横浜臨海公園さんへのコメント一覧(129ページ)全1,510件
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何時も訪問していただき有り難う御座います
何時も訪問していただき有り難う御座います。
息子が東京に居るものですから東京には良く行きましたけど(年老いたら今じゃ東京へも行かなくなりましたけど)横浜へは十年来行っていませんので懐かしく拝見させていただきました。横浜も大分変ったでしょうね?
今後とも宜しくお願いします。2009年04月29日03時23分返信する -
お初に
不躾ながら突然の書き込みお許し下さいませ
以前より横浜臨海公園さまのブログを拝見させて頂く事がありつつも
なかなか掲示板の方まで書き込みさせて頂く勇気がなく日を過ごして
おりましたが、写真で見る、かつて訪れて目にしたことのある幾つかの
風景の懐かしさについ掲示板にもお邪魔させて頂きました。
今後も時折拝見させて頂きに伺いますね。
それでは手短ですが、ご挨拶まで。2009年04月26日23時45分返信する -
あっ!
横浜臨海公園様 こんばんは
大垣ときたので、もうこれ(写真)は南宮さんだと思いました。
写真でみると、いや実物も ここは凄いですね。
目立たない田舎町なのに。
高舞殿では実際に能が演じられたりしていました。
近くには朝倉山 相川 国分寺 歴史散歩されましたか?
廃駅になった垂井駅なども御興味の対象でしょうか?
懐かしく拝見したしました。
yotiyoti -
老舗の和菓子やさんの口コミに興味深々かな
横浜臨海公園さんへ
いつもお世話になっております。
京和菓子教室へ2年程通った一歩人です。
東京都内でとサイトで探して、
学芸大まで行きました。
とうことで、興味深々。
失礼しま〜す。
さろん閑遊はこちらから。
http://www.kanyuu.com/2009年04月20日04時11分返信する -
水清き城下町
書き込みはしばらくぶりの今中でございます。
すっかりのご無沙汰お許し下さいませ。
水清き城下町!
そんな感じの大垣ですね。
自噴の井戸は何とも涼しげ。
水の緑はバイカモでしょうか?
白い花も咲いているように見えます。
岐阜南部はトンと疎いのですが
夏に名古屋出張の折にでも訪れてみようかと
思っていますので参考にさせて頂きます。
拝復
ツーリスト今中さま、こんにちは。
メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
また、たいへんご無沙汰をしておりますがご機嫌如何でしょうか。
> 水清き城下町!
> そんな感じの大垣ですね。
仰せの通り一般的な観光ルートでは無いので静かな雰囲気で堪能できる街並が気に入りました。
>
> 自噴の井戸は何とも涼しげ。
自噴井戸など千葉県の久留里町のソレぐらいしか思いつきません。
> 夏に名古屋出張の折にでも訪れてみようかと
> 思っていますので参考にさせて頂きます。
偶然ですが、トラベラーの旅のくまさんさまも同時期に大垣を訪れて旅行記に纏められております。
小生より詳細なものですので訪れられてご覧になると良いかと存じます。
横浜臨海公園2009年04月16日13時25分 返信する -
この湧き水はすごいです
横浜臨海公園さんへ
いつもありがとうございます。
あいかわらず口コミ魔の一歩人です。
自噴井戸とは、生まれて初めて知りました。
それにしてもすごいですねええ。
うらやましい限りで。
水道代節約したいなああ。
ふ、ふ、電気代も。
失礼しま〜す。 -
歴史的価値が高い資料ですね。
横浜臨海公園さんが所持されていると言われる、真崎甚三郎大将の名簿、実に貴重な歴史資料ですね。
私はこの分野での素人ですが、あるきっかけで15年ほど前2・26事件に関する資料を読みあさったことがあります。
そのきっかけとは、近所の飲み仲間の方から、その方のご高齢の母が書き写されたという、2・26事件に関する資料を読み解いて欲しいとの依頼があったためです。
元資料は、憲兵司令部に下士官として勤務した山崎良太氏の長兄が記されたものです。山崎良太氏は、6年間林大将の身辺警護を務められ、その後志願して、19年に外地で戦死された方です。
その中に記されたいくつかのエピソードです。林内閣が倒れ、良太氏が上司の大谷敬二郎氏に辞職願を出された時、長兄に思い止まってくれるよう説得をお願いする手紙が送られ、それを良太氏に届けて翻意させたという件もありました。
最初は、憲兵隊への入隊のときのエピソードです。
『憲兵学校は鬼みたいな学校だった。地獄だった。泣き出す者もいた。そんな者に対しては、原隊に帰りたいものは帰れ、8円80銭の兵隊を百円以上で雇うんだ。嫌なやつは帰れ!』
