2023/10/25 - 2023/10/25
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しにあの旅人さん
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前回何回も出演した畠山重忠。
埼玉県人で重忠を知らない人はいないそうです。中世武蔵武士の鑑、清廉潔白、文武両道に優れたイケメン。
写真は「武蔵武士と源氏」の表紙。背景の絵は埼玉県警察学校所蔵の「畠山重忠鵯越」(出典:武蔵武士と源氏P15)
義経の鵯越えの逆落としの時、愛馬をかばって背負い、坂を歩いて下りた重忠。(源平盛衰記)
1952年(昭和27年)「民主警察官は、気がやさしくて力持ちでありたい」との理由で、県警が羽石光志に依頼した絵だそうです。
一書に曰く、
畠山重忠が、お巡りさんの理想の人とは知りませんでした。
確かに、やさしくて、強くて、頭もいいしマナーもバッチリなら、市民の味方、正義の味方。
こんなに心強いものはありません。
By妻
ゆかりの地は埼玉県嵐山町。「あらしやま」と読むと京都ですが、「らんざん」と読みます。寄り道です。嵐山史跡の博物館、万福寺、畠山重忠史跡公園に行ってきました。
基本参考資料は、
「ヤマトタケル空白の旅路 雁坂路1」
https://4travel.jp/travelogue/11878337
に並べました。
引用では僭越ながら敬称を略させていただきます。
投稿日:2024/02/06
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
埼玉県立嵐山史跡の博物館。
重忠の居城だった菅谷館あとにあります。埼玉県立嵐山史跡の博物館 美術館・博物館
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重忠菩提寺万福寺。
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畠山重忠史跡公園の重忠墓石
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まず3カ所の位置。目印はJR熊谷駅。熊谷駅から博物館まで直線約13km。博物館-史跡公園は約11.3km。万福寺は史跡公園のすぐ近くです。
一書に曰く、
万福寺、史跡公園って、熊谷市に近いです。
昔、熊谷出身のクラスメートが、ときには下宿したり、違う月は、実家から通学したりしてました。
東京駅まで熊谷駅から約一時間ですって。
通学しようと思えばできる。でもちょっと遠いって距離です。
文化的にも、そういう感じではないでしょうか。
畠山重忠が、そんなに、つまり県民なら知らない者がないという英雄だとかは、今回初めて知りました。
埼玉県民は、ネギで戦う前に、郷土の英雄を、もっともっと宣伝しないと。
ちなみに、鰯で応戦する九十九里の英雄は、日蓮さんです。
こちらは、参議院全国区で当選ですわ。
By妻 -
博物館発行のガイドブック2「菅谷館跡」の表紙です。この緑全体が城跡で、13万平米あります。
博物館は赤丸。菅谷館跡 名所・史跡
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大きくはありませんが、重忠と武蔵武士団の展示と資料が充実した博物館です。
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資料がありがたかった。
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この資料を入手できるだけでも行く価値あり。
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そのものずばり重忠さん。
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男衾絵巻
男衾郡は現在の深谷、熊谷あたりにあった郡。男衾氏は実在した豪族のようです。
「武蔵武士とその本拠」より。男衾(おぶすま)三郎絵巻の一部です。
入り口ホールで上映されていた男衾三郎絵巻のビデオがおもしろかった。
この絵巻は、13世紀末頃作られたもので、鎌倉時代の関東武士の生活を描いているものだそうです。
武士は、館で弓の手入れや武術の稽古に余念がない。これは当たり前。私はその奥方や娘もまた、農繁期には女衆の先頭に立って、泥だらけで田植えの音頭をとったと思っていました。農閑期は長刀の稽古。要するに巴御前みたい感じ。
ところがこの絵巻だと、女たちは立派な屋敷の奥で、十二単みたいな豪華な衣装にくるまって生活していたようです。
関東といったらアズマ・エビス。しかしこの時代では京風の文化がしっかり浸透していて、そんな野蛮なものではなかったらしい。
なんといっても、お金持ちだった。
農業だけじゃなく、川を使った水運、馬を使った陸運でも儲けていた。馬も売っていたし。今なら農業、運送業、トラックの製造販売、ということです。
一昔前の京の平安貴族は権威だけ、なにもしない寄生虫のようなものですが、関東武士は実業で頑張っておりました。 -
入ってすぐに重忠さんの等身大お人形。
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年寄ぽい。造ったのは大河ドラマの前でしょうが、中川大志くんで作り直すわけにはいかないでしょうか。
一書に曰く、
畠山重忠って、いったいいくつで亡くなったのでしょう。
このお顔は、六十代ですわね。
森鴎外、夏目漱石の写真などを見ても、昔の人は老成していたとは思いますが、今調べましたら、重忠42才で、二俣川にて討ち死にだそうです。
で、ついでに、42才の芸能人を調べてみました。
綾野剛、櫻井翔。斉藤工、中村勘九郎etc.
