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しにあの旅人さんへのコメント一覧(34ページ)全577件

しにあの旅人さんの掲示板にコメントを書く

  • お猿さんに負けられません♪

    しにあさん、こんにちは♪
    カキコ1番のりは気が引けますが(ーー;)
    こんな鄙びた、いえ、うらびれた、もとい、地元の人以外、人知れずひっそりとある神社寺に気づかれ心惹かれられるby妻さんの目利き?嗅覚?ーに驚いています。

    ほっとするようなお社の、よく手入れされているとはいえ、小さな村落の氏神様くらいの規模の春日神社。ご紹介の佇まいは、確かに雄略天皇の勇猛なイメージにそぐわないかもですね。雄略天皇のゆかりの神社とは意外な感じ…。

    赤猪子のお話は、一体何をいわんとす?
    雄略天皇が老婆を追い返すに、自分が老齢ゆえ、と女を気遣う温情を見せた、って所を強調したいのかしらん? けんもほろろに叩き出す、ではなく、お土産持たせて懇ろにお引き取り願ったと。大体、何十年どころか、数年も待たないな~、ほかにいっぱい楽しいこと見つけて遊びます♪ (←私のばやい、ですが)
    ここまで、「六国史の旅 神武東征 庭付き一戸建て→3畳1間」の予告??

    向原寺
    「難波の堀江に捨てられた」→大阪西区の堀江→善光寺に捨てられた仏像←善光寺の起こり
    「難波の堀江に捨てられた」→向原寺の門前向かって左に「難波池」小さな池→江戸時代に仏像の頭がみつかった
    どっちどっち??
    by妻さんの北九州出身の女性を見事に的中させる凄技、出身がバレているので、残念ながら、「私」で試してはもらえません(;o;)

    脇目もふらずテーマに沿った旅を強行するby夫に連れ添い、いつも行きたい処を素通りされていたby妻さん!?
    夫唱婦随の鏡のようなご夫婦、と思っておりましたが、意外にもそれは一方の寄り添う気持を頼みに、結構独りよがりな関係だったと(°_°)とはいえ、ご趣味、興味を共有されているからこその、テーマに沿った旅ですね。今後は、by夫さんの「妻のいう事をきくと良いブログがかける♪」この気づきを糧に、ますます仲良しこよし旅が展開される事でしょ~^ ^

    私も、しにあさんに教えて頂いた先日の失敗を猛省して、お猿さんには負けられません?!
    2021年06月01日17時54分返信する 関連旅行記

    Re: お猿さんに負けられません♪

    三畳一間の旅はやってみたい。でも宮崎に行かなければなりません。一度行ったことはあるのですが、当時こういうブログやるとは思いもよらず、写真がありません。高千穂の夜神楽なんかもちゃんと観たんだけどなあ。今年の秋、福岡のお墓参りのとき、行ければ行きたいと思っています。九州は大分や、対馬も行きたいし、行きたい所ばっかりで困っています。全部コロナ次第。
    1回目のワクチン、予定通り昨日行ってきました。左上腕部が痛い。インフルエンザのワクチンではこういうのありませんでした。だんだん奈良旅に出られる条件は揃いつつあるみたいですが、あとは向こうが来ていいよ、ってなるかどうか。

    仏像さんは、結局どっちなんでしょうね。
    最近、聖徳太子の件で書紀と、隋書倭国伝を丁寧に読んでいるのですが、記事が両方一致するケースがあります。藤原不比等もまさか隋書まで改竄できない。
    仏像の件はさすがに隋書には出てきませんが、書紀は思ったより以上に史実をちゃんと書いているのではないかと思うようになりました。
    「難波の堀江に仏像を捨てた」という書紀の記事は多分史実。とすると、近い豊浦の池の方が分があるように思います。

    旅行の日程を作るとき、何時何分発ー目的地まで13分、なんてのを見せるのですが、こういうのだと自分の希望を言う気力がなくなるみたい。とにかくもうちょっと余裕のある旅にして、楽しい所に飛び込みで連れていったもらいたいと思っています。
    2021年06月02日05時48分 返信する
  • 間に合います♪

    しにあさん、by妻さん、こんにちは♪
    「日本の神々は自ら私たちに語りかけることはされません。ただそこに鎮まっていらっしゃるだけです。『なにごとのおはしますか知らねどもかたじけなさに涙こぼるる』西行のこの歌が、私たちが神社をお参りする理由の全てです。なにかある尊いものとの出会いを求めて、神社を訪れます。」

    宇陀、初めて耳にする地名(ーー;)
    平凡な道の先には平凡な終点、との予想を裏切る、突然目の前に広がった「こけつまろびつして下りるべき別天地」とは、↑そのような心持ちで神社を訪れていらっしゃるお二人だからこその、感慨深い思いでしょうね。
    信仰心、ということが、どうしても分からなくて、学生の頃からネックになっていると思います。それで、どうしても、知識偏重なアプローチをしてしまって、今に至る(笑)進歩していない(ーー;)無心に祈る、信じる、ゆだねる?

    阿紀神社の手水舎が本来のあるべき姿なのかもしれませんね、小川のせせらぎが今にも聴こえてきそうです♪ 繭玉のようなクリーム色の木の実、ですが、7~8年かかるから間に合わない、って???いやいや、絶対間に合います!by妻さんは、by夫に内緒で木の実を持ち帰り、きっと種を植えられたにちがいない^o^ 次の人任せにしないで、ご自身お庭でご確認下さいませ~

    そして、ここか、かぎろいの丘あたりで、吉野脱出一行が昼食をとった。万葉集、とか、柿本人麻呂、につきましては全くの門外漢ですので、コメント控えさせてm(_ _)m
    「ひんがしの~」はきいたことある、レベル…。

    薬猟、薬狩り、初耳でございますm(._.)mまあ何やら楽しげな、当代セレブの屋外大イベント♪ 豪華メンバー揃い踏み^ ^
    『あかねさす むらさきのゆき しめのゆき のもりはみずや きみがそでふる』
    額田王と大海人皇子のやりとりで有名な歌ですね。2人は結婚していたけど、今は額田王は天智天皇の恋人で、昔の関係を公の場で歌にした、みたいな?たぶんこれももはや文春ネタにもならない公然の秘密で、歌人として場を盛り上げる余興、当意即妙を競って“粋”をきどった、って話ですか?

