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さいたまさんのクチコミ(92ページ)全2,813件

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  • 基本情報
  • 妙清寺は、本願寺の本田玄了が、江戸の横山町に専求寺を創建したことを、始めとしています。

    投稿日 2016年11月08日

    妙清寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    妙清寺は、本願寺の本田玄了が、江戸の横山町に専求寺を創建したことを、始めとしています。
    浄土真宗の妙清寺は、本願寺12世教如聖人に帰依した本多信豊(玄了)が、専求寺と号して、江戸横山町に創建し、その後、光傳寺と改称したといいます。
    明暦の大火により被災し、浅草本願寺境内へ移転、宝暦10年(1760)に妙清寺と改称、文化3年(1863)浅草本願寺境内を離れ、現在の地に移転したとのことです。
    現在の妙清寺は、現代的な感覚により、建設されています。
    黒色を基調とした全体の中で、白色の直線を強調線として配し、その中で褐色をポイントとする象徴手法を応用しています。
    まさに新たなる求道と見て取れます。
    妙清寺の表札には、浄土真宗東本願寺派とあり、別の資料による大谷派とする記述と差異が見られます。
    いずれにしましても、現在の妙清寺は、斬新な設計と従来の伝統にとらわれない色彩の強烈さには驚かされます。
    従来の仏教の世界には見られなかった新しい手法には、驚嘆させられました。
    機会がありましたら、目にされることをお勧めいたします。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    4.0

  • 東上野稲荷町の光照寺は、浄土真宗大谷派のお寺で、上野小学校の東側の角にあります。

    投稿日 2016年11月08日

    光照寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    東上野稲荷町の光照寺は、浄土真宗大谷派のお寺で、上野小学校の東側の角にあります。
    光照寺は、親鸞上人直弟の釈専心が、報恩寺開祖性信上人へ仕えた後、下総の横曽根において開山開基したと言われています。
    光照寺は、開祖の釈専心が開山した寺院ですが、親鸞聖人が関東より帰洛の後、報恩寺開祖の性信上人に仕え、下総の横曽根に、光照寺を起立したものです。
    その後、光照寺は、慶長18年迄、横曽根にあり、現在も報恩寺の寺地に光照寺の墓所が残っています。
    報恩寺が江戸八丁堀に移住した後、慶長18年、西賢権律師の代に中興されました。
    明暦3年の大火の際に類焼した報恩寺が浅草へ移転した折、光照寺も報恩寺境内へ移転しました。
    敷地地面が狭かったこともあり、文化年間に、浅草から稲荷町に移転しました。
    今回、稲荷町の寺院を巡りましたが、報恩寺の末寺の13寺院がそれぞれ明暦の大火に際する報恩寺の移転の影響を大きく受けていることを理解致しました。
    寺院それぞれが独自に生きることは難しく、助け合って生きていく様を垣間見た感じがします。
    寺院を訪れる際は、その寺院を巡る歴史に関心を持たれることをお勧めします。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 浄土真宗大谷派の西光寺は、開祖の了善法師が、寛永5年(1628)に江戸で創建しました。

    投稿日 2016年11月08日

    西光寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    浄土真宗大谷派の西光寺は、開祖の了善法師が、寛永5年(1628)に江戸で創建しました。
    明暦年間に火災に遭い、報恩寺境内へ移転しましたが、その後、文化8年に、現在の場所に移転したようです。
    御府内寺社備考によりますと、廓玄法師により中興されたとありますので、貞享年代に一時廃寺になっていたかと思われます。
    西光寺のご本尊は、丈2尺2寸の阿弥陀如来立像とのことです。
    現在の西光寺は、コンクリート製の建物になっていて、近代的な造りになっています。
    左衛門橋通りから西に延びた通りに面している関係もあり、入口が横になった階段の先の2階になっているのが、他の寺院には見られない独特の形態になっています。
    檀家が限られている環境下、同じ狭い通り内に6寺院かひしめき合っている現状から、西光寺は、広く墓地を開放し、新たなる墓地利用者を増やしているようです。
    インターネット等でも、墓地利用者を募っています。
    寺院の新しい模索の動きのようです。
    少子化の現在の寺院の生き方が変わってきているような感じを受けた稲荷町寺院巡りでした。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    2.0
    見ごたえ:
    3.5

