2020/12/17 - 2020/12/17
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しにあの旅人さん
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春日神社。
奈良県桜井市脇本355
2020年6月24日と11月21日に訪れました。
近鉄大阪線の大和朝倉と長谷寺の中間辺り、南の外鎌山と北の三輪山に囲まれた初瀬谷にあります。三輪山のむこうが三輪明神、大神(おおみわ)神社です。
ご祭神は、奈良県神社庁によれば、春日神となっています。奈良県には春日神社はいっぱいありますので、脇本春日神社というようです。
神社としてはマイナーですが、脇本遺跡を見下ろす位置にあります。脇本遺跡は雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡、また大来皇女の泊瀬斎宮跡候補地として有名です。
参考書については、「諸国寺社参り 大和国1」をご覧下さい。
引用に際し僭越ながら敬称を略させていただきます。
4トラベルのブログは初投稿日順に並べることができません。
この旅行記は2020年6月23日~7月1日、11月14日~23日の2回の旅の記録ですが、初投稿日順に並べるために、12月1日以降の旅行日とします。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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国道165号を桜井市から長谷寺方向に向かいます。
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ローソンのロータリーから左に入ります。
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振り返れば耳成山。直線7kmくらいです。
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周囲の家は黒瓦の大和棟が美しい。この山を越えると大神神社です。
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小さな集落の中の神社です。
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しめ縄に刺さっている矢羽根のようなものはなんでしょう。
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これは6月の写真ですが、ごらんのように誰もいません。でもたぶん、いつでもこんなモンだと思います。大和の小さな神社、ほっとするようなお社でした。
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拝殿。
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本殿です。
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創建は不明ですが、現在の本殿は慶長8年(1603年)の建立だそうです。サラッと、1603年などというところが、いかにも奈良です。ここでは新しい部類ですね。
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神社の近くに万葉歌碑があります。
雄略天皇
「夕されば小倉の山に臥す鹿の今夜は鳴かず寝ねにけらしも」(9-1664)
「夕方になると小倉の山にやどる鹿は、今夜は鳴かない。寝入ったらしいよ」(万葉集中西)
私達が駐車場を探して神社の近くをウロウロいていたら、近くの工務店のおじさんが「万葉歌碑ならそこだよ」と教えてくれました。歌碑を探しに来る人が多いのでしょう。飛鳥ならではの道案内です。
一書に曰く、
この神社の置かれた地形を、写真では伝えられないと思えます。
せまいです。大和川の縁に国道が走り、その国道のカーブの内側に、この春日神社はありました。
神社の規模は、小さな村落の氏神様くらいです。
村落は,洗い立てのようにこざっぱりした印象を受けました。
たぶん、よく手入れされたこの神社と近隣の人家のせいでしょう。
が、雄略天皇ゆかりとなると、せまいです。
雄略天皇は、かなり豪放な、ある意味粗暴な人だと思っているので、意外な感じです
いろいろなエピソードがありますが、赤猪子(あかいこ)の話はご存知ですか?
古事記に出ている話ですが、雄略天皇が,あるとき行幸なさったところで、麗しい女人を見初めたのです。この人が赤猪子。けれど、先を急いでいたので、後ほど必ず迎えにくるからね。
と約束して、、、忘れちゃったってお話です。
その美女は,待って待って待ち続けて、とうとうしびれをきらして会いに来るのですがね。もう、とんでもないおばあさんになっていたそう。
麗しい美女も、今やしわくちゃおばば。
雄略くん、えっえっえっ。とか言ったそうですけど。
反省してよね。人間一人の一生を、何と心得る?!