    これ以上引っ張ると、ボロが出そう(←もう出てる!)なので、この辺で。
    それにしても、万葉の世界とか詳しい方々がいらっしゃるはずなのに、なんで私みたいなド シロウト がカキコするかな~!?

    611年~692年、81年間の歴史ロマン、期待しちゃおう♪
    2021年05月21日17時22分返信する 関連旅行記

    Re: 間に合います♪

    おはようございます。
    古いブログを引用していただいて、ありがとうございます。
    初心に返って、これからも神社参りを続けます。

    ヨーロッパの神様はおっかないですからね、ああせい、こうせい、ちょっと間違えると「地獄だー!」でしょ。石造りのカテドラルは威圧的ですが、日本の木の神社は優しい。地獄だの天国だの言わないし。

    私たちは、ブログのシナリオを考えて、邪心を持って神社に行くのですが、行くとそのシナリオが変わってしまいます。この阿紀神社なんて、消しゴムでゴシゴシと言う感じで、その場でやり直し。そんなのばかりです。
    結果的に、無心と言うことになります。結局、相手が素晴らしすぎるということのようです。

    By妻はカリンを持って返ってきました。どこ行ったかな。その辺に転がっていたのですが。あ、内緒で植えちゃったかもしれない。

    宇陀とか吉野、すごい山の中。でも低くてなだらか。日本人って、昔からああいう低い山が好きなんだなあ、とつくづく思います。
    狩りだって、大変だったはず。森は雑草の下草がはびこって、馬で突っ込んだら絶対転ぶ。ヨーロッパの森って、下草が少ないでしょう。馬が入れます。

    僻地房総でも25日からワクチン接種の予約が始まります。どこでも最初は混雑しているみたいです。朝8時半、私はネット、By妻は電話で、レース開始、なんか、不謹慎にも、楽しみ。
    2021年05月22日05時51分 返信する
  • かぎろひの丘

    こんばんは、しにあさん&by妻さん。

    何度も標識だけ見て通過していた宇陀方面。
    ここも長年の憧れの地です。

    万葉集をひもといて、人麻呂に惹かれない者はいないと思います。
    ましてや人麻呂は、岩見国と深い繋がりがあります。
    益田の人麻呂神社にも行きました。
    周辺の人麻呂にまつわる場所にも行ってみました。
    人麻呂は、あまりに大きくて近寄りがたい存在で。。。

    しにあさん、旅行記を拝見していると、行きたいところばかり増えて本当に困ります。
    今度は阿紀神社ですか、神楽岡神社も。
    特に阿紀神社の手水舎、澄んだ川の流れを実際に感じてみたいです。
    花梨の美しい実と、かぐわしい香りも嗅いでみたい。
    山道をホトホトと歩いて行くと、豁然と広がる桃花源の村に出くわすような体験をしてみたいです。
    そんな夢みたいな気分を味わえる場所が、現代に存在しているとは!
    推古19年(611年)夏5月5日、菟田野の薬猟での、まだまだ美貌の衰えない推古天皇の姿を妄想してしまいます。
    そういえば「推古天皇陵」は、たいへん清々しい見晴らしのきく場所にありました。

    阿紀神社も神楽岡神社も、コロナ禍でなくても人は少ないと思われます。
    今のパンデミック騒ぎが収まった後でも、このマイナーさは続きそうですね。
    次回の奈良旅は、やはり宇陀を中心に巡ってみたいです。

    私の好奇心を刺激する所ばかりのご紹介、恨めしく且つありがたいです<(_ _)>


    前日光
    2021年05月20日23時57分返信する 関連旅行記

    Re: かぎろひの丘

    おはようございます。
    前日光さんは夜方のようですが、私は完全な朝方です。

    コメントありがとうございます。
    益田の人麻呂神社は、萩から出雲に向かう国道に、案内が出ていたのを覚えています。先の予定が詰まっていたのでパスしました。「また来ようね」とBy妻に言った覚えがあります。気休めでしたね~ 余裕のある日程にして、気がついたら行っておくようにしないと、こういうのはダメですね。「こんど」と「また」はない。

    阿紀神社は、神社には失礼ですが、掘り出し物でした。車のナビが知らないと言い張るのですから、誰も行かないのでしょう。かぎろひの丘は万葉の聖地で有名なのに、5分も歩かないこの神社が無名なのは、驚きです。
    手水舎は、本当に、昔はこういうところで禊をしたのでしょう。ただ私は岸辺にしゃがんで手を川につけたら、腰が痛いので落っこちる。昔は、川にはいちゃったのではないかと、By妻が言っています。斎王宮のイメージビデオで、斎王が白無垢で水に入っているシーンをみました。それって、キリスト教の洗礼と一緒ですね。
    大宇陀の街道も、もっと歩いてみたかった。これも予定に追われた失敗です。
    推古天皇陵は何回も近くを通りました。これはまだ行く機会はある、はず。

    推古さんは、わざわざ書紀が書いているくらいなので、本当に美人だったのでしょう。聖徳太子の時代には、相当漢文教育が進んだはずで、当時の記録があったはず。乙巳の変の時に蝦夷が燃しちゃったことになっていますが、正式文書は別として、メモくらいなら、かなりが日本書紀の編纂時くらいまでは残っていたと思うのですがね。
    どこかの旧家の蔵から、その写本が出てこないかな。
    東日流外三郡誌の作者の気分、わからないでもない。

    「宇陀」って、最初聞いた時は「日本語かよ」と思いました。何か、古代ぽいというか、そのもう一つ昔の名残のような響きに聞こえるのですが。
    宇陀の旅行記、期待しています。
    私は次の旅から飛鳥より北、つまり続日本紀ワールドに重心を移そうと思っています。
    2021年05月21日08時05分 返信する
  • 作戦練りの場所?

