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しにあの旅人さんへのコメント一覧(2ページ)全508件

しにあの旅人さんの掲示板にコメントを書く

  • 冷や汗(-。-;

    しにあさん、by妻さん、こんにちは♪

    お気に入り、好きな人の生誕~終焉の軌跡を辿る、っていうのは、いわゆる、推しカツ、聖地巡礼と言われるものですよね? 推しが共通ならまだしも、そ~ゆ~ワケでもなくて、殆ど知らない方についてコメントするのは、不埒者、怪しけしからん行為。で、額に冷や汗しながら書いています(-。-;

    畠山重忠さま、お巡りさんの理想像、正義の味方として、地元のヒーローに祭り上げられていらっしゃるとのこと、納得です。重忠さま等身大のお人形は、どう見ても60~70代のお顔でしょう、菅谷館の重忠像も然り、むしろのっぺらぼうにして見る人の想像力に一任してもらう方が潔いかと(殆どの現代人は中川君を当てはめるw)。平家が滅びる頃→源氏興隆の時代に生きていらしたようですが、当時の平均寿命は何歳くらい?で、中川君が演じた畠山重忠は何歳くらい? そこんとこ考察しても、この重忠像は年輩過ぎるのか、一般的な英雄像として若干重み、貫禄を保たせるための設定なのか?

    男衾三郎絵巻のビデオ、面白そうですね。京の貴族は何もしない寄生虫→生産しないで、金魚鉢の中でやたら権謀術作に明け暮れた、に比べ、関東武士は実業で頑張っていた、ふむふむ。

    嵐山と書いてらいざんと読む。埼玉県はネギで戦う。茨城、栃木、群馬の位置関係はもちろん四国さえよう分からん!私、色々お勉強させて頂きました。

    ただの原っぱに佇み、想像の翼拡げるby妻さんと、傍らに寄り添う「現地に行かなきゃ手に入らない貴重な資料」を手に、得意満面のしにあさん、のお姿を目に焼き付けておきます♪
    2024年02月07日11時00分返信する 関連旅行記

    Re: 冷や汗(-。-;

    畠山重忠=中川大志くんは多分むこう40年間続くと思います。
    2004年以降新撰組の土方歳三=山本耕史です。
    我が家では1965年から2004年までは土方歳三=栗塚旭だったのです。
    これは多分kummingさんもご存じない。司馬遼太郎の「新選組血風録」の土方です。たしか白黒。
    テレビドラマの俳優が歴史上の人物になりきってしまうのはよくあるみたい。

    2004年というと私たちはまだフランスです。JSTVという日本のテレビの衛星放送で見ていました。紅白歌合戦などは大晦日2度見ていました。午後2時くらいから実況で見て、夜8時から録画放送でもう一度。このころJSTVに契約していた在仏日本人は、紅白と大河ドラマを見るためが半分くらいじゃないかな。
    かわいいものです。
    日本に帰ってきてからは両方ともあまり見ません。

    畠山重忠もう1回やります。そのあとヤマトタケルに戻るかというと、さにあらず。金鑚神社というローカルな神社と児玉党のお話が延々と続きます。
    タケル君と関係があるような、ないような、どうやってつじつまをあわせるか、楽しく苦労しています。
    もう旅行記というより、読み物としていかに面白くするかと、ひらきなおる予定。
    2024年02月11日16時49分 返信する
  • by妻さんはイケメン評論家でもあったんですねぇ!(^^)!

    道理で、今までの旅行記の「一書に曰く。。。」の内容に合点がいきます!
    こんばんは、しにあさん&by妻さん
    この旅行記に「いいね」してから日数が過ぎてしまったのは、なんと!(@_@)
    相棒殿が年始早々、職場からもらってきた「インフルエンザA型」というものに、不覚にも感染してしまったからなんですよー。
    今までコロナはもちろんインフルにも罹ったことがないのが自慢だった私ですが、家庭内感染だったので、どうにもなりませんでした。
    普通後から感染した方が重いとか言われますが、我が家は私の方が軽くて、熱も38℃というのが最高で、後は大したことはありませんでした。
    相棒殿の方が高熱と咳で苦しんでおりました。
    インフルは、ちゃんと薬もあるので、罹っても割と簡単に治りますね。
    ま、そんなわけでコメント遅れました(>_<)

    さてヤマトタケルと畠山重忠が、どう結びつくのか興味深かったのですが、うまくこじつけましたね!
    「我野神社」が重忠の領地にあったから?
    ヤマトタケルも重忠も悲劇のイケメンだったから?
    果ては重忠がヤマトタケルを祀ったですと???
    それもこれもイケメンだから許すですと?

