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amaroさんのクチコミ(71ページ)全3,113件

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  • オールドな雰囲気の橋

    投稿日 2015年02月23日

    千住大橋 北千住・南千住

    総合評価:3.0

    隅田川をまたいで南千住と北千住をつなぐ千住大橋。水色に塗られたとってもオールドな雰囲気の橋でした。日光街道、奥羽街道をひきつぐ国道4号の下り線が走っていました。1594年、徳川家康が江戸に入ってきて初めて造ったのが千住橋で江戸の北の玄関口として歌川広重も描いているとのこと。現在の橋は1927年築。歴史的な土木構造物として注目されているそうですが、確かにこういう橋ってあまり見かけないなあと思います。上り線はどこでも見かける現代の橋。あーなったら、つまんないなあ。

    旅行時期
    2015年01月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 処刑後の吉田松陰の墓

    投稿日 2015年02月23日

    小塚原回向院 北千住・南千住

    総合評価:3.0

    安政の大獄で処刑後に吉田松陰が葬られた墓があるのが南千住駅のそばにある回向院です。古いお寺を想像していましたが、最近、建て替えられたのかコンクリートのビルでした。裏手に史跡コーナーがあり、一番奥に吉田松陰の墓がありました。実はこの墓に葬る際にもストーリーがあったようで、当時回向院周辺は小塚原刑場という処刑場がある荒れ地で、遺体はそこに適当に埋葬されました。桂小五郎らが尽力し、回向院に墓をつくり供養したとのこと。その後の文久3年(1863年)高杉晋作らが動き、毛利藩の別邸があった世田谷に改葬しました。現在の松陰神社です。さすがに松蔭先生、次々と幕末の大物の名前が出てきますよね。そのため、回向院の現在の墓は空。すぐ隣の福井藩士で同じく安政の大獄で処刑された橋本左内の墓がありますが、こちらは屋根付きで比較すると、ずいぶん地味に見えますが、そんな事情もあるようです。一連の墓の中には「毒婦」と云われた高橋お伝らの墓もありました。

    旅行時期
    2015年01月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 刑死者弔う首切地蔵

    投稿日 2015年02月23日

    延命寺 北千住・南千住

    総合評価:3.0

    南千住といえば、何となくあまりいいイメージはないのですが、初めて足を踏み入れてみて「へえーそんなことがあったんだあ」と何となく納得してしまいました。それが南千住駅そばの延命寺を訪れたときのこと。本堂前に首切り地蔵という大きなお地蔵さんが鎮座しているのです。この一帯には江戸時代、品川の鈴ケ森と並ぶ小塚原刑場があり、たくさんの罪人が首を切られたとのこと。お地蔵さんは1741年、死者を弔うために建てられたとのことでした。南千住に対し何となく妖気漂うみたいなイメージを持たれたんでしょうねえ。しかし、お寺の名前が延命寺とは。なんか悲しいですよね。

    旅行時期
    2015年01月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 東京にもシャッター街

    投稿日 2015年02月23日

    いろは会商店街 浅草

    総合評価:3.0

    山谷といえば、かつて1万5千人の日雇労働者と手配師が集まる「寄せ場」として大阪の釜ケ崎と並ぶ場所。それが外国人のバックパッカーの町に変身しつつあると言われ初めて歩いてきました。その中心にあるのが「いろは会商店街」。いろは会ショップメイトという看板がかかり、その下には「あしたのジョーのふるさと」と書かれてました。1月の寒い日曜日でしたが、人通りはほとんどなく大半の店はシャッターが降りてました。地方都市で見かけるシャッター街そのもの。東京にもあったんだあとびっくりです。関東大震災、空襲と2度にわたり大きな被害を受けた商店街ですが、今の姿はそれよりもひどいかもしれません。さすがに昼間から酒盛りするおじさん達の姿は見かけませんでしたが、外人観光客が歩く姿もなく、町全体が静まりかえってました。あしたのジョーのふるさとかあ。うーん、言葉でないなあ。

