しにあの旅人さんへのコメント一覧(36ページ)全577件
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中間報告?
しにあさま、おはようございます♪
昨日、しにあさまよりの特命を受けまして、自称“FDIIファンクラブ会長付きぱしり“を任じる私としては、ぜひともご要望にお応えしたい、という思いでおります。が、神社仏閣系、入門したてでまだその入り口に立ったばかりでございます、神社縁起、資材帳って何?から始まっています(ーー;)
おそらく、しにあさんが知りたがっておられる、不比等の中国語能力、オーラル能力、などについての記述は、今私が読んでる「隠された十字架」ではなく、「神々の流竄」の方にある可能性があるのでは?という推測ですが…。
梅原氏自身、自分の「日本神話」「記紀」に関する研究が不十分で、種々の誤謬が含まれている事が分かったので、元々は日本神話についての疑いに始まった古代研究の過程で、「日本書紀」の著作問題、「法隆寺」にぶつかったのであるが、「神話」と「記紀」に関しては書き直すしかないので、先にこっち「隠された十字架」を出版する事になった、みたいです。
「記紀」が藤原不比等の手によって作られた、編纂した、実際に書いたというより、こう書くべし、みたいな指針を与え、目的に沿っているかを総チェック、みたいな感じ?ここんとこはしにあさんが別件で(持統さんがやってた、と)検証してあったのと同様な手口ではないかな〜。
「記紀」の神話は、律令体制に応じる宗教改革の為の神話であった、については「隠された十字架」の中にも、相当詳細に記述あり、平城京遷都に先んじて神社仏閣を藤原家がいかにして乗っ取り、平城京の一等地に移したか、同様に神社も然りで、神社と仏閣に相似の関係が見られ、仏教政策と神社政策に言及しています。
藤原氏は、天武〜持統の直系の皇族を、アマテラス神話によって他の皇族、臣下と区別して絶対化、その背後にある自分たちの政治権、軍事権、祭祀権独占の主張を神話に盛り、出雲はこういう政治体制に邪魔になった古い神様を流した場所である、というような、藤原氏が自家の正当性を確立するために「記紀」編纂を積極的に行った、って視点で梅原氏は、事細かな検証を延々と((-。-;)著述されています。
私の手元にある「隠された十字架」は、法隆寺は誰が、何故、何の為に建てた?がメインテーマではありますが、当然そこに藤原氏の関与が疑われ、仏像の背銘と寺の縁起、資材帳、まで読み解いて、そこにどんだけの嘘や脚色が盛り込まれ、それは何の為に、誰の為に必要な嘘、捏造なのか?聖徳太子は何故、ここまで聖人化されなければならなかった?などなど、まだ3分の2しか読めていません(TT)春眠暁を覚えず、でございます。
しにあさんの質問への回答にはなりませんが、とりあえず、わたくし的まとめ?中間報告にかえさせて頂きます?
不比等が出仕前、若かりし頃、高僧について勉学に励んでいた、的な話はどっかで読んだ気がしますが、語学力については分かりません。律令制作過程には深く関わっていたようですが。「神々の流竄」を読むべき?
コロナ、と、しにあさん、mistral さん、前日光さんのせいで、もとい、おかげで、ずるずる→ずぶずぶ、と、泥沼にハマりつつあります(;o;)
どんどん、地中海が遠ざかる〜2021年03月24日10時02分返信するRE: 中間報告?
