2023/02/03 - 2023/02/04
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しにあの旅人さん
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舞台が信濃追分から軽井沢に移ります。
堀の人生の時系列的には、こちらの方が追分より前です。
1925年(大正14年)夏、軽井沢の旅館つるやで、龍之介、犀星、朔太郎、広子、宗瑛との、21才の掘辰雄の青春がありました。
基本参考資料は「堀辰雄紀行1 信濃追分」と同様ですが、再掲します。
引用では僭越ながら敬称を略します。あとで再参照が楽なので、ページ番号まで書きます。煩雑で恐縮です。
青空文庫に収録されている場合は、コピペが楽なのでこちらを引用します。この場合は現代仮名遣いになることがあります。
筑摩版堀辰雄全集第8巻書簡、別巻1来簡より引用する場合は、筑摩書簡(来簡)XXと表記します。XXは書簡番号です。
下記7冊は堀多恵子著
「堀辰雄・妻への手紙」遍/新潮社/1959年(昭和34年)/「来し方の記・辰雄の思い出」に収録。
「葉鶏頭 辰雄のいる随筆」麦書房/1970年(昭和45年)
「返事の来ない手紙 1973.5.1~1974.4.28」文京書房/1979年(昭和54年)
「来し方の記・辰雄の思い出」花曜社/1985年(昭和60年)
「山麓の四季」花曜社/1986年(昭和61年)
「堀辰雄の周辺」角川書店/1996年(平成8年)
「山ぼうしの咲く庭で」オフィス・エム/堀井正子共著/1998年(平成10年)/この本は堀井による多恵子の聞き書きです。できるかぎり多恵子の語り口調を生かしたそうです。
以下4冊は堀辰雄文学記念館編集。
図録については、記念館事務所から、掲載写真のコピーと使用許可をいただいております。
野ばらの匂う散歩道・掘多恵子談話集/2003年(平成15年)
堀辰雄没後50年特別企画展図録/2003年(平成15年)
堀辰雄生誕百年特別企画展図録/2004年(平成16年)
堀辰雄文学記念館常設展示図録・改訂新版/2019年(平成31年)
「わが愛する詩人の伝記」電子版/室生犀星
「室生犀星と軽井沢」軽井沢町教育委員会/2011年(平成28年)
「堀辰雄全集」中村真一郎・福永武彦編輯/筑摩書房/1977年
投稿日:2023/06/21
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
-
現在のつるや旅館に展示されている写真です。「大正時代」とあります。1920年(大正9年)に犀星の初来軽はこんなつるやに泊まったことになります。「堀辰雄生誕百年」の年表には「初来軽」と書いてありました。カッコいいので、以降愛用します。来軽とか、滞軽とか。
つるやのホームページによれば、1955年(昭和30年)ごろまではこのような外観だったそうです。 -
堀辰雄の時代と思われるつるやです。画面左が旧中山道つまり旧軽銀座。
-
現在のつるや。碓氷峠方向から見ています。上の写真とほぼ同じ方向です。
-
つるや先々代当主(左)と犀星。つるや展示より。
背景はつるや近く二見橋。 -
現在の二見橋。あまり変わっておりません。
先々代というのは現在のつるやの社長さんからみて。
ホテルのフロントにはその息子さんがいらして、この方が支配人らしい。この二見橋の写真の話をしたら「ひいお爺さんです」とおっしゃっていました。
掘辰雄の時代の空気は、この若い支配人さんを通じて、まだつるやにただよっているのです。私はこういうのが大好きです。 -
「ひいお爺さん」のころ現役で粉をひいていた水車の一部。
-
ホテルのフロント、というより帳場に飾ってありました。この水車小屋近くに掘辰雄夫妻が夏の別荘を借りたことがありました。
-
同じ水車の木製歯車。今は靴べらかけです。
一書に曰く、
つるやさん
最近の旅は、つるやさんにお世話になっております。
青木繁と坂本繁二郎の青春の旅で、小諸のつるやさんにお世話になりました。このたびの堀辰雄の旅でも、つるやさん。
地理的にも近いし、もしかしたらご親戚かもしれません。
が、全国につるやという名前の旅館は多いんだろうなあ。
鶴は千年、亀は万年と申しまして、めでたいし。 -
部屋の机もさりげなく軽井沢彫り。
-
廊下の片隅に。
