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しにあの旅人さんへのコメント一覧(35ページ)全577件

しにあの旅人さんの掲示板にコメントを書く

  • 捨てがたい大根作り手伝い説( ・∀・)

    こんばんは しにあさん
    大来皇女宮はいずこに?

    大来が飛鳥に戻ったのが686年、不比等が史書に登場したのが689年、不比等が大原でくすぶっていた時期に、大来との接触は確かに考えられますね?
    持統は不比等をどのように見ていたのか?
    不比等の父鎌足と天智は切っても切れない親密な関係、でも持統の父は天智、しかも持統の酷薄な性格は、たぶんに天智の血を受け継いだものと自他共に認めていたとすれば?
    一方の大来が男勝りで、ややもすると持統へのクーデターを大津にけしかけたというのであれば、これまた祖父である天智の血を引いたのかもしれず。。。

    はてさて、そういう持統から見て不比等とはいったい?
    大来は不比等に親近感を抱いてもおかしくはないですね?
    不比等から見て大来は、名目上は彼女を見張らねばならぬとはいえ、父鎌足の敬愛する天智が愛した孫娘が大来なのですから、勢い大来に対しては、少しばかり怪しい動きがあったとしても、おそらくは目をつぶったのではないでしょうか?
    つまり持統は、不比等を心底信頼していたとは思えません。

    不比等と犬養の三千代って、似たもの同士ですよね?
    何らかの野望を持ち、愛情よりは同士としての結びつきの方が強い。
    目的達成のためには手段を選ばないようなところが、この二人にはあったように思います。
    後の藤原氏の天下は、この二人の合理的な決断や判断によって、まるで藤の枝のようにしぶとく逞しく、他の木にもまとわりつき締め上げて、ついに藤の枝に取り込んでしまうような執拗さで築いていったのではないでしょうか?

    不比等の話になると、ついいろいろな方向に発展してしまいます(^^;)
    この旅行記のテーマは「大来皇女の宮」はどこか?ということでした。
    で、私は和田池説が頷けるのですが(一日中二上山が見えなくてもいいという)、でも現大原神社辺りで、不比等の糟糠の妻娼子と大来が仲良く大根を作っていたのではないかというby妻説が捨てがたいのです!
    岡寺麓の二上山がよく見える駐車場辺りから、山を眺めながら大根掘りに精を出す娼子と大来皇女、牧歌的でなんかイイですよね!

    鎌足の長子定慧にも、ものすごく興味があるのですが(妖術を使うという妄想説あり)これも言い出すとキリがないので、この辺にいたします。
    種々の文献からの考察妄察、楽しませていただきました。
    ちなみに私は記紀その他、ほとんど読んでおりません。
    漢文は苦手で教科書掲載以外のモノは、読めません。
    聞きかじりの事柄を繋ぎ合わせて、辻褄合わせをしているにすぎません。
    細かい所を突かれると、返答に窮します。
    わずかな知識に妄想をふくらませているだけなのです(~_~;)
    今後ともお手柔らかに(^◇^;)


    前日光
    2021年04月23日23時57分返信する 関連旅行記

    Re: 捨てがたい大根作り手伝い説( ・∀・)

    今回もタイムトラベルの思考実験にお付き合いいただき、同好の士を得て嬉しいかぎりです。
    歴史資料から得られる条件の範囲内で、あれこれ可能性を考えていくのが、大好きなのです。
    鎌足が大原生まれは知っていました。息子の貞慧がここで死んだというのをどっかで読んだ時、もしやと思って藤氏家伝を読んだら、大当たり、鎌足さん一家は不比等の時代までここに住んでいたのでした!大来大津の近江脱出の謎の23日の発見(!?)に次ぐ大スクープ(???)週刊文春に売り込もうかな。

    不比等と大来の付き合いは、前日光さん、kummingさん、By妻も、どちらかというと仲良し説のようです。一方私は、不比等は真面目に監視役をやったのではないかと。「今日の大来」とかいう日誌みたいなのを作って、毎日大来邸の動静を記録、毎日持統さんに送った。「今日のおかずは大根だった、なんて報告してこなくもいいのに。でもこの不比等って、真面目ね」とか持統さんに思われて、出世の糸口にした、のではないかと。

    しかし、不比等と大来は天智天皇関連で同類項にまとめられるのは、考え付かなかった。次の最終回で触れますが、持統と大来は後年仲直りした形跡があるのです。その裏で動いたのは不比等だったという可能性も排除できないなと思いました。
    不比等という人物は、こういう風に裏でなんかやるというイメージがありますね。
    それにしても、不比等というとどうして話が盛り上がるのですかね。kummingさんも相当な不比等ファンのようです。

    私も漢文は読める部類に入りません。でも漢字のありがたいところで、ぼーっと字を眺めているとなんとなく意味がわかってくることも、あるのです。フェデリーコ2世を追いかけていた時、資料を辿っていくと、最後はラテン語になってしまうことがありました。その場合はここでおしまい。イタリア人やフランス人は、ラテン語などやったことがなくても、なんとなく意味がわかるらしい。我々の漢文だなと思っています。
    2021年04月24日09時10分 返信する
  • 不比等さんちのお隣^o^

    しにあさんこんにちは♪
    昨夜から何度か読ませて頂き、大来皇女の居住地を探る旅、妄説1~4楽しみました♪
    検証順番に不比等さんち、飛鳥寺、岡寺、和田池、ですが、信憑性は逆順?

