しにあの旅人さんへのコメント一覧(6ページ)全577件
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いつも新情報を。。。
しにあさん&by妻さん、こんにちは!
お久しぶりです。
昨日やっと例の随筆の編集(第一次)が終わり、印刷所に渡すことができました。
もう師走どころか、20日も経たないうちに新年を迎える時期になってしまいました(+o+)
月日の経つのの速さに、そら恐ろしくなります。
さて堀辰雄の「あたい」って。。。(-_-;)
下町言葉だったのでしょうが、あまり知りたくはありませんでした。
大伯の皇女が、大女だったとか、今回の堀の言葉遣いだとか。
イメージが覆ること甚だしいです(>_<)
そういえば、父方の叔母は東京王子に住んでいましたが、私が小さかった頃わが実家に来た時、「おシ、おシ」と言っておりまして、なんのことか分からなかったのですが、
「お火」と言っていたのです。
「火」に、丁寧語の「お・御」を付けていたことになります。
東京の人って、「ヒ」と「シ」を逆に言うんだということを、体験的に学んだということになります。
さて栃木県の方言ですが、U字工事のなまりは絶妙です!
県民でも、あそこまで訛れません。
自民党の元幹事長の茂木氏も、足利県民なのに、かなりの訛りっぷりですが、県南の人なのに、なぜ訛っているのか理解できません。
足利市民は群馬に近いので、あまり訛らないのです。
栃木県のもう一つの訛りは「い」と「え」が逆になってしまうというのがあります。
高校時代の担任と中学時代の家庭科の先生は、特に際立っておりました。
「そこのエすに座って!」という家庭科の先生には驚きました。
「椅子」のことを「エス」というのです。
高校の担任の極めつけは「色鉛筆」のことを「エろイんぴつ」と言うのです。
その鉛筆で、何を書くのだ!と、思ったことを思い出しました。
いろいろ思い出させていただきましたが、しにあさんの考察は、幻滅を感じることが多いです。
なお、栃木県の訛りについては、最近の若い世代では、かなり減少してきていることもつ加えておきます。
県民の名誉のために(^_-)-☆
前日光Re: いつも新情報を。。。
雑誌の編集ご苦労様です。
でもその合間に、前回の出雲旅のブログもお忘れなく。
待っている読者多し。
大来さんが大女というのはひとつの仮定ですが(自信あり)、堀辰雄の「あたいは音痴」は、妻や親友の一次証言ですから、しょうがないですね。事実だったのです。わたしもビックリです。
事実は小説より奇なり、じゃなくて、がっかり。でも私としては堀辰雄の知られざる実像に迫ったわけで、満足。
花の女子大生時代、一緒に信濃追分の堀辰雄旧家にいらっしゃったお友達に、ぜひお伝えください。
多恵子さんは辰雄の実家に行ったら、夫が「あたい」と言っているわけで、ビックリしたでしょうね。軽井沢や追分の堀辰雄とは全く違うのです。
私もBy妻と暮らし始めたカルチャーショックのほうが、フランス暮らしのカルチャーショックより大きかったのを思い出します。
王子のおばさんの「おシ」はどんな文脈ですか。「おシが強い」だと「押しが強い」と「火が強い」と両方ともあり得るわけで、聞いている方は混乱します。
By妻の親戚に栃木人がいます。立松和平みたいな一本調子ではありましたが、単語は標準語でした。宇都宮ちかくの人です。
U字工事ユーチューブで見てみました。けっこうイントネーションがありますね。立松和平の一本調子は特別ですかね。営業ようかな。
「エろイんぴつ」は困ります。たしか女子高でしたよね。生徒はどんな顔をして聞いていたのでしょうか。同じ訛りなので気にならないのかな。
私は父の勤めの関係で、東京西郊をうろうろしただけで、お国言葉がないのです。By妻は一応博多弁を操ります。方言でしゃべれる人がうらやましい。
2024年12月23日16時29分 返信する -
堀辰雄の墓
しにあの旅人sさん こんにちは
たいへん面白く拝読いたしました。シンプルで好感の持てる墓ですね。