今回のつるやさんは、さすが堀辰雄ご用達しだけあって、高級感あふれておりました。
小諸のつるやさんは、料理屋さんでもあって、小諸名物の鯉料理がありましたが、ここだけ細雪の私は、「川魚は泥くそうってかなん。」なんですよね。苦手なのです。ごめんなさいでしたが、今回のつるやさんは、もう、100パーセント大好きなお料理でした。
by妻にとっては、滅多にない優雅な旅で、満足満足。大満足。
by夫の方は、もう、堀辰雄が関係したというだけで、煌めいて見えたことでしょうよ。
By妻 -
堀辰雄文学記念館常設展示図録より。
1925年(大正14年)のことです。堀辰雄21歳。7月9日-遅くても9月13日まで滞軽。
室生犀星は8月13日-28日滞軽。
芥川龍之介8月20日-9月7日滞軽。
片山広子は来軽不明-8月30日以前に帰京。
この日程は、父上條松吉あて筑摩書簡12-34、神西清あて同38、片山広子あて同37から推定。
下記は犀星と龍之介の滞軽がかさなる8月後半の1週間くらいの出来事のようです。
多恵子によれば、
★つるや旅館に泊まっておられた芥川さんと室生さんが、つれづれに墨をすり、即興の俳句を半紙に書いておられた時、その傍にじっと坐って見ていた辰雄は、芥川さんがやや気に入って丸められずに脇に置いた一枚を「これ頂戴して置いてもよろしうございますか」と言って頂いたのが今残っている。
「野茨にからまる萩のさかりかな」
それには蜻蛉の絵があしらわれている。★(堀辰雄の周辺・芥川龍之介P32) -
この夏、堀辰雄は芥川のおともで、あるいは片山広子母娘と、軽井沢周辺のドライブに何回も出ております。
芥川、萩原朔太郎と妹ゆき子、辰雄というメンバーのドライブもありました。
室生犀星の「詩人・堀辰雄」にあるエピソードです。(筑摩別巻2P221-222)
つるやにて。
萩原朔太郎と妹ゆき子前橋より来軽。
ゆき子は朔太郎自慢の美人の妹です。ゆき子は「整った美貌とやせぎすななりとは、柔らかいきれあぢのあざやかさをもっていた。」
ドライブは龍之介が言いだし、犀星も誘われたのですが、朔太郎とゆき子を龍之介にとられて、やきもちで不参加。あいだにたった辰雄は「あがってそはついていた」そうです。
その後つたやの奥座敷で花札を引くのですが、犀星・龍之介の仲が険悪になって「温和しい堀辰雄は真ん中にゐて、どちらにも快活になれないふうだった。」
やがて花札の配り方で犀星が怒って、部屋に引き上げてしまいました。
そのとき犀星の様子を見に来たのも辰雄。「一等若いし僕が見てきますよと言って、掘が引き受けて様子を見に来たらしい。」
犀星はこのあと、若気の至りと深く反省しております。
堀辰雄が朔太郎の「青猫」を読んだのは19歳の時。掘文学の出発点でした。いかに掘が感激したかは「青猫について」(筑摩第4巻)で感動的に書かれています。
21歳の軽井沢のこの1日が、朔太郎との初対面でした。この時朔太郎39歳。
花札事件を堀辰雄から見ると。
直接堀辰雄が書いたわけではなく、多恵子の聞き書きです。「堀辰雄の周辺・萩原朔太郎P126」より。
朔太郎が自慢の妹ゆき子を連れて軽井沢に来たのは犀星バージョンと同じ。ドライブの話はなし。
★美しい女性の出現に芥川さんは機嫌をよくし、室生さんのほうは親友萩原朔太郎や美しい妹さんまで芥川さんにとられたような気持ちになって、だんだん機嫌が悪くなり始めていた。★
同じ事を簡単明瞭に言っております。
その後花札で遊ぶのですが、犀星が札を配るのに再三ドジる。辰雄が「また間違えた」と言ったので「犀星の癇癪玉が破裂して、花札を叩きつけて自分の部屋に戻ってしまった」
なんじゃ、悪いのは結局辰雄じゃん。
龍之介、犀星、朔太郎という高名な作家に囲まれて、右往左往する21歳の堀辰雄です。
この一日の話、掘の作品のどこをどう意地悪く読んでも、片鱗も作品に反映されておりません。
まあ、無理でしょうね。
「菜穗子」で森(モデル龍之介)が三村夫人(片山広子)、菜穗子(娘宗瑛)、明(辰雄および立原道造)と花札を引くという場面は想像できません。
このドラマが繰り広げられたのはつるや旧本館でした。残念なことに1971年(昭和46年)火事で焼失し、現在の本館はその後立て直されたものです。
一書に曰く、
美人の妹
そうかあ、妹が美人というのは、自慢の種なのかあ。