  • 浄土真宗本願寺派の長龍寺は、熊谷三郎直清が出家して心光坊となり創建したお寺です。

    投稿日 2016年11月07日

    長龍寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    浄土真宗本願寺派の長龍寺は、熊谷三郎直清が出家して心光坊となり創建したお寺です。
    熊谷三郎直清は、心光坊と称し、親鸞聖人の弟子に、ついで報恩寺開基性信上人の弟子となり、嘉禄元年(1225年)に、長龍寺を創建し、次いで報恩寺と共に江戸に移転しています。
    慶長5年、常州下妻の戦乱により、長龍寺の系図及び宝物が焼失しました。
    その後、報恩寺が、江戸移転する際、ともに移転しました。
    長龍寺のご本尊は、立像阿弥陀如来丈1尺6寸です。
    その他、親鸞聖人真影、本願寺釈真如書、教如上人真影、本願寺釈宣如等を有しています。
    報恩寺開祖性信上人のお教えにより長龍寺を創建し、報恩寺の江戸移転に同じく移転し、報恩寺の末寺として名を連ねています。
    戦火により、系図及び宝物を焼失した上、移転をする等の労苦のもと、現在を迎えています。
    現在の姿のもとには、艱難辛苦の歴史があったようです。
    今回の長龍寺の訪問は、過去の変転の重みを感じさせるものがありました。
    今後、寺院を訪れる際は、永い歴史の中における現在をしっかり認識していきたいと思っています。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 東上野稲荷町の西岸寺は、真宗大谷派のお寺で、長円が開祖となり、創設されました。

    投稿日 2016年11月07日

    西岸寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    東上野稲荷町の西岸寺は、真宗大谷派のお寺で、長円が開祖となり、宝永7年(1719年)に免許を得て創設されました。
    西岸寺の山号は、正到山と号します。
    開基である法名長円は、神田のお玉ヶ池に、寺を創設し、本山13世宣如法主より、寺号を西岸寺と授けられました。
    その後、数度の火災に見舞われ、諸記録等悉く灰燼となり、細部は不詳のままです。
    浄土真宗東派明細簿には、五世の住職の玉池榮傳代が、寶永2年に、堂班脇之間の出仕を許可されるとの寺格を得たと伝えられています。
    御府内寺社備考、報恩寺項によりますと、西岸寺のご本尊としては、阿弥陀如来、木立像丈1尺6寸とされています。
    西願寺も、数度の火災の被害を被っているとのことですが、火災の恐ろしさは、仏教界のみならず、一般社会でも、大変なものと理解されています。
    火災の恐ろしさを今回の寺院巡りで痛感しました。
    機会があって、寺院を見られる際には、訪れた先の寺院の火災に対する経緯について調べられることをお勧めします。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 浄土真宗本願寺派の養蓮寺は、開祖恵伯が三河から江戸に出府し、正保年間に創建したそうです。

    投稿日 2016年11月07日

    養蓮寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    浄土真宗本願寺派の養蓮寺は、開祖恵伯が三河から江戸に出府し、正保年間に創建したそうです。
    養蓮寺は、一般的な寺院のイメージとは、別の感じです。
    本堂が、直接、通りに面しているとともに、お寺の入口が、通りから奥まっている点は、独特の形態になっています。
    また、本堂から社務所への間の頭上に、2階部分の渡り廊下があるお寺は、初めて目にしました。
    養蓮寺が創建された際、下谷の幡随院門前辺に住み始め、報恩寺の末寺ではありませんでしたが、後の住職の頃に、報恩寺地内へ移転しました。
    その後、報恩寺の13寺院の末寺の一つとして名を連ねることとなりました。
    当初の開祖の段階から、代を重ねることによる変遷は、世の常かもしれません。
    他の寺院でも感じたことですが、今回、稲荷町の寺院を巡ると、江戸時代における環境変化により、寺院の運命も数多くの変転を迎えていたことを知らされました。
    寺院の現在の姿を見ることも大事ですか、その歴史を理解することも、極めて大事だと痛感致しました。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 東上野稲荷町の龍淵寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、左衛門橋通りにあります。