雑司が谷霊園にある漱石の墓は仰々しくてちょっとがっかりでした。本人の希望ではないことを祈るばかりです。それに引き換え永井荷風の墓は質素で彼らしいとおもいました。
しにあ家のお墓はやはり多磨霊園にあるのですねー。さすがです。
我が家の墓はだいぶ前に買いましたが、いまだに入る人がいなくて早く私の入るのを待っています(笑い)。
フランスのマロニエの実は栃のより大きいのですか?始めて知りました。
スコットランドのエルギン大聖堂に行ったとき、近くにあった大木がマロニエでした。ちょうど花がたくさん咲いていました。
今年の夏には長兄が亡くなり、いよいよ自分の番かと死を実感しております。家族の非難を省みず、できるだけ旅行をしたいと思うこのごろです。
4トラベルにpedaruの名前が見えなくなったら死んだものと思ってフォロー解除をおねがいします(笑い)。
pedaruRe: 堀辰雄の墓
先日夕方散歩していたら、中学生の女の子3人組が校門の近くでおしゃべり真っ最中。「こんにちは」と大きな声で挨拶してきた健康優良児でした。
向こうから「気をつけて帰って下さい」と言われました。
じいさん、ばあさんが、よたよたと歩いていたので、気を使ってくれたようです。
あ~~やだやだ、そんなトシなのです。
お墓の話題がふさわしいかな。
わがやの多磨霊園のお墓は父の前かその前に買ったらしい。おそらく武蔵野そのものという雑木林であったでしょう。都営ですから、いまでも年間管理料8000円くらいです。
それなのに草ボウボウ。この墓の持ち主は管理事務所に連絡せよ、とかいうお札が立っているのもあります。バチ当たり、もったいない、もったいない。
無住のお墓ですか。いいではないですか。このままず~~~と無住でいきましょう。
2024年11月29日19時58分 返信する -
本日、これから。。。
島根に行ってきます。
いつもの出雲詣でです!
どこに行くというのでもなく、出雲の空気を吸いに行ってきます。
30日(土)に戻ります。
向こうは3日間雨です(*'▽')
わかっちゃいるのですが、この時期、島根は天気が良くないです。
でも行くのです。
では!
前日光2024年11月28日09時14分返信するRE: 本日、これから。。。
出雲旅、行ってらっしゃい。
旅行記お待ちします。
新暦では出雲の神在月は終わっているので、神様はみなさんお帰りになったあとですね。ちょっと寂しいかも。
しにあの旅人
> 島根に行ってきます。
> いつもの出雲詣でです!
> どこに行くというのでもなく、出雲の空気を吸いに行ってきます。
> 30日(土)に戻ります。
> 向こうは3日間雨です(*'▽')
> わかっちゃいるのですが、この時期、島根は天気が良くないです。
> でも行くのです。
> では!
>
>
> 前日光2024年11月28日12時19分 返信するRE: RE: 本日、これから。。。
こんばんは。
予定通り先週の土曜日に帰宅したのですが、
いろいろ雑用が多くて(例の随筆誌の編集です!)
なかなか4トラに来られません。
そのうちに。。。(-_-;)
前日光2024年12月07日20時35分 返信するお帰りなさい
おかえりなさい。
どうぞごゆっくりお休み下さい。
いつものような、楽しい出雲旅行記をまっています。
ところで、いただいているコメントは、どこに書き込まれいるのでしょうか。
4トラからのお知らせのメールから入れますが、私のどのブログにあるのか、分からないのです。
> こんばんは。
> 予定通り先週の土曜日に帰宅したのですが、
> いろいろ雑用が多くて(例の随筆誌の編集です!)
> なかなか4トラに来られません。
> そのうちに。。。(-_-;)
>
>
> 前日光2024年12月07日20時47分 返信するRE: お帰りなさい
これは、ブログと関係のない「掲示板」への直接のコメントです。
「掲示板」というところを開いて書いています。
旅行記とは別です。
旅行記と関係のない内容と思ったので、ただの「掲示板」にコメントしました( *´艸`)
前日光2024年12月07日23時51分 返信する掲示板へのアクセス見つけました!