詳細な中間報告ありがとうございます。
要らぬ負担をおかけしたようで申し訳ありません。
梅原を読んでいて、それらしきところがあれば教えていただければいいので、あまり深く突っ込まないでくださいね。
「藤氏家伝」も、もちろん現代語訳ですが、かじっております。ご存知の通り、肝心の不比等の条が抜けております。なに隠しやがったという感じです。
それでも不比等の長男武智麻呂伝で時々出てきます。30才で就職するまで、無職の冴えないおっさんです。糟糠の妻娼子さん、子供2人かかえて、苦労したんじゃないかな。
後年、政界の黒幕で色々しでかしたという印象ではないのですが。
勉強したとすればこの時期ですね。妻に畑で大根でも作らせて、自分は勉強していたのかな。なんか、ふテー野郎だ。
2021年03月24日12時01分 返信する -
わくわく♪
しにあさん、朝もはよから、の投稿でござ~い
昨夜は、現場に辿り着くまでのby夫by妻さんのわくわく感を共有させて頂き、光栄に存じます♪
タイムトラベルして、一瞬彼彼女(FDII 、マキャベリ、大来皇女)と同じ時空を感じたり、彼彼女の触った柱、机、樹木に触れられるのも、こうやって、現場主義、現地取材を徹底される人だけに与えられる特権ですね^ ^しにあさんのブログが膨大な下調べを基に作り上げられる、その一端を覗き見させて貰いました。
このシリーズ10巻の中にも重量の大小があるのも、もしかしたら、決して筆が速い方ではない(らしい)気まぐれby妻さんのお尻を叩いたり、飴と鞭?で催促する、作者兼編集者しにあさんの苦肉の策?苦労の結果なのかな~、などと想像しています。
以前しにあさんに教えて頂いたカントーロヴィッチも、塩野さんも、歴史学者という範疇外の立場だからこそ許される、史実として不明な部分を自身の想像で埋める、創造の羽根を広げているから、私たちには面白い♪
先日図書館が開いたので、リクエストしていた45年前にめっちゃ影響受けた本を借りました。梅原猛氏、学会の常識に捉われない大胆な仮説を数多く展開、多くの議論を巻き起こした、国文学、考古学、歴史学の立場からの批判も多い。mistral さんも読まれたらしくて、私も今回法隆寺を訪れた事もあり、読まないではいられない、という立ち位置?まだ途中ですが、45年前、自分がなぜ藤原不比等に傾倒していたのか、の謎は解けました(笑)
梅原猛氏の「記紀」の作者は藤原不比等、説、しにあさん的にはとんでも説かも?長くなるのでここでは書けませんが、自分のブログ内で少し触れられるといいな~
と、いうわけで(←無理矢理まとめ)、カントーロヴィッチも塩野さんも梅原氏も、巻末に載せられている膨大な資料、文献を読み込み、現地に赴く、という土台、基礎の上に繰り広げるロマン、でございます。私、改めてby夫にも清き一票を捧げます♪その上にこそ花開く、ロマン派by 妻にも、一票を^ ^
そして、持統>天武、by妻>by夫の方が“世界は楽しくうまく廻る”にも一票を♪(大>小、強>弱、記号)
長いなあ(ーー;)Re: わくわく♪
いつもながら中身の濃いコメントありがとうございます。お待ちしておりました。長いの、全く問題なし。
梅原猛、若き日(もあったのです)、私も読みました。
記紀編纂不比等説は衝撃でした。口出しした可能性はあると思います。細かいことは覚えていません。
実はこの後鎌足さんにも出演してもらうことになり、不比等さんもかなり重要な役を演じてもらいます。
それでちょっと調べたのですが、「日本書紀」の枝葉の細かい部分まで、不比等がいじっていれば別ですが、介入はそれほどではなかったのではないかと思います。
梅原猛をこれから読み直されるのであれば、不比等がどれくらい漢文ができたか、あるいは中国語のオーラルができたか、梅原が論じていれば、場所だけでも教えてください。あれ、たしか猛烈に長いはず。
書紀では渡来中国語ネイティブが書いた部分と、漢文ができる日本人が書いた部分がはっきりわかるそうです。最終的には中国語ネイティブが校正しているはずなのに、それが残ったということは、最終校正の会議(そんなものがあったとしてですが)で、渡来中国人ライターの日本語オーラル、日本人ライターの中国語オーラルに問題があったのではないか。
不比等の中国語レベルがわかれば、その辺を糸口に介入の度合いと部分が見当つくのではないかという魂胆です。
編集責任者、舎人親王、実は漢文あまりできなかったことになります。名目だけの編纂者で、実は現物読んでなかった、なんてないですよね。
By妻は書き始めれば一気呵成なのですが、なかなかその気にならない。飴は慣れているので効果なし、鞭は取り上げられてこっちがぶたれるのがオチで危険です。
成り行きですので、分量質ともバラバラ。2021年03月23日09時46分 返信する -
追っかけ。
しにあの旅人さん
こんにちは。
「大来皇女の追っかけをやってまして、跡地を是非に。」としにあさんが話されると
若き考古学者はニコッと微笑まれ、、、
この辺りの記述が、お互い同好の士同士のやり取り、空気感が伝わります。
考古学者はお若い、一方のご夫婦はしにあ世代 (ごめんなさい)
それでも追い求めるものが同じだと年齢を超えますね!