    こんばんは、しにあさん
    いいね!してから時間が経ってしまいましたが、どうもパソコンの具合がイマイチ&体調不良等々、でやっとコメントできることに。

    談山神社、友だちの友だちが、この近くに住んでいるらしいとの情報あり。
    「飛鳥坐神社」から4キロの道、談山神社への表参道でもあるこの道が、クーデター計画を練った道?
    まぁ、確かに中大兄と鎌足が、この道をヒソヒソ話しながら歩いていたら怪しまれますよね?だからといって女連れねぇ(^^;)
    蹴鞠しながら相談?絵としてはサマになりますが、息切れしちゃって談合にならない。
    だいたい内緒話をスポーツしながらというのは、無理ですよねぇ。
    はてさて密談は、どれくらいの回数で何人が参加していたのか?
    興味は尽きませんね!

    談山神社は、よく標識なんかを見かけますが、まだ訪れたことはありません。
    山の上の方だから腰に響くだろうなと思うと、躊躇してしまって。。。腰椎を二ヶ所ほど骨折したせいで、歩くとすぐに腰が痛くなってしまい(~_~;)
    でも中大兄や鎌足絡みとなったら、無理しちゃうかもしれません。

    それにしても、この談山神社、「多武峯縁起絵巻」を現代語訳付きで公開しているなんて、なんと太っ腹なことでしょう!
    知りたい好奇心に対して、誠実な対応ですね!
    こういう資料が入手できると、妄想がますます止まらなくなりますねぇ( ̄∇ ̄)

    万葉公園は大原神社と談山神社の、やや談山神社寄りの地点にあるのですね?
    ここも見晴らしがいいので、簡単には行けそうもなく。。。
    早くコロナが収束してくれないと、ますます体力がなくなりますので、今年の夏頃には自由に旅ができるといいのですが。

    しにあさんたちは、また奈良旅の予定もあるようで。
    その旅での情報ゲットまで、しばらくは中大兄、鎌足、不比等などの話になるのでしょうか?
    フツーの旅行記を作ろうとして、つい横道に入り込んでしまうしにあさんたち。
    毎回楽しみなことですよ。


    前日光
    2021年05月15日23時42分返信する 関連旅行記

    Re: 作戦練りの場所?

    おはようございます。
    このクーデター、事前にシュミレーション必ずしたはず。人数が多くて回数を重ねればバレる確率が上がるので、全員参加は直前の1回、10人くらい。「ここで俺が合図したら、お前は門を閉めろ」てな具合。
    前日光さんの場合、学校で、運動会開会式の手順なんか、リハーサルしませんでしたか。
    となると、やはり多武峯山中でしょうね。皇子、鎌足、石川麻呂の幹部3人くらいは、何回も散歩がてら、「やあ、皆さん、いい天気で、どちらへ?」とか言いながら、ヒソヒソやったのではないかと。

    談山神社はおすすめです。オフシーズン、平日、とにかく団体観光客がいない時。わざわざ観光バス専用の駐車場があるくらいで、混む時は混むみたいです。
    お隣2ヶ国の観光客が来る前、じっくりと楽しまれるのが、よろしいでしょう。コロナも恐るばかりではなく、有効利用を図るべき、あれ、不謹慎かな。
    やはり車でしょう。路線バスもあるみたいですが、スポットに書いておきましたが、バス停はふくやの前で、ここから神社入り口までちょっと歩きます。坂道か、階段です。

    多武峰縁起絵巻、神社では品切れでした。ダメもとでアマゾンをあたったら、あった!即ポチでした。やはり欲しがる人は日本中に多いのです。だったら、神社においておくより、アマゾンに扱ってもらったほうがいい、と神社が考えたかどうかが知りません。
    640円だったかな。30ページもない冊子ですが、欲しい人はいくらでも買うでしょう。それをこの値段にしてくれたのは、神社は儲けるつもりはないということで、感謝。お決まりの無断コピー引用不可の脅し文句もなし。ご自由に研究資料でお使いください、ということで、しっかり使わせていただきました。
    法隆寺もこのくらいの太っ腹でやってくれませんかね。天寿国繡帳なんか、書かれている文字の現代語訳付きで出版してくれたら、大喜びで買う人はいると思います。

    コロナワクチンは、我が町では、最短7月3日に2回目が終わることになります。まあ、予定通りには行きませんね。1回目が確定したら、早速旅程を立てるつもりです。
    2021年05月16日06時36分 返信する
  • 六国史の旅 第2章 プロローグ♪

    いつも写真より文字の占める割合が圧倒的に大きい、多い、しにあさんのブログ、今回は写真が多くて大きい?
    ↑フツ~の観光ブログを目指す試みかとお察しします♪

    談山神社、ここが父鎌足の為に息子定慧と不比等が建立したお寺(神社)なのですね。ちょっと前に、他の4traトラベラーさんのブログで拝見した時は、人出も多く、観光地化された神社みたいで、結構人気あるんだ~、と驚いたのですが、しにあさんご夫妻が訪れられた時の様子では、閑散とした静謐な雰囲気の神社に見受けられ、同じ場所とは思えない(°_°)
    乙巳の変に至る経緯、しにあ節面目躍如、やはりフツ~の観光ブログで終わるワケがありません♪ 蹴鞠の席での出会いの後「これより互いに親密になって思うところを述べ、隠し隔ては全くなかった。また頻繁に接するのを他人が疑いはしないかと恐れて、二人共手に書籍を持って、周公、孔子の教えを南淵先生のもとで学んだ。そうして往還の途中に路上で肩を並べて密かに計画し、悉く考えが一致した」 日本書紀のこの場面ですが、確かにこれだけであんなに大胆な計画は練れませんね。大原神社の「ここが談山神社への表参道である」の一文にヒラメき、藤氏家伝と多武峰縁起絵巻に導かれた!さすがしにあさん、でございます♪ 実際に、談所の森、という処があるのですか?二人が密談を重ねた場所として?