でも、このお話、わたしは結構好きなのです。
女の人が泣き寝入りしないでしょ?ある意味、ひと泡吹かせるからね。
このお話からは、雄略天皇って、女を見たら、とりあえず口説くという男の中の男。そして忘れるという無責任な男だとわかります。
きっと傍によると臭いのよね。意味なく大声出すし、聞いてるこっち側の人間にはさっぱりわからんギャグで一人で笑って、しかたないから、こっちもへへへと笑う真似したりして。七人の侍の三船敏郎みたいなの。
これが時の権力者ですからね。疲れます。
その雄略天皇と、ここ脇本春日神社は、どうもあいません。
ここは、責任はきちんととるし、毎月の給料だって、まず奥さんにちゃんちゃんと渡すって感じの村落でした。
By妻 -
この神社の特色は、遺跡を見下ろす位置にあること。奈良県立橿原考古学研究所による脇本遺跡17次調査現地説明会資料の地図です。
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神社の近くから見下ろすこのあたりに、雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡があります。大来皇女の泊瀬斎宮候補地もほぼ同じ位置です。現在は埋め戻されてなにもありません。
行けばすぐ分かりますが、初瀬谷はとても狭い所です。
三輪山の麓の春日神社、外鎌山の麓の近鉄大阪線の間が平地ですが、幅300m。ヤマト盆地への出口の広いところもせいぜい500m。この出口の大和川から春日神社まで1000mです。 -
ほぼ中間点から見た春日神社、
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反対側の近鉄大阪線の線路。春日神社-線路間約300mです。
雄略天皇は5世紀末に実在した可能性が高い天皇だそうです。倭王武が中国の宋に使節を送ったという記録が宋書にあります。
★宋書(巻97・夷蛮)倭国、
「順帝の昇明二年(478年)に、倭王武は使者を遣わして上奏文をたてまつって言った」☆
「祖禰みずから甲冑をめぐらし・・・」という有名な長い上奏文です。
その武が雄略天皇と比定されております。
素朴な疑問。
こんな狭いウナギの寝床のようなところに宮殿を構えた雄略が、どうして宋に使節を送るほどの力をもっていたのか。長い中国語の上奏文を書けるスタッフをもっていたのか。
神武天皇の東征という物語が記紀にあります。神話か歴史かは別として、これを素直に読むと、広々とした宮崎平野から、わざわざヤマト盆地のどんづまり、猫の額のような飛鳥あたりに引っ越してきて、挙げ句の果てにこの狭い初瀬谷に落ち着いています。
不思議。
いずれ、この旅をやってみたい。
タイトルだけ思いつきました。
「六国史の旅、神武東征・庭付き一戸建てから3畳一間」 -
奈良県高市郡明日香村豊浦63
現在は浄土真宗のお寺です。
しかし歴史は古く、日本最初のお寺だそうです。 -
欽明天皇13年(552年)、百済の聖明王から仏像が贈られてきました。仏教公伝です。この仏像を巡って、崇仏派の蘇我氏と廃仏派の物部氏が対立し、板挟みになった欽明天皇は、
★日本書紀欽明天皇13年(552年)冬10月、
「天皇は言われた。『それでは願人の稻目宿禰(蘇我稻目)に授けて、試しに礼拝させてみよう』と。大臣は跪き受けてよろこんだ。小墾田の家に安置し、懇ろに仏道を修めるよすがとした。向原(むくはら)の家を清めて寺とした」☆
それがこのお寺です。
仏像に御利益があるか、とにかく実際に試してみようという、恐るべき実証主義です。
ところが御利益がないということになり、仏像は捨てられ、お寺は焼かれました。
その後ここに推古天皇の豊浦宮が築かれ、さらにそのあと7世紀後半豊浦寺ができました。その後継が向原寺ということです。
蘇我稻目の「むくはらの寺」を起源とすると、実に1469年の歴史。ヨーロッパの教会でも、確実な創建が6世紀半ばというのは、そうはないと思います。豊浦寺跡 名所・史跡
-
甘樫丘の北の麓、まことにこれぞ飛鳥という美しい小集落にあります。
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黒瓦と白壁。
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思わず入ってしまいたくなる小路です。
突き当たりの林は甘樫丘です。
地形は丘からなだらかな傾斜ですが、向原寺は盛土で平地になっています。 -
6月に来たときは周囲を回っただけですが、11月は山門を入ってご住職の奥様に直接お話をうかがいました。
「難波の堀江に捨てさせた」という仏像の件です。