この辺りがピンポイントでまさに皇女が立った場所、との特定に至り
そこに立てた喜びはどれ程のものか?
もちろん、より喜びが大きかったのは、by夫さんなのでしょう。
私も、アビニョンの法皇庁のプティパレにチェーザレが一時期滞在した
と知り、2度ほど内部の見学に臨みましたが、2度とも休館日に遭遇。
次なるチャレンジはいつになるのやら?
斎王宮、あまり使われた痕跡がないとすると
やはり大来皇女を都人から目に触れないよう閉じ込める為の施設だったんでしょうか。
全容の解明まではあと100年はかかる、なんて!
ぜひそのあかつきには、再び開催されるだろう現場見学会にお臨みください。
mistral
Re: 追っかけ。
遺跡発掘現場というのは初めてでした。実際に掘っていたらもっと面白かったでしょうが、邪魔になります。飛鳥時代の表面を土が1mも覆っていて、木が根を張っていました。1300年以上前の話ですから、しょうがないですね。
キュレーターさんたち、親切でした。自分たちの仕事に興味を持ってくれるというのは、嬉しいのかもしれません。不要不急の1300年前の遺跡の発掘なんて、「え~」という人もいるでしょう。でも100年かかるなら、づっと続けなければなりません。私たちはなにもできないけれど、興味を持って、駄説珍説妄説でもなんでも、こういうブログで紹介する意味もあるのかなと思いました、
当時の地表が1m下とすると、大来ちゃんが174センチ、By妻が152センチ、胸のあたりに大来ちゃんの顔がくるかな、などとつまらぬ計算をしました。
アビニョンのチョーザレの痕跡など行ってみたいですね。いつになることやら。ワクチンが普及すると、「もう大丈夫、ヒャホー!」ということで、みんな出歩いちゃって、感染そのものは拡大するかもしれないそうです。外国は当面、多分2、3年、無理じゃないですかね。
という私も、gotoが再開されたらと思って、国内ですが、計画だけは立てています。
飽きたなあ、コロナ。2021年03月23日07時10分 返信する -
歴史の現場に立つ
しにあの旅人さん おはようございます。
期待に胸膨らませて(冬のスズメかっ)、発掘現場に向かう高揚した気持ちが伝わってきます。大勢の見学者の前に出て、教授の言葉を一言も逃すまいと、身を清め、襟を正し、爪を切り(笑)、戦場に赴くますらおのごときしにあさん、そばで冷ややかに見つめるby妻さん。こんな光景が目に浮かびました。
しにあの旅人さんを凌ぐ名文、ユーモアでも夫を超えています。しかし、ロマンを追い求める気持ちは全く同等、素晴らしいご夫婦ですね。
私の家も遺跡の中、発掘も庭先で行われました。よろしかったらご覧ください。
https://4travel.jp/travelogue/10800565
pedaru -
大来の潔斎場所?に大きな欅と白い長い棒(?_?)
ギャーーッ、それは怖すぎる(@_@)
私も八岐大蛇の話を好き好んでしますが、実は蛇は苦手(;´Д`)
ぐにゃぐにゃと動いたのではなく、横にコロリと。。。こ、怖い!
棒になって、飛んで来なくて良かったですね!by妻さん。
大来も触ったかもしれない欅の木、娘の大学受験の時の小論文のタイトルが「接触」、どうした?何を書いた?と聞いたら、修学旅行で行った京都のどこかに織田信長(?かな?これはあやふやですが)が腰掛けた石だったかがあったので、その石に自分も座り、戦国武将との「接触」体験をした記憶について書いたとか。
ふむ、いい線いくかもと思ったら、合格しました!
