しにあの旅人さんへのコメント一覧(4ページ)全505件
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週刊誌的興味深々♪
しにあさん、by妻さん、お久しゅうございます♪
復帰第一弾、チラッと見て、目眩が~、久方ぶりの「文字多い!」に、正直一瞬ちょっと腰が引けました。(人のこといえる立場ではございませんが…)
気を取り直して再挑戦。
私も好きな作家、音楽家、画家さんたちのプライバシー、交友関係には、興味惹かれます。もう、情けないくらい「週刊誌的情報」でも何でも、分かれば大喜び♪ 「自由恋愛」とか言っちゃって、ただ束縛されたくないだけじゃね? とか、書評で悪く言ったのは、気があるのに無碍にされた意趣返し? だのとはけしからんゲスの勘繰り。
由緒あるつるやさんへのお泊まり、by妻さんもご満足の由、よろしゅうございました♪
犀星vs龍之介のケンカの元は朔太郎の美人妹、でしょうが、燻ってた火のタネを煽って炎上させたのは辰雄だった、花札事件、本人は自分があおったとは気づいていない?
狛いもり、ブログの写真見て辰雄氏の所だけ読んでた時は、私も「いもり?」かと(笑)そうではなくて、経年劣化した、本家狛犬さんだったとは⁈ 何とも愛おしいお姿に変身♪
村幸のおトイレの件、そ~いう現実面は露も見せず、「西欧風フィクション」を目指したという辰雄氏、未だ作品未読につき、何も言えません。
そんな辰雄氏が父に宛てた手書きのはがき、文字を見て俄然親近感抱きました(達筆からは程遠い、むしろポップな字体♪)。そして、実父と信じていたからこその、ぶしつけとも思えるほどの「ぞんざいな言葉使い」、ができたのではないでしょうか。そういう気のおけない父息子だった。
それにしても、お宿のロビーの一角にある本棚に目を留めただけでなく、そこに並んでいる本を逐一チェック!その嗅覚はあっぱれでござる^o^ こんなところにお宝が埋もれていようとは⁈ 早朝の夫婦水入らずの共同作業もまた、お~み~ご~と~♪
Re: 週刊誌的興味深々♪
引っ越しはまあまあ、日常を取り戻しつつあります。
一日一仕事という感じで、午前中何かやると午後はグータラ。
つるや旅館は、軽井沢に行くなら、おすすめです。旧軽銀座に直接面している唯一の旅館です。
2月は旧軽銀座の食べ物やさんが軒並みお休みで、選択の余地なく夕食付きにしました。我々の調査旅行では珍しく、これでBy妻は満足。
料理の写真も撮ったのですが、こういう写真は撮りなれていないので、おいそうではありませんでした。
それにしても4トラの皆さん、食べ物の写真うまいですね。何かコツがあるのでしょう。
龍之介、犀星、何やら老大家という感じですが、実際には龍之介33歳、犀星36歳です。まだみんな若かったのです。
楽しかったと思いますよ。
「聖家族」読んでみてください。トイレの話との落差に愕然とするから。
こういう話を平然と書けるって、この時は、辰雄は絶対に実の父と信じて疑っていなかった、と実感します。普通、赤の他人にこんな話書けないです。
龍之介は達筆。比べて辰雄の字はひどい。犀星に、もっとゆっくり字を書けと言われています。
本人も自覚していて、堀辰雄の色紙は1枚しか現存していません。
多恵子さんは、晩年正式に書道をやって、なかなかの字を書いたみたいです。
iPhoneで本を写す時、なんとかいう複写モードがあります。でも2人なら、ページを押さえてもらって、こんなふうに撮ったほうが便利。
最近資料をこうやって写真を撮ることが多くなりました。2023年06月24日10時30分 返信する -
犀星と龍之介、その間でオロオロする堀( ̄▽ ̄)
こんにちは、しにあさん&by妻さん。
犀星がヤキモチを焼いたというのは、なんとなく頷けるのですが、芥川が朔太郎の美人の妹にデレデレしていた(私の妄想ですが)なんて思いたくないのです。
そんな世俗的な出来事は芥川には似合わないと思ってしまうのは、芥川を美化しすぎている私の思い込みでしょうね。
朔太郎の妹は美人だったけれど、わがままだったんじゃないでしょうか?
