桜井・三輪・山の辺の道旅行記(ブログ) 一覧に戻る
2020年6月、11月の飛鳥旅から、諸国寺社参り大和国編です。<br />六国史の旅でさんざんヘリクツをこね回しました。今回は4トラの旅ブログらしく、比較的素直にまいりたいと思います。安心してご覧下さい。<br /><br />談山神社から。お参りしたのは6月29日。<br />私メは大来大津のおっかけで目が血走っておりまして、フツーの観光もしたいというBy妻の願いを完無視、飛鳥の山野を駆け巡っておりました。飛鳥最後の日、ナビ席の美女がだんだん不機嫌になってくるのを察知、「ヤバ」ということで、懐柔のためご希望の談山神社に回りました。<br />「たんざん神社」と読むべきところを「だんざん」と今まで思っていたくらいの準備不足で、まさに潜水艦にパラシュート、俗にネコに小判と申します。<br />ところが、これが予想をはるかに上回る美しい神社でありました。<br />加えて、へりくつをこねまわす麺棒ともいうべき日本書紀、籐氏家伝も使えるとあって、俄然ブログを起こす気になったのであります。<br />中大兄皇子と鎌足は、本当にここで密談したんじゃないか。あっ、こういうことを思いつくようじゃ、フツーの旅行記は書けません。フツーの観光を心がけます、かな?<br /><br />今回の旅行記では次の資料を使用しました。<br />引用に際し僭越ながら敬称を略させていただきます。<br />「全現代語訳・日本書紀」宇治谷孟・講談社学術文庫<br />「万葉集・全訳注原文付」中西進・講談社学術文庫、引用では「万葉集中西」<br />「折口信夫全集第4巻・口約万葉集」中央公論社、引用では「万葉集折口」<br />「日本書紀」日本古典文学大系・坂本太郎他・岩波書店<br />読み下し文、漢文原文が必要な場合は本書を引用しました<br />「現代語訳 藤氏家伝」・沖森卓也/佐藤信/矢嶋泉訳・ちくま学芸文庫<br />「多武峰縁起絵巻 大化改新」談山神社編・梅田出版<br />「倭国伝」全訳注藤堂明保/竹田晃/影山輝國・講談社学術文庫<br /><br />4トラベルのブログは初投稿日順に並べることができません。<br />この旅行記は2020年6月23日~7月1日、11月14日~23日の2回の旅の記録ですが、初投稿日順に並べるために、12月1日以降の旅行日とします。<br />

諸国寺社参り 大和国1 談山神社

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2020/12/15 - 2020/12/15

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旅行記グループ 諸国寺社参り 大和国編

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しにあの旅人

しにあの旅人さん

2020年6月、11月の飛鳥旅から、諸国寺社参り大和国編です。
六国史の旅でさんざんヘリクツをこね回しました。今回は4トラの旅ブログらしく、比較的素直にまいりたいと思います。安心してご覧下さい。

談山神社から。お参りしたのは6月29日。
私メは大来大津のおっかけで目が血走っておりまして、フツーの観光もしたいというBy妻の願いを完無視、飛鳥の山野を駆け巡っておりました。飛鳥最後の日、ナビ席の美女がだんだん不機嫌になってくるのを察知、「ヤバ」ということで、懐柔のためご希望の談山神社に回りました。
「たんざん神社」と読むべきところを「だんざん」と今まで思っていたくらいの準備不足で、まさに潜水艦にパラシュート、俗にネコに小判と申します。
ところが、これが予想をはるかに上回る美しい神社でありました。
加えて、へりくつをこねまわす麺棒ともいうべき日本書紀、籐氏家伝も使えるとあって、俄然ブログを起こす気になったのであります。
中大兄皇子と鎌足は、本当にここで密談したんじゃないか。あっ、こういうことを思いつくようじゃ、フツーの旅行記は書けません。フツーの観光を心がけます、かな?

今回の旅行記では次の資料を使用しました。
引用に際し僭越ながら敬称を略させていただきます。
「全現代語訳・日本書紀」宇治谷孟・講談社学術文庫
「万葉集・全訳注原文付」中西進・講談社学術文庫、引用では「万葉集中西」
「折口信夫全集第4巻・口約万葉集」中央公論社、引用では「万葉集折口」
「日本書紀」日本古典文学大系・坂本太郎他・岩波書店
読み下し文、漢文原文が必要な場合は本書を引用しました
「現代語訳 藤氏家伝」・沖森卓也/佐藤信/矢嶋泉訳・ちくま学芸文庫
「多武峰縁起絵巻 大化改新」談山神社編・梅田出版
「倭国伝」全訳注藤堂明保/竹田晃/影山輝國・講談社学術文庫

4トラベルのブログは初投稿日順に並べることができません。
この旅行記は2020年6月23日~7月1日、11月14日~23日の2回の旅の記録ですが、初投稿日順に並べるために、12月1日以降の旅行日とします。

旅行の満足度
5.0
同行者
カップル・夫婦(シニア)
交通手段
自家用車
旅行の手配内容
個別手配

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  • 正面鳥居からは入山できません。向かって左の社務所にまいります。