    大原神社~二人が初めて出会った蹴鞠の場所、飛鳥寺まで200m、入鹿を暗殺した板蓋宮まで600m、多武峰方面~石舞台古墳へ(下りて行く道が整備され、距離が縮まったそうで)、周遊ルートになりそうです。

    多武峰縁起絵巻の入鹿の首が宙に浮いているシーンですが、私は何処かで入鹿の首が皇極天皇の御座に喰らい付いて(?)、恨めしげに皇極天皇を睨むの図、を見た様な気がするのですが…?入鹿と皇極天皇がただらなぬ関係で、何で私がこんな目に?みたいな入鹿の恨みが現れているシーンとして記憶してます。

    しにあさんの注目点とはズレますが、軽皇子(孝徳帝)が「心ばえ高く立ち居振る舞いが優れている鎌足」の労に報いる為に、自分の寵姫に鎌足のお世話をさせて(おもてなし)、その結果生まれた長男定慧は御落胤?の疑いがあるので、長男なのに出家させ、遣唐使に出された、という説についてはどうですか?不比等にもご落胤説があるとも?いけないいけない、またとんでも説に引き込まれそうです(ーー;)

    おもてなしで子ができる、古代史ロマン(笑笑) 家臣に払い下げられる寵姫の立場になってみると、今ならモラハラ、ジェンダー問題化、必須ですね!

    不比等が歩いた坂道、前回の夏見廃寺、ここ談山神社にも、行ってみたい♪
    今後の展開からも目が離せません♪ ヒーロー、ヒロインはだ~れ?
    2021年05月13日17時17分返信する 関連旅行記

    Re: 六国史の旅 第2章 プロローグ♪

    写真が多くて文章が少ない、バレたか。
    次の六国史の旅がコロナ騒ぎの影響で延期中、ヒロインもヒーローも楽屋待機中です。
    別の話題で当面頑張ります。

    まず上恵ご落胤説。
    多武峰縁起にありました。「上恵」となっています。22段に書いてある。「(孝徳天皇は)懐妊した寵姫(車持夫人)を(鎌足に)賜った。その姫は孕むことすでに6ヶ月であった。みことのりしていわれるには、「生まれた子が男ならあなたの子となし、もし女なら朕の子となそう」と固く約束して見送った。4ヶ月にして産まれた子は男だった。これがのちの上恵和尚である」
    おもてなしではないようです。
    26段に「貞恵和尚は、鎌足の長男だが、実際は天万豊日天皇(孝徳天皇)の皇子である」ともっとはっきり書いています。
    たしか不比等にも似た話が。こっちは天智天皇のご落胤説。
    好きだなあ、昔の人は、こういう話。何がなんでも天皇の御落胤なら尊い、という事らしい。
    んなバカな話はない。ましてや気が強い女が多かった飛鳥時代ですよ。三千代さんにこんな話持っていったら、その場でぶん殴られると思いませんか。
    専門の研究者はご落胤説に否定的だそうです。

    鎌足が優秀な長男を唐に送ったのは、将来外交を任せる気だったのではないかと。今ならハーバートに留学させて、将来の大統領候補と親交を結ばせる、という感じ。唐の将来の大臣、あわよくば次の次あたりの皇帝と友達になってこい。

    皇子と鎌足が談合した場所というには背後の山の中にあります。でも談山神社はBy妻のご機嫌取りに行ったので、その時は深入りする気はなし。後悔後に立たずと申します。それでもBy妻が写真を撮っておいてくれたので、ブログ1本作れました。私はカメラしまったまま。
    このあとあべの文殊院にも彼女のご希望で行きましたが、こっちは気に入らなかったらしく写真なし。
    取材旅行も気を一応使うのであります。

    入鹿の首が追いかけてきたので、鎌足がここまで逃げたという場所があります。どこだか忘れた。気持ち悪いので深追いしません。

    前日光さんやMistralさんも夏見廃寺辺りのそぞろ神に取り憑かれたみたいです。
    Kummingさんも、ぜひこの辺り再訪を!
    旅に行かせる気にさせる、たしか4トラのブログのねらいはここにあるはず。少なくとも少しは効果はあったみたい。
    2021年05月14日08時55分 返信する
  • 私も偏見をもっていました、ごめんなさい

    シニア様 昨日は私の四国村旅行記にコメント有難うございました。
    こういう時は、御礼返礼の為にシニア様の旅行記にいいねしなくてはと新作旅行記を見たのですが、やはり私には難解すぎて読めず、いいねしませんでした。すみません。
    読まずして、見ただけのいいねは倫理違反だと思っているからです。固すぎますか。
    他の旅行記も見ていましたら、気になる旅行記が有ったので、ここへやって来ました。
    シニア様は3回もアエロフロートにお乗りになっていて、もう通ですね。

    私はアエロフロートは1973年にモスクワからバンコック迄利用しましたが、全く当時の思い出は忘れてしまいました。
    ただ、昨今でも噂でサービース悪し、飯悪し、CA愛想無し、と聞いていましたから遠慮していました。それに欧州には夜着が多いみたいで、絶対到着日夜厳禁を信条としている私はアエロフロートはアウトでした。