お早うございます。
掲示板へのアクセスが分かりました。
スマートフォンとパソコン版では、トラベラーズ・ペイジの表紙が違うのですね。スマートフォンには「掲示板」というメニューはないのです。
私はコメントを書くときにはパソコンなのですが、読むときはIPhoneです。それで「掲示板」を見つけられなかったのです。
ひとつ勉強しました。
これはパソコンで書いています。
> これは、ブログと関係のない「掲示板」への直接のコメントです。
>
> 「掲示板」というところを開いて書いています。
> 旅行記とは別です。
> 旅行記と関係のない内容と思ったので、ただの「掲示板」にコメントしました( *´艸`)
>
>
> 前日光2024年12月08日09時51分 返信する -
お久しゅうm(._.)m
しにあさん、by妻さん、長い間ご無沙汰しております、不義理を棚に上げ、お久しゅう♪
マロニエの実、懐かしいです。昨年南伊で道にコロコロ落ちていたのを「こっちの栗は殻が剥けて落ちるんだ!」という私の大いなる誤認識を、しにあさんに訂正して頂きました。さすがおフランス仕込みはちゃうな~、と感心した記憶あり。
そのマロニエの和名トチノキ(栃の木)はもちろん、アシビも存じず、申し訳ないです。それでコメントするのもなんかな~、と迷いながらの久々のカキコ(-。-;
薄いピンク色の墓石というセンス、趣味に、堀辰雄氏の品性を感じます、常人はなかなか墓石に選ばない色味かと。お線香立てがないのはわかりますが、名刺入れってなんですか?詣でた方が名刺を入れる?
お墓をすぐにみつけられたり、しにあ家のお墓に近かった、という件、そりゃあこれだけ長い期間、膨大な熱量を傾けて謳いあげていらした「堀辰雄、多恵子夫妻讃歌♪」が、あっちの世界に聞こえないはずもなく、おそらく「呼ばれて」いらしたのではないかと^ ^ しにあさんby妻さんを呼んだのは、お舅さん、だけにあらず、と思われる。
特に、by妻さんは、以前からそうゆう傾向、何か向こうの世界と縁を結びやすい感性、みたいな、霊感?というようなものをお持ちのように感じることがございます。
言及頂いた昔のコメントですが、「ポップな字体」とゆうのは、うちの子が先生に「ちゃんと保護者に書いてもらいなさい!←私の署名」と言われたり、幼児から高校生相手の仕事をしていた頃(←本邦初公開の秘密開示)、人様に文字を書く機会が多いのを「文字の良否ではなく(上手い、下手ではない)、何を書くか、が重要」と苦し紛れに公言していた、あの字のお話ですね。堀辰雄氏も、書かれる内容重視でいらしたはず⁈ と、ますます親近感♪
最近、ようやく夫実家の墓終いを終えました。自分たちのことを考える事も増え、「樹木葬」はどうだろう、でも今区画を予約すると、これから終わり(←私の)までずっとお取り置き料金?みたいなのを払い続けなきゃ?などなど、未だ足を踏み出せずにおります。
久しぶりで、またブログの内容から離れ、思いうかぶ事をつらつらと書き散らしてしまいましたm(._.)mRe: お久しゅうm(._.)m
トチノキは九州では少ないそうです。葉っぱがでかくて、花が派手ですから、あれば目立ちます。
房総でも見た記憶がありません。
見かけとちがって食えないし、人気がないのでしょう。
堀夫妻の墓石は、そういえばきれいな薄いピンクです。
私は筆跡など別なことろに注意が集中、By妻に言われるまで、石の色には気がつきませんでした。なるほど珍しい、きれいな色ですね。
二人でブログをやっていると、幅が広がります。
By妻は私と目の付け所、頭の構造、周波数が全く違います。今回も元資料は全部読んでいますから、どうも多恵子さんと直接会話したみたいな感じ。
名刺入れ。