    正面鳥居からは入山できません。向かって左の社務所にまいります。

    談山神社 寺・神社

    駐車場完備 by しにあの旅人さん
  • 拝観料を納めました。

    拝観料を納めました。

  • 境内地図を確認。

    境内地図を確認。

  • コロナ騒ぎの間を縫った旅でしたから、人影はまばらでした。

    コロナ騒ぎの間を縫った旅でしたから、人影はまばらでした。

  • 梅雨のさなかでしたが、幸い雨に降られることもなく、熱暑にも悩まされず、日頃の行いの良さをかみしめました。さわやかな境内です。

    梅雨のさなかでしたが、幸い雨に降られることもなく、熱暑にも悩まされず、日頃の行いの良さをかみしめました。さわやかな境内です。

  • 権殿、だそうです。

    権殿、だそうです。

  • 新廟拝所にうかがいます。正面に有名な十三重の塔。神社にお寺の塔とは不思議ですが、談山神社はもともと多武峰妙楽寺というお寺でした。1869年(明治2年)廃仏毀釈にあいました。<br />明治新政府の、野蛮かつ無意味な政策により、神社は廃され、そのまま談山神社という神社になりました。さいわい建物はそのままでした。十三重の塔もそのままでした。<br />

    新廟拝所にうかがいます。正面に有名な十三重の塔。神社にお寺の塔とは不思議ですが、談山神社はもともと多武峰妙楽寺というお寺でした。1869年(明治2年)廃仏毀釈にあいました。
    明治新政府の、野蛮かつ無意味な政策により、神社は廃され、そのまま談山神社という神社になりました。さいわい建物はそのままでした。十三重の塔もそのままでした。

  • 拝殿を見上げております。木立に包まれた静かな神社でした。

    拝殿を見上げております。木立に包まれた静かな神社でした。

  • その拝殿から見下ろします。

    その拝殿から見下ろします。

  • 拝殿を回廊が取り巻いております。

    拝殿を回廊が取り巻いております。

  • 神社ではあまり見ないつくりです。

    神社ではあまり見ないつくりです。

  • 拝殿から本殿。藤原鎌足をお祀りしております。

    拝殿から本殿。藤原鎌足をお祀りしております。

  • 残念ながらピンぼけ。<br />拝殿内部です。<br />

    残念ながらピンぼけ。
    拝殿内部です。

  • 談山神社は、もとはブログにする予定はありませんでした。気が変わったのは、11月に飛鳥の大原神社に行ったとき。

    談山神社は、もとはブログにする予定はありませんでした。気が変わったのは、11月に飛鳥の大原神社に行ったとき。

  • ここが藤原鎌足生誕の地といわれております。

    ここが藤原鎌足生誕の地といわれております。

    藤原鎌足誕生地 名所・史跡

    飛鳥時代のロマンを感じる散歩コース。駐車可。 by しにあの旅人さん
  • このような案内板がありました。

    このような案内板がありました。

  • なぬ、ここからが談山神社への表参道だと?<br />談山神社は多武峰の山中にあります。	<br />中大兄皇子と鎌足は、多武峰で乙巳の変の計画を練ったということになっております。<br />6月石舞台から県道155で談山神社へ行きました。<br />県道155は最近開通しました。でもこの道筋は古くから飛鳥から宇陀に抜ける街道で、今もハイキングコースのような旧道が途切れ途切れに残っているそうです。<br />貴公子2人がお供を連れて馬でパカパカ上がっていけば、ものすごく目立つ。密談なんかできっこない。2人とも女づれで、多武峰でパーティするとかという名目ならOKかな、などと不謹慎な想像。<br />蘇我入鹿の秘密警察はごまかせても、「お前ら、女連れで何したんだ?」と、別な話題で飛鳥ブンシュンの格好の餌食。<br /><br />中大兄皇子と鎌足は肝胆相照らす仲になり、蘇我入鹿暗殺の計画を練るのですが、2人が仲がいいことから計画の発覚を恐れて、<br />★日本書紀皇極3年(日付不明)、<br />「共に書物を持って、南淵請安の所に、自ら儒教をまなぶことにした。往復の路上で肩を並べてひそかに図った」☆<br />というくらいに警戒していました。<br />蘇我の密偵の目が光っていたのです。<br />2人で街道をおおっぴらに行って山に籠もるのは不可能。<br />でも大原から多武峰に行くとすると、話が変わってくる。<br />あ、この辺から、観光ブログ脱線し始める。まあ、いいか。<br />

    なぬ、ここからが談山神社への表参道だと?
    談山神社は多武峰の山中にあります。
    中大兄皇子と鎌足は、多武峰で乙巳の変の計画を練ったということになっております。
    6月石舞台から県道155で談山神社へ行きました。
    県道155は最近開通しました。でもこの道筋は古くから飛鳥から宇陀に抜ける街道で、今もハイキングコースのような旧道が途切れ途切れに残っているそうです。
    貴公子2人がお供を連れて馬でパカパカ上がっていけば、ものすごく目立つ。密談なんかできっこない。2人とも女づれで、多武峰でパーティするとかという名目ならOKかな、などと不謹慎な想像。
    蘇我入鹿の秘密警察はごまかせても、「お前ら、女連れで何したんだ?」と、別な話題で飛鳥ブンシュンの格好の餌食。

