホイザー)、Escherndorfer Lump(地名:エッシェンドルフ 畑名:ルンプ)など、フランケン最高の畑として有名な畑も含まれている。各種のブドウが栽培されているが、やはり主力はシルヴァーナー、リースリングといった白ブドウだ。
敷地内にはパーティーや結婚式にも使える施設があるほか、レストラン「Juliusspital Weinstuben(ユリウスシュピタール・ヴァインシュトゥーベン)」も併設されている。また醸造所の近くには。直営のワインショップ「Wine Julius-Echter ワイン・ユリウス・エヒター)」があり、ティースティングしながら気に入ったワインを買うこともできる。
写真はこの城を造った親方?の彫像が、軒下に髭をはやした裸の座像として彫られていた。 -
1648年、最後の女系であったMaria Ottiliaマリア・オッティリアはPhlipp Ludwig von Ingelheimフィリップ・ルートヴィヒ・インゲルハイム(ラインガウ)と結婚する。彼はその後に伯爵の位に登り、皇帝の許しを得て、両家の名前と紋章を統合した。
現城主はGrafen von Ingelheim genannt Echter von und zu Mespelbrunn(インゲルハイム伯爵・エヒター・メスペルブルン)という長い長い名前を用い、水城の南翼の一角に住んでいると云う。
http://www.schloss-mespelbrunn.de/
駐在時にも家族で来たことがある。当時、この城は旧西ドイツの切手にもなっていた。
(09:00〜17:00、入館・ガイド料 Euro 5x2、駐車料 Euro ?)
XXX
写真はSchloss Mespelbrunn ・旧西ドイツ切手 -
①7月14日(火)
(1泊)Schlosshotel Mespelbrunn 古城ホテル メスペルブルン城*
D-63875 Mespelbrunn 、Schlossallee 25
Tel:+49(0)6092-608-0 、Fax:+49(0)6092-6080-100
http://www.schlosshotel-mespelbrunn.de
4星・全40室。Classic DZ=Euro110(朝食込み・15,252円)。
写真は古城ホテル メスペルブルン城・正面 -
3階の206号室はバルコニー付き、裏手の山が見える広い部屋で、静かで気兼ねがいらない。0.25Lの水2本の提供があった。
2012年に改装されただけに、全体がきれいなホテルで、リフトもあり、客室との行き来はリフトの鍵を持った客しか利用できないもので、保安上よく考えられたものだった。
写真は古城ホテル メスペルブルン城・3階の206号室 -
ホテルのメインレストランは私共が夕食と翌日の朝食をとった“Kaminzimmer暖炉の間”、大きな鹿の角や銃などが架けてあり、天井が独特の色彩を見せていた“Alte Wirtshaus古き宿の間”は暖炉の間の前にあり、“Rittersaal騎士の間”は本館中心にある大きな広間で祝典の間と言えよう。この他に騎士の間より少し小さい“Julius-Echter-Stubeユリウス・エヒターの間”があり、 “Gartenterrasseガルテンテラス”と称するテラスレストランが本館前にあった。
写真は古城ホテル メスペルブルン城・3階の206号室 -
フランクフルト空港からおよそ70kmの距離にあり、Spessartシュペッサートの森に周辺を囲まれ、小さな湖に面して立つ、小さな、美しい古城Schloss Mespelbrunnメスペルブルン城がすぐ傍にある。
ここは変哲もない、小さな山村だが、古城は“シュペッサートの森の真珠”と謳われるそうだが、尤もと思われる姿だ。
近年では2009年4月30日に訪れたが、その時、メスペルブルン城に向かう手前の左手に古城ホテル メスペルブルン城があるのに気付いた。
写真は古城ホテル メスペルブルン城・Kaminzimmer暖炉の間、右奥が予約席。 -
<夕食:古城ホテル メスペルブルン城・“Kaminzimmer暖炉の間”>
17:45〜19:15 Euro61.9(8,583円)
予約を19時に取っていたが、前倒しをお願いし、暖炉の間の予約席に通された。
半円形に張り出してある席で、お客は私共だけ、まだ日差しも強く、汗ばむ。洒落た色合いの席、席を囲む棚には様々な飾りが置かれて、テーブル上に歓迎のローソクも灯されて良い雰囲気である。
その内に隣の“Alte Wirtshaus古き宿の間”には数人のドイツ人客が飲みだしたようで、元気な声が聞こえてきた。