    投稿日 2016年11月07日

    龍淵寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    東上野稲荷町の龍淵寺は、浄土真宗本願寺派の寺院で、左衛門橋通りにあります。
    浄土真宗本願寺派の寺院である龍淵寺は、常称法師が開基となり、下総国横曽根報恩寺境内に創建したそうです。
    御府内寺社備考の報恩寺の記載事項内には、創建の時期は不詳とのことです。
    龍淵寺は、元和9年(1623年)に、江戸に移転起立したといいます。
    龍淵寺の江戸移転起立の元和9年(1623年)は、坂東報恩寺の八丁堀へ再移転の寛永20年(1643年)の20年前のことですので、龍淵寺の移転先は、現在の坂東報恩寺の境内内ではないことになります。
    御府内寺社備考には、中興玄悦法師とありますので、多分、一時、寺院としての活動が無かったものと想像されます。
    また、龍淵寺のご本尊は、阿弥陀如来との記載があります。
    古い資料を紐解いてみると、それぞれの寺院は、いろいろ紆余曲折が記載されています。寺院の理解するには、現状の姿ばかりでなく、過去の経緯にも思いを巡らすことが大事かもしれません。
    今回、龍淵寺の歴史だけ見ても、それなりの苦労があったものと理解できます。
    過去の歴史を踏まえた現状の把握・理解に努めることが必要だと痛感しました。 

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 坂東報恩寺は、東上野の報恩寺の通称です。浄土真宗の大谷派のお寺です。

    投稿日 2016年11月07日

    坂東報恩寺 上野・御徒町

    総合評価:4.0

    坂東報恩寺は、東上野の報恩寺の通称です。浄土真宗の大谷派のお寺です。
    報恩寺は、東上野稲荷町にある真宗大谷派の寺院です。坂東報恩寺と通称されています。山号は「高龍山」、院号は「謝徳院」と号します。
    開基は、親鸞の門弟の性信で、性信と報恩寺は二十四輩の第一番目です。
    もともとは、下総国横曾根にあった真言宗の荒れ寺「大楽寺」を、性信が念仏道場として再興したのが創まりとされています。
    慶長5年に、道場が兵火によって焼失し、寺基を江戸に移しました。
    当初は、外桜田に移転していましたが、寛永20年(1643年)に、八丁堀へ再移転しました。
    明暦3年(1657年)の明暦の大火により、浅草本願寺東門内の広沢新田に移転しました。
    また、文化3年(1806年)の文化の大火の際、浅草本願寺とともに焼失する不運に見舞われました。
    文化7年(1810年)に、上野に寺基を定め現在に至っています。
    下総の横曾根の跡地は、本堂が再建され、坂東報恩寺支坊になり「下総報恩寺」と通称されたため、東上野の報恩寺を坂東報恩寺と通称するようになり、現在も坂東を使っています。
    今回、報恩寺の歴史を見ますと、戦火による焼失・移転、2度にわたる大火による焼失・移転と、移転・流転の歴史が見えてきます。
    戦国の時代とはいえ、移転の歴史は、苦難の連続だったと思います。
    歴史の中の寺院について、移転を契機に認識を新たにさせられた稲荷町巡りでした。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 東上野稲荷町の長善寺は、浄土真宗大谷派のお寺です。左衛門橋通りに面しています。