三好達治と結婚しても、結局別れちゃうし。
貧乏な生活はできそうもないし。
周囲からチヤホヤされるのは当たり前で、自分を巡って男どもが争うのなんて大好きそう( `ー´)ノ
美しく生まれついたというだけで、そうでない大多数の人間の気持ちなんて分かりっこない!と、ついひがんでしまう私。
写真を見ると、確かにゆき子は美人さん。
朔太郎とよく似た大きな目と鼻筋が通ったエキゾティックな風貌ですよ。
こういう人は、まともな人生を送ることなんかできっこないわ!と思うのは、ひがみ以外の何物でもない(; ・`д・´)
でもこのゆき子さんを調べているうちに、私は大好きな詩人の三好達治の意外な面を知ることになってがっかり。
でもだからと言って、三好のあの素晴らしい詩の価値が下がるとは思えません。
佐藤春夫や三好達治の、弱っちい女々しい詩が大好きな私です。
あ、ついでに白秋も(あのキザな言葉遣い、漢字と仮名の使い分けによる、視覚に訴える日本語の美しさよ)
芥川の小説もそうです。
中島敦にしても、読んで美しく、目で見ても美しい日本語、こういう文章を書く人は、やっぱり長編は書けないなぁと。あんな調子で長い文章を書いたら、必ず行き詰まると思います。詩や短編だからこそ、傑作が生まれたと個人的に思っています。
ああ、でも人生を二度生きることができるなら、一度はゆき子のように美しく生まれついて、自分を巡って男どもがああだこうだと争いになったら面白いのになと思ってしまう私はイケズですね。
堀は、犀星と芥川の間で、右往左往して苦労したことでしょうね。
前日光Re: 犀星と龍之介、その間でオロオロする堀( ̄▽ ̄)
前日光さんの文学的情熱に火をつけたみたでいです。
芥川、朔太郎、達治がメラメラと燃え上がっております。
よきかな、よきかな。
犀星がいうところのゆき子、「柔らかいきれあぢのあざやかさをもっていた。」とはどういうことを言っているのか。犀星は時々分かったようでわからないことを書きます。要するに美人だったということですね。
犀星の「我が愛する詩人の伝記・萩原朔太郎」を読みましたか。
ネットの青空文庫に全文出ています。
朔太郎という人は、妹がみんな美人で、外で女に振られると家に帰ってきて、妹を見てスーッとするとどこかに書いてありました。
犀星と朔太郎は終生の親友だそうですが、とんでもない親友だったみたい。
前橋の朔太郎記念館、北関東の旅で2度ほど最後の日程に入れたのですが、時間切れと、体力切れでカットしました。次は絶対に行くぞお、と思うだけは思っています。2023年06月24日06時58分 返信する -
霧氷°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
しにあさん&by妻さん
そろそろ引っ越しのドサクサに片がついた頃でしょうか?
いやいや、とんでも!というby妻さんの叫びが聞こえてきそうですが( ̄▽ ̄;)
なんだか、私のザレ事を引用していただき、ありがとうございます<m(__)m>
冬の軽井沢は、さぞ寒かったことでしょう!
夏の軽井沢しか知らないですが、当方住んでいる場所がけっこう冷えるので、
軽井沢の寒さは実感できるつもりです。
霧氷って、見てる分にはきれいだなぁなどと、詩にも歌にもなる現象&言葉ですよね!
それにしても堀辰雄が生きていた時代の寒さって、相当なものだったでしょうね!
しかも病名は結核ですから、実際にはしんどかったろうなと思います。
こういう時にいつも、ああ、この時代に生まれてなくて良かったなどと不埒なことを考えてしまいます。
寒さと暑さ、そして歯の痛みが、昔だったら大変だったろうなと思う三大苦痛です。
この三者の中で、かろうじて我慢できるとしたら、寒さかな?