ほ、ほう!あぶらの乗り切った いい頃ですな。
仕事に熟達して、体力はまだまだ無理が利くし、自信に満ちて、仲間からも頼りにされる。
仕事もプライベートも面白くって仕方がない頃。
そんな頃に、畠山重忠は、人生を終えたんだ。
うわっ 哀しい。
人生の盛りに散る無念さ、哀れさ、むなしさ。
それを描いてくださいよー。
こんなお年寄りにしないでよね。
この顔なら、「頑迷固陋なじじいが、むかし通りの作戦で負けたんだよー。」なんていわれそう。
違うって!
満開の桜が、嵐に散るはかなさ、寂しさ、名残惜しさを出してくれい!
郷土の英雄ですぞ。
美しく美しくしてほしいなあ。
美しくネギ持ってよ~
By妻 -
頼朝挙兵後、墨田川で頼朝に参陣する重忠。
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重忠は左。
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のっぺらぼうじゃなくて、やはり中川くんで・・
一書に曰く、
これで、馬かつげます?
しずやしず~の伴奏は、出来たかもしれませんが、馬かつげるかなあ。
子孫が現存していて、その人がモデルとか?
世は、おしなべてルッキズム。
このお人形さんには退職いただいて、ぜひ、筋肉モリモリの美形をご採用下さいませ。
By妻 -
あとで出てきますが、菅谷館跡の重忠立像。
やはり、なんですかね~~~
中川く~ん。 -
羽石光志の絵のアップ。
これは、いい。 -
Wikimedia Commonsより。
このファイルはクリエイティブ・コモンズ 表示-継承 4.0 国際ライセンスのもとに利用を許諾されています。
File:Taishi Nakagawa IMG 4276-1a 20181228.jpg - Wikimedia Commons
中川大志くん。
重忠というと皆さん彼を思い出しちゃうんですよね。 -
銅拍子(どぴょうし)
複製です。
小さなモノですよ。平たい風鈴みたいでした。
説明文書き起こし。
★文治2年(1186)、静御前は、頼朝の命により鶴岡八幡宮で舞を披露しました。その際、音曲の才もあった重忠は伴奏者の一人として銅拍子を演奏しました。★
「鎌倉殿の13人」で、この場面、覚えています。山本耕史演じる三浦義村が、なんちゃらの楽器を「適当にやっていればいいんだろう」とか言ったら、重忠が憤慨して誠心誠意演奏する。
三浦義村は知りませんが、重忠の演奏参加は史実のようです。
文武両道に秀でた重忠の面目躍如たるところ。
でもこれそんな難しいものかねえ、ちり~んとやればいいんじゃないの?
重忠は大工など専門家8人を監督して我野神社を創ったのでした。建築の素人では専門技術者の監督はできません。建築技術にも詳しくて、しかもプロジェクチームを率いるマネージメントにも秀でていたことになります。 -
「菅谷館跡」より。赤丸が畠山重忠像です。
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嵐山史跡の博物館の裏口を出て、本郭跡に向かう右、小高い塚の上に銅像らしきものが。
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畠山重忠像です。
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1928年(昭和3年)漢学者小柳通義(おやなぎ・つうじ)と地元の住民有志が建立したものです。竹の骨格でコンクリート製。竹筋コンクレートというそうです。
平服で直立、鎌倉を望んでます。
やや右に斜めっていますが、実物通りです。 -
本郭跡に入ります。入り口。
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両側に空堀らしいのがあって、
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重忠の館か! と思いました。
でもこれは戦国時代の城跡らしい。 -
空堀の内側は、
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ただの原っぱ。
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重忠の館が本郭跡にあったという説もありますが、全体の調査が進んでいなくて、それを明確に裏付ける資料はまだみつかっていません。
城跡の中心部分です。江戸時代には本丸と呼ばれていました。地形からいって最も防御が固い部分で、重要な建物があったことは間違いないようです。 -
承久2年(1205年)6月、
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重忠はここを出て、二俣川に向かい、再び帰らなかった。
静かな、嵐山の森でした。
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この旅行記へのコメント (5)
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- 前日光さん 2024/04/20 16:12:10
- 畠山重忠=中川大志
- 確かにこれはイケル。
ルッキズムの現代、これが当分続くことを願います。
それと中川くん、どうぞいろいろやらかしませんようにと祈っています。
一万円札が渋沢栄一に代わるようですが、あれが大河の吉沢くんになったら、女子は特に吉沢栄一欲しさに頑張って働くかも。
私は未だに聖徳太子の一万円札が好きです。
織田信長は高橋幸司だし、源頼朝は芥川比呂志です(尾上菊五郎主演の「源義経」で頼朝役は、あの龍之介さまのご長男、比呂志さまでした!