    ところがシニア様の旅行記を読むと、近年では全然変わっているそうで、大変な悪い偏
    見を持っていたと、それこそごめんなさいです。
    CAが美しいとのこと、これは想像できます。なんでロシア娘は普通の人でもモデル並みに綺麗のでしょうか。それに反して男は粗雑で暴力的な野郎が多すぎます(ハリウッド映画の影響もありますが)
    やはり飛行機乗るのは美人CAを眺められる良さがあるからと思います。
    だから高い金出してまでも、汽車よりも飛行機を選ぶのです。
    ちなみにカンタス航空はダメです。男CAの構成比率が高すぎます。
    チャンスが有れば、アエロフロートも選択ありかなと思った次第です。

    チース糞馬鹿野郎には腹立ちますね。この様なうっぷんはこの旅行記で払って下さい。
    4トラの良さはここにあります。絶対皆さん同じように憤慨してシニアさんの気持ちに同調すると思います。
    こんな馬鹿野郎こそ,KGB(今は何というのか忘れました)がぶち殴るか、銃殺して欲しいと思いました。

    金髪のロシアン美女CAから、今度は乗ってねと誘われている気分になりました。
                  スパシーバ~
    2021年05月13日10時52分返信する 関連旅行記

    Re: 私も偏見をもっていました、ごめんなさい

    イタリア旅行はもうまる2年前か、と思いました。
    コロナで狂った海外旅行スケジュールです。残り寿命との兼ね合いで、パスポート持ちの旅行の回数は限られています。80才までは少なくとも3年に2回と思っていましたが、2回なくなりました。来年も、その次も無理でしょう。

    アエロフロートはおすすめです。私も、次回があるなら、目的地まで全部アエロフロート、モスクワでの乗り継ぎ時間が2時間以上、であるならこいつで行きます。私は座ったままの姿勢では一睡もできないタチなので、無理してビジネスを使いますが、安い時期を狙えば、JALなどのエコノミーの高いのと大差ありません。

    欧州夜着は私も治安の面で好きではありません。そこで駅近くのホテルを必ず取るようにしました。この時はローマのなんとか駅(駅名出てこない)の目の前、駅を出て、周囲を見回し、怪しいやつはおらんな、それっと駆け抜ける、などということはありません。深夜でも暇な観光客がぞろぞろ、店は全部人でいっぱい、あかりは煌々。
    あーあ、早くああいう日が戻ってこないかなと、毎日思っております。
    2021年05月14日10時07分 返信する
  • ロマンティックですねぇ(*^_^*)

    こんにちは、しにあご夫妻さま。
    実はこの連休に、ずいぶん前に経験したことのある「四十肩」(幾つになっても四十?^^;)で右腕が上がらず難儀しました。
    しかもパソコンまで、所有者に合わせて調子が悪く、ヤフー画面が開けないので連休中にも関わらず、修理の人に来てもらったりしておりました(>_<)

    やっと今、コメントが書けるようになりました。
    さてさて。。。
    隠、名張市にある「夏見廃寺」、よく辿り着かれましたね!
    実証と妄想の入り乱れたしにあ夫妻の御説、大来皇女終焉の地は隠では?という説、これを拝読するまでは、実はなんだかなぁ?と思っていたのですが、この廃寺昌福寺跡や黄金色に輝く塼仏の写真など眺めているうちに、そうなのかもしれないと思うようになりました。
    持統と大来の、この寺を建立するに至る駆け引き?のようなものにも頷けます。
    弟を無実の罪で処刑された姉の恨み、そう簡単に消えるものではありません。
    大来は死ぬまで持統を許しはしなかったでしょう。
    ただ、駆け引きとは知りながら寺を建立し、大津の菩提を弔えとの持統の意図や、それを引き継ぐ不比等の思いは十分に理解していたと思います。
    さらに地元の豪族夏見氏の義務感を超えた親切に、大来は30を過ぎて初めて心打たれたかもしれません。
    もしかしたら大来は、この夏見某に看取られながら生涯を終えたかも(^-^)
    傍らにはもう一人、不比等も侍っていたかもしれませんね。

    数奇な運命に弄ばれた大来の人生、律令制度が整備されたこの大宝元年、大来はやっと大津の元に帰ってゆきました。
    案外悪くなかった人生だったわよと、大津に報告したかもしれませんね(^_^)v

    膨大な調査と現地捜査、おかげさまで楽しませていただきました。
    夏見廃寺、ここには行かなくては。


    前日光
    2021年05月07日16時25分返信する 関連旅行記

    Re: ロマンティックですねぇ(*^_^*)

    いくつになっても四十肩、私も5年くらい前にやりました。ほっておいても2年くらいで治ると言われましたが、幸い近くの整形外科の理学療法士さんが優秀で、半年のリハビリで治りました。

    夏見廃寺はぜひいらしてみてください。こじんまりとした寺院跡ですが、感動的です。寺跡を発掘した考古学者の見解では、これが昌福寺跡であることはほぼ確実のようです。すると、薬師寺縁起を信ずるならば、大来皇女の最後の足跡が残るところとなります。終焉の地かどうかは別にして、彼女がこの地に立ったことは間違いありません。
    金堂跡は小さいですから、確実に彼女の足跡を、時空を越えてですが、踏むことになります。
    タイムトリップが味わえます。
    Mistralさんも夏見廃寺においでになりたいとか。
    2種類のパンフがありました。小さい方が有料でした。でも百円。このパンフを書いたキュレーターさんは、学問的関心を超えて、大来さんに特別な思い入れがあるような印象です。

    彼の解説では、持統、元明、元正と昌福寺建立に協力した可能性があるとのこと。なぜか、文武が抜けています。何か根拠があるのかな。
    続日本紀に大来皇女の薨去の記事が、月日まで書かれております。続日本紀は8世紀末の編纂ですから、その頃まで、誰かが大来大津の物語を語り継いだということです。
    やはり古代の哀切なロマンだったということなのでしょう。

    話はかわって、コロナワクチンですが、我が町では5月25日から接種予約ができるそうです。いろいろきいて見ると、予約を申し込んでから2週間以内に接種してもらえるみたい。
    3週間以内に2回目。ということで、7月初めに、3回目の飛鳥奈良旅を目論んでおります。
    そちらではいかがでしょうか。
    2021年05月07日17時56分 返信する
  • リクエスト♪

