琉球熱さんのクチコミ(191ページ)全4,005件
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投稿日 2012年08月21日
総合評価:4.0
言わずと知れた初詣のメッカ。
その敷地は広大で、最寄り駅もJRだけでも原宿・代々木・千駄ヶ谷の各駅が利用できます。
参拝時は原宿から向かう人が多いのですが、代々木からのアプローチは苑内散策に適しています。
都心と言う立地を考えると意外なほど森が深く、桜の季節だけでなく四季を通じて草花を観賞できる場所です。
また、実はバードウォッチングのポイントでもあり、こちらも四季を通じて実に様々な野鳥を観察することができます。
冬にはオシドリが飛来することでも有名です。- 旅行時期
- 2010年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2012年08月21日
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投稿日 2012年08月21日
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投稿日 2012年08月21日
総合評価:3.5
ここがなぜ「グルメ・レストラン」のカテゴリーなのか、まず疑問です。
食事どころを併設しているからでしょうか?それでもメインは農産品の販売だと思うのですが・・・
それはともかく、地元の野菜が沢山。となりには食事処と軽食処があります。ここのコーヒーが意外とバカになりません。
売場の品揃えはそれほど豊富ではなく、道の駅としては小規模ではないかと思います。
真向かいにある蕎麦店「あづまや」のざるは絶品です。- 旅行時期
- 2012年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- 一人当たり予算
- 1,000円未満
- アクセス:
- 3.0
- コストパフォーマンス:
- 2.0
- 雰囲気:
- 3.0
- 観光客向け度:
- 3.0
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投稿日 2012年08月20日
総合評価:4.0
大雄山最乗寺からのルートは、急坂もわずかにあるものの、樹林帯、視界が開けるすすきの原や湧き水など変化に富んでいます。少々ハードですが、飽きが来ません。
山頂は尾根伝いに金時山や明星ヶ岳があるためか、山頂の趣はあまりありませんが、視界が開けまじかに富士山も見えて絶景です。ここから宮城野(強羅)に下山するもよし、金時山や明星ヶ岳を目指すもよし。コースバリエーションも様々です。- 旅行時期
- 2010年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.0
- 景観:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.5
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投稿日 2012年08月20日
総合評価:4.0
小田原の北西部にある曹洞宗の古刹。
周囲は過ぎの樹林帯に囲まれ重々しい雰囲気です。
ここから箱根の明神ヶ岳や明星ヶ岳を経由して、箱根の強羅に出ることができます。
大雄山最乗寺までのアクセスは、小田原から大雄山線に乗り終点大雄山下車(20分)、そこから「道了尊行き」バスで終点まで(10分)と、乗り継ぐわりにはアクセス良好です。
大雄山線はちょっとローカルな雰囲気、バスは電車の到着時刻に合わせて発車しますので、楽です。- 旅行時期
- 2010年11月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2012年08月20日
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投稿日 2012年08月19日
総合評価:5.0
波照間の特異な文化・伝統を感じさせる遺跡の一つ。
島の北部にある古井戸で、いまだに水を湛えている。
今でも井戸への降り口があるが、今も聖なる井戸として、雨乞いや天候に関する島全体の祭祀において重要な役割を担っていると言うからスゴイ。
この井戸に伝わる言い伝えは、その昔、波照間が7ヶ月にも及ぶ大旱魃に見まわれ、水不足と飢饉に喘いでいた時、シムス村の牛が水を掘り当て、村人を救ったというもの。その牛は神の化身と崇拝されて、死後も手厚く葬られたと言う。
海に囲まれた離島にあって、真水が湧出する不思議さ。
場所はとてもわかりづらく、「ぶりぶち公園」の先(海寄り)の耕作地の中である。- 旅行時期
- 2010年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2012年08月20日
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投稿日 2012年08月20日
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投稿日 2012年08月20日
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投稿日 2012年08月19日
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海も山も川も!とにかく時間が足りない。のんびり過ごすにはもったいない!
