hijunoさんのクチコミ(35ページ)全1,181件
- サムネイル表示
- リスト表示
- ホテル
- ショッピング
- グルメ・レストラン
- 交通機関
- 観光スポット
- 基本情報
-
1972年に田中佐起三がちりめんの素材を使ってワンピースやスカートの製作を始めました。
投稿日 2023年04月15日
総合評価:3.5
京都の木屋町に石碑があります。武市瑞山先生寓居之跡の石碑もその隣にあります。
田中佐起三は1972年に株式会社 SAKIZOを創業し、ちりめんの素材を使ったワンピースやスカートなどを創作しています。少し先のほうには、「さきぞう発祥の地」の碑もあります。- 旅行時期
- 2023年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
個室もあり、ゆっくり食事ができました。天然のうなぎがとても美味しいです。
投稿日 2023年04月13日
-
投稿日 2023年04月13日
-
投稿日 2023年04月13日
-
織田信長の御廟があります。大寶殿には本能寺や織田信長に関しての貴重な資料が展示されていました。
投稿日 2023年04月13日
総合評価:4.5
法華宗の寺院です。創建は1415年です。本能寺の変ののち、1591年に豊臣秀吉が現在の場所に移築しています。信長の御廟は三男の信孝が建立し、供養塔の石塔の下には信長の刀が納められているそうです。織田信長の御廟のほか、本能寺の変で討ち死にした家臣たちの合祀されたお墓もありました。大寶殿には本能寺や織田信長に関しての書物や寺宝、信長の使用していた茶道具なども展示されていて見ごたえがありました。
信長の肖像も髭のない肖像画、信長所持とつたわる太刀、本能寺の変の前夜に鳴いて異変を知らせたという「三つ足の蛙」と呼ばれる香炉などもありました。写真撮影は禁止でした。
とても興味深いのは、本能寺の能という文字はヒが二つありますが、五度の火災に見舞われたことからヒを避け、「去る」の漢字を使っているという言い伝えがあることです。
諸説あるようですが、門にあるお寺の名前に注目です。- 旅行時期
- 2023年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 見ごたえ:
- 4.5
-
石山寺の発展に尽くした朗澄大師が死後に鬼となって石山寺の聖教と経典を守ると誓ったそうです。
投稿日 2023年04月13日
総合評価:4.0
石山寺へ参拝する手前にある庭園です。
石山寺の経典、聖教の収集と整備に尽力した朗澄大師を記念して造られた庭園です。
大師は亡くなってからは鬼となり、石山寺の経典、聖教を守ると自ら語っていたそうで、その強い決意と責務がうかがえます。庭園には鬼の姿が刻まれた石があります。
説明板にもありますが、図像画にもすぐれた名僧で、石山寺の多宝塔の壁画も大師によるものではないかといわれています。- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 見ごたえ:
- 4.0
-
投稿日 2023年04月12日
-
投稿日 2023年04月12日
総合評価:5.0
三条大橋の歴史は古く、室町時代にはすでに橋がかけられていたそうですが、 豊臣秀吉の時代に石柱を用いた橋に大改修されたそうです。その石柱には天正という文字も刻まれています。江戸時代や明治、大正時代にも橋の改修は行われています。訪れたときもまさに改修の時でした。東海道五十三次の西の起点でもあります。高札場も設けられた場所です。石柱と高札場については駒札で説明がされていました。
橋のたもとには東海道膝栗毛の中で京都を訪れた弥次さんと喜多さんの像があります。
また、池田屋事件の際にできたといわれる刀傷が橋の擬宝珠にも残っており、あちこちに歴史をかんじることができる橋です。- 旅行時期
- 2023年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 2.0
- 見ごたえ:
- 4.0
-
「東海道中膝栗毛」に弥次さんと喜多さんが京都を訪れたことも書かれてあります。
投稿日 2023年04月12日
総合評価:3.5
三条大橋のたもとに、弥次さんと喜多さんの像があります。十片舎一九でおなじみの「東海道中膝栗毛」のなかに、弥次さんと喜多さんが京都を訪れたくだりがあります。三条大橋近くの旅館に泊まったとお話にあります。平成6年に三条小橋商店街振興組合が、旅の安全祈願で設立した像だそうです。
- 旅行時期
- 2023年03月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2023年04月12日
-
菅原道真が大宰府に流される時、臂を枕にして休んだことから名前が付けられたといわれています。
投稿日 2023年04月12日
総合評価:4.0