    旅行時期
    2015年01月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 甘いトマトをゲット

    投稿日 2015年02月23日

    JAグリーンプラザ伊豆の国 伊豆長岡温泉

    総合評価:3.0

    広大な平地にイチゴのハウスや畑が続く伊豆の国市・韮山地区。地域の農家が丹精込めて作った野菜などがゲットできるのがJAグリーンプラザ伊豆の国です。大きな食糧倉庫のような建物の横に広めの直売店があり、その日、収穫された新鮮な野菜がずらりと言いたいところだけど、夕暮れ時に行くとほとんど売れ切れてました。出荷した農家が「持ち帰った物もある」とのこと。それでも、トマトは買うことができました。冬だしなあと思って食べてみたら、これが完熟みたいなフルーティーで甘い逸品。これが食べられたのだから、遠いところ来て良かった。

    旅行時期
    2015年02月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 本物だ、と感動しちゃいました

    投稿日 2015年02月23日

    韮山反射炉 伊豆長岡温泉

    総合評価:3.0

    意識せずに訪れた観光地がその後、世界遺産となり、ものすごく注目されて近づくのも大変というケースを三保松原で経験しました。韮山の反射炉はどうでしょう。既に日本レベルでは「明治日本の産業革命遺産九州・山口と関連地域」の一つになっていますけどね。さて、韮山反射炉はイチゴのハウスが並ぶ韮山の農業地帯からは東側に少し外れたところにあります。観光地としての開発を進めたようで、周囲にはお土産物屋、レストランなどがありました。駐車場も今のところは広め(世界遺産になったら、とても足りないと思うけど)。それはともかく、100円の入場料を払って見た反射炉には思わず「本物?」とびっくりしてしまいました。まさか、1857年につくられたものが、修復されたとはいえ残っているとは。反射炉と言えば佐賀では小学校の隅にあるミニチュア、萩では炉だけ残った物を見ましたが、こちらはそのままの姿を見せていて、思わず感動しちゃいました。説明も丁寧で中の炉の状態もよく分かります。世界遺産の候補ですもの、意気込みが違うのかな。ペリーの黒船襲来で幕府が慌てて大砲鋳造用の反射炉つくりに着手したのは1853年。当初は下田の予定だったけど、アメリカ兵がうろうろすることから韮山が建設地となったそうです。1864年まで使用され、鋳造された大砲28基がお台場などに配備されたとか。反射炉の周囲ぐるりが公園になっており、内部も間近で見られるようになっていますが、世界遺産登録で富岡製紙工場みたいになったら、ちょっと大変かも。

    旅行時期
    2015年02月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 頼朝幽閉の地は平野の一角

    投稿日 2015年02月23日

    蛭ヶ小島 (蛭ヶ小島公園) 伊豆長岡温泉

    総合評価:3.0

    平治の乱に敗れた源頼朝が伊豆に流されたことは知っていても、では伊豆のどこかまでは知りませんでした。温泉ついでにふらっと訪れた伊豆の国市の韮山で、この地が頼朝配流の地と初めて知りました。幽閉された蛭ケ小島という場所は、イチゴのハウスや野菜畑が立ち並ぶ平野の一角にありました。頼朝と妻の北条政子の像がたっており、ちょっとした公園になっています。それにトイレに土産物屋。人里離れた山の中でもなく、周囲を見回しても幽閉のイメージがわきません。というのも、当時は川が流れていて、蛭ケ小島というのは中州か、湿地帯の小高くなった場所といわれており、すっかり様子が変わっているためです。北条政子がいた北条家からは2キロもないところにありました。これなら知り合う機会もあったよなあ、とちょっとにやりとしました。

    旅行時期
    2015年02月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 山の周囲ぐるりと鎌倉時代の史跡

    投稿日 2015年02月23日

    守山西公園 伊豆長岡温泉

    総合評価:3.0

    伊豆の国市の韮山地区にある守山西公園。緑が鬱蒼と茂る川沿いの小高い丘ですが、800年以上前、平家打倒の挙兵した源頼朝を助け、後に源氏の跡を継いで権力を握った北条氏の本拠地があったところで、山を取り囲むように史跡が連続します。北条政子産湯の井戸、北条氏邸宅跡、願成就院跡など国指定の史跡があります。頂上には韮山地区一望の展望台があるほか、春にはお約束の桜の名所となります。天候にもよりますが、富士山とのコラボも楽しめるそうです。

    旅行時期
    2015年02月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 室町幕府の関東の御所