    投稿日 2016年11月06日

    長善寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    東上野稲荷町の長善寺は、浄土真宗大谷派のお寺です。左衛門橋通りに面しています。
    長善寺は、釈宗俊が開祖として慶長7年(1602年)、創建したと言われています。
    その後、移転したとの記録がありませんので、長善寺は、この地域で永い歴史を持っているものと思われます。
    長善寺は、報恩寺の一門に入っていた13寺のうちの一つでしたが、御府内寺社備考報恩寺項の記述によれば、長善寺の開基は、報恩寺の開基よりも早いと記されているとのことです。
    その観点から見ると、長善寺の敷地の広さや建物の様子は、報恩寺一門の他の寺院よりも敷地が広く、歴史を感じるものがあります。
    感覚的な感じですが、明暦の大火により、後から移転してきた寺院の敷地の広さは、やはり、狭く感じます。
    あくまでも直感的な見方ですが、古くから土地に根を生やしていた強みなのかもしれません。
    今回の稲荷町寺院巡りにおいては、歴史の中における消長について学ぶことができました。
    今後も、より深く、歴史について学んでいきたいと思います。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 林光寺は、浄土真宗大谷派のお寺で、稲荷町の左衛門橋通りに面しています。

    投稿日 2016年11月06日

    林光寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    林光寺は、浄土真宗大谷派のお寺で、稲荷町の左衛門橋通りに面しています。
    浄土真宗大谷派の寺院である林光寺は、天和3年、順敬坊了雲法師が開祖となり創建され、文化8年に下谷へ移転したといわれています。
    御府内寺社備考という古書資料に記載された由緒によりますと、明暦3年に寺院が、焼失し、その後、浅草報恩寺地面ヘ引移したとの記述があるそうです。
    また、文化8年に下谷ヘ移転したとの記述は、他の資料とも符合しています。
    他の寺院とも同様に、明暦の大火により焼失した林光寺を、同宗派の報恩寺の敷地内に移転した経緯は、似ています。
    寺院の移転が多い地域には、明暦の大火や江戸城掘割開削に伴う区画整理が、移転の直接的な理由となっています。
    今回、寺院の多い稲荷町を訪れ、宗派及び移転の理由を確認したところ、明暦の大火や江戸城掘割開削に伴う区画整理の影響が大きかったことが理解できました。
    江戸の歴史を紐解くと、いろいろな要因がべつの分野に影響していることがわかりました。
    寺院の移転と集中は、歴史の中の必然として捉えることができました。大変、有意義な稲荷町訪問でした。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.5

  • 東上野稲荷町の専念寺は、浄土真宗大谷派の寺院で、タイル張りの建物がきれいです。

    投稿日 2016年11月06日

    専念寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    東上野稲荷町の専念寺は、浄土真宗大谷派の寺院で、タイル張りの建物がきれいなお寺です。
    専念寺は、西賢律師を開祖として、寛永8年(1631年)に、開基となり創建されました。
    その後、一時途絶えた期間がありましたが、信賢法師が、延宝3年(1675年)が中興したと伝えられています。
    御府内寺社備考という資料による専念寺の縁起としては、不明な点がありますが
    ご本尊として阿弥陀如来木立像を祀っていると、御府内寺社備考の報恩寺項に記されているようです。
    現在の専念寺の建物は、新しく、瀟洒なタイル張りの建物で、明るくきれいな寺院です。
    左衛門橋通り沿いに、真照寺、浄正寺そして専念寺と浄土真宗のお寺が、3寺院並んでいます。
    それぞれの縁起由来があり、檀家もそれぞれあり、何かと大変かと推測しています。
    江戸時代からの永い歴史の中で、同じ宗派の中で生き抜いてきたことに、いささか感ずるものがあります。
    歴史の中の悲喜こもごもの累積の中に、現在があるものと理解しています。
    ぜひ、機会がありましたら、稲荷町の寺社巡りをお勧めします。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    4.0

