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坂東報恩寺

寺・神社・教会

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坂東報恩寺は、東上野の報恩寺の通称です。浄土真宗の大谷派のお寺です。

  • 4.0
  • 旅行時期:2016/10(約9年前)
さいたまさん

by さいたまさん(男性)

上野・御徒町 クチコミ:136件

坂東報恩寺は、東上野の報恩寺の通称です。浄土真宗の大谷派のお寺です。
報恩寺は、東上野稲荷町にある真宗大谷派の寺院です。坂東報恩寺と通称されています。山号は「高龍山」、院号は「謝徳院」と号します。
開基は、親鸞の門弟の性信で、性信と報恩寺は二十四輩の第一番目です。
もともとは、下総国横曾根にあった真言宗の荒れ寺「大楽寺」を、性信が念仏道場として再興したのが創まりとされています。
慶長5年に、道場が兵火によって焼失し、寺基を江戸に移しました。
当初は、外桜田に移転していましたが、寛永20年(1643年)に、八丁堀へ再移転しました。
明暦3年(1657年)の明暦の大火により、浅草本願寺東門内の広沢新田に移転しました。
また、文化3年(1806年)の文化の大火の際、浅草本願寺とともに焼失する不運に見舞われました。
文化7年(1810年)に、上野に寺基を定め現在に至っています。
下総の横曾根の跡地は、本堂が再建され、坂東報恩寺支坊になり「下総報恩寺」と通称されたため、東上野の報恩寺を坂東報恩寺と通称するようになり、現在も坂東を使っています。
今回、報恩寺の歴史を見ますと、戦火による焼失・移転、2度にわたる大火による焼失・移転と、移転・流転の歴史が見えてきます。
戦国の時代とはいえ、移転の歴史は、苦難の連続だったと思います。
歴史の中の寺院について、移転を契機に認識を新たにさせられた稲荷町巡りでした。

施設の満足度

4.0

利用した際の同行者:
一人旅
アクセス:
4.0
人混みの少なさ:
3.5
バリアフリー:
3.0
見ごたえ:
4.0

クチコミ投稿日:2016/11/07

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