「ポッポ屋」という映画を見たあと、なんだか父親に、悪いことしちゃったなあ。と思ったことがありましたが、今回も同じ気持ちになりました。
ごめんね。お兄ちゃん、わたしが美人じゃなくて。
朔太郎の妹が美人だということは、朔太郎関係の本を読むと、きっと出てきます。三好達治といろいろあった人とか。
その姪が萩原葉子で、この人はテレビとかによく出ていましたが、美人の前に、なにか一言、例えば、個性的なとか、時によってはとか、見方によっては、とかいいたくなる美人だったように覚えております。
今の言葉は、全部、私が言われた言葉ですがね。
どこがどう違うと美人、ぶすの分かれ目なんですかね。
ところで、堀辰雄は、朔太郎の美人の妹を、どう思ったのでしょうか。そして、その美人さんも、辰雄を「あら、すてき。ハンサムね。」とおもわなかったのでしょうかね。
By妻 -
8月31日の夜、碓氷峠に月見に出かけました。メンバーは澄江堂(龍之介の俳号)、堀辰雄、佐佐木茂索夫妻、小穴隆一。運転手をいれると7人ですが、当時そんな大きな車があったのか。「車上の空気がすこし粗雑でした。なんだか乗合馬車のやうで。」と掘は書いています。マイクロバスみたいなものですかね。
なぜ「車上の空気がすこし粗雑」だったかは不明。片山広子あての手紙です。広子や総子のようなきれいどころがいなかった、というごますりか。
★ただ山中の神社の石段の前を左右からヂッと見守っている大きなゐもりのやうな石の動物がなんとも云えず月光の中に気持ちわるかったのです。この鬼気だけは僕からわすれられないでせう。★(筑摩書簡37片山広子あて)
「山中の神社」とは、 -
「熊野皇大神社」と「熊野神社」 もともとは同じ神社ですが、長野県と群馬県の県境が境内を走っているので、二つの違う宗教法人で、二つの神社。
現代では神社は宗教法人として県ごとに登録しなければなりません。この法律ができたのは戦後ですから、堀辰雄たちがお参りした頃は熊野皇大神社だけでした。
由緒ある古い神社なのですが、「山中の神社」と冷たい扱い。 -
「石段の前を左右からヂッと見守っている大きなゐもりのやうな石の動物」とはこれです。
-
かわいそうに、堀辰雄に「ゐもり」とよばれたのは、狛犬なんです。
-
ゐもりがお座りするかねえ。
右ですから口を開いた阿形。目鼻もしっぽもありません。 -
左の吽形。
私にはナマズに見えましたが、ナマズには足がないので、ゐもりの方が近い。
室町中期の狛犬ですから、全国的にも古い方です。本来ならば呍形の狛犬には角があるべきですが、摩耗してなくなったのはしょうがない。
博識の芥川龍之介や堀辰雄も、狛犬には興味がなかったことが分かりました。 -
前足には粗雑な修復のあとがあります。足がなくて、べろ~と台の上に寝そべっていたら、ゐもりだと思ったのはやむをえない。
「ゐもりのやうな石の動物」はひどいので、せめて「狛ゐもり」くらいにしてほしかった。
軽井沢町が「堀辰雄の狛ゐもり」として売り出したら、新たな観光スポットになるはず。
この狛ナマズまたは狛ゐもりさんたちは、3年前に「ヤマトタケルの家路7・碓井坂」で一度出演しています。再登場お疲れさん。
まさか堀辰雄でまた出番があるとは思わなかった。
一書に曰く、
堀辰雄って、繊細な感性の持ち主だと思っておりましたが、「ゐもり」って!
ちょっとひどくないですか?
私は、この、不思議な狛犬?を見たとき、年月、風雪が、この石像を摩滅させたのだ!と、感激しましたがね。
長い年月の間、いったい何人の旅人が、この丸い石に触れたかとおもうと、このゐもりが愛おしかったですが。
たっちゃんたらぁ、やぎのウンチに大喜びするのと一緒ね。
要するに、こども。ツン。
By妻 -
堀辰雄が父上條松吉に出した手紙が残っております。筑摩書簡12-34の23通。
村幸というつるやから1町(約109m)離れた骨董品屋の2階を、賄い付きで借りることになっていたのですが、主人が病気で来ません。それで7月9日からしばらくつるやに泊まりました。宿代が高くて文句たらたら言っております。
手紙の内容は、お金の話が多くて14通。そのうち4通は「お金送れ」
モノを送れというのもあって、まず石油コンロ。白い着物。スタンダールの「赤と黒」。
日和下駄、ハウバ。(同19)
ハウバってなんだろう。カタカナで書いている。朴の木でつくった下駄、ほおば(朴歯)かもしれない。辰雄は強烈な江戸下町訛り、つまり江戸弁でした。
サルマタも送れって!