いろんな場所を旅していて、そういう痕跡があると妄想全開します。
隠岐の島で「後醍醐天皇御腰掛けの石」なるものがあって、娘と同じような気持ちになりました。
ところで、大来の身長ですが、175㎝はないでしょー( ̄△ ̄)
でも松下奈緒さんならOKかな。
天海祐希さんだとすごく素敵なのですが、ベルバラっぽくなって、軍服を着せたくなりますねぇ。
もちろん和田アキコはないでしょ!
でもいずれにしても、大来の身長は高くても160㎝くらいですよ。
背が高い大来は考えられませぬ。
だって現皇室は、みなさん背は低めではないですか。
遡って考えてみても、ご先祖が高身長とはどうしても思えませぬ。
と、どうしてもキャスティングの話題になってしまいまする。
それくらい、この話題は面白いということで。(^_-)
前日光Re: 大来の潔斎場所?に大きな欅と白い長い棒(?_?)
おはようございます。
↓のkumminさんへの返事で思いついた、大来大津を宝塚の男役2人でやるというアイデアはいかが。当然男役さんの小さい方には例外的にのっぽの娘役をやってもらいます。問題は185センチの宝塚さんがいますかね。非常に妖しい雰囲気になると思いますが、綺麗でしょう。
身長174ですが、大来の「ウマつかるるに」の歌の解釈で、比喩的な表現ではなくて、本当に馬が疲れる大女だと解釈しました。体重65kgくらい。身長160でこの体重だと、適正体重は56kgですから、かなりのぽっちゃりさん。逆に適正体重が65kgだと、身長は175cmくらいないと困るのです。大来皇女を太めにできないし。ここも苦心の、大好きな、数値計算。
欅を使ってのタイムトラベルは、この手の話は、マキアベリ山荘訪問などで何度か使いました。2年前くらい。誰も覚えていまいと思ったのですが、kummingさんが覚えていた。反省。以降気をつけます。
それだけ印象的だったということで、自画自賛。2021年03月13日06時58分 返信する -
こっそり、出席いたします・・・。
先生こんにちは。
そろそろ今回の授業の出席も、取り終わったようなので。
こっそり教室へ入ってみました。
落ちこぼれなので・・・
ちょこっと「屋上」にいて空気を吸っていたら・・
春の温かい風に当たって。。ついうとうと。
どうせ、たいしたコメントもできないから・・私はいいやって。
ちょこっとお休みモードに入ってました。
が、しかし3月!!!。
進級だけはさせてもらおうと。
出席だけはしておいた方がいいだろうな。
そう思って・・慌てて教室に戻ってみました。
どうぞ、どうぞ、授業をお続けください。
教室の窓から外を眺めながらでも。
ちゃんと授業は聞いておりますので。
奥様が白いへびを見かけたとか・・
昔にしては大柄な女性だったとか・・
今度千葉に行ったら、新名所の市川市役所の
「お清めの滝」を見学しなくては・・・とか
先生のお話も。お友達のお話も・・・・・
ZZZ・・・ちゃんと聞いております・・・ZZZ
むにゃ むにゃ・・。
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補助線、XYZ ^o^
(のっけから批判するつもりは毛頭ないのですが)大来皇女の性格想定を姉弟は似ている?が根拠にされ、うちの兄妹が真逆なのは例外なのだと言い聞かせつつ、読み進みます♪
飛鳥時代の日本人身長が現代人より高かったんですか?や、びっくりで~す。でも、大来もうたに詠んだ“馬つかるるに“、センス良い♪
キャスティングで天海祐希、米倉涼子が新たに参戦していますね、ももさまオシの川口春奈ちゃん、前日光さんオススメの北川景子は、身長足らずで選考対象外?両者も捨てがたいし、まだ子役は候補すら上がっていません。ジョボビッチさん、ジャンヌダルクやfifth elements の女優さん、日本人以外も選考対象?そうなら、幅が広がります♪
斎宮、斎王って、私は源氏物語で知りました。読者三昧受験の夏、もちろん現代語訳で谷崎潤一郎訳と与謝野晶子訳、所謂”夜這い“のシーンに興味津々、という不純な動機^ ^中学生の時からおフランス映画にハマって、濡れ場、的な映像はいっぱい見ていたはずなのに、文章で表現されるそのモヤもや感、想像力を刺激されたのでしょうか?
