amaroさんのクチコミ(142ページ)全3,116件
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投稿日 2012年09月07日
総合評価:3.0
伊豆の高級温泉街、修善寺の中心にあるのが、その名の通り修善寺です。空海の創建といわれ、鎌倉時代には臨済宗の寺となりましたが、室町時代には焼け落ち、戦国時代に北条早雲が再建しました。源氏との関係が深く、源頼朝の弟、源範頼や頼朝の子、頼家がこの地で死んでいます。訪れたのは新緑の季節でしたが、若葉がとっても美しく、散策していてウキウキした気分になりました。
- 旅行時期
- 2010年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2012年09月07日
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投稿日 2012年09月07日
総合評価:3.0
安芸の小京都と呼ばれる竹原市の町並み保存地区で、国の重要文化財に指定され異彩を放っているのが春風館・復古館です。武家屋敷と町家が合わさったような造りでした。外観からしか見られませんが、せっかくの文化財、中まで見られたらいいなあ。春風館は、幕末の思想家、頼山陽の叔父、頼春風の家で、1781年の築。隣の復古館は春風の養子の家として造られました。明治16年の築です。
- 旅行時期
- 2010年05月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2012年09月07日
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投稿日 2012年09月07日
総合評価:3.0
海ほたるには何度か行ったことがあるのですが、こんなカップル向きの場所があったとは知りませんでした。川崎側を向いた展望デッキです。階段状になっていて、一番下まで降りるとほとんど海のそば。風もとっても気持ち良かったです。寒風の吹く冬場はともかくとして、暑い時期、カップルで日焼けも気にせず潮風を浴びれば盛り上がること間違いなさそう。だけど、今まで何で気付かなかったんだろう。お土産買ったり、食事したりとふつーのサービスエリア的な使い方しかしていなかったせいかなあ。
- 旅行時期
- 2010年06月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2012年09月07日
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投稿日 2012年09月07日
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投稿日 2012年09月07日
総合評価:3.0
何となく政治的な臭いを感じてしまったのが鎌倉の「大江広元・毛利季光・島津忠久の墓」でした。「源頼朝の墓」近くにあり、鎌倉伝統である、岩穴を彫ってつくった「やぐら」風。それは分かるのですが、頼朝の側近、大江広元の息子である毛利季光は、長州の毛利家の開祖とされています。島津忠久は頼朝のご落胤とされ、その後、薩摩の島津氏になったとされています。明治維新の主役、薩長のご先祖さまの墓が並んでいるというわけです。もしかしたら、幕末から明治にかけ、薩長同盟の証しとしてつくられたのかもしれません。なーんかすごーく政治的な感じがします。
- 旅行時期
- 2010年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2012年08月30日
総合評価:3.0
同じ源氏といっても源頼朝や義経に比べるとちょっとマイナーですが、頼朝の弟で義経の兄、源範頼の墓が伊豆の修善寺にありました。修善寺の観光の中心「とっこの湯」から15分ほど歩いた山沿いで、墓というかちょっとした祠のようになってました。土台がコンクリートになっていたのは、土が流れるのを防ぐためですかねえ。源範頼は木曽義仲を倒し、一ノ谷の合戦で平家を破るなど、義経と並び平家を滅亡に追い込みました。ところが、頼朝に疑われて修善寺に幽閉され1193年、梶原景時に攻められて自害しました。義経といい、頼頼といい、源氏ってどうしてこう兄弟が殺し合ったんでしょうね。
- 旅行時期
- 2010年05月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
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投稿日 2012年08月30日
総合評価:3.0
かつての若者にとって、倉敷のアイビースクエアといえば憧れの存在でした。アイビーが流行っていた時代、名前もおしゃれだし、白壁が美しい倉敷の美観地区にあって、彼女と一緒に泊まりたいと夢見たものでした。といっても、当時の若者は大半が貧乏。周囲に夢を実現したヤツは1人もいなかった。そんなアイビースクエアを初めて訪れました。1889年築の倉敷紡績の工場を改造してオープンしたのが1973年。新幹線の岡山開業に合わせたといいます。天井の高い平屋の工場に床を造って2階建てとし客室にしたそうです。広々としたフロントは今でも十分おしゃれですが、2階建ての客室は高さがない分、ちょっと不満かもしれません。ちなみにアイビーとは、ツタの意味。確かに多くの建物がツタに覆われてました。
- 旅行時期
- 2010年05月
- 利用目的
- ビジネス
- 利用した際の同行者
- 社員・団体旅行
- 1人1泊予算
- 15,000円未満
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投稿日 2012年08月30日
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投稿日 2012年08月30日
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投稿日 2012年08月30日
総合評価:3.0
今や全国各地で珍しくなくなったアウトレットのうち、かなり早い時期につくられたのが三井アウトレットパークの横浜ベイサイドです。郊外型のアウトレットに比べればかなり小ぶりで1店舗あたりの広さもほどほどです。印象的だったのは、デパートなどで見かけるおなじみのブランドがとても多かったこと。逆に高級ブランドもあまり見かけず、安心して買い物ができました。目の前は大型海洋クルーザーやヨットが並ぶ横浜ベイサイドマリーナで、憧れの船舶を見ながらのランチもなかなか。買い物をしなくても1日楽しめそうです。