    まず、思いっきり逸脱しますが、不比等さんちの隣説。藤原氏家伝まで読まれたので?
    中でも「不比等伝」だけが散逸、又は消失してしまったというのは、やはり不比等さんは才女三千代に助けられただけのただのおっさん(TT)なので、業績を消したかった?それとも、藤原家繁栄の基礎固め、黒子、影の実力者に徹する為に、敢えて遺棄した?
    持統さんに睨まれる事確実なので、妻には監視役を命じ、付かず離れず怪しまれない距離感に徹し、大来皇女は誇り高い女人故、一緒に大根掘りましょ~、のお誘いは上手にお断り。残念ながら、大河ドラマにはなりそうにないか?
    一番あやしい不比等さんちのお隣説に萌え~^o^ 不比等さんの出番を、無理矢理?増やして頂き、ありがとうございます^ ^
    生まれて最初に見た大人が白鳥だったので、自分も白鳥だと思い込んだまま成長したアヒル(←長っ)、と同じく、誤ちかもしれない認識を中々書き換えられない私でございます。げに、思い込みとはあなおそろし。三千代さんが烈女、だったというのは、日本書紀現代語訳に出てきますか?その辺、ちょっと知りたいです。
    今や奈良も危険水準で近寄り難くなりにけり、ですが、いつか私も不比等さまが通ったあの坂道を歩いてみたい♪

    さて、本筋に戻ります。
    飛鳥寺は、確かに54個のジュエリー発注には最適の立地。
    次は岡寺説。東大寺要録、薬師寺縁起、扶桑略記、を読み解かれてたどり着いた、岡寺を開いた神童義淵僧正と共に大津皇子が育った地、岡宮。なあるほどね~、といいつつも、実は、岡寺、岡宮、岡本宮、の定義がよく分かっていませんが(ーー;)

    最後に、甘樫丘の西側、和田池付近説。
    念のために自転車で行き、ダメ元でぐるっと廻って、ようやく見つけた二上山が見える場所♪ それなのに、by妻さんに、一日中見える場所でなくっても?と言われては立つ瀬がないではありませぬか!私、しにあさん、by妻さんが脚で稼いだこちらの説に清き一票を♪
    今まで散々、おちゃらけた、場当たり的な、的外れの、とんちんかんなカキコをして来ておいて、今更言うのもアレですがm(_ _)mこの後も続くらしい六国史シリーズを楽しむ為には、最低限現代語訳日本書紀、古事記あたりは基礎教養として抑えなきゃな~、と思う今日このごろ…。
    前日光さんみたいな正統派のコメント、憧れるアヒルでございます(笑)
    大津大来編の最終章、楽しみにしています♪
    2021年04月22日11時03分返信する 関連旅行記

    Re: 不比等さんちのお隣^o^

    初コメありがとうございます。
    「藤氏家伝」は短いし、現代語訳あるので楽勝。
    「東大寺要録」「薬師寺縁起」「扶桑略記」は現代語訳なし。「扶桑略記」は漢文と読み下し文は出版されているようですが、お値段がものすごく高い。幸いネットに漢文原文がありました。これらを打ち込んだ方、その熱意に感謝、驚嘆です。普通の日本語ではないので、数千字の漢字一字一字打ち込むのです。助かりましたが、もはやこれは文化的功績です。頭が下がります。それを元に妄説を垂れるのは申し訳ないくらいです。
    「薬師寺縁起」は何にもなくて、夏目廃寺資料館でとってきた写真を頼りに解読しました。

    三千代さんが活躍するのは、続日本紀です。こいつは貴重な資料かもしれないけれど、あんまり面白くない。通読するにはかなりの根気と目的意識がいります。そこにいくと、日本書紀や古事記は、単純に、血湧き肉躍る面白さ。青少年向きです。
    三千代さんは今回は出演予定がないので、私は真面目に読んでいません。でもすごい女性で、最初の夫との間に生まれた子供が橘諸兄。2番目のダンナが不比等さんで、娘がのちの光明皇后。子供を産むという女にしかできない武器で(あれ、これセクハラ表現?)間接的に古代日本を支配しちゃったわけで、やっぱり烈女だと思います。
    もう少し後の時代の薬子さんと並んで、その個性で日本古代に燦然と輝いております。
    続日本紀はこういう風にテーマを絞って意地悪く読むと面白いです。字面の向こうに週刊誌的悪趣味あり。人生経験ある中高年向け。
    極め付けはご存知孝謙天皇と道鏡さん。