話がずれて来ましたm(_ _)mとにかく、斎宮に推される方は身分高いけど、薄幸な雰囲気、貴い役を担っていても都落ちさせられる、不遇な、時に気がふれる女人もいた、という認知度ですが。
悪徳代官と役人の会話、さもありなん、現代の官僚と政治家にも似て、トップの為に悪知恵絞る官吏の姿は、書き下ろしby妻、出典日本書紀、納得でございます♪
そして、このブログの隠しテーマ、補助線^o^ 今後、物語が佳境に向かう伏線?問題の図形には(歴史上の史実には)ないが、証明(捏造、創造)を都合よく進める為に引く。「補助線ばかりじゃないか!」などと、畏れ多くて口が裂けても申せませぬ、絵楠、和伊、説兎、しかと記憶に留めます?
小夫天神社でタイムスリップ、大来との手触れ事件♪以前、チェザーレ、FDII、マキャベリ、とも同様な体験されていて、その能力(時を超える?)分けて頂きたい♪
学問的に正しい事は時につまらない、って事で、ますます想像の翼広げ羽ばたき、大風呂敷開いて下さいませ~
年初の誓い、カキコは短く!とうに崩壊したみたい(ーー;)
Re: 補助線、XYZ ^o^
コメントありがとうございます。
私は一人っ子ですが、By妻は性格は別にして、兄貴によく似ている。友人で双子かと思うのがいます。で、とにかく似ているということで。
外国人がキャスティングに上がっておりますが、大来さんは、その昔ペルシャからの渡来人の子孫の隔世遺伝ということで処理するのでOK。平城京ではペルシャ人が働いていた記録があるので、なんとかなる。
ももであさんもBy妻も和田アキ子に拒否反応ですが、彼女は若い頃は結構可愛かった。中学1年で柔道初段だそうで、桑名ではその頃のアキ子さんを連れて来れるならバッチリなのですが。
すごまれた草壁さんなんて、トラウマになったでしょう。
ただあんまり宝塚的ではないです。
たしか1973年だと思いますが、宝塚がパリで公演しております。私は見ておりませんが、倒錯の美ということで、大受けしたそうです。いっそのこと大来大津は宝塚の男役2人でやったら、ビューティフルかも。でも二重三重にやばそうな雰囲気になりますね。
源氏の現代語訳は、谷崎がたしか一番やばいんじゃなかったかな。それを中学生で読むとはかなりのおませさんでした。私は、例のなんでもそっちに話を持っていく尼さん現代語訳で読みました。もうじいさんでしたから、ふーんでしたが。
補助線使っての大風呂敷は、ご期待ください。便利ですよ。家持の所でも使おうと思っているのですが、前日光さんが卒論家持なんですよね。多分激怒するんで、どうしようかな。2021年03月10日13時07分 返信する訂正、ついでにみんなの掲示板m(_ _)m
源氏物語読んだのは受験生の夏休み、高3夏、でございます。意味なんて分かるはずもない…。
訂正ついでに、お断り、お願いを一つ。先日ちょっとお出かけしまして、近日中に旅行記up予定してます。1番目と3番目に”しにあさん“のお名前を拝借しても宜しいでしょうか?(他にも増えるかも(ーー;)
2番目にはももねこさま、他にもmistral さんにもお名前だけお借りするかもしれません。ココで聞いてもカキコ見ることが前提になりますが、異論無ければ、異議なしとみなします?