    BC3000年位前の縄文海進の時代とか、鑑真さまが渡来された道行とか、この辺のお話、もっと盛り付けた物語にして欲しいです♪
    今後、その様な予定、計画はおありですか?
    2021年05月04日14時50分返信する 関連旅行記

    Re: リクエスト♪

    え、どうしてバレた?
    六国史の旅で、ずーと先ですが、鑑真和上やります。冒頭だけできています。1977年のパリから始めます。今はこれだけ。
    乞うご期待。
    2021年05月04日15時11分 返信する

    Re: リクエスト♪

     わ~い^o^
    東シナ海ではなくて、パリ?
    期待させて下さいますね~♪
    2021年05月04日15時48分 返信する
  • 廃寺。

    しにあの旅人さん

    こんにちは。
    大来、大津妹弟の壮大かつ長大な旅行記に、何もコメントを残さずに
    読み逃げで終わるにはしのびなく、参りました。
    すでにkummingさんからの最終回記念コメントもあって、、、
    mistralの出る幕はなさそう。

    でも夏目廃寺についての記述を読まれた事がきっかけで、今回の壮大な旅行記の
    構想は大まかに出来上がったとのこと。
    表紙の写真を拝見しますと、(ツワモノどもの、ではないとしても)
    まるで夢のあとのよう。
    しにあさん、まるで大来さんからのメッセージを受け取られたかのようです。
    薬師寺縁起、そこに行かれて初めて目にされたわけですよね。
    旅行記からの端々に、これまでも大来さんとの熱い絆?!を感じられてきました。
    しにあさんの熱い想いから、私も夏目廃寺に行ってみたく思いました。
    (私が行ったとしても、何もインスピレーションはないかもですが。)

    今となっては、廃寺の本尊は跡形もなく失われてしまっているが
    大来皇女が自ら発注されたかもしれない黄金まばゆい「せん仏のパネル」は
    どこかに残っているのですね。
    展示館でご覧になられたのでしょうか?
    川原寺跡からも沢山のせん仏が出土したとのことでしたから、当時の流行だった
    のでしょうか。

    最後あたり、by妻さんのコメントに共感です。
    私も声明を聴き魂が揺さぶられたような経験がありました。
    グレゴリア聖歌を聴いた時と同じような感覚でした。
    最後まで誇り高かった大来さんなのではないかしら?
    仮に誰かから経済的支援を受けたとしても、こころはなびかなかったように想像、
    いや期待をしています。
    無念ではあったけれど、良くここまでたどり着いたとの満足感もあったように
    思いました。

    mistral
    2021年05月04日11時50分返信する 関連旅行記

    Re: 廃寺。

    夏見廃寺は、機会があれば、訪問お勧めします。大友皇子と同じで、歴史から消えたヒロインの物語です。ただ大友皇子とは違って、大来さんは必ずしも敗者ではなかったと思います。最期は小さいけれど美しいお寺で静かに迎えたようです。
    私はこの廃寺が大来の終焉の地であったと確信しております。なんかこう、石段を上がって金堂跡に立った時、感じたものがあったような。「よく来てくれました」と言われたかな。
    ま、それはともかく、晩年の大来皇女がこの位置に立ったことは間違いなく、飛鳥の空間を感じ取れる場所ではあります。
    想像のタイムトラベルであります。気のきいたセリフを言いたいところですが、その時はメモと写真撮りに夢中で気がつかなかった。

    展示館に塼仏はたしか断片が展示されていたと思いますが、写真なし。その時はこれがそんなに大事な物だとは思わなかったのです。立派な原寸大復元品が展示されておりました。現物は写真よりはるかに荘厳かつ大きな物です。高さ2.8mの塼仏の前に安置された仏像は、丈六仏像つまり4.8mの3分の1、1.8m。または4分の1、1.2mのはずです。台座を含めるとどっちですかね。立像か座像か。私はこの種のインテリアと飛鳥時代の仏像の様式に全く詳しくなく、想像の範囲外。
    展示館もロマンいっぱいですよ。インスピレーションぐんぐん湧いてくるはず。
    行ってみて、結果報告願います。
    2021年05月04日15時01分 返信する

    Re: 廃寺。

    しにあの旅人さん

    夏見廃寺でのインスピレーションは
    きっと受けられたのでしょう。
    旅行記を読みながら、私にも何か伝わってくるものがありましたから?。
    フェデリーコ2世終焉の地の旅行記の時も、
    大来皇女の時も、
    亡き人の魂が、喜んで迎え入れて下さったことと想像しています。

    mistral
    2021年05月04日17時50分 返信する

    Re: 廃寺。

    よくぞ分かってくださいました。感謝。
    By妻、By夫。
    2021年05月04日18時44分 返信する

    め~っけ♪

    そうでした、FDII最終章でも、私たちはby夫by妻さんと共にプーリアの風にふかれ、FDIIを悼み心を熱くしました。
    今読み返しても、胸が熱くなる、傑作だと思います(TT)
    それで見つけたのは、Torremaggiore(2016年までFDIIを偲ぶ?お祭りをやっていたという)に赴く予定でいらしゃると^o^
    mistral さん、前日光さんのコメントが遅い!?ので、後から見返すと、心に響くmistral さんの言葉にきゅ~ん。
    今回は、思いがけない新情報までついて来ました♪
    アクセルとブレーキ(オリンピック開催と緊急事態宣言)を同時に踏む現政権の元、日本だけが開国から取り残されるのでは?と危惧する今日このごろT_T
    2021年05月09日11時12分 返信する