    中大兄皇子と鎌足は肝胆相照らす仲になり、蘇我入鹿暗殺の計画を練るのですが、2人が仲がいいことから計画の発覚を恐れて、
    ★日本書紀皇極3年(日付不明)、
    「共に書物を持って、南淵請安の所に、自ら儒教をまなぶことにした。往復の路上で肩を並べてひそかに図った」☆
    というくらいに警戒していました。
    蘇我の密偵の目が光っていたのです。
    2人で街道をおおっぴらに行って山に籠もるのは不可能。
    でも大原から多武峰に行くとすると、話が変わってくる。
    あ、この辺から、観光ブログ脱線し始める。まあ、いいか。

  • このあたりを調べたくなって、談山神社発行の「多武峰縁起絵巻」を取り寄せました。なんとアマゾンで売っていました。本文23ページの冊子ですが、絵巻全体、詞書きの和風漢文の現代語訳が掲載されています。大変役にたちました。

    このあたりを調べたくなって、談山神社発行の「多武峰縁起絵巻」を取り寄せました。なんとアマゾンで売っていました。本文23ページの冊子ですが、絵巻全体、詞書きの和風漢文の現代語訳が掲載されています。大変役にたちました。

  • 談山神社宮司さんの「はじめに」という序文に、<br />「以前からこの絵巻を手元に置いて、じっくり見て見たいという多くの人たちの要望がありました。よってここに絵巻をカラー写真で巻頭から巻末まで順に全巻掲載し、下段には縁起の詞書きをよみやすくするため、原文に即して現代文に訳しました」<br />そとおりです。貴重な文化財を、このように印刷物で、しかも現代語訳つきで公開する、談山神社さん、まさにGood Jobです!!<br />是非ほかの神社仏閣さんにも見習ってもらいたい。<br />

    談山神社宮司さんの「はじめに」という序文に、
    「以前からこの絵巻を手元に置いて、じっくり見て見たいという多くの人たちの要望がありました。よってここに絵巻をカラー写真で巻頭から巻末まで順に全巻掲載し、下段には縁起の詞書きをよみやすくするため、原文に即して現代文に訳しました」
    そとおりです。貴重な文化財を、このように印刷物で、しかも現代語訳つきで公開する、談山神社さん、まさにGood Jobです!!
    是非ほかの神社仏閣さんにも見習ってもらいたい。

  • 上段に絵巻本体、下段に現代語訳です。<br />成立したのは神社社伝では室町時代、詞書きは一条兼良、絵は土佐光茂とされております。7世紀初めの藤原鎌足の出生から、11世紀まで、多武峰永楽寺の縁起を語った絵巻です。<br />

    上段に絵巻本体、下段に現代語訳です。
    成立したのは神社社伝では室町時代、詞書きは一条兼良、絵は土佐光茂とされております。7世紀初めの藤原鎌足の出生から、11世紀まで、多武峰永楽寺の縁起を語った絵巻です。

  • 鎌足が、中大兄皇子と、乙巳の変の計画を練ったという絵巻第八段。

    鎌足が、中大兄皇子と、乙巳の変の計画を練ったという絵巻第八段。

  • 右が中大兄皇子、左の黒衣の人物が鎌足です。衣装は、飛鳥時代ではなく、平安時代のようです。

    右が中大兄皇子、左の黒衣の人物が鎌足です。衣装は、飛鳥時代ではなく、平安時代のようです。

  • 詞書きです。<br />現代語訳全文です。<br />「中大兄皇子は、鎌足に心中を打ち明けて、「鞍作(入鹿のこと)は暴虐だ。これをどうしたらよいか、-望むところは奇策を述べて欲しい」と・・・。<br />そこで、鎌足は、皇子を引き連れて都城の東の倉橋山に登り、藤花が咲いているその下で、撥乱反正(乱れた世をおさめて、平和な世にもどす)の謀ごとを談らい合った。<br />皇子が大いに喜んで言う。「わたしの子房(中国漢時代の重臣、張良のような人)である。わたしがもし天皇に即位したなら、あなたの名前をあらためて藤原とせよ」と・・・。<br />よってその談合する峯を、名付けて談峯(だんぼう)という。のちには「多武(たむ)」の二字を用いるようになった」<br /><br />「多武峰」の語源です。<br />「其談慮号曰談峯後用多武二字」を、<br />「よってその談合する峯を、名付けて談峯(だんぼう)という。のちには「多武(たむ)」の二字を用いるようになった」と読むそうです。<br />談(だん)峯(ぼう)→多武(たむ)峯(ぼう、みね)<br /><br />「桜井市観光ボランティアの会」ホームページによれば、<br />「後に談所の地を“談の峯”(たむのみね)と呼ばれた」<br />http://sakuraishi.web.fc2.com/index.html<br />談の峯(たむ)のみね→多武峯(たむ)のみね、こっちの方がありえる。<br />「談」と「たむ」と読むのですかね。<br />いずれにしても「たむのみね→「とうのみね」はちょっと苦しいような。<br />いずれにしても知らんかった。<br />