みんなの掲示板どころか、自前の宣伝?m(_ _)m2021年03月10日14時03分 返信するジョボビッチさん
ジョボビッチさん長らくバイオハザード女優が定着してましたが、
最近モンスター・ハント女優に転身です♪
しかもYouTubeで全編見れるという\(^o^)/
https://www.youtube.com/watch?v=MFQ37QdtQag
なかなかおもしろい映画でしたよ。2021年03月10日18時36分 返信する -
キャスティング変更 (T_T)
天照大御神ともなれば、自分で何でもできると思っていましたが、
斎王という職業があったのですか。今の伊勢神宮はどうなのでしょう?
ちゃんと税金から給料ももらえる。ただし身を清める必要がある。
最近似たような話を聞いたことがあります。市川市の村越市長が、
身を清めるため!? 360万円かけて市長室にシャワー室を設置
お金の出どころは、pedaruさんからの血税
市長と設置業者 「下総屋、お主もワルよのお...」
同じ長崎県民として、絶賛イチオシだった川口春奈ちゃん
身長166cmなら十分かと思いきや174cmですか
ショックでございます^^; やむを得ず...
でも和田アキ子は ご勘弁を。それで... 新キャスト案
#1) 松下奈緒 174cm 美貌
http://bit.ly/3bu97Fl
#2) ミラ・ジョボビッチ 174cm 美貌、目力強し、迫力あり
http://bit.ly/3v1d2B0
#3) ついでに馬:黒王号(北斗の拳 ラオウの愛馬)
https://bit.ly/2OfyKkfRe: キャスティング変更 (T_T)
おはようございます。
古代の日本人は背が高かった。ちっこいのがチマチマと動いていたんじゃなくて、百済観音みたいなのが、町中ゆらゆらと歩いていたのかも。
法隆寺にはもうお一方ナントカ観音という方がおられますが、彼女も長身ですよね。ああいう体型が普通だったのかも。
後年ですが、斎王の月料をどうするかとか、延喜式に決まりがあるそうです。立派な国家公務員でした。いくらくらいかな。伊勢どこだかの田んぼを収入に充てるんだったと思います。
斎王が「アタシ、自分で稲刈りする!」とかは言わない。
斎王宮には、全国から貢物が現物で入ってきて、結構実入りが良かったようです。食事なんか、豪華。儀式のご馳走なんて、手をつけないでスタッフに払い下げていたらしい。
当時から伊勢海老っていたのかな。伊勢海老食い放題!
地元松阪肉とか。
羨ましい。2021年03月10日06時56分 返信する -
大来のイメージが。。。(>_<)
こんにちは、しにあさん&by妻さん。
私の大来のイメージは、このブログとは正反対で、芯は強いがおとなしめの女性なんですよねぇ。
ま、これが一般的ではないでしょうか?
でも、by妻説など伺いますと、利発、活発、気が強いもありかと、だんだん長年のイメージが崩れつつあります。
菟野さんが、大来を敵視するようになった理由が、彼女が草壁との縁組みを断ったからというのには、さもありなむと思わざるを得ません。
大津と共に育ってきた大来から見れば、弟以外の男の子は、みんなクズと思っちゃうかもね。
加えて超マザコンの草壁ですからねぇ(-_-)
彼なりの「やさしさ」という美徳は備えていたと思うのですがねぇ。
でもやっぱり大来は芯は強いが、見た目ははんなりだったんじゃ?という長年の思い込みを、まだ消去できません。
キャスティングですが、だから菟野ちゃんは尾野真千子ってダメですかねぇ。
天武は、向井理くんです。草壁は綾野剛くん。
大来は北川景子ちゃんなんて、どうでしょう。(子役が必要ですが)後年の大来は北川ちゃん推しです。
大津は、ああ、春馬君が生きてたらなぁ。。。(T_T)
とにかく桑名郡家での数ヶ月が、菟野と大来大津の運命を決定づけたという説には頷けます。
子どもの持つ資質というものには、真実味がありますからね。
と、しにあ説によれば、大来は後年、確か馬にまたがって母大田皇女の陵を訪ねるのでしたよね。
となると、やはり幼少時は才気煥発でないと、この行為に繋がりませんね!