    Re: 廃寺。

    kummingさんのコメントの最後に回しました。
    2021年05月09日12時22分 返信する
  • 最終回を迎えて…

    六国史の旅 飛鳥の姉弟 大来皇女大津皇子編 最終回脱稿、おめでとうございます♪
    シリーズは今後も続くという事ですが、とりあえず今回で飛鳥の姉弟編最終回、を迎え、コメントにも力入れたい処、どなたか最初にカキコしてくれないかな~、私に初コメ、はちと気が引けます…(ーー;)

    夏目廃寺には3度も行かれたとか。夏目廃寺に着目されていますが、どうして( why ではなくhow to get)辿りつかれたのですか?薬師寺縁起中の「夏目廃寺が大来皇女により建立された」事は、「薬師寺縁起」の記述を見つけられたからで、その「薬師寺縁起」は夏目廃寺で出会われた?続日本紀か何かに何か端緒になる記述があっての夏目廃寺への注目だった、とか?
    この件からだけでも、5年前に着想、3年前から構想し、1年かけて調査執筆、みたいな壮大な計画性がうかがえるブログです(°_°)重箱の隅を突つく前段階に、入念な下調べと資料読み込みがなされているようで(*_*)

    父鎌足が天智派だった事から当初は冷や飯食わされる立場だった不比等が、草壁擁立の働きでようやく持統天皇のおぼえめでたい政府要人の地位を得る前から、ご近所付き合い+天智派繋がりで、大来皇女とは憎からぬ関係だったとして、隣同士だった時とは違うやり手妻、後宮のトップを長きに渡って掌握し、女性の伝家の宝刀、子をなすという行為で天下を駆け上り時のの中枢にいた橘三千代の目を盗んで、大来皇女に救いの手を差し伸べる事は可能だったでしょうか?(←時代考証してません)

    この時代の人々が、死者の祟りを極度に畏れていたのは、中世西欧のキリスト教信者があの世での地獄堕ちを恐れて免罪符求めて100年もの長きに渡って十字軍遠征を繰り返した、のに負けず劣らずの、畏れであったようで、持統天皇が草壁夭折に感じた『死者の祟り』は、相当なものだったでしょうね。しかも死者が祟って当然の怨みを抱いて無念の死を強いられた場合、怖れる方も尋常じゃない!
    なので、持統天皇は不比等が隠れてこそっと大来皇女とは憎からぬ関係なのを見て見ぬふりしつつ、ちょっと大津皇子の弔い寺でも建ててあげない?と囁いた、というのはあり得ます!と、思いたい♪ 裏工作はお手の物、な不比等さん^ ^

    書に曰く、という表現が続日本紀に出てきまして、そういう意味だったのか、と今更ながら理解にいたり…。日本書紀、古事記、続日本紀、の漢文、書き下し、現代語訳付き、を手元に、遅ればせながらちょっとお勉強?!中々進まず、睡眠導入剤と化していますが、今度も六国史の旅を追っかける身には必須の基礎教養、悪あがき続けるっきゃない。
    大来皇女が持統天皇への怨みを抱いたままあの世へ逝かれたとは思えません。愛する弟を奪われた怨みがはれるという事は決してなかったにせよ、大来皇女の前向きでサバサバした性格に、波乱の人生を乗り越えて来たその底力も加わり、きっと残りの人生を怨みで満たすような不毛な生き方はしていないはず。

    歴史の表舞台には残っていない往来皇女の晩年に幸多かれ、とのしにあさんご夫妻の祈り、by夫by妻さんの愛溢れる大来大津への鎮魂歌、1300年の時を超えて、きっと二人の胸に届いたのではないでしょうか^o^

    今夜あたり、夢枕に立つかも?
    まとまりない尻切れとんぼなカキコの上、長くなりm(_ _)m
    前日光さん、mistralさん他、みなさまのコメントが待たれます♪
    2021年05月03日16時35分返信する 関連旅行記

    Re: 最終回を迎えて…

    最終回記念コメントありがとうございます。4か月かかりましたが、どうやらkummingさんを日本古代歴史散歩の泥沼に引き込んだようで、満足。

    夏見廃寺のきっかけは、たしかどこかでこれが大来皇女が作ったお寺だと読んだことだと思います。大来さんの年代的に最後になるので、ここがブログの最終回になるだろうとは思っていました。一昨年の末くらいでした。
    薬師寺縁起のことは知らなかった。行ってみて、現物の写真を撮ってきて、なんとか解読して驚いたわけです。特に大津皇子についての記事は専門の学者も取り上げる人がいないくて、なんでこういうことが研究されないのかと思いました。
    このシリーズを書いていて、国文科の学士卒論、修論クラスのテーマがゴロゴロあって、By妻に「学生時代何やっていたの?」って聞いたら、「真面目に勉強して、学者になっていたら、あなたなんかと結婚しなかったわよ」と言われました。
    3回行ったのは、ここから二上山が見えるかどうかの確認でした。結論は見えない、でした。もし見えたら、国文学上の大発見なのでしょうが、残念。

    不比等が本当に持統から3代にわたり昌福寺建立に協力したか、妄説の部類です。でも今回気づいたのですが、不比等が仕えた天皇って、文武を除くと3人とも女帝です。烈女三千代も含めて、要するに女心が分かった人物だったのでしょう。この時代では多分珍しく、男中心に物を考えなかった。
    その不比等だと、大津が祟る祟らないが表沙汰にならないように、持統、大来の心理を巧みに操って和解を成立させるのは、政情不安を引き起こさない政治的な方策だった、という解釈も成り立ちます。いいアイデア、我ながら感心します。修論レベルです。

