じゅんちさんのクチコミ(7ページ)全478件
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投稿日 2016年07月14日
総合評価:4.5
嵐山の風景の竜門橋は、とても和歌の世界です。
豊かな水の流れや緑の風景は、かつての昔をしのばせるものです。
嵐山にいったら、ぜひ渡りたい橋です。
木材のぬくもりと、その松の風景が日本文化を感じさせてくれます。- 旅行時期
- 2015年05月
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投稿日 2016年07月14日
総合評価:4.0
新善光寺からすぐ近くにありました。
安産祈願のお寺らしく地蔵様が目につくお寺です。
庶民的で親しみやすい浄土宗のお寺です。
火災に何度かあいましたが、受け継がれてきてるそうです。
赤い提灯飾りが、華やかな感じうけました。- 旅行時期
- 2016年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2016年07月14日
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投稿日 2016年06月19日
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投稿日 2016年06月19日
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投稿日 2016年06月19日
総合評価:4.5
自働車にて国道23号線から、二見シーパラダイスもこして約15分すると、道路沿いにあります。「蘇民の家」というスーパーの前が駐車場になっています。
菖蒲の季節になると、訪づれます。
蓮の花がきれいに咲き始めてました。
のどかな森に色とりどりの菖蒲が咲き、いい香りがしてきそうでした。
遊歩道があり、東屋で、座る眺めることもできます。- 旅行時期
- 2016年06月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦
- アクセス:
- 3.5
- 見ごたえ:
- 4.0
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投稿日 2016年06月14日
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投稿日 2016年06月14日
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投稿日 2016年06月07日
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大規模な古墳です。
投稿日 2016年06月07日
総合評価:3.5
古墳時代後期前半、6世紀前半築造の前方後円墳。
現状は全長45mだが、現地表面より1m位下に幅約6mほどの周濠があり、推定全長60mほどの周濠を有する二段構成の前方後円墳と考えられている。
後円部の東南に開口した横穴式石室の玄室に、二上山産白色凝灰岩製家形石棺を安置し、石棺内部より金銅製の冠や履、双鳳環頭大刀、双魚形佩飾、金製垂飾付耳飾などの豪華な副葬品が出土した。継体天皇と関係深い三尾氏の首長墓と考えられている。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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昔をしのぶ木之本宿
投稿日 2016年06月02日
総合評価:4.5
北国街道 木之本宿について
木之本は北国街道の宿場町として開けたが“木之本のお地蔵さん”で名高い木之本地蔵院の門前町としてもにぎわった。旧北国街道は、次第に近代化しつつあるが、平入、瓦葺で、袖壁や連子格子のついた民家も多く、宿場町の落着いた佇まいをよく残している。町並みには、油屋・醤油醸造元・造り酒屋などがあり、また裏通りに入ると紅殼格子の町家や長屋門なども見られる。
北国脇往還
木之本宿から、名古屋・江戸方面へ向かう旅人が中仙道鳥居本宿を経ず、関ヶ原宿へ向かう近道として賑わった街道で、木之本宿の南端が起点となっています。
賤ヶ岳の合戦の際には、羽柴秀吉が大垣から木之本間(十三里・約52km)を約5時間で駆けつけ、動揺した柴田勝家軍との戦いに勝利し「大垣大返し」と呼ばれ、山崎の合戦の際の「中国大返し」とともに、秀吉の二大大返しとして有名です。
- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
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投稿日 2016年06月02日
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戦国ロマン..賤ヶ岳
投稿日 2016年06月01日
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投稿日 2016年05月31日
総合評価:5.0
信州の秘境・鬼無里村。
村に古くから伝わる鬼女紅葉伝説は能の演目「紅葉狩」をはじめ、様々な文芸作品の仔仔にされてきたそうです。
現在は奥裾花渓谷と自然園のミズバショウ大群落でしられているそうです。
館内には、かつて麻の栽培と畳糸生産に係る資料をはじめ、
精巧で華麗な技が施された屋台(山車)、村ゆかりの彫刻や村内で守り伝えられてきた
展示物が豊富で、見ごたえがあります。- 旅行時期
- 2015年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.5
- 人混みの少なさ:
- 3.5
- 展示内容:
- 4.5
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江戸時代のままの福島関所
投稿日 2016年05月29日
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投稿日 2016年05月29日
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投稿日 2016年05月29日
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投稿日 2016年05月25日
総合評価:5.0
白鬚神社から国道161号を北上してすぐの山際に、旧西近江路とされる道があり、この道をあがった丘陵上には、花崗岩で造られた33体の石仏群があります。これらは鵜川四十八体仏(うかわしじゅうはったいぶつ)と呼ばれ、長年の風化で表面の摩滅が進んではいますが、容貌や衣文(えもん)の掘り出しの技法などから、室町時代後半ころに造られた阿弥陀如来坐像であると考えられています。この石仏は、観音寺城(安土町)の城主で、近江守護を務めた六角義賢(よしかた)が、天文22年(1553)に、亡き母の供養のために造立したものとされ、義賢は、観音寺城のある湖東から、この湖西の鵜川の地を阿弥陀如来の住む西方浄土(さいほうじょうど)に見立てたのではないかとも考えられています。
- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2016年05月25日
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投稿日 2016年05月24日
総合評価:5.0
昔の建物がそのままの姿で残されています。
揚屋の意味は お客様を二階へ揚げるということからだそうです。
一階は台所とすまいでウナギの寝床のように間口は狭いです。
二階は歌舞と食事でお客様をもてなす場所で、とても美しいです。- 旅行時期
- 2015年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- アクセス:
- 4.0
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- バリアフリー:
- 3.0
- 見ごたえ:
- 5.0





















































































































