    うーーん、でも私もイケメンに弱いので、どんな理屈でも許しちゃうかも(^_-)-☆
    できれば重忠は中川大志も悪くはないのですが、町田啓太だったらもっとよかったかな?

    「By妻は、田舎をドライブしていて、ちょっとした岡があると古墳だと騒ぎます。」
    これ、実は私も同じです。
    どうも小高い丘がみんな古墳に見えてしまいます。
    実は相棒殿も同じです。
    私たちにかかると、日本全国古墳ばかりになってしまいます( ´艸`)


    前日光
    2024年01月22日23時10分返信する 関連旅行記

    Re: by妻さんはイケメン評論家でもあったんですねぇ!(^^)!

    コロナとインフルエンザなら、インフルのほうがまだましです。
    なにはともあれお二人ともご快復とのこと、よかったですね。

    我が家は予防注射OKになりしだい速攻で予防注射に行きました。10日くらい前に私が37.5,By妻が37.2というのがありました。私はロキソニン一発で平熱、By妻はなにもしないで熱が下がりました。
    予防注射の御利益ではないかと思っています。

    このところ古文書にこっています。「埼玉の神社」は古文書ではないですが、千葉県立図書館にもなかったので、手に入りにくいということでは似たようなものです。
    我野神社がタケルくんがらみであることは分かっていました。調べたら重忠が出てきたので、やったぜ~という感じです。

    重忠イケメンは、次の嵐山史跡の博物館でやります。重忠のお顔4種と著作権フリーの大志くんの写真を並べます。
    タケルくん関係なし。寄り道です。

    北関東は古墳ぽいのが多いですね。ぽいじゃなくて、ちゃんと調べたら本物だろうというのがあちこち。
    地元九十九里平野は古墳時代はまだ海ですから、古墳はなし。近くに芳墳寺というお寺がありまして、名前からしてもしやと思って行ってきましたが、真っ平らでした。
    2024年01月24日14時12分 返信する
  • 初春のお慶び♪

    しにあさん、by妻さん、新年明けました♪ さっそくしにあ節全開&by妻さん、絶好調であらせられるご様子で、めでたい年の初めです。

    視力の衰え&文字を見ると眠くなる症候群⁉︎ 読書もままならぬ昨今、本を開くや寝落ちしてしまいます(-。-;
    そんなこんなで当ブログの主旨も当然理解しているはずもないまま、新年のご挨拶、という言い訳小分けで、ひさびさのカキコに臨んでいます。

    「鎌倉殿の13人」の畠山重忠がどの人?だったか、演じた俳優さんの名前も知りませなんだが、なんとな~く、あの「イケてる面」だけは分かります♪

    山の緑が翠みどりしています。日付が5/28~31なので、新緑の季節だったのですね。せっかくのおススメでしたが、縦長のパノラマ、首を横にしないで、タブレットを横にして拝見、しようと試み、もれなく写真も縦長に(笑)

    日本武→ヤマトタケル、と読むんだ! 
    県知事、やっぱり領主でしょー、イメージ違い過ぎますもん。
    我野神社の本殿のレリーフ?4連撮、♪ が4連符になるほどお気に入り? あのレリーフたちにに描かれているのは何ですか?

    顔は優男だけど、実は脱いだらすごいのよ~^o^ by妻さん、ご存じでしょうか?最近の韓流男優は、そーゆー系ばっかです!(首から↑はイケメン、↓はマッチョ)

    国会図書館へのアクセスで、しにあさんが手にしたおもちゃの成果、今年も炸裂♪
    本年も、お手柔らかに、よろしくお願い致します。
    2024年01月10日22時30分返信する 関連旅行記

    Re: 初春のお慶び♪

    あけましておめでとう。
    今年もよろしくお願いします。。

    満を持して、と言いたいところですが、年末年始ヤボ用の連続で、冷凍ブログを解凍しての投稿です。旅行から帰ってきてすぐ写真を分類して、簡単な筋書きを書いておきます。

    おととしの「鎌倉殿の13人」は三谷幸喜のシナリオだったので、半分くらい見ました。ず~と前の「新撰組」以来、三谷組のファンです。出てくる俳優が共通。
    昨年の大河ドラマは、なんだたっけ、題名も思い出しません。初回だけ見たかな。

    横長パノラマ写真は苦労して撮ってきても、普通にUPすると平べったく横長になるだけで迫力なし。そこで見る人の都合を考えず縦にしてみました。う~ん、首を横にするときついですね。スマホなら機械を横にした方が早い。

    国会図書館のデジタルコレクション、古い本をあたりたいときは便利ですよ。ただ写真ですからね、読みにくいので目が疲れます。
    見たことも聞いたこともない本まで探せば出てくるので、非常にオタクぽい、なにやら人迷惑なブログになります。
    これから10回くらいおもちゃで遊びます。
    2024年01月11日15時28分 返信する
  • 「徳川の婦人たち」!