菅原道真が祭神です。道真が大宰府に流されるとき、この場所を訪れ、臂を枕にして休んだことが名前の由来になっているそうです。また、「いもじの天神」とも呼ばれ、
鐘や鋳物などを製作する鋳物師の職人集団もこのあたりに多く居住し、「いもじ千軒」と呼ばれた時期もありました。鋳物師は地名としても残っているそうです。説明板にもありますが、菅原道真が立ち寄った際には村人たちがお茶で接待し、大宰府に向かうときには大きなおむすびを用意し、道中の無事を祈ったといわれています。お祭りでは今でもおむすびが用意されるそうです。遠い地に配流となった菅原道真がこの地で人々の素朴で優しい心づくしで癒されたことが偲ばれました。- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 人混みの少なさ:
- 4.0
-
投稿日 2023年04月10日
総合評価:5.0
佐久間象山と大村益次郎の遭難の地の碑が並んで立っています。すぐそばには行けませんが、高瀬川をはさんで観ることができます。佐久間象山は松代藩士で開国論を唱え、公武合体も進めていた人物です。吉田松陰や勝海舟、坂本龍馬にも影響を与えました。1864年に海防について、幕府の要請で京都に滞在中のこのあたりの路上で攘夷派に襲われ命を落としました。大村益次郎も1869年このあたりの旅館で襲われ、その怪我がもとで命を落とします。大村益次郎は近代兵制の基礎を造った人物で、戊辰戦争でも功績をあげ、のちに兵部大輔になりましたが、急速な近代化の兵制改革に不満を持った旧士族による事件とみられています。幕末の動乱から明治にかけて、大切な人材が次々と失われたことがわかります。
遭難の地の碑の手前には石の道標があります。- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 見ごたえ:
- 5.0
-
投稿日 2023年04月11日
-
投稿日 2023年04月11日
-
大阪歴史博物館の実物大の再現された大極殿の展示を先に見学するとよりわかりやすいです。
投稿日 2023年04月10日
総合評価:4.5
難波宮は645年から793年の間、およそ150年、都として栄えました。建設後40年後には一度火災に見舞われますが、再建されています。現在は大きな公園になっていて、大極殿基壇が復元されていました。八角殿に模した建物もありました。
近くの大阪歴史博物館の10階には大極殿を実物大にした建物が再現されています。そのスケールの大きさもわかりますが、当時の官吏や女官たちも復元されており、とてもリアルな雰囲気が伝わってきました。10階からは難波宮跡が見下ろすことができます。そのほかにも全体的な建物の模型や資料も多く展示されて、前もって知識がインプットされました。
こちらの博物館を先に訪れると、より難波宮を理解できると感じました。- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 人混みの少なさ:
- 4.0
- 見ごたえ:
- 4.5
-
かつては百以上の船の行き交う高瀬川で船に荷物を運び入れるなどした重要な場所でした。
投稿日 2023年04月10日
-
投稿日 2023年04月10日
-
高瀬川の西側から河原町通りに至る場所に加賀藩邸がありました。
投稿日 2023年04月10日
総合評価:3.0
江戸初期には加賀藩邸は置かれていたようですが、高瀬川にかかる橋の名前に加賀橋があったそうです。今は説明の駒札が置かれています。加賀藩おいえば、外様大名の中でも100万石を超える大きな大名です。1788年に一度消失していますが、その後再建されています。駒札の説明板と共に、小さな石碑があります。
- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
-
投稿日 2023年04月10日
総合評価:5.0
チョコレートの専門店ですが、テラス席があるカフェも利用できます。京都の町家の路地を奥を入っていくと、お店があります。
鴨川を眺めながら、とても心地よい時間も過ごせました。ケーキも繊細でチョコレートの味が濃厚でした。コーヒーにも小さなチョコがついています。また、店内でチョコレートやケーキのテイクアウトもできます。- 旅行時期
- 2023年04月
- 利用した際の同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
- サービス:
- 4.5
- 雰囲気:
- 4.5
- 料理・味:
- 5.0
-
投稿日 2023年04月08日
































































































