敏達14年(585年)、排仏派の物部守屋は、うち続く疫病は蘇我氏が仏法を広めたのが原因だと天皇を説得。天皇の「仏法をやめよ」という詔をもらいました。
★敏達14年(585年)3月30日、
物部弓削守矢大連(もののべの・ゆげの・もりやの・おおむらじ)は、自ら寺に赴き、床几にあぐらをかき、その塔を切り倒させ、火をつけて焼いた。同時に仏像と仏殿も焼いた。焼け残った仏像を集めて、難波の堀江に捨てさせた。★
敏達13年9月の項に「馬子宿禰はまた石川の家に仏殿を造った」とあり、14年春2月15日には「塔を大野丘の北に建てて、法会の設斎を行った」とあるので、守屋が焼いた塔と仏殿は、これでしょう。厳密に豊浦寺かどうかは分かりませんが、蘇我氏の本拠地は甘樫丘でしたから、この近くです。
仏像が捨てられた「難波の堀江」とは現大阪市西区の堀江ということになっています。
向原寺の奥様から頂いた、産経新聞2020年1月12日の記事コピーによると、
★7世紀に入り、信濃国司の従者として都に赴いた本田善光が捨てられていた仏像を発見。背負って持ち帰り(中略)642年に現在地に移した。これが善光寺の起こりだ。★
ところが、向原寺の門前向かって左にも「難波池」があるのです。現在は小さな池です。残念ながら写真撮り忘れ。
この池から江戸時代に仏像の頭部が見つかりました。
再び産経新聞より、
★体や光背などは江戸時代に補われたが、頭部自体は面長で、切れ長の目。かすかに笑みを浮かべる姿は、いかにも古めかしい。百済の仏師作と考えても矛盾はないと鑑定した専門家もいたという。★
その仏像を本堂で拝見しました。写真撮影は当然できませんでした。
光背、台座を含めて50~60センチ、本体は30センチくらいでしょうか。
善光寺の仏像とどちらが書紀のいう「捨てられた仏像」か、判断する知識は私たちには全くありません。ただ、飛鳥甘樫丘で焼け残った仏像をなぜわざわざ大坂まで持って行って捨てたのか、不思議ではあります。
大坂での発見地は阿弥陀池(大阪府大阪市西区北堀江3)とされています。向原寺から現代の徒歩ルートで41.7kmあります。
これは現代と直接つながった古代のロマンですね。
一書に曰く、
小さいけれど奥ゆかしい、美しい建物です。
初めて奈良明日香の旅をしたときから、何度も前を通りかかっておりました。By夫は、テーマに沿って旅行をするので、その時のテーマからはずれると、すぐ隣に何があろうと無視いたします。
今回やっと、私の願いが叶いました。
奥様がご案内くださいました。
わたしは、人様のお顔を拝見して、この人はどこ出身かを当てるのが好きなのですが、北九州人は、なんとなくわかるようになってきました。
何の話かというと、ここの奥様が、博多のご出身だそうです。
歴史的建造物に住む人と直接お話したのは初めてでしたので、愚問を連発いたしました。その途中で、私は、博多から嫁ぎましたから。とおっしゃって、やっぱり!と膝を打つところでした。
お顔も、私が思う博多型だし、なによりお相手下さる様子が親切で、接客業なら博多女と言われておりますが、奈良に来てもその通りでした。
主人がいたら良かったのですが、とおっしゃりながらの説明でしたが、私たちのつまらない質問にも答えて頂き、お寺に関係する資料を色々見せて頂きました。
しかし、有名な蘇我稻目の屋敷跡、推古天皇の宮跡。結局は豊浦寺に成るのですが、すごい歴史です。
ってことは、推古天皇や聖徳太子が、ここらをウロウロしたのですね。
あっウロウロではなく、そぞろ歩きです。失礼しました。
By妻
By妻のいうことをきくと、いいブログが書けると、経験上学びました。
反省しました。「反省だけなら猿でもできる」というCMがありました。
やっと猿と同等になったと思いました。
By夫 -
「あまかしにいます」神社と読みます。
奈良県高市郡明日香村豊浦626 -
向原寺のすぐ後ろ、甘樫丘の麓です。
主祭神は推古天皇。
歴史文献初出は日本三代実録(859年)です -
延喜式(869年)に記載があります。飛鳥では式内社は珍しくなく、式内社だと新参の部類です。ここでは石を投げると式内社にあたります。
式内社の密度、1平方kmあたりの神社数を計算してみました。
大和国高市郡・面積49.89平方km・式内社54坐
密度1.08/平方km
大和国は多いと思ってはいましたが、1郡で54坐というのは抜群です。京都(山城国)でも1郡でこんなに多いケースはありません。
これを上回るのは出雲国出雲郡、58坐です。ただし古代出雲郡の面積が分からないので密度は不明。
ついでに我が地元上総は全部で5坐、より正確には、
埴生郡、現長生郡面積226.97平方km・式内社1坐。
密度0.004/平方km
ついでのついで、東京都、古代は武蔵国荏原郡です。厳密には現東京都とは違いますが、計算が面倒なので、現東京23区とすると、