  • 東上野稲荷町の浄正寺は、浄土真宗大谷派の寺院で、浅草浅草寺から移転してきました。

    投稿日 2016年11月06日

    浄正寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    東上野稲荷町の浄正寺は、浄土真宗大谷派の寺院で、浅草浅草寺から移転してきました。
    浄土真宗大谷派の寺院である浄正寺は、慶長15年(1610年)了傳上人により開基され、神田に創建されたそうです。
    当初の浄正寺の建物が、明暦3年の江戸の大火により焼失したため、浅草本願寺境内へ移転しました。
    その後、文化3年(1806年)に、浅草本願寺が焼失したため、本願寺本寺の達如上人の命により浅草浅草寺境内を離れ、東上野の稲荷町に移転したといいます。
    今回の浄正寺を始めとする稲荷町寺社の訪問により、神社仏閣の移転の理由が、火事によるものが多いと知らされました。
    特に、明暦の大火は、大規模な神社仏閣の移転の原因になっています。
    また、四谷の寺町の歴史を見ますと、江戸城の掘割整備も大きな移転の契機になっています。
    今回、神社仏閣の歴史と江戸の大火等による区画整理が密接な関係にあることを理解できました。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 東上野稲荷町の真照寺は、浄土真宗のお寺ですが、南側の一部が工事中でした。

    投稿日 2016年11月06日

    真照寺 上野・御徒町

    総合評価:3.0

    東上野稲荷町の真照寺は、浄土真宗のお寺ですが、南側の一部が工事中でした。
    真照寺は、一般的なお寺とは、やや異なっています。
    寺号としては、真照寺と言う名称があるのですが、一般的に称されている山号と言うものが無い感じです。
    一般的なお寺であれば、縁起あるいは由来等があるのですが、真照寺の場合、浄土真宗本願寺派寺院の真照寺は、西悦が開基となり、寛永9年(1632年)に創建されたことのみが明らかになっています。
    浄土真宗のお寺であれば、真宗東派明細簿に縁起が記されているのが通常ですが、良く解りません。
    ご本尊として、丈1尺7寸の阿弥陀如来木立像があるとされているだけです。
    しかしながら、真照寺の建物としては、4階建ての瀟洒なビルが建てられています。
    南側の下層階部分が工事中のため、シートが掛けられ、外観もあまり見えません。
    なかなか難しいお寺の感じがしました。
    主要な表の道路に面していて、立地条件の良いお寺でした。
    訪問される場合は、工事が終わり、落ち着いた段階で、訪ねられると良いと思います。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.0

  • 講道館柔道発祥之地の碑が、東上野稲荷町の永昌寺の境内に置かれています。

    投稿日 2016年11月06日

    講道館柔道発祥の地碑 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    講道館柔道発祥之地の碑が、東上野稲荷町の永昌寺の境内に置かれています。
    明治15年、講道館柔道の創始者 嘉納治五郎は、東京大学卒業後、学習院にて教鞭を執る傍ら、友人や門弟とともに柔道の稽古をはじめたところが、永昌寺の書院でした。
    しかし、稽古の際、仏様の像が倒れたり、蝋燭の火が消えたりしたため、当時の住職 朝舜法の協力を得て、永昌寺の玄関脇の空地に、12畳のバラック建て道場を新築し、稽古を続けました。
    これが今日の世界各国に普及し国際的な広がりを持った講道館柔道の発祥とされています。
    当時、道場となった書院の広さは12畳、最初の門弟は9人でした。
    稽古場自体は、翌16年に神田に移りましたので、永昌寺の稽古は、約1年でした。
    大正12年の関東大震災により、当時の建物は焼失しています。
    境内の「講道館柔道発祥之地」と刻む自然石の記念碑は、昭和43年、嘉納治五郎没後30周年を記念し、 講道館が建立したものです。
    永い歴史をもち、世界に広まった講道館柔道も、創始の時期には、多くの労苦があったことを物語っています。勉強になります。
    ぜひとも時間を見つけて、講道館柔道発祥の地の碑を目にされることをお勧めします。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    4.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 永昌寺は、肥前藩の藩主夫人永昌院が建てたため、名前を永昌寺とされたようです。