なにしろ暑いのが大の苦手、歯は痛みだしたら歯医者のない時代にはどうやって痛いのが治るのだろう?とか考えると夜も眠れません"(-""-)"
昔の人は、やっぱり我慢強いというか、我慢するしかなかったというか。。。
犀星並木を入ってゆく20世紀のしにあさん、わたし、女子高校生、そして21世紀の娘さん。
円地文子氏の言葉は、的を射ていますね!
時代が変わっても、青春の讃歌とエレジイを読者に与えてくれる作品、そういうものが書けたらなぁヽ(^o^)丿と、しみじみ思うわたしです。
前日光Re: 霧氷°˖✧◝(⁰▿⁰)◜✧˖°
堀辰雄紀行信濃追分編、引用二つでばっちり締めました。
このコメントをいただいたときに、この締め方でいくと決めました。
われながら決まったと思います。
このあと軽井沢編になるのですが、もうしばらくお付き合いください。
なんとか6月中には始めたいのですが。
信濃追分は寒いところです。堀辰雄の部屋は4畳半と3畳、狭くて貧相と思いましたが、寒さ対策なのですね。暖房が火鉢とコタツですから、このくらいの狭い部屋じゃないと暖まらないのでしょう。
狭苦しさは南に大きく開いた広縁でカバーする。
多恵子は晩年、駅の近くに家を建てて、そこで亡くなるのですが、その家には薪ストーブの煙突が立っていました。夫もこの暖かさで包んでやりたかったと思ったでしょう。しかし現代の効率のいい薪ストーブは1970年以降のものですから、辰雄の時代にはまだありません。それまでは裸火の暖炉。日本の木造家屋では暖炉は作れません。
さすがに2月は、旧中山道を歩いていたのはこの娘さんだけでしたが、それ以外は若い人もいました。それも一人、二人連れくらいで、静かに歩いていました。円地文子の言葉は引き継がれているのです。
2023年06月05日18時44分 返信する -
ほんに、一連のこの旅行記は。。。
by妻さんのおっしゃる通り、堀辰雄紀行ではなく、「堀多恵子紀行」ですね!
強くそう思います!
しにあさんって、こういうタイプが好きなんですねぇ。
こんばんは、しにあさん、お久しぶりです。
引っ越しは無事澄みましたか?
それとも今、真っ最中?
はたまた、これからですか?
地震の影響は?
何かと各地で自然災害、特に地震が頻発していて、心配です。
さて多恵子と犀星って、そんなに深いつき合いだったんですねぇ。
しかもかなり五月蝿い舅のようです。
でも多恵子さんが嫌がっている感じはありませんね。
ま、いうことを聞かずに庭に芝生を植えたようで、その選択はこの文学館にとってマイナスではありませんでしたが。
立原と犀星のエピソードにも妙に感心させられました。
立原を残して去った多恵子さんの判断も、結果としてよかったようですし。
立原の死後、その全集刊行の資金作りで、掘たちが蔵書の競売会をしたとき、その場で小堀杏奴を見かけたとのこと、鴎外の次女が、この場面に出てくるのですねぇ。
彼女もまた、立原の詩の愛読者だったようで。
堀辰雄というよりは、多恵子夫人を巡って文壇の輪が広がっていったのですね。
それにしても、しにあさんの好みの女性像が垣間見えてくる旅行記ですね。
割と大柄で、自分の考えをしっかりと持ち、それを主張できる人、いわゆる大和なでしこ風ではなくて、身のこなしが粋な人、意識した身のこなし方ではなく、自然に身に付いた、あざとさのない動きをする人がいいんですね?