    詞書きです。
    現代語訳全文です。
    「中大兄皇子は、鎌足に心中を打ち明けて、「鞍作(入鹿のこと)は暴虐だ。これをどうしたらよいか、-望むところは奇策を述べて欲しい」と・・・。
    そこで、鎌足は、皇子を引き連れて都城の東の倉橋山に登り、藤花が咲いているその下で、撥乱反正(乱れた世をおさめて、平和な世にもどす)の謀ごとを談らい合った。
    皇子が大いに喜んで言う。「わたしの子房(中国漢時代の重臣、張良のような人)である。わたしがもし天皇に即位したなら、あなたの名前をあらためて藤原とせよ」と・・・。
    よってその談合する峯を、名付けて談峯(だんぼう)という。のちには「多武(たむ)」の二字を用いるようになった」

    「多武峰」の語源です。
    「其談慮号曰談峯後用多武二字」を、
    「よってその談合する峯を、名付けて談峯(だんぼう)という。のちには「多武(たむ)」の二字を用いるようになった」と読むそうです。
    談(だん)峯(ぼう)→多武(たむ)峯(ぼう、みね)

    「桜井市観光ボランティアの会」ホームページによれば、
    「後に談所の地を“談の峯”(たむのみね)と呼ばれた」
    http://sakuraishi.web.fc2.com/index.html
    談の峯(たむ)のみね→多武峯(たむ)のみね、こっちの方がありえる。
    「談」と「たむ」と読むのですかね。
    いずれにしても「たむのみね→「とうのみね」はちょっと苦しいような。
    いずれにしても知らんかった。

  • 神社を覆うように談所の森と御破裂山があります。<br />談所の森は十三重の塔から歩いて10分だそうですが、行っておけばよかったと後の祭りです。<br />

    神社を覆うように談所の森と御破裂山があります。
    談所の森は十三重の塔から歩いて10分だそうですが、行っておけばよかったと後の祭りです。

  • この密談については書紀には記載がありません。<br />「籐氏家伝」にほぼ同じ文章があります。<br />★「こうした中、中大兄皇子は大臣(鎌足)に、<br />『天皇(王)の政治が議政官(太夫)によって左右され、周王室の権威が、魯の公族、季孫氏に移ったように、皇位が重臣の手に渡ろうとしている。公(鎌足)はこの事態にどう対処しようとするのか。妙策があれば、述べて欲しい』<br />と言われた。大臣は、乱れた世を治め、正道に戻すことのできる計略を詳細に申し上げた。中大兄皇子はこれを喜び、<br />『まさに公は私にとって漢の子房(張良)のような信頼するに足る存在であると』<br />と言われた」☆<br />密談の場所についてはなにも書いてありません。「あなたの名前をあらためて藤原とせよ」もなし。<br />「藤氏家伝」は8世紀半ばの成立ですから、「多武峰縁起絵巻」の作者が「籐氏家伝」の文章をパクったことは間違いありません。作者は当時の多武峰妙法寺、かつ藤原氏の関係者で、自分の都合のいいように縁起を作った。<br />常識的に考えれば、多武峰山中の談合は、伝説ということです。<br />ただ、<br />

    この密談については書紀には記載がありません。
    「籐氏家伝」にほぼ同じ文章があります。
    ★「こうした中、中大兄皇子は大臣(鎌足)に、
    『天皇(王)の政治が議政官(太夫)によって左右され、周王室の権威が、魯の公族、季孫氏に移ったように、皇位が重臣の手に渡ろうとしている。公(鎌足)はこの事態にどう対処しようとするのか。妙策があれば、述べて欲しい』
    と言われた。大臣は、乱れた世を治め、正道に戻すことのできる計略を詳細に申し上げた。中大兄皇子はこれを喜び、
    『まさに公は私にとって漢の子房(張良)のような信頼するに足る存在であると』
    と言われた」☆
    密談の場所についてはなにも書いてありません。「あなたの名前をあらためて藤原とせよ」もなし。
    「藤氏家伝」は8世紀半ばの成立ですから、「多武峰縁起絵巻」の作者が「籐氏家伝」の文章をパクったことは間違いありません。作者は当時の多武峰妙法寺、かつ藤原氏の関係者で、自分の都合のいいように縁起を作った。
    常識的に考えれば、多武峰山中の談合は、伝説ということです。
    ただ、

  • これが気になる。<br /><br />中大兄皇子と藤原鎌足になったつもりで考えます。<br />暗殺計画を実行するためには、詳細な手順を決めなければならない。皇子、鎌足、その他の参加者を集めて、シュミレーションが必要です。入鹿役もいる。10人くらいは必須でしょう。<br />どこでやるか。<br />中大兄皇子の宮はおそらく飛鳥宮の中、皇居に10人が集まって暗殺のシュミレーション?<br />一発でばれます。<br />大原の鎌足の屋敷?<br />そこに当時の天皇後継No1の中大兄皇子以下10人が集まるのも、やばいでしょう。<br />どこか目立たないところに、ばらばらに集合するしかない。<br />多武峰山中。どこかは別として、いろいろなルートがある。なかでも主力の鎌足の屋敷の裏口を出ればすぐ山中です。<br />ある日、参加者はそれぞれ別なルートで、適当な口実で多武峰に向かう。<br />集合は後年の談山でなくてもよい。そもそも乙巳の変実行の645年には多武峰山妙法寺は存在しません。<br />こう考えると、多武峰山中の談合は、史実の可能性が強いのではないか。<br />