    投稿日 2016年11月05日

    永昌寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    永昌寺は、肥前藩の藩主夫人永昌院が建てたため、名前を永昌寺とされたようです。
    肥前藩主松浦壱岐守の妻、永昌院が開基となったため、寺の名称になっています。
    永昌寺の境内には、講道館柔道発祥之地の碑があり、その碑を訪れる柔道家が多いとのことです。
    講道館柔道の祖、嘉納治五郎は、学習院教授時代に住まいを借りていた永昌寺境内に講道館を創設しました。
    初め、住職の許しを得て本堂脇の座敷を練習場にしたところ、振動で仏さまが傾き、位牌が倒れるなどの騒動が起き、別に12畳の道場を建てて、心身鍛練の道を講ずる館「講道館」を開いたというのが創設の秘話のようです。
    現在、国際的にも認められた柔道が、浄土宗の一寺院の境内から始まったことは、歴史の一つの偶然とも思われます。
    将来、何が発端になるかを見通すことができない難しさを象徴しているようです。
    歴史を後になってから見ることは容易ですが、将来の結果について予め予測することが、本当に困難であることを教えてくれる永昌寺の講道館発祥の地の碑です。
    ぜひとも、講道館発祥の地の碑を見て、実感して見て頂きたいと思います。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.5
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 浄土真宗の大谷派の西照寺は、浅草通りと清洲橋通りの交差点のすぐ傍にあります。

    投稿日 2016年11月05日

    西照寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    浄土真宗の大谷派の西照寺は、浅草通りと清洲橋通りの交差点のすぐ傍にあります。
    また、西照寺は、地下鉄銀座線の稲荷町駅から地上に上がったすぐ向かいのお寺です。
    とても交通の便に恵まれたお寺となっています。
    浄土真宗の大谷派の寺院である西照寺は、山号を錦雲山と号します。
    西照寺は、延空という僧侶が、寛永21年(1644年)が開山したとのことですが、実際は、元和7年(1621年)に、浅草の御蔵前裏通リに設立したようです。
    その後、寛永13年(1636年)、当地へ移転したといいます。
    西照寺には、人力車の営業の創始者の一人といわれる鈴木徳次郎の墓があるそうです。
    西照寺は、敷地もあまり広くなく、こじんまりしたお寺ですが、緑の樹々が多く、境内の庭園は、日本式の庭園で、手入れが行き届いている気持の良いお寺です。
    また、入口の西側には、鐘楼があります。周辺に多くのお寺がありますが、鐘楼と鐘を保有しているお寺は、比較的少ないです。
    敷地は狭いですが、気持ち的にゆったりとした落ち着いた感じのお寺です。
    ぜひ、足を運ばれると良いと思われるお薦めのお寺です。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 清洲橋通りは、上野の入谷から日本橋の東の清洲橋に至る間の通りを総称しています。

    投稿日 2016年11月05日

    清洲橋通り 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    清洲橋通りは、上野の入谷から日本橋の東の清洲橋に至る間の通りを総称しています。
    今回、主として訪れたのは、神社仏閣の多い浅草通りとの交差点周辺です。
    国道4号線の昭和通りの東側を走る通りです。
    片側2車線の広い通りで、交通量も多いのが特徴です。
    国道4号線の交通量が常続的に多く、渋滞が激しくなると、渋滞を避けるため並行する清洲橋通りに流れることも考えられます。
    また東北方面から、江東区等への移動に便利なため、清洲橋通りが利用される理由かもしれません。
    いずれにしましても、清洲橋通りは、交通量の多い路線であり、注意が必要です。
    浅草通りとの交差点付近は、地下鉄の駅もあり、乗降のための利用者が多く、交通の要衝となっています。
    清洲橋とは、清洲橋が架けられた清住町と中州町の名前にちなんだ公募による合成語です。関東大震災からの復興事業の主要な柱の橋でした。
    歴史を紐解くと、現在の姿と重複して、いろいろなことがわかってきます。とても興味深い気がします。有意義な清洲橋通り散策でした。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    3.0
    見ごたえ:
    3.0