投稿日 2012年08月19日
総合評価:5.0
石垣から40分。航路は東部の大原と西部の上原の2系統。
石垣からの日帰りツアーも多いが、海も川も山も刺激的な島であるだけに、是非数泊して楽しみたい。
「サンゴ」と言うと慶良間諸島がもてはやされるが、西表のサンゴの方がより逞しく元気。
そのほか滝へのトレッキング、カヤックなどなど、やることはいっぱい。- 旅行時期
- 2012年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2012年08月19日
総合評価:5.0
石垣島から1時間。揺れることで有名な航路を乗り切って辿りつく島は、古くからの風習が残り、神事が生活に密着した独特の雰囲気を醸し出す。
海の青さは“ハテルマ・ブルー”と呼ばれ、美しい八重山の海の中でも際立った青さを誇る。
海を楽しむのもよし。歴史の跡を辿るのもよし。神事にまつわる風習を探るのもよし。
ともかく急がないこと。日帰り観光などせずに、1泊2泊でもして、じっくり感じてみるのがベスト。- 旅行時期
- 2010年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 景観:
- 5.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
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投稿日 2012年08月19日
総合評価:3.0
“幻の泡盛”と呼ばれる「泡波」の醸造元がここ。
幻と言われる所以は、島外に出荷される量が圧倒的に少ないからだが、その理由も「貴重なガラス瓶の回収」という離島ならではのもの。ガラス瓶は入手が難しい(高価)ので、島内のみで流通させ回収していた。
しかし近年、その事情もかなり改善されてきたようで、今は100mlのミニボトルは共同売店で購入できるし、東京の沖縄料理屋でも泡波を見ることができる。
醸造所の建物は島の集落の中にあり、看板を見なければなんだかわからない。
内部の見学は基本的に禁止しているとのこと。- 旅行時期
- 2010年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
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投稿日 2012年08月19日
総合評価:3.5
波照間は、八重山の英雄オヤケアカハチの生誕の地とされているそうです。
オヤケアカハチとは、天下の悪税として有名な「人頭税」に反対して謀反を起こしたとされているほか、石垣島に渡って大浜地区で勢力を持っていたそうです。
また、「アカハチの乱」は宮古島の歴史にもその名前が出てくる、八重山史上では重要な出来事です。
しかしながらその記念碑はまるで英雄らしくない質素なもの。そもそもここにそんな重要なモニュメントがあることを知っている人は少ないでしょう。
集落を空港方面に歩いていくと、家並みの中にぽつんと建てられています。- 旅行時期
- 2010年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
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投稿日 2012年08月19日
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投稿日 2012年08月19日
総合評価:4.5
港から集落に向い、ちょうど集落に入るところの高台にある。すぐ隣にはコート盛がある。
この慰霊碑は、戦時中西表に強制疎開させられ、マラリアによって命を落とした学童を慰霊するために建立されたもの。
この高台からは彼方に西表島を望むことができることから、この場所に建てられたとのこと。
この史実を辿っていくと、西表島の南風見田の浜、「忘勿石」(わすれないし)にたどり着く。
なお、波照間小学校の外壁一面に子供たちの絵が描かれているが、その中に『星になった子供たち』という歌詞がある。涙なくして読めない詩だ。(3番は割愛)
1)南十字星 波照間恋しいと 星になった みたまたち
ガタガタふるえた マラリアで 一人二人と 星になる
苦しいよさむいよ お母さん 帰りたい 帰りたい 波照間へ
2)南風見田の海岸に きざまれている 忘れな石と いう言葉
戦争がなければ 子どもたち 楽しくみんな遊んでた
さびしいよ いたいよ お父さん 帰りたい 帰りたい 波照間へ- 旅行時期
- 2010年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2012年08月19日
総合評価:5.0
南風見田の浜の左手奥に建てられている記念碑。
太平洋戦争末期に、マラリア汚染地にも関わらずここ南風見田に強制疎開させられた波照間島民、特に学童を悼み、当時の国民学校長識名氏が帰島の際に刻んだ「忘勿石」。
戦後もその存在を知られていなかったが、1954年、波照間島出身の保久盛長正氏により偶然発見された。
「忘勿石の碑」そのものは、1992年に有志により建立された。
周囲の静けさが厳粛な気持ちにさせる。
「忘勿石」実物はこの記念碑の裏手の岩盤上に刻まれている。- 旅行時期
- 2011年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0
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投稿日 2012年08月19日
総合評価:5.0
太平洋戦争末期にマラリア汚染地だったここ南風見田に強制疎開させられた波照間島民、その中には学童もいて、当然教師もいた。
マラリアによる被害は甚大で、多くの島民が犠牲になったという。
命を落とした子供たちを悼み、当時の国民学校長 識名氏が帰島の際に刻んだもの。
海岸の岩盤に「忘勿石 ハテルマ シキナ」とある。
しかし、ほとんどの者はその存在すら知らなかったという。1954年、波照間島出身の保久盛長正氏により偶然発見された。
レプリカを飾った記念碑の裏手にひっそりと形を残している。
波照間島の『学童慰霊の碑』と照らし合わせて見て欲しい。- 旅行時期
- 2011年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 2.0
- 人混みの少なさ:
- 5.0
- 見ごたえ:
- 5.0