    これが気になる。

    中大兄皇子と藤原鎌足になったつもりで考えます。
    暗殺計画を実行するためには、詳細な手順を決めなければならない。皇子、鎌足、その他の参加者を集めて、シュミレーションが必要です。入鹿役もいる。10人くらいは必須でしょう。
    どこでやるか。
    中大兄皇子の宮はおそらく飛鳥宮の中、皇居に10人が集まって暗殺のシュミレーション?
    一発でばれます。
    大原の鎌足の屋敷?
    そこに当時の天皇後継No1の中大兄皇子以下10人が集まるのも、やばいでしょう。
    どこか目立たないところに、ばらばらに集合するしかない。
    多武峰山中。どこかは別として、いろいろなルートがある。なかでも主力の鎌足の屋敷の裏口を出ればすぐ山中です。
    ある日、参加者はそれぞれ別なルートで、適当な口実で多武峰に向かう。
    集合は後年の談山でなくてもよい。そもそも乙巳の変実行の645年には多武峰山妙法寺は存在しません。
    こう考えると、多武峰山中の談合は、史実の可能性が強いのではないか。

  • 25000分の1地図です。大原神社-万葉公園-談山神社を結ぶ点線、つまり徒歩道があります。飛鳥から万葉公園に至る遊歩道は何本もあります。このあたりのハイキングのブログを拝見すると、森の中のハイキングコースです。<br />木の根ゴツゴツの杣道なら、当時もあったでしょう。<br />現在の万葉公園あたりは、飛鳥からばらばらに集まってくるには、最適です。<br /><br />完全に観光ブログを脱線しました。申し訳ありませんでした。<br />御朱印をいただきたくて拝殿に行ったら、ここではない、どこそこ、2度たらい回しされましたが、無事いただきました。<br />

    25000分の1地図です。大原神社-万葉公園-談山神社を結ぶ点線、つまり徒歩道があります。飛鳥から万葉公園に至る遊歩道は何本もあります。このあたりのハイキングのブログを拝見すると、森の中のハイキングコースです。
    木の根ゴツゴツの杣道なら、当時もあったでしょう。
    現在の万葉公園あたりは、飛鳥からばらばらに集まってくるには、最適です。

    完全に観光ブログを脱線しました。申し訳ありませんでした。
    御朱印をいただきたくて拝殿に行ったら、ここではない、どこそこ、2度たらい回しされましたが、無事いただきました。

  • 最後に談山神社の御朱印で、一応フツーのブログらしくいたします。<br /><br />一書に曰く、<br />談山神社にお参りいたしました。<br />大来、大津姉弟を追いかけての旅で、あちらこちらにいくみちすがら、何度も、こちら談山神社という標識を見ました。<br />こんな近くまで来て行かないの?<br />何回聞いても無視されていたのですが、なんの風の吹き回しか、行こうということになりました。飛鳥から向かいます。<br />週日だし、コロナだし、道は空いておりました。<br />広い舗装された堂々たる自動車道路です。山をめぐって道路は、先の先まで見通せます。昔からある道を広げたのでしょうか。中大兄皇子と藤原鎌足は、ここを通ったのか?だとしたら、目立ったことでしょう。<br />とにかく、隠れようもなく見通せるのですから。<br />ここを歩いて行ったのだろうか?馬だろうか?どっちにしても目立ったよねえ。<br />By夫は、そうだなあ。カモフラージュに女連れで行ったんじゃないか。<br />へえ、あんたのカモフラージュって、女かい?<br />刑事ドラマか!<br />女連れなら、時間がかかって、はかどらないことこの上ない。第一日帰りできたんでしょうか?二、三日休暇をとって、行ったのでしょうか?有給か?<br />だとしたら、バレバレじゃん。<br />私の疑問はつきません。<br /><br />駐車場は、ふたつもありました。こんなに広いとは、来るときは来るのね。と、歩き出しましたが、これは談山神社の裏側でした。<br />たぶん、観光バスで来た人たちは、まず正門で降ろされて、バスだけここに駐めたのではないでしょうか。<br />かなり歩きました。駐車場からくだり、山に入り、宿泊施設のそばを通り抜け、登って行きましたが、コロナで人が来ないからとは思えない雑草の茂りようでした。<br />登っている最中は、クーデター密談した場所が昔のままに残されているのかと、少々期待しましたが、そんなはずもなく。<br />ご立派な寺院建築でございました。<br />神社なのに。<br />手塚治虫の「火の鳥」に、日本在来の神と、仏教の神とが戦うのがあったなあ。手塚治虫は天才です。<br /><br />お参りするのに、靴を脱いで拝殿に上ります。<br />駐車場に車が、1、2台しかなかったから、参拝客も多いはずもなく。私たちが入って行った時に、向こう側に一組、帰るときに一組って感じでした。<br />こんなに空いている時なんてないでしょうね。ラッキーでした。<br />けれど、コロナ無しのときの初詣の時など、靴脱いで上がって参拝するのでは、さぞや混乱することでしょう。この神社の信徒さんは、皆さん、礼儀正しく謙譲の精神にあふれているのでしょうか。それとも、談山神社のスタッフが、よっぽど訓練されていて、びしっばしっ整理するのかしらん。それを見に、一度来てみたいです。<br />拝殿にはいると、ドドーンと談山という大きな字に圧倒されました。そして絵巻物。<br />更に細々と読んでいくと、蹴鞠の会のお知らせとか、維摩八講会とか。なになに?大和四座が猿楽を競った。宝生、観世、金剛、金春。なるほど、ここは能発祥の地なのだね。<br />団十郎までは、(今はまだ海老様ですが、)理解できるのですが、能は、眠っちゃって。<br />朦朧としてしまうのがいいと、小林秀雄が言いましたが。私には観劇した後の高揚感がなくて、無知でございました。<br /><br />拝殿を囲んで、他所のお寺さんより、はるかに長い回廊があります。<br />回廊に出ると、ここは二階の高さです。<br />目には緑、風はそよそよ。い~いきもちです。ここで昼寝したくなります。<br />なるほど、女連れでバカンスって言えば、信じてもらえたかも。<br />談山神社行くの?うまくやんな。なんて、ウインクなんてされちゃって。<br />By妻<br />