鎌倉殿では、私が俳優と認めていない大泉洋が頼朝だったので、頼朝が死ぬまで見ていません。菅田将暉の義経は、したがって見ていません。
それにしても、畠山重忠像はご老人のお顔ですね。
42歳は、いくら昔の人でももっと若いでしょう。
やっとこんな好き勝手が書けるような体調になりました。
長いシツコイ痛みに悩まされ続けた2月、3月でした。
4月になっても、まだ調子が戻りませんでしたが、今週になってロキソニンを飲まなくてもなんとか起き上がれるようになりました。
少しずつ、皆さんの旅行記を拝読したいと思っています。
前日光
- しにあの旅人さん からの返信 2024/04/20 16:45:34
- Re: 畠山重忠=中川大志
- 現場復帰、よかった、よかった。
5時に9才の孫姫来襲の予定。
盆と正月、地震と台風が一緒に来るようなものです。
明日の夜以降あらためてお返事します。
- しにあの旅人さん からの返信 2024/04/22 10:27:21
- Re: 畠山重忠=中川大志
- 孫帰り、ネコ2匹ぐったりしています。遊んでくれるのはいいのですが、疲れるみたい。
ふだんは同じ箱で寝ているネコたちが、離れて寝ています。ネコでも見るのもイヤという感じ。
すごいエネルギーの孫姫でした。
私たちはご想像におまかせします。
芥川比呂志は堀辰雄や福永武彦の手紙にでてきます。ものすごい大酒飲みだったらしい。
尾上菊五郎主演の「源義経」って、1966年でした。かすかに記憶にあります。芥川比呂志はあのころまで現役だったのかあ。昭和も遠くなったものです。
めずらしく「光る君へ」をほぼ毎週見ています。昨日は「香炉峰の雪」でした。なるほどこういう風に処理したか、と脚本と演出の品定めが楽しみです。
道綱の母と紫式部が石山寺で会うというのがありました。史実ですかね。年代的にはありえるみたい。
前日光さんとやりとりが復活すると、4トラの面白みが倍増します。
しかし無理なさらずに、痛みを手なずけて下さい。
私も毎月医者に通っております。78にもなればどこか悪いのは当たり前で、普通の検査の結果に異常がなければ、こまかいことは気にしないのが一番だとお医者に言われました。
気の合うお医者です。
-
- kummingさん 2024/02/07 11:00:26
- 冷や汗(-。-;
- しにあさん、by妻さん、こんにちは♪
お気に入り、好きな人の生誕~終焉の軌跡を辿る、っていうのは、いわゆる、推しカツ、聖地巡礼と言われるものですよね? 推しが共通ならまだしも、そ~ゆ~ワケでもなくて、殆ど知らない方についてコメントするのは、不埒者、怪しけしからん行為。で、額に冷や汗しながら書いています(-。-;
畠山重忠さま、お巡りさんの理想像、正義の味方として、地元のヒーローに祭り上げられていらっしゃるとのこと、納得です。重忠さま等身大のお人形は、どう見ても60~70代のお顔でしょう、菅谷館の重忠像も然り、むしろのっぺらぼうにして見る人の想像力に一任してもらう方が潔いかと(殆どの現代人は中川君を当てはめるw)。平家が滅びる頃→源氏興隆の時代に生きていらしたようですが、当時の平均寿命は何歳くらい?で、中川君が演じた畠山重忠は何歳くらい? そこんとこ考察しても、この重忠像は年輩過ぎるのか、一般的な英雄像として若干重み、貫禄を保たせるための設定なのか?
男衾三郎絵巻のビデオ、面白そうですね。京の貴族は何もしない寄生虫→生産しないで、金魚鉢の中でやたら権謀術作に明け暮れた、に比べ、関東武士は実業で頑張っていた、ふむふむ。
嵐山と書いてらいざんと読む。埼玉県はネギで戦う。茨城、栃木、群馬の位置関係はもちろん四国さえよう分からん!私、色々お勉強させて頂きました。
ただの原っぱに佇み、想像の翼拡げるby妻さんと、傍らに寄り添う「現地に行かなきゃ手に入らない貴重な資料」を手に、得意満面のしにあさん、のお姿を目に焼き付けておきます♪
- しにあの旅人さん からの返信 2024/02/11 16:49:03
- Re: 冷や汗(-。-;
- 畠山重忠=中川大志くんは多分むこう40年間続くと思います。
2004年以降新撰組の土方歳三=山本耕史です。
我が家では1965年から2004年までは土方歳三=栗塚旭だったのです。
これは多分kummingさんもご存じない。司馬遼太郎の「新選組血風録」の土方です。たしか白黒。
テレビドラマの俳優が歴史上の人物になりきってしまうのはよくあるみたい。
2004年というと私たちはまだフランスです。JSTVという日本のテレビの衛星放送で見ていました。紅白歌合戦などは大晦日2度見ていました。午後2時くらいから実況で見て、夜8時から録画放送でもう一度。このころJSTVに契約していた在仏日本人は、紅白と大河ドラマを見るためが半分くらいじゃないかな。
かわいいものです。
日本に帰ってきてからは両方ともあまり見ません。
畠山重忠もう1回やります。そのあとヤマトタケルに戻るかというと、さにあらず。金鑚神社というローカルな神社と児玉党のお話が延々と続きます。
タケル君と関係があるような、ないような、どうやってつじつまをあわせるか、楽しく苦労しています。
もう旅行記というより、読み物としていかに面白くするかと、ひらきなおる予定。
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