わーい、あの堀辰雄が父親にサルマタ送れって頼んでいる。
スタンダールとサルマタの、華厳の滝のような落差。
村幸で食事を作ってもらう予定が狂って、お金がかかって困っています。
それでも村幸の家賃は50円。約束が違うんで値切ればいいものを。値切れないのは、江戸っ子だからでしょうね。
朝食は自炊で、パンとバターと紅茶みたいなもの。お湯が沸かせなくて紅茶飲めず、ブータレ。
夕食はつるやで食べました。8月いっぱいの支払いが63円80銭、全部で70円だそうです。晩の定食は2円50銭、最低1円50銭以下にはならない。「向こうが何のかんのと云ってさせないのだ。」帝大の学生さんです、しみったれたものを食べるなということか。
★村幸の便所はとても汚い。だから入らない。表でする。小便はいいが、大便はこまる。★
そりゃそうでしょう。
★我慢して鶴屋の便所を借りるが、もうなかなか出ない。ふんづまりになっている。気色が悪い。★
この夏の体験をもとに、あのお上品で、繊細な「ルウベンスの偽画」や「聖家族」を書きました。
それからはまったく想像できない堀辰雄の、ばっちい滞軽のお話しです。
当時の日本文学の主流は私小説でした。掘はそれに逆らい、西欧風のフィクションを目指しました。そのえげつないまでに明白な証拠です。
最後に松吉に80円の送金を依頼しました。
★この際、どうしても80円なければ、東京へ帰れぬ。少し贅沢しすぎたようだが、勘弁して下さい。なにしろ、一流の生活をみんなとしてゐたんだから。そうして、この80円のおかげで、僕もだいぶ一流の人々に可愛がられたんだから。いくらか堀辰雄も有名になったんだよ。(但し、80円は最低の予算を云ったのですからそのおつもりで)★(筑摩第8巻33)
「一流の人々に可愛がられた」のは事実。事実はそのまま記録に残したいと思っていたのです。 -
堀辰雄文学記念館常設展示図録より。
7月26日付けはがき。
★オスケツも食べてみる。しかしこれはお父さんの俳句のように不味い。★
オスケツってなんだろう。 -
8月20日付け2葉続き2。
堀辰雄の父、上條松吉は養父です。辰雄4歳の時、母志気(しげ)は4歳の辰雄を連れ子して、新小梅の彫金師松吉に嫁ぎました。辰雄は松吉を、その死まで実父と信じて疑いませんでした。
このいきさつは堀辰雄が「花をもてる女」に詳しく書いています。1932年(昭和7年)発表の短い随筆(筑摩第4巻)
辰雄が本当に松吉が養父であることを知らなかったか。
江藤淳は「昭和の文人」1989年(平成元年)で、この「父への手紙」を根拠に、
★ここにその一部を掲げた一連の手紙は、どう贔屓目に見ても「子」が「父」に宛てた手紙ではない。若様が下男に宛てた手紙である。★(昭和の文人/新潮文庫P258)
つまり養父であることを知らなかったはずはない、と書いています。
たしかに非常に乱暴な言葉使いで、内容も遠慮がまったくありません。
23通の手紙は松吉が保管していました。死後辰雄に送られてきたのですが、それを読んだ多恵子自身が、辰雄に、
★こんな手紙をあなたお父さんに書いたの、あきれたもんね★
と言ったそうです。
東京でも山の手育ちだった多恵子から見ると、ひどい手紙でした。でも多恵子はそれが下町では普通であることを理解しました。
辰雄は、松吉の死後、母の妹から詳しいことを聞くまで、本当に知らなかったそうです。これは妻が言うのですから、間違いないでしょう。
松吉の死は多恵子の結婚後です。松吉が倒れた時、多恵子は辰雄とともに1ヵ月同居して松吉の看病をしています。
松吉と辰雄が話しているのを間近で見ています。
以上「山ぼうしの咲く庭で・心の痛み」P256-261、「山ぼうしの咲く庭で・向島での一ヵ月」P136-140より。
吉田精一
▲▼▲▼
国文学者(1908-1984)は、東京市本所横綱町生まれ。府立三中(現在の両国高校)で堀辰雄の3年下。
★彼(掘)の父親に与えている手紙では、友達同士のように敬称抜きのいい方をしているが、あれは我々の家庭でも共通だった。」★(筑摩別巻2P379)
父への手紙を読んでいます。
掘の手紙の乱暴な言葉遣いは、下町の親子関係から見れば特に不思議ではないそうです。
大野俊一
▲▼▲▼
ドイツ文学者(1903-1980)は東京浅草生まれ。一高で掘と同期。
