ゲストさん、こんにちは
ログインはこちら
マイルに交換できるポイントがたまる
新規会員登録
# 那珂川町
# 温泉
# 自然・動植物
# 三浦大介義明
# かきこ
# 歴史・芸術
戻る
新年あけましておめでとうございます。予報では大雪のようでしたが、朝から晴れわたり気持ちの良い日になりそうでした。コロナ感染が拡大しているので、有名観光地を避けて静かな神...
大田原・黒羽・那珂川
旅行記グループ私の好きな大田原市とその周辺の散策
旅行記スケジュール(4件)
63
2021/01/02~
by ごまさん
思えば20年ほど前になります。主人が脳内出血で退院してから、1年ほどして「八溝七福神巡り」をした事が有りました。その時に1ヶ所のお寺だけ御朱印を頂いて、終了したままでし...
59
2018/12/08~
大田原市内に行ってきました、国道461号線沿いにある「道の駅那須与一の郷」と隣接している「那須神社」に、食事は道の駅前にある食堂大八溝で、そこからしばらく移動して黒羽に...
旅行記スケジュール(5件)
50
2018/11/16~
by タビガラスさん
栃木県大田原市余瀬のギャラリー路が11月で閉店する為に、最後に「矢口威子創作展」が開かれていると地元紙で知りました。2年前にも見学にお邪魔させて頂き、美しい日本人形に魅...
42
2018/11/11~
今年の「大人の休日倶楽部」CMに吉永小百合さんが出演放映された、大田原市(旧黒羽町)にある雲巌寺に久しぶりに出かけました。雲巌寺は紅葉の名所なのでこの時期に行くこともな...
旅行記スケジュール(2件)
49
2018/09/24~
梅雨の時期の花と言えば、何といってもアジサイ! 栃木県内にはアジサイの名所はいくつかあるが、今回は県北部の黒羽城址公園のアジサイを見に行ってきた。ここでは、夜間ライト...
2018/06/23~
by 玄白さん
自家用車で国道294号で北上。ナビのお陰で迷いも無く4時間半位です。県道から門を入るといきなり瓜瓞橋(かてつきょう)があります。すぐに分かります。境内には参拝客が結構い...
29
2018/04/04~
by ひでちゃんさん
ついでに寄った「那須与一の墓」は他の見学場所へも行く事になった。那須与一が乗馬訓練をした愛宕山(汗馬山)は見学者もなく、朽ちた説明版が寂しい山であった。山頂にある「那須...
2017/03/22~
by しんちゃんさん
「接ぎ木研修」の後は「那須与一のお墓」と「福原城跡」を見学した。那須与一(なすのよいち)は知っている方がほとんどだと思う。源氏と平家(平氏)の戦いで、平家方の扇(おうぎ...
58
栃木・大田原市にある那須神社と道の駅那須与一の郷を散策、散策後は旧黒羽町へ移動してくらしの館へ
30
2015/04/22~
旧馬頭町の広重美術館でねこじゃねこじゃ展が開催されていました。地元紙でこの夏に前期と後期で展示品を替えて公開されていたのですが、ついうっかり忘れていて危うく見逃すところ...
57
2014/08/23~
氏家宿を経て、喜連川宿へ。そして更に佐久山宿へと向かいます。
41
2014/04/24~
by ムッシュさん
芭蕉が歩いた奥の細道を辿ります。
2012/12/03~
by hide-bachさん
芭蕉が歩いた「奥の細道」を辿ります。
19
2012/10/30~
松尾芭蕉が歩いた「おくのほそ道」を辿って、今回は、栃木県の大田原市黒羽を訪ねた。
2月24日に那珂川町の旧馬頭町に行ってきました、道の駅ばとうへ寄って、馬頭広重美術館・郷土資料館へ行った後、静神社と乾徳寺周辺散策して、大田原市との境近くにある「いわむ...