拝読していて、多恵子夫人のことだけでなく、しにあさんの考えも伺える旅行記でした(^_-)-☆
前日光Re: ほんに、一連のこの旅行記は。。。
引っ越しは少し余裕がでてきました。荷物がどうのこうから、おちついて4トラのコメントを読もうと思ったのが、その証拠。
堀多恵子の本は10冊あり、ほとんど読みました。「雑木林の中で」は2010年、なくなる直前の出版なのですが、これはどうしても手に入りませんでした。国会図書館に行かなければならないようです。
これからは国会図書館にもいけるので、資料あさりも楽になりそうです。
多恵子のえらいところは、夫の語り部であることに徹したことです。本人も書いていますが、あまり文学的才能がある人ではありません。
「小説堀辰雄」のようなものを書きませんでした。
彼の日常を細々と書き並べることで、辰雄のイメージが読者の中に自然にたち上がってくるのです。素材をわたすから、そっちで勝手に物語を組み立ててちょうだい、ということですね。
小堀杏奴と道造のかかわりは初見でした。だからといってそれが立原道造研究になにかの影響があるはずもないのです。
小堀についてはなにも調べておりません。なにやら猛烈に気の強い女だったようです。その杏奴が「たおやかな」道造を読んでいた、このあたり、ほんわりとおもしろいのです。
私の好みの女性像、うーん、そうかもしれない。大柄と粋以外、ほぼBy妻です、な~~~んちゃって。
2023年06月02日18時01分 返信する -
♪
しにあさん、by妻さん、こんばんは♪
♪ らん りん
♪♪ らんらん りんりん
♪♪♪らんらんらん りんりんりん
嬉しいな~、音声を付けていただき、ありがとうございます♪ 心模様を表現するマークとして、多用しています。
ココから全くブログの感想ではない、独り言を書いてもよいですか?
朝8時過ぎにCatedral着、運良くミサの前に中に入れました。が、フェデさまの棺の先っぽが見えるチケット売り場で、日曜日は10時~と書いてあるのを見つけました。2時間くらいで私のフェデさま愛は挫けるわけない!
ようやく10時になり、チケット売ってもらえたは良いけど、先に塔へ行きなさい!と強制され、その後ようやく、降りて来たのが棺の前でした。
本来ココで涙の対面、の予定でした。が、何ですかあれは⁇ あんな入口近くのぞんざいな場所に、我らがフェデさまのお棺が、あまりにもおざなりな対応じゃあ、ありませんか⁈(怒)という事で予想外の怒りの対面を終え、次はクリプタと宝物館へ行こうとしたら、何と今度は11時~と言う⁈ いくらフェデさま愛深くても、おひつぎの前で1時間は過ごせなかった、わたしが悪かったんかい?
長くなりますが、そこから小雨の降りしきる中、Ziza を目指し(かなりの悪路ってこと、ご存知ですよね)、Google くんにウソの道案内されるは、あげくZizaの営業時間は過ぎる(HPの表示と実際が違う)は、疲れて入ったレストランのトイレに閉じ込められるは、帰ればB&Bの鍵に手こずるは、多難の一日でございました(;o;)
パレルモ滞在日数は余分にkeepしたつもりですが、どうなることやら(-。-;
ブログに無関係な事ばかりで、ごめんなさいm(._.)m
でも、私がフェデさま愛にどっぷり浸かってしまったのは、塩野七生さまと、しにあさんのFDllシリーズのせい、なので、責任ありますよね?⁇Re: ♪
♪♪♪♪はらんらん・らんらん、またはりんりん・りんりんと2回に分けて発声いたします。
Zizaやクーバですが、売店にここでしか買えないパンフがありました。チェックしてください。
後日ブログにするとき便利。
パレルモ本番、奮励願います。
今日も今日とて引越し騒ぎ。2023年05月01日05時24分 返信する -
青い小さな本(^-^)
素敵ですねぇ(*^^*)
多恵子さんなんですね。
眼鏡をちょっと上に上げる仕草、上品な着物の色合い、七十路、かくありたいものです。
辰雄の書庫、覚えています。
でもまさか、あの並んでいた本がレプリカだったとは(+o+)
辰雄は、この書庫に入ることはなかったのですねぇ。。。
多恵子と福永武彦氏が、辰雄の指示に従って、本を並べたのですねぇ。
(「草の花」、大好きな一冊でした!)