    持ってますよー!
    ドラマでは佐久間良子さんがお万の方を演じていました。
    家光が江原信二郎〈信太郎でしたっけ?)だったかな?
    平幹次郎氏は、有栖川宮熾仁親王役で出演されていました。

    こんばんは、しにあさん&by妻さん
    自分の旅行記に手間取っていて、今頃コメントしています。
    伊香保の夢二黒船館は、私も行ったことがあるのでよく覚えています。
    女子トイレの写真が、私の旅行記にもほぼ同じ角度で載っていて、笑えました。
    ホント!あそこは乙女チックでロマンチックで、どこまでやれば気が済むの?と思いましたよ。
    でもこの建物は小暮亨氏の趣味だったんですねぇ。
    よほど夢二の世界が好きだったんですね。
    大仕掛けのオルゴールはよく覚えています。
    私が行ったのは、二月だったか三月だったかの寒い時期でした。

    「黒船屋」ですが、どうも以前からこの絵のデッサンが気になっていて。
    右腕の角度(右肩かな?)、ちょっと不自然な感じがします。
    黒猫がよほど大きくて重いのでしょうか?
    右腕に力をいれないと猫が落ちてしまうのかな?
    猫はこの後、膝から飛び降りたのでは?
    美人さんの膝が狭すぎて、猫は人間の美醜なんてどうでもよくて、居心地が第一なので、早いとこ逃げ出したかったんじゃないのかと(^_-)-☆
    記念館の前のお蕎麦屋さんって、記憶にございません。
    寒くて周囲を見渡す余裕がなかったのかも。
    ちなみに私は、お決まりの「水沢うどん」を食べました。
    うどんよりは蕎麦の方が好きですが。
    伊香保温泉もしばらく行っていません。
    季節の良いときに、ゆっくり訪れたいものです。
    夢二シリーズ、これにてひとまず終了ですか。
    夢二のいろいろな側面を教えていただきました。
    ありがとうございます。

    良いお年をお迎えくださいね!(^^)!


    前日光
    2023年12月22日00時05分返信する 関連旅行記

    Re: 「徳川の婦人たち」!

    夢二記念館のトイレの写真、本当に同じ角度ですね。
    こちらのブログはまた改めてお伺いいたします。まだ未拝見のブログを発見して、楽しみです。
    ロマンティック、乙女ティック、夢二チックというのは同義語のようです。それであの記念館を作ってしまうのですから、小暮氏のロマンティズムはすごいものです。

    夢二の絵はいい加減もいいところですが、若い頃の習作をみると、デッサン力がないわけではないらしい。あの12頭身くらいの榛名山賦の女神さんも、黒船屋の娘のアンバランスな大きな手も、わざとなんです。
    女神さんだって、幼稚園の子供の絵みたいに、足が画面の外に出ちゃっている。
    なんなんですかね。
    このあたりは専門の評論家さんにお任せして、私は今後も夢二の週刊誌的な話題を追うつもりです。

    岡山の夢二郷土美術館に行くのが楽しみ。ここは邑久なんですよ。もうお分かりでしょう。大伯皇女の生まれ故郷、大伯または大来です。
    だからと言って、なんか関係があるかというと、ないでしょうね。何か見つけられたら、それこそ大騒ぎでぶち上げるつもりです。

    長屋門のおそば屋さん、そのうちお時間がありましたらどうぞ。蕎麦つゆは、醤油味が強いかと思っていましたが、さっぱり。
    北関東は醤油が濃いという先入観がありました。
    高崎育ちの昔の友人が、讃岐うどんを連絡船の上で食べた時、「こんなどんぶりの底が見えるようなうどんが食えるか」と怒って、どんぶりごと海に放り投げたそうです。

    京都人は、関東の真っ黒なうどんつゆを見て悲しくなった、という話も聞いたことがあります。

    私はどちらかというと、真黒系です。
    By妻は関西系。
    栃木はどうですか
    2023年12月22日15時45分 返信する
  • 竹久夢二伊香保記念館