    長くなるので、今回はコメントの返事を分割します。とりあえず今夜はここまで。
    2021年04月22日19時58分 返信する

    Re: 不比等さんちのお隣^o^

    続きです。
    不比等さんと大来さんが飛鳥にいた時期は重なります。不比等さんが大原にいたのはほぼ間違いなく、その間大来さんがどこに住んでいたとしても、ご存知の通り飛鳥は狭いところですから、どこかで出会った可能性はあるでしょうね。
    不比等さんはこの時期まだ無名ですが、大来さんは有名人ですから、遠くから見て「あ、大来だ!」くらい思ったかもしれない。2人の交点というと飛鳥寺くらいですかね。
    ロマンがいっぱいの飛鳥です。
    5月に3度目の奈良飛鳥旅を目論んでいたのですが、中止にします。今回は奈良の北から宇治のあたりがメインのつもりでしたが、どうにもなりません。
    ワクチン券が町役場から送られてきました。でもいつ、どこで打ってもらえるかはまだわかりません。
    2021年04月23日08時04分 返信する
  • 本当にあった話ですか?

    しにあの旅人さん おはようございます。

    >どこの神社だったか、石文というものを見たことがあります。
    旅に出た男が、国で待っている女に石をことづけるのです。円いすべすべした石でした。その石の色、形、肌触りに、男は自分の気持ちを込めたのです。待っている人は、その石をなでさすり、頬を寄せて、その気持ちを感じたことでしょう

    なんというロマンティックなお話でしょう!気持ちのこもった石、人の気持ちは昔も今も変わりませんね、いやむしろ彼らは今以上の豊かな感性を持っていたのでしょうね。
    私がもっとも印象的に思える箇所でした。

    それにしてもお二人とも素晴らしい名文で人を引き込みますね。
    前日光さんの書き込みもさすがと思いました。kummingさんも同じく素晴らしい、
    お二人とも現代の樋口一葉かと思いました。

    pedaru
    2021年04月15日05時01分返信する 関連旅行記

    Re: 本当にあった話ですか?

    コメントありがとうございます。
    石文ですが、もうずいぶん前のことではっきり覚えていませんが、宮崎の青島神社の摂社のどこかに、あったと思います。

    お褒めいただくような文章ではありませんが、推敲に推敲を重ねております。トシのせいか、やはり紙に印刷しないと文章を読んだ気になりません。1年ほど前にインクがボトル式のプリンターに変えました。おかげさまで心置きなく印刷しております。資源の無駄という説もちらほら。

    前日光さん、kummingさん、お二人ともグッとくる文章で、いつも話を前に進める力をいただいております。
    あと2回大来大津にお付き合いください。それで終わるかというと、そうでもない。ほぼ半永久的に妄説、奇説でお邪魔することになると思います。よろしく。
    2021年04月18日19時10分 返信する
  • 大来皇女その後。。。

    しにあさん、こんにちは。
    大来のその後、この時代に何らかの興味関心がある者は、このことについて考えますよねぇ(-_-)
    西暦686年10月1日天武没、同月25日大津刑死、11月大来斎宮の任を解かれ伊勢より飛鳥に戻る、3年後の689年、菟野皇后の息、草壁皇子病死、翌690年菟野皇后即位(持統天皇)、私はこの時の大来及び菟野の心境を思わずにはいられません。

    菟野皇后は、この草壁を即位させたかったのではないのかと。
    自分の息子にその才がないことは充分承知している、だがしかし。。。なんとしてもわが息子を即位させ、即位の後は、背後からしっかりバックアップのつもりでいた。なのに。。。わが息子のなんという影の薄さよ、何のために、誰のために大津を死に至らしめたのか、すべてはおまえのためだったのに。
    大来の視線が私はイタイ。こんな結果を迎えるために、オバサマはわが弟を抹殺したのかと、あの目が、無言の目が私を責める。
    あまつさえあの娘は背が高い、気がつくといつも私をどこかで睥睨している、ほら、世の中はあなたの思い通りにはいかなかったでしょ!悪事はどこかで報いを受けるのよ、ざまぁごらんあそばせと言いたいけれど、私はそんな下品なことは言わない、ただずっと私はあなたがどこにいても、あなたを軽蔑の目で見つめ続けてやる。
        ↑
    ドラマ化に当たっては、こういうのはどうでしょう?
    うわぁ、陰険!
    大来はもっとサバサバした男勝りの設定でしたよねぇ。
    でも運命に弄ばれて、いつしか大来はこんなにイヤミさんになってしまいました。
    そんな大来も702年、なんと持統女帝よりも一年早く41歳で亡くなってしまいました!
    そして大来の呪縛から解放されたと思う間もなく、703年、持統も没!