でも乗馬姿の北川景子ちゃん!イケテルと思うのですが(^_^)v
前日光Re: 大来のイメージが。。。(>_<)
コメントありがとうございます。
六国史は日本後記まで読みました。この時代の日本女性は、事前のイメージと違って、非常にたくましいので驚きました。女帝が何人もいて、彼女らがみんな個性的。ご存知持統さんを筆頭に、孝謙天皇なんか、なみいる男どもを撫で斬りにしちゃうわけです。特に孝謙さんは、気に入らないやつにあだ名をつけて追放するとか、ボス女子中学生の意地悪みたいなことをしている。
こういうのを読んでいると、我らが大来さんも、大人しいお姫様には思えないのであります。次回からいよいよ真打登場です。芯は強く、見た目もすることもギンギンというイメージでやります。
北川景子、調べましたよ。大人になってからは、シナリオ上26から41までなんですよね。伊勢から飛鳥に帰ってきてから、それからの大来にはいいかも。ももであプロの川口ちゃんとダブルキャストでやりますか。
皆さん、キャスティングで楽しんでもらって、作者としては嬉しい限りです。2021年03月05日14時56分 返信する -
大来皇女
しにあの旅人さん
おはようございます。
壬申の乱、思わぬところで出会った題材についついハマって
私もしにあ監督さんの映画化に向けてのプロジェクトのメンバーに
入れていただき光栄に存じております。
あちこちでの拾い読みで、すでにどこで?と考えても思い出せず、、、
白村江の戦いの折、天智ファミリー、天武ファミリーは九州に向かいましたが
生まれたばかりの大津、幼少の大来皇女2人は
のちに先に都に戻る天智さんに託された、との記述を読んだように思いました。
(年代考証、あってますか?)
2人にとっては生みの母の記憶がないのは勿論のこと、父親の顔さえ
わからなかったと思います。
それがいざ決戦となって実の父親のところに呼び戻される事になり
特に難しい年頃にさしかかる頭の良い女の子、
「ふん、今頃になってなにさ!」って反抗的だった事、想像できます。
そのあたり、by妻さんの説にも通じて、義理の母、実夫、2人にとって
大来は、頭が良い上に余計に扱いにくい女の子だったのではないでしょうか。
草壁なんて眼中にもなかったのは当然、、、
そしてやがては都から離され、おのこたちから目の届かないよう斎宮として
伊勢へ送られてしまう。
天武ファミリーに生まれたことが(この時代、仮に天智ファミリーだったとしても)
不幸な事でした。
次回は、当時は伊勢神宮はなかった、ではどこに?
を紐解かれるとの事。
楽しみにしております。
mistralRe: 大来皇女
いつも読んでいただいてありうがとうございます。
姉弟の母太田皇女が死んだのは大来6歳大津4歳、もう一つ小さかったかもしれません。その後天智天皇に育てられたのは分かっていますが、実際に育てたのは倭姫という説が、学者にもあるようです。
最近資料を調べていて、近江に行く前は、大津は飛鳥岡本の宮で育った可能性があることがわかりました。この時学問はバッチリ仕込まれたようです。
天武天皇が引き取って、誰かに育てさせそうなモノですが、そうなっていないのは不思議。菟野皇女がお姉さんの太田皇女と仲が悪かったのかなあ。このあたりになると、発言小町のレベルで、話のレベルがグッと落ちます。
桑名で菟野皇女と大来が2ヶ月一緒だったのはほぼ間違いなく、その後の成り行きだと、ここで相当激しく2人がやり合ったのはあり得る。11歳8ヶ月が28歳になんかで反抗した。28才も大人気ないとは思いますがねえ。草壁の嫁になれというのを、大来がにべもなく断ったというBy妻説は、かなりあり得る線だと思います。アカンベーくらい憎たらしく言ったかも。
当時13歳くらいの結婚は当たり前でした。確か、菟野が天武と結婚したのは、そのくらいのはずです。
大来は色々面白そうな娘さんです。でもなんか、扱いにくそう。2021年03月04日16時24分 返信する