そういえば、博多のBy妻家のお墓や、親戚のお墓にはありませんでした。多磨霊園や、関東の墓地には珍しくないのです。
ただし我が家の墓にはありません。父の家はもともと紀州の人だそうで、明治の初めに東京に出てきたとのこと。
ローカルな風習なのかな。
文字通り、来ましたよという証拠に名刺を入れておくそうです。
堀辰雄に熱を入れ始めたのは17,8のころ、それからかれこれ60年です。
コロナでイタリアに行けなくなって、昔の記憶をたどっていたら思いついたのが堀辰雄。最初は信濃追分の巡礼地をさあっとめぐっておしまいと思っていたのですが、なんと19冊になりました。フィールドノートという単品の寄せ集めがあと2本あります。
じつはこれ、まだ「風立ちぬ」「菜穂子」という本編が始まっていないのです。イントロだけでこんなに長くなるとは思っていませんでした。
Kummingさんご主人の実家のお墓は鹿児島の出水でしたよね。黒之瀬戸のコメでおうかがいしました。墓じまいはいろいろ大変みたいです。我が家は多磨霊園ですから、なんとかなりますが、遠いとこまります。
6月に他界した伯父に子どもがいなくて、私が当面お墓を面倒見ることになりました。関東ですが、片道車で3時間、私の後は息子には頼めません。
息子もその嫁さんも一人っ子ですから、あそこはもれなく2カ所のお墓がついてきます。
孫姫さんも一人っ子、将来のダンナが一人っ子なら、これまたもれなくお墓3件。
これからこういうケースが増えますよ。
お墓を用意したら、お取り置き料金がかかるのですね。
↑のpedaruさんもお墓を用意したとおっしゃっています。
だいぶ前ですが、遺灰を一粒ずつまとめて、極軌道の人工衛星にのせるというお墓の形式が話題になっていました。南極と北極という地球を縦に回る軌道ですから、定期的に地球のあらゆる地点の宇宙空間を通ります。そのときに拝めば、お墓参りには困らないのです。
その後どうなったのか、聞いておりません。2024年11月29日12時07分 返信する -
黒い帽子のお婆さん!
もちろん神社から見える集落の皆さんの意向を汲んで、
敢然と怪しの人物の様子を探りに来た!と私は思いました。
ところがby妻さんと話が合ってしまい、ツッコミを入れることも忘れて
話し込んでしまったというストーリーがよく分かるシチュエーションです(^_-)-☆
こんばんは!(^^)!
10月28日に三回目の文学講座の講義が終わり、ボーっと過ごしておりました。
写真探しも資料作りもなかなか大変でした。
いたって小心者なので、開き直ることができずに気苦労ばかりでした。
でも最後の頃は独断と偏見で、妄想交じりのヨタ話をしている自分がいました。
30人弱の参加者でしたが、それでも他人様に思い込みの話をするのは
大変なものですね。
ヤマトタケルのことをもう少し詳しく知っていたら、この方面の話もできるのですが。
多分講座の狙いとしては、平安時代の「大河」の背景なんかを話してもらいたかったのかも。
でも藤原氏を母に持たなかったがために皇位継承から外された惟喬皇子や業平のこと、藤原氏よりは橘諸兄と懇意だったために越中に左遷されたのではないかと思われる家持、祖父が薬子の変の中心人物だったために、高貴な血筋でありながら皇位継承とは縁のなかった業平のこと等々、面白おかしく話してみました。
また話が旅行記から逸れてしまいました(^_^;)
樹齢250年の親子杉が気になりました。
また妻の意味は「はじっこ」なんですか?
上妻と下妻( *´艸`)、確かに気になる!
富岡昌忠という人
★今ここは縣の端(つま)か、また縣約(あがたつまる)の義ならんか、此地北方のつまりにて、山間の郡縣なれば也。★
オヘソが曲がっているのですね?
おもしろき御仁と思われますヽ(^。^)ノ
前日光Re: 黒い帽子のお婆さん!