    なんと諸行無常なことでしょう。

    発見された木簡、54点もの何を大来は注文したのか。。気になります(^^;)


    前日光
    2021年04月13日16時36分返信する 関連旅行記

    Re: 大来皇女その後。。。

    ドラマ化シナリオすでに書かれました。やはり大来大津の物語は、古代史ファン皆さんの注目の的。
    大来皇女宛54個の注文ですが、別のシナリオもあり得ます。宅急便と同じで、送り状と見ることもできる。送り主は大伴ナントカさんで、大伯皇子宮あてに何かを54個特注。
    この大伴さんは持統天皇の腹心で、特注品は数珠用のガラス玉。
    「これで弟の菩提を大人しく弔っていろ」という持統さんのメッセージ。こういうのだと、前日光さんのシナリオのエピソードに使えます。わあ、持統さん意地悪。
    数珠はこの時代、もう日本に入っていたようです。

    現実の大来さんは、かなり派手好き、女としては豪快な人物であったのではないか、と思っています。次の次、最終回で、このあたりをうまく表現できたらいいな。

    自分で注文したか、人から送られたかは別にして、大来さんが飛鳥工房の工芸品2または3種、計54個を受け取ったのはいわば考古学的事実。それが何かは、まさにロマンです。
    明細は間違いなく別の木簡でしょう。それが出てこない。
    でも二つの木簡が離れた場所から出てきて、しかも破損していたら、発掘した方が気が付かない可能性もあります。ますますロマンです。
    2021年04月14日09時05分 返信する
  • 愛のさざなみ♪

    しにあさん、こんにちは~
    いつもこちらに伺う時は、一段と気合いを入れています。
    そんな中、今回はやや軽量級?

    野に転がる石ころ一つで千年の歴史を語るしにあさん、
    1片の木簡、54個のジュエリーで、往来皇女の晩年を捏造、あ、違った、往来皇女を想うロマン派の旅へのいざない♪
    このまま彼女は歴史の表舞台から消えてしまうのでしょうか?

    島倉千代子さまの♪愛のさざなみ♪ という曲、私は、ゆーみん、きょんきょん、アンルイスのカバーヴァージョンで知っているのですが(今もYouTube で見れます)、私の持ち歌でもあり、他に“真夏の出来事” “六本木心中” “ ルージュの伝言” などなど…。あ、話がずれてます(-。-; が、↓に繋ぐ、伏線としてお読み下さい)

    歴史のさざなみに翻弄された大来皇女の人生にも、あの実行しなかった恋、魂と魂が震え合う純愛が、鮮やかな彩りを添えていただろうと、信じたいものです♪

    男の訪問、心当たりあり?
    誰、誰ですか??
    島倉千代子さんは、下品なんですか?
    人生色々、の歌詞を検索してみなきゃ!
    まあ、今回はby妻さん説に軍配?(笑)

    一般的には、女性は記憶を上塗り保存するらしい(←前の記憶に上書きするので、以前の記憶は消える、か、薄れる?)。男性の方が昔の思い出を大切にする、という説。

    ブログ出演されてるマネキンさんたち、(夜道で遭遇するのはちょっと引きますが)いつか私もお目にかかりたいものです。

    大来大津編もそろそろ佳境に入り、六国史シリーズ、次のヒロインはどなたかな♪

    それから、女性に「あなたはいつから衰え始めたのを自覚したか?」2度と言の葉にされませんようお願い致します、家内安全、家庭平和をお祈り申し上げます^ ^
    2021年04月13日13時21分返信する 関連旅行記

    Re: 愛のさざなみ♪

    木簡があるので、大来さんが飛鳥工房に何かを54個注文したのは事実。その54個を自由に想像できるって、すごい古代ロマンです。
    飛鳥工房という縛りがありますから、ダイコンや干物とか、食い物ではない。私は大来さん自身の装身具にしましたが、可能性はいっぱい。
    kummingさんももう一度飛鳥にいらっしゃるなら、ぜひ飛鳥資料館と万葉文化館にいらして、工房の作品の現物をご覧になってください。弁当持ち込んで1日いたって飽きない。どんなイマジネーションが湧き上がってくるか。
    飛鳥資料館は、撮った写真のブログ使用許可は、個人のブログなら出してくれます。

    ブログ出演のマネキンさんたちは大阪歴博が豊富。大阪歴博の口コミを書いておきました。それにしてももうちょっと美人にすればいいのに。By妻によれば美人だそうですが、化粧のせいか、私には不気味に見える。男のマネキンさんもいましたが、こっちは貧相でもっとひどい。竹野内豊なんか、ああいう格好したら似合うと思いますが。モデルにしてはいけないのですかね。
    大阪歴博もお勧めです。
    近くまで2度も行ったのに、大阪城はパスしました。By妻は呆れています。

    六国史の旅はまだまだ延々と続きますが、大来大津はあと2回です。さてどうやってまとめるか、思案中です、捏造中です。

    最後のご忠告、留意します。
    それにしてもBy妻の回答が見事で、のけぞりました。さすが我が妻!
    2021年04月14日06時36分 返信する
  • コメント欄参考になります