★本所の新小梅に私がおりおりおとずれたのは、震災の前にちがいない。あの震災で亡くなられた母君がまだ御健在で、「たっちゃん」の友をやさしく迎えてくださったからである。(中略)彫金を職としておられた掘の父君にも、私は二三度お目にかかっている。この家の表札には。「掘」ではなくて「上条」(原文ママ)としるされていたが、そのわけを私は後年「幼年時代」を読むまで知らなかった、なにかのわけで、掘は親戚の姓でも称しているのだろう、上条家の親御さんはお二とも掘の実父母だとばかり思っていた。★(筑摩別巻2P272)
大野は掘の母と松吉と面識がありました。掘と同じ下町浅草生まれ、掘の一家になんの違和感も感じていなかったことが分かります。
小山政孝
▲▼▲▼
(詩人、1916-2002)
★荻窪のお宅にうかがった時、母方のをばさんという方が玄関に出て来られたことがある。そのをばさんが亡くなった直後のある日、掘さんは興奮を押さえるようにして話された。
「僕の父親だと思ってゐた人が、さうではなかった。知らなかったものだから、ずいぶんわがままを言ったりしてね」★(筑摩第8巻月報7P5)
掘夫妻は一時荻窪の多恵子の実家の敷地に家を建てて住んでおりました。掘は母の妹を引き取って面倒見ておりました。掘の出生のいきさつを教えてくれた叔母です。
堀辰雄が松吉が養父であることを知らなかった、第三者の証言です。
神西清
▲▼▲
ロシア文学者、翻訳家、小説家(1903-1957)堀辰雄の親友中の親友。一高の同学年。16歳くらい、震災前の堀辰雄の家を最初に訪れたとき、
★僕はこの書斎で、その主人の前で、お母さんから寿司や洋菓子の御馳走にあずかるのである。掘君の作品にあらわれるとおりの、実に美しい下町風の端正さをもった人で、僕はお母さんがそこにすわっていられると、お茶ものどにとおらないしまつであった。★(筑摩別巻2P369)
神西も堀家に何も異常を感じていません。
江藤淳は堀辰雄にも多恵子にも会ったことはありません。ましてや志気も松吉も知りません。
妻の多恵子や、志気や松吉を直接知っている掘の友人達が何も異常を感じていませんでした。
夏の終わりに松吉ともう一人が軽井沢に来る計画があったようです。
★お父さん達は来ますか。村幸の二階は駄目。室と蒲団は借りられても、食事は僕のような芸当は出来まいから。それにこないだから猛烈な夫婦喧嘩をしてゐるので、閉口だ。「つるや」なんかに泊まると、一日に七円はとられそうだな。「萬松軒」は5円。こないだ報告した「かなめや」は三円五十銭乃至四円。この三軒だけしか、軽井沢の町には宿屋なし。十町ほど離れた、停車場の前に、たしか「つるや」と同名の宿屋があった。「油屋」といふのもある。ここは安そうだが、とうてい其所ぢや、軽井沢のいい所を味わえまい。毎日十町以上往復出来ぬでせうから。来るなら「かなめや」をおすすめします。★(筑摩第8巻33)
この手紙を根拠に、江藤は、
★彼(掘)は松吉とその連れにふさわしい宿として、一泊「三円五十銭乃至四円」という安宿を推薦している。そのくせ自分は毎日一泊「七円」の「つるや」で食事をし、おまけにボーイに五円のチップをやったりしながら、である。★(昭和の文人P287-288)
つまり下男並みに扱っていると言いたいようです。
掘が泊まっていたのは1泊7円のつるやではなく村幸です。宿代は2ヵ月約60日で50円、一泊約83銭。使えない汚いトイレという劣悪な宿。夫婦喧嘩つき。朝飯自炊。
十町つまり1km以上離れた駅前のホテルでは旧軽銀座のいい所は味わえないというのは、現在も同じ。
なんとかしてコスパのいい軽井沢ステイを楽しませたいという、優しい息子らしい心遣いと思うのですが、いかがでしょうか。 -
一書に曰く、
江藤淳って、いやなやつ。堀辰雄をおとしめようとしている。
と、by夫は言いたいらしい。
確かに。
江藤淳は、堀辰雄はもちろん、多恵子夫人にも会ったことがありません。
多恵子夫人の人柄、経歴、などを少しでも知ったなら、こういう女性が、養父を下男扱いするような人間に献身するかどうか。
多恵子夫人の著作も読まなかったのね。
勉強不足だわ。
とはいうものの、江藤淳をほんの少し弁護いたしますと、江藤淳は、九州の武士階層の出身だそうですね。
わたくし、by妻の父親も九州の武士階層の家の出身です。。