    しにあの旅人さん

    おはようございます。
    竹久夢二伊香保記念館の旅行記、拝見しました。
    伊香保に家族で宿泊した折、竹久夢二記念館があるようだ、と言われ
    あまり興味を持てなかったものでスルーしてしまいました。
    今回の旅行記を拝見して、あの時に行っておけば良かったと後悔しました。

    by妻さんが書かれておられました。
    貴族の邸宅みたい、なかなか風情のある佇まいです、、、と。
    最初の外観お写真を拝見して、まさにそんな印象を受けました。
    自費で美術館を建築されたという小暮亨さんという方に興味をおぼえ
    検索してみましたら、小暮さんのブログに出会いました。
    (竹久夢二伊香保記念館、館長ブログより)

    ステンドグラス、照明器具など一点一点に細かい解説などがされていて
    とても興味深いものでした。(まだすべて拝見できていませんが。)
    <黒船館一階奥のホール天井ステンドグラスについては、アントワープ
    貿易商の館を飾っていたもので
    「もの」であっても人と同じように経験したたくさんの情報を私たちに
    伝えているのではないでしょうか、、、>
    などと書かれていて、それらのものたちが伝えてくれる情報・気配・
    空気感・・・などなどによって大正ロマンあふれる雰囲気が一層
    漂ってきていると想いました。

    小暮亨氏の竹久夢二愛が感じられました。
    絵を収蔵するための美術館は、単なる箱ものであれば良いのではなく
    収蔵される絵と一体感のあるものでなくてはならない、との想いで
    しょうか。
    私が美術館を見学しましたら、アールヌーボーいっぱいのステンド
    グラス、照明器具などなどの旅行記になってしまいそうでした。

    今年一年、旅行記をとおして交流させていただきまして、有難うございました。
    来る年も、ご夫妻にとりまして良いお年になりますように。

    mistral
    2023年12月17日09時31分返信する 関連旅行記

    Re: 竹久夢二伊香保記念館

    伊香保記念館はインテリアに興味のある方には必見です。
    直接夢二に関係ないものがいっぱいありますが、大正ロマンということで、20世紀初頭アールデコ、アール・ヌーボーの時代に重なりますから、それらしきムード満載です。
    私にはネコに小判で、あんまりピンときません。アールデコ、アール・ヌーボーも実は区別できません。
    じっくりとご覧になることをお勧めします。
    ただコロナ騒ぎの後遺症か、見学時間の制限がいろいろあって、事前チェックが面倒です。

    ガラス工芸なら同じ敷地内の義山楼だそうです。ここも夢二とは関係なし。最初から美術館にするために設計された日本建築だそうです。
    たぶんMinstralさん御用達。
    私たちのばあいは、いつ行っても閉館中でした、

    ミュージアム・ショップのキュレイターさんのお話では、木暮亨氏は90才過ぎでも元気なようです。ただ「館長のひとり言」も2年以上更新が止まっていますので、ちょっと心配。
    とにかく彼の個性でもっているような美術館です。

    とりあえず夢二夢のあとは今回でおしまい。金沢と岡山の夢二美術館に行って、また再開したいのですが、いつになるか。車の運転はあと5年と思っています。5年以内にやっつけます。

    今年もブログをよく読んでいただきました。ご苦労様でした。
    つぎは北関東ネタです。古文書などを引っ張り出しますので、ますますふつーの4トラベラーさんには煙たがられそうです。数少ない読者さんですので、今後ともよろしくお願いします。
    2023年12月18日09時48分 返信する
  • 夢二は、ホント!カッコつけてますねぇ( ̄▽ ̄)

    しにあさん&by妻さん、こんにちは。
    5日に奈良から戻ったのですが。。。
    なんと、奈良のホテルでドジをやらかし、顔面強打、妖怪顔(歌舞伎の隈取状態!)しかも今日で一週間経つのに、昨日あたりから左の心臓下が肋間神経痛のように痛んできました。この辺りも打ったのかも(+_+)
    そんなわけで、なかなかコメントできませんでした。
    両目の周囲が腫れて黒ずんでいるのですが、ひどい方の左目に眼帯をして外出しています。(買い物もしなければならないので)
    夢二が今の私を見たら、何と言うのかなと想像したりしています(^-^;

    奈良では談山神社と音羽山観音寺に登山してきました。
    中大兄と鎌足が密談を交わしたと言われる「談山(かたらい山)」にも行きました。
    そして午後には標高600メートルの音羽山観音寺の急こう配を登ったので、帰りの下りで膝が笑ってしまい、困りました。
    まぁ、そのうちに旅行記をアップします。

    さて榛名湖畔の夢二のアトリエ、確かにアトリエには見えません。
    しかも半地下の石積みが露出しているところなんて、冬は寒くて住めないと思います。
    大工さんが才能なかったのかな?
    榛名山バックに腕組みをしたり、カメラを向けられるとポーズをとってしまうのは夢二のクセなんでしょうか?
    カメラそのものが珍しい時代ですから、後世に残るかもと思うと、自然にポーズをとってしまうのかな?