面積627.57平方km・式内社2坐
密度0.003/平方km
古代このあたりは、いかに文化はつる僻地であったか分かります。 -
この神社は「盟神探湯」くがたち発祥の地ということで、石碑があります。
★書紀允恭天皇4年秋9月9日、
二八日詔して、「群卿百尞および諸の国造らは、みなそれぞれに『帝の後裔であるとか、天孫降臨に供奉して天降ったもの』とかいう。しかし開闢以来万世を重ね、一つの氏から多数の氏姓が生まれ、その実を知り難い。それで諸(もろもろ)の氏姓の人たちは、斎戒沐浴し盟神探湯により証明すべきである」といわれた。
そこで甘樫丘の辞禍戸崎(ことの・まがえの・さき)に盟神探湯の窯を据えて、諸人を行かせて「真実であるものは損なわれないが、偽りのものは必ず損傷を受けるだろう」と告げられた。★
これが甘樫坐神社の盟神探湯の始まりです。
★続き、
諸人はおのおの木綿襷(ゆうたすき)をかけて、熱湯の窯に赴き探湯をした。真実であるものは何ごともなく、偽っていた者はみな傷ついた。そこで故意に欺いていたものは、怖じ退いて進むことができなかった。★
順番にやったんだ、不公平。あとの人はビビるに決まっている。みんな一斉に「せーの!」で手を突っ込むべき。
でも私だったら、手なんか突っ込まないで、「ごめんなさい、ウソでした!」って素直に謝ります。
★続き、
これ以降、氏姓は自ずから定まって偽る者はなくなった★
めでたし、めでたし。
一書に曰く、
向原寺のわき道を通り抜けて、登って行きます。
ここいら辺りは、住宅密集地です。
ですから、この神社も境内は狭いです。
その狭い境内で盟神探湯をしたのですかね。三密で。
修験者の火渡りというのがありますが、実際に見た人によると、炎は鎮めて熾きになった状態で、渡る人も足裏に塩をつけてから駆け抜けるそうです。熾きにしたら、燃えているより歩きやすいとは思うけど、足に塩を塗る理由は聞きそびれました。
夏の砂浜でも、私らには裸足ではとても歩けない熱さですが、昔の人は、普段は、わらじばきだったし、足裏の皮膚が厚かったのでしょうか。
それでは、熱湯に手を突っ込むって?
なんでそんなこと思いついたんだろう?塩つけようが、砂糖つけようが熱いどころか、大やけどですよ。
それに、嘘つきがびびって、ごめんなさいするとは限らないですよね。
自分のついた嘘を、信じ切ってしまう病気が今もあります。そういう人は、精神的に迷いがないから、結構、精神統一して、熱湯に手を入れても平気だったりするかも。
一方、気弱だったりすると、正しくても、ごめんなさいしちゃう人もいたかもですし、お湯に手を入れてやけどになった人もいたかもしれません。と言うか、いましたね。絶対!
なんか理不尽。
と、今更なのに、哀れな、気弱で不運なひとびとのために、心安らかなれと心を込めて祈りました。
が、考えたら、祀られているのは、盟神探湯をさせた側の推古天皇だから、聞きとどけてはくれないでしょうけど。
By妻
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この旅行記へのコメント (6)
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- 前日光さん 2021/06/04 15:57:22
- 脇本春日神社と雄略天皇(?_?)
- うーーん、そりゃあないと、この神社の写真を見て思ってしまいました(^^;)
朝からハンパない雨の降る日ですね。
kummingさんから紹介のあった本を二日かかって読了しました。
その間4トラは休止状態で、コメント遅くなりました。
さて雄略天皇といえば、女性を見ると「君の名前は?」「どこの家の子?」なんてすぐに聞いちゃう名うてのプレイボーイ、繊細さがほぼ感じられない荒削りの男(お)の子
なので、そんな人の宮が「洗い立てのようにこざっぱりした」村落にあるとはとても思えませぬ。
こういう楚々とした村落には、清貧を重んじ、不器用ではあっても誠実に生きる人が住んでいてほしいと思うのですが。
しかし万葉歌碑に刻まれた歌は確かに雄略天皇の、しかも彼らしからぬ小倉山の鹿の歌で。。。この歌、作者が雄略天皇でなければ(長屋王とか高市皇子だったら)、それらしくていいなぁと思うのですが。
上から13枚目の写真、田植えの跡の水田に映り込んだ周囲の丘と空ゆく雲が、なんともいえず素敵です!
しにあさんは目的に向かって猪突猛進、その周囲に何があろうとも目的物をゲットすることが最大の目的なんですねぇ。
その左右にちょっと目を向ければ、とても重要なものが隠れているかもしれないのに。
しまった!見逃したぁ~、また行こう!となるタイプなんですねぇ。
男性は得てしてそういうものなんでしょうか?
