amaroさんのクチコミ(74ページ)全3,113件
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投稿日 2014年12月24日
総合評価:3.0
明治維新を成し遂げた毛利ほどの大藩がどうしちゃったの?下級武士達は基本的に殿様を否定していたのかしら?と思ったのが、天樹院墓所を見たときのこと。実は五大老の1人で関ケ原の時、西軍の大将を務めた毛利輝元の墓なのです。関ケ原の後、広島から萩へと移封され、ここが隠居場所になっていたそうです。死後、天樹院というお寺が建てられましたが、明治維新後、廃寺となり墓だけが残ったというわけ。竹林に囲まれた広大な墓所ですが、ぽつんと存在していて、夕方だと何だか怖い雰囲気なのです。いくら何でも、きちんとした墓は別にあるのでしょうけど、こんな形で残すなんて変です。もしかして、毛利家の人々は戦わずして破れた輝元の存在を認めていなかったのかしら。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月24日
総合評価:3.0
萩市中心部に戦前とおぼしき木造の古い校舎が建ち並んでいました。幕末のスター達を生み出した萩藩校の明倫館の跡地で南側には六代、十三代の藩主がたてた明倫館碑が立っていたほか、武家門の南門がありました。空き地に2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」のドラマ館が建設中。毛利家家臣の子弟教育のためにつくられ、幕末の1863年には足軽なども入学を許され1000人以上の生徒が学ぶマンモス校だったとか。吉田松陰はわずか11歳にして教鞭をとったといいます。現在は明倫館小学校の一角らしく、古い木造校舎は小学校のもののようです。日本で唯一現存する水連池や聖賢堂という建物が残っていたようなのですが、ドラマ館の建築のためか、工事用のパネルがあちこちに置いてあって見るのは諦めました。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月24日
総合評価:3.0
第26代内閣総理大臣を務めた田中義一という人。昭和金融恐慌の後、首相となり、教科書にも載っていた記憶がありますが、詳しいことはほとんど憶えていません。そんな元首相の生誕地の碑が高杉晋作や木戸孝允ら維新のスターの生家が並ぶ萩市の住宅街の一角にありました。白壁の続く住宅街の隙間のような場所でしたけど。下級の萩藩士の子として生まれ、陸軍士官学校卒。日清戦争、日露戦争を経て政界入りし政友会総裁に上り詰めた後、1927年に首相となりました。29年、張作霖爆殺事件で辞職。これにより長州閥が終わったとのことでした。それにしても、無理して造ったような碑。そんなこともあってか、外堀近くに大きな銅像が立ってました。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月24日
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投稿日 2014年12月24日
総合評価:3.0
神戸・北野の異人館街は、単に外人の住まいというだけでなく、各国の特徴をバランスよく配置しているという感じがします。ドイツの「ラインの館」。英国館にイタリア館、パナマ領事館ってのもあります。2つの洋館が左右対称になっているかつての外人向けアパートは「仏蘭西館」。ガラス工芸品などフランス関係の展示で統一されていました。
- 旅行時期
- 2014年01月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月24日
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投稿日 2014年12月24日
総合評価:3.0
長州藩の中心だった萩と瀬戸内側を結ぶかつての萩往還に沿って伸びている山口県道32号萩秋芳線で萩市内に向かっていくと、市街地にちょっと手前に道の駅「萩往還」がありました。萩観光のわくわく感を高めるためか、道路には大きな武家門。谷間でそれほど広いスペースこそないものの、吉田松陰と松下村塾の資料を展示した無料の松陰記念館があるなど凝った造りの道の駅でした。車を止めて入っていくと、木戸孝允や伊藤博文らの銅像がお出迎え。高杉晋作や吉田松陰らの像もあります。一番、萩寄りに地元野菜などが中心の生鮮食料品、特産の甘夏ジャムなど土産物屋、さらには松蔭記念館と並び、レストランに麺類の店と並びます。一通り見て歩くと、結構、時間を食っちゃいます。特にここで妙に松下村塾のこと見てしまったら、実際に見たとき楽しくなーい、とさっさと通り過ぎてしまいました。萩観光のことを考えたら、やりすぎって感じもしますが、土産物の品揃えもよく時間がもっとほしかったところです。
- 旅行時期
- 2014年11月
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投稿日 2014年12月22日
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投稿日 2014年12月22日
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投稿日 2014年12月22日
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投稿日 2014年12月21日
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投稿日 2014年12月21日
総合評価:3.0
香港のビクトリアピークに到着しピークタワー展望台から香港を一望し、さあランチということで外に出てみました。真向かいにショッピングモールのピークギャレリア。高級店が多いピークタワーと違ってファストフード店などもあり、いかにも庶民向け。といっても香港ドルは結構、高めのなので、すっごく安いというわけではなかったけど。結局、ワンタンを食べることになっちゃいました。観光ショッピングモールなので、さほど見る物もないだろうとさっさと出ちゃいましたが、後で調べてみると、スーパーなどもあったとか。バスやタクシー乗り場もあったそうで、もう少し探訪すればよかった、と少々、後悔でした。
- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月21日
総合評価:3.0
尖沙咀(チムサーチョイ)からスターフェリーに乗って中環(セントラル)に到着し、船を降りてみると、スターフェリーの桟橋とそっくりの建物がありました。向かう方向で違う桟橋を使っているんだろうなと思ったら、香港海事博物館の建物でした。海に突き出すように造られており、ホントによく似てます。昔の桟橋を使ったのかなと思ったら、これが新築。かつてスタンレーにあった博物館を移転してリニューアルしたばかりだそうです。陶船の模型など、かなり珍しい資料が展示されているそうですが、時間がなく館内見物は見送りました。こういう建物を造っちゃうなんて、香港の人にとってスターフェリーって特別な存在なのでしょうね。
- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2014年12月21日
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投稿日 2014年12月21日
総合評価:3.0
何だかすごい物を造っちゃったよなあ。やっぱ香港って勢いがあるなあと思ったのが香港一の観光スポットビクトリアピークに上ったときのこと。といっても、ピークトラムで山頂に到着し、そのままエスカレーターで展望台まで上ってしまったので、このものすごい建物の姿に気づいたのは、いったん外に出た後のことですけどね。香港返還前の1996年から改装工事が行われ現在の姿になったそうです。実は前に訪れたのがその年。もちろん完成しておらず、あまりの違いにびっくりしたわけだ。ビル内はショッピングモールとレストラン、それに「マダムタッソー蝋人形館」などがありました。といっても、結構、高級ショッピングモールなので、お買い物とは無縁。香港島やビクトリア湾一望のレストランも高級で、必要なのは展望台だけって気もしましたけどね。
- 旅行時期
- 2014年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 観光の所要時間
- 1-2時間
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投稿日 2014年12月21日
総合評価:3.0
萩市の中央公園を歩いていると、遠目に偉い人の騎馬像が見えました。近づくと武士ではなくいかにも明治の軍人の像。萩の軍人と言えば、山県有朋と思って説明を読むと、やっぱりそうでした。松下村塾で学び高杉晋作の奇兵隊に入隊。陸軍創設に尽力し、総理大臣に上り詰め、日清戦争の司令官まで務めました。考えてみれば明治維新で活躍した人が日清戦争にまで顔を出すなんて驚き。実は日露戦争まであれこれ口を出していたみたいだけど。そんなミスター陸軍みたいな人だけに、像を制作したのは長崎の平和像で有名な北村西望。東京の霞が関につくられましたが、太平洋戦争を挟んで色々あったみたいで、結局、萩に落ち着いたようです。しっかし、どうにも唐突、どうにも目立たない。奇兵隊時代ならともかく、こういういかめしい像は東京の市谷ぐらいにしか似合いませんよねえ。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月21日
総合評価:3.0
勝手な思い込みかもしれないけど、幕末、なぜ毛利氏が倒幕=新政府の中心だったか分かるような気がしたのが、萩にある毛利氏の菩提寺「東光寺」の毛利氏廟所を見たときのことでした。総門、山門、本堂を歩き、その裏手の廟所の光景といったら。山の斜面に石灯籠が整然と連なり、最頂部に藩主とその妻の石碑風の墓が左右に並んでいます。石灯籠は重臣達が献上したものでその数500。時代劇ドラマで主君が家臣達を並べて指示を出すシーンを見かけますが、墓場でそんなシーンを再現しているようにも見えます。大名の墓を見ると、一族だけの単独の墓が多いような気がしますが、こちらの墓は藩主と家臣が一体となっているのです。もしかしたら、そんな結びの強さが事実上のクーデターを成功させる原動力になったような気がします。ホント、すごいものを見ちゃった。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月21日
総合評価:3.0
萩市の松陰神社境内に入ってすぐに「薩長土連合密議之處」と刻まれた石碑が立っていました。明治維新の最終的な原動力となった薩長同盟かなと思いましたが、それとは別。1866年の薩長同盟に先立つこと4年の1862年、土佐の坂本龍馬、薩摩の田上藤七、長州の久坂玄瑞がこの地にあった宿屋で国事を語り合ったことを記念する碑で1868年の建立です。揮毫は岸信介元首相。なーんてことを知ると、やや意図的なものかなとも思ってしまいます。明治維新前に坂本龍馬は暗殺され、久坂玄瑞は禁門の変で戦死、田上藤七は歴史上に現れていないのです。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2014年12月21日
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投稿日 2014年12月21日
総合評価:3.0
いくつの時かはおぼえてないけど、子どもの頃に行った萩に訪れました。記憶はないので初めてのようなものです。最初はもちろん、松下村塾です。2015年のNHK大河ドラマにこともあり、事前学習です。吉田松陰をめぐる関係地はほとんど松陰神社の中にありました。入り口の鳥居前には観光バス用の大きな駐車場もあり、まるで松蔭テーマパークです。そして境内の最初に登場してくるのが、松下村塾でした。言ってみれば、安普請の古民家。8畳の部屋に増築された4畳半の部屋。何人いたか分からないほどの塾生を収容するにはあまりに小さな建物でした。高杉晋作、伊藤博文、山県有朋。明治維新の立役者が数多く学んだことはあえて言うほどでもありませんよね。ただ、驚いたのは松蔭が先生だったのは1857年から1年ほどだということ。薫陶は受けたとはいえ、それだけであれだけの大物が育ったわけでもないでしょう。結局は彼らの力だったのかなと思います。その一方で松蔭という男、ものすごいカリスマリーダーだったのかな、とも感じました。安政の大獄で死ぬことなく、明治まで生き延びてしまったら、どうだったんでしょうね。
- 旅行時期
- 2014年11月
- 利用した際の同行者
- 一人旅