    ちなみに私も高峰三枝子より秀子の方が好きです。
    団体さんは三枝子の曲には耳を傾けても、夢二アトリエは通過ですか。
    アトリエに見えないから仕方ないですね。
    外観を眺めてみれば、これが夢二の好みでなかったことは理解できます。

    カッコつけのポーズや貧血で倒れたりと、妄想分野では好みですが、そばにこんなヤツがいたら、うしろからケリいれたくなりますねぇ。
    か弱い男性は嫌いではないのですがねぇ"(-""-)"


    前日光
    2023年12月12日17時13分返信する 関連旅行記

    Re: 夢二は、ホント!カッコつけてますねぇ( ̄▽ ̄)

    奈良のけがは大変でしたね。
    1週間後では肋骨にヒビでもないでしょうが、お大事に。
    目の周りが黒ずんでいるのでは、せっかくの美貌台無し。

    音羽観音寺は初耳です。
    旅行記をはよう、はよう。

    榛名湖畔の夢二アトリエはおすすめではありません。とにかく夢二本人が気に入ってないのですから、我々が行く義理はないでしょう。
    このアトリエは、夢二の夢の結実みたいなブログがありますが、日記と手紙という本人の肉声を聞いてみると、気に入っていないみたいです。
    何事も原典にあたるという面白さです。

    夢二は、前日光さん好みのか弱いタイプではないですよ。
    滞米、滞欧中の日記など、ちょっと4トラのブログでは書けないような文章があちこち。
    煩悩の四十男の放浪の記録です。
    千葉では県立図書館には日記がありました。夢二日記4です。幻滅するといけないので、あまりお勧めしませんが。

    堀辰雄、室生犀星は相愛の妻に恵まれましたが、夢二にはそういう妻はいませんでした。
    ひこのさんが死ななかったとしても、さあ、どうでしょう。添い遂げたとは思えない。
    女から女へ渡り歩いた男の末路、とでもいうべきか。
    2023年12月13日21時02分 返信する
  • 夢二もいいですが、高畠華宵はもっと。。。

    こんにちは、しにあさん&by妻さん(*^^)v
    11月26日から29日までの3泊4日、娘と孫姫(0歳と4歳)の三人が来ておりました。
    昨日はくたびれ果てて一日中寝ておりました!
    恐るべし!子どもの破壊力、あの動きと赤ん坊の泣き声にはついてゆけません。
    そんな、孫でしょ!という意見が多々あるとは思いますが、私はやはり子どもは苦手です(+_+)今日はやっと買い物に行く元気が出て参りました。
    そんなこんなで、4トラご訪問もできておりませんでした。

    今は(=^・^=)と二人、やっと本来の静けさが戻ってきましたよ。
    さて数年前、いつも東大弥生門から「東大の講座」に通っておりました。
    ですから、この界隈は懐かしいです。
    港やで食事をしたこともあります。
    このすぐ隣に「立原道造記念館」がありました。
    今はどなたかのお住まいになっていたり、一部は駐車場になっていたりしますが。
    立原の記念館が取り壊されてゆく様を、指をくわえながら眺めておりました。
    あの辺りの土地を買い占める財力があったなら、必ずやあの記念館を守ったでしょうが、哀しいかな一庶民にその術はありませんでした。

    昔、夢二がひそやかなブームになった頃があって(もちろん昭和です)、ドラマ化されました。
    夢二役は岡田英二(素敵でしたよね!)、彦野は萩尾みどりさんだったような?
    お葉は浜木綿子さんだったかな?
    女性二人はうろ覚えですが、岡田さんの夢二はハマッていたと思います。
    ストーリーはほとんど覚えていません。ただあの「待てど暮らせど来ぬ人の。。。」のメロディーが焼き付いていて。

    まぁ、しかし夢二の描く女性は、確かにby妻さんのおっしゃるように、くにゃくにゃへろへろですねぇ。
    榛名山を背景にした赤い着物の女性は、構図が大胆ではっとさせられますが、後は大概ナヨナヨですね。
    当時の男性の女性観って、あんなものなんですかねぇ。
    私もby妻さんと同意見!というところが多々ありますよ。
    高校生の頃は、夢二の女性ステキとか思いましたが、今ではカンベンしてくれと言いたくなります( ̄▽ ̄)