  • 東上野の稲荷町にある龍谷寺は、曹洞宗のお寺で、境内内には豊川稲荷の霊場もあります。

    投稿日 2016年11月05日

    龍谷寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    東上野の稲荷町にある龍谷寺は、曹洞宗のお寺で、境内内には豊川稲荷の霊場もあります。
    龍谷寺の門の左門柱には、曹洞宗龍谷寺と、右門柱には、豊川稲荷霊場と記されています。
    曹洞宗の寺院である龍谷寺は、山号を黄雲山と号します。
    龍谷寺は、野村彦太夫為垂が開基し、南領賢寿和尚が開山と伝えられています。
    当初は、松洞山龍谷寺と号していましたが、元和2年(1616年)に、湯島の天神下に創建され、明暦元年(1655年)に、現在の稲荷町に移転しました。
    その際、山号を変え、黄雲山龍谷寺と改めたといいます。
    龍谷寺は、境内を始めとして、ほとんどの場所が緑の樹々に覆われ、深山幽谷の感じがします。
    また、門も木製であり、文字も雨に打たれて、判然とせず、神秘的な感じがします。
    まさに日本的な、侘び寂びの世界に入り込んだ、神々しい感じがします。
    落ち着いた感じの寺院として、お薦めの龍谷寺です。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.5
    バリアフリー:
    3.5
    見ごたえ:
    3.5

  • 寿湯は、東上野の稲荷町にある静かな環境の中にある有名な銭湯です。

    投稿日 2016年11月05日

    寿湯 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    寿湯は、東上野の稲荷町にある静かな環境の中にある有名な銭湯です。
    インターネットの中では、露天風呂やサウナ等の設備が整っている銭湯として、有名な所になっています。
    寿湯は、浅草通りから1本北側に入った通りに面していて、周囲には、お寺が多数ある関係上、静かな環境の中にあります。
    深夜の1時30分まで営業している点は、サラリーマン等の都会人にはうれしい銭湯です。
    反面、日中は、11時に営業開始であり、勤務時間と合わない場合があります。
    フロントの休憩スペースでは、インターネットが利用できますし、料金も460円と比較的、安価な部類に入るかもしれません。
    残念なことは、サウナが利用できるのですが、別料金200円かかかります。
    どこの銭湯でも、すべての面で良しというわけには、いかないので、目的を明確にして利用するのが良いと思われます。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    雰囲気:
    4.0
    バリアフリー:
    3.0

  • 蓮城寺は、東上野の稲荷町にある日蓮宗のお寺です。浅草通りの北側の通りにあります。

    投稿日 2016年11月05日

    蓮城寺 上野・御徒町

    総合評価:3.5

    蓮城寺は、東上野の稲荷町にある日蓮宗のお寺です。浅草通りの北側の通りにあります。
    蓮城寺は、日蓮宗の寺院で、常光山と号します。
    蓮城寺の創建年月は不詳とのことではっきりしまませんが、成就院日元と言う僧侶が寛永15年(1638年)が開山したと伝えられています。
    しかしながら開祖は、覚了義達とされています。
    江戸時代中期の享保12年(1728年)に、浅草安部川町から当地へ移転したといわれています。
    現在の建物は、あまりお寺のような感じはしておりませんで、一般の住宅のような感じがしています。
    門が閉まっていますので、外観しか確認できませんが、入口の表札と屋根の下側にある寺名の入った額が無ければ、お寺とは思わず、一般の住居と間違われると感じます。
    お寺の名前に「蓮」の文字が付いていますので、日蓮宗に属するお寺と想像がつきますが、お寺らしくはありません。

    旅行時期
    2016年10月
    利用した際の同行者
    一人旅
    アクセス:
    4.0
    人混みの少なさ:
    3.0
    バリアフリー:
    2.5
    見ごたえ:
    3.0

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