旅をしていて、ジモティさんとの出会いがあると、ブログにふくらみが出ます。
今回のお婆さんが典型です。By妻と意気投合して、話し込んでいました。
こういうとき私はその輪に入れなくて、残念なのです。
人見知りしちゃうんですよ。
3日間の講座、聞きたかったなあ。
なんらかの形でブログになりませんか。
家持を登場させたのですね。これは背景旅行がばっちり、さぞ面白かったと思います。
講座とその背景とかいうテーマで、ブログお願いします。
吾妻郡、関東平野を挟んで、反対側ですね。
八ッ場ダムの上流と下流で、雰囲気がらっと変わります。下流は、田舎です。
上流は観光地で、ダム湖は芦ノ湖ぽい。嬬恋、草津、浅間ですからね。これから開けますよ、あのあたり。
まだ外国人観光客が入っていなくて、静かでした。いつまでもつかなあ。
親子杉も、お隣2カ国語の案内がたつのも時間の問題かもしれません。
富岡正忠さんなど、江戸後期のジモティ地誌学者には、個性的な博学が多いようです。
一時期古文書解読の通信教育を受けていたのですが、根気がつづかず、まったくものになりませんでした。あのときがんばっていればよかったと、後悔先に立たず。
2024年11月12日09時50分 返信する -
江戸っ子 堀辰雄
しにあの旅人さん おはようございます。
抱腹絶倒は大げさですが、思わず笑ってしまったことは事実です。堀辰雄が「あたい」と言っていたとは初耳でした。しにあさんの知識の引き出しにはいつも感心いたします。
私は群馬の田舎町でそだちましたが、江戸と共通点のある言葉がある気がします。
いつの間にか銭湯のことをお風呂へ行くなどと言うようになりましたが、子供の頃は「おゆにいく」と言って「お湯や」と呼んでいました。
落語などではやはり「ゆー行ってくらぁ」などと言ってますね。関東あたりでは「ゆ」が多かったのかな、と思います。
私の仕事の師匠が何代も続いた江戸っ子でして、今ではあまり聞けない江戸弁をはなしていました。「○○ちゃん、そうしちゃいけねぇよ」「そうじゃねぇじゃねぇか」などと言う調子でした。考えてみれば師匠が死んだ歳をとっくに過ぎて、まだ生きている私ですから、私の言う昔もかなり前のことになります。江戸っ子なんてもういませんね。
浅草から浜離宮まで船で行き、結婚相手を母に初めて会わせるという事が思い出されますが、その時の墨田川の汚かったこと、しにあ妻さんの表現の適切なのに感心したところです。
墨田公園や向島を自転車でぐるぐる走ったことがあります、旅行記にも書いていますが、文人墨客の愛でた土地ということで興味がありました。小説家の住まい跡も何か所が見ました。
しにあさんのユニークな構成で楽しませていただきました。
pedaruRe: 江戸っ子 堀辰雄
堀辰雄の「あたい」には驚きましたね。
そういうことを絶対に言いそうもない堀辰雄が言っているのが愉快。
私の場合、銭湯は昭和20年代後半の数年間通っていました。4~6才くらい、祖母に連れられて、女湯でした。東京大田区の工場街だったと思います。
おぼろげな記憶なのですが、「お風呂」と呼んでいたようです。「お湯」だったかなあ。「銭湯」とは言っていなかった。
「浮世風呂」の挿絵と同じようでした。
一説によると、江戸時代の銭湯は「入れ込み湯」つまり混浴が多かった、となっていますが、「浮世風呂」にはそんな描写はないですね。
子どもの記憶ですが、銭湯に入ると中央に番台があって、番台さんが女湯男湯共通の見張りをしていました。それがおじさんだったような気もします。
「浮世風呂」の挿絵だと、男湯、女湯、完全に分かれています。女湯には女のばんとうさん。
昭和20年代の銭湯の方が適当でした。
私の銭湯では、三助というシャツにパッチのようなものをはいたおっさんが、女湯のおばさん連中の背中を流していました。別料金で、番台で木札のようなものを買っていたような覚えがあります。それをもっていると三助さんが回ってくる。
だれもなにも言わなかった。「浮世風呂」以来数百年の伝統ですから、みんなそんなものだと思っていたのですね。
おおらかな時代でした。
戦後の、やっとその日食べていける、皆が貧しい状態でしたが、みなさん節度をもって、ゆるやかに暮らしていたのだと思います。2024年11月03日16時53分 返信する -
江戸っ子 堀辰雄