やっぱり辰雄は、金銭に興味がなかったんですね。
ああいう作品を書く人は、銭の勘定なんかに心を砕いてはいけません。
ま、だから全部多恵子さんに負担がかかってくるわけですが。
でも多恵子さんって、そういうこと嫌いじゃなかったんじゃないかと。
それから辰雄の絵には笑えました。
ああいう小説を書いたから、なかなか味のある絵だなんて言われてるのかも?
でも、確かにあれは椅子には見えない。
ベビーベッドですよね?
私も人のことは言えませんが( ̄▽ ̄;)
少女漫画風の絵はなんとか描けるのに、風景とか車とかうまく描けません。
音楽も素晴らしい!とは思うものの、時々眠くなったりします。
私は文章にのみ反応する人間です。
美しい表現は大好き!
そういえば全編がほとんど詩だと思った作品は、北杜夫の「幽霊」です。
辰雄のキリシタンものとか万葉時代のものとか。。。読みたかったですねぇ。
ストマイの出現が遅すぎましたねぇ"(-""-)"
朴の木は、我が家の門を入ったところにありました。
ついこの間まで。
というのは、あまりに成長が早くて巨大化したので、伐採してしまったのです。
あの花の香りは最高でした。
大きな白い美しい花も、すばらしかったのですが。。
まとまりがなくなってきました。
女は、いつだって度胸、by妻さん!同感です!
七十路になったって、度胸をもって、日々がんばりましょう(>_<)
前日光Re: 青い小さな本(^-^)
多恵子の絵は、By妻は一目で多恵子と確信したそうです。女同士のテレパシーというか。
私はもしかと思いましたが、後日資料を見るまで確信できず。
昭和27年の多恵子の写真まではメガネなし。
ということは老眼でしょうね。
椅子の絵は笑っちゃいます。辰雄はこれ以外に何枚か手紙に絵を添えています。うまいとはおせじも言えない。
この椅子の絵は、記念館がおまけにくれた栞にも使われていました。
愛嬌はあります。
いよいよ引っ越し準備本番です。頭の中は引っ越しでいっぱいですので、ブログにコメントをいただくと、世界がパッと明るくなります。
お返事が短くなりますが、かんべん。2023年05月01日05時46分 返信する -
堀辰雄 死んでからだいぶ たつお
しにあの旅人&妻さん おはようございます。
大変楽しく拝読いたしました。堀辰雄記念館に行ったことが懐かしく蘇りました。
縁側のあるあの和室、庭の隅の書庫、思い出しました。
書かれているように、ストレプトマイシンが出るのはもうすぐでした。残念です。
私はストマイで助かりました。その割には何もなさず、まもなく終わります。
思い出しました、木などにこするといい匂いのしたプラスチックのようなガラス片?
一生思い出すことがなかったことが、文を読んで記憶の箱の蓋が開きました。
しにあの旅人さんの旅行記は他の数ある旅行記の中で、保存版の価値ありです。
pedaruRe: 堀辰雄 死んでからだいぶ たつお
何か気の利いたダジャレをお返ししようと思って遅くなりました。
結局何も思い浮かばず。まだ修行が足りません。
匂いガラスの同世代ですね。戦後のまだ日本中が貧しかった時代の思い出です。目下引っ越しで、物を捨てるのに苦労しております。なんという時代でしょうか。荷造りを始めましたが、ダンボール何箱になるか見当つきません。無駄なものを山ほど持っております。
私たちが、戦後の貧しかった記憶がある最後の世代ですかね。
小学校給食の脱脂粉乳の思い出は消えません。アメリカの豚の餌のお下がりだそうですが、あれで私たちは命をつなぎ止めたのです。飲まないと先生に怒られるので、鼻をつまんで飲みました。
堀辰雄記念館をおもい出していただいて、堀夫妻になりかわりまして、ありがうございます。2023年04月21日08時10分 返信する -
知らなかった!