私共は疲れもあって、この旅最初の食事は二品にした。
まずはシュペッサートの盗賊印(このホテルの歴史参照)のピルツビール0.5Lx2(Euro5.8)。
写真は古城ホテル メスペルブルン城・Kaminzimmer暖炉の間 -
二人のメインはシュペッサートの豚肉料理、キノコのブラウンソース、ジャガイモのクネーデル(フランケン風団子)2個、黄桃の半分にヨハネスベーレン(赤スグリ)の甘煮載せ(Euro43)。
写真はシュペッサートの豚肉料理 -
デザートはイチゴとラバーバに甘酸っぱいソース、ヨーグルト、アイス、生クリーム添え(Euro6.5)を二人で。
最後は二人ともコーヒー(Euro4.6)でしめた。
合計Euro59.9+チップEuro2でした。
旅の初日から料理は美味いものだった。
写真はデザート -
写真は古城ホテル メスペルブルン城・“Alte Wirtshaus古き宿の間”
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写真は古城ホテル メスペルブルン城・“Alte Wirtshaus古き宿の間”
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写真は古城ホテル メスペルブルン城・“Alte Wirtshaus古き宿の間”
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ホテルの歴史:
昔の記憶にはない古城ホテルだが、Familie Ruegerリューガー家はReichsgrafen von Ingelheimインゲルハイム(ラインガウ)の帝国伯に、森林管理官として長く仕えた。
19世紀なるとシュペッサートの地に小さな宿を建てた。
1910年6月、現在の地に新たに小さなホテルを建て、徐々に大きなものにしていった。
既に100年の歴史を持っているが、現在の古城ホテルは2012年に改装されたものだ。
写真は古城ホテル メスペルブルン城・“Rittersaal騎士の間” -
写真は古城ホテル メスペルブルン城・“Gartenterrasseガルテンテラス”
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写真は古城ホテル メスペルブルン城・宿泊棟・・・こちらは眺望のよい部屋です。
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尚、ミュージカル・コメディのドイツ映画“Das Wirtshaus im Spessartシュペッサートの宿” (1958年作品)ではここが舞台になった。この作品はドイツ映画最優秀コメディ作品に選ばれているそうだ。
https://www.youtube.com/watch?v=7A8IL52hNfw
写真はホテル前にあったシュペッサートの盗賊印のビールの立て看板 -
参照・25歳の若さで亡くなった作家Wilhelm Hauffヴィルヘルム・ハウフの童話作品『シュペッサートの森の宿屋』(盗賊の森の一夜)。
この作品は鍛冶職人、飾り職人、馬方、学生がシュペッサートの森の中にある宿屋(現在の古城ホテル)に泊まる。
しかし、その宿屋が盗賊の片棒を担いでいて寝込みを襲われるのではないかとの不安から、彼らは眠気覚ましにと互いに「面白い話」を語って聞かせることにした。
写真は古城ホテル メスペルブルン城・ハウフ作盗賊の森の一夜(岩波文庫) -
一番手は鍛冶職人で「鹿の銀貨」を語りだす。 物語の順序は以下の通り。
Die Sage vom Hirschgulden「鹿の銀貨」
恩知らずの伯爵に、老婆は「銀貨一枚しか遺産は残せまい」、と予言した。
伯爵は死んだが、遺産は残っていた。長男クーノは立派な領主となったが、双子の異母弟シャルク、ヴォルフたちは、浪費ばかり。長男の財産を狙って、彼の死を待った。長男はそんな弟たちに絶望し、早死にしてしまう。長男は銀貨一枚残して、隣の領主に遺贈した。
写真はHirschberg-Hauff鹿城(ハウフ作・Die Sage vom Hirschgulden伝説「鹿の銀貨」) -
その後に続くお話は以下の通り:
Das kalte Herz, Teil 1「冷たい心臓 前編」
Saids Schicksale「ザイードの運命」
Die Hoehle von Steenfoll「スティーンフォルの洞窟」
Das kalte Herz, Teil 2「冷たい心臓 後編」
写真はWirtshaus im Spessart (1827) 『シュペッサートの森の宿屋』初版 -
