2018/05/11 - 2018/05/11
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しにあの旅人さん
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11日 新田神社参詣です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー JALグループ
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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新田神社は神亀山という小高い丘の上にあります。坂を登って最初の駐車場からさらに登る道があるので、どんどん登ってみました。小さい駐車場がいくつもあります。とにかく車の行けるところまで行ったら、最後の階段の真下でした。
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こういう階段ですから、足に自信の無い方はなるべく上まで車で行きましょう。
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拝殿と本殿です。
創建は不明。
鹿児島県神社庁HPでは、永万元年(1165年)の古文書に約300年前(貞観859年から877年)に再興されたとあるそうです。延喜式(927年)に社名がないので、その頃は大きな神社ではなかったということです。
鎌倉時代から枚聞神社と薩摩一宮の地位を争ってきました。一応一宮は新田神社となったそうですが、現在でも両神社とも一宮を称しています。 -
新田神社パンフレット。「薩摩国一の宮」とあります。
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枚聞神社由緒記です。こちらも「薩摩一の宮」とあります。
1000年以上前の話であり、神社間の一の宮争い、またひとつの国に一の宮が複数あるのも珍しくないので、いまとなってはどちらでもいいのではないでしょうか。両神社とも、私たちには、静かな、清らかな神様のお住まいでした。同じようにお参りしてきました。
主祭神は、
天津日高彦火瓊瓊杵尊(アマツヒダカヒコホノニニギノミコト)
天照皇大御神(アマテラススメオオミカミ)
正哉吾勝勝速日天忍耳穂尊(マサカアカツカチハヤヒアメノオシホミミノミコト)
アマテラスオオミカミとオシホミノミコト、その息子(ニニギノミコト)です。
可愛山陵(えのやまのみささぎ)が神社裏手にあります。瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の御陵となっております。
新田神社はこの陵を祭るために作られた神社ということです。この件の初出は永万元年(1165年)の古文書ですから、古代の事実は分かりません。しかし明治初期に宮内省が可愛山陵を瓊瓊杵尊陵に指定しました。 -
拝殿です。右が本殿。本殿は雨戸のようなもので覆われています。社務所にうかがったところ、建物の外部装飾を風雨から守るためのものだそうです。鹿児島神宮にもありました。
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拝殿
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拝殿に直角に交差する建物の外が参拝所です。
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拝殿と本殿を向かって左側から。
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こういう回廊が拝殿本殿を囲んでいます。
ごらんのように参詣者は、靴を脱いで神社内部に入ることができます。
ゆっくりと、落ち着いてお参りすることができました。 -
狛犬が子持ちでした。拝殿向かって左。
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母狛犬のお腹の下の子供です。
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拝殿向かって右の狛犬です。これも子持ち。
神社の狛犬が大好きです。必ず写真を撮ることにしています。 -
可愛山陵(えのやまのみささぎ)。
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全景です。
宮内庁直轄です。
御陵前に小さな事務所があり、宮内庁の職員が常駐していました。御朱印もいただけるようでしたが、そのときは知りませんでした。
皇室の陵は立ち入りできません。学術調査もできません。仁徳天皇陵のように、学術調査ができれば、古代史を塗り替えるような発見が期待できるような陵は、立ち入りを認めるべきだと思います。しかしこの可愛山陵は、そうしたものではないでしょう。
瓊瓊杵尊は神話の神様です。その存在を議論しても意味がありません。しかも文献初出が12世紀です。神話としてそのまま崇敬したいと思います。
御陵の木立にリスが木登りしていました。宮内庁事務所の前にはお腹の大きなネコさんが遊んでいました。無事子猫が生まれたかな。平和で清潔で、きよらかな御陵でした。 -
御陵前の階段を下ります。
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日の光を浴びて、荘厳でした。
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木漏れ日の林を妻が下ります。
ふとこの階段は、このまま古代に下りていくのではないか、という錯覚を覚えました。
だめだよ、行っては。戻っておいで。 -
「なあに?」
いや、なんでもない。 -
これは何かしら・・・
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さて、帰ろうかな。
古代に誘われるような美しい木漏れ日でした。
神社をお参りすると、心が古代に同調するような気がすることがありませんか。
清らかで、静かで、無人の神社で、もしかすると古代人がはるか昔この場所で、私と同じような思いを抱いていた・・・ -
絵馬がありました。
うまくいきましたよね。私たちも祈っています。 -
御朱印を頂きました。
このあと薩摩焼の美山に寄りました。伊万里の大河内山のようなものを期待して行ったのですが、はるかに規模が小さくて、予想外でした。沈寿官窯は見事でした。撮影禁止なので、紹介できなくて残念です。
4日目ともなると七十路夫婦にはきつい。もうホテルに帰って、近くの天文館で黒豚しゃぶしゃぶを食べたいと思いましたが、鹿児島市内を全然見ていないのです。仙厳園にでも寄ってみるか。 -
仙厳園から桜島。今回の旅行で、最初で最後の普通の観光地巡りでした。
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旅行記グループ
薩摩・大隅2018年
この旅行記へのコメント (3)
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- kummingさん 2021/05/04 14:50:25
- リクエスト♪
- BC3000年位前の縄文海進の時代とか、鑑真さまが渡来された道行とか、この辺のお話、もっと盛り付けた物語にして欲しいです♪
今後、その様な予定、計画はおありですか?
- しにあの旅人さん からの返信 2021/05/04 15:11:05
- Re: リクエスト♪
- え、どうしてバレた?
六国史の旅で、ずーと先ですが、鑑真和上やります。冒頭だけできています。1977年のパリから始めます。今はこれだけ。
乞うご期待。
- kummingさん からの返信 2021/05/04 15:48:19
- Re: リクエスト♪
- わ~い^o^
東シナ海ではなくて、パリ?
期待させて下さいますね~♪
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