    すると高畠華宵も然りとなりますが、私はこの華宵さんと蕗谷虹児さんの絵本で育ったので、この二人には弱いのです。
    宇和島の「華宵記念館」や、新発田の「蕗谷虹児記念館」にも行ったことがあります。
    山岸涼子氏の「日出処の天子」の登場には驚かされましたが、あの独特の世界は読んでみなければ分からないですよね。
    私はあれで、蘇我蝦夷がけっこう好きになったりしました(^_-)-☆
    あの作品は、厩戸皇子の壮絶な孤独感みたいなものは、よく出ていたと思うのですが。
    作者が出版社とケンカして、最後が尻切れトンボになったのは、返す返すも残念です。
    もう一度最後の部分を書き直そうという気になってくれればいいのですが。

    いずれにせよ、東大弥生門周辺、暗闇坂を登ってくるあの一角は独特の雰囲気がありますよね。


    実は12月3日から2泊で、また奈良に行きます。(>_<)
    性懲りもないですね(>_<)

    前日光
    2023年12月01日16時08分返信する 関連旅行記

    Re: 夢二もいいですが、高畠華宵はもっと。。。

    「日出処の天子」にはそんないきさつがあるのですか。たしかによく分からない終わり方です。
    私がもっているのは7巻ものの白泉社版ですが、最後に「馬屋古女王」という短編みたいなのがついています。これが「日出処の天子」の一部なのか、独立した一遍なのか不鮮明。ページ数あわせで強引にくっつけたのかな。

    華宵と山岸の作品の雰囲気が似ているのでビックリです。7巻の表紙絵にはもっと華宵ぽいきわどいのがありますが、4トラ編集部が気絶するといけないのでやめました。

    夢二の日記と書簡集を読み込んでいます。晩年3年間はじつに荒涼とした人生でした。単なる女たらしというイメージは、どうも間違いだという印象です。
    塚越迪子という、従来取り上げられなかった女性も出てきたりして、あと2回ほどお付き合い下さい。
    ただ時代が新しくて、書きにくいですね。本人はともかく、子供か孫は現存の可能性が高いのです。

    奈良2泊、いいですね。
    じつは私たちも1月末か2月に、行ってみようかと思っているところです。
    立ち回り先は外国人観光客にはあまり関係ないところのはずですが、最近はとんでもないマイナーなところまで押しかけてくるようです。
    集団でなければいっこうにかまわないのですが。
    それがちょっと心配。
    2023年12月01日17時05分 返信する
  • 文豪サロン

    しにあさんby妻さん、おはようございます♪

    以前にも同じ事を書いたと記憶していますが、軽井沢には学生の頃に一度、松本在住だった娘と一緒に一度、行ったきり。学生時代から数十年後の2度目訪問の際に、旧軽井沢がかなり変貌を遂げていたのに驚いたのを覚えています。星野リゾートとかアウトレットとか、やたら都会化(*_*)その昔、 東京の避暑地だった頃ははまだひなびた佇まいだった。by 妻さんが感じていらっしゃる違和感、何となく分かるような…。

    犀星の家にたむろした文筆家たちのそうそうたるかおぶれ、いわゆる文豪サロン?犀星と川端康成以外、作品を読んだこともなく、その人となりを想像することも叶わないのですが、それは楽しく盛り上がったことでしょうね、犀星夫妻にしろ堀辰雄夫妻にしろ、自然と周りに人が集まってくるような魅力ある方々だったのでは?

    夫婦の形は様々、ですが、あの世に行っても側にいたい、と思うほど現世での結びつきが深い関係。巷では、「主人の家のお墓には入りたくない」妻が増えているらしい。我が家は次男なので、その懸念はない、のですが、樹木葬にしようかな~、と私、納骨堂に永代供養で良いんじゃ?など夫婦で話すようになりました。そういうお年頃(笑)目下旦那実家の墓仕舞い課題で、孫世代ではどこに(3兄弟)お仏壇を?など懸案山積みです。

    堀辰雄シリーズ、まだまだ深掘りされそうな勢い、読んだ事ないままコメントする限界を感じるこの頃。一冊読んでみる→古代史で沼落ち「させられた」あの二の舞は絶対阻止!の初心忘るべからず、と自分に喝を入れ、今日もムリやりコメント捏造、でございますm(._.)m
    2023年11月09日07時28分返信する 関連旅行記