    投稿日 2015年02月23日

    伝堀越御所跡 伊豆長岡温泉

    総合評価:3.0

    北条氏を倒して幕府を開いた足利氏にとって、北条ってずっと気になっていたんだろうなあ、と素人ながら思ったのが、伊豆の国市・韮山地区にある伝堀越御所跡に訪れたときのこと。今は芝生の広場ですが、もともとは室町幕府の関東の御所があったのです。住人は八代将軍足利義政の弟。義政といえば銀閣を造った人ですよね。御所があった一帯は北条氏の本拠地で巨大な屋敷があったところ。鎌倉の抑えを遠く離れた伊豆半島北部に造るなんて、感覚的にはちょっと不思議です。北条氏がいたところだからって理由なのかしら。鎌倉幕府滅亡から100年以上たっていたのにねえ。ところで、この御所は1491年、北条早雲に攻め滅ぼされています。応仁の乱の時代だから、注意すべきだったのは鎌倉−北条ではなく、跋扈しはじめた戦国大名じゃないのかなあ、と思った次第。しっかし、人のいない芝生、何だか寂しいなあ。

    旅行時期
    2015年02月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 安産に霊験ありとか

    投稿日 2015年02月23日

    北条政子産湯の井戸 伊豆長岡温泉

    総合評価:3.0

    伊豆の国市の韮山地区にある守山一帯はかつて源氏に代わって執権となり鎌倉幕府の権力を握った北条氏の本拠地。麓にひろがる住宅地の一角に源頼朝の妻、北条政子の「産湯の井戸」がありました。ふつーの民家の石垣の真ん前にあって、観光客が大挙してやってくると迷惑かなあと思わせる場所でした。観光客は皆無でしたけどね。苔むしたかなり古い井戸に古木。何だかすごく寂れた感じがします。そんなに深い井戸ではないようで、のぞき込むと底が見えました。北条政子の出産が軽かったかどうかは分かりませんが、安産の霊験ありと妊婦に飲ませていたとか。しっかし、井戸って800年以上の時がすぎて残るものかなあ。

    旅行時期
    2015年02月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • チェックイン時間を過ぎたらアウト

    投稿日 2015年01月30日

    成田国際空港 成田

    総合評価:3.0

    2014年8月から成田−広島間などで就航したLCCの春秋航空。実際に乗ったことはありません。ではなぜ投稿したかというと、チケットは買ったけど、乗り遅れるという悲しい体験があるからです。それも、出発前に空港カウンターに着いたにもかかわらず。当日、新橋からエアポート成田(快速です)に乗り、出発の約50分前に成田到着の予定でした。ところが新橋駅で調べていた時間が間違いと気づきます。焦ってスマホで検索すると、とりあえず23分前には到着できると分かりました。東京から成田エクスプレスに乗るという選択もあったのですが、スマホ検索するうちに東京を通過してしまいました。頭の片隅には「成田エクスプレスって千葉も停まるよな」と勝手な思い込みもありました。ことの重大さに気づいたのは千葉駅。予約確認書に出発35分前までにチェックインしろと書いてあります。そこですぐに春秋航空に電話。遅れる旨を伝えると「チェックインに遅れた場合、そこは係員の判断。空港カウンターに電話はないし、ここから伝えられない」とのお返事。にもかかわらず「出発前だのものぎりぎりセーフ」とこれまた都合のいい判断。そして成田空港第2ターミナル駅に到着後走り、ゼーゼーいいながらカウンター到着しました。しかし、「もう最終バスが出た後。お乗せすることはできません」と冷たいお答え。もちろんチケットもパーとなりました。「これから東京にとって返せば、最終の新幹線に間に合います」(余計なお世話じゃ)。というわけで初LCC体験は露と消えました。LCC用にはボーディングブリッジなどという便利のいいものはありません。バスが出たらおしまいってことなのです。JALやANAのような融通もききません。ただし、安い。ネットで調べると同じような体験者がたくさんいることが分かりました、LCC各社の皆さんにお願いです。出発時間の横に同じ大きさの字で(最終受付は●時●分)と書いてください。JRにもお願い。成田エクスプレスを千葉にも停車させるか、千葉−成田空港間の快速走らせて。