こんばんは、しにあさん&by妻さん
三月いっぱいの孫守りですっかり疲れてしまい、なかなか元気が出なかったのですが、今日は昼においしいランチを食べ、帰ってからいつの間にか寝てしまったのですが、珍しくぐっすり眠れて頭がすっきりしました。
孫守りは、孫姫1に手こずりました。
幼児心は複雑で、考察してみると文学になるかも?なんて、今は思っています(^_-)-☆
さて、あの籐椅子が高峰三枝子女史から送られたものだとは!
私も二度目に訪れた時に見たような気が。。。
そしてあの床の間の掛け軸が川端の文字だったとは!
これは知らなかったので、もしまたあの文学館に行くことがあったなら、そのつもりで見てみようと思います。
知らないで見過ごしてしまい、深い後悔の念に襲われることは何度となくありましたが、文学館や博物館というものは、二度行くべきだと強く思いました。
一度目は軽くさらっと眺め、情報を知ってから深く見つめなおす!
そうすると、得られるものは多いような気がします。
百恵ちゃんが「風立ちぬ」で、矢野綾子を演じたことは知っていましたが、確かに健康的な感じのする百恵ちゃんには、綾子の役はちょっと。。。と思います。
「絶唱」はまぁまぁだったし、「春琴抄」での盲目のわがままな娘役も悪くはなかったのですが。。。
結核の女性役は、どうなのかな?と"(-""-)"
「伊豆の踊子」も「野菊の墓」もよかったのですがねぇ。
私、けっこう百恵ちゃんのファンだったので、ひいき目に見ているかもしれませんが。
綾子役って、もう少し儚げな感じのする女優がいいと思います。
若かりし頃の木村多江さんみたいに不幸顔の人だといいんじゃないかと。。。
堀辰雄は、自分が病弱だったから、大柄でしっかりした感じの女性に惹かれたのでしょうかねぇ。
山下医師が撮ったという病床の辰雄は、良い感じですねぇ。
眼鏡をかけた辰雄の写真とは別人みたいです。
この手のタイプは、ある種の女性の心を捉えますねぇ。
もちろん私も「ある種の女性」に属していますが。
腺病質の弱っちいのが好みなので、ちょっとばかり心を持っていかれました(^▽^;)
それにしても多恵子夫人はの奮闘ぶりには、頭が下がります。
強い人ですよね?
辰雄の寿命が少しでも延びたのは、絶対に夫人のおかげだと思います。
辰雄と一緒に本屋歩きをするのが嫌いだったという多恵子の、その理由には笑えました。
同時にby妻さんとの、本屋でのしにあさんご夫妻の闘争にも頷けるものがあります。
「学校の遠足じゃあるまいし」、「いつからアンタは私の担任の先生なの?」という件には声を上げて、笑ってしまいました!(^^)!
前日光Re: 知らなかった!
孫守りご苦労様でした。我が家はお姫様一人ですから、この種の苦労はなし。
記念館は3回行きました。多恵子の手記を読み込んでいきましたので、石一つ、木一本の由来が分かっていたので、実に面白かった。
この記念館のガイド、というか、うんちく集としては、多分これまでにないものだと自負しております。
将来「風立ちぬ」シリーズをやるつもりですが、その時はこの2本の映画をもっと取り上げてみたいと思っています。百恵ちゃんの「風立ちぬ」は、テレビ放映があったみたいで、なんとか映画そのもをみられるのではないか。最初のやつは、どうでしょうね。キネマ旬報で資料を探してみたい。
もうすぐ都内に簡単に出られるようになるので、資料あさりが楽になりそうです。
多恵子のイメージをだいぶしっかり掴めるようになりました。このあとこのシリーズの一つで「多恵子と犀星」というブログを出す予定です。その時、お披露目できると思います。
加藤多恵という女性は、決して美人とはいえないのですが、堀辰雄は初見から惚れ込んだみたい。その理由をなんとなく説明できると思います。
1953年5月28日の堀辰雄の臨終はあまりに突然でした。運命といえばそれまでですが、何かが一つずれていれば避けられた運命のような感じ。
多恵子としては残念であったでしょう。
昭和30年代の高度成長と医療の飛躍的進歩はもうめの前でした。この日を乗り切ったとしたら、堀辰雄の再起はあったのではないかと思うのですが。
歴史にIFはないのと同様に文学にもIFはありません。2023年04月12日13時44分 返信する -
一口のごま塩おにぎり
しにあさん、by妻さん、今年は桜の開花が早かったですが、どこぞにお花見に出かけられましたでしょうか?