    しにあの旅人さん  私の女木島旅行記にいいね有難うございます。
    それにもかかわらず、私はしにあさんの新規旅行記を知りながら読んでいませんでした。すみません。私の教養ではちと難解すぎて、途中下車か睡眠剤になっていました。
    無礼をお許しくださいませ。全ては私の頭が悪いのであります。

    チョッキの案もいいですね。私はスリ用というよりもるるぶが入るのがgoodです。
    あのるるぶ1冊の為に、ショルダーバッグ持ったりしなくてはいけませんから。
    それに少しの厚さがあるから防弾チョッキ代わりになるかも。それはないか。

    戸籍謄本とは気がつかなかったです。この間まで相続の関係で戸籍謄本を何度も持参しなくてはならず、いかげん頭に来ていました。お前も中々役に立つんだなと褒めておきます。
    学生時代欧州をバックパックしている時、私は外務大臣直筆のこの男を助けなさいという書簡を持って(親のコネでそんなことできる時代があったのですね)旅していたのですが、書簡の入っているバッグ自体が盗まれたもんだから、何にも役に立ちませんでした。

    4トラのコメント欄は大した役に立つ情報はありませんが、今回これはいいなというのを見つけました。シニアさん推薦のおもちゃの蛇です。
    でも、これも本人自身がいつもギャーと勘違いしながら旅するのも疲れますね。
    2021年04月05日17時07分返信する 関連旅行記

    Re: コメント欄参考になります

    おはようございます。
    ご無沙汰しておりました。町からのお達しではもうすぐワクチン券を送るよと言ってきました。新しいもの好きですので、早速打ってもらって、旅に出たいなあと思っております。行き先はどーせ遺跡とか人のいない神社お寺ですから、うつす心配も移されることもないのですが。

    ミラノなんて、日付を見たら2年以上前でした。まさかあの時、コロナでこんなことになるなんて思いもしなかった。コロナがなければ、昨年の4月もイタリアに行って、今頃はまたフェデリーコ2世がどーのというヨタ旅行記を書いていたはず。結局今と変わらず、長い文章で4トラのみなさんに迷惑をかけています。

    作業用チョッキは我ながらいいアイデアだと思います。国内旅行でも使おうと思っています。スリ対策ではなく、大きなポケットになんでも入るのがいい。
    カメラだの携帯だの、持ち物が多いと便利です。博物館の入場券やパンフなど、とりあえず全部入る。
    古い旅行の写真は種切れでした。当面古代へのタイムトラベルで遊びます。
    自転車シリーズもそのうち再開の予定。
    2021年04月08日07時24分 返信する
  • しにあさんの情熱がここに。

    しにあの旅人さん

    朝、壮大な論文の読破までは致しましたが、時間切れとなり
    夕刻に再び参上しました。
    しにあさんの大来皇女贔屓の情熱が、ついにここ迄に追い続けて
    こられた感でみちていました。

    名目上だけだとしても?伊勢神宮の斎王となって都から遠ざけられた大来皇女
    そこでのお務めが無い日々だったとしても、自由に過ごせる毎日の生活は
    どうだったのかしら?と私も想像してみますと
    これまでずっと苦楽を共にしてきた弟、大津皇子を想う日々ではなかったか、と
    思ってしまいます。

    十市皇女と阿倍皇女の伊勢神宮参拝、実体のない神宮への参拝は何故?
    皇太子妃の譲位式と、そこでの大来皇女の立会、
    by妻さんのご意見にはなるほど、と思いました。
    それにしても皇女3人の顔ぶれはすごいものがあります。
    大友皇子の正妃、草壁皇子の皇女、そして大来皇女。
    まだうら若き3人ですが、背負ってきたものが大きすぎる3人です。

    天武天皇は我が皇女の行く末にはいろいろ苦慮なさったようですが
    我が皇子の行く末はいかんともしがたかった、のでしょうね。
    更に天武さんは、大津皇子とはあまり心も通い合う機会もなく、
    やむを得ず皇子は切り捨てられた感じもします。
    大津皇子が死を賜わることになってしまった運命には、かえすがえす残念に想います。
    生まれた時、所が悪かったのでしょうね。

    一書に曰く、大津、大来の関係は、、、と
    ここではしにあさんも、by妻さんに賛同、私ももちろん異論ありません。
    多分二人は、大切な人を想う究極の感情ゆえ、とby妻さんは書かれ
    私も魂のレベルでのつながりがあったかのように想われました。