27
2012/02/24~
当旅行企画会社配布の資料によると、昔当寺の境内に”千丈岩”と云われる巨岩が有り、”雲厳寺塔(虎丘塔)”と呼ばれた中国・蘇州の”虎丘山”に似ていることから「雲厳寺」と名付...
旅行記グループ奥の細道を訪ねて[第5回]那須から遊行柳の芦野の里まで(目次)
86
2011/07/23~
by WT信さん
”奥の細道を訪ねて[第4回]芭蕉の里より黒羽まで”の旅の最後に訪れたのが、ここも案内の先生がおられなければまったくその存在が判らないであろうと思われる、修験光明寺跡の薮...
旅行記グループ奥の細道を訪ねて[第4回]芭蕉の里より黒羽まで(目次)
8
2011/06/26~
芭蕉と曾良は黒羽到着後最初に訪れたのは余瀬にあった翠雪・翠桃兄弟の弟の鹿子畑邸であった。鹿子畑邸は兄翠雪の実家でもあり、翠雪が母方の祖父で城代家老の浄法寺家の養子となっ...
12
黒羽城跡を最後に我々の旅は旧黒羽町から、那珂川を挟んで反対の、余瀬に向かう。余瀬には黒羽城が築造される前の大関家の居城・白旗城が建っていたところであり、由緒ある建て物も...
「芭蕉の館」の建て物を繋ぐ渡り廊下が有り、その下を潜った先の階段と城の空堀に架かる木製の橋を渡り、「黒羽城跡公園」に向かう。普通の年ならば空堀の両脇の紫陽花が真っ盛りの...
21
「大雄寺」を出て直ぐの自動車道路の脇の土手に、紫陽花が咲く小道が有り、この小道は黒羽城跡まで続く、芭蕉所縁の遊歩道になっている。最初が芭蕉が黒羽滞在13泊中、8泊をした...
20
「大雄寺」総門の下の左角に、合掌観音像の綺麗な立像の前を右に曲がり、「黒羽藩主大関家累代墓所」の案内板に従って進むと広い一般墓地が広がる。その一番奥まった所に大関家累代...
17
「大雄寺」は那珂川を西から東に渡り、北に向かって門人翠雪(当時の城代家老・浄法寺高勝、翠桃の兄)の屋敷跡(芭蕉公園)に向かう途上に建つ。芭蕉は那珂川同様この辺りを何回も...
47
「常光寺」も黒羽城の築造に伴い、余瀬から移築された。その後火災で焼失したが、1665年黒羽向町在の豪商高橋源左衛門が独力で再建。山門の左手前に、芭蕉が余瀬を発ち、殺生石...
1576年、当時の黒羽一帯を支配していた大関氏が、その居城で余瀬(大田原市余瀬)にあった白旗城を現黒羽城跡に移転した際、城下に住んでいた住民も新しい黒羽城下に移転させた...
10
芭蕉が黒羽の13泊14日の滞在中、那須神社も訪れているが、それは黒羽滞在11日目の事であった。那須神社は大田原市の南西に位置し、今回の旅程では黒羽の入り口に相当し、そこ...
45
日光の鉢石の旅籠「五左衛門」を発った芭蕉達はその日の午後玉生(栃木県塩谷町)に着き、その夜は玉生で泊まっており、奥の細道を訪ねて[第4回]は”玉生より黒羽まで”が正確な...
14
321年前、松尾芭蕉がここの仏頂和尚に合いに来ました。「木啄も庵はやぶらず夏木立 (きつつきも いおはやぶらず なつこだち)と詠みました。紅葉真っ最中、雲巌寺(うんがん...
2010/11/14~
「かさねとは 八重撫子の名なるべし」紀行文「奥の細道」の中でも珍しく叙情的に描かれた名場面の一つ。沢の宿から大田原へ歩き出した芭蕉一行は、その広大な荒野、那須野が原に呆...
5
2008/09/14~
by zakoneboyさん
1件目~30件目を表示(全32件中)
トラベルマガジン
PAGE TOP