    長くなりそうなので、とりあえずここまで。
    2021年05月04日06時30分 返信する

    なあるほど~

    ガッテンでございます♪
    薬師寺縁起に「大津皇子が無実の罪をきせられ自害させれ、その祟りを畏れ菩提を弔い建立された昌福寺」という記述がある事が、当時この謀殺説が衆智の公然の秘密だった事を裏付け、パンフの中に「今のところ夏目廃寺の金堂には~(中略)閉ざされた金堂には悲しい歴史を秘めたまま~」、「この伽藍の建立には~(中略)大津皇子に対する贖罪として~夏目廃寺の建立については、微妙な古代政治の中で夢をふくらませる」と書いた考古学、古代史の専門家もまた、ここに着目し、現代でも大津大来の悲劇の物語として語り継がれている、という事ですね。
    息子が早逝したので孫が成長するまで祖母が天皇位につき、短い文武時代を除けば3度も女帝が続いたこの時期、その中継ぎに女帝を担ぐ過程にも不比等が関わり、それもひとえに自分の血統の天皇擁立という野望のため、藤原家天皇の外戚への道?女心を操る名人という褒め言葉、良いですね~^ ^
    一つ訂正します、一書に曰く、出てくるのは日本書紀、ですね。つけ焼刃の知ったかはいただけませんm(_ _)mすごすご(←しっぽを巻いて退散の図)
    残念ながら、国文科出の友達はいません。そういう方と話せたら、さぞや楽しかろう、と想像します♪
    今後の展開への期待が高まります^o^
    2021年05月04日09時02分 返信する

    夢枕そのご

    大来さん、夢枕に立ちましたか?
    うちにもきてほしい。色紙でも用意して待ちましょう。写真には映らないよね。

    怨霊ですが、続日本紀の出番のようです。昨年11月の旅では、怨霊巡りも考えたのですが、楽しい話ではないのでやめました。長屋王、井上内親王、不破内親王、相良親王、いっぱいいます。
    日本古代では怨霊になると神社を作って宥めるのですが、薬師寺に龍王社という摂社があって、これが大津皇子を祀っているとなっています。創建年代不明、薬師寺の他の場所にあって移築されたようです。「龍王」というのが、薬師寺縁起の「悪龍」と一致しますね。
    ただし奈良の薬師寺は710年ごろ、持統さんの死後飛鳥から移ってきたお寺で、持統さんが龍王社を作ったわけではないのです。
    天武、持統夫婦が作った飛鳥の本薬師寺は10世紀には廃絶したみたい。こちらに何かあるかは、調べていません。
    龍王社には、後世作られた大津皇子座像という木像が安置されていたそうです。現在は奈良博にあります。11月に奈良博に行って確認しました。未公開で、公開の予定もないというつれない返事でした。
    つまり、持統天皇の同時代に建立された、独立した寺院としては、昌福寺、つまり夏見廃寺が今の所唯一大津皇子を、非公式ですが、弔う寺みたいです。

    なんか、スッキリしませんね。お寺としては、金堂、塔、講堂を持った立派な形式の寺院なのに、はっきりと大津皇子を弔うと言っていない。
    持統さん、しぶとい。そんなに大津謀殺を認めたくなかったのか。でも祟りは怖い。
    大来さんは、なんと思ったか。
    間に入った不比等はなんと言って間を取り持ったか。女心を操る名人としても、さぞかし困っただろうと、同情しませんか。
    2021年05月05日07時24分 返信する

    Re: 最終回を迎えて…

    FD2最終章、ずーっと前のような気がします。
    あの頃は、もう次の「FD2をめぐる女たち」の準備にはいっていました。まさかこんなことになるとは思っていませんでした。Torremaggioreなんてどうなっているか。南イタリアは貧しいですからね、貧しいところほどコロナの被害が大きいみたいです。あまりに田舎なんで、コロナも来ないといいのですが。
    イタリア旅行はメド立たずです。コロナが収まって、その後現地の人心がどうなるか、荒れると思います。3年くらいは無理じゃないかな。75歳以上はレンタカーを借りられないという話もあります。イエジからフォーリニョまでしらみ潰しに古い町をレンタカーで回って、赤ん坊のFD2とコンラッド夫人の通ったであろう道を探すというフィールドワークを考えておりました。見つかっても見つからなくても面白いと思うのですが、多分もうダメみたい。
    クィンテーリ荘の浴場の水源を探すのも車がいるし、コロナで旅行の順番が狂いました。
    2021年05月09日12時19分 返信する

    傷口に塩~m(_ _)m

    塩、どころか大量のハバネロを振りかけてしまったm(_ _)m
    レンタカーの年齢制限、はやっかいな問題ですね、どなたか若年層のお連れ、甥っ子、姪っ子、お知合い?ドライバーがいませんか?
    呑気な事を言ってるみたいでm(_ _)m
    コロナ禍終息後も、確かに人心、治安の悪化が収束するにはもっと時間が必要でしょうね。
    私も、一人旅、完全に自己責任なので、それでも行くなら片道切符覚悟! くらい相当な気持ちでないと旅立てないかな~
    しかも、体力気力的に、残された年月はそう長くはありません(泣)
    にっくきコロナめ!!
    無いものねだりで嘆くより、今、手に入る幸せで満足しましょう♪
    ワクチン接種して、状況が落ち着いて、しにあさんが奈良へ旅立てる日が来ますように\(^o^)/
    2021年05月09日19時58分 返信する

しにあの旅人さん

しにあの旅人さん 写真

8国・地域渡航

25都道府県訪問

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しにあの旅人さんにとって旅行とは

うーん、何か気の利いたこと言わなければと、思うのですがね。

自分を客観的にみた第一印象

トラベラー名、「たびと」と読んでください。

大好きな場所

ヨーロッパ、カナダ、オリエント

大好きな理由

日本人が嫌われていない、入国にビザを取れとかうるさくない

行ってみたい場所

南イタリア、スコットランドの北ハイランドのそのまた北のほう、イベリア半島、ギリシャのエーゲ海クルーズ、トルコ、エジプトのナイル河クルーズ、カナダのプリンスエドワード島、白夜とオーロラ、フランスのアビニオン演劇祭、多分その辺りでこっちの寿命がタイムアウト。

現在8の国と地域に訪問しています

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