    最後に談山神社の御朱印で、一応フツーのブログらしくいたします。

    一書に曰く、
    談山神社にお参りいたしました。
    大来、大津姉弟を追いかけての旅で、あちらこちらにいくみちすがら、何度も、こちら談山神社という標識を見ました。
    こんな近くまで来て行かないの?
    何回聞いても無視されていたのですが、なんの風の吹き回しか、行こうということになりました。飛鳥から向かいます。
    週日だし、コロナだし、道は空いておりました。
    広い舗装された堂々たる自動車道路です。山をめぐって道路は、先の先まで見通せます。昔からある道を広げたのでしょうか。中大兄皇子と藤原鎌足は、ここを通ったのか?だとしたら、目立ったことでしょう。
    とにかく、隠れようもなく見通せるのですから。
    ここを歩いて行ったのだろうか?馬だろうか?どっちにしても目立ったよねえ。
    By夫は、そうだなあ。カモフラージュに女連れで行ったんじゃないか。
    へえ、あんたのカモフラージュって、女かい?
    刑事ドラマか!
    女連れなら、時間がかかって、はかどらないことこの上ない。第一日帰りできたんでしょうか?二、三日休暇をとって、行ったのでしょうか?有給か?
    だとしたら、バレバレじゃん。
    私の疑問はつきません。

    駐車場は、ふたつもありました。こんなに広いとは、来るときは来るのね。と、歩き出しましたが、これは談山神社の裏側でした。
    たぶん、観光バスで来た人たちは、まず正門で降ろされて、バスだけここに駐めたのではないでしょうか。
    かなり歩きました。駐車場からくだり、山に入り、宿泊施設のそばを通り抜け、登って行きましたが、コロナで人が来ないからとは思えない雑草の茂りようでした。
    登っている最中は、クーデター密談した場所が昔のままに残されているのかと、少々期待しましたが、そんなはずもなく。
    ご立派な寺院建築でございました。
    神社なのに。
    手塚治虫の「火の鳥」に、日本在来の神と、仏教の神とが戦うのがあったなあ。手塚治虫は天才です。

    お参りするのに、靴を脱いで拝殿に上ります。
    駐車場に車が、1、2台しかなかったから、参拝客も多いはずもなく。私たちが入って行った時に、向こう側に一組、帰るときに一組って感じでした。
    こんなに空いている時なんてないでしょうね。ラッキーでした。
    けれど、コロナ無しのときの初詣の時など、靴脱いで上がって参拝するのでは、さぞや混乱することでしょう。この神社の信徒さんは、皆さん、礼儀正しく謙譲の精神にあふれているのでしょうか。それとも、談山神社のスタッフが、よっぽど訓練されていて、びしっばしっ整理するのかしらん。それを見に、一度来てみたいです。
    拝殿にはいると、ドドーンと談山という大きな字に圧倒されました。そして絵巻物。
    更に細々と読んでいくと、蹴鞠の会のお知らせとか、維摩八講会とか。なになに?大和四座が猿楽を競った。宝生、観世、金剛、金春。なるほど、ここは能発祥の地なのだね。
    団十郎までは、(今はまだ海老様ですが、)理解できるのですが、能は、眠っちゃって。
    朦朧としてしまうのがいいと、小林秀雄が言いましたが。私には観劇した後の高揚感がなくて、無知でございました。

    拝殿を囲んで、他所のお寺さんより、はるかに長い回廊があります。
    回廊に出ると、ここは二階の高さです。
    目には緑、風はそよそよ。い~いきもちです。ここで昼寝したくなります。
    なるほど、女連れでバカンスって言えば、信じてもらえたかも。
    談山神社行くの?うまくやんな。なんて、ウインクなんてされちゃって。
    By妻