私は、ほんの少しの期間でしたが、祖父の家に同居したことがありました。
この家が、男玄関、女玄関のある家でして。
男玄関は、正式なお客様だけで、普段は使いません。
普段の日は、兄は、こどもでも男ですから、玄関を使いますが、女の子の私は、勝手口でした。
玄関に行くと叱られるネコが、入り口で待っておりましたよ。
食事は、祖父だけ違うというか、一品多く付いておりました。
父には、それがいやだったのでしょう。それに、母が、恐妻で有名な山口県出身で、さらに婿養子が続いた家の出だったからか、親も子も遠慮なく言いたいことを言う家庭を作りました。
私は、親とはじゃれ合うもの、ふざけるものと思って育ってきたのです。
そしたら、この家では、父からして祖父に正座して会話するのです。
父が、真面目な顔をして、語尾も「です。ます。」です。
もう、うひゃあ!でございましたよ。
父が正座するくらいですから、私ども子供はもちろん、這いつくばって、「只今より学校に行って参ります。」とかやっておりました。
江藤淳の、堀辰雄親子に対する誤解は、これですね。
はいつくばって、「行って参ります」の生活が当たり前の人間には、
「いってきまーす。バイバ~イ。」なんて、想像できないのかもしれません。
By妻 -
つるやロビーに面する中庭です。本館が焼ける前の面影を留めているそうです。
-
そのロビーの一隅に本棚がありました。右隅です。
-
野ばらの匂う散歩みち
▲▼▲▼▲▼▲▼▲▼
そこで「野ばらの匂う散歩みち」を見つけました。
この本は2003年(平成15年)に出版されました。掘辰雄文学記念館で年1回ずつ10年にわたって行われた、掘多恵子の談話集です。語り部多恵子の最後の証言「掘辰雄-妻への手紙II」は、2002年(平成14年)10月6日でした。多恵子88才でした。 -
署名入りです。
この本は現在アマゾンでも手に入りません。ネットでは、唯一信濃追分油やの隣り「追分コロニー」で売っていました。33000円です。
出版した堀辰雄文学記念館でも、もう展示用しかありません。
こういう超レア本が無造作にロビーにおいてある、さすがつるやさんです。 -
朝6時にロビーに降りてきて、写真をとりました。
写っている指は、ページを押さえるBy妻です。お互い眠かったよね。
この本棚には、片山広子の、 -
「野に住みて」や、
-
「燈火節」もありました。
いずれも最近の出版ですが、中古市場でたいへんお高い本です。
広子の貴重な写真が載っていますが、著作権が分からないのでここには出しません。
うーん、美人だ。まさに才色兼備。
芥川龍之介がくらっときたのも、むべなるかな。
なお21才の掘辰雄が秘かに憧れたのは、娘宗瑛よりも、広子だった、という感なきにしもあらず。
片山広子もまた、つるやの常連でありました。
一書に曰く、
さすが つるやさん
「野ばらの匂う散歩道」は、子供用の漫画の隣にありました。
旅館ですから、泊まり客の子供のためなんだろうと、思ったのですが、今考えると、あの漫画の作者も、つるやさんにご縁のあるひとだったかもしれませんね。よく見ておくんだった。
片山ひろこについては、
いいです。感想はありません。
美人で、お金持ちで、子供のできもよくて。自分自身も才能があって。
こうまで完璧だと、小説でもおもしろくない。
いいわねー。
「同性の友達はいなかったんじゃないかな。」が、せめての嫌みです。
同性の友達ばっかりのby妻
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この旅行記へのコメント (6)
-
- mistralさん 2023/06/24 22:04:53
- 軽井沢といえば。
- しにあの旅人さん
ご無沙汰しております。
その後、お引越しのほうは無事に済まされ
落ち着かれたご様子ですね。
新着旅行記も着々とアップされておられますので、そのように想像しておりました。
つるや旅館さんにお泊りになられて、by妻さんはご納得の旅となられたと想像。
軽井沢といえばつるや旅館さん一押しですものね。
昔学生時代、学校の寮が軽井沢にあった関係から、なにかというと軽井沢に行っては
その当時の学生相応の楽しみ方で楽しんでいたことを思い出します。
高級ホテルなどには泊まれないけれど、お茶だけをホテルでいただくとかetc.