    Re: 文豪サロン

    堀辰雄シリーズ深堀りはとりあえずあと1本。おしまいかもしれません。
    By妻も飽きたと言っております。私も同感。追分シリーズは今年の1月からですから、11ヶ月、そりゃ飽きます。
    でも1年くらいしたら捲土重来、またやらかすつもり。

    次のシリーズ目下準備中です。
    だ~れも行ったことのない埼玉、群馬の神社とか、森の中の石碑とか。なるたけ読者の負担が少ないように書きます。

    やはりどこのお家でもお墓の話で盛り上がって(盛り下がって)いるみたいですね。我が家は一人息子、嫁さんも一人娘ですから、彼らは2軒のお墓を引き継ぐことになるのです。し~らない。

    夏の軽井沢は流行最先端(らしい、詳しくないので)のお嬢さんでいっぱいでした。
    星のリゾートって、あのめちゃ高いホテルですよね。軽井沢アウトレットもよく4とらのブログに出てくる。
    ボンビーな年寄りは来るなと言われているみたいで、不愉快。
    そのてん冬はほぼ無人なので快適ですよ。
    何のために行くかという問題はありますが。
    2023年11月09日13時04分 返信する
  • せつなき思ひを愛す

    こんばんは、しにあさん&by妻さん

    なるほど、犀星は頑固そうですよね。
    そして、多恵子に対しては世話焼きオジサン
    犀星は産みの母に一度も会えず、さびしい少年時代を犀川のほとりで、ハートのクイーンが表紙の白秋の「思ひで」に読み耽っていました。
    肉親の縁薄い少年時代、それ故堀夫妻には自分が得られなかったものを、過剰なほど注いだのではないでしょうか?
    それははた迷惑なこともあったかもしれませんが、辰雄も多恵子も、犀星の気持ちを素直に受け入れているように私には思えます。

    犀星が、自分に心の平安をもたらしてくれた妻を愛し、ずっと傍にいられる場所に分骨したという話、しみじみとしますね。
    その詩碑に書かれた詩「せつなき思ひを愛す」ですが、教科書に載っていたか、あるいは授業で自分が教えたのか曖昧ですが、「張りつめたる氷を愛す」という犀星の言葉の重みに背筋が伸びたことを思い出しました。
    なにやら容易ならざるものが伝わってくるのです。

    我は氷の奥にあるものに同感す
    我はつねに狭小なる人生に住めり
    その人生の荒涼の中に呻吟せり
    さればこそ張りつめたる氷を愛す
    斯る切なき思ひを愛す。

    心の中に荒涼たるものを抱えるがゆえに、堀夫妻はその氷を氷解してくれるような存在だったのかもしれません。

    昭和2年の芥川の自殺に始まり、犀星は親交のあった多くの人々を見送った後、亡くなったのですねぇ。
    でも彼の死を多恵子さんが見送ってくれた、これは犀星にとって唯一の救いになったかもしれません。


    前日光
    2023年11月07日23時56分返信する 関連旅行記

    Re: せつなき思ひを愛す

    「ふるさとは」の詩ですが、堀多恵子の文章を読むと、犀星は故郷金沢を、遠くからでも、本当は好きではなかったと思います。

    啄木みたいに石をもて追われたわけではないらしいですが、若い頃の金沢にはろくな思い出がなかったからですかね。
    作家として名をなしてからは金沢に帰ると、手のひら返しで講演会だの歓迎会だのがまっていました。
    そういうのが煩わしかったみたいです。
    苦労人ですからそんなことを表立っては言いませんが、多恵子には本心を明かしていたのでしょう。

    寒風吹き抜ける軽井沢の駅で、駅長に駅長室を勧められても、ガンとしてホームに残ったそうです。多恵子も付き合ったらしいけれど「駅長室に行ってくれないかな」と思ったでしょうね。
    特別扱いされるとおへそを曲げる人だったそうです。

    犀星って、長生きして、成功した啄木なのかも。渋民村には今は啄木記念館があるそうですが、そんなもの作るなら生前なんとかしてくれたらよかったのに、と本人は思ったんじゃないかと。

    自費で生前、どうみてもお墓と見える詩碑を作っちゃうなんて、犀星はかなり屈折しています。詩碑なら石像はいりません。初めから2体おけるスペースを用意してある。
    軽井沢においでになる機会があれば、ぜひ詩碑をご覧になってください。犀星の怨念のようなものが漂っています。