    正史である日本書紀には表せない事実を万葉集で伝える、
    万葉集の密かなる反逆、やはりそうなのねと私も共感。
    家持さん、よくぞやって下さいました。
    皇女、皇子たちが歌を遺していなかったとしても「反逆的思想」を持っていた
    家持さんによって、その折の心情あふれる歌をさしはさんだ。
    よくぞ、と思いますが、長くなりました、
    それを筆跡からも検証されたしにあさんには恐れ入りました、と申し上げます。

    mistral

    2021年04月04日19時45分返信する 関連旅行記

    おはようございます

    長い文章を読んでいただいて、感謝です。このシリーズは、これが書きたくて2回も旅行し、延々とここまで大来皇女の跡をたどってきました。色々調べたし、面白げなことを思いついたので、全部出しちゃおう。海岸で拾ってきた貝殻をぶちまけた子供のようなものです。長すぎる、硬すぎると、By妻からダメ出しが出ましたが、小見出しをいっぱい入れることで、少しは読みやすくする工夫をしました。
    大来大津姉弟の心うちや。家持の、前日光さんおっしゃるところの「いぶせき思い」に発する万葉集編纂、読み取っていただいて嬉しいです。

    十市皇女と阿倍皇女の伊勢下向、そこで大来皇女と会ったとは、書紀は書いていないのですが、誰がどう読んでも会ったと思いますよね。会ったと思わせるように書紀は書いている。何を言いたいのかと、また勘ぐりたくなります。
    この時大来16歳、十市23歳位、安倍24歳、人生経験豊かなお姉さん2人と何を話したか。実に興味津々。
    当時伊勢神宮はなくて、大来のいる斎王宮そのものが神宮であったという学説もあるそうです。ただ神社らしきもの跡が発掘されていない。
    大来の斎王宮発掘現場の北に隣接して、竹神社跡があります。石碑以外何もありません。まだ未発掘なのですが、ここらあたりから何か出てくると、面白いことになるのですが。
    十市さんと阿倍さんは大来の私邸に泊まったのかな。一晩中ペチャペチャ喋って翌朝目が真っ赤、だったりして。大来さん、根掘り葉掘り2人に質問したでしょうね。

    飛鳥の姉弟シリーズはこの後もまだ続きます。あまり話題にならない、それからの大来。「ヤマは超えた」とみなさんどっかに行っちゃわないように、しっかりと番宣です。
    2021年04月05日07時47分 返信する

    Re: しにあさんの情熱がここに。

    計算間違い。阿部皇女は14歳でした。
    好奇心旺盛な娘2人に質問攻めにあって、十市姉さんは往生したでありましょう。悲劇のヒロインとして当時でも有名だったし、高市皇子との噂もありました。「うるさいな、このメガキ」と思ったに違いない。メガキなどという下品な言葉はお使いにならなかったでしょうね。
    2021年04月05日11時51分 返信する
  • とりとめのないままにm(._.)m

    一書に曰く
    ちょっと寄り道
    本線復帰
    枕詞か接続詞、的な役割を担っているのではないか、と思われる↑これらに助けられて完読しました。あと、小見出しも効果的♪

    往来皇女が実態のない斎宮に、現代では妖精さん、と呼ばれる職種にも似た閑職に追いやられ、よるべない無為な日々を余儀なくされたにも関わらず、逆境の中、馬に乗ってあそんだり、近隣では噂の見目麗しい人気者だった、という事でしょうか?

    大津皇子が往来に会うために辿ったであろう道の検証の為とはいえ、国道368号線の道なき道、獣道、(ポツンと一軒家に出てきそう)をも踏破された、その現場実証主義はあっぱれ~でございますね。かつ、しにあさんお得意の、馬の速さと走行距離の考察も加われば、この結論に意を唱える事は不可能かと存じます。

    さて、最近知った興味深い話…官吏、の官の方は比較的政治家寄りの記述を担って、嘘も捏造も言われるがままだったようですが、吏の方は同じ役人でも正確無比を旨とし、それを誇りにしていた、とか?
    なので、時々、こそっとほんとの事を紛れ込ませて、溜飲を下げていたのでは、説。
    ここにも“ちょっとだけ叛逆者”が隠れています。

    しにあさんが日本書紀の中で見つけられる矛盾、に目をつけてそこを掘り下げ、ある事ない事、(←あ、失言(ーー;)、ある事ある事話を盛る、(←またまた失礼な!)、物語を繰り広げられる手法、吏が正義感で、職務に忠実にやってた、この辺に生じた矛盾なども含まれるのかもしれませんね?