今にしたら慎ましい楽しみ方でした。
この旅行記には関係ない話題で恐縮ですが、
7月に名張の夏目廃寺に行ってくることになりました。
大阪で所用があるものですから、一足先に奈良入りをして名張まで行ってみようと
考えております。
しにあさんご夫妻の旅行記に出会っていなかったなら、まさか名張まで行くことは
なかったと思っていて、まさに4トラでの出会いに感謝です。
どのような印象を抱くのかは、現地に立ってみないとわからないことですので、
まずは廃寺跡に立ってみて感じるものを味わってきたいと思っています。
旅行記にする(できるかは?ですが)折には、きっとしにあさんの旅行記より
引用させていただくことも多くあると思いますが、
寛大なしにあさんのことですから、きっとお許しくださることと勝手に思っております。
以上、関係ない話題で申し訳ありませんが、ご報告?予告のコメントでした。
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2023/06/25 10:06:25
- Re: 軽井沢といえば。
- こちらこそご無沙汰です。
引っ越しは一段落ですが、午前頑張ると午後はお休みという状態で、ぼちぼちやっております。
軽井沢はもう一回くらい行きたいですが、またつるやでしょうね。立ち回り先が旧軽銀座周辺なので、選択の余地がありません。
いい旅館で、気に入っております。
夏見廃寺からの引用、ご自由にどうぞ。旅行記、ぜひ書いてください。待っています。金堂跡で心眼をこらせば、ここに立った大来さんが見えるかもしれませんよ。
その場に立つ、歴史の旅の醍醐味です。
大来さんの晩年、遅すぎた恋、夏見臣某との幸せな7年間というのが、私のトンデモ説です。
前日光さんは大来の臨終に不比等まで出演させております。
そういう想像を掻き立てる廃寺でした。
薬師寺縁起に出てくる「掃寺(かでら)」から
「六国史の旅 大津皇子フィールドノート1 加守廃寺」
の加守廃寺につながります。
私たちとしては、とても思い出深い名張の旅でした。
-
- kummingさん 2023/06/23 19:12:37
- 週刊誌的興味深々♪
- しにあさん、by妻さん、お久しゅうございます♪
復帰第一弾、チラッと見て、目眩が~、久方ぶりの「文字多い!」に、正直一瞬ちょっと腰が引けました。(人のこといえる立場ではございませんが…)
気を取り直して再挑戦。
私も好きな作家、音楽家、画家さんたちのプライバシー、交友関係には、興味惹かれます。もう、情けないくらい「週刊誌的情報」でも何でも、分かれば大喜び♪ 「自由恋愛」とか言っちゃって、ただ束縛されたくないだけじゃね? とか、書評で悪く言ったのは、気があるのに無碍にされた意趣返し? だのとはけしからんゲスの勘繰り。
由緒あるつるやさんへのお泊まり、by妻さんもご満足の由、よろしゅうございました♪
犀星vs龍之介のケンカの元は朔太郎の美人妹、でしょうが、燻ってた火のタネを煽って炎上させたのは辰雄だった、花札事件、本人は自分があおったとは気づいていない?
狛いもり、ブログの写真見て辰雄氏の所だけ読んでた時は、私も「いもり?」かと(笑)そうではなくて、経年劣化した、本家狛犬さんだったとは⁈ 何とも愛おしいお姿に変身♪
村幸のおトイレの件、そ~いう現実面は露も見せず、「西欧風フィクション」を目指したという辰雄氏、未だ作品未読につき、何も言えません。
そんな辰雄氏が父に宛てた手書きのはがき、文字を見て俄然親近感抱きました(達筆からは程遠い、むしろポップな字体♪)。そして、実父と信じていたからこその、ぶしつけとも思えるほどの「ぞんざいな言葉使い」、ができたのではないでしょうか。そういう気のおけない父息子だった。
それにしても、お宿のロビーの一角にある本棚に目を留めただけでなく、そこに並んでいる本を逐一チェック!その嗅覚はあっぱれでござる^o^ こんなところにお宝が埋もれていようとは⁈ 早朝の夫婦水入らずの共同作業もまた、お~み~ご~と~♪
- しにあの旅人さん からの返信 2023/06/24 10:30:03
- Re: 週刊誌的興味深々♪
- 引っ越しはまあまあ、日常を取り戻しつつあります。
一日一仕事という感じで、午前中何かやると午後はグータラ。
つるや旅館は、軽井沢に行くなら、おすすめです。旧軽銀座に直接面している唯一の旅館です。
2月は旧軽銀座の食べ物やさんが軒並みお休みで、選択の余地なく夕食付きにしました。我々の調査旅行では珍しく、これでBy妻は満足。