こうして、全国から80名が選抜された中で26名が残ったとされます。
また、2・26事件が発生した時の真崎大将の行動は、
『夜、真崎大将は、カーキ色の三ツ星外套の上から帯剣し、安藤輝三から抜剣刀(?)剣の礼を受け、その報告をいちいち聞いた』
とも記され、事件の黒幕であったと憲兵隊は掴んでいたようです。政治的に事態収拾が図られたようです。
また、良太氏が御前会議の隣室に詰めて警護に当たった時の証言です。
『数時間に及ぶ会議の席上、誰一人、咳するものも無く、1、2回小用のために厠に赴かれた者以外、咳を外した者も無く、陛下は2回ほど、上厠のため立ち上がり・・』
と記され、世に言う『朕自ら賊軍を撃つ』の昭和天皇の激昂した姿は無かったようだと証言されています。
15年ほど前に重点的に読んだ2・26事件に関する本を、当時お預かりした資料と一緒に思い出しました。
ではまた。(旅人のくまさん)拝復
旅人のくまさんさま、こんにちは。
早速メッセージを賜りまして誠に有難うございました。
> 横浜臨海公園さんが所持されていると言われる、真崎甚三郎大将の名簿、実に貴重な歴史資料ですね。
>
> 私はこの分野での素人ですが、あるきっかけで15年ほど前2・26事件に関する資料を読みあさったことがあります。
> そのきっかけとは、近所の飲み仲間の方から、その方のご高齢の母が書き写されたという、2・26事件に関する資料を読み解いて欲しいとの依頼があったためです。
> 元資料は、憲兵司令部に下士官として勤務した山崎良太氏の長兄が記されたものです。山崎良太氏は、6年間林大将の身辺警護を務められ、その後志願して、19年に外地で戦死された方です。
>
> その中に記されたいくつかのエピソードです。林内閣が倒れ、良太氏が上司の大谷敬二郎氏に辞職願を出された時、長兄に思い止まってくれるよう説得をお願いする手紙が送られ、それを良太氏に届けて翻意させたという件もありました。
大谷敬二郎は最終階級は憲兵中将で終戦の日未明の近衛師団の反乱事件などの収束を行った事で知られ、また憲兵出身者では四方諒二とは異なり良識的思考を持った人物だった事で知られてます。
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> 最初は、憲兵隊への入隊のときのエピソードです。
> 『憲兵学校は鬼みたいな学校だった。地獄だった。泣き出す者もいた。そんな者に対しては、原隊に帰りたいものは帰れ、8円80銭の兵隊を百円以上で雇うんだ。嫌なやつは帰れ!』
> こうして、全国から80名が選抜された中で26名が残ったとされます。
憲兵学校は法理論などを扱う為に原則的に旧制中等学校卒業以上の学歴者でなければ入校できなかったそうです。
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> また、2・26事件が発生した時の真崎大将の行動は、
> 『夜、真崎大将は、カーキ色の三ツ星外套の上から帯剣し、安藤輝三から抜剣刀(?)剣の礼を受け、その報告をいちいち聞いた』
> とも記され、事件の黒幕であったと憲兵隊は掴んでいたようです。政治的に事態収拾が図られたようです。
尤も、真崎大将は取調べを担当した某憲兵伍長に対し「どうか自分を助けてくれ」と土下座した事実もございます。
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> また、良太氏が御前会議の隣室に詰めて警護に当たった時の証言です。
> 『数時間に及ぶ会議の席上、誰一人、咳するものも無く、1、2回小用のために厠に赴かれた者以外、咳を外した者も無く、陛下は2回ほど、上厠のため立ち上がり・・』
> と記され、世に言う『朕自ら賊軍を撃つ』の昭和天皇の激昂した姿は無かったようだと証言されています。
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> 15年ほど前に重点的に読んだ2・26事件に関する本を、当時お預かりした資料と一緒に思い出しました。
小生、関東某県で陸軍憲兵出身者で組織する「憲友会」会長ともお付き合いをさせて戴いておりますが、憲兵任命当時、上司から2.26事件に就いて「収束後の取り扱いが極めて稚劣だった為に陸軍中堅が当然の如く下克上を当たり前として言行動する様になった。真崎や伏見宮殿下を裁くべきだった」と回顧されたそうです。
下克上とは辻正信の事をさすのでしょう。
兎に角、此の名簿から新事実が幾つか判明しております。
公になれば従来の解釈が引っくり返るほど凄いものです。
解読完了まで、あと5年くらいかかりそうです。
横浜臨海公園2009年04月15日14時18分 返信する