    朝子はご存知の通り不幸な結婚をしました。とんでもないモト夫だったようです。
    犀星は、辰雄と多恵子夫婦に、ある種の憧憬を感じていたのかもしれません。死別はしましたが、完璧な夫婦だと思ったのかも。娘と比べると分からないでもない。
    辰雄の死後の多恵子への思い入れは、娘以上です。

    おっしゃる通り、多恵子に見送られたのは、犀星にとって幸せだったでしょうね。
    2023年11月08日13時24分 返信する
  • 夫婦の在り方

    しにあの旅人さん

    コメントをご無沙汰しておりました。
    お変わりなくお過ごしのことと想います。
    新居での日々にもすっかりお慣れになったことでしょう。
    今度も畑はお持ちで作物を育てておられるのでしょうか。

    しっとりとした素敵な旅行記を拝見しました。
    表紙お写真、まばらに積る雪の中に、ひっそりと佇む石像が2体
    いかにもどなたかとのご縁が感じられるようなその佇まい
    やがて読み進んでいきますと、犀星が満州旅行の折買って帰った俑人
    2体とのこと。
    1体の俑人を移設し、先に亡くなられた奥さまの遺骨を分骨して埋め
    後にはもう1体の根本には犀星自身の遺骨の一部も埋葬されていた。
    犀星自身のこの土地に対する強い想いが感じられますね。
    そんな想いが伝わってくるような石像でした。
    奥さまをずっと、近くで感じられながら暮らされたかったのでしょうね。

    犀星ご夫妻の関係性は、ほかの夫婦全てに当てはまることと思い
    そのことを堀辰雄夫人にも問われた、とのコメントに、思わずニンマリでした。
    夫と妻側の想いの違い、
    ここまで夫に想い続けられる妻はどんなにか幸せなことか、
    それとももういい加減にして自立してと自分だったら思うのかしら、など
    想ったことでした。

    mistral
    2023年11月07日10時49分返信する 関連旅行記

    Re: 夫婦の在り方

    今回の家の庭は蚤の額ほどの庭。そもそも畑と庭のメンテナができなくなっての引っ越しでした。
    ただ、ダイコン、白菜、キャベツなどの基本野菜を買うという習慣がなかったので、お値段が高いのとおいしくないのに驚いています。

    軽井沢にいらっしゃる機会があれば、犀星詩碑はお勧めです。ここは犀星の事実上のお墓であると、しみじみわかると思います。
    妻とみ子を分骨したのは間違いありません。
    犀星自身は厳密には分からないのです。というのは遺骨の埋葬というのは簡単な話ではなく、いろいろ面倒くさい。
    やったとしたら娘の朝子か多恵子でしょうが、表だって言える話ではありません。
    でも間違いなく、どこかに犀星の遺骨も分骨されていると思います。そういう雰囲気です。

    とみ子さんは昭和13年以降脳梗塞で下半身が不自由になるのですが、座布団を車椅子代わりにして、家の中を元気に動き回っていたと多恵子が書いています。
    とみ子の堀辰雄への手紙でも、陽気で前向きだったみたい。
    そんな妻を最後まで犀星は熱愛していたようです。
    トシとって愛妻に死なれると、残された夫の寿命は半年と言われています。
    どうやら犀星もそれに該当するみたい。

    逆の場合はそうでもないみたい。田辺聖子はダンナ、カモカおおっちゃんが死んだ時「野獣が野に放たれたようだ」と言いました。そんなもんですかね。
    ちょっとがっかり。

    多恵子も辰雄の死後、貨客船で世界一周したり、リルケの墓参りにドイツに行ったり、堀辰雄の語り部以外でも、半世紀元気に生きました。
    この夫婦は、二人合算するとやりたいことを全部やったようです。堀辰雄もリルケのお墓にはさぞ行きたかったでしょう。
    2023年11月07日13時33分 返信する

しにあの旅人さん

しにあの旅人さん 写真

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しにあの旅人さんにとって旅行とは

うーん、何か気の利いたこと言わなければと、思うのですがね。

自分を客観的にみた第一印象

トラベラー名、「たびと」と読んでください。

大好きな場所

ヨーロッパ、カナダ、オリエント

大好きな理由

日本人が嫌われていない、入国にビザを取れとかうるさくない

行ってみたい場所

南イタリア、スコットランドの北ハイランドのそのまた北のほう、イベリア半島、ギリシャのエーゲ海クルーズ、トルコ、エジプトのナイル河クルーズ、カナダのプリンスエドワード島、白夜とオーロラ、フランスのアビニオン演劇祭、多分その辺りでこっちの寿命がタイムアウト。

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