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この旅行記へのコメント (4)

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  • 前日光さん 2021/05/15 23:42:22
    作戦練りの場所?
    こんばんは、しにあさん
    いいね!してから時間が経ってしまいましたが、どうもパソコンの具合がイマイチ&体調不良等々、でやっとコメントできることに。

    談山神社、友だちの友だちが、この近くに住んでいるらしいとの情報あり。
    「飛鳥坐神社」から4キロの道、談山神社への表参道でもあるこの道が、クーデター計画を練った道?
    まぁ、確かに中大兄と鎌足が、この道をヒソヒソ話しながら歩いていたら怪しまれますよね?だからといって女連れねぇ(^^;)
    蹴鞠しながら相談?絵としてはサマになりますが、息切れしちゃって談合にならない。
    だいたい内緒話をスポーツしながらというのは、無理ですよねぇ。
    はてさて密談は、どれくらいの回数で何人が参加していたのか?
    興味は尽きませんね!

    談山神社は、よく標識なんかを見かけますが、まだ訪れたことはありません。
    山の上の方だから腰に響くだろうなと思うと、躊躇してしまって。。。腰椎を二ヶ所ほど骨折したせいで、歩くとすぐに腰が痛くなってしまい(~_~;)
    でも中大兄や鎌足絡みとなったら、無理しちゃうかもしれません。

    それにしても、この談山神社、「多武峯縁起絵巻」を現代語訳付きで公開しているなんて、なんと太っ腹なことでしょう!
    知りたい好奇心に対して、誠実な対応ですね!
    こういう資料が入手できると、妄想がますます止まらなくなりますねぇ( ̄∇ ̄)

    万葉公園は大原神社と談山神社の、やや談山神社寄りの地点にあるのですね?
    ここも見晴らしがいいので、簡単には行けそうもなく。。。
    早くコロナが収束してくれないと、ますます体力がなくなりますので、今年の夏頃には自由に旅ができるといいのですが。

    しにあさんたちは、また奈良旅の予定もあるようで。
    その旅での情報ゲットまで、しばらくは中大兄、鎌足、不比等などの話になるのでしょうか?
    フツーの旅行記を作ろうとして、つい横道に入り込んでしまうしにあさんたち。
    毎回楽しみなことですよ。


    前日光

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2021/05/16 06:36:48
    Re: 作戦練りの場所?
    おはようございます。
    このクーデター、事前にシュミレーション必ずしたはず。人数が多くて回数を重ねればバレる確率が上がるので、全員参加は直前の1回、10人くらい。「ここで俺が合図したら、お前は門を閉めろ」てな具合。
    前日光さんの場合、学校で、運動会開会式の手順なんか、リハーサルしませんでしたか。
    となると、やはり多武峯山中でしょうね。皇子、鎌足、石川麻呂の幹部3人くらいは、何回も散歩がてら、「やあ、皆さん、いい天気で、どちらへ?」とか言いながら、ヒソヒソやったのではないかと。

    談山神社はおすすめです。オフシーズン、平日、とにかく団体観光客がいない時。わざわざ観光バス専用の駐車場があるくらいで、混む時は混むみたいです。
    お隣2ヶ国の観光客が来る前、じっくりと楽しまれるのが、よろしいでしょう。コロナも恐るばかりではなく、有効利用を図るべき、あれ、不謹慎かな。
    やはり車でしょう。路線バスもあるみたいですが、スポットに書いておきましたが、バス停はふくやの前で、ここから神社入り口までちょっと歩きます。坂道か、階段です。

    多武峰縁起絵巻、神社では品切れでした。ダメもとでアマゾンをあたったら、あった!即ポチでした。やはり欲しがる人は日本中に多いのです。だったら、神社においておくより、アマゾンに扱ってもらったほうがいい、と神社が考えたかどうかが知りません。
    640円だったかな。30ページもない冊子ですが、欲しい人はいくらでも買うでしょう。それをこの値段にしてくれたのは、神社は儲けるつもりはないということで、感謝。お決まりの無断コピー引用不可の脅し文句もなし。ご自由に研究資料でお使いください、ということで、しっかり使わせていただきました。
    法隆寺もこのくらいの太っ腹でやってくれませんかね。天寿国繡帳なんか、書かれている文字の現代語訳付きで出版してくれたら、大喜びで買う人はいると思います。

    コロナワクチンは、我が町では、最短7月3日に2回目が終わることになります。まあ、予定通りには行きませんね。1回目が確定したら、早速旅程を立てるつもりです。
  • kummingさん 2021/05/13 17:17:34
    六国史の旅 第2章 プロローグ♪
    いつも写真より文字の占める割合が圧倒的に大きい、多い、しにあさんのブログ、今回は写真が多くて大きい?
    ↑フツ~の観光ブログを目指す試みかとお察しします♪