たまにはby妻さんの言うことに耳を傾けると、とてつもない拾いものがあるかもしれませんよ。
それにしても延喜式の式内社が、現在の東京23区には2社しかなかったとか。
出雲が最も多かったとは。
かつては東京も文化果つる地と聞いて、ちょっと溜飲の下がる思い。
いえ、決して東京が嫌いとかそういうことではなくて、何でも東京優先の世の中に一矢報いた感じがして、すっきりしたということです。
地方在住者の僻みなんですけどね。(^_^;)
コロナワクチンの予約が思いの外簡単にできました!
こちらは6月1日から予約だったのですが、案の定1日はまったく電話が通じず、ダメ元で2日に電話したら、なんと通じてしまい、一回目の接種が23日、二回目が7月14日(パリ祭ではありませんか!)と決定しました。
さて旅行解禁と考えてもいいのでしょうか?
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2021/06/05 07:03:24
- Re: 脇本春日神社と雄略天皇(?_?)
- 水田に写った雲。
写真を見直して、初めて気が付きました。そういえば、キレイな絵です。撮った時は、遺跡の地図と見比べて、どこが遺跡跡か、それしか興味なかったのです。余裕がありませんね。
By妻のいうことを聞いて、旅行を楽しむと同時に、景色も楽しむという、基本を思い出しました。
反省。お猿はえらい。
「しまった!見逃したぁ~、また行こう!」おっしゃる通りです。三歩進んで二歩下がる、という感じ。前には進んでいるみたいで、まあ、いいか。
kummingさんの直近の奈良旅といい勝負です。
次の奈良旅は、重心を続日本紀に移すつもりなのですが、飛鳥の撮り残し、行き残しがあって、そうも行かないみたい。
古代の天皇って面白いです。中でも一番は雄略さんかな。エピソードも豊富だし。中国の史書にも名を残したくらいで、卑弥呼さんと並んで、東アジアの古代史に燦然と輝いております。本名「ワカタケル」さんですよね。「わかちゃん、素敵!」というところ。
確かに粗暴で、繊細さにかけます。
小倉山の鹿がどうのこうのという歌なんか、おっしゃる通り似合わない。「どうしたの、昨日何か悪いもの食べたの?」という感じ。
出雲はすごかった。どの神社でしたか、摂社が式内社というのがあって、贅沢さに驚きました。
コロナワクチン接種の予約が取れてよかったですね。そりゃもう、旅行再開でしょう。
私たちは2回目が6月22日なので、7月初めには蠢動開始のつもりです。
ワクチンの後遺症があったって、そもそも、そろそろ寿命です。知ったこっちゃない。予定した旅行に猪突猛進の所存です。
ただし、マスク手洗い、「離れましょ、そうしましょ」(ソーシャルディスタンスの和語)を今まで以上に守ります。「勝って兜の緒をしめよ」まだ勝っていないけれど。
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- mistralさん 2021/06/02 15:25:30
- 旅行記に関係ないことですが、
- しにあの旅人さん
こんにちは。
私は密かに、ずっと、by妻さんのファンでした。
特に夫さんが目的物一途に突き進まれるところを、後方?いえいえ上方?から
捉えた表現をされる感性に、密かにニンマリとしております。
洗いたてのようにこざっぱりした印象の春日神社に対比してみると
雄略天皇のキャラクターについてのコメントには、思わず頷いております。
今回初めて参拝がかなったという向源寺も然り。
by妻さんは以前から、何かありそう、との予感を抱かれていたご様子。
由緒を伺うと、すごい昔からの歴史ある寺院。
御住職の奥さまからお話を聞かれて、何やらしにあさんにもひらめく物が?!
by妻さんの感性と、猪突猛進、粘り強い夫さんの二人三脚によって
これまでの旅行記が創り上げられてきていることに納得すると共に、脱帽です。
全く今回の旅行記に関係ないことを書いてきていて、
前のkumming さんからのコメントを読ませていただきましたら、同じような
感想を述べられていて、思わず笑ってしまいました。
次なる目的地は何処へ?