Wilhelm Hauffヴィルヘルム・ハウフ(1802〜1827年)はドイツの小説家である。シュヴァーベン派*の代表的文筆家の1人と云われた。
25歳の若さで亡くなった作家ヴィルヘルム・ハウフには代表的な作品として、
1)童話作品『Die Karawane隊商』(1825年)、
2)1958年に映画化された童話作品『Das Wirtshaus im Spessartシュペッサートの森の宿屋』(盗賊の森の一夜・1827年)、
3)歴史小説『Lichtensteinリヒテンシュタイン』(1826年)、
4)中長編小説『Jud Suessユダヤ人ズュース』(1827年)などがある。
写真はHauffdenkmal_Lichtensteinリヒテンシュタイン城にあるハウフの記念碑
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この旅行記へのコメント (2)
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- frau.himmelさん 2015/08/21 21:29:25
- メスペルブルン城、なつかしい〜〜〜。
- ijidarumaさん、こんばんは。
私と入れ違いくらいに、今年もドイツに行ってらっしゃったのですね。
今日はまた懐かしいものを見せていただきました。
メスペルブルン城、水城。
私たちも2006年に行きました。
アッシャッフェンブルクに3週間アパートを借りまして、あちこち行ってまいりました。
メスペルブルン城は駅前からバスで行ったと思います。
懐かしくて、その時撮った写真とjijidarumaさんのお写真を見比べながら見せていただきました。
お城の見学も私たちの時もドイツ人のご夫婦と私たち夫婦の2組だけでした。
おひげの領主もちゃんと写真に残っていました。
お城の近くに立派なホテルがありましたが、今回はあそこにお泊りになったのですね。
夫と、ここでビールでも飲んでいく?って話をしたことまで思いだしました。
結局はバスの時間の都合で行かなかったのですが。
それからヘッセンタール巡礼教会にも行っていました。
リーメンシュナイダーの十字架のキリストと二人の盗賊の写真もありました。
そこでお城見学でご一緒だったご夫婦とお会いして、お互いにびっくりしました。いろいろ思い出します。
車がなければ交通手段はバスだけですから、なかなか行けませんね。
メスペルブルン、jjidarumaさんが旅行記を出してくださらなかったら思いださなかった地名です。
本当にありがとうございます。
himmel
- jijidarumaさん からの返信 2015/08/21 22:58:14
- RE: メスペルブルン城、なつかしい〜〜〜。
- himmelさん、こんばんは。
残暑お見舞い申し上げます。
夏バテしませんようにご自愛ください。
ドイツばかりの旅・・・今年は色を付けてアルザスに行ったわけですが、ドイツにとっては因縁付きのアルザスですので、ドイツ、ドイツという事になりますか!
今まで旅の初日はヴァイバースブルンのインター出口から反対側のHochspessart高地シュペッサートにある古城ホテルSchloss Rothenbuchローテンブーフ城に宿泊していていました。と言うのもフランクフルトを起点にすると、70kmぐらいの距離が最初の日の走行距離には良いからです。
残念ながら、予約をしようとしたらこのホテルは営業をやめて、経営資源をもう一つの5星高級古城ホテルに切り替えたようです。
この為、今回はまだ宿泊したことが無かった古城ホテル メスペルブルン城にしたわけです。
もっとも、若い頃もデュッセルドルフから走ると、この辺に泊まりたいので、インターを降りて(メスペルブルン城に向かう前)すぐにあったホテルによく泊まったのです。だからこの辺は土地勘があるのです。
シュペッサートの森の真珠と謳われるメスペルブルンの水城は可愛らしく、忘れがたい城ですし、ユリウス・エヒター・メスペルブルン侯の為したヴュルツブルクの大学創設、マリエン大要塞を強固なものにした事、ユリウスシュピタール施療院の設立、そして現在、その名を冠したワイン醸造所ユリウスシュピタール醸造所と銘酒の数々を思うと、近くに来れば、表敬訪問をしたくなります。
そういえば、シュペッサートの盗賊印のビールを楽しまれたら、話のタネにもなり良かったのにね。
jijidaruma
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