料理の写真も撮ったのですが、こういう写真は撮りなれていないので、おいそうではありませんでした。
それにしても4トラの皆さん、食べ物の写真うまいですね。何かコツがあるのでしょう。
龍之介、犀星、何やら老大家という感じですが、実際には龍之介33歳、犀星36歳です。まだみんな若かったのです。
楽しかったと思いますよ。
「聖家族」読んでみてください。トイレの話との落差に愕然とするから。
こういう話を平然と書けるって、この時は、辰雄は絶対に実の父と信じて疑っていなかった、と実感します。普通、赤の他人にこんな話書けないです。
龍之介は達筆。比べて辰雄の字はひどい。犀星に、もっとゆっくり字を書けと言われています。
本人も自覚していて、堀辰雄の色紙は1枚しか現存していません。
多恵子さんは、晩年正式に書道をやって、なかなかの字を書いたみたいです。
iPhoneで本を写す時、なんとかいう複写モードがあります。でも2人なら、ページを押さえてもらって、こんなふうに撮ったほうが便利。
最近資料をこうやって写真を撮ることが多くなりました。
-
- 前日光さん 2023/06/23 16:32:32
- 犀星と龍之介、その間でオロオロする堀( ̄▽ ̄)
- こんにちは、しにあさん&by妻さん。
犀星がヤキモチを焼いたというのは、なんとなく頷けるのですが、芥川が朔太郎の美人の妹にデレデレしていた(私の妄想ですが)なんて思いたくないのです。
そんな世俗的な出来事は芥川には似合わないと思ってしまうのは、芥川を美化しすぎている私の思い込みでしょうね。
朔太郎の妹は美人だったけれど、わがままだったんじゃないでしょうか?
三好達治と結婚しても、結局別れちゃうし。
貧乏な生活はできそうもないし。
周囲からチヤホヤされるのは当たり前で、自分を巡って男どもが争うのなんて大好きそう( `ー´)ノ
美しく生まれついたというだけで、そうでない大多数の人間の気持ちなんて分かりっこない!と、ついひがんでしまう私。
写真を見ると、確かにゆき子は美人さん。
朔太郎とよく似た大きな目と鼻筋が通ったエキゾティックな風貌ですよ。
こういう人は、まともな人生を送ることなんかできっこないわ!と思うのは、ひがみ以外の何物でもない(; ・`д・´)
でもこのゆき子さんを調べているうちに、私は大好きな詩人の三好達治の意外な面を知ることになってがっかり。
でもだからと言って、三好のあの素晴らしい詩の価値が下がるとは思えません。
佐藤春夫や三好達治の、弱っちい女々しい詩が大好きな私です。
あ、ついでに白秋も(あのキザな言葉遣い、漢字と仮名の使い分けによる、視覚に訴える日本語の美しさよ)
芥川の小説もそうです。
中島敦にしても、読んで美しく、目で見ても美しい日本語、こういう文章を書く人は、やっぱり長編は書けないなぁと。あんな調子で長い文章を書いたら、必ず行き詰まると思います。詩や短編だからこそ、傑作が生まれたと個人的に思っています。
ああ、でも人生を二度生きることができるなら、一度はゆき子のように美しく生まれついて、自分を巡って男どもがああだこうだと争いになったら面白いのになと思ってしまう私はイケズですね。
堀は、犀星と芥川の間で、右往左往して苦労したことでしょうね。
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2023/06/24 06:58:58
- Re: 犀星と龍之介、その間でオロオロする堀( ̄▽ ̄)
- 前日光さんの文学的情熱に火をつけたみたでいです。
芥川、朔太郎、達治がメラメラと燃え上がっております。
よきかな、よきかな。
犀星がいうところのゆき子、「柔らかいきれあぢのあざやかさをもっていた。」とはどういうことを言っているのか。犀星は時々分かったようでわからないことを書きます。要するに美人だったということですね。
犀星の「我が愛する詩人の伝記・萩原朔太郎」を読みましたか。
ネットの青空文庫に全文出ています。
朔太郎という人は、妹がみんな美人で、外で女に振られると家に帰ってきて、妹を見てスーッとするとどこかに書いてありました。
犀星と朔太郎は終生の親友だそうですが、とんでもない親友だったみたい。
前橋の朔太郎記念館、北関東の旅で2度ほど最後の日程に入れたのですが、時間切れと、体力切れでカットしました。次は絶対に行くぞお、と思うだけは思っています。
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