mistral
- しにあの旅人さん からの返信 2021/06/03 07:04:44
- Re: 旅行記に関係ないことですが、
- このブログはBy妻との2人3脚です。
By夫の実証主義とBy妻の浪漫主義と言われております。これはどうみても実証主義が分が悪い。いいのです。By妻の、「出典は私」という奔放なイメージ力に、これからもおんぶに抱っこの予定。
いただいたコメントに、本人喜んでおります。
これからもお願いします。なんとかもおだてれば木に登る。
以前ヤマトタケルの旅のどこかで、By妻が古墳は舞台で、その上で踊ったっり歌ったりして死者を弔ったというトンデモ説をぶち上げましたが、後でそういう学説もあることが分かりました。まんざらも思いつきの妄説ばかりではないようです。
要するにそういうふうに感じたということで、感性の問題。By妻の頭の中の一部が古代に繋がっているというか、古代から進化が止まっているというか。
これからもどたばたコンビで旅を続けます。
それにつけてもコロナの憎さよ。
-
- kummingさん 2021/06/01 17:54:42
- お猿さんに負けられません♪
- しにあさん、こんにちは♪
カキコ1番のりは気が引けますが(ーー;)
こんな鄙びた、いえ、うらびれた、もとい、地元の人以外、人知れずひっそりとある神社寺に気づかれ心惹かれられるby妻さんの目利き?嗅覚?ーに驚いています。
ほっとするようなお社の、よく手入れされているとはいえ、小さな村落の氏神様くらいの規模の春日神社。ご紹介の佇まいは、確かに雄略天皇の勇猛なイメージにそぐわないかもですね。雄略天皇のゆかりの神社とは意外な感じ…。
赤猪子のお話は、一体何をいわんとす?
雄略天皇が老婆を追い返すに、自分が老齢ゆえ、と女を気遣う温情を見せた、って所を強調したいのかしらん? けんもほろろに叩き出す、ではなく、お土産持たせて懇ろにお引き取り願ったと。大体、何十年どころか、数年も待たないな~、ほかにいっぱい楽しいこと見つけて遊びます♪ (←私のばやい、ですが)
ここまで、「六国史の旅 神武東征 庭付き一戸建て→3畳1間」の予告??
向原寺
「難波の堀江に捨てられた」→大阪西区の堀江→善光寺に捨てられた仏像←善光寺の起こり
「難波の堀江に捨てられた」→向原寺の門前向かって左に「難波池」小さな池→江戸時代に仏像の頭がみつかった
どっちどっち??
by妻さんの北九州出身の女性を見事に的中させる凄技、出身がバレているので、残念ながら、「私」で試してはもらえません(;o;)
脇目もふらずテーマに沿った旅を強行するby夫に連れ添い、いつも行きたい処を素通りされていたby妻さん!?
夫唱婦随の鏡のようなご夫婦、と思っておりましたが、意外にもそれは一方の寄り添う気持を頼みに、結構独りよがりな関係だったと(°_°)とはいえ、ご趣味、興味を共有されているからこその、テーマに沿った旅ですね。今後は、by夫さんの「妻のいう事をきくと良いブログがかける♪」この気づきを糧に、ますます仲良しこよし旅が展開される事でしょ~^ ^
私も、しにあさんに教えて頂いた先日の失敗を猛省して、お猿さんには負けられません?!
- しにあの旅人さん からの返信 2021/06/02 05:48:48
- Re: お猿さんに負けられません♪
- 三畳一間の旅はやってみたい。でも宮崎に行かなければなりません。一度行ったことはあるのですが、当時こういうブログやるとは思いもよらず、写真がありません。高千穂の夜神楽なんかもちゃんと観たんだけどなあ。今年の秋、福岡のお墓参りのとき、行ければ行きたいと思っています。九州は大分や、対馬も行きたいし、行きたい所ばっかりで困っています。全部コロナ次第。
1回目のワクチン、予定通り昨日行ってきました。左上腕部が痛い。インフルエンザのワクチンではこういうのありませんでした。だんだん奈良旅に出られる条件は揃いつつあるみたいですが、あとは向こうが来ていいよ、ってなるかどうか。
仏像さんは、結局どっちなんでしょうね。
最近、聖徳太子の件で書紀と、隋書倭国伝を丁寧に読んでいるのですが、記事が両方一致するケースがあります。藤原不比等もまさか隋書まで改竄できない。
仏像の件はさすがに隋書には出てきませんが、書紀は思ったより以上に史実をちゃんと書いているのではないかと思うようになりました。
「難波の堀江に仏像を捨てた」という書紀の記事は多分史実。とすると、近い豊浦の池の方が分があるように思います。
旅行の日程を作るとき、何時何分発ー目的地まで13分、なんてのを見せるのですが、こういうのだと自分の希望を言う気力がなくなるみたい。とにかくもうちょっと余裕のある旅にして、楽しい所に飛び込みで連れていったもらいたいと思っています。
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