しにあの旅人さん おはようございます。
抱腹絶倒は大げさですが、思わず笑ってしまったことは事実です。堀辰雄が「あたい」と言っていたとは初耳でした。しにあさんの知識の引き出しにはいつも感心いたします。
私は群馬の田舎町でそだちましたが、江戸と共通点のある言葉がある気がします。
いつの間にか銭湯のことをお風呂へ行くなどと言うようになりましたが、子供の頃は「おゆにいく」と言って「お湯や」と呼んでいました。
落語などではやはり「ゆー行ってくらぁ」などと言ってますね。関東あたりでは「ゆ」が多かったのかな、と思います。
私の仕事の師匠が何代も続いた江戸っ子でして、今ではあまり聞けない江戸弁をはなしていました。「○○ちゃん、そうしちゃいけねぇよ」「そうじゃねぇじゃねぇか」などと言う調子でした。考えてみれば師匠が死んだ歳をとっくに過ぎて、まだ生きている私ですから、私の言う昔もかなり前のことになります。江戸っ子なんてもういませんね。
浅草から浜離宮まで船で行き、結婚相手を母に初めて会わせるという事が思い出されますが、その時の墨田川の汚かったこと、しにあ妻さんの表現の適切なのに感心したところです。
墨田公園や向島を自転車でぐるぐる走ったことがあります、旅行記にも書いていますが、文人墨客の愛でた土地ということで興味がありました。小説家の住まい跡も何か所が見ました。
しにあさんのユニークな構成で楽しませていただきました。
pedaru -
あたいの村
辰ちゃんは自分のことを「あたい」と呼んでいたのですか。
浅香唯だけかと思っていました!?
あのちゃんが自分のことを「ぼく」と呼ぶよふなものですね?
この辺りは、東京ミズマチやすみだリバーウォークができ、
随分と雰囲気が変わりました。少しスカイツリー寄りに
300円カレーを提供する昭和レトロな菊屋食堂があって
大好きな店なのですが、つい最近そこも臨時休業中...
下町感が少ひずつ消えているよふで心配です。
Accents Midi...
どうりでマルセイユのレストランでは何言ってるか分からなかった?
"マルセイユでも、あたいの店のブイヤベースが一番おいひいわよ"
Même à Marseille, c’est ma bouillabaisse qui est la meilleure, tu sais
tu saisにいかにもMidiのオラが村感と地元愛の出汁が出ています?
地元を愛す。辰ちゃんも地元が好きでじやうけたのでしょうねRe: あたいの村
新シリーズお初、感謝です。
あいもかわらず堀辰雄です。気の利いた幽霊ならとうに引っ込んでいるはずですが、あきらめません。
このシリーズは、調べていくうちに出てきた単品のエピソードを並べます。
本来4トラのブログの範疇には入らないことは百も承知ですが、枯れ木の山の賑わいとお付き合いください。
堀辰雄の「あたい」にはビックリしました。軽く「浮世風呂」まで遡る日本語の言語空間と、独、仏、英の言語の二重構造に、彼は生きていたんですね。
ビックリです。
マルセイユのブイヤベースですか。
もう一度食べてみたいなあ。
同じ南仏、ツールーズのカスレは食べたことありますか。
名物だそうで食べましたが、あとでフランス人の友人に「あれは人間が食うもんではない、豚の餌だ」と言われました。
二度と食べたくないフランス料理です。2024年10月29日21時19分 返信するカスレ豚
> 同じ南仏、ツールーズのカスレは食べたことありますか。
はいはい。カルカッソンヌ名物なので食べました。
あそこは籠城して食糧が不足しても、やせ我慢で豚を放り投げ
相手の戦意を喪失させたみたいな逸話がありましたよね。
意外とその豚とも関係するのでしょうか?
美味しかったですけどね(lol)2024年10月29日21時57分 返信するRe: あたいの村
しにあさん
(ももであさんにも届くのでしょうか?)
横レス、失礼します。
堀辰雄の「あたい」考察の旅行記にコメントを書こうと戻ってきましたら
お二人のカスレ談義に惹かれてしまいました。
ツールーズはカスレで有名ですよね。
でも私もカルカッソンヌでいただきました。
ヴォリュームがかなりあって1人では完食できず、
フォアグラののったサラダと共に2人でシェアしてなんとか
いただきました。
それなりに美味しかったんです。
人間の食べるものではない?!