4畳半と3畳の小さなおうち、ですが堀辰雄氏晩年の闘病の場、として捉えると、看病した多恵子さんの心中に思い至り、息詰まるような空間でもある。
有名人からと知らないで見るのと知って見るのとではありがたみが違う!凡人の私にはあるある、でございます。ホンモノだと思ってたら実はレプリカだった⁈知って損した気分になります。
病床の貴重な写真を撮らせたエピソード、山下氏は東京の久留米のお医者さまですか?国のために命犠牲にした青年の願いをどうして断れようか、まっこと真心の写真ですね。
キャサリンヘップバーンといえば「旅情」でしょう。「招かれざる客」とか晩年の「黄昏」も良かった♪
作品映画化の話も多かったのですね、「風立ちぬ」の題名は知っていますが、映画はどれも見ていません。原作と映画は似て非なるもの、脚本化の時点で別モノになってしまうのではないですかねえ?原作が好きで期待して映画を観ると大体期待ハズレ、逆に映画を観て原作に行くと、当たる確率高い気がします。映画単体としてはおもしろくても、どうしても原作とは別作品になってしまう傾向ありませんか?
全集刊行の出版社競合にお出まし頂く方々(*_*)折口信夫氏に川端康成、堀辰雄家調度品(籐製の椅子、掛け軸)プレゼントに並ぶ大物が登場♪ その時代に愛されていた作家だったという事でしょうか。
ありし日『一口のごま塩おにぎり』で支えたby妻さんが、今日のしにあさんを創ったように、3人の妻をこなした多恵子さんが「堀辰雄を創った」のです。
えっ、本屋行くと便通が良くなる⁇Re: 一口のごま塩おにぎり
久留米はそちらの久留米です。お伺いしようかと思っていました。息子が戦死されたお医者の山下さんではわからないでしょうね。終戦時50-60才ではないでしょうか。
後ほどまたコメント返事書きます。とりあえず山下医師の件。2023年04月02日12時51分 返信するRe: 一口のごま塩おにぎり
本屋で云々のお話は、化粧品、お薬の通販宣伝と同じです。個人の感想と思ってください。
多恵子さん、この部分だけ、キッパリとダンナに楯突いております。本当に嫌いだったのでしょう。私はウインドウショッピングなるものができないタチです。買いもしない物を眺めている気持ちがどうしても理解できません。夫婦逆ですが、多恵子の気持ちよくわかります。
小さなお家です。よく考えると、あれは寒さしのぎですね。小さな部屋なら火鉢とコタツくらいでなんとかなるかもしれません。広縁を障子で仕切ってしまえば、7畳半の小さな部屋です。
現場を見て、多恵子の手記を読むと、二人の生活がリアルに感じられます。嵐の時、多恵子は夫の布団の上に覆い被さって守ろうとしたことがありました。
高峰秀子の映画「菜穂子」は見たかったです。ただし神西清や福永武彦が脚色に加わっているので、確実に木下恵介とぶつかったでしょうね。ロケ隊が追分で無遠慮に堀家にやってきて、多恵子と大立ち回りを演じた可能性もあり。それはそれで面白かったかも。
シナリオ第一稿は、国会図書館に行けば読めるみたい。いつの日か、行ってみるみるつもりです。
実現寸前まで行ったみたい。神西清夫人から多恵子に、松竹からの原作料払込先の銀行口座問い合わせの手紙が残っています。
堀辰雄は同時代人からの評価が非常に高ったのです。このあたりは、今ではちょっと想像できません。
それが作品なのか、人柄なのか、よくわからない。人柄とすれば、半分は多恵子のおかげですね。
頼みもしないのに、友人知人がよってたかって助けに来るのです。神西清などの友人はわかりますが、川端、折口、犀星など。2023年04月08日06時34分 返信する -
遅刻して参上m(._.)m
4tr半休をかこっているのをいい事に、遅れて参りました。
軽井沢といえば、学生時代に一度、後は今から10年以内に1年だけ松本在住だった娘の運転で行ったことあるだけです。高速でどの車も飛ばす飛ばす!で、助手席で小さくなっておりました。星野リゾートやらアウトレットやらの進出で、昔の面影何処?