    旅行時期
    2014年11月

  • ホントに江戸時代にタイムスリップ

    投稿日 2015年01月30日

    萩城下町

    総合評価:3.0

    萩を観光するときは、大河ドラマ「花燃ゆ」で話題の松下村塾周辺や、幕末のヒーロー高杉晋作、木戸孝允の旧家がある江戸家横町周辺でしょうけど、実際に歩いてみると、すごいのはその西側の外堀よりお城寄りの堀内地区です。かつての萩城三の丸にあたります。白壁や築地塀が延々と続き、もはやこれは江戸時代そのものじゃないかと思ってしまうからです。萩観光のサイトでは、「古地図で歩けるまち」で、江戸時代の町割や街路、武家屋敷や町家などが多くが存在していると書かれていますが、ホントにそのままなのです。時代劇のセットは不要だなと思ってしまうほど。もちろん道路は舗装されています。中には塀の向こうはミカン畑だったりし、少子高齢化、過疎化から免れているわけではないんですけどね。土産物屋などもほとんどなく、観光客が少ない分、情緒が楽しめました。

    旅行時期
    2014年12月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 地方都市の土地事情かしら

    投稿日 2015年01月30日

    高杉晋作立志像

    総合評価:3.0

    奇兵隊を創設した幕末の志士の1人、高杉晋作の生家近くにある「晋作広場」に高杉晋作の銅像が立ってました。台座を含めて高さ3メートル。萩城の方向を向いています。広場内には高杉晋作が好きだった梅が植えられていたそうですが、大きな黄色い実をつけた夏みかんの方が目立ちました。2010年に作られた、比較的新しい物ですが、住宅が密集する一角だけにちょっと唐突感があります。もしかしたら、クシが欠けるように建物が減っている地方都市の空き地を利用したのかなあ。

    旅行時期
    2015年01月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 京都の新しい魅力見つけられそう

    投稿日 2015年01月30日

    吉田山荘 下鴨・宝ヶ池・平安神宮

    総合評価:3.0

    京都大学のキャンパスから東側にある吉田山を越え神社仏閣があちこちにある静かな住宅街を歩いていると、吉田山荘という看板が掛かった武家門に遭遇しました。旧家を利用した何かのお店かなと思い、きれいに整備された坂を上っていくと、そこには決して巨大ではないけど堂々としたお屋敷。何だろうと見上げていると、吉田山荘の方が出てきて「こちらは会席料理を中心にした料理旅館なんです」と教えてくれました。昭和天皇の義理の弟の東伏見宮家の別邸として1932年に建てられた優雅な造りで、もちろんお値段は張りそう。京都にはこの種の建物を利用した商業施設が結構、あると聞いていましたが、実際に目にしたのは初めてです。こちらのように宿泊なんて無理、という観光客には、玄関先にある「カフェ真古館」が利用可能かも。ところで、立地はかなり厳しいというか、近隣地下鉄など公共交通機関は見あたりません。まあ、タクシー利用のお客さんしか来ないかな。それと周辺にあるのは吉田神社に宗忠神社、真如堂、それに金戒光明寺。うーんどっちかというとマイナーな観光地だけど、京都の新しい魅力が見つかりそう。

    旅行時期
    2015年01月
    利用目的
    観光
    利用した際の同行者
    一人旅
    1人1泊予算
    20,000円未満

  • 萩に残る最大規模の武家屋敷

    投稿日 2015年01月27日

    旧厚狭毛利家萩屋敷長屋

    総合評価:3.0

    江戸時代、長州藩の本拠の萩城があった萩城跡指月公園から南に向かい駐車場に到達すると、長ーい白壁が続く立派な屋敷が見えました。国の重要文化財である厚狭毛利家萩屋敷長屋です。毛利元就の五男を祖とする厚狭毛利家の萩の屋敷で、かつては広大な敷地に母屋などがありました。明治に入って解体され、残るは長屋のみとのこと。到着したのが既に夕暮れだったため、門は閉まっており見学はできませんでした。主な建物がないといえども、萩に現存する武家屋敷としては最大の規模を誇るそうです。豪華な詰め所のような場所も残っており、ちょっとチャンスを逃したなと見学できず残念でした。

    旅行時期
    2014年12月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 天守閣をさっさと解体

    投稿日 2015年01月27日

    萩城跡指月公園

    総合評価:3.0

    何だか面白いところに天守閣を造っていたんだなあ、と思ったのが萩城の天守閣跡を見たときのことでした。内堀に面した場所で萩市内を見下ろすにはちょうどいいのかもしれないけど、北側の背後には指月山があるため、海側はほとんど見えそうにもありません。海から来る敵は山の上で察知できるから、陸上の方が大事と考えたのかしら。写真が展示されていましたが、観光パンフにあるような壮麗さ巨大さはあまり感じませんでした。関ケ原より後は40万石に満たない中堅の藩。ほどほどの大きさにしたんでしょうね。天守閣は1874年、さっさと解体されました。長州が中央政府を握っていたこともあるんでしょうけど、毛利って結構、合理的な考え方をする集団だったのかも。