    往来皇女は、自分の意思で都に戻った。
    二上山は、天武持統政権に大津皇子の事を思い出させ、睨みを効かせる為に、あの場所に陣取っている?
    書、の話はよく分かりませんm(._.)m
    実行しなけりゃ恋じゃない? ウケました(笑)

    今後も根性悪邪推の健闘を祈っております♪
    活字中毒の私にしては最近活字疲れ気味、このブログにどんだけの熱量が注ぎ込まれている?と思うと、ちゃんと読み込めてない?とりとめのないカキコでm(_ _)m
    2021年04月03日19時14分返信する 関連旅行記

    Re: とりとめのないままにm(._.)m

    この長文を読み切った方がいるというのが感激です。
    4トラの旅行ブログの目的とは関係のないブログで、そのうち事務局から文句が出るかも。

    私は大来皇女の実像は、私の想像の方が近いのではないかと思っています。飛鳥の女というのは、とても溌剌として活発で、その後の日本だとむしろ現代に近いのではないか。

    日本書紀の矛盾というのは、「吏」があらかじめ仕組んだのではないかという説、賛成です。「官」がいう表向きの事実を突っ込んでいくと、自然と矛盾が見えてくる。ヤマトタケルの筑波から酒折の宮までに日程と距離の時も、これ「吏」が仕組んだなと思いました。
    「吏」が仕組んだエピソードを、有る事有る事、盛り上げ盛り上げ、これからも根性悪く、重箱の隅突きを続けます。

    5月に3回目の奈良旅を目論んでいたのですが、やめた方がいいみたいです。そのころに我が町のワクチンも重なりそう。奈良は逃げるわけではなし。
    2021年04月03日19時55分 返信する

    Re: とりとめのないままにm(._.)m

    斎宮に「妖精」説、思いもしなかった。でもこの発想、深追いすると面白いかも。妖精を、折口的古語に置き換える必要はあるけれど、それが何か思いつかないのですが。こういう発想、実にkumming的。
    2021年04月04日18時58分 返信する

    Original ではございません(ーー;)

    いつも会社に来て机についてるけど、ハンコ押したり新聞読んだり?あの人仕事、何してる?的な閑職、またはお偉いさん、の事を総称して“妖精さん” と、今世代は呼ぶみたいです。
    給料泥棒、よりずっと優しい呼称で、私は好感持ってますが。
    他に、“お祈りメール” というのは、息子が就活中に先方から貰った、と。即ち「今後のご健闘をお『祈り』申し上げます」不採用通知のこと(笑笑)
    今世代がどうしようもない現状を受け入れる時の、柔軟性というか、優しさ、みたいなものを感じます。
    original ではないですが、しにあさんのインスピレーションのお役に立てれば幸いです♪
    2021年04月04日20時03分 返信する
  • ご高説、痛み入ります(^^;)

    しにあさん&by妻さん、こんにちは

    いやいや、多くの大津・大来関連の考察、どんだけ時間をかけて調べられ、またご夫婦で意見を戦わせられたのかと^^;拝察し、楽しませていただくだけの当方は申し訳ない思いです。

    まず大津が大来を訪ねたのは秋ではなく、あの「秋」は「阿騎山」の「阿騎」であったとの折口説に私も賛同しようかと。
    どもすれば「いつもそっちに話を持って行く派」に賛同したくなるのですが、大津と大来は12年ぶりに再会したわけですよね!
    そんなに長い間会わないでいた二人が,久しぶりに相まみえて急に「そっちに話を持って行く」のは不自然、ここはやはり逸る大来の企てを大津が抑えて去って行くパターンの方が、より効果的でしょう。
    その時の大来の大津に対する想いについては、by妻さんに共感します。

    それにしても家持が詞書きに「竊」を書き加えることで、「ヤマトの中央政府への反感」を示そうとしたという説、驚きました!
    しかもそれは家持の筆跡から判断されるというのですから、参りますね。
    家持の筆跡については、高岡市の「万葉文化館」の筆跡もほぼ同じですので、この筆跡は確かでしょう。
    家持の自筆署名は、2つしか残存していないそうで、言われてみれば橘諸兄などとは全く異なるグレ方をしていますね。
    傾きかけた名門に生まれてしまった家持は、最初から世の中を斜めに見ているところがありました。
    「いぶせし」、心が晴れない・憂鬱だというのが、彼の歌には頻出します。
    生涯「いぶせき」想いに心を曇らせていた彼の、世の中や政治に対する壮大な仕返しは、千年の後もその想いを世に伝えようとして「万葉集」の編集に当たったということなのでしょうか?
    本当は歌を詠むことに専念したいのに、武門の家柄大伴家の長として一族を率いてゆかねばならぬわが定めを、彼はどんなに呪わしく思ったことでしょう。

    大津・大来の胸に去来する想い、そして編者家持の想いを考察いただきまして、本当にありがとうございましたm(_ _)m


    前日光
    2021年04月03日17時43分返信する 関連旅行記

    Re: ご高説、痛み入ります(^^;)

    コメントうれしく読みました

    By妻によれば、長すぎる、硬すぎる。それを強行突破しました。今回の大来大津のお勉強、あえて言わしていただくと、研究の結果として、読み手の負担を顧みず思った通りに書きました。読む人いるのかなあと思っておりましたが、読み切っていただいて、本当に嬉しい。