    談山神社、ここが父鎌足の為に息子定慧と不比等が建立したお寺(神社)なのですね。ちょっと前に、他の4traトラベラーさんのブログで拝見した時は、人出も多く、観光地化された神社みたいで、結構人気あるんだ~、と驚いたのですが、しにあさんご夫妻が訪れられた時の様子では、閑散とした静謐な雰囲気の神社に見受けられ、同じ場所とは思えない(°_°)
    乙巳の変に至る経緯、しにあ節面目躍如、やはりフツ~の観光ブログで終わるワケがありません♪ 蹴鞠の席での出会いの後「これより互いに親密になって思うところを述べ、隠し隔ては全くなかった。また頻繁に接するのを他人が疑いはしないかと恐れて、二人共手に書籍を持って、周公、孔子の教えを南淵先生のもとで学んだ。そうして往還の途中に路上で肩を並べて密かに計画し、悉く考えが一致した」 日本書紀のこの場面ですが、確かにこれだけであんなに大胆な計画は練れませんね。大原神社の「ここが談山神社への表参道である」の一文にヒラメき、藤氏家伝と多武峰縁起絵巻に導かれた!さすがしにあさん、でございます♪ 実際に、談所の森、という処があるのですか?二人が密談を重ねた場所として?

    大原神社~二人が初めて出会った蹴鞠の場所、飛鳥寺まで200m、入鹿を暗殺した板蓋宮まで600m、多武峰方面~石舞台古墳へ(下りて行く道が整備され、距離が縮まったそうで)、周遊ルートになりそうです。

    多武峰縁起絵巻の入鹿の首が宙に浮いているシーンですが、私は何処かで入鹿の首が皇極天皇の御座に喰らい付いて(?)、恨めしげに皇極天皇を睨むの図、を見た様な気がするのですが…?入鹿と皇極天皇がただらなぬ関係で、何で私がこんな目に?みたいな入鹿の恨みが現れているシーンとして記憶してます。

    しにあさんの注目点とはズレますが、軽皇子(孝徳帝)が「心ばえ高く立ち居振る舞いが優れている鎌足」の労に報いる為に、自分の寵姫に鎌足のお世話をさせて(おもてなし)、その結果生まれた長男定慧は御落胤?の疑いがあるので、長男なのに出家させ、遣唐使に出された、という説についてはどうですか?不比等にもご落胤説があるとも?いけないいけない、またとんでも説に引き込まれそうです(ーー;)

    おもてなしで子ができる、古代史ロマン(笑笑) 家臣に払い下げられる寵姫の立場になってみると、今ならモラハラ、ジェンダー問題化、必須ですね!

    不比等が歩いた坂道、前回の夏見廃寺、ここ談山神社にも、行ってみたい♪
    今後の展開からも目が離せません♪ ヒーロー、ヒロインはだ~れ?

    しにあの旅人

    しにあの旅人さん からの返信 2021/05/14 08:55:53
    Re: 六国史の旅 第2章 プロローグ♪
    写真が多くて文章が少ない、バレたか。
    次の六国史の旅がコロナ騒ぎの影響で延期中、ヒロインもヒーローも楽屋待機中です。
    別の話題で当面頑張ります。

    まず上恵ご落胤説。
    多武峰縁起にありました。「上恵」となっています。22段に書いてある。「(孝徳天皇は)懐妊した寵姫(車持夫人)を(鎌足に)賜った。その姫は孕むことすでに6ヶ月であった。みことのりしていわれるには、「生まれた子が男ならあなたの子となし、もし女なら朕の子となそう」と固く約束して見送った。4ヶ月にして産まれた子は男だった。これがのちの上恵和尚である」
    おもてなしではないようです。
    26段に「貞恵和尚は、鎌足の長男だが、実際は天万豊日天皇(孝徳天皇)の皇子である」ともっとはっきり書いています。
    たしか不比等にも似た話が。こっちは天智天皇のご落胤説。
    好きだなあ、昔の人は、こういう話。何がなんでも天皇の御落胤なら尊い、という事らしい。
    んなバカな話はない。ましてや気が強い女が多かった飛鳥時代ですよ。三千代さんにこんな話持っていったら、その場でぶん殴られると思いませんか。
    専門の研究者はご落胤説に否定的だそうです。

    鎌足が優秀な長男を唐に送ったのは、将来外交を任せる気だったのではないかと。今ならハーバートに留学させて、将来の大統領候補と親交を結ばせる、という感じ。唐の将来の大臣、あわよくば次の次あたりの皇帝と友達になってこい。

    皇子と鎌足が談合した場所というには背後の山の中にあります。でも談山神社はBy妻のご機嫌取りに行ったので、その時は深入りする気はなし。後悔後に立たずと申します。それでもBy妻が写真を撮っておいてくれたので、ブログ1本作れました。私はカメラしまったまま。
    このあとあべの文殊院にも彼女のご希望で行きましたが、こっちは気に入らなかったらしく写真なし。
    取材旅行も気を一応使うのであります。

    入鹿の首が追いかけてきたので、鎌足がここまで逃げたという場所があります。どこだか忘れた。気持ち悪いので深追いしません。

    前日光さんやMistralさんも夏見廃寺辺りのそぞろ神に取り憑かれたみたいです。
    Kummingさんも、ぜひこの辺り再訪を!
    旅に行かせる気にさせる、たしか4トラのブログのねらいはここにあるはず。少なくとも少しは効果はあったみたい。

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