- 旅行時期
- 2010年04月
- 利用した際の同行者
- 家族旅行
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投稿日 2012年08月27日
総合評価:4.0
2012年7月末、尾瀬に初見参してきました。首都圏から行くのに一番オーソドックスな、鳩待峠から尾瀬山の鼻ビジターセンター経由でヨッピ釣り橋、竜宮を回り、ビジターセンターに戻ってくるという5時間コースを選択しました。午前6時半に車で自宅を出発、戸倉からバスに乗り換え、鳩待峠に午前10時半着。後はひたすら歩きです。当日の天候は晴れ。都心だと35度くらいあった1日でした。自分にどの程度体力があるか、若干不安でしたが、ビジターセンターまでの下りは1時間弱で通過。腹ごしらえをして、センターを通り過ぎると見えてきました、尾瀬ケ原の大湿地帯。とにかく気持ちいいぐらいの一面の緑でした。ミズバショウは当然、終わり、ニッコウキスゲのシーズンといわれていましたが、ほとんど見ることもなく、とにかく緑一色です。牛首分岐から竜宮、ヨッピ吊り橋へと向かう人が多かったですが、天の邪鬼の私はその逆のコースをとりました。時に吹く風はとても気持ち良かったけど、やっぱ暑かったです。ボードが敷かれた遊歩道は高低差がなくとっても歩きやすく、これなら、小学生なら平気で歩けそう。ただし、最後の鳩待峠への登り道はつらいといえば、つらかったけど。
- 旅行時期
- 2012年07月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 景観:
- 4.0
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投稿日 2012年08月27日
総合評価:3.0
全国的にはそれほど知名度はないようですが、松輪サバと呼ばれるブランドサバがあります。三浦半島先端、三浦市の松輪港から水揚げされるサバのことで、脂がのって、とっても美味。現在でも漁師の1本釣りが中心という珍しいサバです。そんな松輪サバを美味しく食べさせる店がエナヴィレッジです。地元漁協の経営で江名湾に面した場所にあります。ただし、道路には看板が出ておらず、とても見つけにくくくなってます。さて漁港と共通になった広い駐車場そばの古い2階建てがエナヴィレッジです。サバを描いたような看板がほとんどはげかかっています。1階のロビー部や乾物売り場は最近、整備された雰囲気はなく、少し心配になってきます。2階に上がると、一応、整えられたレストランになっており、ちょっと安心。でも週末は相当、混み合い、結局1時間近く待たされました。お勧めは?と聞くと「本日はサバの炙り」とのお答え。ためらいなく、サバの炙りのランチをオーダーしました。新鮮なサバの刺身を炙ったもので、一種のタタキかな。口に入ると脂がのってとろけるような柔らかさ。いわゆるサバ臭さはゼロ。ぽん酢でタマネギのスライスと食べるのが松輪風なのだそうです。お皿にはシメサバ、生シラスも少しだけど、乗ってました。味噌汁、ご飯、スイカのデザートがついて2500円でした。場所柄を考えると、ランチとしてはちょっとお高めかな。でも、こんな美味しいサバを食べる機会は滅多ないことを考えると、お得なのかもしれません。
- 旅行時期
- 2012年08月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
- 一人当たり予算
- 3,000円未満
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投稿日 2012年08月27日
総合評価:3.0
初の武家政権をつくった源頼朝が死んだときに葬られた場所に建っているのが白旗神社です。この付近には頼朝が住んでいた大倉御所があり、位置的には御所の北の角に当たります。といっても、そんな歴史は遠い昔。目の前に見えるのは、特に変わったところがない小さな祠です。ところで、この場所では1247年、時の政権の北条氏と有力御家人の三浦氏との間で戦いがあった際、三浦一族が自害するという惨劇も起きています。そんなドラマを思い浮かべながらの散策も楽しいです。すぐ横の石段を上がっていくと、江戸時代につくられた頼朝の墓もあります。
- 旅行時期
- 2010年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2012年08月27日
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投稿日 2012年08月27日
総合評価:3.0
政権交代が起きると、色々なことが起きるのねと今更ながら感慨深く思い起こさせてくれるのが鎌倉宮です。観光ガイドブックなどにはあまり大きく取り上げられていませんが、広大な敷地がある立派なお宮さん。でも鶴岡八幡宮に比べればはるかに参拝客は少ないですが。その由緒というのがすごいです。祀られているのが、建武の中興で鎌倉幕府打倒のために戦った後醍醐天皇の皇子大塔宮護良親王。足利尊氏と対立し、尊氏の弟直義によって鎌倉宮の場所にあった東光寺に幽閉、殺害されましたが、それから500年以上後の明治に入り、明治天皇が護良親王の遺志を後世に伝えたいと宮を建立したというのです。そんなことのために税金を使うなんて、とても信じられませんけどね。境内には素焼きの盃に息を吹き掛け、厄割り石にたたきつけて割ると、体の悪いものがお祓いできるという仕掛けもありました。参拝客が少ないために、色々工夫してるのかな、って言い過ぎかしら。
- 旅行時期
- 2010年02月
- 利用した際の同行者
- 一人旅
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投稿日 2012年08月27日
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投稿日 2012年08月27日
総合評価:3.0
立派といえば立派なんだけど、何のために復元されたのか、いまひとつ分からなかったのが、東広島市・西条の酒蔵通り入り口付近にある立派な武家屋敷の門でした。江戸時代、西条は西国街道の宿場町として栄え、この場所には御茶屋という広島藩の本陣が置かれていました。その当時の門を復元したのが現在の門ですが、門の向こう側にはふつーの民家が建っており、よーするに横目で門を見るだけで終わってしまいました。どうせ復元するなら、観光客を集める酒蔵通りの入り口とかにすれば良かったのに、とよけいなことを考えてしまいました。
- 旅行時期
- 2010年03月
- 利用した際の同行者
- 一人旅