    たしかご専門は家持でしたよね。家持の心理については、私より詳しいと思います。「いぶせき」思いからの万葉集の編集態度は、私の上っ面な反抗的家持像より奥が深い。「世の中や政治に対する壮大な仕返し」とまでは私は思いませんでした。「千年の後もその想いを世に伝えようと」した家持の心意気を少しでも汲みとったかと思うと、満足です。
    こういう、非常に近代的、というより現代的な詩人を8世紀の段階で持っていた日本というのは、すごいと思います。天才というのは、時代の前後の脈絡なく生まれてくる。家持はそういう天才の一人だったのでしょう。

    今回は全く触れる余裕がなかったのですが、大津皇子が迫り来る陰謀に気がつかなかったはずがない。それでもあえてそれに対処しなかったのは何故か。これはもう私の能力の限界を100倍くらい超える話です。しかし結論を先に言ってしまうと、大津皇子は、家持クラスの天才ではなかったのか。自分はこの時代には早すぎたという諦めがあったのではないか。懐風藻だったと思いますが、日本の詩賦は大津皇子に始まるという一文がありました。すごい天才だったということです。
    家持と大津皇子は時代が重なりませんが、それを無視してあえて2人が会うことがあったなら、どんな話をしたかな。

    「本当は歌を詠むことに専念したいのに、武門の家柄大伴家の長として一族を率いてゆかねばならぬわが定め」これ、多分あっている。「そうなんだよ!」と家持は絶対言う。同じように「皇族なんかじゃなければ、詩譜に専念できたのに」と大津さんも言いそう。

    結論がなくなってしまいました。感激的なコメントに舞い上がった結果です。
    2021年04月03日19時20分 返信する
  • 生活の痕跡がない!

    こんばんは。
    いいね!だけは早めにしたのですが、その後ヤボ用に忙殺されてなかなかコメントができず。。。<(_ _)>

    さていよいよ発掘現場に!
    これはワクワクしますね。
    30代とおぼしき学芸員さん、「大来皇女おっかけ」のセリフに思わずニコッとして一気に打ち解け、同好の士と化す、いい空気感ですね。
    同じ趣味は年齢も性別も越えますよね!
    それにしても西暦674年11月12日、14歳の少女大来が立ったであろう地に今自分が立っている!という感動。何ものにも代えがたいですね。
    飛鳥時代の地表は、降り積もる時の流れと物理的な泥土に覆われて、現在よりも1メートルも低いところにあったのですね。
    斎王宮全体の発掘には、あと100年もかかるのですか( ̄∇ ̄)
    気が遠くなるようなお話ですが、考古学のそういう天文学的な時間の観念がまた素敵ですね。
    現在2歳の我が家の孫姫でも、見届けることができませんね。
    何事にも結果を急ぎ、早く知りたいと心を急かしている現代人が、ひととき立ち止まって、そういう時間の観念に身を置いてみたらいいんじゃないかと、何事にもトロい私などは思います。
    こういう浮き世離れした現場に集まる人々に、会ってみたいものです。
    しにあさんやby妻さんや私、またこの掲示板にコメントされる方々は、きっと同じ空気感を纏っているのでしょう。

    確かにこの12年後、彼女を襲う悲劇を思うと痛ましい気分に陥ります。
    しにあ説では、たぶん大来は気丈にもその現実をしっかりと受け止め、強く生きて行くとなるのでしょうか。
    私はまだ大来の、健気ではあっても手弱女ぶりが勝っているという印象を捨てきれないでいます。


    前日光
    2021年03月26日00時03分返信する 関連旅行記

    Re: 生活の痕跡がない!

    おはようございます。
    私たちの大来皇女を訪ねる縦の旅では、僅かな資料を頼りに、大来の死まで彼女の人生をたどります。次がいよいよ万葉集の歌の解釈なのですが、バラバラに拡散して、By妻からダメ出しが出ました。なんと、ご専門の家持まで出演させるつもりでいますが、前日光さんに怒られるかな。

    斎宮発掘現場は遺跡の端っこでして、周りは畑と田圃、ど田舎ですから、これまで開発されなかったのです。でも鉄道線路のすぐ南までは住宅が迫っていました。あと10年遅れたら、遺跡も消えてしまったかも。

    もっと遺跡公開には人が集まるかもしれないと思いましたが、合計20人いたかな。キュレーターさんはずっと現場にいましたが、参加者はいっぺんに集まったわけではないので、多い時でも10人はいなかった。
    発掘中の遺跡なんて初めて見ました。こんなもんかもしれません。
    Pedaruさんのブログで、ご自宅の前で遺跡の発掘が始まった話がありました。面白かったですよ。
    2021年03月26日07時18分 返信する

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うーん、何か気の利いたこと言わなければと、思うのですがね。

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南イタリア、スコットランドの北ハイランドのそのまた北のほう、イベリア半島、ギリシャのエーゲ海クルーズ、トルコ、エジプトのナイル河クルーズ、カナダのプリンスエドワード島、白夜とオーロラ、フランスのアビニオン演劇祭、多分その辺りでこっちの寿命がタイムアウト。

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