    旅行時期
    2014年12月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 家老のお屋敷は監視小屋

    投稿日 2015年01月27日

    旧益田家物見矢倉

    総合評価:3.0

    復元された萩城外堀を渡り、これまた復元された「北の総門」をくぐると、まもなく櫓のような古い建物が見えてきました。幕末に至るまで毛利藩の家老家を務めた益田家の物見櫓です。平屋ですが、東にある北の総門側が一段と高くなっており、確かに監視小屋の雰囲気。格子戸は物々しささえ感じます。益田家は永大家老職という名門。島根県益田市が本拠で、大内氏が滅亡後、毛利の家来となりました。幕末の当主だった益田親施は禁門の変の際、長州藩の指揮を執りました。幕府の第一次長州征伐の際、責任を問われ切腹させられました。中に入ることはできなかったけど、どんな雰囲気だったのか見てみたいところです。

    旅行時期
    2014年12月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 住宅街に大きな武家門

    投稿日 2015年01月27日

    北の総門

    総合評価:3.0

    整備はされているものの、水の流れが細く小川にしか見えない萩城の外堀沿いに妙に立派な武家門が立ってました。高さは7メートルもあり、日本最大級の高麗門だそうです。三の丸に入るためにつくられた「北の総門」でかつては門番が常駐していたとか。2004年に復元されました。ただ、実際にそばに行くと結構、唐突感。門の向こう側は萩博物館があるものの静かな住宅街。お城沿いならともかく、この場所に復元してもあまり意味なさそうにも見えました。

    旅行時期
    2014年12月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 萩ではやっぱりヒーロー

    投稿日 2015年01月27日

    高杉晋作誕生地

    総合評価:3.0

    幕末の志士で人気は薩摩が西郷隆盛、大久保利通とすれば、長州は吉田松陰、木戸孝允、そして高杉晋作なんだなあ、とつくづく感じたのが、萩に残る高杉晋作の生家を訪れたときのことでした。子どもの頃、高杉と言えばドラマのヒーローになるなどかなりの人気者。でも維新前に夭折したせいか、NHKの大河ドラマの主役になることもなく、彼が作った奇兵隊という存在も最近ではほとんど取り上げられることがなくなりました。と思って萩を訪れると、そこにはしっかりと生家が残り、産湯の井戸のほか、生前の品々が展示されていました。ただし室内には入れませんでしたけどね。死んだのは27歳8カ月。それまでの間に奇兵隊を創設し、幕府軍を打ち破るなんて、確かにすごいヤツ。そんなところが地元に指示されるんでしょうね。とはいえ、あまりにもできすぎる男。健康で生き延びていたら、西郷のような運命だったかもしれないけど。

    旅行時期
    2014年12月
    利用した際の同行者
    一人旅

  • 生家はごくふつーの家でした

    投稿日 2015年01月27日

    木戸孝允旧宅

    総合評価:3.0

    幕末から維新にかけて長州藩の中心的な人物だった木戸孝允、別名桂小五郎の生家が今も萩に残っていました。黒板塀が続く江戸家横町の一角にあります。入り口がちょっと分かりにくかったですが、入ってみると、ごくふつーの民家でした。生家は萩の藩医、和田家で桂家に養子に行った後、藩の命令で木戸と名乗るようになったとか。決して大きな家ではなく、どちらかというと町家に近い雰囲気でした。ボランティアのガイドさんが色々、教えてくれて、かつては一般の方が住む借家になっており、一部だけを公開している時期もあったのだそうです。木戸孝允と言えば、西南戦争のころに45歳で死んでおり、生きておれば、維新の三傑である西郷隆盛、大久保利通亡き後の日本をどういう風に導いたのかなと思います。ところで、木戸家と言えば、おいに昭和天皇の側近だった木戸幸一、その娘には女官長の井上和子さんなど、今や日本のエスタブリッシュメントの一族。ときどき一族の人たちが訪れているそうで、萩との関係をとても大事にしているようです。

    旅行時期
    2014年12月
    利用した際の同行者
    一人旅

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