フランス人の感覚からしたら、ごった煮みたいで
繊細さもない食べ物なのかも。
その後、四谷のとあるお店でカスレをいただきましたら
とっても美味しかった記憶があります。
日本人の繊細な感覚が加わってひと味違っていたのかも。
mistral2024年10月30日19時52分 返信する人vs豚
ほんとカスレって、やけにボリューミーですよね
しかもあの量に対して小ぶりの器だから溢れんばかり!
それをふごふご食べてたら、なるほど豚の餌!?
大豆やいんげん豆って家畜の飼料に使われるから
欧米では元々家畜の餌のイメージが強いですね
でも近年は大人気クラブハリエのバームクーヘンを
食べて育ったお豚様が現れるご時世
豚の方が人様より良いもの食べてます
カスレ食べてる人を見て豚は、「あんな人の餌
なんて食えるか!」って思ってたりして♪2024年10月30日22時35分 返信する -
猫背も治る? 草津の湯
しにあさん
しにあさんのヤマトタケルシリーズって、史実に基づいた純粋な「歴史物語」かと思っていましたが、しばらく離れている間に作風が「ラブ・ロマンス」に変わっていたのですね♪
なるほど草津に日本武尊の玉垣ありました。ホントにいたのかよって疑っていましたが、いたってことですね。草津では、持病の”猫背”を治すために、3週間くらい湯治したことがあります。おかげで宿の方と親しくなり一緒に飲みに行ったり、理髪の免許を持たれていたので、タダでカットしてもらいました。
急に涼しくなってきたので空白の旅路と称し、また草津でのんびりしたくなりました。Re: 猫背も治る? 草津の湯
最近国会図書館のIDをとりまして、デジタルアーカイブの古書などを漁っております。記紀や平家物語あたりだと、まだみなさん興味をもってくれるのですが、武蔵風土記稿、吾妻郡誌、上野名跡誌などというローカルな本だとだれも相手にしてくれません。
閑古鳥が鳴いているしにあ夫婦のブログにようこそ。
今回は最後だけラブロマンス風にやってみました。
草津よいとこ2度行きたいです。同年齢のじいさんばあさんばかりかと思っていましたが、若い人が多くてビックリしました。最近はやっているそうです。
伊香保もそうでしたが、なにやら高級化路線をねらっているような感じでした。「目標は軽井沢」ということでしょう。
4トラベラーの前日光さん(栃木県民)によると、群馬は栃木埼玉と北関東3県にくくられるのがイヤで、長野と一緒になりたがるとか。
北軽井沢というのがありますが、あれ群馬県ですよね。
たしか軽井沢が、勝手に軽井沢を名乗るなとモンク言っていました。
長野としては言い寄られるのが迷惑で「しっしっ!」と追い払っている感じ。
ホテルや食い物屋の軽井沢値段というのははなはだよろしくない。どうか草津も伊香保も、庶民に手が届くレベルでいてほしいと思います。2024年10月10日10時55分 返信する国立国会図書館
国立国会図書館では、IDを取得すると書籍や様々なメディアが借りられるのですか? あるいは図書館内だけでの閲覧ですか?
国内では圧倒的な書籍数を誇るだけに、しにあさんみたいにマニアックな調べ物をしたければ、最適な場所ですね。
2024年10月10日18時14分 返信するRe: 猫背も治る? 草津の湯
国会図書館は館外貸し出しはしないのです。館内か、デジタルアーカイブでの閲覧です。私は一度も図書館には行っていません。
探している本はだいたい戦前、それ以前ですから、デジタルアーカイブで用が足ります。
IDを取るのは簡単ですから、超お勧めです。ものによってはIDがなくても閲覧できるものがあります。
私はまず千葉県立図書館、そこでだめなら国会図書館という手順です。大網白里市図書館の司書さんと仲良くなって、欲しい本は1週間で取り寄せてくれます。
司書さんには美人が多い。たぶんももであさんなら翌日にでも取り寄せてくれるのでないでしょうか。2024年10月10日19時31分 返信する