堀辰雄文学記念館のあるあたりは、当時の様子がほぼ残っている様子、良かったです。
室生犀星氏の作品は何か読んだけど、憶えていないのはいつもの事(-。-; 多恵子さん、文豪相手でも、目上の方相手でも物怖じしない、素直な方だったのですね。女中さんのトヨさんに字を教え、嫁ぐまで世話するという面倒見の良さや、「嫌な戦争だったけれど、その間一生懸命お百姓していたから、私ずっと丈夫になりました。」とサラッと言ってのける、清々しさ、「堀辰雄は多恵子さんがつくった」前日光さん説に賛成♪
軟派の不良だった頃の銀座のカフェで撮った写真、若い頃は粋がっていたんですね。読むなと言われるとそそられる⁈逆に「不器用な天使」という作品、読んでみたいです。
Port Wine、リスボンのレストランで食後にちっちゃなグラスで勧められました。飲むと眠くなるので1人外飲み厳禁なのですが、ホテルまで歩3分だったので頂きました、甘かったです♪ 赤玉ポートワインはそのパクりだったのですね!
昔、おからまんじゅう、ならぬ、おからチョコケーキとおからバーグ、作っていました。チョコケーキと似た作り方で、小麦粉の代わりにおからをレンチンして乾燥させて使います。おからバーグはおから、ひじき、ひき肉、玉子などを混ぜまぜコネコネして、ハンバーグみたいに焼きます。子どもたちにも好評でした。←昔むかし、まだちゃんとお料理していた時代の話(笑)
春遠からず、朝夕まだまだ冷える中、ご自愛くださいね♪
Re: 遅刻して参上m(._.)m
このところ青木繁絡みで小諸、堀辰雄で軽井沢と、信州に凝っています。
フランスから帰ってきて、すみかに信州も考えたのですが、寒い。冬は畑ができない、で諦めました。
堀辰雄紀行ならぬ、堀多恵子紀行になっています。調べれば調べるほど、すごい人なんだなと思うようになりました。
はっきり言って、あまり文学的才能がある人ではありませんでした。自分で母親に似ていると言っていますが、静という人が文学とは無縁の人だったらしい。
それを自覚していて、夫の語り部に徹したところが偉い。
辰雄の死後、友人などがよってたかって、頼みもしないのに多恵子を助けてくれるのですが、そういう人柄だったみたい。みんな、堀辰雄は多恵子で持っていたと知っていたということです。
堀辰雄の不良時代の話は、週刊誌的には面白いのです。ただ、関係者と思われる人物が亡くなったのは1980年代で、ちょっとレアすぎるテーマです。その人の子、孫世代は現存でしょう。
多恵子はある程度は知っていたと思います。でも同じ理由で書かなかったのではないかな。いずれにしても結婚以前の話だし。
こういうところ、常識をわきまえた人だったらしい。
おから饅頭のレシピを多恵子が書いているのですが、まさかこれほど注目されるとは思っていなかったので、場所をメモしませんでした。見つけたら改めてどっかに書きます。確かナントカ温泉の炭酸水で膨らませるとか。
いずれにしてもあまり美味しそうではない。2023年04月02日06時33分 返信する